−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年のスペイン滞在日記です。
5月13日(火) 曇で風が強く寒い 36550
盛岡に着いた。入院している病院に行って親父とお袋にあった。表情や仕草を観ていると年を取ったなぁと思う。それでも親父は、「思ったより元気だべ」と、笑って言った。午後、医者と話をして明日の手術の説明とそれに伴う同意書にサインをしたそうだ。動脈が99%詰まっている状態だという。明日の朝また病院に行って、昼は伯父さんと昼食を取り話をする。それから、手術後に会って東京へ帰る。
病院を出てお袋とサンビルを通り岩手公園を歩いた。池の所には藤の花が咲いて綺麗だった。その向こうには県立図書館があったが、今は駅裏に移転して建物だけが残っていた。中ノ橋を通り岩手銀行の赤い煉瓦観て、肴町を歩いてると携帯が鳴った。弟からで迎えに来るという。合流して盛商に行った。校内にはいると生徒たちみんなが、「こんにちは」と口々に挨拶をするのにビックリした。これは風紀委員長をやっていた斎藤先生の教育なんだろうなぁと思った。俺らの頃はそんな挨拶はしなかったもの・・・。正門の左の方に高校サッカー優勝のモニュメント出来ていた。そこには、監督の斎藤先生の名前やコーチ、選手の名前が書かれ、「夢は叶う」の文字が書かれてあった。グランドに出てサッカー部の練習を観た。相当上手い。俺らがやっていた頃に比べれば雲泥の差だ。これも斎藤先生の遺産だ。
それからアイーナの県立図書館へ行った。途中ファミマでBIGを買った。図書館は近代的なビルの中にあり広く明るかった。ウロウロして本を見ていたら、原書房から出ている『フランソワ・トリュフォー』アントワーヌ・ド・ベック、セルジュ・トゥビアナ著を、手にとって読み始めたら面白かった。トリュフォーの生い立ちや生涯を、映画と合わせて書いている。私生児として生まれた話や、養子に出された話、志願入隊した話など。こういう本は実に良い。トリュフォーにとってどれほど子供の頃の思いが生涯に影響を及ぼしたかが判る本だ。
「洋行から帰る途中で一人心に誓った。(・・・)余は余一人で行く所迄行つて、行き尽いた所で斃(たお)れるのである。それでなくては真に生活した意味が分からない。手応えない。何だか生き(て)居るのか死んでゐるのか要領を得ない。(・・・)天授の生命をある丈(だけ)利用して自己の正義と思う所に一歩でも進めねば天意を空しくする訳である。」 ーー夏目漱石の狩野亨吉宛書簡、明治39年10月23日よりーー
5月14日(水) 曇 13616
朝食を食べて一服してから病院へ。親父は手術前日でもぐっすり寝れたという。昼は伯父さんと食事をしながら話をした。2時間弱。それからまたアイーナの県立図書館へ行った。昨日の続きで、『フランソワ・トリュフォー』を読んだ。トリュフォーを看取ったのは女優ファニー・アルダンだった。『隣の女』 『日曜日が待ち遠しい』の女優。トリュフォーの最後の2作に主演した彼女が、私生活でも一緒だった。こんな事を書くとトリュフォー・ファンから色々言われそうだが、僕は個人的には、『隣の女』が最高傑作だと思っている。トリュフォーはある時に、この脚本は、半分カトリーヌ・ドヌーブの物だといったというが、それは過去の恋の経験が脚本になったからだ。本を読んでいて涙が出て来た。
それから、病院へ戻った。未だ手術室から戻っていないという。それから1時間以上待って17時過ぎに戻ってきた。動脈の狭窄は1個所ではなく、2個所あり4時間以上かかったのだという。それから医者が来て説明して、サインした。麻酔の影響なのか、造影剤の景況なのか、唇がつっぱている様な喋り方をしていた。手術が遅かったので於福が心配していたが、難しいことが起こっただけで大丈夫だと言って、心配しないように気を使った。18時前に新幹線に乗って東京へ戻った。盛岡で見た風景や新幹線の外の風景を見ながら、人間は子どもの頃の育った環境をいつまでも忘れない物だ思っていたら今日の新聞に載っていた記事を思い出した。
「大げさにいうとね、子どもの時に育った世界が、その人の世界観を決めちゃうんですね。」 ーー今日の朝日新聞、追憶の風景 養老孟司よりーー
ホセ・トマスは角傷の具合が悪いようで、23日グラナダ、28日コルドバには出場しないようだ。
12日の結果。 Vic-Fezensac(フランス)。フンディ、耳なし。セルヒオ・アギラール、場内1周、耳1枚と場内2周。フェルナンド・クルス、耳なし。
13日の結果。 マドリード。ディエゴ・ウルディアレス、耳1枚。フェルナンド・クルス、カペア、耳なし。 バジャドリード。アパリシオ、ファン・バウティスタ、耳1枚。ホセリージョ、耳1枚、耳2枚。
5月15日(木) 晴 13583
「Ni avec toi,Ni sans toi. あなたと一緒では苦しすぎる。でも、あなたなしには生きていけない」 『隣の女』のキー・ワード。完璧な恋の物語を成熟したフランソワ・トリュフォーが『隣の女』で描いた。本を読んでいてまた映画が観たくなった。
今日マドリードは、サン・イシドロの日。朝いつものように出掛けたが、行き先は研修。仕事ではない。それが終わって何処にも寄らずに家に戻ってきて、溜まっていた洗濯をして買い物などをしていたら、床屋の前を通った。そして、思い出したように床屋で散髪をした。
ホセ・トマスが、グラナダ、コルドバに出場しないということは、いきなり6月5日ラス・ベンタス闘牛場に出てくるということになる。大丈夫なのかという不安と、テンタデロをきっちりしてくるから大丈夫だろうという、両方の思いが交錯する。
14日の結果。 マドリード。エスプラ、エンカボ、耳なし。フェレーラ、耳1枚。
5月16日(金) 曇のち晴 12708
ミャンマーのサイクロンと、視線の大地震。そういう物に対して人間は無力だ。しかし、事後の対応は軍事政権のミャンマーは最悪だ。これでは暴動が起きてもおかしくないだろう。中国でさえ政府批判がインターネットを中心に起こっているという。アルヘシラスのカルテルが発表になった。ホセ・トマスは6月28日に出場する。
15日の結果。 マドリード、ファン・バウティスタ、耳なし。エル・シド、耳要求で場内1周。アレハンドロ・タラバンテ、耳なし。
5月18日(日) 曇 63468/2
昨日は兎に角、疲れて横になったら寝ていた。風呂にも入らずひたすら寝た。今日の競馬は、「武豊被害者の会」会員の俺でもウオッカで行かざるを得ない。それで負けたらしょうがないという気持ち。サン・イシドロは騎馬闘牛。メンドーサは耳1枚で、アンディー・カルタヘナが涙のプエルタ・グランデだった。
16日の結果。 マドリード。ラファエリジョ、イバン・ビセンテ、耳なし。バルベルデ、耳要求で場内1周。
5月19日(月) 曇のち雨 32726
来週の今日スペインに行くというのに、カエルさんの様にワクワク感がない。やらなければならないことが終わっていないからだ。眠い。寝不足だ。スペインに行ったらぐっすり寝たい。NHKマイル・カップもBIGもはずれた。
18日ロス・バリオスでエル・ファンディがサンティアゴ・ドメク牧場の“バレロソ”という名の牛をインドゥルトした。
18日の結果。 マドリード。エスプラ、ペピン・リリア、セラニト、耳なし。
グラナダ。ファン・バウティスタ、耳1枚が2回。ガジョ、耳1枚。ジージョ、耳1枚が2回。 エステポナ。パディージャ、耳1枚、耳2枚。バルベルデ、耳1枚。コヒーダされ左太腿に20cm、25cm、18cmの角傷を受ける重傷。ミゲル・アンヘル、耳なし。 ロス・バリオス。エル・シド、耳2枚。エル・ファンディ、耳2枚、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ。マンサナレス、耳2枚。 ベナベンテ。サンチェス・バラ、耳1枚。サルバドール・ベガ、耳1枚、耳2枚。コルドベス・イホ、耳1枚。 ルテ。カナレス・リベラ、耳2枚。ビクトル・ハネイロ、耳1枚。ホセ・オリベンシア、耳2枚、耳1枚。 ビジャロブレド。フィニート、耳1枚。オルドニェス、エウヘニオ、耳1枚が2回。
5月20日(火) 雨 8970
朝から雨。気分も憂鬱になる。毎日闘牛士たちが怪我をしている。昨日も見習い闘牛士2人が怪我をした。
5月21日(水) 晴 49160
昨日は雨が上がったら蒸し暑くなった。今日は晴。温かくなってきた。明日は、25度になるという。暑くなりそうだ。ようやくスペイン行きの準備が段々整って来た。荷物をより分けて詰め込む目途もたってきた。お土産も何にするかも頭の中にある。実際どれだけの荷物を持って行けるのか?それは詰め込んでみないと分からない。ネットで馬券も買えるようになっているし、BIGも買えるようにした。DVDは、今日から準備する。ディスクも買ってきたし、デジタルビデオテープも買ってきた。持っていく本も厳選しようと思う。
琴欧州が、朝青龍に勝って全勝を守り優勝争いの最有力になった。1敗の白鵬は足首を痛めていて今日の取り組みでは、とても優勝できそうにない。朝青龍は、2敗に後退し脱落といって良いだろう。明日は、1敗の白鵬との対戦。勝てば全勝優勝も夢ではなくなるだろう。
「トリュフォーは52歳で亡くなる直前まで三度も自伝の執筆を企て、そのため、恋人の手紙から請求書や薬の処方箋にいたるまで何でも保存し分類し、それを部門別ファイルに収めて、自分の映画会社のオフィスに保管していた。
だが、この極端な自己収集癖はナルシシズムからは遠く、子供時代の愛の欠如のせいで、常に足元から分解してしまいそうな自分という存在を、なんとか外側からの証拠でまとめ、つなぎとめようとした必死の作業に見える。
そうして結晶した人間像は弱さや苦しみを抱えこみながらも、映画への愛と仕事の力で一歩でもいいからいつも前へ進もうとする驚くほど実直な実践的精神である。そこに心からの感動を禁じえない。」
ーー朝日新聞に載った中条省平の『フランソワ・トリュフォー』の書評より抜粋ーー
帰ってきたら古本屋に、『フランソワ・トリュフォー』アントワーヌ・ド・ベック、セルジュ・トゥビアナ著、原書房を注文して読もうと思っている。
20日の結果。 マドリード。ファン・バウティスタ、セラフィン・マリン、マティアス・テヘラ、耳なし。 グラナダ。ポンセ、耳1枚、場内1周。エル・シド、耳なし。ファンディ、耳2枚尻尾1つ。
5月22日(木) 晴 6834
今日は暑くなりそうだ。サン・イシドロのアルクルセンの牛は非道かったようだ。また、雨の中で寒さに震えながら2時間以上の闘牛観戦。そういう準備もしなければ風邪をひくだろう。
21日の結果。 マドリード。ポンセ、カステージャ、モレニート・デ・アランダ、耳なし。 グラナダ。ペピン・リリア、耳1枚。アレハンドロ・タラバンテ、耳2枚。ダニエル・ルケ、耳1枚。
5月23日(金) 晴 34287
未だ、荷物を詰め込んでいない。明日仕事で、日曜日の夕方には成田に向かわなければならないというのに・・・。それでもDVDを揃え、お土産もだいたい良い線いってきた。明日、明後日で何とかして、まとめようと思う。昨日、白鵬に勝って琴欧州が今日優勝するかと期待したが、立ち会いで失敗して負け、その後、白鵬、朝青龍も負けた。明日、勝てば琴欧州が初優勝。
22日の結果。 マドリード。イバン・ビセンテ、セサル・ヒメネス、ガジョ、耳なし。 セビージャ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ディエゴ・ベントゥラ、耳2枚。闘牛士、クーロ・ディアス、サルバドール・ベガ、耳なし。オリバ・ソト、場内1周。 グラナダ。ファンディ、耳1枚、耳2枚が2回。カステージャ、耳1枚、耳2枚。
5月24日(土) 曇 7809
荷物、どうしよう。時間がない!ホセ・トマスがグラナダに出た。と、いうことは、28日コルドバに出るって事だ。観に行こう!
23日の結果。 マドリード。モランテ、耳1枚。フリ、マンサナレス、耳なし。 グラナダ。フィニート、耳1枚。ホセ・トマス、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。ダニエル・ルケ、耳2枚と強い尻尾1つ要求。
5月25日(日) 雨のち曇 37475
オークスは惨敗!訳鼻毛。これから、成田に向かう。明日の早朝スペインに発つ。
24日サンルカール・デ・バラメダで、トレストレジャ牧場の牛2頭が、エンリケ・ポンセとエル・シドによってインドゥルトされた。
24日の結果。 グラナダ。コルドベス、耳1枚ともう1枚要求で場内2周。プレシデンテに罵声。オルドニェス、耳1枚。ファンディ、耳2枚、耳1枚。 オリベンサ。フェレーラ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。ペレラ、耳2枚が2回。アレハンドロ・タラバンテ、耳2枚、耳1枚。 トレド。サルバドール・ベガ、マンサナレス、耳1枚が2回。カジェタノ・オルドニェス、耳2枚。 サンルカール・デ・バラメダ。ポンセ、耳1枚、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。エル・シド、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。カステージャ、耳2枚、耳1枚。
夜、成田に到着。ホテルの迎車バスでチェック・イン。マイクロバスに乗って前の座席には口紅が着いていた。成田近辺では、1番安いホテル。部屋は小さいが空港からは10分ちょっと。近いのと安いのが良い。朝から荷物を詰めて成田にやってきたが、忘れ物がないかチェックしてみたら、ユーロの小銭を入れた財布を忘れたくらいだ。他は、現時点では忘れ物を発見できず。DVDの録画予約を間違えていることに気づきメールで依頼した。ホテルでは、ネットが出来ないようでこれはスペインに着いてからアップすることになる。
5月26日(月) 曇 11824
無事マドリードに到着した。ソウルからは空いていて横になって寝ている人がいた。僕もたんまり寝たせいかあまり眠くない。Kさんのの家に直行してのんびりしている。話をして、ある計画を実行してそれから例のカジャオに行くことになりそうだ。子どもたちは大きくなった。元気だ。明日からサン・イシドロ。28日は、コルドバでホセ・トマスを観る。コルドバで下山さんと合流して観ることになった。コルドバには泊まることにする。ホテルがあればだが・・・。昨日、今日とサン・イシドロはコルナーダ。今日はバンデリジェーロが肛門を刺される重傷だったそうだ。
5月27日(火) 曇 8545
朝早く目が覚めて、朝食を取りKさんと話をした。どうやら計画の実行は遅くなりそうなのでカジャオではなく他の所に取りあえず待機することになりそうだ。それからアトーチャへAVEの切符を買いに行こうと思って出たら、メトロが停まっていた。仕方がないのでバスでアトーチャへ行き買おうとしたら、凄い順番待ち。しょうがないので先にサン・イシドロの切符を取りに行き、戻ってきたら直ぐに順番が来た。ラッキーだった。コルドバのオスタルも予約をしたし準備万端。これからサン・イシドロを観に行く。
昨日の夜、Kさんが日本では報道されていただろうけどと言って、2つの事件を話した。1つは、スペインの田舎町の警察署長が逮捕された。容疑は、過去20年に渡ってその町の商店などからマフィアのようにお金を徴収し私腹を肥やしていた。これには署員20名が荷担して、女を強姦したりしていた事件だ。もう1つは、スペインではないが、18歳になる実の娘を24年間地下室に監禁して太陽にも当てずに7人の子どもを生ませたという事件。当然医者にも診せることをしないので2人の子どもが死亡しそれを極秘裏に埋葬していたという。上の子供は18歳で下の子どもは6歳になるという。当然学校教育も受けていない。悲惨な出来事だ。日本では、サイクロンや大地震の報道だけでこう言う物が報道されていないようだ。少なくとも僕は知らなかった。ネットでは出ているのかも知れないが、・・・。
5月28日(水) 曇 22333
昨日は帰ってきて子どもたちにスパゲッティーを作って食べさせてPCに向かったら睡魔に襲われてそのまま寝た。だから観戦記は書けなかった。
5月30日(金) 曇 37768/2
昨日はコルドバから帰ってきて飯を口に押し込んで出掛けた。計画実行かと思ったが出来ずにそのまま闘牛場へ行った。昼寝をしていないので、闘牛から帰ってきてPCに向かいだしたら直ぐに眠くなって寝た。コルドバのことや昨日の事を書かなければならないが、早朝、MEGUさんからTELがあり、これから出掛けなければならないので、書く時間がない。
「 この世界は死んでいった可能性で満ちあふれている。
あの人と一緒になっていたら、あの時あの学校に行っていたら、あの会社に入っていたら、自分の人生はどうなっていたんだろう。そんなことを、私たちはときどき考えてみる。私たち人間は、ずいぶん自由を持っているように思っているけれども、実際に生きている人生の経路は、結果として一つしかない。この世には同時に複数の世界への枝分かれが存在するという「多世界解釈」というものもあることはあるのだけれども、とりあえず目の前の生を生きている人たちにとって、そんな抽象的な概念は関係がない。実現される人生の経路が一つである以上、他のすべての可能性は、生まれることなく、死んでいく運命にある。
この文章を書いている私は今、東京にいる。この瞬間に南アフリカの草原の中で花が咲いているのを眺めているという可能性は、私が東京にいるということで死んでいる。私たちは、毎日、ある特定の経路を通ることによって、他の無限に存在する可能性を殺している。毎朝乗る電車で今日も学校や会社に行くことによって、他のありえないかもしれない、そのすべての可能性を殺している。私たちの生のまわりには、そのようにして生まれることなく死んでいった夥(おびただ)しい可能性の屍が積み上げられている。生まれることなく死んでいった可能性たちの流す血の中を、私たちは歩いている。生きている実感とは、常にそのような可能性たちを切り捨てているという実感のことだという気がするほどだ。
私たちの意識は、一度に一つのものしか選択できないし、一度に一つのものしか認識できない。だが、私たちの無意識は、ひょっとしたら生まれることなく死んでいく夥しい可能性たちに、何処かでかすかにつながっているかもしれない。だから、人は、ときに癒やされるために無意識へと降りていかなければならない。人格の全体性を取り戻すためには、意識の明るみを離れて、無意識の暗闇の中に降りていかなければならない。
無意識は、生まれてこなかったものたちの住まう世界なのである。」 ーー『生きて死ぬ私』脳科学者・茂木健一郎よりーー
5月31日(土) 曇 14440
昼食をMEGUさんカエルさんと3人で取った。昨日はカフェに行って話をしてそれからラス・ベンタス闘牛場へ行った。30日は、ハビエル・バルベルデに代わり、ディエゴ・ウルディアレスが出場になったので2人の切符の払い戻しに行った。1日は、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサが出場せず、アントニオ・ドメクに代わったので、この日の切符も払い戻しをしようとしたが、当日でなければ出来ないということだった。2人は、アランフェスに行ってフリとファンディとカジェタノを観た。フリとファンディがプエルタ・グランデ。でも、話を訊いたら、フリのファエナは、パセの時に体の遠くを通すパンセみたいなパセでガッカリしたといっていた。だから、タラバンテの話をした。でも、ファンディを観れたのが満足だったようだ。田舎闘牛だから仕方ない。
それで、1日はベンタスにメンドーサが出ないので、3人でアランフェスに行ってカステージャを観ることにした。今年初めてのカステージャ。それと、今日はこれからビクトリーノ・マルティン牧場でフェレーラ、チャベス、エル・シド。どういう闘牛が観れるのか楽しみだ。明日の待ち合わせを決めて別れた。そして明日のダービー。ネットで購入できる。本命は、ディープスカイ、対抗は、サクセスブロッケン、単穴は、メイショウクオレア。単勝勝負で、2点の流し馬券を買うつもり。
6月1日(日) 曇 16556
朝起きて、ダービーの結果を知る。単勝勝負の考えは当たっていた。2着を予想したサクセスブロッケンは最下位で、メイショウクオレアはブービー。とんでもない馬単馬券だ。ディープスカイに乗った四位は去年のウオッカに続いてダービー連覇。おめでとう。
所で昨日の闘牛だが、エル・シドがまたグラン・ファエナをしたが、剣が決まらず耳1枚。初めの牛でも耳を取り損なっているいるのでこの日は、耳3枚出るはずが、耳1枚しか出ず、2枚損している結果になる。当然プエルタ・グランデ出来ずに笑顔がない場内1周だった。エル・シドはもうフィグラではあるが、プエルタ・グランデのチャンスを2回続けて逃すというのは、本当のフィグラにはなれない証拠だ。あのガッカリした顔で笑顔もなく力なく場内1周する姿は哀れだ。
さっきラス・ベンタス闘牛場へ行って切符の払い戻しをしてきた。昼食を取ってもう少ししたらアランフェスに向かう。カステージャを1年ぶりに観れる。非常に楽しみだ。
6月2日(月) 曇 20897
マドリードはハッキリしない天気が続いている。アランフェスの待ち合わせは1時間遅刻してきた。アイスなどをおごって貰う。闘牛はセバスティアン・カステージャが素晴らしかった。アランフェスであそこまでやれば充分するくらいのファエナ。あれ以上やって怪我をされたら3日のラス・ベンタスが観れないなるので心配したくらいだ。ポンセは、ショーマン。どうでも良い。マンサナレスは、さらにどうでも良い。カステージャのファエナが観れなかったらガッカリした闘牛になっていただろう。
帰りのバスでカエルさんと話をしていたら、途中で交通事故があり、男が2人路上にうつぶせに倒れて動いていなかった。救急車やパトカーが何台も停まって救急隊員が手当てをしていたが、おそらく即死状態だっただろう。1人の男は右足がすねの辺りの肉が出て赤くなっているのが見えた。血はほとんど出ていなかったが、骨が折れているようだったし・・・。事故を観ながら、闘牛士は常に危険を背中合わせで闘牛をやっている。そういうことが闘牛の中で表現出来ているのはこの日のセバスティアン・カステージャと、ホセ・トマスだと、思った。
今日は引っ越しをする。そうすればラス・ベンタスにも15分で行けるし町中なので色々人と会うのも出掛けやすい。BIGはキャリーオーバーが史上最高の74億円を超えたようだ。
6月3日(火) 曇 18577
昨日は引っ越しをした。部屋の掃除をしてISOさんと会って夕食を取った。インドカレーを食べた。辛くないカレー。そこで訊いた話が面白かった。日本に行ったスペイン人が帰ってきて、日本が大好きになって、日本に住みたい病に罹ったという。それはどういう事かというと、日本にはロヒコ(logico 論理的。道理にかなったこと)でないことは1つもないという。1ヶ月間住んでいて1つもなかったという。つまりどういう事かというと、列に並べば列を乱さない。スペインでは闘牛場でも判るけど、ダフ屋やそれ以外のスペイン人が平気で割り込む。それが当然の事なのだ。そういうことが日本にはない。
レストランへ行けば、カマレロ(ウエーター)が、スペインの高級店でやるような丁寧な接客をする。しかも笑顔で。僕らは、いつもそれに接しているからそれが当たり前の事のように思っているが、スペイン人は感動するらしい。ある日、10時にデパートに行って入店の時に制服を着た女性たちが、「いらっしゃいませ」といって挨拶をするのを観てそのスペイン人は、えらく感激して、「エル・コルテ・イングレス(スペインで1番有名なデパート)があんなことするか!」と、言って驚き喜んでいるという。それを訊いて笑ってしまった。確かにそうだ。そんものコルテでやるわけがないだろう。
彼は今、スーパーに買い物に行くときに、日本で、茶道のお茶を飲んだときに、着物の女性たちと撮った写真を額に入れた物をカートの前の部分にかざしてレジを通るという。人目を引いて目立つのだそうだ。それが今の彼の、日本に住みたい病を象徴することになっているようだ。
その話を訊いて、確かに日本にはそういう風にロヒコでないことは少ないと思う。レストランのウエーターの接客でも、マックの接客でも、そう思う。でも、ロボット的な感じがする。つまりマニュアルの接客なのだ。それが徹底されているのだ。しかし例えば、パリの1つ星のレストランに入ったときにワインのコルク栓を抜くのに瓶の底に小皿をおいて音も立てずに抜いた接客係に驚いて感動する。また、日本なら昔からある日本料理店での、接客には、マニュアルでは感じられない良さがある。つまり、マニュアル以上の物があるのだ。マニュアルは必要だし、それが仕事の基準になる。でも、本当の仕事とは、マニュアルの向こう側にあると、僕は考える。
そんなことを話ながらインドカレーを食べていた。トイレから戻ると、ISOさんが僕が持ってきた文庫本を見ていた。『生きて死ぬ私』茂木健一郎。これを面白そうだから帰る前に2・3日貸して欲しいというので、その場で貸すことにした。それから本の話をした。例えば、村上春樹とか読む気がしない。というと、やっぱり読む気がしないという。村上龍も同じで、底が浅いと、いう。底が浅いのも確かだが、人間的な感じがしないのだ。
日本に行ったスペイン人が、日本には、ロヒコでないことは1つもないといって感動したが、僕はスペインに、そういう物でない、人間的な物であったり、日本とは逆に不条理な部分があることに感動しているのだ。異文化と接すると、その差異に感動する。スペイン人が、日本に感動するように、日本人の僕も、スペインに感動するのだ。それと、スペイン人は個性的だと、いう言い方をする人がいるが、僕は、日本人の方が本質的には、個性的だと最近感じている。昔はそうは思わなかったのだが・・・。
6月4日(水) 晴 15708
昼にカエルさんとMEGUさんが来て昼食の準備。その後、ISOさんが来て4人で食事。美味かったし酔っぱらって寝てしまい、ラス・ベンタス闘牛場へはギリギリの時間になる。メトロの駅で寿美さんと会って、メトロの中で立ち話。寿美さん、目や他の所を悪くしているが、忙しくて病院に行っていないという。会ったとき、目が赤かったのはそういうことか。あと多分、内蔵とかも悪いのかも・・・。
今日の闘牛は闘牛どころじゃない心境になった。ビデオカメラのピントが全然合わないのだ。だから今日は撮れなかったが、こういうときに限ってモランテとカジェタノが耳1枚を取った。これから直ぐ寝る。ラス・ベンタス闘牛場に並ぶために。
6月5日(木) 曇 12552
夜中の2時半過ぎに起きて3時頃ラス・ベンタス闘牛場へ着いた。人が並んでいた。そしたら、リストがあるから書けという。名前とパスポート番号。切符は何枚売るのか訊いたら、200枚から300枚。250枚という話もあった。1人に2枚まで、もし200枚しか売らなくて、もし必ず1人が2枚買ったら廻って来ないことになる。250枚売るのであれば買えることになる、順番だった。取りあえず記入してしばらくして帰ってきた。これからまた寝て、警察が来るという8時半前にラス・ベンタス闘牛場へ向かう。それで買えなかったら、ダフ屋しかない。
列に並んでいる人たちはどうやらラス・ベンタス闘牛場の係員じゃなくて、アフィショナード(闘牛ファン)たちで、彼らがダフ屋対策で、やっている事のようだった。列に並んでいる人たちは、ダフ屋らしき人はおらず、若いアフィショナードたちが多かった。そうやって昔みたいに、ダフ屋の割り込みなどを防いでいることや、最近ラス・ベンタス闘牛場で切符を売り出すときにやる、リストを作って、名前とパスポート番号を記入しているのと、同じ事をやっているのを観たら、熱い物を感じた。こういう熱こそが、まさにアフィションなのだ。
カエルさん、MEGUさんと待ち合わせをして、8時15分頃ラス・ベンタス闘牛場へ到着。警官が10名くらい来ていて整理を始めていた。着いたら直ぐに名前を呼ばれ、パスポート番号を確認されて列に並ぶ。それから切符を買うまで2時間以上かかったがリストを警察官がチェックするので安心して並んでいれた。時々割り込みしようとするダフ屋が来て、口笛や三拍子の手拍子が鳴ることがあったが、それは余興のような物で、昔のような非道い割り込みや、イライラがない。去年のバルセロナのホセ・トマスのレアパレシオンの時のような、滅茶苦茶な混乱状態がないのは、アフィショナードたちがリストを作り警官に渡しているからだ。
タキージャが空き、ノー・アイ・ビジェテ・パラ・オイの掲示物が取り外され、切符が売られると、切符を買ったアフィショナードがガッツ・ポーズを作って喜んだり、2時から並んだのにアンダナーダしかないと、ガッカリしたりする人もいたが、おおむね切符を手に入れた喜びに満ちあふれていた。列が半分くらい進んだ時に、噂で、今日の切符は380枚発売するという情報が入ってきて、周りにいた人たちが一様に喜び合っていた。そして、タキージャ前でも警官が、再度リストでチェックして切符を手に入れて、朝食を食べ行った。
ビデオの調子もなおって、ちゃんと撮影できるだろう。疲れたが、切符を買うための努力をすれば報われるのだ。2人も凄く喜んでいた。帰りにケーキを買って貰い、コルテで、『6TOROS6』を買ってきた。表紙はホセ・トマス。Jose
Tomas llega a Madrid (マドリードに到着するホセ・トマス)。アフィショナードたちが待ち望んだホセ・トマスが今日、マドリードで観れるのだ。ソルテオが行われて(ダニエル・ルケのコンフィルマシオンのために)、ホセ・トマスは、3頭目が、コルテスの牛で、5頭目が、ビクトリアーノ・デル・リオの牛になった。
6月6日(金) 晴 19135
朝TELで起こされた。MEGUさんが、朝からTVが凄いことになってるよ。何処のチャンネルもホセ・トマスの事やってて、国中がホセ・トマスで揺れているようだよ。新聞も一面にホセ・トマスの写真が載っていて、『EL
PAIS』の写真なんて感動物だよ。
そんなこと訊かされたものだから、このまま寝ていられなくなって外に出た。キオスコに行って新聞を買った。『EL
PAIS』、『EL MUNDO』、『ABC』、『LA RAZON』。主要の4誌全てが一面にホセ・トマスのでかい写真と記事が載っている。「Ya
es leyenda」(すでに伝説) 「Jose Tomas corta cuatro orejas reaparecion
en Las Ventas」(ラス・ベンタス闘牛場の復帰戦でホセ・トマスが耳4枚切った) 「Jose
Tomas:apoteosis en Las Ventas」(ホセ・トマス:ラス・ベンタス闘牛場の崇拝(賛美、熱狂、神格化)) 「APOTEOSIS
DE JOSE TOMAS」(ホセ・トマス崇拝(賛美、熱狂、神格化))
タイトルだけ取っても闘牛の記事も凄い!『EL PAIS』が、「El triunfo de
la verdad」(本物の勝利) 「Jose Tomas sube a los cielos」(天に上がったホセ・トマス)「Una
tarde mas que perfecta,sublime」(崇高で完璧な闘牛がもう1回(15日に)観れる)。『EL
MUNDO』が、「Me rindo:Jose Tomas ha vuelto」(私を征服する:ホセ・トマスが戻ってきた。) <<Eres
un dios>> (あなたは、神です)。 『ABC』が、「Jose Tomas es el toreo」(ホセ・トマスが、闘牛)。 『LA
RAZON』が、「El regreso del heroe」(戻ってきた英雄)。そしてこんな事も書いてある。「Reventa
astronomica para 15」。つまり、15日のダフ屋値段は、天文学的になる、と。
『EL MUNDO』の、<<Eres un dios>> (あなたは、神です)の記事には、あるアフィショナードが言った言葉が書いてある。「Ya
me puedo morir tranquilo,maestro」(巨匠(ホセ・トマス)、今すぐ俺は死んでも良いよ。)と、いう言葉が載っていた。これが真実を表している気がする。昨日のホセ・トマスは、闘牛というより、1つの事件である。この大きな波紋は、スペイン中を覆い尽くすだろう。
昨日、MEGUさんとカエルさんと飲んで部屋に帰ってきて、ジャック・ダニエルを飲んだ。ボブ・ディランの、『運命のひとひねり』を何度も聴きながら。それから、ブルラデロ.コムとラス・ベンタス闘牛場のHPのビデオを観ていた。今、頭も体もボーとしている。
6月7日(土) 晴 16424
朝2人からTELがあって、部屋に来た。携帯の充電に来たのだ。ネットしたり話をしたりして、13時前に部屋を出て、『テンディド・セロ』を観に裕一君の部屋に行った。この部屋にはTVがあるが、アンテナ線が接続されていないので今観れないのだ。それから、裕一君の部屋で、コルドバとラス・ベンタスの闘牛ダイジェストを観て、昼食を食べた。昨日の昼も彼と一緒にスペイン料理のメニューを食べたが、今日も昨日とは違う店で食べた。彼は去年2ヶ月一緒に住んでいて、色んな話をしたので、気心が知れているので、落ち着くし、良い奴なのだ。
それから、部屋に帰ってきた。昨日の闘牛は、ペレラが1頭で耳2枚のプエルタ・グランデ。タラバンテが、耳1枚。エル・シドは剣がダメでなし。終わってから2人とISOさんと、4人でカレーを食べた。ペレラが、良かったと2人が言っていたが、耳2枚に値するとは思えなかったが、ビデオで観ると良い闘牛をしている。タラバンテの最後の牛は、カエルさんに言わせると、やる気がなかったと言うが、???で意味が分からない。あれだけのダメ牛で、何とか耳を切ろうと努力しているのが判らないようだ。多分、本当にダメな闘牛を観たことがないんだろうなぁと思う。
MEGUさんは、タラバンテの耳1枚が判らないという。そうかなぁ。あれは耳の価値があるファエナだった。彼は余りにも簡単に牛を扱うので、観客の目には、印象に残りにくくなるのかも知れないと思った。ISOさんもタラバンテは、あかんはあれはと言われた。ペレラの方が良く観れるのかも知れない。
それはそうと、帰りのメトロで、偶然Tさんと会った。ペレラが耳2枚といったらビックリしていた。感覚が一緒なのだ。「トレロ」コールもが出たのにも驚いていた。後のおっちゃんが、トレロはホセ・トマスだけだと言っていたのを教えてくれた。そうだよなぁと思った。そして、闘牛場に着いたときに話してくれ話を思い出した。5日ホセ・トマスがプエルタ・グランデを通ったあとに、歩いていたら、後の爺さんが、俺は今日でラス・ベンタス闘牛場の闘牛を観るのを引退する。何故なら、こんなに良い闘牛はもう観れないだろうからと、言ったそうだ。
30年以上アフィショナードとしてラス・ベンタス闘牛場に通い続けた人が、ホセ・トマスの闘牛を観て感動の大きさに発した言葉なのだ。実際そうなるかどうかは知らないが、これも、ホセ・トマスを語るときに、必要な逸話として、僕の周りでは語り続けられる話になるだろうと思った。
6月8日(日) 曇 13337
昨日の騎馬闘牛を観ていて、ディエゴ・ベントゥラと、他の2人の差は、思い切りだ。剣刺しにしても、他の演技にしても、思い切りがない。アンディー・カルタヘナは、騎馬技術も上手くなって、演技構成だってもっと、巧みに出来るはずなのに、昔のように盛り上がらない。昨日は、キエブロをやってビオリンなんて構成は1回もやらなかった。馬を変えたからなのか、と思ってしまう。10代で若さだけで、勢いだけで闘牛場を沸かせていた、熱気が今はない。
パブロ・エルモソ・デ・メンドーサが、怪我で6月1日ラス・ベンタス闘牛場に出てこなかったが、彼が果たした騎馬闘牛への影響力たるや甚大である。今は引退視した、名馬カガンチョで見せた騎馬技術は、今や、それを他の騎馬闘牛士が模倣して自分の演技に取り入れようとしている。勿論、カガンチョのように出来る馬などいないし、それらしく見えるだけで、メンドーサ自身の代わりの馬の、チャネルでさえ、カガンチョに比べれば一段か二段落ちるのだ。
だが、チャネルと組み合わせてもう1頭、カンポ・グランデ(だったと思う)は、牛の方を向いて演技する。あれは極上の騎馬技術だ。全く牛を怖がっていない。そして、昨日のベントゥラの馬にも前を向いて演技するのが1頭いて、何とそれが、前を向きながら牛に噛みついたのには、ビックリした。競馬馬でも隣の馬に噛みつく馬がいるが、そういう馬は、気の強い1流馬が多い。あの馬を観ていて、ベントゥラらしい馬だと思った。
彼が、今年、出場した全ての闘牛場でプエルタ・グランデをしている結果を考えると、観客の盛り上げ方と、思い切りの良さが結果に結びついているのだろうと思う。そして、それを支える自信。そして、馬の調教技術が上手くなったなーと思うのだ。メンドーサは、いつも観客を沸かせる技術を持っているが、いつもプエルタ・グランデ出来ないのは、何度も書くが、剣刺しが下手なのだ。彼に足りない物はそれだけなのだ。
インタビュー嫌いのホセ・トマスが、メキシコに行ったときに、「エンリケ・ポンセは、最大限の危険を避けている。」と、発言して物議をかもし出した。スペインでは、相当の批判を浴びたそうだ。ホセ・トマスファンのYさんは、あんな嫌われるような事、言わなくて良いのに。と、言っていたが、僕はホセ・トマスの発言は、ただ単に真実を述べただけだという感想を思っている。事実なのだから、それを言葉にして何が悪いのだ!でも、この事実は、今まで誰も触れなかった事だ。セサル・リンコンでさえ。勿論、セサルはこの国では、外国人なので、闘牛界での発言にはいつも慎重だ。そんな余計なことは言わない。ホセ・トマスは、スペイン人で、しかも、歴史上最高の闘牛士だ。そういうことを、ちゃんと発言するのは良いことだと思っている。
6月9日(月) 雨 13378
昨日闘牛が終わって、いつもの所で、みんなと会った。ウセダ・レアルは終わった。来年は呼んで貰えないかもという話が出ていた。アベジャンの話なんか話題にも上らないほど非道い闘牛だった。しかも、2頭目の代えた牛が良かったのに出来ない。風が吹いていることを考えない。ソルに来れば風は吹いていないのに・・・。クルサードもしないでパセを繋いでいる。剣刺しの時も、角の間に入って立っていない。何も考えていない闘牛だ。おまけに最後の牛のピカのあと、カジェホンでテンディド7の観客を口論をしていた。Tさん曰く、口で闘牛を語るんじゃなくて、闘牛士なら闘牛で語れ!ホセ・トマスみたいに!と、いっていた。その通りだと思った。昨日は、マドリード闘牛学校出身の3人の闘牛士だったが、マティアス・テヘラだけが、ちゃんとトレアールした。
終わって、MEGUさん、カエルさん、アナスタシアさん、ペドロ、マヌエルで飲みに行った。マヌエルは陽気な爺さんで、冗談ばっかりいっている。15日のホセ・トマスは観たいが、お金がないので観れないといっていた。ペドロは真面目なスペイン人で、それでも、マヌエルのような人とでも普通に話が出来るのがスペイン人らしい。アナスタシアさんは、アベジャンの牛が悪いから、今日は無理!といっていたが、それは違うでしょう!まっ、いっても判らないでしょうけど・・・。
別れて、MEGUさん、カエルさんと3人で飲み直した。そしたら雨が降ってきた。それで、今後の予定などを訊いていたら、下山さんからTELがあり、セビージャには12日〜14日に行くことになった。それから、部屋に戻ってネットでセビージャの宿を取った。しこたま飲んで酔っぱらって寝た。2人は、今日からバルセロナへ行く。それで、朝にホテルを引き払って、荷物を置きに部屋に来た。携帯の充電もして、朝食を取って雨の中、出発した。14日の夜にまた、会うことになっている。
アニベルサリオが終わって、闘牛もあと15日を残すのみ。最後にホセ・トマスを観て帰路に着くことになる。それまで、のんびりすごさそうと思う。雨が降っているので憂鬱だ。
6月11日(水) 曇時々雨 20963/2
一昨日は、外には1歩も出ずに過ごした。部屋と台所とトイレの往復だけ。それだけでも、東京にいつ時よりは歩いている。昨日は、18時からサッカーを見るためにくまさんたちと会って、飲んだ。スペインは、4-1で勝った。くまさんがトイレに行くと、スペインが1点を入れ、Aさんがトイレに行くとロシアが1点を入れた。ビジャが3点入れてハットトリック。4点目の起点もビジャだった。最初の得点が、フェルナンド・トーレスからパスから。トーレスのあだ名は、ニーニョ(少年)・トーレス。一度、ニーニョがついてしまうとこれは一生取れない。彼が50歳になってニーニョと呼ばれ続けるのだ。と、くまさんに教えて貰った。
掲示板の話や、来年のフェリアの話、ハエの話など色々して23時過ぎに部屋に帰ってきて、0時半には、仕事が終わった裕一君に話があったので、部屋まで来て貰った。通例で、この時間帯は彼の飲み時間。まず彼に見せたかったボブ・ディランのゴスペルを、黒人ゴスペル歌手たちが歌っているDVDをビールを開けながら見せた。彼の音楽的インスピレーションを刺激できれば良いのだがと思って見せたのだ。
それから、PCに入っている音楽を聴きながら、色んな話をした。ジャック・ダニエルが5時過ぎにカラになった。ほぼ1本を2人で飲んだことになる。彼の方が多く飲んでいるが、18時から5時まで11時間も飲んでいたのは新記録だ。この時飲んだのが全部で、ビールが4杯くらい、フィノが3杯くらいと、ジャック・ダニエル1/3以上は飲んでいるだろうから相当飲んだ事になる。5時過ぎに頭が少し痛くなって、それから、彼を送り出して、少ししてから寝たが、10時に起きたときは、頭は全然痛くなかった。が、腹をやられていた。これは下痢したと直ぐに判った。部屋を出るまで3回トイレに行き、M夫人の所へTELをしたらWさんがでて、今から行くことを告げた。
それから、部屋に行ってお土産を渡した。Mさんは、今日の夜に日本から帰る。明日からセビージャなので15日の闘牛が終わったら飲みましょうと伝言を頼んだ。ホセ・トマスのDVDに、2人とも興味津々。wさんは、HDDにコピーしようかなといっていた。以前のホセ・トマスと、今のホセ・トマスの違いについて立ち話。腰が曲がっているでしょう、パセの時、というと、M婦人が、そうよね、あたしは前の方が良かったと、色々説明していた。そうしたら、以前のホセリート一緒にやったビデオあると、訊くので、それはDVD4枚渡した物の中に入っているというと、三木田さんか、Tさんか、何処かにあるはずだと教えた。あと寿美さんも持っているはずと、いうと、Wさんは納得していた。
それから急いでメトロで空港へ行って、最後の両替。その前に腹が減ったので、パエジャを今回初めて食べて、戻ってきたのが、17時過ぎ。TELが入り、アナスタシアさんから。お土産を渡し、時間がないということで、30分ぐらい話して部屋に戻った。それから、ピソのパキスタン人と、ミルク・ティーをご馳走になって、スペイン語と日本語で1時間くらい話をしていた。彼は、以前日本で働いていた頃があって、マドリードでも有名な日本食料理屋2.3軒で働いていたことがあるのだという。最近は、日本人と話をしないから日本語を忘れたと、いっていた。
それから、炊いていたご飯に、おかずを作り夕飯を食べ、洗濯をしている。これが終わったら、荷物の整理もしないといけない。
6月12日(木) 晴 20979
セビージャは、暑い!マドリードは今年は天気が悪く夜は寒いが、セビージャは、夜でも30度ある。それでも例年でいう4月くらいの陽気だろう。今日の宿は、安宿で、ベランダがない部屋。こういう部屋は暑いのだ。セビージャでは良くあること。ペンションなので冷房は入っていない。扇風機があるだけ。コンセントが1つしかないので、PCを使うと暑いのだ。バッテリーだけで使って、扇風機を使った方が良い。昼寝もせずに、下山さんと一緒に話をしたり、食事したりして帰ってきたのが0時過ぎ。疲れたので寝ることにする。
6月14日(土) 晴 17785
今日もセビージャは快晴。暑い!それでも多分例年の4月くらいの陽気だろう。15日ラス・ベンタス闘牛場の闘牛中継を、ブルラデロ.コム(Burladero.com)がするという記事があった。闘牛初めてのネットだけの中継かと思ったら、これは、音声だけのつまり、ラジオ中継のような中継らしい。だから、映像は見れない。やっぱり、ホセ・トマスだからこういうに中継を聴きたい人がいるうんだろうが、それでも、映像がついてないのは、残念なことだ。
今日で、セビージャ3日目だが夕方にはマドリードに戻る。セビージャで楽しく過ごせたのも下山さんのおかげだ。コルドバでの事もあまり書いていない。そして、今回のセビージャの事もあまり書いていない。マドリードに帰っても時間がないので書けないだろう。でも、上手くいけば、帰りのAVEにコンセントがついていたら、それを繋いでPCで少しは書けるだろう。これから、準備をしてサンタ・フスタに向かう。
セビージャは、10日くらいからトラックの運転手などがストをやっていて、物資の運搬が滞っていて、ガソリンも同じで、売り切れの所が目立っていた。市場では、警官隊との衝突で死者が出て、大騒ぎだった。原因は、原油高でこれじゃやってられないと、高速道路を塞いだり、市民生活に色々と影響が出ていた。食料がなくなったところでは、営業が出来なくなっていたという。そんな中に、今回飛び込んだ形だった。だから、予定していた、ヌニェス・デル・クビジョ牧場へは、行けなかった。ガソリンを売っていないんじゃ帰って来れないからだ。
そんなことがあり、今回は、1日目は、昼食後、セバスティアン・カステージャが、1人になりたいときに行く、もう使われていない倉庫へいった。鍵がかかっていて入れなかったが、一回りして戻ってきたら、ムレタやカポーテを持った3人が倉庫に入っていった。それが誰だったのか遠くからで判らなかった。頭が大きい人間がいたのでそれは、ファン・バウティスタではないのか?と、下山さんが言っていたが・・・。確かに車のナンバーは、3台の内、1台がフランスナンバーで、1台はアウディーだったので、それなりにお金がなければ持てない車だった。多分、カステージャではないと思う。バウティスタと一緒に来ていたのなら面白かったが、そうは問屋が卸さないはずだ。
それから、カダフィ大佐が停まったという高級ホテルにいってミルク・ティーを飲んだ。プールにテントを張って泊まっていたそうで、しかも飲食の注文は一切しなかったという。何故なら、狙われているのが判っているので、毒などを警戒して、そういう物は、自分たちで作っていたらしい。ホテルの近くにはゴルフ・クラブがあり、その下には、人工の広い池が作られていて、噴水もある。泡もブクブク出ていたので魚や生き物がいるのだろうと思った。それからセビージャに帰ってきたのが、0時頃。ずっと下山さんが車を雲底していた。
昨日が、14時合流したが、ベビー・シートを作るのに手間取って昼食を4人で取って、出発したが18時過ぎだった。時間がなかったので昔連れって貰ったイタリア料理店。サラダが美味しかった。パスタはここよりも、例の所の方が美味しい。昔くまさんが、セビージャ来たらスパゲティー!と、机を叩いて唸った店。それでも、マドリードに比べて、セビージャの方が、色々と店も多いし、美味しい店が多い。食事中、1番うるさかったのが、2人の子ども。喋りたい盛りなのか、大きな声を出したり、兎に角元気。それが、1番なのだ。
それから、コルドバの方のシェアラ・ノルテへ向かった。途中の村で停まって咽を潤したが、そこで食べたプリンが美味しかった。素朴だった。それから、川の源泉を探すか、滝を探すか、おそらく、両方には行けないので、近い方の滝を探した。偶然に、見つけられて行ったが、下山さんは1人では来れないといっていた。登るのは良いが、1人では降りれない、と。川の流れは、音を聞いているだけで、気分が良くなる。物事の全てを忘れさせてくれる力を持っている。自然は、本当に不思議だ。そこまで行ったので今回は日も暮れそうなので戻ってきた。帰りに、プリンを食べた村のバルでタパを摘んだ。そこも、コスティージャ以外は美味しかった。トマトが美味しい。セビージャに着いたのは、1時半を廻っていた。下山さんは運転でヘトヘトだっただろう。
帰ってきてシャワーだけ浴びて、ビールを飲んで寝た。今日は、10時起きてネットをして風呂に入った。今回スペインに来て初めての風呂。それから、日曜日の闘牛の切符を買って欲しいという依頼が入ったので買ってきた。それから朝食をホテルのカフェテリアで取った。それで12時ちょっと前になったのでチェック・アウトして、ロビーでPCを開いて書き込み作業。HPをアップして13時前にはホテルを出た。サンタ・フスタで待ち合わせをして、昼食を取った。日本でいうバイキング方式のレストラン。サラダとピザやハンバーグなど。デザートはアイスクリームとコーヒーも飲み放題。16時前の出発なので、1時間ちょっといて駅に向かったが、ここでも子どもが大騒ぎ。みんなの注目を浴びていた。
コルドバでは、落ち合ってオスタルの駐車場へ車を停めて、昼食は、あの有名なレストランの下のバルで牛の尻尾を食べた。コルドバに来るといつもこれを食べる。今回は下山さんを連れて行った。サルモレホも美味しかった。これは、初めて食べた。ガスパチョより好き嫌いがないかも知れない。ホセ・トマスの闘牛を観たあと、バルでタパを摘んだ。闘牛が終わった後は酒が飲めるので、ビールを飲んだ。翌日の事があるので、0時近くになってセビージャに帰っていった。その後、6月5日のホセ・トマスの闘牛の後、TELでどうして、マドリードとか、バルセロナとか、セビージャだと頭がガーンとするようなショックを受けるのに、コルドバだとそういうのがないんでしょうね。と、いった。だから、良い闘牛でも、客質によってそういう違いが出るんじゃないかといった。客がよく判っていないと、闘牛自体が良くても、反応がおかしいから、ショックを受けないのだろう。
今日1つ間違えていた事に気づいた。それはネットで6月8日ボブ・ディランのコンサートがヘレスではないと書かれていたが、それが間違いで、実際にはヘレスでコンサートが開かれた様だ。おそらく、僕が使っていたHPが情報をちゃんと提供していなかったからだろうと思う。闘牛の情報でもそうだが、いい加減な所があるが、ディランの情報でもそういう間違いが出る物だということが判った。 AVEの中で、記入す。
6月15日(日) 晴 15437
セビージャから帰ってきて、MEGUさんとカエルさんは、バルセロナから戻って合流。荷造りをして、22時以降に会うことにして、ISOさんとどん底へ。店はガラガラで日本人がほとんど。弁当とビールでお腹一杯になった頃は、店内は満員で、スペイン人がヨーロッパ選手権で2-1でスエーデンに勝ったお祝いをしたあとに、飯でも食うかとドンドン来て、3,4組が待っている状態になったので、出て来た。それから2人と合流。武蔵のマスターにも久々に会った。レストランで、美味しいワインとパエジャ。お腹が一杯じゃなかったら、ガバガバ食べていたけどもう入らない。それでも、パエジャは少し食べた。本当に腹が減っているときに、食べたかった!
その店に行くまで、通り名と店名が電波の関係で良く聞こえなかった。それでも、行き当てたら、ISOさんが、斎藤さんの感は凄いわ!と、感心されたが、これは感じゃないのだ。今回は電波の関係でよく判らなかったが、直接会って話をしていても、ちゃんと説明できない人だっているとそういう人を相手にしていると、何となく判るようになるのだ。それを、感といわれても実は困るのだ。武蔵のマスターはいい人で、いつもニコニコしている。気も使うが、お金も使う人だ。飲み過ぎで2日酔い状態でも、飲んでいたが、もうそんなに飲めないといっていた。
それから、カエルさんと闘牛場へ行った。ホセ・トマスの切符を買いに。でも、0時なのに前回発売直前くらいの人が並んでいた。しかもアフィショナードがリストを作っていなかった。どうやら、並んでいる人は、ニュースなどで観たいと思って並んだ人たちで、そんな知恵は持ち合わせていないようだった。前回並んでいた人たちは誰もいないようだった。カエルさんは、これじゃ並んでいても買えないから諦めるというので、帰ってきた。
MEGUさんは、朝帰国した。帰りのメトロで睡魔に襲われた。7時前に起きているからしょうがない。取りあえずカジャオで朝食を取っていたらカエルさんからTEL。昼前に来るという。それで1時間半くらい寝て、ネットをしていたらやって来た。14時約束があったのを忘れていたと30分ぐらいで帰っていた。ネットでソルテオが出ていた。今日は、エル・プエルト・デ・サン・ロレンソ牧場で、4頭が検査を通り、あと2頭が、この前ホセ・トマスが初めの耳2枚と切ったコルテス牧場。ホセ・トマスは2頭ともエル・プエルト・デ・サン・ロレンソ牧場。個人的には、これで良かったと思った。これから禊ぎ(ミソギ)をしてあと2時間後くらいに闘牛場へ向かう。今回最後の闘牛。
6月16日(月) 晴 21198
一夜明けた。昼カエルさんが来て、スパゲッティーを作って貰って食べた。アスパラ入りスープも美味しかった。食事後に、昨日の闘牛のビデオを見せた。彼女の提案だと、ホセ・トマスの闘牛はノー・カットで全部流せば、と、いうものだった。そうしたい気持ちが大きいが、時間の関係でどうなるか、帰って編集をしてみないと判らない。コルドバだってあるのだ。昼食前の買い物をしたときに、50ユーロ借りたが、返すのを忘れたことに気づいた。大丈夫かな。
それから荷造りをして、部屋の掃除。YさんからTELがあり、
出発前で落ち着かなくなってきたので、あとは日本に帰ってからにする。
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