断腸亭日常日記 2007年 その5

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年のスペイン滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日
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2月26日〜4月19日 4月20日〜5月19日 5月20日〜6月16日 6月20日〜7月31日
8月1日〜9月1日 9月3日〜9月18日

 9月19日(水) 曇 8959

 昨日の、『プロフェッショナル 仕事の流儀』は、生物学者、長沼毅。過労で倒れたとき、「原点に戻る。研究が楽しいからそこに立ち返る」それが重要だという。根を詰めてそれだけをやっていると、行き詰まる。色々な物が見えないでいるからそうなる。だからこそ楽しくやる。頭が柔らかくなければ、良い発想も浮かばない。「仕事の間でも楽しむことを意識的に行う。調査で見つけたお湯が沸く場所は、自らスコップで堀り、温泉にして入った。 長沼が挑むのは、「生命の起源」という壮大な謎。一生かけても解けないかもしれない科学界最大の謎の一つだ。一生をかける仕事では、力が入りすぎていては、とてももたない。肩の力を抜き、リラックスして楽しむ事が、長く仕事を続け、高みにたどり着けると信じる。」 ーーNHK『プロジェクトX』のHPよりーー

 「しなかった後悔より、した後悔」 「空振りなら思い切り空振りしろ。失敗の中で、何を見つけるかだ」 非常に勇気づけられる言葉だ。だから、バルセロナに行くのだ。12日前日セサル・リンコンがドクター・ストップになったときは、殆ど行く気がなくなった。このまま終わるのも、運命で仕方がないことだと、思うことにした。所が、14日に復帰したのと知った、15日は、絶対行くぞ!と、意気込んだ。そして、旅行会社に連絡してバルセロナ行きを決定した。それから、ビデオ・カメラを昨日用意して準備が整った。

 世の中には色んな人がいるもんだ。尾崎憲一は、面白い。「『誰かよりも秀でていることがあればそれがどんなくだらないことでも金が儲かる』は、『ハスラー2』でのポール・ニューマンの台詞ですが、まさにその通りだと思います。広く浅くではダメです。狭くても深く、どうせなら評論家や博士と呼ばれるくらいになるべきだと思います。そうすると、その視点に立たなければ見えないことが当たり前に見えるようになるのです」 ーーITmedia Biz.IDよりーー

 18日の結果。 ログローニョ。エル・シド、耳なし。アレハンドロ・タラバンテ、罵声。 カソルラ。コルドベス、耳2枚と尻尾1つ、耳1枚。ファンディ、耳4枚と尻尾2つ。ルイス・ルビアス、耳2枚と尻尾1つ。 メホラダ・デ・カンポ。ウセダ・レアル、耳1枚、耳2枚。フェレーラ、耳2枚と尻尾1つ。エル・レンコ、耳2枚、耳1枚。


 9月20日(木) 晴 21141

 今日は昼も暑いが夜になっても蒸し暑い。荷造りをこれからやる。パソコンは持っていくが、ネットは繋げないだろう。毎日日記と観戦記は書くがアップするのは帰ってきてからだ。忘れ物が許されない短期旅行。今回は、予約した記録をプリント・アウトして万全を期した。後は、朝を迎えるだけにして寝たい。

 ハエンのカルテルが発表された。時間がない。アップせずに行くと思う。

 先日、長嶋茂雄の妻・亜希子が心不全の為に死亡した。巨人の選手だったので大嫌いな選手だった長嶋。だが、偉大な選手だった。長嶋が野球に没頭できたのも亜希子さんがいた家庭があったからだ。いくら1流の野球選手でも自分の居場所である家庭が、穏やかであったからスター選手になれなのだし野球の代名詞のような選手になれたのだ。しっかりした家庭をお互いに協力して2人で作ったから安心して野球に打ち込めたのだろう。男の方より女の方が立派なのかも知れない。

 19日の結果。 ログローニョ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳2枚、耳1枚。フリ、耳2枚と強い尻尾要求。ガジョ、耳2枚。 ジュンケラ・デ・エナレス。ラファエリジョ、ホセ・マリア・ラサロ、耳1枚。


 9月21日(金) 晴 6427

 荷造りをしていて、パスポートがないと焦った。でも、ちゃんとあった。そうそこに仕舞っていたのだ。これから、出発。

 20日の結果。 ログローニョ。フリ、耳なし。エル・シド、耳要求。ペレラ、耳要求で場内1周。


断腸亭日常日記 (スペイン日記)

 9月22日(土) 曇一時雨 14754

 バルセロナに無事到着。両替をして、空港からRENFEでサンツへ出て、そこからメトロでホテルに着いた。メトロからホテルまでの道中で缶ビールを2本買った。灰皿がないのでフロントへ行って貰い、携帯のパスワードを入れても作動しないので、フロントに訊いたら使えるようにしてくれた。それから風呂に入り、ビールを飲む。異様に眠い。それはそうだ。日本時間で言ったら朝の7時半位なんだから・・・。


 9月23日(日) 晴 13205

 ホテルを変えた。バルセロナでは取れなかったので、RENFEで1時間の、Malgrat de Mar に2泊する事になっている。ホテルに向かう途中で携帯が鳴った。Yさんから。闘牛が始まる前に合うことにした。そして、22日の切符は寿美さんの分が廻ってくることになる。プエルタ・グランデで落ち合って近くのバルへ。そこで、軽い昼食を取った。

 何か落ち着かない。こう言うときは、ボブ・ディランの、『運命のひとひねり』を聴くことにしている。今日はセサル・リンコンのスペイン最後の闘牛。TELもしていないけどどうするかも決めていない。

 22日の結果。 バルセロナ。フリ、耳1枚が2回。ファンディ、耳1枚。ペレラ、耳2枚、耳1枚。


 9月24日(月) 晴 10026

 昨日、昼食を取ろうと入ったレストランからルイス・カルロスに携帯でTELしていわゆるワン切りをした。TELがかかるか試したのだ。闘牛当日は携帯を切っていることが多いからだ。そしたら、折り返しのTELがあった。今バルセロナいてセサルに会いたいと言うと、ホテルに来いと言う。ラジェタノ・パラスにいるという。飯を食べて電車に乗ってバルセロナへ。闘牛場に行って切符を受け取った。インターネットで予約したのものだ。カードはと、言われて部屋に置いてきたのだ。持ってないというと、心配ないという。無事受け取ることが出来て、タクシーを拾った。

 タクシーの運転手にホテルの名前を言ったが判らないという。だが、ラジェタノと言う通りがあるのでそこにあるのだろうという。ちゃんとあった。受付でセサルがいるか確かめた。部屋番号を教えて貰えないのでルイス・カスロスにTELした。残念だが今忙しいので、闘牛が終わってから来て欲しいと言うことだった。闘牛が終わってからは行けない。どうもありがとうと言ってTELを切った。それからメトロで闘牛場へ戻った。近くのバルで、アグア・コンガスとコーヒーを飲んで時間をつぶして闘牛場へ。

 22日はベンタス風に言うと、コントラ・バレラだった。この日は、ネット予約だったのでソルのグラダだ。席について気付いたが、プレシデンテの顔がギリギリ見えないのだ。つまりハンカチが見えないので耳かどうか判らないのだ。それと柱が邪魔して見難い部分がある。グラダやアンダナーダはこう言うことがあるのでしょうがない。闘牛が始まる5分ぐらい前から闘牛場が騒がしくなった。時間前なのに手拍子で早くやるように催促していた。グラダまでは満員の状態。アンダナーダがどれくらい入っていたのかは判らない。ほぼ終わった時点で1/3以下だった。

 闘牛士が登場すると喝采に包まれた。セサルの登場に立ち上がって喝采を送る。それからホセ・トマスとセラフィン・マリンが登場。未だ、立ち上がって喝采を送っている。入場行進が終わり、始める前にまた喝采を起きた。カジェホンの中でセサルがホセ・トマスにお前への喝采だという風にアレナに出るように手で合図すると、ホセ・トマスは、マエストロへの喝采ですという風にアレナに出るように合図をした。結局一緒に出てセラフィン・マリンもそれに従って3人がアレナに出て喝采を浴びて挨拶をした。2人のやり取りが面白かった。

 それが終わると、アレナに闘牛関係者が2人出て来てセサルを表彰した。メダルかタテを贈って闘牛界に果たした功績を讃えた。

 23日の結果。 バルセロナ。セサル・リンコン、耳2枚、耳1枚。ホセ・トマス、場内1周。セラフィン・マリン、場内1周、耳2枚。


 9月26日(水) 曇 26112/2

 朝、成田に着いた。闘牛への落とし前を付ける旅を終えて帰国した。こんなハッピー・エンドで良いのだろうか?と思ってしまう。これも、セサル・リンコンの人生を象徴していることなのだろう。下山さんは、アントニェーテのデスペディア(最後の闘牛)は、牛が悪く膝がガクガクなって良い闘牛にはならなくて可哀想だったと、言っていた。アルテルナティーバをして25年。四半世紀に渡って第一線で活躍し続けた闘牛士。ラス・ベンタス闘牛場でも未だ、プエルタ・グランデするだけの力を持っての引退。

 最後もバルセロナのモヌメンタル闘牛場という第1級闘牛場で、ホセ・トマスと一緒に闘牛をやって、その前でプエルタ・グランデするなんて・・・。バルセロナに行く前は、どんな結果になろうとも、受け入れる覚悟をして行った。だがそんな心配をよそに、ホセ・トマスは遠慮でもするように剣刺しを2頭とも失敗して耳なしで最後は場内1周。ちゃんと花を持たせてくれるんだなぁとまで思ってしまう。そういうことまで含めてセサル・リンコンには都合の良い展開だった。こんなに上手くいって良いのだろうか?と、思うのはプエルタ・グランデだけじゃないのはそういうことだ。

 プエルタ・グランデだってセサルだけの力じゃない。それを後押しした観客がいたからだ。勿論、そう言うファンを持っていたセサル・リンコンという闘牛士が偉大だと言うこともある。それだけの溢れ出る感動と誰にも真似の出来ない偉大な記録を持っている闘牛士だからかも知れない。

 帰ってきたら面白い記事を発見した。「味のある発言は野村克也監督だけではありません―。東北楽天のフェルナンデス内野手が殊勲打を放った後に語る、哲学的なコメントが人気を集めている。東北楽天の携帯サイトには、8月の月間MVP受賞を機に、談話紹介「ホセのぼやき―スピリチュアル名(迷)言集―」のコーナーも設けられ、アクセスが絶えないという。

 「失敗を考えれば結果はおのずと失敗だ。勝つことに賭ければ、それだけで一歩前進なんだよ」
 「人生には悪い時が必ずある。でも心を静かに保て。暗い中にも明るい光が見えてくるはずだから」
 「他人が自分を信じない時、王者は自分を信じる」

 「うまく打てました」というような一般的な談話ではなく、独特のメッセージがあり、この種の発言で注目される外国人選手は珍しい。こうしたコメントは4月末ごろから出始め、調子が上昇してきた7月以降、量産態勢に。周囲を元気づけようという気持ちから始まったようで、キリスト教の教訓や、日ごろの読書で得た知識などが、スパイスになっている。

 野球を人生に例えるなどし、楽しみを持って目の前の物事に取り組むように訴える言葉も多い。
 「そう、野球とは人生そのもの。今日が悪い日だったとしても、明日太陽が昇れば輝く瞬間が必ず来るのさ」

 「自分で選んだ道ならば、それを愛さなければならない。人生の80%は仕事。おれは野球が大好きなんだ」
 「昨日は過ぎ去ったこと。今日という日を全力を尽くして楽しみたいね」

 「語録」は試合時だけに限らない。「勝つことは心の持ちよう。誰かが勝たなければならないのならわれわれではないのか!」と背中にプリントしたTシャツを、チームのメンバーに配ってもいる。

 4位西武に1ゲーム差と迫った24日の試合では、激走の三塁打を含む3安打を放つと、最近まで通算755本で大リーグの最多本塁打記録保持者だったハンク・アーロンの言葉を引用。「『調子が悪くてもバットを振っていけ』という言葉を自分に課したい」と、残り10試合を切った中、打撃でチームに貢献する意気込みを語った。」 ーー河北新聞よりーー

 人には色々な哲学がある。それは、面白いだけではダメなのだ。何故なら、それを言っている人がなにがしかの功績などを持っていないとその言葉を聞く人もいなくなるだろう。今回は、本当に行って良かったと思う。読んでいた、「開運 何でも鑑定団」の骨董屋、中島誠之助の、『ニセモノはなぜ、人を騙すのか?』の中にこんな一節があった。

 「見ることは体験することである。「行った、見た、帰った」ではなく、「行った、見た、感じた」なのだ。骨董だけではなく、すべてのジャンルにおいて同じことが言えるのではないだろうか。」と、書いてあった。それを読みながらその通りだと思った。これは、本物を体験する事を書いている部分でこう言っているのだ。ニセモノには、本物で体験した感覚を感じることは出来ないのだ。


 9月29日(土) 雨 49999/3

 24日の朝、バルセロナに戻ってきてホテルにチェックイン。JosemiさんからTEL。夕方会う約束をして、Jaume 広場に向った。目的はカステジャールス。人間の塔。ネットではその日見れると書いていたのでホテルの受付の若い子に訊いたら、プリントアウトされた資料を見て今日はないという。彼に訊いたのが間違いだったんだと気付いた。目的の広場を聞くとそれは直ぐに教えてくれた。4番線で1本で行ける。地下鉄を降りたら気付いた。セサルの泊まっているホテルの直ぐ近く。地図も見ないで人が沢山いる方へ歩いていった。坂を上っていくとスピーカーから声が聞える。広場の周りは身動き出来ないほどの人で一杯だ。それを流れに沿って掻き分けて広場の中に入っていった。日本人観光客もいる。

 広場に着いたのは13時過ぎである。ネットには12時からと書いてあったので終わったのかと思っていたら、始まった。これは色々なグループが参加しているようで断続的に続いているのだろう。何の前触れもなく塔が出来ていく。5重、6重の物が出来て1番上には子供が乗り片手を上げると歓声がなり塔は、上の方から解体していく。その時、1番上以外はどうやらその段の人全てが同時に腕などを掴みながら輪を作り下の段の人の体に触って解体していく。この時に、下の段の人がガッチリ組んでいないと塔は崩れ落ちるのだ。

 実際、一組はそうやって崩れた。しかし、危ないなっと思ってみていたが、塔の下には無数の人が顔がくっ付くくらいに密集しているので、落ちてきてもその人たちがガードになって地面に落ちる事はない。これはこの塔を作るときにも、下にいる人たちが支えている事を意味している。この人たちがいなければ塔は出来ない。そして、実際に上で塔を作る人たちも、1重目なり2重目なりになっている人は、お互いにラグビーのスクラムを組むように支えないと上に出来る人の塔を支える事が出来ないのだ。

 さっき崩れた組の場合は、そのスクラムがガッチリ組まれていなかったのだ。隙間が開き1人が降りるときに支えきれなくなって膝を折ったらその階の人全員が崩れ、その下の階も崩れ塔がなくなった。形だけのものでは、塔が出来ないし、出来ても直ぐにつぶれてしまうのだ。一人一人が全員を支える、そういう自覚持った人たちがこの塔を作らなければ塔は高くはならない。

 恐らく、カタルーニャの人たちは、この塔を作る事を体感する事によって自分たちの社会のあり方まで学び取っていったのではないかとさえ思えた。社会も一人一人によって支えられているように、また、その最小単位である家族は、よりいっそう一人一人によって支えられているのだ。それが自覚できない人間は家族を支える事は出来ないし、家族から支えてもらう事も出来ないのだ。

 このカステジャールスは、そういうことを体感してもらう為の行為のような気がする。上に昇る子供や女の子から、下で支える大人までこのことを理解しているのでないだろうか。つまり塔の出来不出来は塔の高さや、早くでき早く解体するという表面的なことではないような気がするのだ。みんながひとつの塔を支えているという自覚を持っているかということが重要な気がするのだ。見ていてそんな事が感じられたので非常に面白かった。ビデオにも収める事が出来たし観に来てよかったと思った。

 それからバルセロネッタに向いながら新聞を捜した。目的の、La Razon がない。バルセロナでは売っていないのかと思った。キオスコに行ってもない。ようやくバルセロネッタの先にあるキオスコにあった。それからいつも行くレストランに行った。6月17日下山さんとYさんと一緒に食べた所。もう、40分以上待たされてようやく席について注文するとメヒジョーネスが売り切れになっていてガッカリした。違うものを頼んで、メインはパエジャ。日本人には丁度良い米の炊き具合だ。パエジャにありつくまでがまた時間が掛かった。食べ終えてホテルに戻ったのが17時ごろ。それから、受付に行って新聞の切り抜き。

 そんな事などをやっていたら時間がなくなって一休みできなかった。18時になったので約束の場所へ向った。メトロの駅から地上に上るとランブラ通り。そこには、ヒガンテが通りを練歩いていた。これも見たかったのだ。タバコを吸っていると信号の先にJosemiさんとその友人が現れた。久しぶりに会った挨拶をして友人を紹介してもらう。カタランを喋れる人だった。ヒガンテを見ていると、右の胸を出した女のヒガンテが来たのでビデオを撮った。それから通りの向こう側に行こうとしたがヒガンテの行進があるので渡れず、出発点まで行き戻ろうとしていたら、今度は魚の骨のヒガンテが現れた。面白いのでこれもビデオへ。Josemiさんはヒガンテ好きだ。

 結局、出発点まで戻った頃には通りの向こう側の店はどうでも良くなって、海辺のイベント会場へ行ってワインの試飲会にいった。6ユーロで10ポイントも切符とワイン・グラスを貰い、2ポイントか3ポイントのワインを飲むのだ。1杯飲むのに話しながらゆっくり飲まないと酔っ払うので、時間をかけていたら、21時半を過ぎると店がドンドン閉まっていった。開いている所でも飲みたいワインがなくなっていたりでポイントを全部使えずに終わった。1つだけ、おいしいワインがあった。名前は忘れたが・・・。

 それとやはり困るのは、どれを頼むか書いている字が読めないのだ。例えば、VI NEGRE と書いているが良く判らない。VI は VINO の事で、NEGRE は NEGRO の事で赤ワインの事だという。赤を、NEGRO というのもおかしいがなんとなく感じは判る。バルセロナにいるんだからと、CAVA も飲んだ。ドライだから僕は好きだ。シャンパンより安いのが良い。日本では手に入るかどうかは不明だが・・・。

 それから中華に行きラーメン、ビーフンなどを食べた。マドリードのプラサ・デ・エスパーニャの地下のラーメンと同じくらい美味しいと言っていたが、麺はこっちの方が美味しいと思った。色々取り止めのないことを話したが、6月17日ホセ・トマスの復帰闘牛で、ガオネラという技をやってパセしたら、牛が足の5cmくらい処を通ったので、一緒に観ていた人に、「今の見た!こんな所、角が通っていった」言って顔を見たら、目から落ちた涙が頬を伝っていた、と話したら、Josemiさんが、「判る判る」と言って、知り合いの女性が、何とか言う歌手の歌のここの部分の歌詞に来たら泣くというのがあったからと、言っていた。そういうのは男には信じられない現象だが、女には既婚者であっても起こるのだと言う。勿論、闘牛を観て泣くのは、男も女も関係ないが・・・。

 途中、下山さんから何度かTELがあった。メトロで帰ろうとしたら1時で止まると言うことでもう目的地へは行けない事が判った。タクシーを拾おうとしたがなかなか拾えず、カタルーニャ広場まで行って拾って別れた。こういう息抜きの時間も必要だ。感謝の気持ちだ。それから、TELで下山さんと話をしならがホテルに戻った。シャワーを浴びようとしたが、眠いので止めて軽く荷物整理をした。出発ギリギリになって忘れ物があったら悔いが残るからだ。それから、3時間半くらい寝て5時半に目覚ましで起きた。荷物整理をしていたら、モーニング・コール。シャワーを浴びて体を拭いてタバコを吸っているとタクシーが来たと、受付からTELが入った。

 荷物を持って鍵を返してタクシーに乗って空港と言って、何分くらい掛かるか訊いたら、通常は15分か20分と言った。それから無線で道路状況を訊くと、空港に向う道で事故があり、混んでいるので普段より時間が掛かるということだった。飛行機は何時と訊かれたので、9時だと告げた。2時間前に着きたいからだというと感心していた。空港には通常の倍近い時間が掛かったがそれでも早めに出たので、7時前には着いた。それからチェック・イン・カウンターへ行って切符を受け取った。

それから朝飯を軽くバルで済ませて外へ出てタバコ。時間があったが、祭りでお土産屋が開いていないので空港で何かを探さないといけないので出国手続をして免税店へ。そこでお土産を買ってさあタバコと思って職員に訊いたら、バルセロナの空港内は全て禁煙だと言う。信じられない!マドリードでは考えられない事だ!ここはスペインじゃない!イギリスのロンドン、ヒースローと同じで、アングロ・サクソンの国なのか?

 結局、スペイン時間の25日8時頃から、日本人間の26日9時頃までの16時間もタバコを吸えなかったのだ。これは、人生の大きな損失のようなものだ。タバコを吸えないような環境の悪い所に監禁に近い状態で置かれるのは体に悪い事この上ない。

 おまけにヒースローでは、ポンドを持っていないので売店でカードで食べ物を買おうとしたら、カードの暗証番号を2回入れと言われたので不審に思い買うのを止めた。仕方ないので、他の処でサンドイッチと飲み物を買った。それにしても、ポンドが高いのか、物価が高いのか?ブリティッシュ・エアウエイは、倹約しているのか、食事が物足りない。多分食事と食事の間が開きすぎているから空腹を感じるのだろう。それにバルセロナ、ロンドンの間もお金を出さないと食べれないようになっている。行きはさすがに夜が遅いので店が閉まっていたら困るので、お金を出して食べたが、戻りは、食べなかった。その代わり、ヒースローで食べようと思ったが、考えが甘かった。

 成田に着いてタバコを吸ったら体がしびれた!

 久々に馬券を買いにWINSに行ってきた。秋のGTシリーズが始まるからだ。馬券を買った後、番組表を貰ってきた。競馬は、重賞を中心にどの馬がどういうローテーションでGTに挑んでくるのを想定して、馬の動きや厩舎の思惑を考えレースを待ち予想をする。闘牛は、GTのような試合はないが、中心になるのが、大きな闘牛祭です。マドリードならサン・イシドロ。セビージャならフェリア・デ・アブリル。どの闘牛士が何処の牧場でフェリアに出場するかを考えて、自分の行動計画を立てるのが常である。こう言うのにも、競馬が役立っているわけだ。

 内舘牧子が、横綱審議会で朝青龍に引退勧告を出した方が良いと言ったそうだが、時津風部屋であった若い力士のリンチのような死亡事件があったが、それについて何もコメントを出していないのは何故なんだ。横綱の品格がないとかいうのが、朝青龍への引退勧告なのだろうが、死亡事故を起こした時津風親方がやった事は、朝青龍以上に非道いことではないか!まず人間としてやってはいけないことなのに、それに対して何のコメントも出さないというのは、内舘牧子の人間性を表していると言われても、しょうがないのではないのか?まさに品格という物を誤解・曲解している証拠のように思える。そんな人間を横綱審議会に入れていること自体が角界の退廃に繋がっているのだ。


 9月30日(日)  5029

 スプリンターズ・ステークスの予想は、◎キングズトレイル、○ペールギュント、▲コイウタの3点買い。1番人気のサンアディユは前走5馬身差の圧勝をしてタイムも良いが、4走前までは ダートしか走っていなかった馬。それと騎手で切った。どうなるかは15時40分過ぎに判る。

 22日代わりのホテルに移動中にYさんからTELがあり、16時半に闘牛場のプエルタ・グランデ前で待ち合わせをしたことは既に書いた。バルセロナからセルカニアで1時間ちょっと。初めてホテル。未だ大分時間が有るだろうと思っていたらホテルに着いたら直ぐに出かけなければならないことに気付く。必要なものを用意してバルセロナに向った。空は曇っている。雨が降るかもしれない。

 電車は海岸線を通っている。海の色が綺麗だ。9月末だが海岸には水着を着た人が結構いる。日本じゃ考えられない。今はもう秋。誰もいない海なのだ。ここは人はいるが老人が多い。若い子がいるなぁと、思うと小学生なのだ。バルセロナの北の海岸は多分、保養地でキャンプ場などもある。海岸近くにホテルがあると、老人たちが泊まっているようだ。多分、8月は凄い人手なんだろうなぁと思う。バルセロナからほぼ20kmくらい海水浴が出来る海岸が続くと言うのも凄いものだ。

 16時頃、バルセロナのエル・クルト・アラゴンに着く。それからメトロで1本直ぐの処に闘牛場がある。昼飯も食べていないのでモヌメンタルに着いたらバル行った。まずトイレに行くと人が並んでいた。トイレから出てきたのが、ホセ・トマスの担ぎ屋、ペドロだった。彼は携帯の写真を見せてくれた。フランスのダックスで、ホセ・トマスを担いでいる写真だった。それから少し話してホセ・トマスの泊まっているホテルを教えてくれた。だから、セサル・リンコンのホテルを訊くと、パレスと教えてくれた。今日の切符を持っているか聞くので、持っていると言うと残念そうな顔をした。それから10ユーロくれと言って来た。だから、断わった。ペドロはホセ・トマスとセサル・リンコンの泊まっているホテルを教えたじゃないと言った。でも、お金は渡さなかった。彼は闘牛士を追っかけてテンポラーダを過ごす。その間は働いていない。バスや電車などを使って追っかけるのだ。4月もセビージャ行きのバスターミナルでペドロに会っている。勿論、ホテルの前でも。時々闘牛にもお金を要求したりするようだが、勿論、プエルタ・グランデの時に担ぐと後からいくらかのお金が貰えるようだ。彼のよ うな担ぎ屋は今は少なくなった。97年頃は良く知っている奴だけで3人いた。あの頃ペドロはセサルに付いて担ぎ屋をやっていた。98年からは完全にホセ・トマスの担ぎ屋になった。丁度セサルも体調を崩して、アーニョ・サバティコを取った時期と重なる。

 バルでボガディージョを頼みプエルタ・グランデ前で立って食べているとYさんが来た。やはり時間がなくて昼食を食べていないと言うので6月17日朝早くから並んで切符を買った後、ビールで祝杯したバルに行ってサンドイッチを食べた。あれから、Yさんは、エル・プエルト・デ・サンタ・マリアと、マラガに下山さんの車で一緒にホセ・トマスを観に行ったと言う。あの時以来、下山さんには大変お世話になったと感謝していた。そう6月17日。サンツ駅まで、下山さんとYさんは、僕を見送りに来て貰った。その後、Yさんは前日の3時から起きていたので、早く部屋に帰ってシャワーを浴びたいと思っていたそうだ。下山さんは、ホセ・トマスの闘牛の興奮状態のまま話がしたかったのだろう、一緒に夕食を取って闘牛の話をして、上記のエル・プエルトや、マラガに一緒に出掛ける事になるのだが、その日そろそろ帰ろうか言う事になり、お茶をしたホテルにタクシーを呼んで貰い待っていると、外からホセ・トマスが戻ってきた。それを観たYさんは、ガオネラをやった後、涙を流したように、頬を涙がボロボロ伝わり感動で一杯になったと言う。

 下山さんは、ホセ・トマスに、今日の闘牛は本当に素晴らしかった言い、コルバチョにTELで話したら感動していたと伝えた。ホセ・トマスは、嬉しそうな顔をしていたと言う。コルバチョにとってホセ・トマスは、わが子同然。自分が育て上げた闘牛士だ。今は離れているが、気持ちはいつで一緒にいる。復帰戦の闘牛が終わった後、下山さんがコルバチョにTELして、ホセ・トマスは以前の良い時と変わらない闘牛をやっていて、とても5年ぶりに復帰した闘牛士には思えない。感動した事を伝えると、コルバチョは、嗚咽を上げて泣いたと言う。下山さんは、ホセ・トマスにこの事を伝えたかったのだ。

 未だトランス状態の中にいただろうYさんは、5年ぶりに復帰した事をホセ・トマスに感謝し、「あなたのファンです。これからは闘牛を止めないでずっと続けてくれますか?」と、訊いたら、「ずっと続けます」と応えてくれたと言う。Yさんは、下山さんには本当に感謝しています。あの日ホセ・トマスの会えたことは、一生忘れません。と断言していた。

 人は何故、興奮して話している時、瞳が輝くのだろう?涙腺が緩んで涙目になっているからだろうか?それとも、気が入って喋っているから瞳まで生き生きしてしまうのだろうか?Yさんは、私は休みを申請するのが早いから、休みが取れるの。後から申請した人は、今日はお仕事が入っています。3人くらい泣いています。皆さんの犠牲の上でこうやってホセ・トマスの闘牛が観れます、と、言っていた。僕も同じようなものだ。突然だが、バルセロナに来れた事を感謝している。

 時間が来たのでバルを出て闘牛場へ向った。席は、ソルのバレラのフィラ2。ラス・ベンタス風に言うとコントラバレラ。曇っているので逆光にもならない。ビデオ・カメラを覗くと、あらまあなんと、TV画面のようなアングル。光学34倍ズームの威力の凄さだ。ここから撮るとTV中継のような映像になる。フリやペレラ、ファンディの画面は本当に凄い。コントラバレラだと、ワイヤーロープが邪魔になり撮影し難いという難点が付きまとう。今回は、1脚を持っていっていたので高さを調整して、ロープで撮影が邪魔されないようにした。そうすると、今度は、ファインダーを覗き難くなると難点が出る。それを解決したのが、液晶画面。これを出して観ればファインダーを覗かなくても撮影が出来る。そして、画面はTV並みになる。

 そういう感動を持って22日の撮影した。あくまで練習。本番は23日。でも、23日の席は、グラダ。遥かに悪い席でどれだけの映像が撮影できるものなの・・・。


 10月1日(月) 雨のち曇 21121

 空転していた国会は再開されて福田首相が、所信表明演説をした。小泉改革の郵政民営化が今日からスタート。また、気象庁が震度5弱以上と予測される地震の緊急地震情報を一般への提供を開始した。これにより防災時の対応がどう変化するのか公的機関や企業の対応が注目される。

 昨日のスプリンタース・ステークスは惨敗。雨の不良馬場になったのが惨敗の結果なのか、予想自体が間違っていたのか・・・。多分、原因は両方だ。毎日王冠は、東京競馬場へ行って観ようと思う。今週はデータ収集と分析、調教で調子を確認して挑みたい。

 歯医者に行き、治療が完了。後は返済が残った。これで歯は一応治った。11月には健康診断。

 夜、荻内先生にTEL。10月の闘牛の会は、何処でやるのか話し合う。予定してた所は10月の第2土曜日では時間的に無理なので違うところを探さなければならなくなった。KadoyanにTEL。公的な場所(区の施設)は時間的に無理とのこと。それならみんなが判っている所が良いという。それで、Aoyuzuか、安田スタジオ。安田さんへ連絡。不在だったのでメールも打って返信待ち。どうなるかは判らない。良い返事が訊ければいいが・・・。

 セサル・リンコン最後の闘牛は2008年2月24日コロンビアの首都ボゴタで、ラス・ベンタス・デル・エスピリトゥ・サント(セサル・リンコン)牧場で、エンリケ・ポンセとのマノ・ア・マノに決まった。地元、サンタ・マリア闘牛場でセサル・リンコンは最後を飾る。これが本当の最後の見納めになる。


 10月2日(火) 曇 9297

 安田さんと連絡が取れ、OKも出た。現在、流浪の闘牛の会の開催場所は、安田スタジオに決定した。なお、11月以降の開催場所については、荻内先生が今週交渉に当たる。結果は今週中に発表できるかも知れない。ただ時間が掛かるかも知れないのでどうなるか・・・。

 前を向いて進んでいこうとする姿勢がないと全てにおいてダメだ。そういう気持ちがないと言うことは、向上心もないし、技術も上達しない。こう言うのを一般的な言い方をすれば、やる気がないという。そういう人には、周りを見渡す視線がない。いつも、自分1人で生きているような感じなのだろうが、本当は周りの人に支えられていることを分かっていない人が多い。

 「おもてなしの心を持てば、どんな道も開けてきます。あなたはそれをみんなに見せてくれた。みんなの心が1つになっていったんです」
 「来る者、帰るが如し」 「あたし、笑顔でみんなを幸せにしたいと思ってた。でも気付いたの。家族の笑顔。仲間の笑顔。そして、加賀美屋のみんなの笑顔。そんな1つ1つの笑顔が自分を勇気づけていることに。みんなの笑顔があるからこそ自分もまた、笑顔になれるんだって」

 NHK朝ドラ、『どんと晴れ』はハッピー・エンドで終わった。常に前向きだった夏美が良かった。


 10月3日(水) 曇 28531

 国会では、代表質問が始まり、民主党の鳩山幹事長は、質問の始めの部分で、「直近の民意は参院側にある。福田内閣は民意を受けていない。首相の最初の仕事は衆院を解散し、総選挙で自民党福田内閣か、民主党小沢内閣か、国民の審判を仰ぐことだ」と早期衆議院解散を要求した。初っぱなから対決姿勢を鮮明にした。

 高校生ドラフト会議が行われ注目の、「大阪桐蔭の超高校級スラッガー、中田翔外野手(18)の指名は1巡目で阪神、オリックス、ソフトバンク、日本ハムの4球団が競合し、抽選の末に日本ハムが交渉権を獲得した。
 中田は授業のため、ドラフト開始後、会見場に入った。その場で交渉相手が「日本ハム」と初めて知らされると含み笑いでニヤリ。「パを連覇していて、強いチーム」と印象を語った。表情は明るく入団に障害はなさそうで、北海道の印象を問われると「白い恋人ですね」と答え、場内の爆笑を誘った。プロでは「ここという時に打てるバッターになりたい」と言い、「三塁」に挑戦したい希望を明かした。」 ーースポニチよりーー

 もう1人の注目選手、仙台育英の佐藤由規は、希望だった地元の楽天ではなく、ヤクルトの古田監督が引き当てた。甲子園で150キロを連発した投手は、「どこへ行っても地元の方に応援されたいので、期待に応えるプレーをして最終的には全国民から応援されたい」 「ここまでスピードが上がってきたので、日本最速と世界最速までを狙いたい」 「野球を始めたきっかけは兄の影響。もともとそんなに好きではなく、無理やり始めた感じだった。今となっては自分にとって大切な宝物。野球をやらせてくれた兄に感謝したい。苦しいことも楽しいこともたくさんあり、両親の支えがあったからここまでこれたと思う。プロに入って家族孝行ができるよう精いっぱいプレーしたい」 ーーサンスポよりーー と、涙ながらに語った。

 佐藤を取られた野村克也楽天監督は、「古田は仙台ファンに恨まれる」悔しさをにじませたという。が、面白かったのは、中田の、北海道の印象を問われると「白い恋人ですね」というのは、笑える。こういう風に一般的に浸透している商品を持っている企業が、賞味期限改ざんという失態をやったことを、深く反省するべきだと改めて思ったことだろう。

 これから風呂に入ってNHKの、「歴史ドキュメントゼロワン「グルメ誕生〜北大路魯山人と器〜」観ようと思っている。楽しみだ。


 10月4日(木) 曇 6201

 『アエラ』を買ったら表紙が沢尻エリカだった。この前舞台挨拶か何かで、ご機嫌斜めで、ムッとした事が話題になった女優。アエラの紹介文には、「役ではなく一人の表現者として、何かを残していきたい」というコメントがあった。そういう思いは大事にした方が良いと思う。が、この前のプッツンで、新聞は「エリカ様」という見出しでおちょくっている物が多い。本当に表現者として何かを残していきたいと思うならああいう誤解を招く態度は取らなきゃ良いのと思う。こんな事ばかりやっていると、周りが、自分の失敗を助けてくれなくなるのに・・・。

 それで思い出したのが、時差ボケで寝れなくて深夜見たTVに加藤和彦が出ていてそこで歌った、高田渡の、『鎮痛剤』と言う歌だった。この歌詞が凄いよなぁ。

退屈な女より もっと 哀れなのは かなしい女です。
かなしい女より もっと 哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと 哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと 哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと 哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと 哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと 哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと 哀れなのは 忘れられた女です。

ーー原詩:マリー・ローランサン 訳:堀口大学 作曲:高田渡ーー

 高田渡は、『生活の柄』では、山之口獏。『アイスクリーム』では、ラングストーン・ヒューズの詩に曲を付けて歌った。最近は、良く岡林信康との対極に当たると言われる。僕が昔読んだ文章に、岡林ではなく高田渡がフォークの神様と言われる存在になっていたらもっと違う現象が起こっていただろうと、言う物だった。確かにそうだと思ったが、しかし、その風貌とか雰囲気という物がそうさせなかったのだろうと思う。

 何故か沢尻エリカで、『鎮痛剤』を思い出した。


 10月7日(日) 晴/曇 44344/3

 この前、久々に一馬にTELをした。読んでますよ、断腸亭と、意外なことを言われて、恥ずかしい思いがした。書いていることが恥ずかしいのではない。そうやって何年も会っていなくてもHPを通じてこっちの今が判っていることが、恥ずかしいと感じたのだ。それでも、そうやって繋がっているんだなぁと思った。最近は全然競馬はやっていないが、予想はしているという。今度もまた、休日出勤です。と言っていた。相変わらず忙しそうだ。そして、元気。子供が風邪をひいて看病していて家にいた。嫁さんとも仲良くやっているようだ。

 これから久々に東京競馬場へ行く。今日は毎日王冠。ダイワメジャー中心になるだろう。京都大賞典は、普通に考えればインティライミとポップロックだろうと思う。心配がないわけではない。引退レースとなる京都功者ファストタテヤマがどういうレースをするか?また、スローの瞬発力勝負になった時に、ポップロックが抜け出せるかという疑問があるからだ。毎日王冠はパドックを観て決める。自分の相馬眼が今でも確かかどうかが問われるのだ。

 6日の結果。 マドリード。アベジャン、耳1枚。ファン・バウティスタ、耳2枚。ペレラ、耳要求。 サラゴサ。パウリタ、耳1枚。アレハンドロ・タラバンテ、耳要求。ダニエル・ルケ、耳なし。 ソリア。サンチェス・バラ、耳1枚が2回。セラフィン・マリン、耳1枚。イバン・ファンディニョ耳2枚。 モントロ。フィニート、耳1枚、耳2枚。ファンディ、耳2枚、耳1枚。 マカエル。コルドベス、ハビエル・コンデ、ホセ・オリベンシア、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。 マンチャ・レアル。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、アルバロ・モンテス、耳1枚。闘牛士、ペピン・リリア、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。フリオ・ベニテス、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。 オリアス・デル・レイ。フンディ、耳1枚が2回。ロブレニョ、耳1枚。バルベルデ、耳2枚。 ロケタス・デ・マル。エンカボ、カナレス・リベラ、弱い口笛。フェレーラ、耳2枚が2回。


 10月8日(月) 曇 11626

 昨日の夜、荻内先生からTELがあり、これから出てこない?と、シタールされた。30分もしない所にいたので出掛けていった。先生は仙台から帰ってきたばかりで、未だ予定していた所とは話が進んでいなかった。今後の展望を話、11月も多分無理そうだろうという感触を掴んだ。来年からになるかも知れない。それとも・・・。

 建て替えた東京競馬場のスタンドには綺麗になっていた。勿論本来は今年の春にお披露目になっているのだが、スペインに居たから初めて見たのだ。ガラス張りの指定席は中山競馬場の様で好きになれない。あの古い汚いスタンドが僕は好きだった。大体競馬場に禁煙スペースがあること自体が許せない。いや、パドックを禁煙にしているのは、馬のためには良いことなのでそのことには反対しない。が、建物の中を禁煙にするのは、時代の流れとはいえ気分が悪い。

 毎日王冠は、パドック観ても判らない。ダイワメジャーの体は問題なかった。しかし、インフルエンザの影響で帰厩が遅れ追い切りが1本足りなかった事が原因か、レコード決着になったのが原因なのかよく判らない。ハイ・ペースで中段待機のチョウサンとアグネスアークの5枠2頭がダイワを差し切った。あれじゃしょうがない。京都大賞典は、思惑通りの結果になった。こういう風になるべき競馬というのがあるが、まさにそういう競馬。

 凱旋門賞は、詩人と同じ名前のディラントーマスが優勝した。

 7日の結果。 マドリード。フンディ、ラファエリジョ、ロペス・チャベス、耳なし。 カセレス。バレラ、エウヘニオ、耳なし。エミリオ・デ・フスト、耳2枚。 エジン。エル・シド、ファンディ、耳1枚。ペレラ、耳2枚が2回。 フエンヒロラ。ヘスリン、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。コルドベス、耳2枚が2回。ダビ・ガラン、耳1枚、耳2枚。 モハドス。エンカボ、耳1枚。バルベルデ、耳1枚、耳2枚。ラウル・アロンソ、耳2枚。 トゥレ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、マヌエル・カエタノ、耳2枚。闘牛士、アルフォンソ・ロメロ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。ヘスス・デ・アルメリア、耳2枚と尻尾1つが2回。 バレラ・デ・アバホ。ホセ・カルボ、耳なし。エル・レンコ、耳1枚、耳2枚。ミゲル・アンヘル、耳なし。 マディナ・デ・ポマル。サンチェス・バラ、耳なし。イバン・ビセンテ、耳1枚が2回。ホセリージョ、耳1枚。


 10月10日(水) 曇 26696/2

 昨日の朝は有意義だった。気持ちが明るくなって希望が見えた。

 夜、DVDの編集をした。これが闘牛の会で流すことになる。

 8日の結果。 サラゴサ。ロペス・チャベス、耳なし。バルベルデ、場内1周。セラニト、耳1枚。

 9日の結果。 サラゴサ。ウセダ・レアル、場内1周。クーロ・ディアス、耳要求で場内1周。モレニート・デ・アランダ、耳なし。 バレンシア。フンディ、耳なし。ビクトル・マヌエル・ブラスケス、耳1枚。ファン・バウティスタ、弱い口笛。 ロソジャ。トマス・サンチェス、耳2枚、耳1枚。サンチェス・バラ、耳2枚と尻尾1つ、耳2枚。エル・ゲハレニョ、耳1枚。


 10月12日(金) 曇 33445/2

 亀田が負けた。最後はヤケを起こしていた。ボクシングはつまらない試合だった。内藤の経験に亀田が負けたわけだが、会場の雰囲気は、元いじめられっ子内藤を応援していた。ボクシングエリート一家との、対比でそういうことになったのだろう。

 NHKのハイビジョン特集「証言記録 マニラ市街戦〜死者12万 焦土への1か月〜」を観た。日本兵、1万6千人。アメリカ兵、千人。マニラ市民、10万人。合わせて約12万人の死者が出たという。戦争とは、本当に悲惨な物だ。日本兵は悲劇的な運命を辿る。そして、焦土となるマニラ市民もまた同じだ。最後で、アメリカ兵、日本兵、マニラ市民が証言する。アメリカ兵は泣き、何故こんな事になったのか判らないという。日本兵も、あんな中に放り込まれたら評論家が後からああすれば良かった言うだろうが、身に掛かる火の粉をはらうので精一杯になると言っていた。マニラ市民の一人は、もう戦争の証言はしない。この取材で終わり。思い出すとつらくなるから。許します。後は神の判断に委ねますと言っていた。アメリカ兵の一人が、戦争を指揮する人間を前線に送れば、戦争はゼロになると言っていた。そして、甚大な被害を受けてもなお、「許します」と言ったマニラ市民の言葉の背景にある感情を、平和ボケしている自分の胸に刻むべきだと思った!

 カエルさんとモチゾウさんから貸して貰ってDVDに焼いていたディランの『はげしい雨』を久々に観る。

 「JR東日本などによると、12日早朝、東京都内の首都圏の駅の一部で自動改札が作動しないなど、トラブルが発生している。  トラブルが起きているのは京浜東北線や地下鉄の一部の駅の改札システムで、渋谷駅などJR東日本の約100駅、東京メトロ丸ノ内線の大手町駅など地下鉄約50駅。始発から電源が入らないなどの障害が発生したという。」 ーー朝日新聞よりーー

 10日の結果。 サラゴサ。ファン・バウティスタ、場内1周。サルバドール・ベガ、耳なし。マティアス・テヘラ、耳要求。

 11日の結果。 サラゴサ。フィニート、耳なし。フリ、耳要求。ファンディ、耳1枚、耳1枚ともう1枚要求でプレシデンテに罵声。


 10月14日(日) 曇 30694/2

 昨日闘牛の会があった。バルセロナのメルセ祭りの様子から、ヒガンテと人間の塔。そして、9月23日バルセロナの闘牛を流した。セサル・リンコン最後のスペインでの闘牛とホセ・トマスの闘牛。この為に新しくデジタル・カメラを買って持って行っての撮影。新しくHPを観て闘牛の会に参加した人もいました。その後の飲み会で今後、色々な案がありましたが、安田スタジオで定例会を開催することになった。

 今日は、秋華賞。検討の結果、GT馬が4頭出走するがウォッカとダイワスカーレットの1点勝負。府中牝馬ステークスは、アサヒライジングから、ディアデラノビアと、ヤマニンアラバスタへの2点。清水成駿の予想が泣かせる、秋華賞。そうなるかは、15時40分発走後に判る。


 10月17日(水) 曇 49351/3

 「ペンネームは松本美樹。職業は司会者に俳優、エッセイストにしてスポーツキャスター。実に多芸な人であった。が、幸か不幸か、ラジオ日本、TBSの番組アシスタントを通じて競馬にはまる。生まれは漁師町の千葉・勝浦。潮風育ちの気風のよさが、ピッタリ競馬にフィットしたのだろう。どっぷり漬かる。で、ご主人は競馬評論家の朋友S氏。これも当然の帰結であった。
 そんな彼女が病魔に魅入られたのはちょうど2年前。我が家に遊びに来た直後のこと。医師の診断は余命1年の大病であった。が、彼女は死期を悟りながらも、決してくじけなかった。気持ちの強さだろう。大好きなタバコをふかしながら倍の2年をダイナミックに生き、今週の木曜、宵の明星が西の空にきらめく頃、黄泉の国に旅立った。
 思い出すのは今年のダービー。「やったね」とベットからVサインを出されても、ヒモを外したんじゃあ有価証券にならない。苦笑いするばかり。ただし、女馬でダービーを勝ったウォッカは間違いなく彼女の寿命を支えたうちの一人ではなく一頭。「ゾクゾクする強さに元気をもらった」とは、つい昨日のことのよう。だったらあと1週、せめて3日、彼女の命を永らえてほしかった。運命は人の都合を待たない。合掌。
 秋華賞はそのウォッカでいく。」 ーー2007年10月13日(土曜日)清水成駿の馬単三国志よりーー

 秋華賞は、ローズ・ステークスを叩いて挑んだ、ダイワスカーレットが圧勝し、ウォッカは追い込んだが3着に敗れた。清水の泣かせる物だったが、やはり書いているように黄泉の国行ったと言うことは、今思えば、つまりウォッカの負けるところを観たくなかったということだったのかと、レースが終わって思ってしまった。ダイワスカーレットの調教師が言っているように、こっちはトライアルを叩いて、向こうはぶっつけでの対戦。勝負付けは未だ済んだとは思っていない。次走はエリザベス女王杯で本当の勝負が決まるでしょう。と言うことになるのだろうが、ウォッカは、JCに行くのか、エリザベス女王杯に行くのか未だ不明。

 今週は、3歳牡馬三冠最後のレース、菊花賞。秋華賞の予想は簡単だった。ダイワスカーレットにするか、ウォッカにするかが予想の基だった。今回は、上がり馬4連勝で出てくる無敗のロックドゥカンブが中心になるだろう。ロックドゥカンブ対春のクラシック組という構図。

 15日アビラで行われた見習い闘牛で、チェチュがコヒーダされ、右太腿の動脈を切る大怪我をした。非道い怪我だ。アレナには彼の動脈から溢れ出た流血が水たまりのようになったようだ。チェチュはサン・イシドロ前のファリア・デ・コムニダに出場して雨の降って震えるくらい寒い中で耳1枚切った見習い闘牛士だ。闘牛とは、非常に危険でこういう風に生命の危機が直ぐ隣にあるのだ。


 10月18日(木) 曇 2280

 フリアン・ロペス“エル・フリ”がメキシコで名前を上げ、スペインに帰国して闘牛を始めた97年。16歳の少年は、天才闘牛士と持て囃され3年くらい続くフリ・ブームが沸き起こり追っかけの女の子たちが現れた。フリが出場する闘牛場は何処へ行ってもノー・アイ・ビジェテの満員だった。思春期の少年の横にはいつも、父親が付いていて子供を守っていた。あの頃のフリは、技術が未熟だったが、勢いがあった。鮮度の良い旬の食べ物のような喜びを感じられた。そのうち、4年もするとそれだけではどうしようもない現実に突き当たった。

 セビージャでは結果が出せたが、マドリードでは、結果が出せなかった。アポデラードが何人も交代し、今のロベルト・ドミンゲスになってからようやく落ち着き始め、自分の闘牛のスタイルに落ち着きつつある。あれから10年だものなぁ。来年アルテルナティーバしたニーム(フランス)で記念の闘牛が行われるという。

 昨日、亀田大毅と父親、共栄ジムの金平会長が、この前に世界戦での反則行為について謝罪記者会見をした。亀田大毅は坊主頭にして会見場に現れたが、一言も謝罪することなく抱きかかえられるように退場した。父親や兄がいつもタテになっていてくれたから今までは良かった。しかし、ヤケを起こして反則を繰り返してボクシング協会から制裁を受けた。負けたという受け入れがたい現実と、制裁の挫折は想像以上に痛々しかった。

 自分の足で歩くのは、大変なことだ。亀田一家のパフォーマンスは、いわば父親の生き方その物である。それを踏襲する形で興起のそれもあった。勝っているうちは良い。が、負ければ今まで面白いように取り上げていたマスコミは掌をひっくり返した様に亀田叩きをするのだ。おそらく、人は生き方をなかなか変えることは出来ないだろう。変えなければならないのは、ボクシングのスタイルである。そのことが判ったとき、大毅のボクシングの未来が見えて来るのだろうと思う。

 そういう意味でエル・フリは、幸運な闘牛士だ。大毅のような受け入れがたい現実に直面する前に、自分の闘牛スタイルを見詰めなおして今の闘牛になったのだから。それでも、闘牛ファンは未だ満足していない。10年経ってもこれである。ボクシングという過酷なスポーツで、どうやって自分のスタイルを確立していくのか、それは、かなり高い山だと思う。自分のいう物が判らないと現状を打破できないだろう。


 10月20日(土) 晴 36764/2

 昨日は、疲れた。研修へ行って、夜は新宿高島屋へ。須佐君と久々に会ってスペイン展へ。足立さんが働いていた。思いがけず荻内先生に会った。貫井さんとも久々に会う。その他の人にも会った。ワイン、シェリー酒、オリーブ油、生ハムなど色々なスペインの物産が売られて、レストランなども出店されていた。先生からホセリートの生ハムの話を訊く。そういう意味でホセリートの生ハムが美味いと言っていたのかと理由が分かった。アンダルシアのベジョータは油分がしつこい感じで、サラマンカ付近のホセリートに代表される生ハムは上品でしつこくない油分だと言うことだった。

 その他に、スペインの助成金の問題も話していた。何故、闘牛関係の出版にはお金が出ないのか。色々そういう物を政治的に動いて自分の思うようにしようとしている人がいるんだなぁというのが判った。それとワインを売っている渡辺さんという人から、ワインを詰める樽の話を訊いて面白いと思った。樽の内側を焼いたり、新樽に詰めたり、ワインによって変えるという話。ジャック・ダニエルのように樽の内側を焦がした物に詰めたワインというのはどういう味になるのか興味がそそられる。先生にこの前の所に誘われたが、寝ていないからお断りを入れて、須佐君と夕食を取った。

 Tシャツにレアル・マドリードの選手たちのサインを書いて貰った物を持っていた。「!Mas Vida 、愛、Alegria!」と言う文字が書かれている。日本のイジメや自殺の問題を、「生きていれば、愛や喜びがある」というメッセージにレアル・マドリードの選手たちにサインして貰い、日本の子供たちに発信するという事に、会長のラモン・カルデロンが賛同して、25人の選手からサインを貰った。それを色々な人に観て欲しいという活動を須佐君がしているのだ。

 須佐君の今や今後の話、闘牛と俺がやりたいと思っていることの話をしてきた。彼はいつも熱い男だ。あの熱がこっちにも伝染しそうな勢いだった。自分のこれからを考えなければならないと強く思った。

 ラス・ベンタス闘牛場の興行主のタウロデルタのホセ・アントニオ・マルティネス・ウランガはホセ・トマス側とコンタクトを取って来年サン・イシドロとアニベルサリオの2回の出場を依頼した。

 12日の結果。 マドリード、ギジェルモ・アルバン、セルヒオ・アギラール、ヘスリ・デ・トレセラ、耳なし。 セビージャ。サルバドール・コルテス、耳1枚、耳2枚、耳1枚。 サラゴサ。ヘスリン(引退)、エル・シド、セサル・ヒメネス、耳なし。 フエンヒオラ。ファンディ、耳2枚、耳1枚、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ、耳1枚、耳2枚。 カランダ。パウリタ、耳要求。マティアス・テヘラ、耳1枚、耳要求。パロモ・リナレス、耳2枚。 オリベンサ。フェスティバル闘牛。騎馬闘牛士、ジョアオ・モウラ、耳1枚。闘牛士、オルドニェス、耳1枚。フェレーラ、耳2枚と尻尾1つ。フリ、耳1枚。ペレラ、耳2枚と尻尾1つ。見習い闘牛士、ハイメ・マルティネス耳1枚。 トメジョソ。ルギジャーノ、耳なし。アニバル・ルイス、耳2枚。ヘスス・ミジャン、耳1枚が2回。 トレオン・デ・ベラスコ。ミックス闘牛。闘牛士、ビクトル・ハネイロ、耳1枚、耳2枚。バルベルデ、耳1枚。見習い闘牛士、ラウル・マスカラケ、耳1枚。 ウヒジャル。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、アルフォンソ・ロペス・バジョ、場内1周、耳1枚。闘牛士、サンチェス・バラ、耳1枚が2回。アルバ ロ・フスト、耳なし。

 13日の結果。 サラゴサ。フリ、サルバドール・ベガ、耳なし。ペレラ、耳1枚。 ハエン。クーロ・ディアス、耳1枚が2回。マティアス・テヘラ、耳1枚。ダニエル・ルケ、耳1枚ともう1枚要求。 トーレ・パチェチョ。ペピン・リリア、耳1枚、耳2枚。ハビエル・コンデ、口笛、耳2枚。ファンディ、耳1枚、耳2枚。 カランダ。エル・シド、耳1枚。アントン・コルテス、耳1枚が2回。セサル・ヒメネス、耳1枚、耳2枚。 オルメド。マノロ・サンチェス、カナレス・リベラ、ビクトル・ハネイロ、耳1枚。 チィンチョン。フェスティバル闘牛。エスプラ、耳2枚。フンディ、耳なし。アパリシオ、ファン・バウティスタ、耳2枚と尻尾1つ。エル・ペラ、耳1枚。ミゲリン、耳2枚。

 14日の結果。 サラゴサ。フンディ、耳なし。ラファエリジョ、耳要求で場内1周。ヘスス・ミジャン、耳なし。 ハエン。ファンディ、耳1枚が2回。アレハンドロ・タラバンテ、耳1枚。クーロ・ヒメネス、場内1周、耳2枚。 レガネス。ロペス・チャベス、耳なし。サンチェス・バラ、バルベルデ、耳1枚。 トバラ。セラニト、耳2枚。アントン・コルテス、耳なし。アンドレス・パラシオス、耳2枚。 ラ・ペサ。サルバドール・コルテス、耳1枚、耳2枚、耳要求、耳2枚と尻尾1つ。ルイス・マリスカル、耳2枚と尻尾1つ。 エスパルティナス。フェスティバル闘牛。闘牛士、ルイス・ミゲル、耳2枚と尻尾1つ。ビクトル・メンデス、耳1枚。パディージャ、耳2枚と尻尾1つ。ミウラ、耳2枚。見習い闘牛士、アグスティン・デ・エスパルティナス、耳2枚と尻尾1つ。アフィシナード、アドルド・スアレス・イジャナシンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。

 15日の結果。 ハエン。サンチェス・バラ、場内1周。イバン・ファンディニョ、耳1枚。ハビエル・ゴンサレス、耳1枚、場内1周。

 18日の結果。 ハエン。コルドベス、エル・シド、耳2枚。アレハンドロ・タラバンテ、耳1枚と強いもう1枚要求でプレシデンテに罵声、耳2枚。


 10月21日(日) 晴 11340

 今日の菊花賞予想。◎ロックドゥカンブ、○アルナスライン、▲アサクサキングス、△ドリームジャーニー、ヴィクトリー。買い目は、ロックから印へ4点と、アルナス、アサクサ、ドリームの3点。15時40分発走後に結果が判る。

 NHKの朝ドラ『ちりとてちん』が、面白い。ドタバタなのだが、主演の貫地谷しほりのどう仕様のないダメぶりがはまっている。それと脇役が良い。渡瀬恒彦も良いし、他の俳優も良い。でも、もっと凄いのが、和久井映見。これだけイメージ・チェンジしてもスパッとはまっている。見直した。

 20日の結果。 アルバ・デ・トルメス。ニーニョ・デ・ラ・カペア、耳1枚が3回。カペア(父)、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト。ガルシグランデ牧場の“フォルトゥニト”という名の牛<No35、480キロ>)。 ウエルカル・オベラ。クーロ・ビバス、ルイス・ビルチェス、耳なし。トレス・ヘレス、耳2枚が2回。 ウエスカル。フリオ・ベニテス、耳2枚。パロモ・リナレス、耳1枚。アントニオ・ホセ・ロリテ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。 サン・ペドロ・デル・アロジョ。カナレス・リベラ、耳1枚、耳2枚。サルバドール・ベガ、耳2枚。ペレス・モタ、耳2枚が2回。


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