−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年のスペイン滞在日記です。
6月23日(火) 晴 11300 マドリードにて
ETAがまた、ビルバオで警察官が乗った車を爆破するコーチェ・ボンバを実行して警察官が死んだ。ビルバオを中心にデモが昨日行われた。警察官の女房は、死亡の知らせを受けた直後は、絶望の淵にいたらしく全身脱力状態で涙も涸れたような感じで1人で歩けないので抱えられていた。それが昨日のデモでコメントでは、「muy
orgullosa」(非常に誇りに思う)と言っていた。それを訊いていた女性たちは溢れ出る涙を拭きながら訊いていた。
ETAに暗殺された警察官の残された女房と子ども2人は、今、バスク人と、スペイン人のETA反対と暗殺に抗議するデモの中で、絶望の淵から立ち直ろうとしている。フィリッペ皇太子、サパテロ首相なども葬式に駆け付けて謁見した。そういった中で、現実生活の中で平穏な気持ちを取り戻す手助けをする、スペイン人たちに、感動した。また、彼女はその事により、立ち直ろうとする強い意志を、「muy
orgullosa」という言葉で力強く語ったのだと思う。僕は、あの家族に喝采を送りたい。
アグネスタキオンが急死した。原因を確認中だという。急性心不全と判明した。これで、宝塚記念は、タキオン産駒のディープスカイが負けられなくなった。それにしてもサンデーサイレンスの後継種牡馬の死は、馬産地に大きな波紋を投げかけるだろう。「繋養(けいよう)先の社台スタリオンステーション(北海道勇払郡安平町早来)吉田照哉代表は「あまりに突然のことで、言葉を失っております。種牡馬入り直後から、ダイワスカーレット、ディープスカイ、キャプテントゥーレなど活躍馬を輩出してくれました。種牡馬として、成熟期に入り、これからますます強い馬を作れるという確信を持っていただけに、残念でなりません。今はただ、冥福を祈るばかりです」とJRAを通じてコメントした。」 ーーサンスポよりーー
22日アリカンテでエンリケ・ポンセがファン・ペドロ・ドメク牧場の“コメンダドール”という名の牛(No134、482キロ)をインドゥルトした。なおポンセはこれで38回目のインドゥルトを達成した。余りにも多すぎないか?
22日の結果。 バダホス。フェレーラ、耳1枚。モランテ、ペレラ、耳なし。 アリカンテ。ポンセ、耳1枚、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。マンサナレス、耳2枚。エウヘニオ・ペレス、耳要求で場内1周。
6月24日(水) 晴 10250 レオンにて
昨日、Mさんと、すずめさんにTELをした。Mさんは、一昨日、日本から戻ってきたという。明日来ればということだったが、レオンに行くので、というと明後日は?ということだったので、25日に行くことにした。すずめさんは、TELをかけたらいきなり、あれーと、米ちゃんのような驚きと嬉しそうな声を出した。それだけで無茶苦茶楽しくなった。誰か分かります?というと、斎藤さんでしょう。と、明快な答えが返ってきてこっちがビックリした。サン・セバスティアンでバカショーネス(休暇)を取っているのだという。こっちは寒くてというので、マドリードは凄く暑いから、そっちの方が良いですと、言った。日曜日はバダホスに行って凄く暑かったことを話した。週末にマドリードに戻って来るという。斎藤さんの都合の良いときに会いましょう。面白い話を訊かせて下さいと、丁寧な言い方でまた感激した。また、TELで連絡すると事にした。
レオンに到着した。RENFEの駅でYさんと遭遇した。また、闘牛場で会うことにした。これから結衣さんと昼食を取りに出かける。ホテルでネット接続したら、ニーム(フランス)のポンセとホセ・トマスのマノ・ア・マノは実現性がないという記事が載っていた。
23日の結果。 バダホス。ハビエル・ソリス、アンベル・ポサダ、耳1枚。ハイロ・ミゲル、耳なし。 アリカンテ。フリ、耳1枚と強いもう1枚要求で場内2周。マンサナレス、耳1枚。ペレラ、耳1枚、耳2枚。
6月26日(金) 晴 28839/2 マドリードにて
バダホスのことを未だちゃんと書いていないのに、レオンの事も書くことがあり、マドリードに帰って来てからのこともある。何から書こうか…。取りあえず昨日のことを書こう。朝レオンで7時半に起きて結衣さんの部屋にTEL。受付で待ち合わせをして、バス・ターミナルへ行った。彼女はサンティアゴ・コンポステーラへ行くために移動。タクシーを呼ばないと言うことだったので、荷物が多いのが分かっていたので送ることにした。スーツケースに他の荷物とバッグ。スーツケースを転がして歩く。歩道などは、凸凹のタイルというかブロックが多いので大変だ。これを前日はタクシーがつかまらなかったので1人でホテルまで持ってきた。腕が痛くなるのは当たり前だなぁと、思った。
送ったお礼に、ターミナルで朝食をおごって貰った。前日の夜も寒かったが、朝も長袖がないと寒い。注文をしているときに肩を叩く人がいたので、振り返ったら、ペドロだった。そうホセ・トマスの担ぎ屋だ。昨日は闘牛場のプエルタ・グランデの前でポスターを売っていた。何処に泊まったのか知らないし、訊かなかった。これから家のあるサラゴサに帰るという。土日はソリアに行くと言っていた。カルテルを観たら、フリ、ペレラ、ポンセなどが出る。ペドロは担ぐために街を渡り歩く。テンポラーダ中はこういう生活をする。だから、闘牛場の前で何かを売ってお金を得ている。それを許しているスペインは凄い!こういういわば列外の人間を受け入れ、活かしていこうとしている。ホセ・トマスは、ペドロに対しては、闘牛場から自分の車に同乗させてホテルまで連れて行く。車のドアを最後に閉めるのは、ペドロだったするのだ。
昨日、アジューダをやっていたろう。カジェホンの中でムレタを持っていたよね。と、言うと、嬉しそうないというか驚いたようにして、そう俺はやっていたんだと言った。多分、ホセ・トマスのチームがアジューダをやらせていたんだろう。アジューダは、モソ・デ・エスパーダの補佐をする仕事で、ムレタや剣を用意したり、血の付いた剣をスポンジで拭き取って綺麗にしたり、その他諸々の仕事を手伝うのだ。ある程度の手順を知らないと出来ない。ペドロとは、バルセロナで会おうといって別れた。昔、携帯の番号を教えて貰ったけど、なくしてしまった。というか何処に行ったか分からない。
結衣さんはバスに乗って出発。サンティアゴ・コンポステーラからトルコ経由で帰国する。それから、ホテルに戻る。ホテル前の前日美味しい昼食を取ったレストランのバルでカフェ・コン・レチェを頼む。新聞が観たいと思っていたらバルの新聞が置いているのに気付く。それを読んでいたら、5頭目のホセ・トマスのファエナについて、イレギュラーなファエナという表現をしていた。牛が悪いからそういう風に書くのだろう。
闘牛は、良い牛が出れば、耳2枚取れるファエナが出来るが、中には出来ない闘牛士もいる。悪い牛を相手に良いファエナを出来る闘牛士を、昔は、魔法を使って牛を動かしたとか、荻内先生や足立さんと言っていたことがある。その代表が、セサル・リンコンだった。今は、それがホセ・トマスに代わった。バダホスのファエナも凄かったが、レオンのファエナも凄かった。牛が悪いのにあれだけ手の低い長いパセを牛から引き出せるのが凄い。剣が決まらなくても大満足。Yさんは、5頭目のファエナは凄く興奮したと言っていた。2002年のラス・ベンタス闘牛場のプエルタ・グランデの時を思い出したという。
結衣さんは、今回ペレラはオーラがなくなったという。僕がホセ・トマスを観ているからじゃないかというと、そうかも知れないという。兎に角、ホセ・トマスだけ、他とは違うし、別格。新聞も、1面に耳3枚取ったペレラじゃなくて、ホセ・トマスが載っているし、闘牛欄もまずホセ・トマス大きな写真が載っている。当然である。バダホスは、この40年間、ノー・アイ・ビジェテ(切符が売り切れ)になったことがなかった。アントニオ・オルドニェス、エル・コルドベス、パコ・カミノ、パコ・オヘダ、エスパルタコ、エル・フリなどその時代に人気になった闘牛が何人も出ていたが…。それをノー・アイ・ビジェテにしたは、ホセ・トマスなのだ。今、何処の闘牛場へ行っても、ノー・アイ・ビジェテに出来るは、ホセ・トマスだけだ。
それから、12時過ぎの列車で、マドリードに戻ってきた。ネットを観ていたら、日記を読んでいた人の中に、辻井伸行さんの検索で来た人が来て、またYouTubeを観た。新しく載っているTV番組など観ていたら、日記を書く暇がなくなった。時間が来たのでMさんのところにTELをして向かう。お土産を渡して、夕食を取る。ゆず風味のサラダと豚肉のしゃぶしゃぶ。これだけでお腹一杯になる。デザートのフルーツが出る。サクランボを食べるとさわやかな気分になる。そういうとM婦人に変わったことをいうといわれた。ホセ・トマスや闘牛のことや最近の話をした。その中に、辻井伸行さんの事も出た。Mさん曰く、彼は天才だね!部屋に帰ってきたらもう何も出来なくて、寝た。23時頃から9時半までぐっすり寝た。また明日から、レオンに行く。
24日の結果。 レオン。ハビエル・コンデ、口笛。ホセ・トマス、耳1枚ともう1枚要求、場内1周。ペレラ、耳1枚、耳2枚。 バダホス。ポンセ、フェレーラ、耳1枚、耳2枚。フリ、耳1枚が2回。カジェタノ・オルドニェス、耳1枚。 アリカンテ。エスプラ、モランテ、カステージャ、耳なし。
25日の結果。 アリカンテ。コルドベス、オルドニェス、耳1枚が2回。カジェタノ・オルドニェス、耳1枚。 アルヘシラス。フリ、耳なし。ファンディ、耳1枚が2回。マンサナレス、耳1枚。
6月27日(土) 晴/曇 13113 レオンにて
昨日起きてTVを観ていたらマイケル・ジャクソンとファラ・フォーセットの死亡を知った。ネットで記事を読んでいたら、ファラ・フォーセットの死亡により悲しみを感じた。マイケルの音楽には元々興味がないし、CDも持っていない。MTV時代を作った張本人なのだが…。自分で死の中に飛び込んでいった印象が強く同情はしない。今回初めて知ったのは、「ジョン・ランディス監督の14分間の大作ビデオ「スリラー」(82)や、マーティン・スコセッシ監督の「バッド」(87)は、いまだに音楽ビデオの最高傑作と評価されている。
」 ーーeiga.comよりーー の記事に出ているスコセッシのこと。彼が音楽映画を初めて手掛けたのは、ザ・バンドのラスト・コンサートを収録した、傑作『ラスト・ワルツ』である。あれから色んな音楽映画を手掛けた。最近では、ディランの『ノー・ディレクション・ホーム』も、ストーンズの『シャイン・ア・ライト』も手掛けた。多分、1番売れたのが、マイケルの「バッド」何だろうけど…。
ファラ・フォーセットとライアン・オニールの子どもはダメ男で、麻薬中毒。現在更正施設で治療中だが、葬式への許可が出たという。母親に誓って二度と麻薬には手を出さないと、順調にリハビリプログラムをこなしているという。ファラにとって心残りは、ライアン・オニールとの結婚ではなく、この息子の事だっただろう。息子は4月中旬に、「 「母親の力になりたい。体重が86ポンド(約39キロ)くらいしかないんです。自分が情けない。最悪のタイミングだ」と聞き取れないほどか細い声で語ったとWENNは報じている。」 ーーシネマトゥデイーー 、しっかりしなさいと、母親は思っていただろう。
レオンは昼間でも寒い。さっき昼食を取りに出た。15時過ぎに出たので何処も一杯で空いてる所を探し歩く。それでも何とかなるものだ。ちょっと休んで闘牛場へ向かう。
26日の結果。 アルヘシラス。ポンセ、耳要求。カステージャ、耳なし。ペレラ、耳1枚、耳2枚。
6月28日(日) 曇/雨 15767 レオンにて
今TVでは、コンフェデレーションカップ3位決定戦をやっているが、ずっと攻めていたスペインは、70分過ぎに南アフリカに先制を許して苦しい戦いになっている。シャビもトーレスも下がっている。負けそうな感じだ。スペインは、グイサの連続ゴールで終了間際に逆転した。スゲー!ロスタイムにフリーキックから同点を許す。どうなるか判らない。コンプリカド!延長になった。ディープスカイも完敗したし、好調なのはイチローだけか。
レオンは朝から曇っていたと思ったら12時過ぎに雨が降った。昨日のパンセのインドゥルトは何だったんだろう?良い牛の定義は色々あるだろうけど、その一つが遠くから呼べる牛。それはクリアしていたが、クルサードして誘ってなかなか来ない牛は、良い牛の定義には入らないだろう。ポンセは丁寧に、牛に近づきながらムレタを左右に振って牛の動きを確認していた。それでもなかなかムレタを出して誘っても来ない場面が多かった。来れば動くのだが、それまでの誘うところまでは苦労していたのだ。あの牛をインドゥルトにしてしまうポンセが上手いと言った方が良いだろう。
インドゥルトが決まった後の剣刺しのマネも、トリル前でやってそのままトリルから牛を返そうとしていた。トリルの係員にその趣旨をいってトリルを空けていたが、牛が思うように動かずに直ぐには、トリルに入って行かなかった。これから延長戦を観る。
6月30日(月) 晴 28107/2 マドリードにて
カカがマドリードに到着し正式にレアル・マドリードの入団手続きをする予定だ。昨日は、レオンから帰ってきて、昼食はスパゲティーを作って食べ、夕食はくまさんのところで、とろろさん他のお別れ会で、牛タンを食べた。シチューと焼き肉。ご飯がなくても牛タンだけでお腹が一杯になるくらい沢山の量で、8人でタン3つを平らげた。特に舌の奧の方は、霜降り状になっていてそれはそれは美味しい。日本で食べる牛タンは、舌の先の部分か、せいぜい舌の真ん中部分。舌の奧、つまり咽の辺りは食べることがないが、そこが1番美味しい。
下ごしらえに、2時間かかったといっていた。舌の表面部分を包丁で丁寧に切り落として、筋なども取って、舌先の部分はシチューに入れ、後は焼き肉用で使う。塩胡椒、ごまだれ、醤油、それとレモン。少しずつ味を変えて飽きることなく食べ続けた。1人約500グラムくらい食べた計算。ビール、マンサニージャ、赤ワイン、などの飲み物も5種類くらいあった。それから部屋に帰ってきて寝た。だから日記は書けなかった。今日は、プラドに行くつもりで、明日はセビージャに行く予定だ。
TVのニュースでは、グレゴリオ・マラニョン病院で死亡した20歳の女性は、新型インフルエンザによるものだった。なお、妊娠26週目の子どものは前日帝王切開で体重1400グラム出産した。
28日の結果。 マドリード。ロブレニョ、モレニート・デ・アランダ、イバン・ファンディニョ、耳なし。 セゴビア。ファンディ、マンサナレス、耳1枚が2回。ペレラ、耳2枚。 ソリア。ポンセ、耳1枚。カジェタノ・オルドニェス、耳2枚。ホセリート・アダメ、耳2枚。 ブルゴス。パディージャ、ルイス・ボリバル、耳なし。サルバドール・コルテス、口笛、耳1枚。 トリジョ。エウヘニオ、耳1枚。セラニト、耳なし。ルベン・ピナル、耳1枚、耳2枚。
29日の結果。 ブルゴス。ポンセ、耳要求、耳1枚。ペレラ、耳1枚が2回。モレニート・デ・アランダ、耳1枚。
7月1日(火) 晴 12519 マドリードにて
セビージャ行きは、都合がつかなくって取りやめになった。だからマドリードにいる。昨日は、プラドとテッセン美術館に行った。が、プラドは当日券が売り切れになっていた。遅く行ったからだ。テッセンは、19時までだったので閉まっていた。散歩したのだと諦めて戻ってきた。そして、カエルさんのいうとおりコルテのカジャオにはちゃんとカフェテリアには喫煙所があり、そこでコンガスを頼んで涼んで帰ってきた。今日か明日再挑戦しよう。
『6.482 euros por ver a Jose Tomas』 というタイトルの記事が6月30日『EL
MUNDO』に載った。今日は、同じ記事の内容がムンドトロ・コムに載った。タイトルは、『Jose
tomas , rey de la reventa』
タイトルの通り、7月5日バルセロナのホセ・トマスのウニコ・エスパーダの切符を、www.tengoentradas.com
(サッカー、ロック・コンサート、闘牛などあらゆる切符の売り買いをするインターネット・サイト)で、あるアフィショナードがソンブラのテンディド・バッホ2枚を6482ユーロで買ったというのだ。つまり、1枚3241ユーロ。日本円で136円が1ユーロで計算して44万776円。信じられない値段だ。驚異的!2枚でつまり、88万1千552円!驚愕に値する!
これが記録になったらしいのだ。因みに今日バルセロナであったU2のコンサートは、350ユーロが最高値だったという。サッカーではあり得ない値段。闘牛でもあり得ない値段だけど、その値段を付けさせてしまうホセ・トマス!さらに7月5日バルセロナのホセ・トマスのウニコ・エスパーダの切符は、787枚が取引されて、最低価格が75ユーロ、平均150ユーロ。(これまで)今シーズン、ホセ・トマスの切符は2113枚取引された様なのだ。何処へ行っても
NO HAY BILLETE (切符は売り切れ)のホセ・トマス。どうなるんでしょう、これから。
ただ、闘牛場によっては、切符売り場で、予約の切符を渡しているのだが、そこを覗いていると切符欲しいならあるよ、正規値段で良いという人もいる。グラナダの結衣さんがそうだったし、バダホスで声を掛けられたときがそうだった。だから、余分に持っていて、都合で他の人が見れなくなって切符が余るという事は充分ありうることだ。だからといって、それを当てにして、バルセロナへは行けないのだ。これは切符的などうなるんでしょう。
ホセ・トマスのウニコ・エスパーダを観れば今後のことが少し判るか、感じれるような気がする。6月のカルテルは、24日のレオンで終わった。その後、ブルゴスに出れたのに、バルセロナに備えて出場回避したのだ。そして、7月は5日のバルセロナしか入れていない。後は、8月1日のポンテベドラ、3日のエウルバ、7日のバイヨンヌ(フランス)、12日のヒホン、20日のマラガ、26日のアルメリアになっている。
7月2日(木) 晴 13859 マドリードにて
人の運命とはどうなるのか解らないものだ。夜にTELで話していたら、知り合いが脳腫瘍で入院中だという。あれだけ元気にしていたのに…。それでも、話を訊くと、街で倒れて気が付いたときは、病院で手術をした次の日には一般病棟に入ってTELをしてきたのだという。そして、その事を告げて、暑い中で冷房が入って、3食付き。まあバカショーネスだと思えばと、いっていたという。そういう風に考えられる人は、早く治るだろう。リハビリで歩けるようになるという。
昨日夜は、そんなTELをしながら、頼まれごとをされた。充分納得できる話だった。それは良いのだが、交換条件といわれたが、何も思い浮かばない。それは後で考えることにした。その前は、プラド美術館へ行ってホアキン・ソローリャ(Joaquin
Sorolla)展を観た。実に素直にすーと入ってくる絵だった。何が印象に残ったかというと、女と白である。ソローリャ夫人を描いた絵は、黒いドレスを着ているが、腰に巻いたベルトのところにある白い色が生きている。それと、身体の動きがある絵というのが素晴らしい。こういう絵はなかなかない。一遍で好きになった。勝手な思い込みを書けば、その後の印象派に影響を与えるいるような絵だった。
マティスなんかどうでも良くなるような絵だった。と、いってもマティスはマティスでちゃんと観に行く予定だけど。今日は、Y君のところへ行って昼食を作った。海老のスパゲティー。それから話をして、また、辻井伸行さんのYouTubeを観たり将棋をしたりして、楽しく過ごした。
そして、バルセロナの切符もどうやら大丈夫そうだ。そのバルセロナの牛は、12頭が用意された。3つの牧場が4頭ずつ用意した。ヌニェス・デル・クビジョ牧場は、“ブレリア”(No166)、“レラテロ”(No214)、“ヒネト”(No57)、“カカレオ”(No191)。エル・ピラール牧場が、“グアヒロ”(No127)、“ドゥダドール”(No138)、“ブルレニョ”(No41)、“レシストン”(No133)。ビクトリアーノ・デル・リオ牧場は、“ドラド”(No58)、“エバニスタ”(No32)、“コンドル”(No96)、“ブレビト”(No164)。最高の牛を提供すべく3つの牧場は最大限の努力をしているようだ。
超ムカツク!!!さっき、www.tengoentradas.com を開いたら7月5日バルセロナのホセ・トマスのウニコ・エスパーダの切符が2時間前に比べて4000枚以上多く切符が売りに出されている。念のために調べたら、1人で、ソンブラのテンディド4200枚の切符を1枚2100ユーロで売りに出している。4200X2100ユーロ=882万ユーロ(日本円=136円計算で、11億9952万円)になる。これは犯罪だ。こんな奴は警察に捕まればいいのだ。そして、どうやって切符を手に入れたのかを調べなければ許されない!こいつから絶対切符を買ってはいけない。テンゴエントラーダスは、警察に密告すべきだ。ネットでも1人最高で6枚までしか買えないのに何で4200枚も持っているのだ。しかも2100ユーロなんてふざけた値段を付けている。この値段はそのままホセ・トマスのウニコ・エスパーダの出場料にした方が正当だ。
30日の結果。 ブルゴス。コルドベス、耳1枚が2回。オルドニェス、耳要求。ファンディ、耳1枚、耳要求。
7月1日の結果。 ブルゴス。エル・シド、耳1枚、耳2枚。カステージャ、ペレラ、耳1枚。
7月3日(金) 晴 9860 マドリードにて
5日バルセロナで行われるホセ・トマスのウニコ・エスパーダの牛が昨日バルセロナに到着した。それぞれ良い牛を出している。ヌニェス・デル・クビジョ牧場は、去年バルセロナでホセ・トマスがインドゥルトした“イディリコ”の甥も出るし、エル・ピラール牧場は、2005年サン・イシドロでメホール・トロになった牛の弟が出るのだ。牧場を、6TOROS6にせず、また1つの牧場にしなかったのは正しい選択だ。しかも3つも牧場が良い血統の牛を4頭ずつ用意しているのは、考え得る限り最善を尽くしているといって良いだろう。
しかし、天気予報は当日雨になった。どうなるんでしょう?そして、切符の方もどうなっているんでしょう?昨日書いた、www.tengoentradas.com に1人で4200枚を売り出した事を書いたが、今日起きて観たら、その4200枚は削除されていた。これは間違って登録したものか、それとも警察に捕まったのか判らないが、可能性として高いのは、間違って登録したという方だろうなぁ、きっと。
切符は、4日か5日にホテルに取りに行けば良いようだ。まずは一安心。後はこれからホテルの場所を地図で確認しておけばいい。さっき、すずめさんと昼食を食べた。一杯話をした。面白かった。人と話をしていると自分の考えがまとまるときがある。すずめさんと話をするとそういう感じがした。それは、闘牛にしても、他のことにしても。また、来年来たら会うことにした。これから、また人に会う。考えてみれば時間がない。時間がない中で誰と会い、何が出来るか。明日は、バルセロナ。いよいよ最終目的のホセ・トマスのウニコ・エスパーダが待っているのだ。
2日の結果。 ブルゴス。フリ、耳1枚、耳要求。マンサナレス、耳2枚。カジェタノ・オルドニェス、口笛。
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