−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年のスペイン滞在日記です。
10月23日(火) 晴 30664/2
菊花賞は、アサクサキングスが勝ち、2着にアルナスライン、3着がロックドゥカンブ。これでも馬券は当たった。いわいる縦目である。本来なら、◎から○▲注△へ流せば終わりである。しかし、今回は○▲注の3点も買ったのには理由がある。4戦4勝のロックドゥカンブだが、経験の少なさから勝ち切れないときがあるのではないかと思った。その場合、何が有力か?そういう疑問も予想の中に入っているので、ダービー2着のアサクサキングスと、古馬に混じって京都大賞典3着のアルナスラインがまず頭に浮かんだ。アサクサは、前走に1番良いレースをしていた。負けたのは、ドリームジャーニーの切れに負けただけで悲観する事はないと思っていた。ドリームは、折り合い面で不安があるうえ、最後の切れだけで菊花賞は勝てないような気がしていた。それよりもヴィクトリーの方が良さそうだが、こちらは、出遅れと気性面に不安を抱えている。ホクトスルタンも考えたが、調教や血統だけで菊花賞を勝てるなら、他の馬が勝ってもおかしくない。横山典弘が乗るのは良いが、前走の負けは現時点での決定的な能力の差なのではないかと感じたのだ。
他の馬も、検討して切ったのは、前走が結果が出ていないから切った馬もいる。サンツェッペリンもその1頭。いくら体が出来ていなかった言っても前走9着は負けすぎだ。これで菊花賞を勝とうなんて無理だと思う。その為に過去10年のデータというものがあるわけだ。高配当が得られるからといって、穴馬ばかりを狙ってもしょうがない。来るであろう馬を探す為の理屈、理論が必要なのだ。
そういう意味では、今回は上手く行った。これからは、実績馬を如何に切り、来そうな馬を如何にして買い目に入れるかを、馬券の買い方の中心にして考えていこうと思う。当たり前のことだが広く馬柱を見て取り扱いを見極めないといけない。こういうイメージが必要だ。勝ったアサクサキングスは、JCから有馬記念へ向かうという。しかし、どうだろう?好走は期待できないような気がする。
遅くなったが、先週の『プロフェッショナル 仕事の流儀』 は、荒瀬克己・京都市立堀川高校の校長先生だった。日本国内だけでなく、海外からも視察が絶えない学校改革の旗手。 「2001年に6人だった国公立大学現役合格者が、2007年には20倍以上のの132人に急増。今年は7人に1人が京都大学に合格した。名門私立大学への合格者も多数。その躍進ぶりは、「公立高校の奇跡」と呼ばれる。その堀川高校は特別な受験対策が行われているわけではない。」
国語教師から教育委員会へ。再び堀川高校教頭へ。
「堀川高校では、受験のための特別な授業はない。使っている教科書も一般的な物だ。荒瀬たちの学校改革は生徒誰もが持ている1つの気持ちを中心に据えている。「知りたい」荒瀬たちは9年前、生徒が知りたいと思ったことを徹底的に勉強できる探求科という科を新設した。現在1学年に普通科2クラス、探求科4クラス。探求科は、週2コマ、探求基礎という独自の授業を受ける。生徒自らテーマを決め、大学のように独自の研究を行う授業だ。研究内容は理系文系問わずユニークだ。どんなテーマを選ぶのか、どんな調査や実験を行うのか、全て生徒自身が自分で決める。教師は教えるのではなく、あくまでもサポート役だ。探求科は受験勉強が目的ではない。しかし、その授業は生徒の心にある変化をもたらすという。
2年生の町出民敬さん。研究テーマは、湖や沼に含まれるリンの測定器の開発だ。「水質汚染とかそういうところに貢献できると思います」研究にのめり込んだ町出さん、卒業後も研究を続けたいと実験設備が整う京都大学を目指すようになった。専門以外の英語や国語も熱心に勉強するようになったという。「前みたいに、この勉強しなあかんではなく。義務感はなくなったし、何か色んな事を一生懸命やっている時が勉強も一生懸命頑張れる時かなぁ」 」
「堀川高校の学校改革の目玉は、「探究基礎」という独自の授業。生徒自らテーマを決め、大学のような専門的な研究を行う授業だ。そこでは、生徒が「知りたい」と思ったことを徹底的に勉強できる環境が整っている。探究基礎は、受験勉強が目的ではない。しかし、その授業は生徒の心に、ある変化をもたらすと荒瀬は言う。
「『知る』喜びを実感できれば、生徒はひとりでに学び出す。もっと専門的に勉強したいと思うと、大学へも何となく行きたいではなく、こういう勉強したいから行きたいと気持ちを後押しする。その結果、ほかの教科の勉強に力が入るようになる」 」 ーーNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』 HPよりーー
「荒瀬は校内を歩きぼんやり観る。「渦中にはいるとね、もう見えなくなるというのがあるでしょう。リーダーは渦中に入ってはいけない」全国から注目される堀川の改革。とかく大学合格実績が話題にされるが、荒瀬たちはそのことに必ずしも重きを置かない。大切なのは生徒の将来。それは改革前から一貫している。」
受験を控えて3年生が不安を抱えて担任への相談で、ボロボロ泣くと言う。放っておくと不安定な心は、自分一人で抱え込んでしまう危険がある。夏休み前の受験ガイダンス。担当の教師は、夏休みは苦手科目克服の最後のチャンスと檄を飛ばす。そこに現れた荒瀬。そういうとき、1つの流儀に従う。「直球で勝負する」
「おはようございます。えっと、あのー。3年になって、えっー、具体的に卒業に向けた話が一杯出てくるでしょう。勉強しようと始めたら、実際にやらなきゃ行けないことが山のようにあるのが判るでしょう。山のようにあるんですよ。やればやるほど道が険しくなって行くですよ。 (校長荒瀬。生徒の心のど真ん中に、言葉の直球を投げ込む) しんどい時は、しんどいでいいねん。泣きたがる時は、泣きたがったらええねん。あんまり語られないけれども、これまで多くの君たちの先輩たちは、ワンワン泣いて来たんです。泣きたくなるんです。 (伝えたいのは、君たちは一人ではないというメッセージだ) 頭来たりとか、グッと傷ついたりそんなこと一杯あると思うねん。でも仲間はいますから。その仲間と共に、あるいは先輩と共に、あるいは先生と、あるいは家の人と、色々なやり取りをしながら、けど、自分の足で歩みを進めて行くというねっ・・・。 (突然、こんなん出来る?と言い、指笛でアメージング・グレースを吹き始めた) 」
「荒瀬が教育者としてもっと大事にしている気構えがある。やるべき時に、やるべき場所にいて、やるべき事をする。言うべき時に、言うべき場所にいて、言うべき事を言う。それが出来れば良いんですけどね。なかなか難しいです。 口笛を聴いた生徒たち。ある男子生徒笑顔で「とっても、心にグッと来ました」 ある女子生徒笑顔で「えっ、何か癒やされました」 思春期の真っ只中にある生徒たち。教師に出来ることは、全身全霊で向き合うことだけだ。」
荒瀬「例えば模擬試験を受けてうちの生徒たちは、いわゆる偏差値が高いかどうかというと、必ずしも高くない。でも、最後の最後に何とかなく受かるのは、やっぱり、これ、やりたいからここ行きたいという思いがあるから・・・。と、同時にじゃ学力つかないのかというと、そうじゃなくって、そのやりたいことをする為には広くしないと行けないと言うことが次第に判ってきますから、色んな勉強をやっているので、結果的にはついてくる。しかもそこに、気持ちが入っている。そういうことだと思いますね。」
茂木健一郎「脳科学をやっている立場からいえば、勿論、学力だけではなく、総合的な力を養うことが大事だと、みんな研究者が思っていることなんですね。総合的な学習か、あるいは、基礎学力重視のいわゆるドリル的な物かという論争があったじゃないですか。僕はある意味ではその堀川の探求科の成功でその論争の意味がなくなったと思うんです。つまりその、基礎学力は勿論大事だけど、これからの時代、総合的に探求していく学力は大事に決まっているじゃないですか。これが相容れない物のように言われてきたんですが、相容れるんですね。実はもうちょっと言うと1つの物なんですよね。」
荒瀬「そうですね。逆に基礎学力がなければ、探求なんて出来ないですよね。探求やればやるほど基礎学力がもっと広がりを求められますよね。だから、一体の物なんですよね。」
茂木「改革を進められる中で荒瀬さんが心がけていたことはありますか?」
荒瀬「今までの物は全て良くなかったのかというと、決してそれはそんなことはない。なんか改革なんて言うと、今まであった物は全部ダメで、それをつぶしてしまって新しい物をそこに打ち立てるというようなイメージがとても強いですけども、本当はそれはきっと間違っていると思うんですね。今まであった物の中に、ある良さは必ずあるわけで、その良さをより良くする為に、新しい物を入れなければいけない。っていうことがこの時代の変化に応じた改革だと思うんです。
茂木「あの堀川は今、改革が成功して、例えば京都大学を始めとして現役で受かる子がいると。浪人しても自分の思うような所に行けない子もいますよね。そういう子供たちのことはどう思われますか?」
荒瀬「受からなかった生徒が、受からなかったからダメなわけではないですよね。で、チャレンジしますよね。再チャレンジする。でもまたダメだ。その時にその子が、じゃどうしていくのかと言うことを、自分で、何らかの、いわば決断をして、考えていったら良いなと思いますね。大体みんな、どっかでぶつかりますね。そのぶつかったときに、その後、どうするのか。もう1度ぶつかりに行くのか、それともそれ避けていくのか、あるいは別の方法を考えるのか、その時に本当に自分で考えられる人になって欲しいですね。」 ーーNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』 よりーー
時間がなくなったので続きは後で。
10月25日(木) 晴 34022/2
昨日の夜、NHKの2本の番組を観た。『SONGS 中村中』と 『NHKスペシャル「100年の難問はなぜ解けたのか〜天才数学者 失踪の謎〜」』。中村中は、非常に不思議な感性を持っている。むしろ、感性だけが突出していると言っていいだろう。声はまあまあだが、歌詞が曲に載ってその声で歌われるときに、不思議な気分になる。「抱けばつまらない体だけどさ 逃げたりしない」と言う『裸電球』の歌詞は何か引っかかる。後でネットで調べたら、性同一性障害で性別で言えば男だが、外見は女。不思議な声は、その為なのだ。時々感じる裏声的な歌い声や唇は男を感じる部分がある。HP『恋愛中毒』。こういうタイトルは趣味じゃないが。
『NHKスペシャル「100年の難問はなぜ解けたのか〜天才数学者 失踪の謎〜」』は、数学の世紀の難問「ポアンカレ予想」を証明したのはロシアの天才数学者、グリゴリ・ペレリマン博士が数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞や賞金の受け取りも拒否し、謎の失踪を続ける。世紀の難問が持つ魔力とその難問と数学者たちの100年に渡る戦いを描いている。孤独になることによって、初めて「世紀の難問」を解いたグリゴリ・ペレリマン博士。研究生活に入った頃は、明るく人なつっこい性格が、「世紀の難問」解きの研究生活に没頭すると部屋に閉じこもり人との接触を断って証明する。全く人が変わってしまった博士を、恩師が訪ねるが会うことを拒否する。そこまで、根を詰めて研究していたと言うことと、そうまでしなければ証明は出来なかったのだろうとも思ったが、非常に辛いことだ。証明した後、目標がなくなったからだろうけど・・・。最後は、親しい友人にやりたいことが出来た。未だ、言うことは出来ないけどと連絡があったそうだ。それが、数学なのか、全く違う物なのかは不明とのこと。
思うことがあって、調べていたら、山田風太郎の新刊が出ていることに気付いて3冊注文した。『わが推理小説零年―山田風太郎エッセイ集成』 『昭和前期の青春―山田風太郎エッセイ集成』(両方とも、筑摩書房から日下三蔵編集の模様) 『幻妖
山田風太郎全仕事』(一迅社。こっちはあまり期待できなさそうだけど・・・)
10月26日(金) 雨 4910
朝から雨が降っている。この雨が日曜日まで続く予報。天皇賞は枠順が発表された。未だちゃんと観ていない。予想のコンセプトは、4歳5歳馬の戦い。6歳以上はデータから言えば不要である。アドマイヤムーン、メイショウサムソン、チョウサン、マツリダゴッホなどが有力になってくるだろう。6歳のダイワメジャー、ポップロック、デルタブルース、コスモバルク、カンパニーは厳しいだろう。未だ時間があるので検討を重ね、当日はパドックで馬を観てから馬券を買う。
ミャンマー軍事政権が、アウン・サン・スーチーさんと交渉したと発表した。
南米でのカルテルがいくつか発表になっているが、書いている時間がない。
10月29日(月) 晴 50235/3
昨日東京競馬場へ行ってきた。あらかじめ予想してパドックを観て馬券を買った。発汗している馬が多かった。チョウサンやアグネスアークは、後ろっぱねして常識からは馬券の対象外。カンパニーは、発汗してうるさかったのでこれも対象外。と絞っていくと、尾を振って後ろを気にしていたが、メイショウサムソンと周回の後半首を振っていたが、割と落ち着いていたアドマイヤムーン。気が入っていたマツリダゴッホを買った。しかし、レースは、最後の直線でエイシンデビュティが斜行して、他馬の進路を妨害してアドマイヤムーンやダイワメジャーなど追い込みが利かなかった。
結果、メイショウサムソンが優勝。武豊天皇賞10勝目。2着がアグネスアーク、3着カンパニーだった。こんな結果があるか?競馬は生き物。アクシデントで馬券が外れたが、こう言うこともあるのが、競馬だ。知り合いで、アドマイヤムーンが3着以内に来たら競馬を辞めると言っていた奴がいる。着外になったので競馬を続けられる。
自信があった10レースは欲張って、3連単で勝負したら、1・2着を当てたが3着が来なくて外れ。馬単にしときゃよかった!こんなもんだよな、競馬は。
10月30日(火) 曇 40131
カージナルスが4連勝で、ワールド・シリーズに優勝した。これで、1億ドルで獲得した松坂への批判は少しは弱くなるだろう。4連勝と言っても、綱渡り的な勝利が続いた。勝つときと言うのは、得てしてこう言う物だ。一方、日本シリーズは、案の定、中日が今日勝って2勝1敗になった。2戦目で中日が勝った時点で、日本ハムは、2戦で6安打の貧打じゃこのシリーズは苦戦だなぁと思った通りだ。どっちが勝っても良いのだが、流れは中日に行っているようだ。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』を観た。人は多様だ。個々の脳も多様でそれを認めなければと、言っていた。この番組に出てくる人たちの多くは、必ず何処かの時点で挫折した人たちだ。その人たちが挫折を乗り越え、活躍を始める。その転機がその後の活躍の原点になっていることが多い。人生の形は、こう言うところにあるのかも知れないと思った。
10月31日(水) 雨 5176
「韓国の柳明桓(ユ・ミョンファン)駐日大使は30日、外務省に高村外相を訪ね、韓国政府が1973年の「金大中(キム・デジュン)氏拉致事件」を韓国中央情報部(KCIA、当時)の組織的犯行と断定したことを受け、「遺憾の意」を表明した。 また、「こういう事件は2度とあってはならない」とする同国政府の意向を伝えた。 外相は「『遺憾の意』は陳謝と再発防止の確約と受け取る」と述べ、日本政府として今後、事件を外交問題として取り上げることはないとの考えを伝えた。 ただ、日本の警察による事件の捜査継続に関しては「捜査をどうするかは捜査当局の判断だ」として、今回の外交決着と切り離す立場を示した。
立命館大名誉博士号贈呈式のため来日中の金大中・前韓国大統領は30日、京都市内で記者会見し、「金大中氏拉致事件」を韓国中央情報部の組織的犯行と断定した韓国政府の報告書について、「朴正煕・元大統領の死亡(1979年)後、事件を実行した中央情報部の部長が訪ねてきて、『朴大統領から指示を受けた』と話した」と明らかにした。 金氏は「日本は主権を侵害され、私を保護すべき義務を放棄した」と日本政府の対応を批判するとともに、報告書の内容への不満を示した。24日の報告書公表後、金氏が公の場で報告書に言及したのは初めて。 また、日本の警察当局の事情聴取要請を断ったことを明らかにした上で、「日本側が本当に進展させる気があるなら、いつでも、どこでも、証人として日本の警察を支援する」と述べた。」 ーー讀賣新聞よりーー
この問題は金大中が言うように、日本の主権に関わる本質的な問題だ。これを放置していた自民党は、負の遺産を抱えている。真相の解明をしなければならない。
「 「日本政府は韓国政府が否定したのを口実に政治決着し、日本国民をだました」などと日本政府を非難した。安秉旭(アンビョンウク)委員長は、日本政府が主権侵害に対する公式謝罪や関係者の調書提出を求める動きを見せていることに対し「日本政府は韓国政府が関与したと知っていた。事実から再び逃げようとする態度は納得できない」と批判した。報告書の根拠となった調書などの提出については「韓国政府の判断」としながらも、「日本の再調査は韓国の資料を見なくても十分なはず」と日本側の内部資料で再検証することが先決との見方を示した。 安委員長は会見で、日本への謝罪について「外交問題にすべきではない」と慎重な姿勢を強調した。」 ーー毎日新聞よりーー
警察の捜査方法というのは、こういう外交問題になるような物でさえ、旧態依然のままというのは、時代遅れも良いところだ。これで本当に、民事や刑事事件の捜査がちゃんと行われているのか疑問に思うのは素直なことだと思う。非道い物だ。
ホセリートとエンリケ・マルティン・アランスは、セサル・ヒメネスとのアポデラードの契約を打ち切った。
11月1日(木) 曇のち雨 24231
注文した本が未だ届いていなくて、用意もしていなかったので本屋へ行って本を物色。面白そうだと思った本が2冊、目に入った。それを買って読み始めた。『フューチャリスト宣言』 梅田望夫/茂木健一郎対談(ちくま新書) と 『となりのクレーマー』 関根眞一著(中央公論新社)
梅田望夫は、94年からアメリカ、シリコンバレーに在住しIT企業ミューズ・アソシエイツを創業。著書に、『ウェブ進化論』などある。その梅田望夫と、脳科学者、茂木健一郎の対談は、非常に刺激的だ。ウズウズして何かしなくてはと、思ってしまう本だ。一方、関根眞一の、『となりのクレーマー』 は、西武百貨店のお客様相談室で、クレーム対応をしてきた人で、事例を基にクレーム対応事案を語っている。話を訊きお詫びをして、出来ることは出来る、出来ないことは出来ないと対応しているが、本当にしんどい仕事だ。仕事の中で最もハードな仕事が、クレーム対応。呆れるクレームは普段から慣れているが、客観的に観て異常な顧客ばかりだ。まともじゃない!が、対応をするこちらは、いついかなる時も、まともに対応しなければ足元をすくわれる。それがクレームというものだ。
日本シリーズは、中日が勝ち日本一になった。ダルビッシュは2試合連続で二桁三振の力投だったが、中日の山井が8回までパーフェクト・ピッチングで9回から岩瀬がリリーフして1-0で逃げ切った。でも、何故、山井を代えたのだろう?
11月2日(金) 曇 7549
「国の中央防災会議の「東南海、南海地震等に関する専門調査会」(座長、土岐憲三・立命館大教授)は1日、中部・近畿圏で発生が懸念される直下型地震の被害想定を公表した。大阪府の中心部が激しい揺れに襲われた場合、死者は最悪で約4万2000人、全壊の建物は約97万棟に達した。首都直下地震を含めこれまで国が想定した地震被害の中で、最大の被害を見込んでいる。
名古屋や神戸、大阪など大都市圏の直下にある活断層を震源とするものなど中部圏五つ、近畿圏八つの地震について、発生する季節や時間の条件を変えて被害を想定。このうち大阪市を含む大阪府中心部の上町(うえまち)断層帯の地震は、マグニチュード(M)7.6の規模で、死者約4万2000人(発生設定は冬の午前5時)、建物全壊約97万棟(冬の正午)となる。
中部圏最大の被害は、名古屋市を含む愛知県西部の猿投(さなげ)−高浜断層帯で死者約1万1000人(冬の午前5時)、建物全壊約30万棟(冬の正午)と推定される。
同会議が首都直下地震で推定した死者は約1万3000人、建物全壊は約85万人。中部・近畿圏は、地盤が軟弱で古い木造住宅が密集していることから、揺れによる被害が広範囲に及ぶとして、想定被害が大きくなった。調査会はこの結果を基に、防災から復興までの総合的な対策大綱を、来年度をめどに策定する。」 ーー毎日新聞よりーー
中央防災会議の被害想定は、大阪が約4万2千人と出たが、東京にしろ死者の被害想定は少なすぎるのではないかと思う。いずれにしろ、大震災が起きたら、壊滅的な被害になるだろうと思う。想定を遙かに超える現実に直面するだろう。『高層難民』渡辺実著などを読むと、凄いことになるだろうと言うことが判る。東京でライフラインの復旧は、電気で、3週間以上。水道で、55日。ガスで、2ヶ月以上。と言うことらしい。
日本シリーズで、山井から岩瀬に交代した落合采配に批判が上がっている。でも、TVのインタビューで山井がマメをつぶし、自分から交代を申し出たと言うことだ。意外とこういう風に身体的な状況で交代という当たり前の判断だった様だ。
11月3日(土) 曇のち晴 30644
NHK土曜ドラマ、『ジャッジ』を観ているとグッと来る。架空の島、大美島支部裁判官に赴任した家族と支部、弁護士、加害者、被害者の事を描いている真面目なシナリオで、非常にシリアスな話だが、その中で西島秀俊の悩んで苦しんでいる顔もあるが、やっぱり笑顔が救われる。戸田菜穂の語りも笑顔もまた良い。脇を固める、的場浩司、市川実和子、寺田農、浅野温子は、それぞれの回で味がある役柄をこなしている。人の温かさを感じる。そして、エンディングで流れる、中浩介の『路の途中』も浸みてくる。
注文していた、山田風太郎の本が届いた。これから読もうと思う。明日は、競馬はせずに、部屋の片付けをして、本を読んで過ごそうと思う。
11月4日(日) 晴 6576
ディランと風太郎と闘牛。闘牛のDVDを観た後、洗濯をして、ディランを聴きながら風太郎を読む。『幻妖 山田風太郎全仕事』をつらつら読む。風太郎から作品の全影響を受けたという菊池秀行のインタビューを読む。愛を感じる。オリジナリティーというのが、人が書かない時代を取り上げることから始まり、その書き方まで語っている。
初めて風太郎を読んだのは、上野昂志さんの授業で取り上げるので、『警視庁草紙』を読んでくるように言われたからだ。こんな小説があるのかビックリした。それから、いわゆる明治物を読みあさった。『明治十手架』は、感動した。『神曲崩壊』は凄いと思った。そのうち、室町物が刊行され始め、『室町お伽草子』を非常に楽しく読み、『人間臨終図卷』にも衝撃を受ける。それから、刊行されていた、『妖異 金瓶梅』に驚き、『おんな牢秘抄』を面白く読んだ。それからようやく、忍法帖シリーズを読み始める。そしたら、止まらなくなった。あの衝撃で、なるほど一世を風靡したことが理解できた。
それまでの明治物も、室町物も凄い!でも、忍法帖はエンターテイメントの凄さがあった。読みあさった物だ。そして、『戦中派不戦日記』。昭和20年、1年間を克明に記述しているこの日記は、後世に残る日記になるだろうと確信できた。『八犬傳』『芍薬屋夫人』『魔群の通過』も凄すぎ!『同日同刻』にもこんな書き方があるのかと思った。風太郎がE評価した『御用侠』ですらワクワクした。風太郎が死んで、後には何百冊の本が残った。いずれも名作揃いである。
こんな本を読んでいると山田風太郎の10冊を言うのを考えてしまう。『甲賀忍法帖』 『魔界転生』 『伊賀忍法帖』 『銀河忍法帖』 『警視庁草紙』 『エドの舞踏会』 『人間臨終図卷』 『妖異 金瓶梅』 『八犬傳』 『戦中派不戦日記』 と言うことになるのかなぁ?
考えたらきりがない。忍法帖シリーズ長編の10冊なら、上記4冊の他に、『忍びの卍』 『忍者月影抄』 『外道忍法帖』 『風来忍法帖』 『柳生忍法帖』 『くノ一忍法帖』
明治物は、どれも面白い。『地の果ての獄』は暗い話なので読むのが辛いかも知れないが、長編、短編いずれも秀作、傑作が揃っている。男ならエロい話もあるので風太郎を面白がれるだろうが、女はこうはいかないだろう。もし、女に勧める10冊を選ぶとしら、『戦中派不戦日記』 『室町お伽草子』 『明治十手架』 『八犬傳』 『警視庁草紙』 『人間臨終図卷』 『妖異 金瓶梅』 『地獄太夫』(徳間文庫山田風太郎妖異小説コレクション) 『戦艦陸奥 -戦争編-』(光文社文庫山田風太郎ミステリー傑作選) 『コレデオシマイ』 あと1冊書くとすれば、風太郎が書いた本ではないが、『警視庁草紙』文庫のあとがきを書いている、関川夏央が風太郎にインタビューしてまとめた、『戦中派天才老人山田風太郎』 も書いておきたい。この本は、『人間臨終図卷』の後に作られた物なので、その影響が強く感じられる。
今日は、エッセイ集を読もうと、『わが推理小説零年―山田風太郎エッセイ集成』 『昭和前期の青春―山田風太郎エッセイ集成』 のどっちを先にしようと発売日を観たら、『わが推理小説零年―山田風太郎エッセイ集成』 が先だったのでそちらから読み始めた。日下三蔵が編集しているのでそうしたのだ。そして、この本には、今まで収録されていなかった物が載っている。71年から73年にかけて出版された講談社版『山田風太郎全集』の月報に載っていたエッセイが完全な形で掲載された。
突然、民主党代表の小沢一郎が辞意表明をした。幹部は代表の座にとどまるように説得しているが、どうなるのか・・・。政界に衝撃が走った。
11月5日(月) 晴 1358
民主党代表の小沢一郎の辞意をくつがえることは困難だという見方が態勢らしい。役員会を開いて代表にとどまる様に説得をするようだが、非常に難しい情勢だ。こう言うことでは滅茶苦茶になる。大連立を党に持ち帰って、幹部から拒否されて、けじめをつける形で辞表の提出になった。何かがおかしい。政局は、一気に風雲急を告げてきた。政界再編にまではこの時点ではないと思うが、その芽が生まれた事になる。
4日メキシコに、ホセ・トマスが出場する。休養中のモランテも、観に来ているが、凄い写真が載っている。頭がおかしいのが写真を観て判る。
4日の結果。 ニーム(フランス)。ニメーニョUと讃えるフェスティバル闘牛。闘牛士、チィニト、耳1枚。リシャール・ミリオン、耳2枚。スワン・ソト、耳1枚。メディ・サバジ、耳2枚。見習い闘牛士、カミレ・ファン、耳2枚。
11月7日(水) 晴 47237/2
小沢一郎民主党代表は辞意を撤回した。両院議員懇談会で、「この体にもう一度ムチ打ち、次期衆院選に政治生命を懸けて全力で戦い抜く決意した」と、いった。
「民主党の小沢一郎代表が、同党両院議員懇談会で辞意撤回を正式に表明した。鳩山由紀夫幹事長の説明と小沢代表の発言は以下の通り。
【鳩山由紀夫幹事長】 小沢代表が新たな気持ちで続投して頂く決意を固めて頂きました。(よっしゃー、拍手)。ご意見一つ一つをすべて小沢代表にご覧頂いた。菅、輿石代行と共に、我々の思いはこうだと皆様方の思いを説明した。両院議員の皆様の、日本を、国の未来を大変心配する中、恥を忍んでと。参院選挙は勝利したが、いつ解散総選挙があるかもしれない。国民が期待する政治をつくりだすために、小沢代表に新たな決意で臨んでもらいたい。私どもが日本のおやじと敬愛する小沢代表にリーダーシップを果たして頂くようお願いし、私の報告とする。
【小沢一郎代表】 このたび党首会談をめぐり、国民、民主党の支持者、党員、同僚議員に多大のご迷惑をおかけしたことを心よりおわびする。皆様のご叱正(しっせい)を頂き、二日間沈思黙考、私の政治生命を来たるべき総選挙にかけると決意した。
ご承知の通り、いまだなお、不器用で口べたな東北気質だ。振り返るとそれが今回の混乱の一因では。当初から党員、国民に私の思いを打ち明け、丁寧に説明すべきでなかったかと思う。国民、党員、同僚の皆様に私の思いを率直に語る。
私は14年前、自民党を離党し、日本に議会制民主主義を定着させ、国民のための政策を実現する仕組み作りを目指した。これが14年間の私の唯一の行動原理で将来も変わることはない。次の総選挙で民主党政権を実現しなければ死んでも死にきれないと必死だった。幸い先の参院選で参院の第一党という極めて重い地位をいただいたが、その大勝利の瞬間から二つの思いが深くなった。
一つ目は次の衆院総選挙では何としても必ず勝利し、絶対に民主党政権を樹立しないといけないが、参院選勝利後の楽観的考え方では勝利がおぼつかない。前回の3倍の議席を勝つことが絶対条件だ。この厳しい現実を直視しないで総選挙勝利はあり得ない。参院選勝利の余勢で勝てるほど甘くはない。正直参院選の全国遊説では、日常活動をもっとやれと厳しく言われた。自民党に負けない活動で国民の理解、支持を得てもっともっと強くなるのが総選挙勝利の最低条件だ。
次の総選挙は敗北は許されない。その責任の重さと党の現状への危機感を私は毎日かみしめてきた。次の総選挙が私にとって最後の一戦であることは間違いない。
衆院では自民党が圧倒的多数を占める衆参ねじれ国会で、マニフェストで約束した国民生活第一の政策をどうやって実現するかだ。参院の同僚が一生懸命努力して法案を作り、いくつかの法案が可決し衆院に送付されるが、ねじれ国会では年金、子育てといった民主の主要政策はこのままでは実現困難だ。これで国民に許されるか、次の総選挙に勝ち、ねじれを解消するまでお待ち頂きたいと言い続けられるだろうか。国会の半分を担う民主党の責任への思いが深くなった。
この二つを同時に解決する方法はないか。場合によっては、政権の一翼を担えば、私たちの主要政策がいま実現し、政権担当能力を目に見える形で国民に示し、総選挙で勝つ可能性が高まるのではと考えた。最難関の安全保障で最大限の譲歩を示し、連立を打診されたとき、二つの課題を解消する一つの方法と考え、政策協議について役員会に話した。しかし政策協議に応じず、政権交代を目指すとの声が多く、私は直ちに福田首相に伝えた。
今思えば、それで総選挙に向けて頑張ろう、私が先頭に立つと、まとめればよかったと考え、反省している。しかし、その後いろんな憶測や誤解で混乱が生じたのでけじめをつけないといけないと思い、代表辞職願を提出した。いかにも不器用なやり方だった。しかしそれにもかかわらず三役、衆参両院議員が混乱を治めてくれた。心から感謝する。みなさまのご厚意に私も新たな覚悟を持って答えないといけない。もう一度代表を務め、最後の決戦にあたりたい。どうぞ皆さんご協力お願い申し上げます。
そして、本日を再スタートの第一歩とし、菅さん、鳩山さん、輿石さんとともに衆院選挙対策本部を立ち上げ、衆参一体の選挙協力態勢を確立したい。
一年半前、私は自分が変わらないといけないと約束した。死にものぐるいで頑張る。みんなで政権交代に向けて頑張ろうではありませんか。
最後に国民におかれても、政権交代を実現し、国民生活第一の政策を実行するためのご支持をお願いします。
」
「民主党の小沢一郎代表は7日午後、両院議員懇談会で辞意を撤回し、代表を続ける意思を正式に表明した後、引き続き党本部で記者会見した。
会見では冒頭、小沢代表が「先ほどの両院議員懇談会でのごあいさつで、私の思いは申し上げたつもりです。みなさまから質問を受けたいと思います」と話し、質疑応答が行なわれた。
――今後、次の衆議院選挙までの間に自民党との連立を進める考えはないのか。
私の辞意表明に対し、代表代行、幹事長を中心に党内のいろんなご意見を集約して頂いて、翻意を促された。そのみなさまのご厚意に感銘を抱き、あの日から、私の会館、事務所にも連日、数百人の国民の皆さんからおしかり、激励のお話があり、今日にいたった。
(大連立を進めないといった)条件は私の方からも党の方からも話はしておりません。ただ、連立問題について言えば、役員会でもそのことは考えに入れずに総選挙でがんばる、というのが今日の結論であり、みんなの総意でありますので、ただひたすら総選挙に向けて全力でがんばっていこうということであります。
――連立構想を小沢代表がもちかけた、という報道が「事実無根の中傷」であるとの発言を撤回していただきたい。報道が間違っていると言うのであれば、その経緯を小沢代表から明らかにしてほしい。
私は当事者の一方のはずであるが、私には取材の申し込みすらありませんでした。複数の関係者からの情報に基づいて、と書いているが私や民主党のことを含んでいない。それは公平ではないのではないか、という意味で申し上げました。
私は政治家同士で内々で話したことについてこれまで一切外部にもらしたことはないが、2カ月前だったか、さる人からお呼び出しをいただき、食事を共にしながらお話をした。
「お国のために大連立を」というたぐいの話だったが、私はまず、「われわれ民主党は、参議院選挙で国民のみなさんから大きな議席を与えて頂いた。全党、衆議院も力をあわせてがんばろう、勝てる、という雰囲気の中であります」と申し上げた。それから「そういうたぐいの話は現実に政権を担っている人が判断する話であって、私どもからとやかく言う話ではありません」と申し上げた。
先月半ば以降、また連絡があり、「福田総理もぜひそうしたいとの考えだ。ついては、総理の代理の人と会ってくれ」という話があった。私も、むげにお断りできる相手の方ではないので、じゃあ参りますと言って指定の場所に行き、「本当に総理はそんなことを考えているのか」と質問すると、「総理もぜひ連立をしたい、ということだ」。「では、あなたも本気か」とその総理の代理という方に質問したら、「おれも本気だ」という話でした。
総理がその気であれば、総理から直接お話をうかがうのがスジではないでしょうか、と話を返しました。そしてあの党首会談の申し入れとなった、というのが事実であり、それが誰であり、どこであったかいうのは調べれば分かりますが、私の口からは申しません。それが事実であり、経過であります。
――4日の会見でけじめをつけると言った。続投するにあたり、役員からの不信任は解消されたのか。辞意表明は軽率だったのではないか。
私は昨年、代表に就任して以来、心身共にただひたすら、7月29日の参議院選挙に向けて、限界まで頑張ってきた。その意味では体も精神面も、かなりくたびれていた。最後の衆議院選挙で勝たなければ、離党して以来14、5年、私の政治家としての議会制民主主義を定着させたいという思いで、もう一踏ん張り頑張らないといけないし、体などにむちを打ってきた。
先のようなことになり、不徳のいたすことから党に迷惑をかけた。そういう思いが強くて、気力を張りつめていたものが途切れたというか、ぷっつんした。そのため、これ以上、表に立っていれば党に迷惑をかけ、国民に迷惑をかける。けじめをつけなきゃと心がいっぱいになった。
その後、3人の皆さん、同僚の皆さん、何よりも毎日、個人事務所に、数百人からおしかりや励ましをいただいた。それがあいまって、おまえは仕事を捨てて、やめちゃうのかという話がありまして、その点については忸怩(じくじ)たる思いがあって、党内の皆さんが総選挙まで頑張れ、ということだったので、戦いのペースに気持ちが戻ったわけではないが、頑張ろうと、今日に臨んだ。
――党の力量不足に関して、メディア批判と党内分析を混同している。今後取材に積極的に応じて、民主党のこれからについて透明性を確保すべきではないか。
私の無精や口べたで誤解があるなら反省し、わかりやすく丁寧にいろんな場面に応じていきたい。
力量不足という意味は、政権を担当するうんぬんという話ではなく、選挙で自民党に勝てるほどではないということ。政権担当能力がないと言ったわけではなく、実際に、年金、農業、子育ての問題について、われわれの主張を現実の行政に実現していければ、誰も政権担当能力がないとは言う人はいなくなるのでは。言葉足らずで、誤解が生じたのなら、反省しなければならない。
――自民党は特措法新法での修正を打診しているが、修正協議に応じないのか。国会では対決路線を保つのか。今後、党首会談にどう対応するのか。
特措法に対しては、金めの問題は足して2で割るのができるが、基本的な考え方の違いですので、そういう手法は通じないと思っている。
私は、一国の総理から話をしたいと言われて、話さないというのは筋道が違うと思っていた。それで会談に応じた。誤解のもとになってはいけないので、明確に中身を役員会で検討してもらってから応じるか、応じないかを決めなくてはならない。基本的には今後、党首会談をやるようにはならないと思っている。
――仲介役は読売新聞の渡辺恒雄氏か。報道に対する抗議の中での「誹謗中傷」発言は撤回するか。
具体的な名前は私の口からは言えない。私から主体的に党首会談で連立の話をしたかのような報道は、その意味においては事実と反するので、それについては撤回するつもりはない。その他について、私の言い回しが過ぎていたのなら撤回します。
――党首会談、大連立について2カ月前から話があったと説明したが、1日の宇都宮市の会見では「そういうことは考えていない」と言っていたが、整合性はどうなるか。
水面下で話がなされていたと表現されていると、私が主体的にかかわっているように聞こえる。言葉遣いは気をつけて頂きたい。
私は、あなたとは会えない、というたぐいの人ではないので、会った。その人は「お国のためだ」と熱っぽく話したと思います。(これに対して私は、民主党は)参議院も勝って元気づいて、衆議院選挙に勝つという雰囲気だと言った。私どもは連立のうんぬんを言う立場ではないと言った。
――小沢代表は二大政党制は政党ではなく国民が決める、と主張していたはず。選挙を経ていない、党首会談で大連立を否定しなかったのは、なぜか。
(党首会談では)特措法の話から入った。安保政策、平和に貢献するということについて総理大臣が、今までの政府の考えを、憲法を180度転換する確約をしました。総理にとって連立が前提でしょう。
政治は国民のためにいいことをやるというのが、最終目標。年金でも農業でも、基本的な考えは全く違うが、我々の主張が一つでも実行できるなら、それもひとつの方法ではないか。政策協議をするというのはいいんじゃないか、ということを役員会に諮ったら反対だったので、やめた。もし、政策が実行できれば、政権担当能力が証明される。そうすれば、選挙に勝って、政権をとって、それによって二大政党制になると思ってやった。
」 ーー朝日新聞よりーー
民主党本部で行われた記者会見のTV中継を観た。胸に詰まっていた物が流れていく思いで話を訊いた。参議院では、選挙の方法を具体的に示した。衆議院でもそれを各議員に体験させなくては、仮に今度の衆議院選挙で勝てなくても、それが財産として民主党に残るのだ。そのことが大事なのだ。小沢一郎は、おそらく長くてあと2回の衆議院選挙しか立候補しないだろう。同郷の原敬が周りの人間に請われて平民宰相になったように、小沢一郎も、党員に請われて元の鞘に戻った。「ご承知の通り、いまだなお、不器用で口べたな東北気質だ。」「本当に恥をさらすようだが、皆さんの意向を受けてぜひもう一度がんばりたい」「この体にもう一度ムチ打ち、次期衆院選に政治生命を懸けて全力で戦い抜く決意した」という言葉を信じたい。格好悪いかも知れないが、これで良かったと思う。昔は大嫌いな岩手県人だった。最近は少しずつ好きになってきた。
11月4日の結果。 メキシコ。ラファエル・オルテガ、耳1枚。ホセ・トマス、耳1枚が2回。アレハンドロ・アマジャ、口笛、耳要求。
11月8日(木) 晴 4861
今日は健康診断に行ってきた。採血などをしてバリウムを飲んだ。ゲップをしないようにということだが、体位を変えているうちに炭酸が出たようで、再度炭酸を飲むように言われる。飲むのは良いが、意志の問題でガスを出したような言い方が気に食わない。これは、意志の問題じゃなくて肉体の問題だから責められる必要はない。じゃ辞めますかというのでどっちでも良い。それじゃ飲んでくださいだった。それが終わったら下剤を飲んだ。これを飲まないと腹の中でバリウムが固まってしまうのだ。帰ってくる途中で、1回トイレに行った。こういう場合の便意というのは、普通じゃない。出そうと思ったら出るというのが便意の意味だ。だから、そう思ったら、トイレに駆け込むのが筋だ。そうでなければ、もらしてしまうのだ。同時間にバリウムを飲んだ女たちは病院に残っていた。つまり、出るまで出ないつもりだから、着替えもしていなかった。そういう彼女たちの肉体感覚というのは、実に正しいと思う。
小沢一郎は、最初から最後まで筋を通した。彼は、利己的に動いたのではなく、利他的に動いている。党のため、国民のため、その時1番良い方法を選ぼうとしている。その選択が今回は間違っていたが・・・。そういう意味での筋を通した。そこは一貫している。だからこそ、「本当に恥をさらすようだが、皆さんの意向を受けてぜひもう一度がんばりたい」 とか 「この体にもう一度ムチ打ち、次期衆院選に政治生命を懸けて全力で戦い抜く決意した」 と、いう言葉が出て来た。
新聞には、福田首相に党首会談の段取りを訊いたコメントが載っていない。何故か?TVでは、「そういうことは、言いたくありません」といっている。どうも、何か作意を感じる。小沢一郎は、はめられたのかも知れない。今回の「大連立騒動」は、自民党と噂されている讀賣新聞会長、渡辺恒雄の画策が、人の良い小沢一郎と、民主党のイメージ・ダウンを引き起こしたとすれば、とんでもないことだ!これで、民意が形成されるのだとすれば、民主主義は、機能しないことになるだろう。腹黒い、福田首相、元森首相、渡辺恒雄などの暗躍が、総選挙に大きな影響を与えるとしたら、非常に問題だ。読売新聞社も今回の問題で信用をなくすだろう。こんな事は許されない!!!
「 「口べたな東北かたぎ」という小沢氏の釈明について、東京・有楽町に勤める川崎市の男性会社員(38)は「苦しい言い訳だ」と苦笑いする。「口べたかどうかはとっちでもいい。地方を出す必要もない」と説明を尽くすよう求めた。 」 ーー朝日新聞よりーー 野党第1党の党首が、「苦しい言い訳だ」というのは、正論だ。正論だしマニュアルだが、それは、杓子定規な物の見方しか出来ないことを自分で言っているような物だ。応用が利かない判断だし、個別事項について深く考察できない考え方だ。こういうコメントをマスコミが欲しがるのは判る。その方が分かり易いからだ。
しかしである。新聞、TVもそうだが、巷の人たちが何と言っているか、コメントを流しているが、これは、小沢一郎が、民主党の両院議員懇談会や民主党本部での記者会見での説明を聞く前の辞意撤回の報を訊いた段階でのコメントか、見出しだけを伝え聞いてのコメントのような気がする。そういうずれという物を、考えてニュースを観るべきだ。今回の、「大連立騒動」は、誰が何のために画策して、どういう結果になろうとしているのか?何が悪く、何が良かったのか?これから、政治はどういう風に動いていくのかということを観ないと、小沢一郎に失望したという一面的、表面的に物をイメージ化すると、大きな間違いをするだろうと思う。
こう言うことを言えば身も蓋もないが、郵政民営化1本で小泉首相に、信任するような投票行動をした国民が、同じ事を次の総選挙でも行わないとも限らないのが、民意という物の実態の側面でもある。しかし、庶民には判らない政界の黒い工作は、深い政治不信を招く。マスコミは、報道のあり方をもっと真面目に考え直す必要がある。近い未来を、予想、予告する事だけに熱を上げているのだとすれば、報道の本意からかなりずれていると言わざるを得ないだろう。憶測ではなく、事実を報道して欲しいと思う。「大連立騒動」の経緯についての、渡辺恒雄や森元首相のコメントは載っていない。片手落ちだ。政局を混乱させているのはマスコミではないとさえ思ってしまう。まるで、プロ野球や、サッカーの、ストーブ・リーグのような報道は沢山だ。
11月9日(金) 曇 11072
昨日、闘牛の会用のビデオの編集をした。9月22日のバルセロナ、カステージャ、ホセ・トマス、セサル・リンコン。
ミゲル・アベジャンは、アルバレス・カノレアからラファエル・コルベジェにアポデラードを代えた。記憶が確かなら、初代ビクトリーノ・マルティンからラファエル・コルベジェに、見習い闘牛士の時に代えサン・イシドロでプエルタ・グランデした。が、その後、大喧嘩して裁判沙汰までやった、犬猿の仲だったと思うのだが、何故またラファエル・コルベジェになったのか不明。
11月11日(日) 曇 35093/2
昨日闘牛の会があった。17時半開始になって、HPやMIXIにも書き込んであったが、出足が遅く、パラパラ集まったのが、18時過ぎだった。それまで、持っていったビデオを観た。エウヘニオ・デ・モラ、フリ、フェレーラなど。それから、9月22日のバルセロナのフリ、ファンディ、ペレラのビデオを流し、テンディド7の風景、カンビオ・デ・ラ・エスパルダ、セバスティアン・カステージャ、ホセ・トマス、セサル・リンコンを流した。荻内先生が話をしたり、話でも結構盛り上がった。19時半を過ぎたがそのままビデオを流した。カリファなどを観て20時前に終わった。
それから、新大久保に行って中華料理を食べながら色々な話で盛り上がった。荻内先生が住むところを変えると、その場所で芝居や落語を見続けるというのは、東京に変わった時も、スペインに行ったときも同じように芝居を見続けたというのは興味深い話だった。それから、コンプレックスの話も出て、なるほどなぁと思った。山田風太郎の怪説で江戸川乱歩は若はげのコンプレックスがあって人前にあまりでなくて、戦後作家などと交流したのは、はげが似合う50代になったからという話をしたら、うなずいていた。Kadoyan、先生、細田さんがワインや食べ物を持ってきて美味しく食べた。闘牛の会を始めた頃に1度来た人も久ぶりに来て楽しい闘牛の会だった。
11月12日(月) 晴時々曇 20431
仕事をやっていてここが足りない、あそこが上手くいかなかった、こう言ったからちゃんと伝わらなかったんだ、ああ言えばちゃんと伝わったんじゃないかという、いつも反省が自分の中で渦巻いていている。しかし、今日の朝、顧客側からの評価があったと言うことを訊かされた。それは非常に嬉しいことだが、また、自分たちの首を絞めるような事になるんじゃないかと思ってしまった。人が足りないよなぁ。それに人も出さなやきゃいけないだろうし・・・。
関川夏央が風太郎にインタビューしてまとめた、『戦中派天才老人山田風太郎』 読了。改めて読み直して観たが、この後で、『風来酔夢談』のような風太郎と色々な人たちの対談集や、『コレデオシマイ』 『いまわの際に言うべき一大事はなし』 『ざんぶ余録』 へと繋がっていく。この本の面白さは、やはり、色々な事を風太郎から引き出している、関川夏央にあると思う。風太郎はすでに殆ど自分で字を書けなくなっていて、対談集や、インタビュー集が企画され出版されたのだろう。この本では、『戦中派不戦日記』 とその前の時期の 『戦中派虫けら日記』 以外は、絶対出版させないと言っていたが、昭和21年から日記が死んでから続々出版された。それは風太郎の意志だったのかどうか判らない。しかし、出版されるべきだと思う。
僕が昔言われていたのは、戦争当時の事を書いた日記の中で1番素晴らしいのは、永井荷風の『断腸亭日乗』だと言われていた。読んだ記憶があるがちっとも面白くなかった記憶がある。それに比べれば、風太郎の、『戦中派不戦日記』は非常に面白かった。闘牛の会の時にKadoyanから、HPの日記って荷風の、『断腸亭日乗』から取ったんでしょうと言われたが、その通りで、風太郎の日記にはとても及ばないだろうから、荷風のように面白くなくても、腹立たしいことや、おかしいと思うことを書いていけば、自分なりの日記になるんじゃないかと思って付けた、『断腸亭日常日記』。書き始めた頃、松田君に、あんな事普通書かないですよと、驚かれた。引いているなと思った事を思い出した。
だから、荷風くらいの日記が書けるだろうと思ってこう言う名前にしたんじゃないのだ。それでも風太郎が好きだと言っていた荷風の日記の名前をもじって使うのも面白いだろうと思ったのと、日乗ではなく日常に変えたのも、ネット時代には丁度いいと思ったからだ。大体、断腸亭日常を書き始めた頃は、荷風のもじりだっているのは全然誰にも言われなかった。多分、そういう人たちが読んでいたんだろうと思う。
11月13日(火) 晴 6528
ホセ・トマスはメキシコ興行に行っても活躍している。10月末だったと思うけど、セビージャの興行主のカノレアが、来年のフェリアにホセ・トマスを出場させるのは難しいという発言をした。理由は、来年もTV中継をする予定だが、ホセ・トマスはTV中継に同意しないだろうからと言う物だった。引退前に、アポデラードをやっていたエンリケ・マルティン・アランスとホセリートが主張していた、闘牛士の肖像権の問題が、こういう形で負の遺産としてまた現れた。
11日の結果。 メキシコ。フェルナンド・オチョア、口笛。レオポルド・カサソラ、耳なし。アレハンドロ・タラバンテ、耳1枚。 グアダラハラ(メキシコ)。セサル・リンコン、イグナシオ・ガリバイ、耳なし。ホセリート・アダメ、耳2枚と尻尾1つ、耳1枚。リカルド・リベラ、耳1枚が2回。 オリサバ(メキシコ)。ソトルコ、耳なし。ホセ・トマス、耳2枚。ビクトル・モラ、耳1枚。 リマ(ペルー)。ヘスリン、耳1枚、耳2枚。ペレラ、耳1枚が2回。アンヘル・テルエル、耳なし。
11月15日(木) 晴 32533/2
昨日救急車で搬送される老人を観た。心肺停止状態で、救急隊員が心臓マッサージをしていた。胸を押すと開いた口からゴボッと音が鳴っていた。痩せた体や点滴をしている手が紫で顔を観ると老衰のようだった。多分、病院へ行って医者に断定してもらうのだろう。AEDは心臓が止まっていると使えないようだ。機械が通電すると判断しないようなのだ。
サッカーの浦和レッズが、野球の中日ドラゴンズに続いてアジア・チャンピオンになった。
セサル・ヒメネスのアポデラードは、今年彼のバンデリジェーロだったピリ・ロメロになることになった。こんな事があるのだろうかと思ってしまう。
11月16日(金) 曇 23383
「サッカー日本代表のイビチャ・オシム監督(66)が16日未明、千葉県浦安市の自宅で倒れ、大学の付属病院に緊急入院した。急性脳梗塞とみられ、集中治療室で手当てを受けているという。詳しい症状は不明だが、病状次第では後任監督の人選も急がなくてはならなくなった。
関係者によると、オシム監督は息子でジェフ千葉監督のアマル氏と同居する浦安市の自宅で倒れてたいた。オシム監督は昨年の監督就任以来、健康面を不安視する声があたが、毎月、健康診断を欠かさず受け、就任時よりも検査数値は改善されていたという。
14日には埼玉スタジアムで行われたアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)決勝の浦和−セパハンを観戦していた。
同日、緊急会見した日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンは。「本日午前2時、(サッカー・イングランドの)プレミアリーグを見た後、二階に上がった後、倒れ、順天堂大学病院に入院した。急性脳梗塞で症状は不安定で長期的展望については現段階ではお話できない」と説明。病状については、「医療チームが最善の管理をしている」としたが、「本当にショックで、今は代表チームがどうこういうよりもオシム監督に直ってほしいと、命をとりとめてほしいと…」と目をうるませて絶句した。」 ーー産経新聞よりーー
オシムが倒れた!どうなるんだろう?
西鉄ライオンズ全盛期を作った稲尾和久が13日午前1時すぎ、悪性腫瘍(しゅよう)のため福岡市内の病院で死去した。僕は全盛期をしたらない。が、西鉄ライオンズ、太平洋クラブライオンズ監督時代は知っている。あの頃はメロメロで、毎年最下位でピッチャーは東尾と加藤初くらいしかいなかった。ロッテの金田監督との遺恨で盛り上がった。ビュフォードと金田の乱闘の写真がポスターになって遺恨を煽り平和台にファンが押しかけた。伝説の大投手も監督しては、ロッテで2位になったくらいで、目立った成績を残せなかったが、野球界には、東尾や落合を残したり、村田兆治の復活の時も監督だった。球界を覆った「黒い霧事件」は、讀賣が仕組んだ西鉄つぶし。その西鉄全盛期を率いた名将三原脩は、巨人を出された恨みを西鉄で晴らすために、チームを作った。
酒を飲み、麻雀をして選手の性格や気性を理解して、グランドで能力を発揮させた。連投に次ぐ連投でシーズン42勝。20連勝という今では信じられない記録を残した。試合の終盤同点になると、稲尾がピッチングを始める。三原が指示したわけではないのに。すると「いくか」と声を掛ける。そうやって連投が始まる。今では高校野球でも3連投や4連投はしないような方向に行っているが、その当時は、それが当たり前だった。ある試合で、決勝のホームランを打ってベンチに帰るなり稲尾が、「『鉄腕稲尾のひとり舞台、投げて完封・打って2ラン』。明日の新聞の見出しはこれで決まり!」と口走る。するとサードの中西とショートの豊田が、「お前そんなこと言って良いのか」と脅す。「野球は一人でするもんじゃない」。次の回中西がエラー。そして守備の下手な豊田がトンネル。稲尾は、わざとやったんではないかと疑う。三原脩監督に事の経緯を報告。中西と豊田は試合後に「誰かからわざとエラーするように指示されたのか?」と三原に怒られたという。後年稲尾はこれについて「『野球は一人でやるものじゃない』の意味が分かった。これが西鉄の愛の鞭だと思った」と話していたと言う
。
サムライ野球で「野武士軍団」と言われた西鉄ライオンズ。打者は、酒をあびるように飲み、麻雀をして遊びまくった。だから、楽しかったんだろうなぁと思うのだ。新人で入ってきた豊田が変化球を打てず、カーブの打ち方を教えて貰おうと麻雀をやっている所に行って関口(後の近鉄監督)に言うと、「教えてやるから金を持ってこい」と言ったそうだ。本意は忙しいからあっちに行っていろと言うことらしいのだが・・・。その中心にいた三原監督は、「三原マジック」と言われる采配で選手もファンも掌握していた。サヨナラ・エラーをした選手の所に大勢のファン押しかけて慰めて、その後チームが盛り返して優勝した話など逸話は数限りないくらいある。チームの精神的支柱は、三原監督。実質の選手の核になったのは稲尾だった。「神様、仏様、稲尾様」と言われた巨人との日本シリーズ3連敗からの4連勝の立役者。奇跡の逆転で日本一3連覇の中心に稲尾がいた。
いつの笑顔で穏やかな気性。他人を批判したことがない人柄。ロッテ監督の時、不振の4番、落合に何があっても4番を変えるつもりはないと信頼を伝え話し合いをして、3冠王を取った。その落合は、ロッテ時代、稲尾から、ピッチャーという人種は、こういう心理でバッターを考えて投球しているんだと言うことを訊かされたのが、3度の3冠王を取る事に繋がったと言っている。「黒い霧事件」がなく、未だライオンズが福岡にあったなら、稲尾はONと並ぶスーパースターをして野球界に語られる存在が大きかったと思う。それが残念だ。それでも、彼が残した記録は偉大すぎる。入団から8年連続20勝以上。内3年連続30勝以上。42勝の最多勝タイ。42勝した61年の成績は、78試合登板、投球回数404イニング。42勝、14敗。勝率7割5分。被安打、308安打。被本塁打、22本。与四球、72。与死球、6。奪三振、353。暴投、3。失点、93。自責点、76。防御率、1.69。太字がその年のタイトルだ。物凄い記録だ。抜群のコントロールは、子供の頃、漁師の父親を手伝って艪をこいで足腰が鍛えられいつ船から落ち
るか判らない恐怖心との隣り合わせから度胸も付いた。「普通球半分を出し入れすると言うが、稲尾は球1/3を出し入れしていた」と言ったのは当時の和田捕手。
良い意味でも悪い意味でも実力主義の三原監督は、後に「この年は3連敗した時点で負けを覚悟していた。それで誰を投げさせれば選手やファンが納得してくれるかを考えると、稲尾しかいなかった」と告白していた。後年、病床に伏していた三原は、見舞いに訪れた稲尾に対し「自分の都合で君に4連投を強いて申し訳ないものだ」と詫びたが、稲尾は「当時は投げられるだけで嬉しかった」と答えている。
「稲尾はファンの差し出す色紙に今でも快くペンを走らせる。稲尾和久のサインの横には「鉄腕一代」と必ず書き添える。今でも宴席などではよくこんな質問が稲尾の耳に届く。「あんなに投げなかったら、もっと長く野球選手をやれたのでは?」「もっと勝ち星も稼げたのでは?」。そんなとき、稲尾はきまって笑顔で答える。
「あれだけ投げさせてくれたから、今の自分があるんですよ。自分ではまったく酷使されたなんて思っていませんよ。感謝の気持ちはあっても、恨むようなことは一切ない」。
」 ーー日刊スポーツよりーー
「けれど…やっぱり稲尾和久は空前絶後の投手や…オレは逆立ちしても足元にも及ばんわ…」とかつて村山実が言ったという。野村のID野球の基は、稲尾の投球術が原型にある。努力や工夫は、自分以上の人間と出会うことによって、加速される。ONに対しての、村山、江夏、平松、星野、外木場、安仁屋、松岡、山田など。才能と意欲がある男たちの勝負は、男をより磨かせた時代だった。ご冥福をお祈りする。 ーーなお、上記文章は、「Wikipedia」やスポーツ新聞やHPなどから引用しているところが多数ある。ーー
実は、闘牛士においても同じ事が言えるのだ。91年当時、闘牛士の頂点に君臨したはエスパルタコだった。それに対抗したロベルト・ドミンゲス、オルテガ・カノ、若手がホセリート。そして、突如出現した超新星が驚異的な闘牛をした。それがセサル・リンコンだった。一気に頂点に昇った。92年には、エンリケ・ポンセが後を追う。そして、97年のサン・イシドロで本当の姿を現し2002年まで頂点に立つホセ・トマス。後を追うフリ、アベジャン、セサル・ヒメネス、セラフィン・マリン、マティアス・テヘラ、セバスティアン・カステージャ、アレハンドロ・タラバンテ。彼らも、男を磨くために努力と工夫をする。そういう比較の面白さというのは何処の世界でも存在するのだ。野球を知っていたから、闘牛を観ていてそういうことが理解できたのだ。
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