断腸亭日常日記 2009年 スペイン編

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年のスペイン滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日
5月1日〜5月14日 5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日
2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日 5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日
6月12日〜6月22日 2002年4月16日から4月30日 5月1日〜5月15日 5月16〜5月31日
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4月25日〜5月11日 5月12日〜5月25日

 5月25日(月) 曇 11303 マドリードにて

 無事にスペインのマドリードに到着。ビールを飲んでこれから明日に備えて寝るところ。下山さんとも話した。まゆみさんとも。Kさんの家に到着して子どもたちと話をして明日のAVEの切符買った。ホセ・トマスの闘牛を観に明日はコルドバに向かう。


 5月26日(火) 晴 マドリード、コルドバにて

 マドリードからコルドバへ。電車の中でパスポートを持ってきていないという問題に気づく。どうしようか考える。昔ヘレスのオスタルでは、拒否された記憶が甦る。ヘレスの時はTEL予約。今回はネット予約。もうキャンセルしてもお金は戻らない。取りあえず重い足でホテルに行った。そして、パスポートの提示を指示されバッグを探しないことを言う。コピーを持っていないが訊かれるがないのだ。クレジット・カードを持っていることと、パスポートの番号が判ることを言う。しかし、警察に提示する、パスポート作成日が判らないと困るという。そこでPCを開いて日記に書いている日付を言うと、OKが出た。本当に良いの?と、いう感じでとても嬉しい!

 その間、下山さんにどうすればいいかTELで訊いた。日本領事館にTELすればとか色々案が出た。以上のようなことがあり、取りあえずホテルに入ることが出来た。ラッキーだ。下山さんからは、「今度からパスポートは忘れないようにして下さい」と、釘を打たれた。当たり前だよなぁもう。それから昼食を取りに外に出る。その後は、セビージャから来る下山さんと合流し、マドリードから来るYさんと合流してホセ・トマスを観る事になっている。


 5月27日(水) 曇 17867 コルドバにて

 無線LANがちゃんとインストールされていないのでコルドバのホテルからはアクセスできなかった。取りあえずKさんの所でアップして問題解決のためにやらなければならないことがある。マドリードに帰ったら引っ越し。コルドバのホテルで朝食。受付に置いてあった、新聞2つの1面は共に、昨日のホセ・トマスとホセ・ルイス・モレノのプエルタ・グランデの写真が載っていた。それから、5頭目のファエナの後の場内1周の時に、サングラスをかけた女に抱きつかれて長いキスをされて体勢が崩れている写真も載っている。あれは面白いと思った。ホセ・トマスが体勢を崩すのは、牛と女というところが面白い。だって、カジェホンの中でフラメンコ・ギタリストのビセンテ・アミーゴと抱き合ったときは、体勢なんて崩れないものね。

 未だ昨日の観戦記を書いていない。タイトルすら決まっていない。昨日は、それがマドリードにパスポートを置いてきたり、Yさんの携帯が故障で通じなくなったり、非道いことになったが、下山さんが言うには、これは全てホセ・トマスの魔力のせいなのだという。ファン(アフィショナード)の心を鷲掴みにするホセ・トマス。彼は至る所で、ファンを魔力によって奇跡を起こす、教祖のようなもの。良いことも悪いこともホセ・トマスのせいなのだ。このホセ・トマス教は、今やスペイン中で増殖して外国からの信者も増やしている。この感染力は、新型豚インフルエンザよりも強く、強烈なインパクトで感染者への影響を及ぼす。アニヤの紹介で、ドイツ人の女性が初めて見たホセ・トマスが、去年のバルセロナのインドゥルト。彼女は火が点いたようにホセ・トマスに狂っているという。人生を変える闘牛。それが今、我々が観ることが出来る史上最高の闘牛士ホセ・トマスなのだ。

 闘牛が終わった後、下山さんと、アントニオ・コルバチョやホセ・トマスの話をしたが、これはまた、日を改めて書くことにする。が、1つだけ書いておくとアニヤが出版したホセ・トマスの写真集第2弾は、第1弾より200倍良いと下山さんが言っていた。マドリードに行ったら早速本屋で買おうと思う。

 26日の結果。 マドリード。ウセダ・レアル、耳なし。ファンディ、口笛。ダニエル・ルケ、耳1枚。 コルドバ。フィニート、耳なし。ホセ・トマス、耳1枚、耳2枚。モレノ、耳2枚、耳1枚。


 5月28日(木) 晴 13192 マドリードにて

 引っ越しは未だしていない。今日に持ち越した。昨日の闘牛は、非常に良い牛が沢山出た。それでもちゃんと出来ないコリーダ・ドゥーラたち。お粗末にもほどがある。あれで耳を切れないならどういう牛で耳を取るつもりなのだろう?特にセラニトの牛は2頭とも良かったのに…。イスマエル・ランチョは、牛の扱いが出来ないのに、難しい技をしようとする。決まりもしないのに、良くやるよと思っていたら、ピカドールの馬が倒されて牛を離そうとして走っていったら転んで牛の下になって踏みつけられた。その後は最後の牛で、物凄いコヒーダをされた。角が腹から入り、肋骨の内側で2,3度出入りして、肺まで入っている。心臓までいったかどうかは不明。もしいっていたら死ぬだろう。

 終わった後、喝采がおきパラ牧場の牧童が出て来て挨拶をした。素晴らしい牛を出しので観客が讃えているのである。闘牛場内の通路にあるバルの前には中継TVが放映されていて、そこに観客が群がってコヒーダ・シーンと病状を見守っていた。みんな凄い顔をして観ている。メトロの中では、男たちは厳しい表情の人が多く、女たちは饒舌だったり、無言で雑誌などを見ていた。こういう場合、男はそのことを集中して考えようで、女たちは他のことをしてまぎらわせようとしているように見えた。

 帰ってきて下山さんにTELしたが留守だった。今日の闘牛のコヒーダの話をして伝えるように頼んだ。TVをつけるとチャンピオン・リーグ決勝のバルセロナ対マンチェスター・ユナイテッド試合をやっていて、丁度メッシのゴール・シーンが観れた。そのまま、2−0でバルサが勝った。多分そうなるだろうと思っていた通りの試合だ。シャビとイニエスタの中盤は、去年のヨーロッパ選手権を制したそれ。それにエトー、アンリ、メッシのFWがいるのだから有利に決まっているのだ。ファーガソンの采配が怖かったが、それもどうすることが出来なかった。バルサのジョゼップ・グアルディオラ監督は、就任1年目でスペイン・リーグ、国王杯、チャンピオン・リーグの3つのタイトルを奪ったのだ。これは物凄い快挙だ。

 27日の結果。 マドリード。パウリタ、セラニト、耳なし。イスラエル・ランチョ、耳なし。コヒーダされて腹から入った角が、肋骨の内側と通り肺に達する角傷を受ける。重体。角が心臓に達したかどうかは不明。非常に危険な状態。 ニーム(フランス)。パディージャ、ラファエリジョ、バウティスタ、耳なし。


 5月29日(金) 晴 9565 マドリードにて

 結局引っ越しは30日くらいになりそうだ。31日コルドバに騎馬闘牛を見に行くかどうか決めかねている。切符は余裕で買える。何処でも選べる状態だ。その心配がないので、行くとすれば後はAVEの切符だけだ。闘牛は、2日続けてのコリーダ・ドゥーラの闘牛で2日続けてのコヒーダ。そして今日もコリーダ・ドゥーラの闘牛。30日も同じだ。こんな闘牛ばかりだと疲れてくる。昨日は久しぶりにビデオも撮らずにノートをずっと付けていた。観た物を書くという行為は脳に視角以外に、意識に記憶を残すことになっているようだ。

 これからシャワーを浴びてくまさんの所に行く予定。ダービーも枠順が決まった。大本命のアンライバルドはまたも8枠でしかも大外18番。調教も凄く動いているようだし多分2つ目も行けるだろう。問題は、2着。何が来るのか…。

 28日の結果。 マドリード。エンカボ、耳なし。フェルナンド・クルス、耳なし。サルバドール・コルテス、コヒーダされて左太腿に20cmの角傷を受ける軽傷。 コルドバ。モランテ、耳なし。ペレラ、耳1枚。ダニエル・ルケ、耳なし。 ニーム(フランス)。アパリシオ、耳なし。フリ、耳2枚、耳1枚。カステージャ、耳2枚が2回。


 5月30日(土) 曇 15888 マドリードにて

 昨日はくまさんの所へいって、ネットと環境を整えることが出来た。これで無線LANが使えるようになった。つまり今日の引っ越し先や、外に遠征してホテルを使用したときにネットが繋げるということ。それから、昼食をご馳走になった。日本人には、肉に醤油を付けて食べると、塩胡椒以上の味のふくらみを感じるので口にあって美味しかった。ご飯が進む昼食だった。それからKさんの家に帰ってきて、準備をして闘牛場へ行った。ホントつまらない闘牛だった。何もしないなら出てくるなよと思う闘牛。

 時差ボケも解消しつつある。飛行機に乗った後は、気圧の関係で腹の具合がおかしくなり、着いてから24時間の内に何回トイレに行ったんだろうという状態だったが、改善されてきた。迷っていたが31日コルドバに行くことにする。1日はセビージャで下山さんと落合何処かへ行くか話をするかしていたい。

 29日ニーム(フランス)で行われた闘牛で、ハビエル・コンデがガルシグランデ牧場の“ラネロ”という名の牛(No83、488キロ)をインドゥルトした。

 29日の結果。 マドリード。フラスクエロ、口笛。ラファエリジョ、バルベルデ、耳なし。 コルドバ。フィニート、耳2枚。オルドニェス、耳要求でプレシデンテに罵声。ファンディ、耳2枚。 ニーム(フランス)。ハビエル・コンデ、口笛、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。ホセ・トマス、耳2枚、耳1枚。マティアス・テヘラ、耳2枚。


 5月31日(日) 晴 8974 コルドバのホテルにて

 目覚ましを忘れてきたので、日本で使っている携帯が目覚まし代わりで、7時に起きた。昨日は闘牛を観た後、Kさんと夕食を一緒にとって帰ってきたら、腹一杯なのと、ビールの酔いで、観戦記を書かずに寝た。起きてから書こうと思っていたが、ダービーの馬券を買うのを忘れていたので、慌てて買った。コルドバについて結果を知って嬉しいビックリ。何故なら皐月賞で、原因不明の14着の完敗した横山典弘ロジユニヴァースが不良馬場で4馬身差を付けて完勝したからだ。典にダービーを取らせてやりたかったので物凄く嬉しい。

 馬券は、馬場が不良になっているのを知らず、アンライバルドから行ったので外してしまった。典から行っていれば取れたよなぁ。不良なら常識として、先に行く馬を狙うのが当たり前。だからロジから武豊のリーチザクラウンは当然買える馬券だ。これで馬連、3,760円、馬単、7,870円はおいしいよなぁ。取った奴は結構いたような気がする。メールをチェックしてないけど、清水成駿は、本命をロジに打ったのだろうか?皐月賞の時はダービー狙いの馬と指名していたからな…。

 コルドバには、11時過ぎに到着してホテルに行った。掃除をやっているいるので13時過ぎに来るように言われたので、観光をした。初めに行ったのは、Plaza de la Corredera。まあ、こんな所かと思った。そして、昼食を取りにメスキータに行ったら中に入れた。ビデオを持っていたのでバッチリ撮った。昔は、一眼レフのフィルムカメラで撮ったので、露出の具合でシャッター・スピードが1/8秒とかで三脚がなくて苦労したが、今はDVビデオ・カメラなので楽ちんに暗いところも撮れてしまうし、アップもバッチリ撮れるのだ。これは新発見の観光スタイルだ。これから一眠りして、騎馬闘牛を観る。メンドーサはニームで耳4枚と尻尾1つを取っている。馬が牛に刺された影響は微塵もない。

 30日の結果。 マドリード。ディエゴ・ウルディアレス、エル・シド、イバン・ファンディニョ、耳なし。 コルドバ。タラバンテ、耳なし。コルドベス・イホ、耳要求で場内1周。ミゲル・アンヘル・デルガド、耳要求、場内1周。 ニーム(フランス)。昼。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。闘牛士、エスパルタコ、耳要求。カジェタノ・オルドニェス、耳なし。 ニーム。フリ、バウティスタ、耳なし。ダニエル・ルケ、耳1枚が2回。


 6月1日(月) 快晴 セビージャのホテルにて

 30日の夕方引っ越しをして、片付けも早々にラス・ベンタス闘牛場へ。翌日の31日早朝にコルドバに来て、今日はセビージャへ。忙しいもんだ。セビージャに着いてからどうするかは、下山さんの都合による。昨日の夕方、TELがあり、『EL PAIS』の日曜版付録雑誌に、ホセ・トマスの記事が載っているいることを知る。ホテルの人にキオスクを訊いたら日曜日の午後はみんな閉まっているという。RENFEの駅に行けば開いているだろうというので、闘牛場に行く前に寄って買った。アニヤの写真が使われている。『LOS MISTERIOS DE JOSE TOMAS』

 どうもホテルの無線LANの接続の調子が悪い。


 6月2日(火) 曇 セビージャからマドリードへ向かうAVEにて

 昨日は、セビージャへ来たらスパゲッティという事でベティスのスパゲッティ屋に行ったら閉まっていた。仕方ないのでトゥリアナのタベルナで昼食を取る。4種類の肉とソーセージ、サラダ、ポテトが付いて13ユーロだった。でかい皿に肉が全部で500グラムくらい入っているのでとても全部は食べれなかった。TELがかかってきて復活したのでこれからヌニェス・デル・クビジョへ行こうということで、車で向かう。門の所でガナデロのアルバロ・ヌニェスに会う。中をビデオで撮影した。牛の角には特殊な樹脂を付けて角が折れないようにしているのだという。

 夜も遅くなってセビージャに戻り、家に着く。そこで手料理が待っていた。多分、舌平目の焼いたものとアスパラなど野菜を炒めたものが添えてあり、みそ汁には生シイタケが入っている。魚は醤油で食べ、ご飯をおかわりして、秋田県仙北郡で作った納豆を食べる。非常に感激した。セビージャで納豆を食べれるなんて、驚きと感動だった。食事中ディヒタル・プルスで録画した闘牛を観る。モランテのキーテ、セバスティアン・カステージャのプエルタ・グランデ。アントニオ・コルバチョのインタビュー。

 セビージャに戻るのがあまりにも遅すぎたので、子どもは犬の声で起こされてご機嫌斜め。ビールとグラナダで買ったという地白ワインを飲む。汗を流しながらの食事。お腹一杯になって車で送って貰ってホテルに戻る。1時半を過ぎていた。それから寝て、8時に起きシャワーを浴びて、サンタ・フスタへ。そこでアンダルシア風の朝食を取る。TELがありこれから来るには時間が掛かり来れないとのこと。AVEに乗ってからまゆみさんからTELあり。心配して貰った。お願い事を頼む。また、来週か再来週くらいにセビージャに来ようと思っている。

 携帯が受信だけの状態なったことをメールで知る。マドリードに戻ったら通常の状態に戻さないといけない。PCもネット接続できるか判らない。最悪はくまさんの所に通わなければいけない。


 6月3日(水) 晴 マドリードにて

 マドリードに到着した昨日、ネットに通常通り接続できて、ダービーの記事を読んでいたら、涙が出て来た。

 「<東京優駿(日本ダービー)>◇5月31日=東京◇G1◇芝2400メートル◇3歳牡牝◇出走18頭
 ノリ万歳! 関東のエース横山典弘騎手(41)が、15度目の挑戦でダービージョッキーの仲間入りを果たした。2番人気ロジユニヴァース(牡3、萩原)で3番手から抜け出し、皐月賞14着から奇跡の復活。2着は4馬身差でリーチザクラウン、2冠を狙った1番人気アンライバルドは12着に敗れた。 残り300メートル、リーチザクラウンと内ラチの1頭分のすき間をこじ開けて、ロジユニヴァースが先頭に躍り出た。ノリの目前を遮るものはなにもない。雨に煙った視線の先に見えるのは、夢にまで見たダービーのゴールだ。「頑張れ、頑張れ」。必死で右ステッキをたたき込んだ。後続は離れる一方だが、それでも必死で追い続けた。「後ろは全然分からなかった。一生懸命だったよ」。過去14度の挑戦で3度の2着。90年のメジロライアンを筆頭に、何度も悔しい思いをした。「必死だった」。最後は見えない敵を相手に追い続けた。
 夢をかなえたゴールの瞬間、派手なパフォーマンスはなかった。まず脳裏をよぎったのは、ロジへのおわびの気持ちだった。「今日は馬に感謝したい」。自分自身の会心の騎乗で勝ったレースとは違う。馬に負担をかけないことだけを考えた結果の勝利だった。「状態が戻っていないと思っていた。馬に失礼なことをした」。頑張った馬を差し置いて、自分が先に喜びに浸るわけにはいかなかった。 「競馬は何が起こるか分からない。勝つときはこんなもんだ」と真顔でいう。皐月賞前のビッグマウスから一転、この中間は貝になった。出来に自信が持てなかったからだった。「1週前追い切りでも、いいとは思わなかった」。感触を尋ねる報道陣に「ギリギリで踏みとどまっている」と控えめにコメントを伝えるだけで、当週は恒例の共同記者会見への出席も断った。
 皐月賞で苦い思いをした。単勝1・7倍で14着とファンの期待を裏切った。「弥生賞で走り方が変わったというところがあった。皐月賞で負けて、やっぱりというところがあった」。戦前から気になる部分があったが、共同会見では強気のコメントを発してしまった。「関東からクラシックを」という周囲に盛り上がりに水を差すのをためらったのだ。「あの場に出たら弱気なことは言えないよ…」。ファンや関係者の気持ちを人一倍考える男だからこその気配りが、結果的には裏目となった。
 1角付近でウイニングランを終えたノリは、外ラチに馬を寄せ、止まった。ヘルメットを脱ぎ、深々と一礼をした。11万の大観衆が歓喜の拍手で出迎えた。「今まで何度も迷惑をかけてきたし、今日は乗っている僕がダメだと思っていた。それなのに2番人気。馬にも感謝だし、お客さんにもありがとう」。天候に恵まれず入場人員は前年比89・5%。だが、勝者をたたえる声はいつも以上に大きく聞こえた。錯覚ではない。本当に大きかった。「馬とスタッフ、すべての人に感謝したい」。ダービージョッキー、横山典弘。ファンに愛される男が、頂点に立った。」 ーースポニチよりーー

 「ロジユニヴァースで優勝した横山典弘騎手(41)の長男で競馬学校2年に在学する和生君(16)も学校の研修で来場。父の勝利の瞬間を見守った。表彰式に向かう父と地下馬道で顔を合わせると、歓喜の抱擁をかわして、喜びを分かち合った。「うれしかったです。いつも見ているけど、歯がゆい面もあったので…」。恥ずかしそうに語ったが、手に握られていたレーシングプログラムは、くしゃくしゃに丸まっていた。「興奮しました」。ゴール前では相当に力が入ったに違いない。
 共同会見で子供の話題を振られたノリは「普通の親子と同じことをしただけだよ」と照れ気味に笑った。普段から子供の話になると冗舌になる。競馬学校での生活ぶりをうれしそうに話して「意外に気が強いんだよな」と笑う。その瞬間は勝負師の表情ではない。
 和生君が生でダービーを観戦したのはこの日が初めてだという。記念すべき日に、父の会心の勝利を見せることができた。「まだジョッキーにもなっていないんだから」。そう語りながらも、表情は誇らしそうだった。 」 ーースポニチよりーー

 典、本当に良かった。おめでとう!

 マドリードのいつもの部屋に着いて、買い物をしようと外に出たら、榎本さんとバッタリ会う。1年ぶりの再会。不況と新型豚インフルエンザの影響で旅行業は、大変なのだ。榎本さんは元気で仕事も忙しいのだという。それでも今までちゃんと顧客を抱えてその人たちを大事にしてきたのでこういう時期でも仕事があるのだという。くまさんの所も大丈夫らしい。立ち話で闘牛の話などして、7月8月は日本に帰るらしいので、東京でまた会えるだろう。

 今日は、昼にアナスタシアさんに会う。買っておいて貰った、『6TOROS6』を受け取る。そういえばお金を払わなかったことに今気づいた。後で払おう。最近の生活の話、アベジャンの話をする。ちょっと電話屋に付き合って貰う。それからFNACに行ってホセ・トマスの写真集を買ってくる。59.5ユーロ。ノートPCより重い。4キロくらいありそう。殆どが白黒写真だが良い表情を捉えている。それからY君の所へ荷物を取りに行く。そこで去年の10月に会った彼女とも再会する。今航空会社で働いているのだという。彼女はスペイン国籍なのか、日本国籍なのか判らない。日本語もスペイン語もペラペラ。日本で育っているから言葉も日本人的に砕けている。いや、外人的に砕けているのかも…。

 さてこれから、シャワーを浴びて闘牛場へ向かう。


 6月5日(金) 曇 マドリードにて

 カフェテラ(スペイン式コーヒー・メーカー)を買いに部屋の近くをぶらつく。TELが入っていたことに気づきTELしたが話し中。切ったらTELがかかってきた。下山さんは、無事にセビージャに着いたという。昨日は、闘牛が終わった後、とろろさん、Tbisさんと4人で韓国料理屋へ行き夕食を取る。キムチと焼き肉をたっぷり食べてお腹一杯になった。下山さんは、コルバチョから切符を貰い今年3回目のラス・ベンタス闘牛場へ来た。3回ともタラバンテは耳が取れず、今年はマドリードでは良いところがなかった。これも闘牛なのだ。

 一昨日は、闘牛が終わった後、Yさんだけが残ってちょっと立ち話をした。そこにとろろさん、Tibsさんが来て話に加わった。ホセ・トマスの話をして、Yさんは帰っていった。後は3人で飲みに行った。そこで、コルバチョやタラバンテやホセ・トマスの話をした。ホセ・トマスの切符は何処でも高い。グラナダが安いが、それでも昔じゃ考えられないような値段がついている。バルセロナの切符は部屋に帰ってきてから手配した。トレドとバダホスが未だだ。どうするか考える。ホセ・トマスを観ようと思ったらお金がかかる。Yさんは、「ホセ・トマス貧乏なの」と、嘆いていた。それでも、今見なかったらいついなくなるか判らない。5年後に闘牛やっているとは思わないとYさんは言っていた。今日のベンタスの切符もネットの記事には、ソンブラが500ユーロと出ている。信じられない値段だ。

 三木田さんからTELがあり明日の昼に会うことになった。これから昼食を取りに出掛ける。未だ、落ち着いて料理する環境にはない。日曜日辺りから作れれば良いなぁと思っている。日曜日は、海老のスパゲッティーが食べたい。


 6月6日(土) 曇 マドリードにて

 昨日の闘牛は、「オーレ」の絶叫が闘牛場にこだました。エスプラ最後のラス・ベンタス闘牛場。入場行進の後に喝采が送られて挨拶をした。1頭目から観客のカリーニョ光線を出していたが、強風で何も出来なかった。モランテなんかは最悪でムレタの時、始めから真剣を持っていて直ぐ殺そうとしていた。要するに全くやる気がないのだ。2頭ともそんな感じだったが、セバスティアン・カステージャは、初めが左右ブスカンドする牛で、しかも強風の中で牛の前に立ち続けたのは、まさに命賭け。女性の悲鳴が何度も上がっていた。あれはしびれるよなぁ。こういうところがカステージャの闘牛を象徴している。最後の牛でも良いところを見せたが、牛が弱く耳の価値があるファエナにはならなかった。

 エスプラは、この日4頭目で良い牛を引き当てた。エスプラ自体は初めは良くなかった。バンデリージャもトロ・パサードで3回とも左にしか行って打っていない。ファエナの初めもパセの後、ドタバタした感じだったが、「オーレ」の大合唱が沸き起こり、良い牛だと言うことが判り、タンダ・デ・ムレタッソも4回目くらいになると綺麗なパセを通していた。後で下山さんから訊いた話では、良い牛だと判ると首を振ってうなずいてニコッとして、それから、「オーレ」の大合唱の中で泣きながらファエナを続けたという。最後のラス・ベンタス。最後の牛。それで非常に良い牛を引き当てて感極まったのだろう。号泣しながらの闘牛だったという。

 闘牛場にいると、そういうことはよく判らないのだ。TVだとそういうのが判る。もらい泣きしたと言っていた。エスプラのことを書いておこう。本名、ルイス・フランシスコ・エスプラ・マテオ。1957年8月19日アリカンテ生まれ。アルテルナティーバが、1976年5月23日サラゴサ。パドリーノがパコ・カミノ、テスティーゴがニーニョ・デ・ラ・カペア。牛は、あのエル・コルドベス牧場だった。コンフィルマシオンは、1977年5月19日にクーロ・ロメロから受けている。そしていわゆる伝説の1日といわれる1982年6月1日ビクトリーノ・マルティン牧場の牛で3人の闘牛士がプエルタ・グランデした3人に入っている。ルイス・ミゲル、エスプラ、ホセ・ルイス・パロマール。今でもラス・ベンタス闘牛場で最高の1日の1つと語られている。

 前回のプエルタ・グランデは1999年フェリア・デ・オトーニョの10月10日ビクトリーノ・マルティン牧場の牛で、エル・カリファがコヒーダされた代役で耳2枚を切って以来10年ぶり5回目のラス・ベンタス闘牛場のプエルタ・グランデだった。トータルで、89回出場して耳を17枚切った。33年間アレナに立ってその集大成が昨日のプエルタ・グランデだったのだ。そらー泣けるよね。

 昨日今日と風が強く寒い。長袖やジャンパーやコート類を出して着ている。闘牛場でもそう。クアレンタ・デ・マジョ(5月40日)の諺通り、6月10日くらいまでは冬のように寒い日が来ることがあるのがマドリード。昼、三木田さんと会う。バルに2軒行った。初めにバンデリージャを食べる。と、いっても海老を揚げて串に刺したもの。次がクリームコロッケ。そして、カジャオ近くのレストランで定食を食べる。これが洒落ていて盛りつけはフランス料理のような感じのもの。味も美味しかった。久々にゆっくり会って話をして満足の時間。闘牛の話や他の話で盛り上がった。勿論、昨日のエスプラのプエルタ・グランデの話もした。それにしても、三木田さんとバル巡りをすると新発見をいつもする。こういうところが長けている。

 5日プラセンシアでエンリケ・ポンセが、サルドゥエンド牧場の“インベスティガドール”という名の牛(No127)をインドゥルトした。

 5日の結果。 マドリード。エスプラ、耳2枚。モランテ、罵声、口笛。カステージャ、耳なし。 プラセンシア。ファン・モラ、耳1枚。ポンセ、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)、耳2枚。ペレラ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。


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