断腸亭日常日記 2007年

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年のスペイン滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日
5月1日〜5月14日 5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日
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6月12日〜6月22日 2002年4月16日から4月30日 5月1日〜5月15日 5月16〜5月31日
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2月10日〜3月17日 3月18日〜4月12日 4月13日〜5月6日 5月7日〜5月29日
5月30日〜6月19日 6月22日〜7月22日 7月23日〜8月17日 8月20日〜9月12日
9月13日から10月9日 10月10日〜11月18日 11月19日〜12月30日

 2007年1月1日(月) 晴れ 21025/2

 セサル・リンコンが引退する年が明ける。今さらだが、レコード大賞を録画で観た。男性歌手が出てくると早送りして(特に若いグループ)主に女性歌手を聴いた。それと、昔のレコード大賞の映像が流れたが、森進一が、『おふくろさん』を歌っている時に花束を手渡していたのは当時の横綱輪島だった。そんな記憶はとうの昔に忘れていた。それにしてもあの時の森進一はトチ狂っているというか、ぶっ飛んでいるというか物凄いインプレッシオンだ!何故あんな歌い方になったかと言えば母親の死があったからだ。

 吉永小百合は綺麗だし、シンシアは声が可愛かった。小柳ルミ子も初々しいし、天地真理も可愛い。1番好きだったのは天地真理だったが、コンサートを観、握手をしたことがあるのはシンシアだけだった。浅田美代子も本当に初々しい。『こんちは赤ちゃん』を歌う梓みちよは落ち着きのあるおばさんって感じで、美空ひばりは、子供の頃からスターだったからかいつも見られることを意識している感じだ。だからだろうか嫌いだ。ピンキーは、精一杯大人っぽくしているが少女。いしだあゆみは、今観れば初々しいがあの当時は、派手な姉ちゃんって感じがした。

 尾崎紀世彦の『また逢う日まで』は、今聴いても良い歌だ。ジローズの『戦争知らない子供たち』今聴くと暗い感じで歌っていた。和田アキ子は涙を流しながら歌っているが、声が泣き声になっていないのが凄い。ちあきなおみの『喝采』を今聴くと、♪いつものように幕が開き 恋の歌 うたうわたしに 届いた報せは 黒いふちどりがありました♪という出だしなのを聴いてそういう歌だったのかと今さながら気付いた。彼女のように ある時期からTVに出なくなり、あの人は今のような番組や歌番組に出演を拒否する人は、山口百恵や桜田淳子もいるけれど、森田童子もTVドラマ『高校教師』の主題歌に使われて歌番組に呼ばれても絶対出てこなかった。ああいう態度は、いつまでもあの頃の自分をファンの印象に残そうとするし、今の生活を変えたくないという気持ちも強いのだろう。

 それと、布施明の『シクラメンのかほり』や西城秀樹、野口五郎などどうでも良いけど、ジュリーの映像はやっぱり良い!今ヒット曲のDVDが出たら絶対買うだろう。と、言うか欲しい!『津軽海峡・冬景色』を歌う石川さゆりは今は綺麗だが、あの頃はブスだ。ピンク・レディーはおかしな格好だ。岩崎宏美の振りは何か変。ジュディ・オングは優しさが顔に出ている。小林幸子は歌が上手い。さだまさしは若い。ゴダイゴは歌が下手だ。英語で歌っている分には耐えられるが。菊池桃子も優しさが出ている。

 テレサ・テンの顔はどうもついて行けない。ドリカムの吉田と並んで顔で歌が聴けないという数少ない特異な歌手。『人生いろいろ』の島倉千代子は苦労が顔に出ていないのが凄い!Winkは何にも知らない感じが受けたんだろう。たまはあの時代受ける要素を表現していた。『どんなときも』の槙原敬之は良い歌を歌っていた。♪どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために♪でも、歌で落ち着きを感じるのは、小林明子の『恋におちて』。僕は顔はあれだが、声は抜群、歌も好きだ。声が顔を遙かに超えて許せてしまう。というかこの顔じゃなければいけないとさえ思ってしまうのは、その抜群の歌唱力で納得させられてしまうからだろう。♪もしも願いが叶うなら 吐息を 白いバラに 変えて 逢えない日には 部屋じゅうに 飾りましょう 貴方を想いながら Darling I want you 逢いたくて ときめく恋に 駆け出しそうなの 迷子のように 立ちすくむ わたしをすぐに 届けたくて ダイヤル回して 手を止めた I'm just woman Fall in love ♪この凡庸といえば凡庸な女の恋心だが優しさを感じてしまう。多くの歌もそうであるが、この歌は特に小林明子という歌手の個性が必要で、彼女が歌わなければ伝わらない物が大きいのである。弱々しいが優しさに溢れた歌い出しだが、それでも明確な強い意志が伝わる。声がとても気持ちいい。心地よい。それと、わたしの気持ちを届けたくてではなく、わたしを届けたくてと、言うところが可成り良い。直接逢いたいという気持ちが映像として結びつく。勿論体温までも。大人の女の言葉だ。それをあんな風に優しく歌うとグッと来る。

 今年もニュー・イヤー・コンサートの『ラデツキー行進曲』を聴くと新年が来た気分になる。

 30日の結果。 カリ(コロンビア)。ミックス闘牛。闘牛士、ファン・バウティスタ、パコ・ペルラサ、耳1枚。モレニート・デ・アランダ、強い耳要求でプレシデンテに罵声。騎馬闘牛士、ルイ・フェルナンデス、耳2枚。

 31日の結果。 カリ(コロンビア)。フェレーラ、耳なし。アベジャン、耳1枚。ファン・バウティスタ、耳なし。パコ・ペルラサ、耳1枚。クリストバル・パルド、耳2枚。ランセス、耳1枚。


 1月3日(水) 曇り 17081/2

 Kのその後の話。お父さんが自殺する前は、お母さんの具合は、言葉さえ出ない状態だった。それが、自殺後は、言葉が出るようになり、会話が成立するようになった。それだけではなくドンドン体が動くようになりリハビリで退院をした。Kの親戚は、お父さんが治したんだ。と、言っているそうだ。お父さんが自殺した後に、リハビリ中にお父さんがお母さんに会いに来ていたという。お母さんはリハビリ中にお父さんが観ているから頑張ろうと思ってリハビリをしたのだという。自殺以前と自殺以降とでは、お母さんの病状は、見違えるように良くなっている。お母さんには、お父さんは、病気で死んだことにしている。未だ、本当のことを言っていないそうだ。四十九日までには、本当の事を言わなければと言っていた。こうやってお父さんは、お母さんを守っているという事を伝えて自殺した事を親戚同席で伝えると言っていた。

 Kのその話を聞きながら気持ちがというか、感情が勃起してきた。生きている人間は、死んだ人間をそういう風に思っているんだと、思ったのだ。こう言う理屈じゃなく物語として死者を語っていくのだろう。こう言うところから神話が生まれるのかも知れない。Kは、元気だ。そして、12月から始まったこの騒動で色々あって彼氏とも別れることにしたそうだ。指輪を取ったが指輪の後が付いたままだと言っていた。新しい彼氏の影も・・・。Kは元気だ。


 1月5日(金) 曇り 32889/2

 今日勝ってベスト4になった。初の国立。「決勝点を挙げた千葉は「斎藤先生(監督)を国立に連れて行くことができてうれしい」と顔をくしゃくしゃにして喜んだ。ゴールの10分ほど前、千葉は斎藤監督から「動けないんだったら代えるぞ」とハッパを掛けられて奮起。「向こうの慣れてるPK戦にはしたくなかった」と胸を張った。遠野に続く岩手勢2大会連続の4強に同監督は「(遠野と)比較されるのは嫌だが、岩手でも子供たちが育つというのを分かってほしい」と話した。」 ーーサンスポよりーー 「斎藤重信監督(59)は「プレッシャーはあったが、岩手でも選手は育つということを証明できた。誇りに思う」と感慨深げに語った。」 ーー日刊スポーツよりーー

 ベスト4に残った4校は優勝経験がなくどの高校が勝っても初優勝。準決勝は優勝候補の八千代。これに勝てば優勝できるかも知れないが、そこまでは望まない。強いところと当たって自分たちの力を知ることが重要だ。自分たちのサッカーが出来るよう試合して欲しい。斎藤重信先生は、僕らがやっていた頃は遠野農業の先生をやっていたOBだった。遠野に遠征に行くと怒鳴られた事を思い出す。「誰?あの人。スゲーおっかない」と、言っていた物だ。関係のない高校の先生から何故怒鳴られるのか判らなかったが、OBと訊いてなるほどと思った。ライバルの遠野の地で恐らく高校教師を始めたのだろうその人が岩手を代表する監督として有名になったのは赴任する高校が全国大会に連続して出場するようになったからだ。

 鹿島アントラーズの小笠原満男は、盛岡の厨川中学からわざわざ大船渡まで行って斎藤先生の指導を受けて今はイタリアのセリエAに行っている。念願叶って母校に赴任したのは40過ぎてからだった筈だ。それから遠野を破って連続全国大会に出場するようになった。今まではベスト8が最高だった。ようやく夢の国立への切符を手に入れた。来年定年。残された時間は今年と来年しかない。僕が観た感覚で言うと斎藤先生はサッカーを生徒たちに教えながら教育者として人間として基本的な事を教えている人なんだと思った。「人生なんて甘くないんだから、自分に厳しく生きていかないと、良い人生を送れないぞ」と、いう事を教えているのだと思う。おそらく、物凄く優しく思いやりを芯の部分に持っているのだろう。

 このニュースを観て僕は本当に嬉しかった。盛岡では今1番の有名人かも知れない。心臓の病気を抱えて11月に手術して1ヶ月半で退院して現場復帰。生徒だって一生懸命にプレーをするだろう。後輩たちよ!健闘を祈る!


 1月7日(日) 曇り 25746/2

 昨日の準決勝で八千代に1−0で勝った。高校サッカー準決勝が行われて第2試合で母校が千葉の八千代を1-0で破って初の決勝進出を決めた。後半の終了間際のロスタイムに右コーナーキックから決勝点を上げた。雨が降りぬかるんだピッチで選手たちはよく走りプレスをかけて両サイドから攻撃を仕掛けた。水溜りが出来る状態で途中蹴鞠状態にもなったが最後まで諦めずに良くやった。テクニックも有るし、体力もあるから良く走る。

 試合を押し気味に進め優勝候補を破った。ひょっとするとひょっとするかもしれないが、結果はどうでも良い!!!とにかく決勝でも、相手に臆することなく自分達の普段のサッカーをして欲しい!ここまで来たらサッカーを楽しめ!今の自分達を喜びながらプレーしろ!僕は、勝ち負けよりそういう姿が観たい!!!準々決勝の新聞記事には、「苦しくなっても次の一歩が出たのは斎藤監督のためにという気持ちが有るからだろう」と書かれていた。

 自分のために、だけでは最後の踏ん張りが利かない事が有る。でも、誰かの為に、と、なると踏ん張りが利く時が有る。そう、好きな人の為に、愛する人の為に、なら最後の一歩が出てくるのだ。今年のチームは、その大事な最後の一歩の踏ん張りが利いてここまで駒を進めることが出来た。斎藤監督は、10年前に喉頭ガンを患い、去年の11月には心臓の手術をして大会直前の12月25日に現場復帰して生徒たちを指導している。そんな監督に応える為に、生徒たちは一生懸命にプレーをする。全てはチームの為に。そして、病気から復帰した先生(監督)の為に。

 例えば、具体的に言うならKは、お父さんが自殺していた首吊り遺体を発見した。実の親がそんな事をしている所を観るだけでも相当のショックだ!!!それでも、残されたお母さんを世話しなければならない。世界中でたった一人しかいないお父さんが死に、世界中でたった一人しかいないお母さんの為に、自分は何が出来るのか、何をしなければならないのか。出来ること、やらなければなら無い事を、日々淡々とやる。これが、自分1人だけならどうだろう?くじけていじけて絶望して泣き暮れているいるかもしれない。でも、Kはそうはならなかった。自分がしっかりしないとお母さんまでおかしくなる。ちゃんと治るように自分の出来る事をやろうとしているから絶望しない。最後の一歩の踏ん張りが利くのだ。

 人の為に生きることは素晴らしいことだ。人の為に生きることは美しいことだ。そして、とってもカッコいいことだ!!!人を感動させることは、このようにお金にもならないことなのに、一生懸命誰かの為に何かをやろうとする姿が人の胸を打つのだ!!!そして、ドラマとはこういうものなのだ。

 明日スケジュールを替えて貰って国立へ決勝を観に行く。おそらく一生に二度はないことだろうから・・・。


 1月9日(火) 晴れ 18768/2

 母校、盛岡商業が全国高校サッカー選手権の決勝で見事2−1で勝って優勝を遂げた。初の全国制覇!!!俺が生きているうちに優勝できるとは思わなかった!!!昔は、県大会の決勝で遠野高校にいつも負けて全国大会にはなかなか出場できなかったが、斎藤先生がが赴任してからは毎年の様に出場できるようになり、今まではベスト8が3回あったが、その時は、負けた相手は、優勝した静岡学園でPK戦負けや、国見に2−3で負けたりして悔しい思いをしてきた。

 雪国の岩手で、冬は岩山(多分往復で8KMくらい)まで走ったり、インターバル練習を繰り返して体力をつけたりしたが、当時は監督はいたには、月に1回も練習に顔を出さなかった。練習メニューはキャプテンが全部決めていた。試合でも監督がいない事もあった。だから、客観的に良いアドバイスを貰うことが出来なくて、遠野とは接戦で1点差で勝ったり負けたりで、全国大会には、出れなかった。勝つ時は、全国大会の出場権が懸かっていない試合。

それでも、毎年県大会決勝に進めたのは良い選手がいたからだ。斎藤先生がいたら絶対全国大会へ行けただろう。何度、先生が監督で来てくれないかと思ったことか!!!

 今年の生徒は、10月に2時間20キロ走をしたり、インターバル練習をばっちりして体力づくりをやっていたという。俺らの時より2倍は走りこんでいる。だから後半でも足が止まらない。それと前線とバックスの間をコンパクトにして30Mくらいしか間が空いていないのでこぼれ球に対しても1人、2人と行って拾うことが出来ていた。それとプレスが利いていた!!!走れているからプレスを利かせることが出来るのだ。

 それと、土砂降りの準決勝では、タッチ・ライン際でスライディングしてボールを追っていた。ああいう風に最後まで諦めない姿勢が優勝した原動力になっている。俺らの頃はといえば、タッチ・ライン1M前で諦めて追わなかった。先輩には良く言われた。「遠野は、タッチ・ライン1M過ぎまで追っているぞ!!!お前らのは、練習の為の練習だ!それじゃ試合になっても同じだ。練習ででき無い事、試合で出来る訳ないだろう」

 仰るとおりです。だから負け続けた。この前、TVでやっていた高校ラグビーの番組で、OBの日本代表選手が現役高校生に、みんな高校時代に、ああすればよかったとか、もっと頑張っておけばよかったと、悔やんでいる。だから、君たちには、悔いの無いように、今努力しなさい、今頑張りなさいと、言いたい。と、言っていた。

 それを観ながら昔の事を思い出した。土砂降りの準決勝でタッチ・ライン際でスライディングをする選手を見て、こういうひたむきな気持ちが、俺らは足りなかったと思ったし、こういうひたむきな気持ちでサッカーをやっている後輩を見て、何とか優勝させたいなぁと、思った。だから、終了間際のロスタイムに幸運なオン・ゴールが生まれたのだろう。努力する者達には女神も微笑んでくれるのだ。

 今日の前半は一進一退。危ない場面もあったが、スタンドもそんなに沸いていなかった。後半に入って徐々にゲームが動き、22分頃先制される。ゴール正面からのマブイ、シュートがバーに当たり跳ね返りをヘッドで決められた。ゲーヤバイ!!!それから5分弱攻められてこのまま負けるのかと、思った。でも、立ち直って攻めに転じてPK獲得。林が蹴ったボールは、左に外れた。0−1でPKを外した。あー、これじゃ負けるパターンだ。折角ここまで来たのに・・・。

 でも選手たちは、諦めない!!!バックラインや中盤からロング・ボールを前線に送りチャンスを掴む。試合開始早々に、作陽の陣形を見たら、左側に偏っていた。スペイン・リーグのセビージャと同じような感じだ。セビージャも左側に偏っている。だから、作陽の右側をえぐれば得点できるんじゃないかと思っていた。実際、13番大山がパスを受けてセンタリングを出したのは、作陽の右側から。そういうパスが2本決まって逆転。同点弾はPKを外した林。勝ち越し弾は、千葉。

 得点した時は、思わず立ち上がって大声を上げて右手でガッツ・ポーズをしていた。同点弾は、トーキック。今のJリーガーは、ああいう場面でも、インステップかインサイドで蹴る。ああいう時は、早くシュートをしなきゃならないからトーキックが1番良いのだ。俺らは先輩に言われたものだ。「いいか、ゴール前に行ったら、金玉でトーキックするつもりやれ」、と。

 勝ち越し弾は、ロング・パスが9番成田に渡ったが、前線には誰もいない。押上が遅い状況だった。それを観た9番は、ボールをキープして溜めを作って良い所に入れて下さいと言うゴロのラスト・パスを配球して決勝点をアシストした。作陽は、後半の最後はスローインになっても、誰も寄って来なくてファール・スローになったりしていた。要するに足が止まっていたのだ。盛商のスローインは長かった。30Mか40Mは投げていた。そして、最後まで足が止まらなかった。

 終了のホイッスルがなるまで2−1で勝っているのに攻め続けた。ゴール前にラスト・パスを出した瞬間に試合終了のホイッスルがなったのは象徴的だった。時間稼ぎなどせず最後までひたむきにボールを追う姿は感動的だった。俺らが出来なかった全国制覇を後輩が成し遂げた!!!

 盛岡は大変な騒ぎらしい!!!県知事も市長も国立に行って応援し、市役所も「必勝 盛岡商業」と書かれたものを玄関に掲げ、盛商でも残った生徒や教職員がTV観戦で盛り上がり、街中も凄い状態だろう。県は、盛商サッカー部に県民栄誉賞を出す事を考えているらしい。多分、優勝したから出るだろう。斎藤先生が教えたW杯日本代表の小笠原満男(元鹿島アントラーズ)が貰った賞と同じ物を・・・。

 昨日、ネットで盛商の検索をして記事を読みまくっていたが、フレッシュ・アイでは、この大会の上位校のアクセス状況を乗せたいたが、うちの高校がダントツの1位で40%以上を占めていた。とにかく、もう2度と無い事だろうから、そして、4千校以上出場した大会でただ1校負けなかった高校になった。流した涙は、悔し涙ではなく、嬉し涙だったのだ!!!

 決勝進出が決まった6日夜に、メッシーナの小笠原満男(大船渡高校)から先生に電話が入ったそうだ。おめでとうと、決勝頑張って下さい!!!というもの。先生は話が終わったあと、横にいたオン・ゴールを誘ったコーナーを蹴った林に携帯を渡した。林は、ビックリしながら小笠原の話を訊いた。「僕たちが出来なかった全国制覇を何とかして先生にプレゼントして欲しい。頑張って下さい」と、言う物だったという。高校は違っても同じ先生に教えられた同門。気持ちは一つなのだ。

 先生は、14年前に喉頭ガンで手術。そして、去年の11月には冠動脈瘤で8時間の手術をして退院後直ぐに現場復帰して今大会に挑んだ。年末鹿島で小笠原に会って激励されて何とか全国制覇をと、誓ったそうだ。それが、本当に実現するとは・・・。神様は38年間努力し続けた人間にご褒美として優勝を与えたのかもしれない。

 試合中はなんとも無かったが、始まる前の校歌を聴いたときはグッと来た。それと、流石に試合終了のホイッスルがなってからは涙が流れ落ちた。こんなに嬉しいことはない!!!後輩たちよ!おめだち、滅茶苦茶輝いていたぞ!!!逞しかったぞ!!!そして、かっこいがったぞ!!!先輩が誇れる、そして後輩が見習いお手本になる様なサッカーだったし、内容だった!!!おめでとう!!!そして、ありがとう!!!今年は良い年になりそうだ!!!

 今日のスケジュールを代って貰ったNさんとKさんには感謝しないといけない。罰が当たる。


 1月11日(木) 曇り 25125/2

 ♪大地に顔をくっつけて 大地の臭いを嗅いでみろ♪僕らが県営サッカー場で大会の時に聴いた歌。あの歌は何の大会の歌だったんだろう。夕暮れのうすく赤らんでくる空を観ると、良くこの歌のリフレインが僕の中で流れることがあった。脱穀した籾殻を田んぼで焼く秋になると高校のグランドの横から臭いがする。僕はそういう秋の大地の臭いが好きだった。

 宮沢賢治が、「きみのやうにさ 吹雪やわづかの仕事のひまで 泣きながら からだに刻んで行く勉強が まもなくぐんぐん強い芽を噴いて どこまでのびるかわからない それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ」という詩があったが、今回の盛岡商業の全国優勝は、泣きながら練習した成果だと思う。病気をしながらでも指導し続けた斎藤先生の執念が実ったのだろう。


 1月14日(日) 曇り 38634/3

 土曜日、16時頃、井戸さんからTELがあって今日はAoyuzuで闘牛の会やるの?石原さんからTELが来て訊かれたから。18時からやります。と言うと、それじゃ他の人が来なくても貴方だけは行くのね、と言うから、ハイ行きます。と答えてむんずと起きあがり、ビデオ・テープを出して去年のメンドーサの騎馬闘牛を録画した。時間がないのでメンドーサの2頭分だけをやってDVDとビデオを持って国分寺に向かった。10月からAoyuzuに替わって、いつも遅刻していたので今度こそは遅刻しないようにと思ったが、2,3分遅刻して到着すると、MEGUさんと、石原さんと中田君がいた。それからカエルさんとTAMAさんが来て6人。

 さてセバスティアン・カステージャの特集ビデオを流そうかと思って訊いてみたら、ビデオデッキがないと言うこと。それで、今回は予定していたビデオは流せず。次回からは、MEGUさんがPCノートを持ってきてDVDを流すことにした。それで、話をした。石原さんは78歳で週1回、老人ホームへ行って話をするのだという。あそこに行くと、若いと言われるから嬉しいと言っていた。胃を取って、旦那さんが去年死んだので、1人でいるよりそういうところに行って話をしている方が良いという。今までは、殆ど外に出なくて、切符の買い方も知らないから、外国へ行っても、英語が出来る旦那さんは、お前が切符を買えと言って石原さんが買わされたそうだ。何故なら日本で買ったこともないのに外国に来て買えるわけがない。と言うのが理由。まるで山田風太郎だ。

 そういう人だったから、本屋と喫茶店に行く以外は、殆ど外に出なかった。たまには外食に行くときが楽しみだったそうだ。その頃は、3日で良いからいなくなったら自分のやりたいことをやるのにと思っていたのに、いざいなくなると何にもやらない。やる気がしないと言っていた。だからこうやって闘牛の会に来るのが楽しみだと。石原さんのためにダビングして来たビデオを渡した。これは斎藤さんにとお菓子を貰った。銘菓二十一世紀。高島屋の包装がされていた。わざわざ買ってきて貰ったのかと思うと申し訳ない気がした。メンドーサの騎馬闘牛のビデオを貸していたからだろう。また、持ってきたんだけど・・・。

 でも、女の人生というか女は不思議だ。石原さんが話しているときは本当に生き生きしている。それを訊いている女性陣の受け答えも面白い。荻内先生はスペイン。TAKEさんと林さんは風邪。


 1月15日(月)

 溜めていた結果を書かなければならない。

 6日ドゥイタマ(コロンビア)でイバン・ガルシアが、ラス・ベンタス・デル・エスピリトゥ・サント牧場(セサル・リンコン)の“アルカルデ”という名の牛(NO317、470キロ)をインドゥルトした。9日マニサレス(コロンビア)でルイス・ボリバルがラス・ベンタス・デル・エスピリトゥ・サント牧場(セサル・リンコン)の“クラベジノ”と言う名の牛(NO349、440キロ)をインドゥルトした。11日マニサレス(コロンビア)でルイス・ボリバルがエルネスト・グティエレス牧場の“プルマ・アル・ビセント”という名の若牛(NO183)をインドゥルトした。13日マニサレス(コロンビア)で、アンドレス・デ・ロス・リオスがエルネスト・グティエレス牧場の“カルボネロ”という名の牛(NO199)をインドゥルトした。

 1日の結果。 カリ(コロンビア)。フェスティバル闘牛。アベジャン、耳要求で場内1周。マンサナレス、耳なし。サルバドール・コルテス、耳1枚ともう1枚要求。モレニート・デ・アランダ、耳1枚。アンドレス・デ・ロス・リオス、耳2枚。エクトル・ホセ、耳1枚。

 5日の結果。 カルタヘナ・デ・インディア(コロンビア)。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ウィリー・ロドリゲス、耳なし。闘牛士、アベジャン、耳1枚。振り、耳1枚。ルイス・ボリバル、耳なし。

 6日の結果。 カルタヘナ・デ・インディア(コロンビア)。アレハンドロ・ガビリア、耳なし。ファンディ、耳2枚。マンサナレス、耳1枚、耳2枚。 ドゥイタマ(コロンビア)。フェレーラ、耳1枚、弱い耳要求。ランセス、耳なし、イバン・ガルシア、耳1枚、シンボルとして耳2枚(牛、インドゥルト)。

 7日の結果。 メキシコ。エル・パナ、場内1周、耳2枚。セラフィン・マリン、罵声。ラファエル・リベラ、口笛。 アルメリア。エスプラ、耳1枚、耳要求。フンディ、クーロ・ビバス、耳なし。 カルタヘナ・デ・インディア(コロンビア)。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、モニカ・セラノ、耳1枚。闘牛士、ポンセ、耳1枚、耳2枚。ホセリージョ・デ・コロンビア、耳2枚。モランテ、口笛。 ドゥイタマ(コロンビア)。セサル・リンコン、場内1周。アベジャン、場内1周、耳1枚で場内2周。ルイス・ボリバル、耳1枚、耳2枚。

 9日の結果。 マニサレス(コロンビア)。セサル・リンコン、耳1枚ともう1枚要求でプレシデンテへ罵声、耳1枚。フェレーラ、場内1周、耳2枚。ルイス・ボリバル、シンボルとして耳2枚(牛、インドゥルト)。

 10日の結果。 マニサレス(コロンビア)。ディナスティア、口笛。ランセス、耳1枚。イバン・ガルシア、場内1周。

 11日の結果。 マニサレス(コロンビア)。フェスティバル闘牛。闘牛士、パコ・ペルラサ、セサル・ヒメネス、耳1枚。イバン・ガルシア、耳2枚。ルイス・ボリバル、シンボルとして耳2枚(若牛、インドゥルト)。アンドレス・デ・ロス・リオス、耳なし。騎馬闘牛士、ルイ・フェルナンデス、耳なし。

 12日の結果。 マニサレス(コロンビア)。アベジャン、耳1枚。パコ・ペルラサ、場内1周。セサル・ヒメネス耳なし。

 13日の結果。 マニサレス(コロンビア)。セサル・リンコン、耳2枚。振り、耳2枚が2回。アンドレス・デ・ロス・リオス、耳2枚、シンボルとして耳2枚(牛、インドゥルト)。


 1月16日(火) 晴れ 39985/2

 「第85回全国高校サッカー選手権大会で初優勝した盛岡商サッカー部が15日、岩手県盛岡市の盛岡商業で行われた岩手県民栄誉賞表彰式と優勝報告会に出席し、増田寛也知事(54)から賞状、記念の盾などを授与された。斎藤重信監督(59)はチャレンジャー精神で連覇を狙うと宣言。藤村健友主将(3年)ら選手たちは、壇上で思い思いに喜びの言葉を口にした。

◇歓喜の初優勝(1月8日)からちょうど1週間。盛岡商サッカー部は、始業式で体育館に集まった全校生徒833人と教職員を含む約900人の前で、岩手県民栄誉賞を受賞した。

「もう1回、チャレンジャーとして頂上を目指すというスタンスでやっていきたいです」斎藤監督は挑戦者の気持ちで連覇を狙う姿勢を表明した。来年に定年退職を控えている指導歴37年のベテラン監督は、全国4080校の頂点に初めて到達しても、攻めの気持ちを忘れない。

増田知事からは「岩手県民に興奮と深い感動を与えてくれました。素晴らしい快挙に、お年玉をいただいた気持ちです」と称賛され、サッカー部は賞状、県民栄誉賞をたたえる円盤状の盾、記念品を受け取った。

今年4月から東農大でサッカーを続ける藤村主将は「3年生はそれぞれの道に進み、下級生は練習を再開しています。それぞれの目標へ向かうにあたって、自信と誇りになります」と新たな勲章を発奮材料に変えた。

決勝戦で0−1から同点ゴールを決めたMF林勇介(2年)は「優勝できたのは皆さんのおかげです。PKをはずしてすみませんでした」と直前の貴重な同点機で、PKをしくじった場面を笑顔で振り返った。

サッカー部は今月19日に岩手県庁、盛岡市役所を表敬訪問。21日にはメトロポリタン盛岡ニューウイングで全国優勝報告会が行われる。県勢初優勝フィーバーは、まだ続きそうだ。」  ーーサンスポよりーー

 県民栄誉賞授賞式が県庁ではなく盛岡商の体育館で行われわざわざ県知事が出向いて行われたと言うことは驚きに値する。それだけ、インパクトが強かったのだろう。

 14日の結果。 メキシコ。イグナシオ・ガリバイ、耳1枚。マンサナレス、耳1枚ともう1枚要求。 アルメニア(メキシコ)。セサル・リンコン、耳1枚、耳1枚ともう1枚要求。ホセ・ルイス・アンヘリノ、耳2枚。ルイス・ボリバル、耳1枚が2回。


 1月18日(木) 曇り 30403/2

 今日のNHK『仕事の流儀』は、漫画家の浦沢直樹だった。漫画を読まないので全然知らない人だったが、少年時代に、手塚治虫とボブ・ディランに憧れて大学時代はロック・バンド組んでいたが音楽では挫折したようだが、漫画家として大成し1億部のコミックを売った。番組中何度もディランの事が出てきた。フォークからフォーク・ロックへ転向したときにコンサートで罵声を浴び続けたが自分を貫き通した。彼が連載と終えようとする漫画のが病気で中断していたが、再開の書き出しもこの連載が始まった時の気持ちもままに書こうと、ブレーンの反対をおして決意する。

 自分の過去の作品で他人から規定されることをディランは極端に嫌った。若いから出来たのだろうけど、あの当時のインタビューは殆どいい加減というか化かし合いだ。必死になってプロテスト・ソングの神様を否定し続ける姿は、そのままディランの生き方だった。浦沢もディランの様に過去の自分の作品に規定されるのを、あるいは、ファンの読者の勝手な思い込みに流されないぞと言う、思いがある。「作品が自分から離れていく」そう思った。

 しかし、「心のままに行け 最後はきっと うまくいく」 ーー『GOING GOING GONE』ボブ・ディランーー と、いうディランの歌詞のように書こうと思ったという。何故か、この作品を読んでみたくなった。が、ちょっと手を出しにくいような感じだった。ただ手塚治虫の、『火の鳥』を読んで漫画家を目指したと言っていたそれを読んでみたい。

 盛岡商業がパレードや県民栄誉賞を貰ったが、パレードを観た小学生が大喜びして、将来は盛商に入ってサッカーをしたいと、言っているという記事を読んで、自分がそうだったように高校受験の時にサッカーをするために受けたことを思い出した。こうやって県内の小学生の憧れになるのは素晴らしいことだ。少年時代の憧れはいつまで経っても忘れることが出来ない大切な物だから。


 1月20日(土) 曇り 約42000/2

 ネットで、「ジーコ・ジャパンとは?」ビデオを観た。対談のメンバーは、セルジオ越後、金子達仁、近藤篤、村上龍。面白いことを言っているとは思うけど、何であんなに悪口のようになるのだろう。日本のサッカーなんて世界から観たらそんなに強くない。ワールド・カップで予選を突破するほどの実力なんてないのだ。それは、スペイン・サッカーを観れば良く判るではないか。リーグには、世界の1流プレーヤーがゴロゴロいるところで普段から試合をしている。それなのに未だベスト4にもなったことがない。

 そんな歴史のあるスペインでさえなったことがないベスト4になるとジーコは言った。初めから無理なことは判っていたことの筈だ。それなのに日本人は半分以上信じた。チームのビジョンとか、カリスマ性があるとか、方針・戦略がないとか、色々あるだろうが、スペインの代表監督でさえそんなもはなかったし、それでも、ワールド・カップに出場まで連勝できた。そんな物である。Jリーグですらちゃんした事が出来ていないのに無理。それから、韓国選手に比べて環境は恵まれているが、意識が低し根性もない。だから、負けて当然だった。そういう結果が出て良かったとは言わないが、当たり前と思った方が良いのだ。

 今のままならワールド・カップに出場するだけで満足するべきレベルだ。今後、アジア予選で負けることだって十分考えられる。

 闘牛士のアポデラードの殆どが決まり、バレンシアの火祭りのカルテルが動き出している。闘牛がそろそろ始まる。


 1月21日(日) 曇り 約5000

 昔、“ケンサク”と言えば、森田健作だった。今、“ケンサク”と言えば、ちょっと前なら“Yahoo”だが、今は、“Google”の事を言うようだ。NHKスペシャル『グーグル革命の衝撃』を観た。ネットで収入を得て、買い物もネットでやり、生活している21歳の若者。病気の時に、探す病院もネットで検索。グーグルの検索エンジンのトップ10に入らなければ病院の経営も傾くし、企業は売り上げがガタ落ちになり倒産寸前になる。グーグルの検索でトップ10に入るために、それ専門の企業に頼んでトップ10に入って売り上げを伸ばす企業。

 そこまでネット社会になっているアメリカに驚いた。日本でもそれに近い感じになっていくのだろうが、そういう社会は嫌いだ!!!まさにバーチャル・リアリティーの世界だ。こんな世界が良い訳がない。肉体を感じれないそういう世界は、立脚点が宙に浮いているから非常に薄っぺらで直ぐに壊れてしまう世界だと思うからだ。

 10月くらいから断続的に続いていた日曜日の研修は今日で終わった。もっと勉強しておけば良かったと思う。


 1月22日(月) 雨

 バルセロナとレアル・マドリードが勝ってセビージャが引き分け勝ち点が並んだ。1試合少ないバルセロナが有利な状況になった。バレンシアだけじゃなくカステジョンのカルテルも動き出した。

 20日メデジン(コロンビア)で、セバスティアン・バルガスがサンタ・バルバラ牧場の“ヒネテ”という名の牛(NO540、510キロ)をインドゥルトした。

 20日の結果。 メデジン(コロンビア)。ミックス闘牛。闘牛士、セバスティアン・バルガス、口笛。クリストバル・パルド、シンボルとして耳2枚(牛、インドゥルト)。マヌエル・リバルド、罵声。騎馬闘牛士、ルイ・フェルナンデス、耳1枚。 レオン(メキシコ)。エロイ・カバソス、耳1枚ともう1枚要求。ソトルコ、耳2枚が2回。ファン・アントニオ・アダメ、耳2枚と尻尾要求でプレシデンテに罵声。


 1月23日(火) 晴れ

 本屋で高校サッカーの雑誌を買った。表紙は勿論、盛岡商。メダルを下げカップや表彰状を持ち笑顔がはじけている。紅白の縦縞のユニホームに赤い短パン。準々決勝、準決勝は白いセカンド・ユニホームだったが、決勝は伝統の紅白の縦縞のユニホーム。このユニホームで勝てたのがまた嬉しかった。ここまでこれたのは斎藤重信先生が情熱をもって指導してきたからだ。そして、永遠のライバル、遠野高校がいたからだ。あの青と白の縦縞のユニホームを観ると闘争心が沸いてくる。

 今回の優勝で盛岡商は諦めないサッカーと言われたりしたが、僕らからすれば遠野こそそれを長年に渡って体現してきた。愚直なまでに走り続ける。気持ちが折れることがないのかと思うくらい絶対に諦めない姿は驚異だった。だから練習の時も、それじゃ遠野に勝てないぞと言われた。そういう意味では、非常に憎たらしかったが、あの気持ちに対しては羨望の眼差しがあった。この2年で岩手県代表(盛岡商、遠野高校)が正月の大会で12勝した。これは去年優勝した鹿児島県代表と並ぶ最多勝利数だという。

 21日レオン(メキシコ)でラファエル・オルテガがベゴニャ牧場の“ビシオナリオ”という名の牛(NO109、466キロ)をインドゥルトした。

 21日の結果。 メキシコ。エル・コンデ、ファンディ、耳なし。アルトゥロ・マシアス、耳2枚。 ボゴタ(コロンビア)。ペペ・マンリケ、場内1周が2回、耳1枚。ディナスティア、耳1枚。 レオン(メキシコ)。セサル・リンコン、耳1枚。耳2枚と尻尾要求。ラファエル・オルテガ、耳2枚、シンボルとして耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。アレハンドロ・アマジャ、耳1枚。


 1月26日(金) 曇り 12931

 試験が終わった。これだけ勉強しないで受けて受かったらおかしい。結果は五分五分だろう。昨日なんか、試験前日なのに、YouTube で検索してマドンナを観ていた。観たかった『Like A Virgin』、以前の、『Lucky Star』、と例の『Take A Bow』。あのへそはやっぱり色っぽかったしだらしなくエロを感じる所がふしだらで良い。Like A Virgin からのマドンナはどうもついて行けない!明らかにバージンじゃないのにあれじゃくどいというか、僕はダメだ。これで売れ線に乗ったのはよく判ったが、売れない頃の方が良かった。

 そして、エミリオ・ムニョスをしっかり観れた。でも、幻の左は写っていなかった。今は闘牛解説をやっているけど、セビージャ・スタイルの闘牛をやっていた。闘牛士の後期はサン・イシドロで非道い闘牛をやって観客に殴られた。そんなことをラス・ベンタス闘牛場の観客からやられたのは、クーロ・ロメロとエミリオ・ムニョスくらいだろう。どっちもセビージャの闘牛士だけど・・・。クーロ・ロメロにはドゥエンデがあり、エミリオ・ムニョスには、手の低い美しいナトゥラルがあった。作中ホテルで着替えをするシーンが出てくるが、恐らくアメリカ人が撮ったんだろうけどやっぱり色とか光の加減とかがスペインじゃなきゃ出ないだろうなぁと、思う色彩だ。このビデオのマドンナは色っぽいと言うより可愛い女だ。スペインとセビージャを感じさせるプロモーション・ビデオだ。

 それにしても、これだけ勉強しなくて受かったら本当はおかしい。でも、受かるかも知れない。それは研修で勉強した事が生かされたからだろう。

 24日サン・クリストバル(ベネズエラ)で、ルベン・ダリオが、エル・ラウレル牧場の“レオニソ”という名の牛(NO4、435キロ)をインドゥルトした。

 24日の結果。 サン・クリストバル(ベネズエラ)。エル・クアテ、場内1周。フランシスコ・マルコ、耳1枚。ルベン・ダリオ、耳1枚、シンボルとして耳2枚(牛、インドゥルト)。


 1月27日(土) 曇り

 この前、田舎にTELをした。弟にTV岩手で放送する盛岡商の全国制覇特集番組の録画を頼むためだ。親父は、岩手日報で出す特集雑誌を買って送ると言っていた。地元でしかない放送や雑誌が見れるは嬉しいことだ。


 1月29日(月) 晴れ 31472/2

 競馬はやらなかった。NHKスペシャル、『インドの衝撃』は非常に面白かった。バレンシアとカステジョンのカルテルがほぼ出来た。時間がないのでアップできないが・・・。

 25日の結果。 サン・クリストバル(ベネズエラ)。ミックス闘牛。闘牛士、フェレーラ、耳2枚と強い尻尾要求。オットー・ロドリゲス、イバン・ガルシア、耳なし。騎馬闘牛士、ダイロ・チカ、耳なし。

 26日サン・クリストバル(ベネズエラ)で、エンリケ・ポンセが、エル・プラド牧場の“エスペヒスモ”という名の牛(NO141、465キロ)をインドゥルトした。

 26日の結果。 サン・クリストバル(ベネズエラ)。ポンセ、耳2枚、シンボルとして耳2枚(牛、インドゥルト)。セサル・ヒメネス、マラビジャ耳なし。

 27日の結果。 メデジン(コロンビア)。フェレーラ、耳なし。マティアス・テヘラ、耳1枚、場内1周。エクトル・ホセ、場内1周。 サン・クリストバル(ベネズエラ)。フェスティバル闘牛。騎馬闘牛士、ホセ・ルイス・ロドリゲス、耳要求。闘牛士、アベジャン、耳なし。イバン・ガルシア、耳1枚。ハビエル・ソリス、耳なし。ラファエル・オレジャナ、耳2枚。見習い闘牛士、ファビアン・カスタニェダ、耳2枚。 サン・クリストバル(ベネズエラ)。セサル・リンコン、耳1枚。アベジャン、耳2枚。セサル・バネガス、耳なし。

 アハルビル(マドリード)。フランシスコ・マルコ、耳暗視。サンチェス・バラ、耳2枚。アンベル・ポサダ、耳1枚が2回。 ナバルカルネロ(マドリード)。フェスティバル闘牛。騎馬闘牛士、フェルミン・ボオルケス、耳なし。闘牛士、マヌエル・ベニテス“エル・コルドベス”、耳2枚。ヘスリン、フィニート、エル・カペア、フリオ・ベニテス、耳1枚。見習い闘牛士、カルベジド・コロモ、耳2枚と尻尾1つ。 ルセナ・デル・プエルト。フェスティバル闘牛。騎馬闘牛士、ダビ・バスケス、耳1枚。闘牛士、エミリオ・シルベラ、イガレス、カナレス・リベラ、耳枚。ビクトル・ハネイロ、耳2枚と尻尾1つレジェス・ラモン、耳2枚。

 28日の結果。 アハルビル(マドリード)。エンカボ、耳1枚が2回、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。右太腿に10cmの角傷を受ける。セラフィン・マリン、耳2枚。胸部に角傷を受ける非道い重傷。どうやら集中治療室に入っている模様。肋膜疾患の可能性。


 1月30日(火) 曇り 40933/2

 異常に肩が凝る。多分、腰や背中に負担がかかっているからだろう。ノートPCを打つのも嫌になる。

 28日アハルビルで大怪我をしたセラフィン・マリン。20年前のサラゴサのオルテガ・カノ、もっと前のアランフェスのパコ・カミノのケースと類意しているという。容態は安定して危険は去ったという。手術も無事終え復帰は2月24日のモラルサルサルのフェスティバル闘牛から。勿論、バレンシアの火祭りとカステジョンのフェリア・デ・マグダレナには依頼があれば出場できる。

 28日サン・クリストバル(ベネズエラ)でサルバドール・コルテスがサン・セバスティアン・デ・ラス・パルマス牧場の“ドゥドル”と言う名の牛(NO327、460キロ)をインドゥルトした。また、バジャドリード(メキシコ)でも、ソトルコがクーロ・ビエホ牧場の“プリンシペ”という名の牛(NO5、472キロ)をインドゥルトした。

 28日の結果。 メキシコ。エル・パナ、クーロ・ディアス、耳なし。アルトゥロ・マシアス、耳1枚、耳2枚。 ボゴタ(コロンビア)。セサル・リンコン、耳2枚、耳1枚。ファンディ、耳なし。アレハンドロ・タラバンテ、口笛。 バジャドリード(メキシコ)。ソトルコ、シンボルとして耳2枚(牛、インドゥルト)。ミチェル・ラグラベレ、耳1枚。 サン・クリストバル(ベネズエラ)。ポンセ、耳1枚、耳2枚。エル・ピノ、耳1枚。サルバドール・コルテス、シンボルとして耳2枚(牛、インドゥルト)。


 2月3日(土) 晴れ 30984/2

 ここの処、肩が凝るのと、仕事でのトラブル続きで日記を書く気がしない。深刻な物はなかったが、複数のトラブルがあった。トラブルはいくらあっても良い。それは改善すべき課題という物が見えてくるからである。そういう物を考えると仕事だけではなく、人間は面白いと思う。


 2月6日(火) 晴れ 39317/2

 日曜日は共同通信杯だったのに競馬をやっていない。話では訊いていたがネットで観たフサイチホウオーの走りには強さを感じた。この馬が中心になって牡馬のクラシック戦線が動いていくだろう。

 闘牛には熱狂も感動もある。サッカーには殺人がある。イタリアのセリエAは警官が殺されてリーグ戦中止になっている。レアル・マドリードが優勝すると町中は大騒ぎになって警官隊とファンが衝突を繰り返す。サッカーの嫌なところはこういう問題を抱えているところだ。

 3日の結果。 メデジン(コロンビア)。ファン・バウティスタ、イバン・ガルシア、耳なし。ルイス・ボリバル、耳1枚。 ペピノ。フェスティバル闘牛。パコ・オヘダ、耳なし。ヘスリン、耳2枚と尻尾1つ。ミゲル・マルティン、耳1枚。オルドニェス、耳1枚。アベジャン、耳2枚と尻尾1つ、エル・シド、耳2枚。 カンタウラ(ベネズエラ)。エリック・コルテス、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。マリ・パス・ベガ、ルベン・ダリオ、場内1周、耳2枚。 カンクン(メキシコ)。エル・パナ、耳2枚。フェルナンド・オチョア、耳1枚、シンボルとして耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。

 4日の結果。 メキシコ。ホルヘ・グティエレス、耳1枚。ホセ・ルイス・アンヘリノ、耳なし。マンサナレス、耳2枚、場内1周。 レオン(メキシコ)。フェルナンド・オチョア、耳1枚。フリ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。ホセ・マウリシオ、場内1周、耳1枚。 カンタウロ(ベネズエラ)。エリック・コルテス、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。マリ・パス・ベガ、セサル・バネガス、場内1周、耳2枚。 トゥルメロ(ベネズエラ)。エル・ルビ、耳1枚。オットー・ロドリゲス、フランシスコ・マルコ、耳なし。

 バルデモリージョ。ヘスリン、耳1枚。コルドベス、耳1枚、耳2枚。オルドニェス、耳1枚。 プエンテ・トシノス。ミックス闘牛。闘牛士、アルフォンソ・ロメロ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。セラニト、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。見習い闘牛士、フランシスコ・モンティエル、耳なし。


 2月7日(水) 晴れ 30306/2

 「人は何故、苦労して坂道を上るのだろう?」 「そこに違う景色があるからだろう」 「田中」

 なかなかいけてるCMだ。歯医者の帰り本屋で『グレン・ミラー物語』のDVDを探して買ってきた。早速観た。配役など『ベニー・グッドマン物語』と同じ人が複数いた。家から送られてきた盛商の県大会決勝から全国大会の全試合のDVDを観ようとしたがディスクを認識しない。おそらくファイナライズをしていないからだろう。ガッカリ。岩手日報が出した『栄光への道 盛岡商サッカー部〜全国制覇への記録〜』をこれから読むことにする。

 セサル・リンコンがメキシコでグラン・ファエナをしたようだ。


 2月10日(土) 曇り 45331/3

 ここ2日くらいTVニュースを観ていない。新聞も読んでいない。6ヶ国協議がどうなっているいるのか進捗状況が判らないのだ。セビージャの後を追うようにマドリードのカルテルも動き出した。セビージャの興行主のカノレアにしても、マドリードの興行主のタウロデルタにしても、セサル・リンコンに対して最大の尊敬の念を込めている。そういう事をやってきた偉大な闘牛士だけが得られる敬意だ。セサル・リンコンが闘牛史の中で光り輝く活躍と結果を残してきたからだ。そして、最後の年、僕はそれを観に闘牛場へ行く。

 これから国分寺へ闘牛の会に出席するために向かう。

 9日メデジン(コロンビア)のフェスティバル闘牛で、見習い闘牛士のルベン・ピナルがエルネスト・グティエレス牧場の“ティモネル”という名の若牛(NO201、415キロ)をインドゥルトした。

 5日の結果。 メキシコ。セサル・リンコン、フリ、耳2枚。イグナシオ・ガリバイ、アルトゥロ・マシアス、耳2枚。

 9日の結果。 メデジン(コロンビア)。フェスティバル闘牛。闘牛士、ディナスティア、耳1枚。ビクトル・プエルト、耳なし。ファン・バウティスタ、耳2枚。ルイス・ボリバル、耳1枚。見習い闘牛士、ルベン・ピナル、シンボルとして耳2枚(若牛、インドゥルト)、騎馬闘牛士、ファン・ラファエル・レストレポ、耳1枚。


 2月12日(月) 曇り 37338/2

 土曜日の闘牛の会は、石原さん、TAMAさん、荻内先生、カエルさん、足立さん、中田君が来た。MEGUさんが来れずにまたも、セバスティアン・カステージャのビデオを流すことが出来なかった。その日Aoyuzuは、1時間くらいで切り上げて先生の研究室に行った。死んだ石原さんの旦那さんが先生にプレゼントした闘牛の石版画を見せて貰った。これだけの物が日本にまとまってあるのは凄いことだ。全部で恐らく100枚くらいあるだろう。

 今後の闘牛の会については、どうやらみんなは受動的に考えているようだ。今後どうしたいかという意見を自分から言い出そうとはしないようだ。

 11日バルデモリージョ(マドリード)でロペス・チャベスがパブロ・マジョラル牧場の“ニグロテ”という名の牛(NO4)をインドゥルトした。

 11日の結果。 ボゴタ(コロンビア)。セサル・リンコン、耳1枚。オルドニェス、場内1周。ランセス、耳なし。 マラカイ(ベネズエラ)。エリック・コルテス、耳なし。ファンディ、耳2枚が2回。マンサナレス、耳なし。 バルデモリージョ。ロペス・チャベス、シンボルとして耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。フリオ・ペドロ・サアベドラ、口笛が2回。フェルナンド・クルス、場内1周。 アルメリア。フェスティバル闘牛。ニーニョ・デ・ラ・カペア、アパリシオ、ペピン・リリア、耳1枚。マティアス・テヘラ、カペア、トレス・ヘレス、耳2枚。


 2月13日(火) 晴れ 6643

 朝、DVDのハードディスクの整理が完了して土曜日に荻内先生から借りてきたビデオの録画を始めた。ヘレスのフラメンコ・フェスティバルの『SONEZAKI』の取材をしたフジTVの番組。そして、歯医者に行こうかと思っていたら、TELがかかってきた。試験に合格したとのこと。歯を磨いていたときのTEL。ちゃんと話せない状態。あれだけ勉強しなくても受かるもんだ。その不思議と驚きを感じた。こんなので良いわけ???『SONEZAKI』の録画が終わり、次が、1992年10月24日ラス・ベンタス闘牛場で行われたフリオ・ロブレスを讃えるフェスティバル闘牛。セットして歯医者に向かった。でも驚いた。92年のビデオ・テープなのに録画状態が良い。

 ヘレスでフラメンコ・フェスティバルが毎年行われているが、2年前か3年前に『SONEZAKI』という演目が行われてスペイン人を驚かせた。近松門左衛門作の『曽根崎心中』を、阿木耀子がプロデュースと歌詞を担当し宇崎竜童が音楽を担当。主演、振付、演出は、鍵田真由美、佐藤浩希である。2組とも夫婦である。

 土曜日の闘牛の会で先生の研究室に久々に行った。遅くなってカエルさんと先生と3人になってからヘレスでのフラメンコ・フェスティバルの話をした。『SONEZAKI』の事だ。あの日先生は現場で、『SONEZAKI』を観ていたという。衣装を担当した女性と舞台の問題点を色々話をした。そのことが後に舞台改良に繋がっていったそうだ。ヘレスでセンセーションを巻き起こして日本でも再演。主演だった2人もその意見を取り入れて今年また再演をするという。先週、先生は宇崎竜童、阿木耀子、鍵田真由美、佐藤浩希らと食事をしたという。

 この秋には東経大で12回くらい授業で、『SONEZAKI』の出来るまでとか関わった人の言葉で話して貰い最後は公演をするつもりだと言っていた。僕は、フジTVの番組ではなく、TBSの番組で知っていた。番組的にはTBSの方が良かったと思う。先生はポツリと言っていた。何とか『SONEZAKI』をアントニオ・ガデスの『カルメン』のようにフラメンコの代表的な演目にしてやりたい、と。日本では今年再演して来年マドリードのフェスティバルで公演が予定されているという。観てみたいなぁ。久々に先生の話を聞いて泣いた。


 2月15日(木) 雨 24259/2

 町中にはチョコレートが溢れている。何処へ行ってもチョコレート売り場には女性がいる。この時期に男がチョコレートを買うのは恥ずかしい気がする。14日の朝手に紙袋を持ったOLを多く見かけた。大変だよね職場で配る義理チョコは。しかし、思うのは不二家の経営者はバレンタイン・デーをどういう思いでいたんだろう。チョコレートはこの時期に1年の売り上げの1/3とも1/2の売り上げたあるというのに・・・。

 今日、パスポートの更新に行ってきた。97年に再び闘牛を観にスペインに通い出して10年。今年行ったら次はいつ行けるのだろうと思う。因みに今年は秋にも行こうと思っている。セサル・リンコン最後のラス・ベンタスを観るために。飛行機の切符を予約しようとネットで検索したりTELをしたりした。Kadoyanの誘いは断ってそんなことをしていた。後で埋め合わせをすればいいだろう。

 自殺しようとした女性を助け、自分が電車にはねられて死んだ警官。葬儀には長蛇の列が出来て予定の時間を大幅に過ぎて火葬場に行ったという。板橋警察署の同僚たちも葬儀に参加し「自らの命をなげうって他の人の命を助けた壮絶なる警察官魂を我々も見習って職務を全うしたいと思う」と弔辞を述べた。近所の住民に慕われていたという。端から見れば自殺したいのなら死なせれば良いのと思うが、職務上のことと、人間的な事もあったのかも知れない。こう言うのは、ジョーゼフ・キャンベルの言う「愛」が死んだ警官にあった。あまりにも崇高で気高い行為に胸が熱くなる。

 小川洋子『物語の役割』を最近読んだ。今読んでいるのは、齋藤孝『話し上手 聞き上手』。今日のNHKの『仕事の流儀』でも言っていたが、特徴を出すためには余計な物は省く。というような事が、今頭の中に響いている。


 2月21日(水) 晴れ 115868/6

 忙しい。そして今日、また、状況が変わってもっとしんどくなりそうだ。会社は何を考えているのか?俺は4月中旬から6月中旬までスペインに行く。それなのにその前に新規立ち上げの方に行ってリーダーをしろという。知らないよ、どうなるか。


 2月22日(木) 晴れ

 日銀が金利を引き上げた。面白いことに円安になっている。飛行機の切符は頼んだ。セビージャのホテルも予約した。スペイン語の電子辞書ももうすぐ手にはいる。

 チャンピオン・リーグも凄いことになっている。U−22は、0−0でアメリカと引き分け。決めれないというのは意識の問題だ。

 18日ボゴタ(コロンビア)で、ルイス・ボリバルがファン・ベルナルド・カイセド牧場の“マエストロ”という名の牛(NO50、522キロ)をインドゥルトした。20日メリダ(ベネズエラ)で、オットー・ロドリゲスがサン・セバスティアン・デ・ラス・パルマス牧場の“エフィンハド”という名の牛(NO308、428キロ)をインドゥルトした。

 18日の結果。 ボゴタ(コロンビア)。フリ、耳2枚。マンサナレス、耳1枚が2回。ルイス・ボリバル、シンボルとして耳2枚(牛、インドゥルト)。 メリダ(ベネズエラ)。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ラファ・ロドリゲス、耳なし。闘牛士、アントニオ・フェレーラ、耳2枚。セサル・バネガス、ランセス、耳なし。 アウトゥラン(メキシコ)。セサル・リンコン、耳なし。ホセ・ルイス・アンヘリノ、耳2観亜。アントニオ・ブリシオ、場内1周。 アルカラ・ラ・レアル。ヘスリン、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。コルドベス、耳2枚と尻尾1つ、耳2枚。ハビエル・ゴンサレス、耳2枚と尻尾1つが2回。 シウダ・ロドリゴ。ロペス・チャベス、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。ガジョ、耳1枚。 ビスタレグレ。フェスティバル闘牛。騎馬闘牛士、アンディー・カルタヘナ、耳1枚。闘牛士、エスパルタコ、ポンセ、耳2枚。ヘスリン、耳1枚。ペピン・リリア、エル・シド、耳2枚。見習い闘牛士、ミゲル・テンデロ、ミゲリン、耳1枚。 ロケタス・デ・マル。フェスティバル闘牛。闘牛士、マヌエル・ベニテス“エル・コルドベス”、耳2枚と尻尾1つ。ビクトル・メンデス、フェルミ ン・ビオケ、耳2枚。クーロ・ディアス、プラジェリト、耳なし。サルバドール・ベガ、耳2枚と尻尾1つ。見習い闘牛士、フリオ・ベニテス、耳なし。

 19日の結果。 ハロストティトゥラン(メキシコ)。セサル・リンコン、耳1枚。ソトルコ、耳2枚。エルネスト・カステジョン、耳1枚が2回。 アウトゥラン(メキシコ)。エル・コンデ、場内1周。エル・サパタ、ファンディ、耳2枚。 メリダ(ベネズエラ)。フィニート、レオナルド・ベニテス、セサル・ヒメネス、耳なし。

 20日の結果。 メリダ(ベネズエラ)。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ホセ・ルイス・ロドリゲス、場内1周。闘牛士、フリ、耳1枚が2回。オットー・ロドリゲス、シンボルとして耳2枚(牛、インドゥルト)、口笛。ペレラ、耳2枚と尻尾1つ。 


 2月25日(日) 晴れ 50302/3

 ♪看護婦さんには男はいない ないはずだよ ナイチンゲール♪ 昔、岡林信康はこう歌った。この前のNHK『仕事の流儀』は、「看護師のなかでも特に高度な医療知識と技能を持つ看護師のスペシャリスト・「専門看護師」。9つある専門分野の中で、命の危機に瀕(ひん)する患者を看るのが「クリティカルケア看護」。その第一号の一人である北村愛子」(NHK HPより)を放送した。彼女は、「ベッドサイドに全てがある」という。

 キャスターの1人、NHKアナウンサーの住吉美紀のキャスター・コラムにはこんな文章が載っている。「専門看護師の北村愛子さん。ぶっちゃけ、私の抱いていた“スーパー・ナース”のイメージと、全然違った。勝手に抱いていた、“バリバリ、キビキビ、強そうな”イメージではなく、声も体もほんと〜〜〜に細くて(!)、表情や笑顔もまるで少女のような方だ・・・。どうやって、タフな仕事に毎日向かっているのだろう。

まず、北村さんに医学と看護学の違いについて伺った。「医学は、どんどん細胞を見ていくと思います。例えば、臓器のつぶれているところ。その臓器の障害を救うために薬剤、手術方法はこれがいいというふうに、人間の中のどんどん小さなものへ、小さな細胞のレベルに向かって研究をし続けていると思います。看護は方法が逆だと、私は思っています。とても大きなものへ。体がどう障害しているのかを見ると同時に、もしかしたら、その人は入院が1週間を過ぎると、お仕事からどんどん離れていかないといけない、社会的な影響があるかもしれない、というような『人生』を見ながら、どうやってこの人が病気と向き合いながら生きていくのかということを支援していると思っています。」
医師はミクロを観る仕事で、看護師は大きくマクロに見ていく仕事・・・そんな大きな違いがあるとは!目からウロコだった。
北村さんは、医師になるということは全く考えず、迷わず看護の道を選んだと言う。自分の仕事の魅力をはっきりした言葉でつかんでいる。言葉はゆっくり穏やかだが、その意志は、明確で揺らぎがない。」

 僕が入院していたとき感じたのは、外科の看護婦はハキハキして患者にハッキリ物を言う。内科の看護婦は穏やかな物腰で優しい声で患者に接する。北村さんはどちらかというと内科の看護婦のように患者に接する。これは生死に直接関わる救命救急の部署にいるからだろう。外科の場合は手術をすればリハビリ後の退院が待っている。しかし、内科の場合は、その病気を一生付き合って生きていかなければならない場合が多いので退院後も通院加療が必要になる。完治と言うことが少ないのでハッキリ物を言ったりしないのだと思う。

 救急で運ばれてくる生死を彷徨う患者に、「大丈夫よ。きっと上手くいくからね」「一緒に元気になろうね」「頑張りましょうね」と手を握って語りかける。その声は弱々しく聞こえるが優しい。まさに天使だ!手を握るのは(患者が)落ち着くから、自分も落ち着くからという。患者の絶望的な気分が、ああいう姿で、病気に向かっていこうという気持ちを沸き起こす発火点になるのだと思う。医者からも絶対的な信頼を受けている。その理由は、高度な医療知識と経験に裏打ちされた適切な判断があるからだ。彼女の助言や意見・提案に対して医者が、「判りました、そうしましょう」という。言葉には言っていないが、北村さんがそう思うなら、そうしましょうと、言っているように聞こえる。ある医師は言う。「同等以上。僕らも学ぶことがあると言うことですね。そういう人が現れたという事です」 患者からも、医者からも信頼されるクリティカルケア看護のスペシャリスト。それでいて出しゃばらない。控え目で出来るだけ目立たないように患者のサポートに徹している姿は、北村愛子という人間の人間性の豊かさだ!

 彼女は1歳から5歳まで病気で立つことが出来なかったという幼少時代を過ごす。実は僕もそうだったが、小さい頃、病気で長期入院などをすると精神的に通常というか正常というかそういう発達はしないと思う。何処かゆがむというか違う成長の仕方をする。他の人が気にならないことが異様に気になったり、他の人が気にすることが全然気にならなかったりすることがある。彼女が看護師になったのは病気の時に優しく接してくれた看護婦に出会ったからだという。

 看護の仕事をして6歳の少女の死に出会う。何も出来ない自分。母親は、この子は今朝、気分が悪いと言っていたのに叱りつけて送り出した。この子を殺したのは私ですと、言った。しかし、その母親は白血病の弟を抱えて疲れ切っていたという。自分には何も出来ないという無力感。一時、看護の現場から離れる。そして、友人が病気で死んだ。病院に付き添い看病をしたが死んでしまった。私に出来ることをやらなければとそれから猛烈な勉強をしてクリティカルケア看護のスペシャリストとして現場復帰する。彼女は今、ノートをつけると事を日課にしている。そこには看護をしているときに湧き出てくる感情を書き写すのだという。そうすることによって自分自身を向き合うのだという。「勇気を持つこと」彼女はノートに記入する。

 「看護師は、人の人生や命と真っ向から向き合わねばならない仕事だ。北村さんは何故、人のことに向き合えているんですか。「わたしは向き合わないことをずっとしたからなんでしょう、きっと。少女の死にしても友人の死にしても、向き合わなかったのかもしれない、そのときそのとき自分が向き合うことができなかったという事実を持って、生きているので。だから、やらなきゃというか、ねばならない感覚ではないんですけれども、逃げることはできない。ちょっと言葉が飛躍しているかもしれませんが、人と向き合わないということは、『人と向き合えない自分』と生きてるということ。人と向き合うということは『人と向き合う自分』と生きてるということ。わたしは後者、そうしないと生きていきにくいんだというのがわかったんですね。」だから、北村さんは今、何を言ったらいいか分からないような、患者さんと家族のつらい状況に出くわしても、病室から出ず、まずはそこに居るということを大切にしている。
「逃げることから逃げないこと。つらい思いをしている人をどうにかしなくちゃと思って、入り込むのがとてもつらくなるんならば、『せめてそこに居て』って思いますね。」 」ーー住吉美紀のキャスター・コラムよりーー

 病院には元気がある。それはキャスターの茂木健一郎も言っていたが、僕が入院していたとき感じた感想とも一致する。それぞれの患者、それぞれの患者の家族から元気を貰うことが出来る。闘牛士が怪我で入院するときに、良い休養が出来たと思える闘牛士は復帰して活躍出来のだと思う。自分1人ではない。苦しい病気を抱えている人たちから勇気と元気を貰う事が出来るのだ。

 「生きていくと言うことを、支えることが私たちの仕事ではないかと思っています。」 「本当に人間がここまで生きることに懸命になっているというその事実を観たら、その前ではひとたまりもなく、人間は時に無力であり、時に弱くあり、でも凄く強いんだということを明らかに感じると思うんで、人間は本来凄く強いもんなんだろうなって感じさせられますね。凄い〜って思います。」 「自分と向き合って、自分がどんな人間かわかっていることですね。でなければ人に害を与えてしまうような、どんどんと入り込んでいって、私は看護をするのだから、あなた受けなさいというスタンスになってしまう。そうじゃなくて、私のできることはこういうことであると。知識とか技術とか、感性も含めて。そういったことを統合して、自分という人間の『限界』を感じることが重要だと思っています。」

 プロフェッショナルとは、と、問われて、「自分のやることを解っていて本当に責任を持って仕事をする人ですね。そして、行動に移す人です。考えてばかりいないできちんと行動に移す人です。責任を解って行動に移すと言うことですね。」という。

 北村愛子は今日も、ベッドサイドに立つ天使なる。


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