−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年のスペイン滞在日記です。
5月20日(日) 曇 9314
昨日は、騎馬闘牛。観客がガラリと変わる。闘牛に来ていた観客は多分殆ど来ない。だから、周りの観客は知らない顔ばかり。退屈なのと朝早く起きたことが原因で物凄く眠かった。途中で帰ろうかと思ったくらい。でもやっぱり最後まで観ていて良かった。ディエゴ・ベントゥラが、アレナ中央で牛をキエブロで交わしてレホンを打ったときは興奮にした。スペイン人の喜び様は凄かった。立ち上がったり、腕を上げたり、声を出したりと・・・。ああいう派手な騎馬闘牛を観るとスカッとするのだろう。でも、やっぱり闘牛の方が面白い!つまらない闘牛でもそっちの方がお金払って見たいと思う。これはサン・イシドロで義理で見ているような物。
朝ゆっくり寝て、朝食を軽く済ませて、セビージャのセサル・リンコンの闘牛を2回観て、FNACへ歩いていった。そこで、コルテにも寄ったけどFNACの方がやっぱり良い。荒木経惟の分厚い写真集を見た。そこには、インタビューも載っていて、「女は神様だから、女の導きに従って仕事をするだけ」と言っていた。それと、「僕にとって他人とは、外国人だから」という言葉もあった。その写真集の編集は外国人がやっていて、「自分の写真に自信があるから、他人に編集されて大丈夫」という風に言っていた。
それを観ていて思ったけど、『センチメンタル・ジャーニー』の頃の陽子さんの不細工な顔から、葬式の時に使った、陽子さんの写真の顔は同じ人とは思えないような良い顔になっている。2人の生活は幸せだったんだろうと思える写真だ。彼は売れない頃、SM雑誌の写真を撮っていた。そういう写真について、「緊縛は私にとって抱擁の様な物」と言っていた。あの当時の仕事ですら自分の肥やしにしているアラーキーの逞しさがここに感じられる。
今日のサン・イシドロ11日目の闘牛は、雨のために順延になった。10分前に席に着こうとテンディド6アルトの門で切符を切って中に入ると、雨が降り出し、それら突風と共に土砂降りの雨になった。19時に20分様子を見ることが放送で告げられ、殆どの人が中の通路に集まって待っていた。席を立つときに今まで書きためたノートと4色ボールペンを忘れたことに通路で待っているときに気付き、戻った。ノートはあったが4色ボールペンはなかった。ノートはびしょ濡れになっていた。取りあえずあったことにホッとしたが、これで闘牛が始まってもボールペンがないので書けない状態だった。覚悟を決めて、これで始まったらここまま観ようと思った。20分したら19時半まで待つという放送があった。そして、19時半に6月4日順延の放送があった。なおカルテルは同じで、ビクトル・プエルトに代わり、トレス・ヘレスが代替出場が決まっていた。
また、ネットによれば、22日の、ミゲル・アンヘル・ペレラに代わり、ファン・バウティスタが、24日セサル・リンコンに代わり、マティアス・テヘラの出場変更が発表されていた。
5月22日(火) 曇 18813/2
予報によれば、今週は雨が降り続くようだ。そんなに雨で中にはならないと思うが雨が降り続く中での観戦というのもつらい物がある。今週は良いカルテルが多いのに・・・。
昨日は早く終わって帰ってきたら、料理を作っていた。ご馳走が出て酒を飲んでずっと話をしていた。観戦記はつまらないこともあり、今日起きてから書くことにして、4時頃まで起きて話をしていた。朝起きてヨーグルトとプリンを食べて観戦記を書き、昼食は、残りのご飯を使っておじやを作って食べた。
超嬉しーーーい!!!カメラバックから去年のハイライトが1箱出て来た。何か今日良いことがありそう!
5月23日(水) 曇 5286
昨日闘牛場に行ったら雨が降っているのでギリギリまで席に着くのを待とうと、柱に寄りかかって待っていたら、知り合いのコロンビア人のラファエルがやってきた。24日のセサル・リンコンに代わりにマティアス・テヘラが出場することになって残念だねと話をした。そうしたら、ラファエルは、来年コロンビアに来ないのかと言った。セサル・リンコンが2月に引退するからだ。だから、行きたいけど、怖いからと言うと、ラファエルは、そんなのマドリードも同じだろう。それに俺の家がある。と言った。そういって貰えるだけで嬉しかった。
彼は、会社でも重役だろうから、ボゴタにある家だって結構凄いだろう。重役だからこうやって仕事を抱えながらでもサン・イシドロに来れるのだろう。ラファエルに感謝しながら、ボゴタでセサルの闘牛を観ることを考えた。彼の家に泊まれるのなら安心だ。闘牛とは良いもんだと思った。闘牛場で会い見知りになり、セサルを尋ねてホテルに行って、そこで何度も会って友達になった事で、こんな事を言って貰えるなんて。それは、出来ればコロンビアに行ってセサルのホームであるボゴタのサン・マリア闘牛場で最後の闘牛を観たい。そんな夢を見させてくれる、ラファエルの言葉だった。
日本から来た旅行者のTさんが、今朝出ていった。バルセロナに行って日本に帰る為だ。ここ何日かY君と、3人で食べたり飲んだりした。最後の夜は、白ワイン2本と、ジャック・ダニエルを飲んで話をした。最後のジャック・ダニエルが効いて酔っぱらって寝た。闘牛終わって帰ってきて1人で夕食を食うより、Tさんと一緒に食べれて良かった。絶対誰かと一緒に飯を食った方が楽しい。
22日の結果。 マドリード。ファン・バウティスタ、カステージャ、耳1枚。アンベル・ポサダ、耳なし。
5月24日(木) 雨 9572
今日は朝からずっと雨。止む気配がない空。憂鬱な日だ。本来なら今日はセサル・リンコンがサン・イシドロに登場する日だ。それが肋骨2本骨折して出場できない。骨折は、セビージャでの怪我なのか、メキシコでの怪我なのか判らないが、こういう怪我は、1ヶ月くらいしないと痛みが取れない。6月8日には出て来て欲しいが状態が悪くて出て来も良い闘牛は出来ないと思う。昨日、コルドバでタラバンテが復帰したが、ネットでは、「輝きがない」と書かれてあった。彼も怪我に強くない。ホセ・トマスの化け物の様に怪我に強い人間はいない。普通はこういうなのだ。
昨日闘牛が終わってみんなでコロキオをしたときに、Wさんはセサル・リンコンに代わってマティアス・テヘラが出場することを知らなかった。彼女はビックリして、じゃ観る人いなくなちゃうじゃない!と、言った。寿美さんがいる前でそんなこと言って良いのと、言うと、それは(寿美さんは)判っているからと、言う。そうなんだと思った。番長は、セサル・リンコンとマティアス・テヘラじゃ、格が全然違う。代わりにならないと、怒っていた。だから、俺は今日コルドバでタラバンテが復帰する。興行主ももうちょっと待てば、タラバンテが出場できたのになんで待たなかったんだろう。セサルの代わりがタラバンテなら許せると言った。
みんなセサル・リンコンの闘牛を観たがっている。部屋に戻って下山さんにTELした。22日と23日の闘牛の話をした。そして、俺は本当にセサル・リンコンの追っかけをやっていて良かったと、言った。すると下山さんは、本物だから、と。そう、本物なのだ。本物を観てきたら、色々と教えて貰ったのだ。闘牛の技術、闘牛に対する姿勢。誠実な態度にいつも敬意をはらえるようになった。本物が判るから、他の本物が判る。当然偽物も分かる。判るから、何処が悪いのかも見えてくる。そういうところから目を背けていられないのだ。ダメな物を良いとは言えない!
所で、コロキオで寿美さんが面白いことを言っていた。俺が、エル・シドみたいにフィグラがやる牧場で出来るし、ビクトリーノ・マルティンでも出来る闘牛士はいない、と言ったら、エル・シドはフィグラじゃないから!華のない闘牛士はフィグラじゃないの!と、言っていた。その言い方は、よく判る。実態としてはフィグラの仲間入りしている。でも、そういう本質的な言い方は有効だと思う。
今日はボブ・ディランの誕生日。意識したことがなかったけど、セサルが今日出場できるなら良い日になった様な気がするんだけど・・・。
23日の結果。 マドリード。ウセダ・レアル、耳1枚。フリ、耳1枚と強いもう1枚要求で場内2周、プレシデンテに罵声、耳1枚とそれに対する抗議。マンサナレス、耳1枚。 コルドバ。フィニート、耳要求。カステージャ、耳1枚、耳1枚ともう1枚要求。タラバンテ、耳なし。
5月25日(金) 曇/雨 5474
昨日は朝から雨が降って闘牛がないのかと思いきや、ちゃんとあった。最近は、天気がおかしい。今日だって朝から曇で午後に雨が降って今は上がっているがいつ降り出してもおかしくないような天気だ。今日は騎馬闘牛なので、アレナが濡れれば馬に事故が起きやすいので中止もあり得る。このまま雨が降らなければやるかも知れない。闘牛場に行かなければやるかどうかは判らない。
昨日のポンセの闘牛は何なんだ。あれで本人は良いと思っているのだろうか?あの闘牛で観客を沸かせているので良いと思っているのだろうけど、ちゃんとトレアールしていない。マティアス・テヘラの方が全然良かった。闘牛が終わってMさんの所で夕飯を食って酒を飲んで話をした。Mさんは同じ事を考えていた。ポンセのファエナについてもそうだしマティアス・テヘラについても・・・。それと、今の闘牛のレベルが上がったのはセサル・リンコンが出てからで、それ以前はレベルが低かったと言っていた。同じ事を考えているんだと思った。
それとダービー予想は、フサイチホウオー、ヴィクトリーの1点予想。ウォッカは来ない。
24日の結果。 マドリード。ポンセ、エル・シド、マティアス・テヘラ、耳なし。 コルドバ。オルドニェス、耳なし。ファンディ、耳要求、耳1枚。サルバドール・コルテス、耳1枚。 ニーム(フランス)。フリ、耳1枚、耳2枚。カステージャ、ダニエル・ルケ、耳なし。
5月26日(土) 曇/雨 10198
曇っていた空から雷の音が遠くで聞こえ、少し経って雨が降ってきた。今週は毎日こんな感じだ。雨が降らない日はない。それでいて闘牛が順延になったのは、20日だけ。昨日は騎馬闘牛だったので馬に影響するので中止になるかと思ったらアレナに少し砂を入れただけで開催した。ノー・アイ・ビジェテだったようだけど、9割5分くらいしか入っていない。中止を見込んでか雨に打たれるのが嫌で来なかったのか、それともお目当てのメンドーサが出ないから来ないのかは知らない。おかげでゆったり座れた。
昨日から同居人が増えて3人になった。男2人に女1人。昼食は、Mさんの所から朝帰る時にメルカドで買ってきた角煮にするような豚肉を焼いて大根おろしで食べた。夜はY君が買ってきたケバブとビール。今日の昼食は、メヒジョーネスが前菜でインゲン豆とシイタケの炒め物に、メルカドで買ってきたソーセージ3本にご飯。デザートは、カルフールで買ってきたプリン。このプリンはカリフールが作っているので他のより安く、しかも中に四角いプリンが入っている物で、最近のお気に入りだ。
フリのプエルタ・グランデの観戦記が未だ出来ていない。PGの翌日は、Mさんの所に泊まったので時間がなくて書いていない。昨日は昨日で1人増えて時間がなくて未だ書いていない。昨日のアンディー・カルタヘナのプレシデンテの対応について、観客は罵声を飛ばした。が、始めの場内2周はピンチャッソ。次は、2枚まで行かないと思った。だから、これについては納得できる。プレシデンテコメントもピンチャッソだから耳を出さなかった。ここはマドリードだ。マドリードはマドリードという物だった。昨日のプレシデンテ、マヌエル・ムニョス・インファンテは判定が厳しい人だ。あれで良いと思う。ただ、アンディー・カルタヘナからすれば、同じようなことで2年連続でプエルタ・グランデを逃したのは痛いだろうけど。
25日の結果。 コルドバ。フィニート、耳1枚。カジェタノ・オルドニェス、耳要求。フリオ・ベニテス、耳1枚。 ニーム(フランス)。ヘスリン、ファン・バウティスタ、耳なし。アレハンドロ・タラバンテ、耳2枚。
5月28日(月) 曇 17955/2
一昨日は大いに反省させられた。と言うのも、牛についてだ。僕は牛が悪いと思っていた。終わった後、Mさんに会って話をした。「今日の牛は悪くないよ。誘えば動くし・・・。それよりピカが非道かった。頭の高い牛に、あんな所を刺したんじゃ、頭が下がらないから闘牛士はやりにくくなる」と。それを指摘されて、なるほどと思った。闘牛士たちはやりにくそうにやっていた。ムレタに牛の動きが合っていない。牛がブスカンドしているのではなく、ムレタに合っていないから体の方に向かってくるのだ。それでも体の近くを通そうとしてパセしている。ポンセとは違うのだ。
それと、エル・トレオン牧場の牛は難しかったが悪い牛でなかった。何故なら誘えば動いていたからだ。もしセサル・リンコンがやっていればもっと違った闘牛をしていただろうと思う。距離の取り方や、誘って牛が動かせる魔法がセサルにはある。でも、3人にはそれがない。だから、あの3人には可哀想な結果だった。闘牛士の技量が問われるような牛だった。だからといって悲観することはない。3人とも闘牛士としての良い資質を持っている。それを伸ばしていけるように努力しなければならないのだ。
ダービーでウォッカが勝って衝撃を感じた。データ的には同世代の牡馬をしのぐ記録であることは判っていたが、2400mの距離では常識的には来ないと思っていた。そして、2着も逃げ残った馬。まさかヴィクトリーが出遅れるとは思わなかったし、フサイチホウオーがあんなレースをするとは思わなかった。
26日の結果。 マドリード。セラフィン、マティアス・テヘラ、ガジョ、耳なし。 コルドバ。ポンセ、耳2枚。フィニート、耳なし。コルドベス、耳1枚ともう1枚要求、耳1枚ともう1枚要求でプレシデンテに罵声。フリ、耳1枚。 ニーム(フランス)昼。ファン・バウティスタ、耳1枚が2回。カステージャ、耳なし。フリエン・ミレット、耳要求。 ニーム(フランス)。エスプラ、ロペス・チャベス、耳1枚。メディ・サバジ、耳なし。
5月29日(火) 晴 7258
昨日の見習い闘牛は見応えがあった。若牛が良いのとちゃんと出来る見習い闘牛士がいたのが良かった。2人は話にならない闘牛をしていたが、ホセ・マリア・ラサロだけは、素晴らしい闘牛をした。下山さんとTELで話したが、セビージャでは全然良くなかったと言っていた。始まる前にアントニェーテがホセ・マリア・ラサロがアルテルナティーバすることになっていると訊いて、アルテルナティーバするのは誰でも出来る。と、アントニオ・コルバチョの様な言い方をしていたと下山さんが言っていた。
コロカシオンが良いことや距離が判っていること、誘うときに手を前に出している事を話した。それと、ラ・キンタ牧場の若牛は素晴らしかった。闘牛場の帰りに番長とも話をした。この前、プエルタ・グランデしたセビージャの見習い闘牛士よりホセ・マリア・ラサロの方が全然良かった。
最近、ビールの飲み過ぎか太ってきたような気がする。出来るだけ歩くようにしているんだけど・・・。
27日の結果。 マドリード。アントニオ・バレラ、耳なし。イバン・ビセンテ、耳要求で場内1周。イバン・ガルシア、耳なし。 ニーム(フランス)昼。ポンセ、耳2枚と尻尾1つ。ハビエル・コンデ、場内1周。マンサナレス、耳なし。 ニーム(フランス)。デニス・ロレ、耳1枚。パディージャ、ラファエリジョ、耳なし。 サンティステバン・デル・プエルト。フィニート、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。エル・シド、耳1枚。ファンディ、耳1枚、耳2枚。
28日の結果。 ニーム(フランス)。フリ、罵声。カステージャ、マティアス・テヘラ、耳なし。 Vic
Fezensac(フランス)。パディージャ、ロペス・チャベス、メディ・サバジ、耳なし。
5月31日(木) 晴 19536/2
マドリードは天気が良くなってきたが、気温は未だ上がらない。予報だと日曜日くらいから最高気温も最低気温も上がってくるようだ。日本では、松岡農水相の自殺と「ZARD」のボーカル坂井泉水の死亡記事は読んだ。疑惑の人が死んだのは不謹慎かも知れないが嬉しかった。ただし、事実が解明されないといけない。遺書を読む限りは、疑惑を肯定しているように読める。ZARDはCDも持っていないしあまり興味がない。印象としては、陰にこもっているような感じの子だった。しかし40歳という若さで死んでしまうのは惜しい。人気がある歌手が早死にするのは良くないことだ。若者には良い影響を与えないと思う。
60年代後半から70年代前半にアメリカで死んだ3J。ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジム・モリソンの3人の音楽を、死亡してから半年間、アメリカのDJたちは若者が真似をして悪影響を及ぼすと言うことでレコードをかけなかった。そういうファンたちへの配慮も時には必要だ。尾崎豊のように死んで“神”の様になる人だっている。そういうファン心理は判らないわけではないが、好ましいことだとは思えない。冷静に自分の人生を考えて欲しい。
29日の闘牛は嫌いだった。ラファエリジョのパセは、牛をコントロールしているのではなくしょうがなくああやってパセしていた。つまり、マンダールしているのではないのだ。まるで、パジャッソだ。タンダ・デ・ムレタッソのレマテのパセ・デ・ペチョで切れなくて、何度もパセ・デ・ペチョをしていた。でも、それにラス・ベンタス闘牛場の観客が熱狂した。剣が決まっていたら、耳2枚出ていたかも知れない。しかしそこは売れない闘牛士。決めれない。運命とはそういう物だ。多分、そうなるべくしてなっているのだ。ラファエリジョには可哀想だが・・・。
昨日は、サン・イシドロを蹴ってアランフェスに行ってきた。しかし、つまらない闘牛だった。ファン・ペドロ・ドメク牧場の牛は期待に反して動かなかった。マンソが多くパセは何とか繋がるが良いパセが出来ない。フリもタラバンテはそれでも良くやった方だ。剣が決まらないけど・・・。タラバンテはああいう牛が出たときはパセを繋げるが、盛り上がりに欠ける。贅沢なことだけど・・・。カジェタノ・オルドニェスは、思ったほど非道い闘牛士ではないが、観に来ているファンは、芸能人を応援するような雰囲気だ。あれには呆れる。昔のヘスリン・ファンと変わらない。いつの時代もこう言う人が必要とされているのだろう。
29日の結果。 マドリード。カリファ、耳なし。ラファエリジョ、場内1周。ゴメス・エスコリアル、耳なし。
30日の結果。 マドリード。ペピン・リリア、クーロ・ディアス、口笛。バルベルデ、耳なし。 アランフェス。フリ、耳要求。アレハンドロ・タラバンテ、耳なし。カジェタノ・オルドニェス、耳1枚。
6月1日(金) 晴 10785
昨日午後に下山さんからTELがあった。興奮しないようにしていたのに、アニヤからTELがあってアニヤの興奮が移って困ったと言っていた。その日、アニヤはホセ・トマスが牧場でテンタデロをすることを訊いて牧場に観に行った。そこで、210回パセをしたが、全てが完璧なパセで、今まで観た中で最高の物だった。と興奮してTELしてきたのだという。そのことをわざわざ僕に伝えるためにTELをしてきたのだ。6月17日にバルセロナに行ってホセ・トマスを観ようとしているのを知っているからだ。下山さんもバルセロナに行ってホセ・トマスを観るという。現地で会って昼飯を食うことにした。
ホセ・トマスは、アレハンドロ・タラバンテと同じで、14歳の時にアントニオ・コルバチョの所に住み込んで闘牛を教えて貰った。それからは、今のタラバンテのようにコルバチョべったりで、何かあると相談して頼りにしていた。闘牛を辞めてからもしょっちゅうTELをしてきて話していたが、去年のサン・イシドロでタラバンテが活躍した後は一切連絡が来なくなったという。ホセ・トマスは、自立への道を歩み始めたと考えるべきなのだろうか?
闘牛が終わった後、番長とYさんともう1人加わってコロキオをした。Yさんにホセ・トマスのテンタデロの話をしたら、私も休みなっているから行こうかなぁと言い出した。Tさんはサン・イシドロ中盤にこの事を予想してYさんは絶対バルセロナにホセ・トマス観に行くと思うと断言していた。俺が焚き付けたって事になるのか?
「 「私たちは不連続な存在であって、理解しがたい出来事のなかで孤独に死んでいく個体なのだ。」 ーー新訳(酒井健訳)のバタイユ『エロティシズム』ーー
失われた連続性へのノスタルジーを抱え、この個体が滅び行くことを恐れ、存続してほしいと願い、強い不安のなかで生きることを運命づけられている。
闘牛というものも、もしかしたらある種の宗教空間のなかでの連続性を希求する非連続的存在である人間の本源的な連続性へのオブセッションに基づくものなのかも、と思った。 」 ーーTAKEさんのMIXI日記から引用ーー
ホセ・トマスが何故復帰したのかは判らない。お金の為でないことだけは確かだ。ファンは昔のホセ・トマスを望んでいる。それが出来るとか、出来ないとか、ファンの中で話し合われている。アントニオ・コルバチョは、「ホセ・トマスが復帰して昔のように出来ないとか出来るか色々ファンが言っているようだが、それは全て嘘だ。復帰するのなら昔以上の闘牛をするだろう」と言った最後にもう一言、予言のような言葉を言った。今は書かない。が、バルセロナに行ってホセ・トマスを観た後になら書くかも知れない。コルバチョは、オシムのように知的でウイットに富んでいる。そういうところが、魅力であり、誤解を生んだり原因なのだろう。
記念闘牛に、セサル・リンコンは出場するとアポデラードが明言した。ペレラも出場する。そして、ベネフィセンシアを含めてテレマドリーを中継することが発表された。
31日の結果。 マドリード。サンチェス・バラ、カスターニョ、ルイス・ビルチェス、耳なし。
6月3日(日) 晴 17725/2
今日はラス・ベンタス闘牛場へ行かずにネットでアランフェスのセバスティアン・カステージャを観ようとしたが、観れなかった。時々カナル・スールの接続は観れないときがあるが、今日のそういう状況で観れなかった。代わりにラジオを聴いていたが1つも面白くなかった。家から闘牛場へ行かないことが判っていたので、午後に昼飯を食ってからコルテとFNACに歩いて行ってきた。プラプラ歩くのも良いもんだ。家にずっといると頭がおかしくなる。CDやDVDを観てきた。欲しいのもあったが、お金との相談をしないと買えない。
何故かと言えば、17日バルセロナに行ってホセ・トマスを観なければならないからいくらかかるか判らない状態なので考えて使わないと足りなくなる。でも、昨日は昼も夜も外で食べてきた。こう言うのは仕方がない。色々話が出来るので楽しいからだ。昼はISOさんと会って、企画書の作り方を教えて欲しいと言われたので簡単に説明した。参考になれば良いんだけど。そして頼み事をした。後から、ネットで俺が話した話を調べていた。米ちゃんに話した内容と同じ事。
夜は闘牛が終わってからコロキオをした。M夫妻とTさんと4人。Wさんは帰り、番長とYさんと寿美さんは仕事で来れなかったようだ。未だ4日がサン・イシドロ最終日で、その後に記念闘牛が続くので10日が最後のコロキオになりそうだ。Mさんの話を参考にして今年は色々違うことも考えた。なるほどなぁと言うことが多い。メトロに乗って帰ってきて駅から部屋までの道のりで人に企画書の書き方を教えてばかりじゃなくて自分がそういう物を活用して始めなければならないことを始めなければならないと思った。
何年かぶりに戻ってきた山田風太郎の、『明治十手架』を読み始めた。
6月4日(月) 晴 7656
闘牛がないと部屋にこもりっきりになるので、外に買い物に出る。そうやって歩くと部屋に帰ってきてからも集中力が増す。昨日は闘牛場へは行かずにネットででも観れないことが判り、本を読んでいた。M夫人に、朝起きたら腹にガスが溜まると言ったら、それは肝臓が悪いんじゃないのと言われた。日本では殆ど酒を飲まないけど、スペインに来てから毎日酒を飲んでる。だから、昨日は酒を飲まずに眠くなるまで本を読んでそれからぐっすり寝た。朝は、メルカドに行って牛タンを1個買ってきた。夜はこれを3人で焼いて食べる。
帰ってくる22時頃に塩タンが食べるわけだ。ビールをカーと飲んで塩タン。日本と違って冷凍じゃない牛タン。だから当然美味しいだろう。そして、ご飯も食べたい。それと、塩タンにレモン、あるいは醤油を付けたりしても食べたい。舌の根本の方は霜降り状態になっているからここが1番美味しいだろう。闘牛終わったら今日はコロキオがあっても帰ってきて塩タンを食べる。大根もあるので大根おろしも作ろう。
3日の結果。 グラナダ。アベジャン、耳なし。ロペス・チャベス、耳1枚が2回。バウティスタ、耳1枚。 アランフェス。モランテ、耳1枚。エル・シド、耳1枚、耳2枚。カステージャ、耳1枚。 トレド。オルテガ・カノ、耳1枚。ヘスリン、耳なし。ホセ・マリア・ラサロ、耳1枚が2回。 アンテケラ。オルドニェス、カジェタノ・オルドニェス、耳1枚。フリオ・ベニテス耳1枚、耳2枚。 ベナベンテ。バルベルデ、耳2枚。ガジョ、耳1枚が2回。モレニート・デ・アランダ、耳2枚、耳1枚。 フエンテ・アラモ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、エル・カルタヘネロ、耳1枚。闘牛士、コルドベス、ペピン・リリア、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。 サン・フェルナンド・デ・エナレス。アントン・コルテス、耳1枚、耳2枚。サルバドール・ベガ、耳なし。イバン・ガルシア、耳4枚。 アルガサス。ラモス、耳2枚と尻尾1つ。エミリオ・ラセルナ、マリオ・カンピジョ、耳4枚。 ロラ・デル・リオ。エル・レンコ、ミゲル・アンヘル、アントニオ・カスティジョ、耳2枚。 MAUGUIO(フランス)。フンディ、デニス・ロレ、耳1枚。フリエン・ミレット、耳なし。
6月6日(水) 晴 11244/2
1日酒を断ってそれから酒を飲み出した。塩タンは美味しかった。やっぱりビールがないと面白くない。ビールを飲むと塩タンがさらに美味しくなる。レモンを搾って美味しかったし、同居人が作ったタレでも美味しかったし、大根おろしに醤油でも美味しかった。3人の予定が1人増えて4人になった。メルカドでおにぎりを売っている子も加わって牛タン1つが丁度良かった。多分こんなのはもう食べれないだろう。あの霜降りになった牛タンは物凄く美味しかった。
そして昨日は、しこたま酒を飲んだ。腹一杯のはずなのにゆっくり飲んでいたら空腹になっていることに気付いた。それでも飲んでいたので酔いがまわったのだ。それから、『明治十手架』を読んで寝た。そろそろ日本に帰る準備をしないといけない。荷物とか色々と少しずつ整理しない。朝早く目が覚めたので郵便局まで歩いていってそれから、FNACでトム・ウェイツのDVDを買い、コルテで『6TOROS6』を買ってきた。部屋に帰ることには、1万歩近くになっていた。
4日の結果。 マドリード。エスプラ、トレス・ヘレス、アルバロ・フスト、耳なし。 グラナダ。ガジョ、耳2枚。ダニエル・ルケ、耳1枚。フリオ・ベニテス、耳1枚が2回。
5日の結果。 グラナダ。フリ、耳なし。エル・シド、耳1枚。ファンディ、耳2枚が2回。
6月7日(木) 晴 15326
朝起きて、そうだ洗濯しようと洗濯物を洗濯機に入れて、廻していた。TELしようとTELしたが通じず、そうだ携帯にTELをしようと携帯を探す。ない!ハッとした。ひょとしてポケットに入れたまま・・・。確認したら洗濯機の中から出て来た。あー何でこんな事に・・・。ガックリしながらメールをして事情を書いて部屋の電話番号を教えて買い換えないと直らないだろう事を伝えた。それからダメ元で直射日光に当ててほったらかしにして飯を食って思い出したように携帯をいじった。充電出来るかコードをたぐり寄せて差し込んだが反応がない。
ああやっぱりダメなんだと諦めた。同居人の1人が帰ってきて、携帯をダメにしたことを話ながら、携帯をいじっていると突然電源が入った。ビックリしてパスワードを入れた。ちゃんと画面表示もされる。同居人が自分の携帯にTELした。呼び出し音が聞こえるという。今度は同居人の携帯から洗濯した携帯へTELした。ちゃんと音が鳴って通じた。奇跡的とも言える回復力に感謝した。今日は良いことがありそうだ。TAKEさんにメールしてどうしようか相談するつもりだったが、大丈夫!これはモランテのベロニカのようにドゥエンデが下りてきたのかも知れない。
昨日のモランテのベロニカは凄かった。Yさんはウルウルして観ていたそうだ。ベロニカであれだけ沸かせる闘牛士はいないだろう。モランテが5頭目までヘロヘロだったけどそれでも出てくるのを待って6頭目の闘牛を待っていたいた人たちがラス・ベンタス闘牛場にも大勢いたのだ。ベロニカ7回でメディア・ベロニカだけでアレナ中央へ行った始めのカポーテだけでも凄かった。
6日の結果。 マドリード。モランテ(ウニコ・エスパーダ)、口笛、口笛、耳1枚。コヒーダされ眉間に角傷を受ける。 グラナダ。フィニート、口笛、耳1枚。マティアス・テヘラ、耳要求、耳1枚。サルバドール・コルテス、耳1枚。
6月8日(金) 曇 6652
昨日の闘牛は、セバスティアン・カステージャの闘牛に魅了された。初めの牛が左角が短かったのでナトゥラルでは良いパセが繋げずに耳2枚のファエナにはならなかった。1頭目のフリでフリ・ブームからファンらしい女の子が大騒ぎしていたが全然良くなかった。その女の子は後ろの爺さんに色々言われていたが、訳の分からないことを言っていた。しかし、2頭目のセバスティアンのファエナが始まると爺さんに言われたことが判ったのか、それともフリとの闘牛の違いが分かったのか静かだった。あの闘牛を観て何も感じないのであれば、闘牛を観ない方が良い。
アレハンドロ・タラバンテは、牛に恵まれず最後の牛のファエナ中盤から後半にかけては牛をマンダールしていた。彼は僕が思うに、アントニオ・コルバチョにテンタデロで仕込まれた闘牛。コルバチョは凄い人で、ホセ・トマスの彼のやり方で巣立っていった。ただ、未だ闘牛士になって1年も経っていない。ホセ・トマスの闘牛士になって1年経ったときに比べれば、可成り良いはずだ。闘牛が終わった後に、タラバンテに失望したという声を多く聞いた。何処がどう良くないのかという具体的な話はあまりない。みんな感覚で話をするのでそれを訊き読み取りかみ砕いて分析しないと判らない。
観戦記に書いた部分を引用する。 「みんなの期待が大きかった分、ガッカリした人もいたようだ。終わった後、タラバンテについては、落胆の声を多く聞いた。そういう声を訊くといつも思うのだが、ラス・ベンタス闘牛場のうるさい観客の目線で闘牛を観ている。でも、闘牛士が牛を相手に闘牛をやっているという視点が著しく欠けているような気がする。好き嫌いの感覚や感情論に近い部類の話はついていけないときがある。そういう風に批判をするときに、多くの人はこれを説明する言葉を持っていない。少しだけ断片的に拾って書く。「ベルナディーナをするときに体が動いてはダメだ」 「危ない牛じゃないのにパセ・デ・ペチョの時に腰が引けていた」 とか言うのがあった。しかし、状況によるのではないかというのが、こっちの意見だ。もっと非道いのになると、「ベルナディーナをここでやるなんて、盛り上げるためかも知れないけど、ああいうのをすると冷めてしまう」「あっ、そういうの判る」という意見には閉口した。それと、「あんなの誰でも出来るんだから、俺は嫌いだ!」というのにも開いた口がふさがらない。だって、セバスティアン・カステージャが剣を代えた後やった
のは、マノレティーナでしょ!
闘牛は難しい!ファンそれぞれに色々な見方があるからだ。極論を言えば、寺山修司じゃないが、10万人のダービーがあるなら、10万通りのそれぞれのダービーがある。ラス・ベンタス闘牛場の2万4千人の観客が入るなら2万4千通りの闘牛があるのだ。楽しみ方はそれぞれある。その楽しみ方を見つけ、選び、難しい闘牛を見続けて行きたいと思った。そして、逆に言えば、難しくなく簡単で単純に楽しむことだって出来るのも闘牛。競馬と同じである。今日、セバスティアン・カステージャとアレハンドロ・タラバンテはそれぞれの人生を語ってくれた。それが良かったと思うのだ。
」
セバスティアンは闘牛場で闘牛を自分の物にしてきた闘牛士だ。そういうところは、セサル・リンコンに似ている。あの圧倒的な存在感は輝いている。タラバンテは、未だそういう風にはなっていない。それは、ホセ・トマスがそうだったように99年までは、凄いと思ったけどファエナの中にのめり込むことが出来なかった。2000年のホセ・トマスは絶対的な存在になった。それまでと違って突き抜けたような感動があった。そこにはコルバチョから教えて貰ったテンタデロを通り越した闘牛の世界があった。タラバンテは、そこまで行っていない。でも、98年頃のホセ・トマスの当たりまでは行っている思う。
タラバンテを観てガッカリした人たちは、僕を含めて2000年のホセ・トマスを知っている。それに比べれば、ホセ・トマスの方がずっと良いに決まっている。そういう感覚で話をしているから、ガッカリしたのだと思う。以上がタラバンテに失望したと言う意見を訊いて感じたことだ。僕が気付かないことも彼が気付いていることがあると思う。が、僕はこの辺の当たりで考えが彷徨っている。それでは、フリはどうだったのかという疑問を持つ人がいるかも知れない。でも、フリはポンセと同じで論外になっている。そういう価値のある闘牛士ではないからだ。
面白かったのは下山さんは、TVを観ていたのに、フリを観なかった。始めから期待していないのだ。だからフリはどうでした?と訊いた。牛を廻しているだけで、トレアールしていない。この前のプエルタ・グランデは何だったのかと思うような内容。と言う言葉で終わった。タラバンテに失望した人たちの話をしたが、あれは剣が決まっていれば耳1枚という意見で一致した。それから、新しい闘牛士については、なかなか素直に良いと言わない風潮があるという指摘もあった。それは、納得できる。しかしみんな、文句良いながら闘牛を観に行くのだ。それが面白い。
タラバンテはコルバチョの提出した教科書の枠から少しずつはみ出して来ていると思う。この枠からいつ飛び出るのかが今後の注目点だ。そうなったときにタラバンテの闘牛の本当の姿が見えるのだと思うのだ。その時、セバスティアンとホセ・トマスがどういう闘牛をやっているかというのも面白さを増させる要素だろう。因みにこの日の切符はプレミアがついてソンブラの下の方は、1300ユーロのダフ屋値段が付いたとテレマドリードの放送で言っていたという。凄い値段だ。アボノの値段の何倍もする。
7日結果。 マドリード。フリ、耳なし。カステージャ、耳1枚。アレハンドロ・タラバンテ、耳なし。 セビージャ。ウセダ・レアル、耳1枚。ルイス・ビルチェス、イバン・ガルシア、耳なし。 グラナダ。ポンセ、耳1枚と強いもう1枚要求で場内2周。ファンディ、耳2枚、耳1枚ともう1枚要求。カジェタノ・オルドニェス、耳1枚ともう1枚要求、耳1枚。
6月9日(土) 曇 7456
♪祭りの後の寂しさは たとえば女でまぎらわす 祭りの後の寂しさは♪
昨日の闘牛は打ちのめせされた。ある意味でそうなることを覚悟していたが、本当にそうなった。全てがそうなるとは考えていなかったが、最悪と言うことは考えていたが、最悪の状態に近い。帰ってきて癒やされたのやはり、ボブ・ディランだった。DVDを観ながら全てが溶解していくような気分になった。もしオトーニョに出なければ今年というかセサルの闘牛は最後だったと、言うことになる。そういう最後もまた、今は静かな気持ちで受け入れられる気分になりつつある。誰が何と言おうと、あれは最悪に近い。人間なんだからそういうこともある。そう考えるしかない。とても帰ってきて観戦記を書く気になれない。これから寝る前に風太郎を読まなきゃ寝れそうにない。酒もまわっているが気持ちを落ち着かせないといけない。今はこんな支離滅裂な文章しか書けない。闘牛は難しい。ごりごりの固い頭で考えたって良い答えは得られない。おそらく正直に言えば本当のところ誰も解らないのだ。
遅く起きて、『テンディド・セロ』を観る。それからメルカドの買い物に行く。これからコルテに行って今日明日の分の食料を買ってこないといけない。寝る前に読んだ山田風太郎の、『明治十手架』の中に、「人間は、疑い出すと、どんなようすでも怪しく見えるもんです」と言う一節があった。それを読んでいて、“疑う”のではなく“信じる”気持ちの方がずっと強いことを感じた。ディランのDVDの中の『運命のひとひねり』を何度も続けて聴いた。気分が非常に落ち着いてきた。セサル・リンコンは、アウテンティコ・イドロ(本物アイドル)だ!どんな偉大な闘牛士でも人間なんだからダメなときもある。久々に牛に背中を見せて逃げるセサルを観た。ホセ・トマスだってラス・ベンタス闘牛場で3アビソが鳴り罵声を浴びた時を見ている。
今曇り空で雷の音が鳴っている気分としては、雨が降って騎馬闘牛が中止になって欲しい。昨日のグラナダのセバスティアン・カステージャは物凄かったようだ。CASTELLA
CORTA UN RABO y PONE BOCA ABAJO LA PLAZA と書いてある。
8日の結果。 マドリード。セサル・リンコン、口笛。モランテ、罵声。セサル・ヒメネス、耳1枚。 グラナダ。カステージャ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。アレハンドロ・タラバンテ、耳なし。
6月10日(日) 曇 10787
聖女・お夕は死んだ。10人の前で。石川島懲役所の看守、幕末に京都で人斬りの魅力を知り美人女囚の斬首を渇望する寺西冬四郎、江戸町奉行鳥居耀蔵の妾の子で香取竜杖術の名人、鳥居鶏斉、元力士で怪力の牛久保蓮岳と警視庁巡査、ピストルの名人、ピスケンこと船戸伴雄、豪剣の仕込杖の檜玄之助の囚人たちよりの悪事をする看守と巡査の5人。それとスリのぬらりひょんの安、雪隠強盗のアラダル、俥強姦のサルマタの直熊、ナオコマシの化師の秀、美女にて妖艶な枕探しの邯鄲のお町のいずれもふた癖も三癖もある囚人5人の合計10人お前で。邯鄲のお町を除いた9人は、お夕の父親、有明捨兵衛が殺された時も一緒にいた。場所も同じ、石川島懲役所。
「前方にむけたままのお夕の横顔に両人は眼を移して思わず息をのんだ。
その娘の美しさは、お町も秀もべつべつの意味でヤキモチをやいたほどだか、今見る顔は水明かりを受けて、この世のものとは思われなかったからだ。」 ー中略ー
「イエスさまーーー」
天を仰いでお夕は言った。
「この人々を許して下さい。いつか救ってあげて下さい」
彼女は喪神したのではなかった。両ひざはついたが、身体をなお立てて、胸の前に両手で十字架を捧げてた。
「それから、お力を持って、この十字架を胤昭さんにおとどけ下さいまし。ーーー」
その十字架を逆にとり、角度を変えながら右手だけに持ち直すと、彼女はそれを、はっしと自分の左胸部に打ちこんだ。
「・・・・・・?」
「・・・・・・!」
息をひいて、棒立ちになった十人の眼前で、
「カタリナはみもとにあって、胤昭さんとおひろを守ります」 ーー山田風太郎『明治十手架』よりーー
それから、ぬらりひょんの安、アラダル、サルマタの直熊、化師の秀、邯鄲のお町、の5人に劇的な心境の変化が起きて、看守たち5人を敵討ちにしようと墓穴を掘りながら談合する。下巻は、クライマックスに向けてけだもの5番勝負が繰り広げられる。そう風太郎流対決である。忍法帖シリーズに出てくる手法だ。しかし、死をもってしか人は更正しないのだろうか?いや、そうではない。そういう風に書かなければ、お夕が浮き立たないし、この場にいた10人の悪さも、浮きでない。それと10人の中の囚人5人だけが更正し、看守5人の悪事と死をもって対決しようと決意させるからこそ、聖女・お夕の死が重みとより一層の美しさとなって際だつのだろう。そして、お夕の意志を継いで、原胤昭とおひろが、キリスト教の布教と、出獄人保護所を続けることになる。
改めてだが、風太郎の筆は冴えている。
今日が今回最後のラス・ベンタス闘牛場となる。おそらく、久々にファン・ペドロ・ドメク牧場の牛が6頭出る。どういう結果になるか・・・。
6月11日(月) 晴 5511
昨日闘牛が終わって、みんなに会った。と、言っても、仕事で番長とTさんはいなかったけど、寿美さんに会った。お礼を言って別れた。Yさんとは、バルセロナのことがあるので土曜日に電話か来ることになった。それからM夫妻に誘われて家に行き夕食を共にした。メトロの中で、アベジャンの闘牛の非道さや、ペレラは出来ないけど難しいことをしようとしているという指摘があった。それから、いつも疑問に思っていることを言った。1つは、始めのベロニカの時に何故タブラに背を向けてそこから前に出て行かないんだろう?エル・シドは、前に行ったけど、アベジャンもペレラも始めにベロニカをした位置よりタブラに近づくように下がっていってベロニカをしている。あれはおかしいと言った。そうしたら、知らないからとか、怖いから前に出て行けないとか話が出たが、中でも1番悪いのは、タブラに向けてパセをしていると牛が悪くなる。
それはどういう事かというと、タブラに当たらないように急に前脚を踏ん張るので、足を痛めると言うことと、パセの後にタブラにぶつかると、その後のパセをやった後には、何かにぶつかるという記憶が刻まれるので、牛の動きが悪くなると言う話になった。もう一つは、ファエナの途中で、場所をムレタを使って移動する事が良くある。例えば、それが風が吹いてその場所では危ないから、風のない場所へ移動しようというのなら解るが、そういう場合ではないのに、移動する。あれは何なんだろう?闘牛士が気分を変えたいからとか、出たが、ただ無意味にやっているのではないかという話になった。モランテなんかも良く無意味に場所を移動する。
でも、セサル・リンコンは、そういうところはちゃんとしていて、無意味に場所を移動したところをあまり見たことがない。移動したければパセをして移動すれば良いのだが、結構無意味に移動を繰り返し牛が疲れてダメになっていくのを何度も見ている。牛の扱い方が下手なのだ。
夕食は、メキシコ風トルティージャを食べた。飲み物は赤ワイン。日本のTVを見ながら闘牛以外の話をして盛り上がった。
朝起きて、NHKの朝の連ドラを久々に見た。それから、お礼を言って帰ってきた。途中でコルテとメルカドによって、買い物をした。それから下山さんにTELをしたが通じなかったが、折り返してTELがかかってきた。そこでとても嬉しくなる話を訊いた。昨日の闘牛とアベジャンの話をした後に、この前のセサル・リンコンの闘牛の話になった。下山さんは、何故ああいう風になったかビデオをもう1度ちゃんと見た方が良いと言った。だから、僕はオペラグラスをもっていなかったから解らなかったけど、オペラグラスで観ていた人は、1頭目の牛は、パセの時に、セサルの方を見ていたと言っていた話をした。だから危なくてパセが出来なかったと。
4頭目については解らないけど・・・。と言ったら、あの牛は、1回誰かが闘牛やった牛みたいだったと、言っていた。それは牧場で誰かがやったのかどうかは知らないが、だから非常に危ない牛だったようだ。そういわれてモヤモヤしていた気持ちが晴れた。だって、背中を向けて逃げるなんてよっぽどの事だ。1回使った牛ならそれをちゃんとトレアールするのは非常に難しい。ムレタの方ではなく闘牛士の方を見たりそちらに向かって動いてくるからだ。非常の納得して、そして非常に暗い気分が晴れ渡る青空のように明るい気分になった。基本的にセサル・リンコンが出来ない牛は他の闘牛士がやっても出来ない牛という考え方をしていたが、極端に言うとそれで良かったような感じだ。やっぱりアウテンティコ・イドロだ。
10日の結果。 マドリード。アベジャン、口笛が2回。エル・シド、耳なし。ペレラ、口笛。 バルセロナ。セラフィン・マリン、耳2枚。コヒーダされ右腕に8cmの角傷を受ける。左太腿後ろと左肩の打撲。軽傷の模様。マティアス・テヘラ、ガジョ、耳なし。 サンルカール・デ・バラメダ。セサル・リンコン、耳1枚。ポンセ、耳2枚。ファンディ、耳1枚が2回。 プラセンシア。セサル・ヒメネス、耳2枚。マンサナレス、耳1枚ともう1枚要求。アレハンドロ・タラバンテ、耳なし。 トレド。アパリシオ、耳2枚。エウヘニオ、耳1枚が2回。サルバドール・ベガ、耳1枚。 アビラ。フリ、カステージャ、耳1枚。バルベルデ、耳2枚。 マルベージャ。コルドベス、耳1枚、耳2枚、耳1枚。オルドニェス、耳1枚、耳2枚。 ラ・フエチャ。マノロ・サンチェス、耳1枚、耳2枚。ペピン・リリア、耳2枚が2回。ホセリージョ、耳1枚が2回。
6月13日(水) 晴 19893/2
TAKEさんが到着。TELがあって昨日の待ち合わせとした。ナット・キング・コールのスペイン語で歌ったCDを買う。それからカフェテリアに行ってアグア・コン・ガスとビールを頼んだ。話をして支払いになって4.8ユーロ取られたのにはビックリした。それから昼飯を一緒に取った。日本料理屋へ行ってトンカツ定食とビールを頼んだ。カマレロは部屋に来る子で、ビールを2本おまけして貰った。それから、TAKEさんに借りていた携帯を返して新しい携帯を買った。そして、部屋に来て同居人に紹介してビールを飲んだ。後からもう1人が帰ってきて履歴書を書きながら話。
アナスタシアさんにTELがようやく繋がった。どうやら僕とはあまり話がしたくないらしい。TAKEさんが言うには、アベジャンの闘牛がダメで俺にダメ押しのように、「ダメジャンからバカジャンへ」なんて書かれているからショックなんだと言っていた。10日闘牛が終わった後、いつもの場所にも来なかった。来れば俺が言わなくても、他の人から凄いことを言われるから来なかったのだろう。アベジャンの闘牛がダメだというのは、俺だけが言っているわけでない。闘牛場に来ている観客の殆どが言っていることで、そこを勘違いしているようだ。観客はアベジャンに対して不公平だと、テレマドリードのおそらくミゲル・アンヘル・モンチョリが言ったんだろうけど、観客とはそういう物なのだ。
そういう風にならないように闘牛士はちゃんとトレアールしなければならない。アベジャン自身が言っているように、ラス・ベンタス闘牛場はもっと重要な闘牛場なのである。だからこそ、命を賭けて闘牛しないとあんな罵声や口笛を吹かれるのだ。ISOさんが言っていたが、セサル・リンコンがあんな風になってもアベジャンみたいに罵声を飛ばされない。そういう風に観客に思われているんだと、言っていた。セサルが出来ない牛ならしようがないと思わせてしまう闘牛士にセサルはなっている。アベジャンはそういう風には観客から思われていないと言うことなのだ。
だからといって、アベジャンが並かと言えばそうではない。マグレでプエルタ・グランデした訳じゃないしそういう力があるからこそ、観客の期待もあるし、見る眼も厳しくなる。そういう中でちゃんとトレアールしてこそ、評価が上がるのだ。1回1回が勝負なのだ。だからこそ、ポンセなんかは、ここ何年もラス・ベンタス闘牛場には、1回しか出場しない。評価を上げようと言うよりは、出来るだけ下げないようにリスクを最小限にしたいと考えての事だろう。今観客は、アベジャンのことを考えて闘牛していないんじゃないかと思っている。今までの闘牛についてもそういう風に解釈が加えられているのかも知れない。それを打ち消すことが出来るのは、アベジャン自身の闘牛においてしかないのだ。
そんなことを、部屋からバルに行ってTAKEさんと話した。闘牛は難しい。おそらく誰もちゃんと理解している人間はいないと思う。闘牛士でさえ・・・。でも、誰でも簡単に面白い物だという風に感じることが出来るのも、闘牛なのだ。誤解してはいけない。おそらく、どの闘牛士でも、いつでもラス・ベンタス闘牛場で良い闘牛を出来る闘牛士はいない。セサル・リンコンもそうだったし、ホセ・トマスもそうだった。今彼らの名前を言って褒め称えるのは、総体としてそう言っているのだ。そう観客に言われるような闘牛士になろうとしなければ歴史に名を刻むことは出来ないのだ。
それともう一つ言ったのは、いつも集まるメンバーは、その日の闘牛の話をして色々批評するけど、1番良いのは、番長みたいに自分の好きな闘牛士が引退している人だ。引退していれば、その時、自分の好きな闘牛士がどうだったかと言うことを気にしなく良いし、気をもまなくて済む。そして、あそこに集まる人たちの殆どは、好きな闘牛士がいない人が多い。そういう人は、観た闘牛を、観たままないし思ったままに話す。気ままなのだ。その点、好きな闘牛士が現役の場合は、どうしてもその闘牛士に拘束される。その闘牛士はいつも良いわけではない。だから、悩んだり、考え込んだりする。その中から、出来るだけ客観的な闘牛の見方を取得する心構えが必要なのだ。主観的な物の見方は、どの場合でも、自滅の道を歩むことになる。そうならない様に自分を研けるかが、その人の闘牛の見方を形成する様になっていくのだと思う。
TAKEさんと上記の様な闘牛の話をして別れ、それからISOさんとの待ち合わせに場所に行った。もう15時くらいからずっとビールを飲みっぱなしだったので、中華へ行ったがつまみのような物を頼んでビールを飲みながら話した。セサルの観戦記を書いてない事を言われたので、見終わって書く気が失せたことを言った。それから牛がセサルを観ている話をしたら、TVでもそれが映っていると言っていた。やり難そうにやっていたそうだ。だから、下山さんから言われた、1回闘牛した牛だという話をした。そんなことあるの?と言うので、『さもなくば喪服を』(エル・コルドベス)の本の話をして夜中に牧場に忍び込んでムレタやカポーテで許可なくテンタデロをする話をした。だから、獣医も判らないし、牧場も判らない、と。
ISOさんは、セサルが相手した牛の方が面白いと言っていた。ああいう牛を相手に闘牛した方が面白味があると。だから、闘牛ファンには、トリスタとトレリスタがあるという話をした。トリスタは牛ファンで、トレリスタは闘牛士ファン。そういう見方はトリスタに近い。Mさんもそういう見方に近い。ISOさんは、セサル・ヒメネスが良かったと言ったので、5月2日のビクトリーノ・マルティン牧場の牛を相手にしたときはビビっていた話をしたら、ホーッと言って、そう言うのを訊くと闘牛は難しいもんだと思うと言った。
それとこの前教えた企画書の作り方はどうだったかと訊いたら、あれは物凄い!と言っていた。あの作り方をすれば考え方をまとめるのにはもの凄く役に立つ。色んなものに応用が利く。それと、今の自分のレベルが判ると言っていた。人にばかりそういうことを教えていないで、自分もそういう物を作っていかないと、と思った。
6月14日(木) 曇時々雨 8608
Llave maestra. 英語で言えばマスターキー。日本語で言えば、親鍵である。以前、闘牛の会で発表した、『闘牛を開く親鍵』と『闘牛を解く親鍵』を読めば判ると思うが、良い闘牛を観るには3つの条件が必要だ。堀越千秋さんは、それを良い牛と、良い闘牛士と、そこにいる私、と言ったが、その条件とは、良い牛と、良い闘牛士と、良い観客がいて初めて成立する。その条件が揃ったときに感動を突き抜けた熱狂的興奮が発生する。
ラス・ベンタス闘牛場の観客は、そういう物が観たいのだ。地方の闘牛場の観客の多くは、そういう物ではなく、単純に耳が観たいのだ。だから、ラス・ベンタス闘牛場の観客は、自然闘牛の見方が厳しくなる。闘牛士に対しては、立ち位置が悪い、誘い方が悪い、クルサードしていない、ピコだ、パセが体から遠い、脇が開いている、手が高い、などと、闘牛士に文句を言う。牛に対しては、醜いから始まり、マンソ、ソソ、コンプリカド、コッホ、シン・カスタ(勇敢じゃない)、などと文句を言う。果ては、プレシデンテが悪い。と言うことになる。
何故そんなに騒ぐのかと言えば、それは、良い闘牛が観たいからだ。ただ単純にそう思っている。そうじゃないと怒り出すのだ。他の闘牛場だと耳になるようなファエナがラス・ベンタス闘牛場では、口笛が吹かれる。セビージャの様に、パセを繋いでいれば耳が切れる闘牛場とはそこが違う。それと、1回も「オーレ」が鳴らなくても耳が取れる闘牛場なのである。こういう現象は他ではあり得ない。闘牛士がちゃんとやっていれば、「オーレ」が鳴らなくてもそれを評価する。他の闘牛場では起こらない現象がここでは起こる。つまりそれだけ上質な観客がここにはいる。テンディド7は時々節度なく無茶苦茶をすることがあるが、それも許容範囲に含まれると思う。そういうところは嫌いだけど・・・。
ラス・ベンタス闘牛場以外で良い闘牛を観れることもある。それは、どちらかというと闘牛士の気迫や、牛の素晴らしさに観客が引きずられて発生することが多いと思う。それは、ラス・ベンタス闘牛場でも一緒の現象だろう。しかし、そうなった場合においても違いがあるような気がする。感動の深さというかそういう物が違うのだ。
昨日の夜は、TAKEさんや、ISOさん、くまさんたち合計8人で飲んで、それから食事した。初めて合う人が半分いた。闘牛の話や他にもサッカーや色々話したが、スペインのブランデーの話が出てそれを始めて口にしたがそんなに美味しい物ではなかった。スペインは、ワインや色んな果実のリキュールが美味しい。勿論ビールも美味しいが・・・。最後にくまさんにお願い事をして帰ってきた。昼にTさんとTAKEさんからTELがあった。今日も1歩も外に出ずに部屋にいた。帰りの準備をしなければならない。荷造りやら何やらバルセロナに行くまでにやることがある。また、同居人の友人がフランスから2人来て泊まる。
6月15日(金) 曇 1668
ネットでは、バルセロナのホセ・トマス復帰戦が売られている。1番高いときで、300ユーロの値段が付いていた。それが今週になってグッと下がった。175ユーロが付いたのが、月曜日だっただろうか。それが15日には、100ユーロまで下がってきた。元々、他のサイトで売り出されている値段が、98ユーロとか、108ユーロとかの値段だったのに比べて異常に高かったのだ。それが正常になってきたような気がする。出来ることなら、バルセロナで正規値段で買いたいが、闘牛場の窓口で買えなくても、ダフ屋で100ユーロを切る値段でテンディドで観たい物だが・・・。
昨日は1日部屋にいて外には1歩の外に出なかったが、今日は朝からくまさんの所に行ったりして外に出掛けた。帰ってきて思い出したのはすずめさんとの約束。早速TELして待ち合わせ場所を決めて昼食を取った。アジア風レストランで天ぷらとタイか何処か東南アジア風の焼きめしのような物を食べた。1ヶ月くらい前にパリとスイスに行ってきた話を訊いた。パリの物価の高さは凄いなと思った。昔から高いけど今じゃ行けない。ハイネケンが6ユーロするという。水が3.5とか4ユーロして、メニューを頼んでも飲み物とデザートで30ユーロはするのだという。ホテルも、ダブルで100ユーロ以下の所を探すのは大変だと言っていた。
携帯を変えたので、TAKEさんから誰からかかってきて番号を教えたと言う電話が毎日はいる。下山さんとも話をした。フリのプエルタ・グランデの日は見つかったと言っていたが、カステージャのは何処言ったから行方不明で捜索中と言うことだった。モランテのウニコもあった。18日のカステージャのプエルタ・グランデと、雨の22日のバウティスタとカステージャの耳があれば最高だ。記念闘牛は、7日から10日まですでに手に入っている。それと、ビデオ・カメラを借りてきたのでバルセロナのホセ・トマスが撮れることになった。ただし、切符が手に入ればと言うことだが・・・。
6月16日(土) 雨 9428
夜行でバルセロナへ向かう。ネットでは、バルセロナのモヌメンタル闘牛場が、ノー・アイ・ビジェテになったのは、22年前の1985年8月11日のコンデ・デ・ムルカ牧場の牛で、ファン・アントニオ・エスプラ、モレニート・デ・マラカイ、クーロ・クルスが出場したときだと載っていた。どうやら、当日券もないようだ。それでも、バルセロナに行くし、闘牛場に並ぶつもりだ。予報では、明日バルセロナは雨が降らないようだ。ネットに載っているダフ屋値段は、ソンブラのテンディドで2500〜3000ユーロとか、何処とは書いていないが、150〜1000ユーロとか、100ユーロでも手にはいるような事が書かれてある。どうなるかは、誰にも判らない。判らなくても行ってみないことには、何も始まらない。
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