−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年のスペイン滞在日記です。
4月20日(金) 曇り 14861
色々あってマドリードへ到着した。というのも、アムステルダムの空港でタバコ7カートンが規定オーバーで警官?に捕まり、飛行機は次のと言うことになり予定より3時間以上遅れた。罰金を払ったがタバコは戻ってこない。どうなっているのか。これからは、ずっと前のようにスーツケースに入れて来るかしない。タバコが税金で値上がりしたからこんな馬鹿げたことになる。今回のスペインでは、ハイライトが吸えないという非常に困難な状況が待ち受けていた。とても悲しい状況だ!
マドリードに着いたのは、23時半過ぎ。飛行機が替わったのに荷物はちゃんと出てきた。アムステルダムで確認はしていたが、嬉しかった。Kさんには連絡が取れず、迷惑承知でM夫妻へ連絡。泊めて貰うことにした。本当に感謝。朝起きて、Mさんと話をして朝食を取った。荷物の整理をして、両替や携帯を使える状態にしたり、マドリードの宿のことをどうするか探る。それとくまさんに連絡しないといけない。セビージャの事をを打ち合わせをしなきゃいけないし、他の状況も聞きたい。
夜になったらセビージャへ向かう。セビージャの状況もどうなっているか自分の目で確かめる必要がある。そして、下山さんに会う。メールでは元気そうだった。新しい展開があるようなことを言っていたので早く話がしたい。両替などに出掛け、携帯も使えるようにした。下山さんとも話も出来、明日また連絡をすることになった。上手くいけば日曜日は闘牛を観ずに牧場に行けるかも知れない。希望を言えば、ファン・ペドロ・ドメク牧場とビデオで知っているトレストレジャ牧場。ヌニェス・デル・クビジョ牧場も面白そうだ。ホセ・トマスが来ていたらどうしようなどと考えるところが浅はかだが・・・。
Kさんとも話が出来た。状況はあまり変わらない。マドリードへ戻ってきたら、一時的に貸部屋へ行くことになるだろう。アナスタシアさんとも話をした。今年はセビージャには行かないという。25日に売り出されるサン・イシドロの切符を買いに行くそうだ。僕のも、どうなるか分からない。今年は必要がないかも知れない。準備も本当はやらなければならない。
今、ネットを繋いだら、セビージャでエル・シドがプエルタ・デル・プリンシペをした事が判った。ビクトリーノ・マルティン牧場の牛だった。だからノー・アイ・ビジェテ。
19日の結果。 セビージャ。ペピン・リリア、耳なし。エル・シド、耳2枚、耳1枚。サルバドール・コルテス、耳なし。
4月21日(土) 曇り時々雨 41314/2
セビージャ行きのバスでペドロに会った。ペドロは以前ホセ・トマスの担ぎ屋をやっていた。中間点で停車した時に少し話をした。明日のセビージャは誰だと言うので、セバスティアン・カステージャ、アレハンドロ・タラバンテと・・・。もう1人は?忘れた。俺は明日がセビージャで日曜日は、バルセロナに行く。お前は?俺はセビージャいる。次がサラゴサに行く。何故?エル・シドが出るからだ。と、言う。今はエル・シドの追っかけ?そうだ。と言うので、今年ホセ・トマスが復帰する。バルセロナには行かないの?と訊いた。何故なら昔はホセ・トマスの追っかけだったからだ。色んな闘牛場で、ホセ・トマスを担いでプエルタ・グランデしていたからだ。辞める前くらいは、ホセ・トマスの車にも一緒に乗っていた。担ぎ屋であそこまで出来た奴を知らない。
そしたら、ペドロは、バルセロナの切符はもうない。ダフ屋では物凄く高い値段が着いていると言った。彼はホセ・トマスがバルセロナで復帰するときに行くのかどうかは知らない。多分行くのだと思う。ホセ・トマスの追っかけに替わるんじゃないかとも思っている。切符は貰えるだろう。ないし、一緒に入れるだろう。貰えないとしてもカジェホンの中でモソ・デ・エスパーダの手伝いをすれば良いのだから。そういう人は各地の闘牛場にいる。地方地方にそういう人間がいるのだ。ペドロみたいにスペイン各地を廻って闘牛士を追っかける人もいるのだ。彼も年を取った。顔を観れば判る。つまり俺もその分、年を取ったと言うことだ。
セビージャに着いて直ぐにホテルに行って荷物を預けて日曜日のホテルを探した。日曜日だけ取っていなかったからだ。ネットで目星を付けていたホテルに行ったが、もう満室だった。おっさんはわざわざ宿泊リストを見せて満室だと言った。2つの事が考えられる。前日ネットで観たときは空室だった。1日で満室になったか、ネットに空室状況が反映されていないかのどちらかである。ファリア直前の状況で、どうなのか不明だ。それでも良いホテルが見つかった。予約を入れ闘牛場へ向かった。闘牛場には、今日の切符はないと書かれていた。ネットで確認した事を一緒だった。
列はそんなに長くなかった。10分もしないうちに切符が買えた。最後に確認のために今日の切符があるか聞いたら、ちょっと待ってと言って、PCの画面をずっと観ている。その間3分以上。そして、あるという。思わず心の中で、「やったー」と叫んだ。それは良いのだが、25日の切符は売り切れだった。そこで公営ダフ屋を廻った。グルグル回って知っているところを全て廻ったつもりだ。やっぱりなかった。11時になったので、下山さんにTELした。色々あって今日の切符を持っていないので闘牛場には行かないという。家でTVを観るという。昼も用事があるというので、昼食は別々にすることにして早めに昼食取ってホテルに戻って寝た。流石に疲れて寝た。
4月22日(日) 晴れ時々曇り 14740
鏡を見ていたらビックリした。鼻毛が一杯出て黒木香の脇毛状態。ハサミをマドリードに置いてきたので、指で抜いた。朝、早めに起きてホテルで朝食を取った。昨日雨が降ったので闘牛場の入り口付近はどろんこ状態でズボンが汚れた。替わりの物を持ってきていたので履き替える。昨日夜は、下山さんと会って飯を食った。タラバンテのファエナとマンサナレスの耳2枚を一緒にして貰いたくないと言っていた。同感である。耳が取れなかったが、「トレロ」コールが起きようなと闘牛である。セビージャでは久しぶりに聞いた。と、言ってもエル・シドのプエルタ・デル・プリンシペの時も起きたかも知れないが・・・。そこで、色々な話をした。下山さんたちのこと、アントニオ・コルバチョとアレハンドロ・タラバンテの事など。話をしていると時間が足りないくらいだっだ。
その中で、コルバチョの所に毎日通って闘牛を教わっていることを知った。きっかけは日記にも書いたが2年前のセビージャのフェリアの闘牛の始まる前に闘牛場近くのバルで待ち合わせをして会って、闘牛場に行こうとしていたら、目の前にコルバチョがいた。僕がコルバチョに声を掛けた。それが始まりだった。それから短い時間だったが話をした。コルバチョは、サムライの哲学に共鳴していて三島由紀夫の本を読んだと言っていた。それから、下山さんはフェリア会場で会ってTEL番号を聞き、僕は、サン・イシドロ会った。その時は声を掛けなかったが、アランフェスにモランテを観に行ったとき、偶然隣の席にコルバチョが座って一緒に観たのだ。
その時、話した事で彼の闘牛に対する考え方の本質的な部分を知ることが出来たのは大きな事だった。TVのホセ・トマス特集番組で、フィロソフィア・デ・サムライというのがあって、コルバチョが出てきて話をしていた。とは言っても彼が言っているのは単なる精神論ではない。実践的に闘牛して体に刻むようにして覚えるやり方だ。それを支える心の部分をサムライの哲学やヨガに共鳴しているのだ。ただ呼吸法についての実践しているのかは判らないが・・・。
そのコルバチョとメールやTELのやり時をしていて、アレハンドロ・タラバンテが去年のサン・イシドロで大活躍して一躍有名になると非常に忙しい状態になった。下山さんは牧場廻りを続けいて、去年の暮れにヌニェス・デル・クビジョ牧場のテンタデロに行っていたときにタラバンテとコルバチョに再開する。その時に、連絡して会うことにある。会って気に入られて、毎日俺の所に来いと誘われて通っていたのが今年の1月からフェリアの前まで。タラバンテのテンタデロを数多く観てあれが何故ああいう闘牛が出来るのか知ったという。
そのやり方は後から書くとして、コルバチョが語るホセ・トマスとアレハンドロ・タラバンテの違いというのが興味深いのだ。ホセ・トマスを始めにあったときに、頭のでかい闘牛士は好きじゃない、と思った言う。何度教えてもちゃんと出来ない。覚えの非常に遅いホセ・トマス。一方、タラバンテは、スポンジのように教えたと事を直ぐに吸収する出来の良い生徒だ。ホセ・トマス引退後、14歳で父親に連れられてコルバチョの所に住み込んで5年。今、彼は偉大な闘牛士になろうとしている。しかし、ホセ・トマスは覚えが悪かったが、コヒーダされてもへばることがない闘志と意志を持っていた。どんなに非道い怪我をしても闘牛をやり続けた。あれは本当に物凄いことだった。
これから、ホテルを変える為にでる。その後、今日はヌニェス・デル・クビジョ牧場へ行くと事になっている。
21日の結果。 セビージャ。カステージャ、耳1枚ともう1枚要求。ペレラ、アレハンドロ・タラバンテ、耳なし。コヒーダ。
4月24日(火) 晴れ 24872
また、ホテルが替わった。ネットで予約を入れたので細切れで3,4個所に泊まることになっている。今度の所が1番ダメだ。部屋でタバコが吸えないのが頭に来るし、他にも色々あるが言ってもしようがないのでグダグダ言わない。女じゃないだから。それで、27,28日も予約を入れていたがキャンセルした。取りあえず明日の朝までいるが、明日になったら闘牛場へ切符を買いに行ってなかったらしようがないでTVを観ることにする。100ユーロとかするだろうしそれだったら諦めた方が良い。そんなお金を出してまで見たいカルテルじゃない。牛は良いんだけど・・・。
昨日のアレハンドロ・タラバンテは良かった。今年はセバスティアン・カステージャを超えて、1番注目を浴びることになりそうだ。ホセ・トマスが復帰しても以前のように出来るかどうかは判らない。だから、余計にそう思う。ただ、アントニオ・コルバチョの話を訊いていると、相当な準備をしてホセ・トマスは出てくるだろうと思った方が良い。それでなければ復帰する意味がないと思っているだろう。そうなれば、良い物が観れるだろう。今までの闘牛士のイメージと違う結果を出しているアレハンドロ・タラバンテ。その練習の仕方は今までの闘牛界の常識を覆す物だから、コルバチョに鍛えられたホセ・トマスはそれを忘れてはいないだろう。
時間がない。どうしてこんなに時間がないのだろう。あっという間に1日が過ぎていく。HPを書く時間も足りないし、日記すら時間がない状態だ。
4月25日(水) 曇りのち雨 21712
昨日の闘牛は凄かった。闘牛観ながらボロボロボロボロ涙が溢れ出て止まらなかった。はー、昨日観戦記を書き終えたら疲れた。やっぱり泣きながら書いていた。なかなか上手い言葉が見つからない物だ。
22日の結果。 セビージャ。ルイス・ビルチェス、ガジョ、カペア、耳なし。
23日の結果。 セビージャ。ヘスリン、耳なし。モランテ、耳2枚。アレハンドロ・タラバンテ、耳1枚、耳2枚。
24日の結果。 セビージャ。セサル・リンコン、耳2枚。コヒーダ。ポンセ、サルバドール・コルテス、耳なし。
4月26日(木) 曇りのち雨の予報 29324
昨日は、ホテルを替える前に闘牛場へ行って切符があるか訊いた。公営ダフ屋も全部売り切れだったから取りあえず10時前に闘牛場へ行ったのだ。訊いたらあるという。買おうとしたら、ソンブラのグラダしかないと言う。43ユーロ。ソルのグラダかソルのテンディドの分と思って30ユーロを持ってきたが足りないので諦めた。それからホテルを替えてネットをしにカテドラル近くへ行った。前日、ノートを持って行って接続しようと思ったが出来なかった。だから、HPのアップは出来ないので、掲示板を使うしかない状態。
マドリードで繋ごうとしたときも、問題があってくまさんに色々いじって貰ってようやく繋がったという経緯があるので別に驚かなかった。ちょっとこいつおかしい。でも、24日のセサル・リンコンの闘牛を書き込めて幸せだ。あの日は、あれからTELで下山さんとホテル・コロン前で会う約束をして、僕はホテルの中を知り合いを捜して彷徨っていた。と言うのも、セサルの兄ルイス・カルロスにTELしても全然繋がらないからだ。もうお祝いのTELが殺到するのを予測して切っているのだ。ようやく携帯でTEL中のアポデラードのルイス・マヌエル・ロサノに会って、訊いたら、途中で話すのを止めて部屋番号を教えてくれた。それから部屋に行こうとしたときに下山さんから今着いたとTELが入って行くのを諦めた。だって、セサルとは約束はしていない。下山さんとは約束をしているので当然そちらが優先されるのだ。
それから夕食を取った。セサルの闘牛中継の話を訊いたりした。下山さんは、セサルのファエナしか観ていないと言っていた。ポンセ、サルバドール・コルテスもどうでも良いのだ。それは俺と一緒。それでも、こっちは切符を持って闘牛場で観ているので、最後までいたけど、それも、セサルの退場する時を見たかったからいたような物だった。最後のセビージャは、とてつもなく感動的な夜になった。通りに出て車を待った。そしたらやってきた。帽子を振ってセサルと叫んでいたらルイス・カルロスが気付いた。セサルは外からは見えない。車の中からは見えるだろうけど。
あのファエナ時に、解説のアントニェーテもエミリオ・ムニョスも静かだったという。下山さんが言うには、感動して言葉を失っていたからだ、と。観戦記にも書いたけど、人間は感動すると複雑な行動を取らなくなる。ただ立ち上がって喝采を送るだけの状態になる。喜びの手拍子などしない。と言ったら下山さんは、あれは嘘くさいと、言った。なるほどと思った。「トレロ」コールは出ない。何故か?それは、余りにも感動してそれを声に出してしまったら、泣いてしまうし、泣いている人は、号泣してしてしまうからだ。だから、「トレロ」コールは起きなかった。つまり、それだけ深い感動が闘牛場にあったことを意味しているのだ。
それを話していたら下山さんも目に涙が球のように溜まっていた。闘牛場では、隣のおばあさんが両手の指で交互に両目から溢れる涙を拭いていた。アポデラードのルイス・マヌエル・ロサノも泣いていたという。僕の周りの観客も、「エモショナンテ」と言っていた。『ABC』は絶賛の記事を書き、『El
Mundo』のハビエル・ビジャンはあれは耳2枚ではなく1枚だったと、相変わらず辛口のコメントを書いていた。それはそれで良い。書きたいように書けばいいのだ。ただし、あの時闘牛場にいた観客が帰ってから友人たちに、自分が観てきたことをそれぞれの言葉で語るだろう。そういうことが重要なのだ。因みに辛口のハビエル・ビジャンはセサルの自叙伝を書いている。悪気はないのだ。
昨日は、佐々木さんからTELが入って昼飯をKさんと3人で食べた。例のスパゲティだ。とても美味しかった。下山さんとも夜色々な物を食べている。それも、美味しいのだ。安くて美味しい物を求めて食べ歩き。夜は闘牛場へ行って近くのバルで闘牛を観た。4頭目から雨が降って5頭目のフリの時は土砂降り状態だった。6頭目のエル・シドの時は、アレナが田んぼの様な状態になっていた。フリもエル・シドも剣を失敗して耳が切れなかった。今日はお客さんを連れて闘牛を観る。予報は雨。どうなるか・・・。
それと不安が発生した。困ったことにスパゲティを食べたときに貝殻を囓ってしまって歯の状態がおかしくなった。前歯の差し歯もちょっと不安だ。痛くならなければ良いけど・・・。それと左目の眼球左半分が真っ赤になっている。泣きすぎたから?
25日の結果。 セビージャ。アベジャン、フリ、エル・シド、耳なし。
4月28日(土) 曇り一時雨 35600/2
昨日の最終のAVEでマドリードに戻ってきた。いつもの所に泊まり朝、買い物に行って生活の準備をし、M夫妻の所へ行き昼食をおちそうになって預けていた荷物を取ってきた。鍵を忘れていったので未だ少し残っているので明日か明後日また取りに行く。荻内先生の所にも連絡しなければならない。すずめさんにも連絡しないしなければならないし、三木田さんにも、連絡しなければならない。生活のための時間が必要でHPのアップは二の次になる。今は部屋でネットを繋げる環境にないのでしょうがない。
マドリードは寒い!オーバーにマフラーをしている。それが老人ではなく若者が夜そんな格好をしているのだ。2日くらい雨が降って急に寒かったそうだ。昼でも寒い。多分、最低気温は10度を切っているだろう。セビージャの格好をしていると風邪をひきそうだ。
26日の結果。 セビージャ。フィニート、耳なし。カステージャ、耳1枚ともう1枚要求でプレシデンテに罵声。マンサナレス、耳なし。
27日の結果。 セビージャ。セサル・ヒメネス、マティアス・テヘラ、ペレラ、耳なし。
4月29日(日) 曇り 12378
マドリードについて、ようやくネットを繋いでみたら、アナスタシアさんから話には訊いていたが、サン・イシドロの切符は売り切れが出ていた。タラバンテが出る15日、アベジャン、カステージャが出る18日、フリが出る23日、セサル・リンコン、ポンセ、エル・シドが出る24日、とビクトリーノ・マルティンの6月2日が売り切れだった。ネットで切符が買えるようになってから、セビージャも切符が売れるようになり、ラス・ベンタス闘牛場もこういう状態になった。
これから、闘牛の聖地、ラス・ベンタス闘牛場へ今年初めてのお参りをする。雨の心配がある。寒い。どうなるか・・・。
28日の結果。 セビージャ。コルドベス、オルドニェス、ファンディ、耳なし。 アルコス・デ・ラ・フロンテラ。バレラ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。アベジャン、耳2枚、シンボルとして耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。エル・アルケニョ、耳4枚と尻尾2つ。
4月30日(月) 曇のち雨 7252
マドリードは寒い。昼でも冬服を着ている。19日に到着した頃は温かかった。春を思わせる陽気だったが、雨が降ってからは寒くなって冬に逆戻りしたような感じだ。闘牛場も寒い。一昨年のようには寒くないがそれでも去年に比べれば寒いのだ。朝、メトロのアボノを買ってきた。いつも行っているところが閉まっていて、閉店したのかも知れない。探したらグラン・ビアに売っているところがあったので買ってきた。これでサン・イシドロに行く。
TELのお金が切れて使えなくなったので、お金を入れようとしたら、入れれない。ボーダフォンのショップに行って聞かなければならない。
昨日はISOさんのTELで起こされた。TELがかかってこなかったらずっと寝ていただろう。昼食を一緒に取った。中華で、もう一つの中華屋でここも美味しかった。セビージャではコーヒーをよく飲んだがマドリードに来てからはコーヒーを飲んでいない。ピソにあるのを使えば飲めるのだが、豆も未だ買っていない。この状態だと、色々人と会ったり時間がない。部屋の問題もあるし、落ち着くのは、早ければ10日過ぎ。それ以上に伸びるかも知れない。そんなことは俺には判らない。
昨日ラス・ベンタス闘牛場へ行ってきたが、セビージャの観戦記も未だ書き終わっていない。これだと、去年までの書き方と替えて書いていくしかないだろう。工夫が必要だ。フォーマット自体は替えずに書き方を変える事にする。良い闘牛の時は気合いも入るし書けるだろうが、そうじゃない闘牛の時は、泡のないビール状態。頑張らないことにする。
29日の結果。 マドリード。クーロ・ディアス、耳2枚。フェルナンド・クルス、セラニト、耳なし。 セビージャ。フンディ、耳1枚。パディージャ、場内1周。バルベルデ、耳なし。
5月1日(火) 曇 17087
昨日は、冬のように寒いラス・ベンタスで震えながら闘牛を観た。耳まで寒くて毛糸の帽子が欲しかった。雨も降り風が強いから余計に寒いのだ。今日も昨日ほどではないが寒い。でも、また雨が降るかも知れない。今日はメーデーで何処も休み。明日は5月2日で何処も休み。朝、寒い中M夫妻の所に行ってきた。置いていたダウンジャケット取りに行ったのだ。これだけ寒いと持ってきたことが正解だったと思う。今日はこれを来てラス・ベンタスに行く。
セビージャから帰ってきてくまさんやISOさんと会った。掲示板に書いたセサルのセビージャの闘牛のことを訊かれた。「ビデオ」持ってないのと訊かれたので、下山さんから貰ったので持っていると、言うと、観たいと言っていた。掲示板でもみんなが色々書いている。MIXIには、Kadoyanが、セサルの闘牛を観て感動している僕に感動した。おそらく、闘牛よりも文章の方が感動的なんだろう。と言うようなことが書かれてあった。
そうかも知れないなぁとも、思った。でも、泣いていたのは僕だけじゃなく、隣のおばあさんも、アポデラードのルイス・マヌエル・ロサノも下山さんも泣いていたのだ。思えば、そういう風に人から思われると言うことは、僕の文章はいけていると言うことになる。それなら良いことだ。
4月28日の結果。 アグアカリエンテ(メキシコ)。ソトルコ、耳なし。フェルナンド・オチョア、耳1枚が2回。カステージャ、耳2枚。
29日の結果。 アグアカリエンテ(メキシコ)。セサル・リンコン、耳なし。ソトルコ、耳2枚。ラファエル・オルテガ、耳1枚。カステージャ、耳2枚。
30日の結果。 アグアカリエンテ(メキシコ)。カステージャ、耳2枚。アルトゥロ・マシアス、耳1枚、弱い口笛、口笛。
5月2日(水) 曇/雨 11511
さっき大橋君からTELがあった。今日闘牛に来ると言うことと、荻内先生は日本に用事あるので来ないと言うことが判った。終わったら会うことにした。それから溜まっていた洗濯をする。セビージャでは手洗い、マドリードでは洗濯機。乾きも早いし手間もかからない。天気は相変わらず悪い。曇っているが小雨が降っているのか分からない状況で寒い!昨日は早起きしたせいか、闘牛の途中で気を失うほど眠くなった。退屈な闘牛というのも原因。それと寒くて集中できないときがある。全く正反対の眠くなる原因なのに、僕の体の中で一致してしまう。良くあれで耳を出すと思うが、これも地元マドリードの見習い闘牛士だからだろう。なんだかんだ言ってもそう言うのはあると思う。
今日は5月2日で、テレマドリードでは、イベントを生中継している。毎年そうだが今年は、オーケストラと子供たちの合唱団と大人の男女が歌っていた。日本もこう言うことをやればいいのに、思えば記念日というのはないのかと思った。プエルタ・デル・ソルは軍隊や警察などが集まってイベントをやっている。こういう日の午前中は出歩かない方が良い。休日で何処も開いていないし、通行止めになっている。佐々木さんがセビージャで言っていたが、セビージャはいくら歩いても疲れない。マドリードは疲れるんだよなぁ、と。何となく判る。セビージャの方が歩きやすいし、マドリードのようにメトロに乗ろうと思わない。メトロがないからだが、それでも、セビージャの町を歩くのは楽しい。
ホテルが遠いと困るが、それでも昔は下山さんの所から通ったのだからそれに比べたら近い。セビージャの町も変わった。プラサ・ヌエバはホテル・イングラテラ前は車が入れるが他はバスの入れなくなった。今工事中の路面電車が走ることになっているという。カテドラル前もそう。横にはFNACが工事中。もうすぐオープンするだろう。27日は、下山さんにファン・ペドロ・ドメク牧場へ連れて行って貰った。セビージャから60キロちょっと。直ぐ近くにはガブリエル・ロハス牧場あった。その裏の方にアントニオ・コルバチョの変な家があった。赤いというか煉瓦色の家だった。本人曰く、お化け屋敷。
アントニオ・コルバチョは闘牛界では、相当の変わり者で通っているようだ。携帯にTELしても殆ど繋がらない。テンタデロなどで牧場へ行っているので電波が来ていないところにいる。他人に理解されたいと思ったことはないし、理解されなくて結構だ。と言うのが、コルバチョの考えだ。それでも、ホセ・トマスが闘牛場を熱狂させ、アレハンドロ・タラバンテが去年から闘牛場の観客を唸らせている。メキシコでは、コルバチョにお金を出して闘牛の教え方を訊きたいという人が一杯いるそうだ。コルバチョは、信頼される人には、強い繋がりを持っている。ガナデロも、お金はいらないから家の牧場でテンタデロをやって良いと言う人は多いそうだ。
TEL1つでその日の内に牧場へ行ってアレハンドロ・タラバンテにテンタデロをやらせているという。問題はそのやりからだが、それは書いた方が良いか、良くないのかは判らない。判らないから書かない方が良いのかも知れない。コルバチョは闘牛以外の本を相当読んでいるそうだ。その中に三島由紀夫の本があったのだろう。25日か26日にTVEが来て取材をして28日に放送したそうだ。僕は観れなかった。
でも、アレハンドロ・タラバンテは、バレンシア、マドリード、セビージャでプエルタ・グランデしたが、その後に新聞とか読んだりビデオを観たりするのかと言う質問に、そういう習慣はないと答えている。トレーニングは何をするのかという質問に、トレオ・デ・サロン、テンタデロ、ヨガと言ったそうだ。闘牛士が、ヨガをするというのは訊いたことがないが、これもコルバチョの影響が強く出ている。下山さんが言うにはタラバンテにとってコルバチョは、大好きなお父ちゃん状態、だそうだ。それはそうだろうと思う。何しろ、コルバチョの言うことを訊いていれば、素晴らしい闘牛が出来るのだから。
それに比べれば、昨日の闘牛はつまらなかった。それは比べる方が悪いのだが・・・。
5月3日(木) 曇時々小雨 13083
昨日は闘牛が終わった後、大橋君たちとあった。いつもの場所で待ち合わせ。行くと顔なじみのコロンビア人、ラファエルがいた。彼は、セサル・リンコンの泊まっているホテルでも何度も会っている。彼と立ち話。今日の闘牛はつまらなかった。ビクトリーノの牛は難しい。セビージャに行った?セサル・リンコンを観た?と訊いた。行って観たという。凄い感動だったと言っていた。やっぱりね。俺は27年サン・イシドロに通っている。今はコロンビアに帰ったがこうしてセビージャとサン・イシドロを観に来ている。凄く長いね。僕は、10年サン・イシドロに通っている。それも長いよ。
君は日本で働いているのか?そう。何処で?東京で。俺は日本の車を売っている。と、名刺をくれた。トヨタ、日産、三菱、スズキ、ダイハツ、ダットサンとマークが入っている。主に日産の車を売っている。ホンダの名前はなかった。日本の車は良いでしょう。と言うと、日本の車は世界で1番良い。と、断言していた。日本には、東京、横浜、大阪、京都などに行った。京都はとても綺麗なところだと言っていた。後から観たら、ラファエルの名刺には、Gerente
General と書かれてあった。つまり、総支配人、ジェネラル・マネージャー。彼はスペインでも有名なアフィショナードである。
お互いに待ち合わせがあったので、別れ探したら後ろの方にいた。大橋君と再会を喜び、もう1人は、春ちゃんに友達で闘牛の会にも2,3回来ているという事で僕のことも知っていた。闘牛場近くを探したがやはり一杯でグラン・ビア近くの中華に行って食事した。闘牛の話やそれぞれの生活の話をした。サラマンカのバルの話をしたら大橋君が知っていて面白かった。それを三木田さんに話したら喜んでいた話をした。同じバルを知っていること自体が面白かったし、サラマンカでもピカ一の店と意見が一致したのも面白かった。
部屋も8日には出なければならないので、探していて、アナスタシアさんの紹介でさっき行ってみてきた。アントン・マルティンの所にあるのでちょっと不安だったが、大丈夫そうだった。あそこならメルカドも近いしベンタスにも30分かからないだろうから便利も良い。ネットも繋げるし良い。荷物は3回くらいに分けて運べば良いだろうし、多分8日くらいに引っ越しする予定。後は、Kさんに話して決めることにする。
5月1日の結果。 アグアカリエンテ(メキシコ)。エロイ・カバソス、口笛が2回。セサル・リンコン、耳なし。アルトゥロ・マシアス、耳1枚。
2日の結果。 マドリード。ウセダ・レアル、ロペス・チャベス、耳なし。セサル・ヒメネス、口笛。
5月4日(金) 曇一時雨 9029
FORTNA(幸運の女神)何か吸えたモンじゃない。Nobel(ノーベル賞) なら未だ良いがそれでも何か足りない!DUCADOS(公爵)
が良いがこれだけ吸うと声がホアキン・サビナになってしまうので、Nobel との併用にしている。スペインでは、去年辺りにタバコが確か17%値下げされた。確かに前はもっと高かった。ハイライトの代用は利かないが、この2つのタバコなら許せる。タバコならアメリカ・タバコがあるじゃないかという人がいるかも知れないが、そんなモン吸えるかってんだ。ボブ・ディランかトム・ウェイツが吸っているタバコなら試しても良いけど・・・。因みにルイス・カルロスが吸っているのは、Marlboro。昔は、Winston
が幸運のタバコだった。良くセサルがプエルタ・グランデしたからだ。でも、それはラス・ベンタス闘牛場じゃないところだ。
ISOさんがセサル・リンコンのことについて面白いことを言っていた。彼は去年セビージャで1回だけセサルを観ている。その時は牛が悪く全然闘牛が出来なかった。それでも彼は、あの人の闘牛を観ていると、俺もまじめにやらないかんなと、思わされる。あの闘牛はこっちに返っている。自分が本当にちゃんとやっているかと思わされる。凄いわ!と。俺が、全然良くなかったじゃない、と言うと、いや、牛はダメだったけど、ちゃんと闘牛やろうとしていた。体張って命賭けて闘牛やっていた。だから、お客さんも判ったから、ダメでも喝采を送っていた。あの人は凄いわ!と感心していた。
俺は多分100近くセサルの闘牛を観てきた。実は、そういう感覚を持って観ていた部分があるのだ。その時精一杯のことをやってダメなら、それはしょうがないことだと、最後の所では諦めるけど、そこまではちゃんとやろうと実は思っている。これもセサルの闘牛の影響なのだろう。しかし、1回闘牛を観てそれを感じてしまうというのはISOさんも相当凄い!だから、この前のセビージャのセサルが観たいと言っているのだろう。
今日はこれからISOさんと佐々木さんに会って夕食を取る。闘牛はないが楽しい夜になりそうだ。
3日の結果。 ビルバオ。フェスティバル闘牛。パコ・オヘダ、耳なし。パディージャ、耳1枚。フリ、耳なし。エル・シド、マンサナレス、イバン・ファンディニョ、耳1枚。
5月5日(土) 曇 9251
昨日、佐々木さんと、ISOさんと夕食を取った。日本料理の店に行った。そこで、Fさんの事をマスターなどと話をした。マスターから、これ読んでとFさんの母親と姉の手紙を読ませていただいた。読みながら涙が出てきた。そこには、遠い異国の地に、1人残して帰らなければならない、姉の心情や、この地にどうしても残ると言って、そこにいる息子の温かい友人たちへの感謝の気持ちが綴られたあった。ジーンとした。始めの入院に日、マスターとFさんの部屋へ行き入院するように説得したがなかなかウンと言わず、僕がシャワーを浴びてくると言って、戻ってきたらマスターが病院に連れて行ったのだった。
帰り際、マスターは、手紙読んで泣いていたみたいだけど・・・。死んだ人は、もういないんだから、忘れて、と、言っていた。でも、それはマスターの気持ちの裏返しであって、いつまで経ってもFさんを忘れることが出来ないを意味しているように僕には思えた。そして、この手紙を読ませてくれたマスターにも感謝の気持ちで一杯だ。
5月6日(日) 晴 7921
今日は第1日曜日なのでコルテに買い物に行った。今日の飯を買って、そこから何気なしにFNACに寄った。そこで、ディランのDVDを2つ見つけた。1つは3枚組のもの、34.5ユーロする。日本円にしたら6000円弱になる。それで、ドイツから出ていた、『Knockin'
On Heaven's Door』を買ってきた。5.95ユーロ。正解だった。2000年頃のライブとバングラディシュ・コンサートと観たことがない、ローリング・サンダー・レビューの頃の貴重な映像が入っていた。『ハリケーン』での熱唱とギター、スカーレット・リベラのバイオリンが良い。また、『運命のひとひねり』をスカーレット・リベラのバイオリンで聴けるのが素晴らしい。『デュランゴのロマンス』の様な出だしで弾いている。
実はこの歌は、いつも聴いている。『血の轍』の2曲目の歌。これを聴いていると自分の今まで全てを感じれるような曲で、何か懐かしいが悲しい物や、喜びが詰まっている。昔、死んだニメーニョUのことを、『運命のひとひねり』というタイトルで書いたことがある。何人かに見せたが、このタイトルがどうゆう物か知らないだろう。本当は甘酸っぱいラブ・ソングだ。ニメーニョUは牛にコヒーダされて本当に、『運命のひとひねり』にあった人だ。彼がフランス闘牛界に刻んだ足跡がなかったから、ファン・バウティスタもサン・イシドロでプエルタ・グランデしなかっただろうし、セバスティアン・カステージャも出てこなかったかも知れない。
ディランは、若い頃、プロテスト・ソングの旗手みたいにもてはやされ、それを嫌って、インタビューなどでは殆ど意味不明のことをワザと言っていた。それは、『ノー・ディレクション・ホーム』の映画で見れる。ホセ・トマスがインタビュー嫌いになったのも、ちゃんと話しても訊いてくれないからだ。今、アレハンドロ・タラバンテが自分は、ホセ・トマスの闘牛とは違うと言うことを、言っているが、誰もそんなことを訊いていた。19歳のタラバンテは、そのうち、嫌になって訊かれても応えなくなるのかも知れない。
バングラディシュ・コンサートで、レオン・ラッセルとジョージ・ハリソンをバックに従えて、『Just
Like A Woman』を歌うディランは美しい。あのイントロのギターからして素晴らしい。『ノー・ディレクション・ホーム』の頃の気負いがなくなっているところが良い。時間が経てばそういう風になっていくんだろう。ホセ・トマスが復帰するが、そういう気負いがない闘牛をしていたら、それは凄いことだろうと思う。もう一つ書けば、ホセ・トマスにはライバルがいなかった。タラバンテには、カステージャがいる。今後、どうなるかは判らないが、ライバルがいるというのは素晴らしいことだ。そして、それにホセ・トマスが復帰して加わればさらに面白くなるのかも知れない。
昨日は、失敗した。温かいからと薄着で行ったら闘牛場はとても寒かった。今日は大丈夫と思うが、それでもダウンジャケットを着ていくことにする。帰ってきてから、レンジで温めて飲んだ牛乳がとっても美味しかった。
5月7日(月) 晴 9527
マドリードは暑くなってきた。今、引っ越し作業中。明日の昼には、完全にこっちに引っ越しを完了しなければならない。後、2回か3回くらい行き来してそれで終わるだろう。今は忙しいのであまり書けない。
5日の結果。 マドリード。ペピン・リリア、耳1枚。フランシスコ・マルコ、場内1周。ホセ・ルイス・アンヘリノ、耳なし。 アグアカリエンテ(メキシコ)。セサル・リンコン、口笛。ソトルコ、耳2枚。アルトゥロ・マシアス、口笛。
6日の結果。 マドリード。ビクトル・プエルト、口笛。エウヘニオ、耳なし。トレス・ヘレス、耳1枚。 バルセロナ。ポンセ、耳1枚が2回。モランテ、罵声。ファンディ、耳1枚、耳2枚。 ログローニョ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳2枚。闘牛士、マンサナレス、耳なし。ガジョ、耳1枚。 ソンセカ。アンヘル・デ・ラ・ロサ、耳1枚。エル・レンコ、耳2枚と尻尾1つ。アルバロ・オルテガ、耳なし。
5月8日(火) 晴 14446
昨日は、Kさんの所へ行って夕食を食べた。上の子供は今、大学の1年生で、バイオ科学を専攻しているという。研究者になりたいと言っていたので、アメリカへ行けばと言ったら、アメリカは嫌いだ!と言うので、日本に来ればと言ったら、それも考えていると言っていた。みんな大きくなった。あれから10年経ったのだ。引っ越しは、昨日3回行き来して、今日は最後の荷物を取りに行って片付けをしてきた。さっき、市場へ買い出しに行った。明日からはまた自炊生活が始まる。今日はこれからISOさんに会う。
昨日は寝る前に面白いサイトを検索で探して、それを見て興奮していた。これが、大きな転機になれば凄いことになる。
メキシコで、セサル・リンコンはあまり良くなかったが、6日のカデレイタで、闘牛場を熱狂させ「トレロ」コールになったそうだ。
6日の結果。 カデレイタ(メキシコ)。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ガストン・サントス、耳1枚。闘牛士、セサル・リンコン耳2枚と尻尾1つ。右親指をバンデリージャで切り医務室へ行く。エル・ヘノ、耳2枚。
5月9日(水) 晴 12380
ここ2日寝るのが朝の6時になっている。それには理由がある。始めの日が面白いサイトを見つけて時間を忘れて遅くなり、昨日というか今日は、飲みに行っていて帰ってきたのが3時半頃で、それから、おこして貰ったセサル・リンコンのDVDを観てまた泣いていた。時間を忘れて何回も観ていた。耳2枚持て場内1周していたときに、アントニオ・コルバチョやアレハンドロ・タラバンテ、アントニオ・フェレーラなどがインタビューに応えていた。みんな褒めたり、持ち上げたりしていた。タラバンテは、「マエストロ・デ・マエストロ」と言っていた。
先週の『6TOROS6』の「CESAR RINCON:Enrazado adios a Sevilla」 と言う記事の中で、[
Entre el toro bravo y el torero bravo solo cabia la verdad del toreo.Y
la verdad del toreo se resume en dos sustantivos: vida y muerte. ] (勇猛な牛と、勇敢な闘牛士の間にのみ、本当の闘牛術がある。本当の闘牛術というものは2つの本質的なことを要約している。それは生と死である。)と、書いてあった。
セサル・リンコンを観ていると打ちのめされる。闘牛士最後の年が、良い年であることを祈らずにいられない。
5月10日(木) 晴 4084
サン・イシドロ開幕の日。どうなるかは判らない。でも、今年は、今まで1番良い闘牛を観ている年になる。今までこんなシーズンはなかった。そんな中での開幕である。いつものように開幕の日に、『ABC』を買った。セサル・リンコンは、アルテルナティーバ25周年の記念の年に引退をする。そして、新興勢力筆頭のアレハンドロ・タラバンテ。セバスティアン・カステージャ、実績のあるエル・シドなどがいる。大橋君と会ったときに、彼もサン・イシドロ売り出しの日に並んだという。24日の切符を買おうと仕事が終わってからラス・ベンタス闘牛場へ行ったら、6時間で売り切れになったと言われたそうだ。
その時、嘘かホントか、列に並んでいる人から、ネットでも同時かどうかは知らないが、売り出されて、1人で2000枚注文した人がいて、一時ネットを締めたと言う話を訊いたそうだ。そんなことが出来るのかどうかは知らないが、それをするのは、ダフ屋か、日本人が間違ってクリックしたからじゃないと笑って話した。だってネットで買うのはクレジット・カードで、それはカード1枚について、1日6枚までしか買えないはずだからだ。アナスタシアさんの話だと、この日の内に、15日、18日、24日、6月2日が売り切れになったそうだ。僕は、今年は、セビージャにいたので去年までのように並んでいない。だから、セサルが出る日もいつもの所で観るしかない。写真を撮りたいのでしたの席が欲しかった仕方がない。
今日は、銀行へ行って両替をして、RENFEでバルセロナ往復の切符を買ってきた。多分6月17日ホセ・トマスが復帰の切符はないだろう。ネットでは、ソルのグラダが225ユーロで売っているところがあった。驚きだ。それでも、兎に角バルセロナへ行くことにする。何とかなって欲しい物だと思いながら・・・。
5月11日(金) 晴 10112
サン・イシドロ初日は静かに始まった。Yさん、Tさん、番長、三木田さんに終わってから会った。みんな元気そう。最近は、1年ぶりに会うとみんな年を取ったなぁと思う。ホセ・トマスが復帰のバルセロナにYさんは行かないようだ。それでネットで観た225ユーロの話をしたら驚いていた。今日の闘牛のことを話して、メトロに乗った。TCの両替について同じ銀行でも人が違うと手数料が違う。どうして?と言っていたら、番長が、それがスペインだからと応えた。それでこっちも納得してしまう。だから、カハ・マドリードの手数料が3ユーロから6ユーロと言われた話をした。番長が言うには、手数料はTC1枚に付き6ユーロになっているという。10ユーロのTCなら受け取るのがつまり4ユーロしかない。
そんな話をして帰ってきて、アントン・マルティンではなく、ラバピエスで下りて、途中のケバブ屋でご飯の入ったケバブを買って食べたらお腹一杯になって観戦記も書かずに寝てしまった。あれじゃ書けない。今日は昼食を作ってY君と食べた。今日も両替に行った。昨日事で、BBVAは手数料なしでやってくれることが解ったのでそっちに行ったのだ。帰りにメルカドによって食材を買い、ついでにタバコ屋でDUCADOSと、Nobel
を10箱ずつ買って来た。これで5月はもつだろう。と言うかもたせようと思っている。
10日の結果。 マドリード。エンカボ、フェレーラ、フェルナンド・クルス、耳なし。 ヘレス。ポンセ、耳なし。フリ、耳1枚ともう1枚要求。ファンディ、耳1枚ともう1枚要求、耳1枚。
5月12日(土) 曇 6772
今日はバジャドリードへ言ってカステージャとタラバンテを観ようかと思っていたが、止めた。止めてから、ネットで観たら、切符は売り切れになっていた。行かなくて良かった。ダフ屋から買えば、高いだろうから往復のバス代と食費を合わせれば100ユーロ近くかかっていただろう。ホセ・トマスが復帰し、カステージャとタラバンテが出るカルテルだと、これから売り切れになるのだろうか?インターネット時代になって闘牛の切符は今まで以上に売れるようになった。でもこれも、フィグラが出る闘牛と、大きな祭りの闘牛と限定されるのだろうが・・・。
昨日は闘牛が終わって、Mさん、番長、三木田さんと、4人で今年初めてのコロキオをした。YさんとTさんは、カペアは観たくないと5頭目で帰ったのでいない。帰って正解だった。非道い闘牛をする。父親が有名な闘牛士ニーニョ・デ・ラ・カペア。その息子が何故か、ニーニョを取って、エル・カペア。4人でボロ糞言っていた。番長は、あいつはカペアと言うけど、やっていることが、素人闘牛のカペアだ。エル・カペアじゃなく、あれはホントのカペアだ。俺が、あれでお金を稼いでいるって言うことが許せない。と、言うと、Mさんが、泥棒だあれは!と、口々に罵倒の言葉を言った。
コロキオは、いつもの場所でやった。番長は、ホセ・トマスが復帰戦に、200ユーロ出すんだったら俺は、他の闘牛10回くらい見た方が良いと言っていた。それは一理ある。でも、スケジュール調整して来たのだから、やっぱりバルセロナに行って観たい。それから、タラバンテの闘牛について、コルバチョに14歳から住み込みで教わっている話をした。だから、ホセ・トマスも相当の練習をして闘牛場に出てくるだろうと言うことを言った。
アルヘシラスのカルテルが発表されて、6月23日は、セサル・リンコン、ホセ・トマス、エル・シドのカルテルだった。観たいよなぁと、思いながら帰ることになる。
11日の結果。 マドリード。ロペス・チャベス、ガジョ、カペア、耳なし。 ヘレス。パディージャ、耳1枚。オルドニェス、強い耳要求で場内2周、耳1枚。カジェタノ・オルドニェス、耳1枚、耳2枚。
5月15日(火) 晴 22183/3
色々あった。でも、アレハンドロ・タラバンテが12日バジャドリードで怪我をして、今日はラス・ベンタスに出ない。代わりにこの前プエルタ・グランデしたクーロ・ディアスが出てくる。ガッカリだ。13日オスナでパブロ・エルモソ・デ・メンドーサが左足を骨折して30日の怪我を負った。こちらも26日の出場は絶望である。さらに今日のネットには、セサル・リンコンがセビージャのコヒーダの時なのか、メキシコでさらにあったしたのか、肋骨を骨折しているようで24日のサン・イシドロ出場が危ういというニュースがネットに載った。
セサル・リンコンがサン・イシドロに出ないのなら本当にガッカリだ。こんな話は、非道すぎる。仮に痛いのを無理して出て来ても良い闘牛は出来ないだろう。目玉の3人がいないサン・イシドロは非常につまらない物になる。どうしよう?
それともう一つ書けば、ホセ・トマスが顔の手術をした。整形ではない。テンタデロで牛にやられてその為の手術がマドリードで行われた。
12日の結果。 マドリード。ファン・バウティスタ、耳なし。バルベルデ、耳1枚。イバン・ガルシア、耳なし。 バジャドリード。エル・シド、カステージャ、耳なし。アレハンドロ・タラバンテ、耳なし。コヒーダされて左太腿に20cmの角傷を受け10日から12日の怪我。 ヘレス。フィニート、耳1枚。モランテ、耳2枚。マンサナレス、耳なし。 オスナ。コルドベス、耳1枚、耳2枚。ファンディ、耳1枚。カジェタノ・オルドニェス、耳なし。 プラセンシア。フンディ、パディージャ、耳なし。エンカボ、耳2枚。 ボロックス。アベジャン、耳1枚、耳2枚。セサル・ヒメネス、耳2枚、耳1枚。ダビ・モラ、耳4枚。 オルデゥニャ。ラモス、耳1枚、場内1周。イケル・ハビエル、耳2枚。カルロス・ドジャゲ、耳なし。 ルテ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、アントニオ・ドメク、耳なし。闘牛士、ハビエル・コンデ、耳2枚と尻尾1つ。ウセダ・レアル、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。 カサルビオス・デル・モンテ。ポンセ、耳2枚、耳1枚。フリ、カペア、耳2枚が2回。
5月16日(水) 晴/曇 5399
昨日の闘牛の後、コロキオをした。Mさん、Tさん、Yさん、番長、寿美さん、の6人。Wさんは帰った。カペアのダメさ加減を番長が語り、MさんYさんTさん僕が同調した。あいつは全てが問題外。だから終わっていない。つまり、だから始まってもいないのだ。みんなは多分一生闘牛をちゃんと出来ないだろうという意見で一致した。モランテのベロニカの話もしもした。Mさんの後ろの兄ちゃんはモランテのベロニカを観て今日はこのベロニカを観ただけでも来た甲斐があったと、言ったそうだ。クーロ・ディアスのファエナについては、始めの立ち位置は良かったが後は全部ピコだという指摘があった。非常に厳しい意見だ。そういわれても仕方がないけど・・・。寿美さんは疲れていてあまり話さなかった。Tさん、Yさんは話し出すと元気。番長はいつものペースだったが、いつもと違うのが飲む量。可成り酔っぱらっていた。
さっき、ネットを観た最新情報では、ラス・ベンタス闘牛場の興行主は、セサル・リンコンの替わりとして、アレハンドロ・タラバンテに出場を模索しているようだ。もしそれが叶わないのであれば、一体誰を出場させるつもりなのだろう。コルバチョは23日のコルドバ復帰を考えているようだ。それならタラバンテは出場できるのだが・・・。
5月17日(木) 曇 9619
昨日闘牛が終わってプエルタ・グランデに向かった。マティアス・テヘラの車が停まっていた。そこで待っていると肩車されたマティアスがやってきた。周りを警官が囲んでいる。マティアスが車に乗り直ぐ後ろにカルロス・アビラがいたので、声を掛けた。カルロスにおめでとうと言ったら、こっちを観ながら差し出した手をグッと握りしめた。クアドリージャは嬉しいんだろう。それだけ、仕事が入って来るからだ。それに、自分が着いている闘牛士がラス・ベンタス闘牛場でプエルタ・グランデするというのはやっぱり名誉なことなのだ。
終わってから、Yさんは帰って、Tさん、に会った。アフィショナード2人がわざわざマティアスに見えるように人差し指を横に振って、「ノー」の意思表示をしていた訊いて笑った。やっぱりそういう人がベンタスにはいるのだ。Mさんが来て、プエルタ・グランデについてあれは2枚目はおかしいと言ったら、1枚目は凄かったよなぁあの牛で良くファエナが出来たと感心し、客が変わったと断言した。それは、今年のベンタスを観ていると感じることだ。クーロ・ディアスのプエルタ・グランデもそうだし、5月1日のノビジェーロの耳1枚もそう思う。でも、耳を出せと言っているスペイン人が多くなった。昔からベンタスに通っている人は、ちゃんとした基準があるが、ネットで切符を売るようになってから客層が変わった。
こうやって徐々に闘牛も変わっていくのだろう。コロキオに3人でコロキオに向かっている途中でTさんの携帯に警備会社から連絡があり部屋のアラームが鳴ったというので帰ったのでMさんと2人のコロキオになった。ビール飲んで摘んでお腹一杯になって帰ってきた。コロキオ中に下山さんからTELがあった。今日の結果を伝えた。昨日クーロ・ディアスは良かったと言ってたから観たけど良くなかったと言っていた。それは正常だと思う。Mさんと意見が一致した。
13日の結果。 マドリード。フンディ、ラモス、耳なし。ロブレニョ、強い耳要求で場内1周、プレシデンテに罵声。 バレンシア。エル・レンコ、ホセ・マヌエル・プリエト、パコ・ラモス、耳1枚。 バジャドリード。マノロ・サンチェス、耳1枚。レアンドロ・マルコス、耳なし。ホセリージョ、耳2枚。 ヘレス。ヘスリン、耳1枚。エル・シド、耳なし。カステージャ、強い耳要求で場内1周、プレシデンテに罵声。
15日の結果。 マドリード。モランテ、クーロ・ディアス、カペア、耳なし。
16日の結果。 マドリード。セサル・ヒメネス、セラフィン、耳なし。マティアス・テヘラ、耳1枚、耳1枚とそれに対する抗議。 タラベラ・デ・ラ・レイナ。ヘスリン、フィニート、耳1枚。コルドベス、耳1枚、耳2枚。
5月18日(金) 晴 6687
ここのところまた、寝るのが遅くなった。それはそれで良い。元々眠いときに寝るようにしているので問題ない。逆にあまり早く寝ると早く起きるので闘牛の時に眠くなるのは問題。そういうときは当然昼寝をするけど。
カルテルが色々発表されている。が、書く暇がない。ゆっくり書いていくことにする。ホセ・トマスのクアドリージャがネットで判った。その中のバンデリジェーロにミゲル・クベーロがいた。去年までフェルナンド・クルスの所でバンデリジェーロをやっていた。彼は、元々ホセ・トマスのバンデリジェーロだった。引退状態になって、2年弱セサル・リンコンのバンデリジェーロになっていた。それから辞めると言うことで離れていたが、おそらく、フェルナンド・クルスのアポデラードのルシアノ・ムニェスが呼んで付いていた。ルシアノもホセ・トマスのバンデリジェーロだった。今年ホセ・トマスが復帰するのでもう一緒に行動しているのだろう。テンタデロに行ったりとか。ホセ・トマスにとってミゲル・クベーロがいることは、重要なことだろう。僕も彼の名前を観て安心した。
17日の結果。 マドリード。フェレーラ、セラフィン、サルバドール・コルテス、耳なし。
5月19日(土) 晴 6989
昨日は、闘牛が終わった後、コロキオをした。いつもの所は一杯で他の所でやったので早めに終わった。カステージャの闘牛の質の高さを口々に言っていた。アベジャンはぼろくそだった。Mさんも同じで、1.5枚くらいのファエナだと思ったそうだが、2枚目が出るまでハンカチを振っていたという。Tさんは、後ろの常連が剣が決まったら耳2枚だと断言した話をしていた。何でみんな満足するプエルタ・グランデが出ると、あんなに笑顔になるんだろう。顔を合わせて話をする前に笑顔。当然だけどそうさせる闘牛士が素晴らしいのだ。帰ってきてから飯を食って観戦記に取りあえず結果だけを書いて寝た。
今日は朝早く起きて、飯を食って観戦記を書き上げて買い出しに行った。メルカドとスーパーへ。これで土日は飯を作って食える。さっきから『TENDEDO
CERO』が始まるのを待っているのに、予定の13時20分から3時間以上経っているのに未だ始まらない。これがスペインだからこう言うことが平気で行われるのだ。困ったもんだ!
18日の結果。 マドリード。アベジャン、耳なし。カステージャ、耳2枚。ペレラ、コヒーダされ右ふくらはぎに15cmの角傷を受ける15日の重傷。
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