−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年のスペイン滞在日記です。
6月13日(土) 晴 15880 マドリードにて
グラナダからマドリードの戻ってきた。昨日のグラナダは何だったんだろう?3頭目のダニエル・ルケは、あまり良いと思わなかった。ファエナ後半に、剣をアレナに突き立ててナトゥラルを繋いだ。右手も剣がないのでナトゥラルと同じ状態。ホセリートが昔やった、デレチャッソ・シン・エスパーダ。それで闘牛場を沸かせて耳2枚と、思っていたら、尻尾まで切っていた。あれは間違いじゃないかと思った。ハビエル・コンデは、牛が良くないのに、踊ったり派手に闘牛をやろうとしていたが空回りだった。そして、5頭目のホセ・トマス。
ガオネラの時の立ち位置が、すでに角2本過ぎた所に立っている。その状態でカポーテは背中の後にあるので牛を誘うと牛は、背中の方に向かって走ってくる。それを背中のカポーテを動かすと牛は、体の前の方に向きを変えて走り去る。観客は、直前まで角が体の方を向いているから、恐怖を感じて叫び声を上げる。このガオネラを繰り返すもんだから、「オーレ」の声は熱気を帯びて行く。それからファエナは王道を行った。しかも、左角が悪いのに右角で良いパセを繋いだ後に、手の低い長いパセを牛から何度も引き出していた。あのパセは驚異的だった。ダニエル・ルケとは訳が違う。こういう闘牛がみんなが観たかった闘牛だ。納得の尻尾が出た。
そして、最後のインドゥルト。牛が良すぎたんだろう。初めはそんなに良い牛に見えなかったが、ずっと走り続けていた。あれは確かに凄い。ムレタを振ればパセを繋げる状態。また、剣を投げ捨てナトゥラルを繋ぐ。デレチャッソ・シン・エスパーダも。そして、ナトゥラルの後、尻の後でムレタを右手に持ち替えてパセ。また、パセの後、尻の後でムレタを持ち替えてパセを繰り返すと闘牛場は熱狂に変わった。「オーレ」の大合唱がこだました。観客が立ち上がってハンカチを振り出す。インドゥルトの要求だ。剣を代えベルナディーナ。「オーレ」が続きインドゥルトの要求も続く。プレシデンテはインドゥルトを許可するオレンジのハンカチを出した。
92年から17年ぶり2度目のインドゥルトを観た。前回は9月のムルシアで、ハンディージャ牧場のビエンベニーダという名の牛だったと記憶する。やったのはエンリケ・ポンセ。昨日は、ヌニェス・デル・クビジョ牧場のミラフロレスという名の牛で、ダニエル・ルケ。前回の記憶を思い出して比較してみれば今回の牛の方が遙かに良かった。終わった直後は、下山さんや結衣さん、とろろさん、Tibsさんにはインドゥルトはおかしいような事を言ったが、反省している。最後まで右も左も良かったし走り続けた。それは凄いことだ。
インドゥルトは、闘牛士と観客の共同幻想をプレシデンテに要求して許可を得て成立する、手の込んだもの。それを大多数が共有できるかどうかが、インドゥルトの重要な事だと思う。次に重要なのはインドゥルト(死を免れた)された牛が牧場に戻り、種付けをして良い子どもを出すこと。この辺は競走馬に似ている。この種がまた、闘牛場で観客を熱狂させる牛を出してくれることを望む。
サンタンデールとかビルバオとかサン・セバスティアンとかバスクのカルテルが発表されたが、時間がないのとホセ・トマスが出ていないので書く気がしない。Tさんじゃないが、ホセ・トマス以外の闘牛は観なくて良いという心境だ。今日はマドリードに戻って寝ていた。明日はトレドに行く。切符はない。どうなるかは判らない。
12日の結果。 グラナダ。ハビエル・コンデ、口笛。ホセ・トマス、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。ダニエル・ルケ、耳2枚と尻尾1つ、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。
6月14日(日) 曇 8497 マドリードにて
カカに続いてクリスティアーノ・ロナウドがレアル・マドリードに移籍。スペイン代表のバレンシアのビジャも移籍で基本合意しているという。さらに、バイエルン・ミュンヘンのフランス代表リベリーの獲得を目指したが、バイエルン側に拒否された。1番観たかったのはリベリーだったのに…。残念。そして、カカの去ったミランの新監督に元鹿島アントラーズのレオナルドが就任した。
「三沢、壮絶マット死!! 13日午後8時40分ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館グリーンアリーナで開催された「プロレスリング・ノア広島大会」で、同団体の社長、三沢光晴選手(46)が試合中に相手の技を受け頭部を強打。救急車で市内の病院に運ばれたが、同10時10分に死亡が確認された。」 「マット上で大の字となった三沢がピクリとも動かない。2300人、満員の観衆による「ミサワコール」にも立ち上がることはできなかった。 「社長!!」「社長!!」 選手、関係者が呼び掛けたが、三沢に反応はない。専属トレーナーが心臓マッサージを繰り返す。さらに、「観客の方でお医者さんはいませんか!?」というリングアナウンサーの要請でマットに上がった医師が、自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みた。
すぐに救急車が手配され、広島大学病院(広島市内)に搬送。県警広島中央署は「病院から三沢選手が心肺停止状態と連絡があり、署員が向かった」と説明したが、午後10時10分、死亡が確認された。死因は不明。6月18日、47歳の誕生日を目前にしての悲劇だった。
三沢は13日夜、メーン・イベントのGHCタッグ選手権(60分1本勝負)に潮崎豪とのタッグで出場。第17代王者の斎藤彰俊、バイソン・スミス組に挑戦した。リングサイドで観戦していたという会社員男性(35)=広島市=によると「この日の三沢は精彩を欠いているように見えた」という。 そんな中で、アクシデントは起きた。ゴングから25分過ぎ、斎藤の打撃技を顔面などに受けていた三沢は、さらにバックドロップを同じ斎藤から食らう。本来、後頭部をマットに打ち付ける技だが、この一撃はかなりの急角度で落下。ほぼ脳天から落ちた。
ダウンした三沢に、レフェリーが「動けるか」と聞くと、三沢は「動けない」と答えたが、すぐに意識を失った。 試合は27分03秒、レフェリー・ストップ。斎藤、バイソン組が3度目の王座防衛となったが、ただならぬ状況に会場の熱気は次第に冷気となり、ショックで泣き出す女性ファンの姿もあった。」 ーーサンスポよりーー
何という悲劇!!! 三沢のプロレスを観ていると、こんな風になるんじゃないかと危惧していた。川田もそうだが、ヤバイよな!これからトレドへ行く。
13日の結果。 グラナダ。モランテ、耳なし。ファンディ、耳1枚と強いもう1枚要求。ペレラ、耳なし。 トレド。コルドベス、耳1枚と強いもう1枚要求。オルドニェス、ホセ・ヘルマン、耳1枚。
6月15日(月) 晴 11033 マドリードにて
夜中に雷を伴った土砂降りの雨が降ったが、朝明けるとカンカン照りの快晴で暑い!メルカドに買い物にいてきた。それを材料に昼食を作るつもりだ。昨日は、トレドに行くために、去年までを一緒と思ってエスタシオン・スールに行くと、トレド行きは、プラザ・エリプティカに移ったという。しかもメトロの6番線はその区間が夏休みの工事に入っていてバスの代替輸送をしている。レガスピでバスに乗り換え場所を訊いて、バスに乗る。中を奥の方へあるいていくとYさんがいた。何とトレドにホセ・トマスを観に行くのは知っていたけど偶然かち合った。
それからエリプティカのバス・ターミナルへ行って切符を買う。慣れていないと切符売り場が判らないのでYさんと出会ったのはラッキーだった。バスは道が空いていて45分でトレドに到着。その間、闘牛の話だけをしていた。それでも、闘牛の話は尽きない。トレドのバス・ターミナルから坂を戻っていくと、切符あるよと声を掛けられる。いくら?何処?切符を確認して値下げ交渉もせずにそのまま切符を買った。実は思っていたより安かったのだ。
それから闘牛場向かいのバルに行きボカディージョを食べた。昼食を取らずにいたので腹が減っていたのだ。コーラ2本を飲む。Yさんはビール2杯。闘牛前はアルコールを取らないのでコンガスを頼んだらないと言われコーラにした。下痢していたし整腸にも良いのでコーラにした。これでやっと落ち着く。トレドに着いたのが17時前。18時近くになっても闘牛場には人が集まっていない。そしたら、ホセ・トマスの担ぎ屋のペドロが、ホセ・トマスのカレンダーを売りに来た。5ユーロ。買えと言うが僕はいらない。Yさんがトイレから戻りそれを買う。カレンダーというよりポスターとして価値がある。
ペドロにまた言われた。俺の写真を撮って俺にくれ!判ったといっておく。今度は何処に行く?バダホスにも、レオンにも行く。バルセロナにも。ペドロと別れて闘牛場へ。開始時間を観ると19時半。未だ時間があるので他のバルを探しにあるいていると、知り合いがいてYさんが声を掛けると、バッグを盗まれたの…。ああいう顔が盗難直後の顔なのかと思う。人ごとじゃない。ボーとしているとヤバイし、ボーとしていなくてもあれだけ混んでいるところにいるとヤバイのだ。闘牛場近くは何処も混んでいて、日陰のベンチに座ってまた話をした。兎に角、闘牛の話をしていて尽きない状態。
時間が近づいて闘牛場へ。席はグラダの端で手すりもない所で、落ちそうで怖い。ホセ・トマスは楽しいそうに闘牛をやっていた。終わってバスでマドリードに戻る。0時過ぎ。バスの中でも闘牛の話。メトロに乗り、車内でYさんと別れ、未だ開いている店を探して遅い夕食を取る。それから部屋に戻り観戦記に結果だけを記入して酒を飲んで寝る。
14日の結果。 マドリード。セルヒオ・アギラール、場内1周。ダビ・モラ、耳要求で場内1周。 バルセロナ。アパリシオ、耳2枚。エル・シド、場内1周。タラバンテ、耳要求が2回。 トレド。フンディ、コヒーダされて左太腿などに20cmの角傷を受ける軽傷。ホセ・トマス、耳1枚。エウヘニオ、耳1枚、耳2枚。 カステジョン。コルドベス、耳2枚。マティアス・テヘラ、耳なし。アベル・バジュス、耳1枚。以下割愛。
6月16日(火) 晴 14097 マドリードにて
早く起きようと思って目覚ましをかけていたのに、起きれない。寝るのが遅いからだ。そして、飲み過ぎだからだ。予定がひっくり返ったので、TELを複数した。昨日の残りのスパゲティーで朝食を取り、部屋でボーとしている。考えてみれば、帰国まで後、3週間ちょっと。グラナダから帰ってきてから、足が痛い。どうも調子が悪いのだ。飯を食えば食いすぎで動く気がしなくなるし、悪循環になっているような気がする。ネット観たら、セラフィン・マリンのアポデラードがいなくなった。成績不振の為のようだ。それと、フンディが21日のバダホスに不出場になる。怪我が治らないからだ。
「 競走馬の舵取りは、500キロの弩砲(カタパルト)を御すようなものだ。スポーツの世界でも、とりわけ困難な技であることはいうまでもない。騎手の並はずれた運動能力は、まさに比類のないものだーーロスアンジェルスの運動生理学者と医師が行った運動能力の研究では、体格を均等にした場合、全てのスポーツ選手中、アスリートとしてもっとも優れているのは、ジョッキーだという結果が出た。
当然といえば当然の話だ。第一にジョッキーは、優れたバランス、協調性、反射神経を要求される。馬の身体はつねに変化する地形のようなもので、頭と首は上下し、肩、背、ともの筋肉は間断なくうねっている。走る馬の上のジョッキーは、鞍に座るのではなく、馬のき甲から30センチほどのところに垂れ下がる、薄い金属のあぶみに乗せたつま先はに全体重をかけて、うずくまるかたちになる。
馬が全力で走りだすと、ジョッキーの身体のなかで馬体とつねに接触しているのは、脚の内側と足首だけーーそれ以外のすべては、空中でバランスを取っている。いいかえるならジョッキーは、騎乗した馬の縦揺れする背中で、身体を浮かせてうずくまっているのだ。これは、交通量の多い、曲がりくねったでこぼこ道を、車のグリルに貼りついたまま、猛スピードで進むのに近い。その姿勢は、ノースカロライナ大学の研究者の言葉を借りると、「はなはだしく不均衡で、いつミサイルのように飛び出しても不思議はない」ものだ。
バランスの中心はあまりにも小さく、体重をほんの少し後方にずらしただけで、そのまま後ろに飛ばされてしまうし、逆に前方に十数センチ身体を傾けると、ほぼまちがいなく転落する。横から見ると、サラブレッドの首は上から下まで幅広だが、背幅は、魚のように狭い。しかも首を大きく上下させて走るので、ジョッキーが馬の首につかまって、地面に投げ出されたり、ひづめの下敷きになったするのを防ぐのは不可能に近い。
1回の騎乗で、騎手の体力はおそろしく消耗する。初めてレースを体験した新人ジョッキーの多くは、馬を降りると脚がぐにゃぐにゃになり、厩舎まで歩いて戻ることもできない。体力は単に勝つための道具ではなく、生き残るための必需品だ。
ジョッキーのジョニー・ロングデンは1度、レース中に衝突された時、はずみであぶみから足が抜け、馬群の前に投げ出されそうになった。彼を救ったのは、隣を走っていたジョッキーのジョージ・タニグチで、彼は片手でジョニーをキャッチするという離れ業を見せた。だが力あまったタニグチは、ロングデンを彼の鞍に押し戻そうとして、思わず向こう側に突き落としてしまった。今度は反対側で似たような苦境を迎えたロングデンはしかし、後ろから来ていたジョッキーのロゲリオ・トレホスが身体を前に突き出して、外野手のようにやすやすと彼をつかみ、鞍に戻してくれたおかげで救われた。トレホスもやはり、そのすべてを片手でやってのけた。しかもなんとも信じがたいことに、このレースを制したのはロングデンで、<デイリー・レイシングフォーム>はそれを「きわめつけの奇跡」と呼んだ。」 ーー多分、「シービスケット」よりーー
上記の文章は多分、2001年にアメリカの作家ローラ・ヒレンブランドが書いた、「シービスケット」からの引用だと思う。シービスケットは、大恐慌時代、日本でいうと、ハイセイコーやオグリキャップの様に地方競馬出身で、大人気になった競走馬だ。アメリカにも判官びいきというのがあるのだろう、駄馬の烙印を押された馬が、三冠馬を破り快進撃を続けるドラマにマスコミも競馬ファンも熱狂した。
それはいいとして、上記文章の騎手の身体能力についてや、騎乗姿勢、バランス感覚、体力消耗、そして、曲芸のような離れ業の記述は凄い!でも、闘牛士もまたこのような離れ業の連続をやっているのだ。特に、ホセ・トマスの闘牛は今、本当に凄い領域で闘牛をしている。今、ホセ・トマスを観ずしてどうするという思いを、この文章を読んでいて感じた。シービスケットが死んだ、1947年。マドリードのサン・イシドロが始まり、ホセ・トマスの尊敬するマノレーテの死んだ年でもある。
15日の結果。 レデスマ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳1枚、耳2枚。闘牛士、ロペス・チャベス、耳なし。ペレラ、耳2枚が2回。
6月17日(水) 晴 10521 マドリードにて
昨日の夜、Tibsさんのお別れ会をくまさんが開いて8人で中華に行った。いつも行く美味しい中華。マテ貝、餃子、筋の煮込み、砂肝の燻製のようなものにセロリ、海老の揚げ物、チャーハンなどを食べる。出掛ける頃に雨が降り始め、メトロに乗っているときに土砂降りになり、メトロを降りたら雨がやんだ。凄く涼しい。食事会はみんなで騒ぎながら飲み食いして、外に出てカフェテリアへ行った。店の中ではなく外に座ってワインを飲む。これが段々涼しいのを通り越して寒くなって震えるくらいになった。風邪を引きそうな感じ。
帰る途中、下山さんへTEL。セビージャは猛暑だという。マドリードの寒さを羨ましがっていた。今日は朝早く起きて両替に行った。昼食は、Y君との約束があるので、TELして初めて行く店で食べる。勿論スペイン料理。そして勿論タバコを吸えるところ。今回2回目のパエジャを食べる。観ていると食べたくなるのがパエジャ。そしてコスティージャ。終わって、サンタ・アナのカフェテリアで話をした。14時から18時まで4時間。良く話をした、昨日の夜と今日の昼だ。これから一休みして、ラス・ベンタス闘牛場へ行く。今日は、レッド・ブルのモトクロス・バイクのイベントを観る。
ホセ・トマスのバルセロナの牧場が決まった。ヌニェス・デル・クビジョ、ビクトリアーノ・デル・リオ、エル・ピラールの3つが2頭ずつ出すようだ。サッカーの結果は、コンフィデレーションカップでスペインが勝って、W杯最終予選で日本は負けた。
6月18日(木) 晴 15112 マドリードにて
暑い!20時近くなって外に出たが、それまで部屋にずっといた。暑くて動く気がしない。コルテで買ってきたガスパチョを飲むと、本当に気分が良くなる。朝はガスパチョで食欲を掻き立てて朝食を取ると良いかも知れない。昼食は自分で作ったが、暑かった。今TVでは、コンフィデレーションカップのイタリア対エジプトをやっているが、後半が始まっているが1-0でエジプトが勝っている。このまま勝てるかも知れない。昨日は、勘違いをしていて、レッド・ブルのモトクロスは、7月だった。
明日の昼は、闘牛の会の会員が集合して昼食を取る。
6月19日(金) 晴時々曇 10580 マドリードにて
マドリードの気温は、30度を超す状態になってきた。実際街を歩いていると35度以上ある。日本に比べて湿度がないので過ごしやすいが、それでも暑いのには変わりない。昼に動くのは、つらい時期になってきた。そして、アイスクリームが美味しい時期になって来た。ハーゲンダッツのアイスが美味しい。日本にいると高くて買わないが、こっちではやはり旅行者なので、日本より高いけど買って食べている。昨日は部屋から殆どでなかったが、今日は、結衣さんがマドリードに来たので、三木田さん夫婦ととろろさんも合流して昼食を取る。書く時間がないので今日は書かない。
闘牛のカルテいるがドンドン発表になっている。書く時間が足りない状態だ。
6月20日(土) 晴 10309 マドリードにて
今日も暑い。昼は外を歩くと暑いが、コルテの中とか、カフェの中は冷房が入っているので涼しい。コルテの中をあるいてズボンを探す。今は上にあるカフェテリアは、禁煙になっているので入らなかった。タバコが吸えないのなら、入っても意味がない。20時45分からコンフィデレーションカップでスペインは、南アフリカに2-0で勝った。1点目は、トラップがハンドに見えたがそのままゴールが認められた。PKを外した1分後にビジャが決めた。試合が終わった後、ベットにゴロリ。それから、0時頃に外に出た。部屋に比べてこんなに涼しいのかと感激した。
そのまま散策。スペイン人にとって今の時間は、未だ遊ぶ時間だ。一杯人がいた。暑くなったので若い子は大分露出の多い服を着ている。また、今日も土曜日なのに、『テンディド・セロ』を観るのを忘れた。今週は馬券を買うつもりがない。来週の宝塚記念まで待つつもりだ。これからバダホスに行く準備をして寝る。
18日の結果。 Istres(フランス)。ラモス、耳なし。パディージャ、耳1枚。メディ・サバジ、耳2枚。
6月21日(日) 超快晴 12756 バダホスのホテルにて
朝、アトーチャから列車に乗ってバダホスに到着した。マドリードより数段暑い!温度計は観ていないが、ネットには40度あると書いてある。ホテルの受付で手続きして闘牛場を訊いた。歩いていくよりタクシーで行った方が良い。車で行くと停めるところがないという。多分暑いからタクシーの方が良いと言ったのだろう。忠告に従ってタクシーで行くことにする。切符はもう売り切れになっている。40度の中で牛がちゃんと動くのか?ホセ・トマスがどういう闘牛をするのか観てくる。
ハンディージャ牧場は8頭の牛を用意したそうだ。フンディに代わって、ペドゥリート・デ・ポルトガルが出場する。91年に行った闘牛場から新しい闘牛場に変わっている。どういう闘牛場かも楽しみ。少しホテルで休んで闘牛場へ向かうことにする。
20日の結果。 アリカンテ。フィニート、弱い口笛。ファンディ、耳2枚、耳1枚。ペレラ、耳1枚。 トレホン・デ・アルドス。フリ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。カジェタノ・オルドニェス、耳2枚。ダニエル・ルケ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。 Istres(フランス)。エスプラ、耳1枚、耳2枚。ハビエル・コンデ、耳1枚。カステージャ、耳2枚が2回。
6月22日(月) 晴 11446 マドリードにて
マドリードに戻った。バダホスに比べるとマドリードの方が未だ暑さがしのぎやすいことを痛感する。闘牛場では、ソルに座りミミズの日干しが出来るような暑さに、氷が溶けた水を頭からかぶったり、霧吹き持参で周りにも噴いている人がいた。こういうのは、マドリードのラス・ベンタス闘牛場では見かけない風景だ。その前に老人たちは気分が悪くなって、赤十字に連れて行かれる。あの暑さの中で誰も赤十字に連れ出された人はいないようだったがそれが不思議だ。おそらくソルで直射日光を浴びていた人たちは50度以上の所にいたはずで、座席になっているコンクリートは太陽光を浴びて卵を置いたら温泉卵くらいの状態になっただろうと思う。
闘牛が終わってタクシーも拾えないので、地図を片手に歩いて帰ってきた。モニュメントなどをビデオで撮影しながら40分以上かかってホテルにたどり着く。もしこれがカンカン照りの日中ならと思うとゾッとした。ホテルの受付の人の忠告に感謝した。喉もからから、お腹もペコペコ。ホテルのレストランへ行ったが、隣のカフェテリアで食べるように言われた。予約がないからか、1人だからか…。カフェテリアは人がごったがえっていてそれどころじゃない。美味しそうな生ハムを観ながら外に出た。橋の向こうに行こうかとも考えたが、向のホテルの方は閉まっていそうだから隣のホテルに入って訊くと開いているという。1階はカジノの中のレストランで上に行くように言われた。
上のレストランは、六本木にあるような今風の気取った所。でも、カフェテリアの喧噪に比べればホッと出来る。メニューがあったのでそれを頼んだ。1つ目が生ハムのコロッケ。当たり前に美味い。2つ目がリンゴを細かく切って少し甘く煮たものの上に、何という名前か忘れた白いチーズ(多分モッサレラ・チーズ)を乗せ、その上にサラダが乗っていてドレッシングの変わりにカラメルが掛かっているもの。フランス料理風なのか、無国籍サラダだがこれが意外と美味しかった。3つ目が子羊のリゾットにおろしたてのというか削りたてのパルメザンチーズが乗っていて、これが意外性があって、美味しくて涙が出そうになった。バダホスに来てこんな美味しい米が食べれるとは思わなかった。
牛肉のシチューに何故か玉ネギの天ぷら添え。これも美味しいが好みじゃない。ここまで料理の皿が出る度にフォークとナイフが交換された。それにも感激した。そしてデザートがサクランボを広めのカクテルグラスのようなものに入れてかき氷のような氷を乗せたもの。サクランボは好きなので満足。その間、ビール2本を飲む。渇いた咽には良かったが、空腹にはこたえて酔いがまわる。考えてみればちゃんとした昼食を取っていなかったのだ。朝食べて、電車の中で作ってきたサンドイッチを2つ食べただけ。繋ぎと思っていたものが昼食代わりなってしまった。
バダホスに着いたらホセ・トマスのことで頭がいっぱいになって食べるのを忘れていた。ペドゥリート・デ・ポルトガルを観ながら空腹を感じ、食べていないことに気付いたのだ。最後が定番のカフェ・ソロ。ビール2本頼んだし、カフェも飲んだので定食値段より高くなると思っていたら、定食値段のままだったのにビックリ。接客も非常に丁寧で、イライラすることなく気持ちよく過ごせた。本当は禁煙だけともう閉めるから吸って良いですと灰皿を持ってきてくれた。超嬉しかった。泣ける接客だ。チップをはずんで部屋に戻った。闘牛も良かったし、食事も美味しかった。生ハムを食べたかったが、あの喧噪の中じゃ…しょうがない。
昨日の観戦記を書こうとしていたが、途中で何もしたくない病のような感じになって覇気がなくなる。ボブ・ディランの『悲しみは果てしなく』を聴いていたら元気になって運動を始めた。悲しみは果てしなく運動とでも名付ければいいのか…。これから、こういう気分の時は、あるいは、そうならないために、悲しみは果てしなく運動をする事にする。このブルースは、今の気分にピッタリだ!こんな感じなので観戦記の続きは後ほど、悲しみは果てしなく運動の後にする。昨日夜、下山さんからTELがありホセ・トマスの事を訊かれて、酔っぱらってちゃんと応えられなかった。だから余計、ちゃんと観戦記を書こうと思ったのだ。
21日の結果。 マドリード。クーロ・ディアス、耳要求で場内1周。ガジョ、弱い耳要求。アンドレス・パラシオス、耳なし。 バルセロナ。モランテ、耳2枚。フリ、マンサナレス、耳1枚が2回。 バダホス。ペドゥリート・デ・ポルトガル、耳1枚。ホセ・トマス、耳2枚が2回。ペレラ、耳1枚、耳2枚。 アリカンテ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳1枚。闘牛士、アパリシオ、耳なし。カジェタノ・オルドニェス、耳1枚。 Istres(フランス)。ラファエリジョ、耳2枚。セルヒオ・アギラール、耳なし。コヒーダされて右太腿に8cmと10cmの角傷を受ける。その一つが陰嚢に到達している模様。重傷ではない。アントニオ・ジョアオ・フェレイラ、耳1枚、場内1周。
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