断腸亭日常日記 2008年

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年のスペイン滞在日記です。

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 1月1日(火) 曇 5044

 年が明ける。

 『ロックを生んだアメリカ南部 ルーツ・ミュージックの文化的背景』は、ボブ・ディランに捧げた本だ。プロローグ、すべてはふたりのキングから生まれた。第一章、黒人音楽はエルヴィスの中に焦点を結んだ。第二章、ブルースマンの悲痛な叫びーーミシシッピー・デルタの混淆から。第三章、都市をゆりかごに生まれたジャズーーニューオリンズの坩堝から。第四章、ゴスペルーー魂の高揚ーー信仰と教会、そしてアフリカの匂い。第五章、カントリーの故郷はどこかーーオールドアメリカへの郷愁。エピローグ、都市という荒野で歌うディラン。

 エピローグを読めばこの本が何のために書かれているかが判る。それは、ディランの音楽を辿れば上記のような、エルヴィス・プレスリー、ブルース、ジャズ、ゴスペル、カントリーのルーツ・ミュージックに行き着くという事なのだ。こういう本が若い頃に出ていたならどんなに良かったことかと思うが・・・。全体像が何となく2003年過ぎにマーティン・スコセッシのブルース・プロジェクトなどで判ってきて、この本を読んで整理された。こういう本はディラン・ファンでなければ書けなかっただろうと思う。ディランを知れば知るほど、ディランこそがアメリカ音楽を体現していることに気づくはずだ。

 「ディランの『自伝』の若いころをふり返った記述の中には、そうしたルーツへの意識が明瞭に表れている。五大湖に面する中西部ミネソタ州で生まれたディランはデルタなど南部のミシシッピー川流域のブルース音楽との精神的なつながりをやや強引に地理的に跡づけてみせる。

 [初期のロックンロールへとつながる]カントリー・ブルースは私の心の分身のようなものだった。(中略)カントリー・ブルースの目抜き通りともいうべきハイウェイ61号は、ダルースという私の生地の近くから道が始まっていた。そう、あのことはこう思っていた。自分はハイウェイ61号から出発し、常にその路上にいたし、そこからならどこへでも、南に行けばあのデルタ・カントリーにだって行ける、と。(中略)ブルースの血脈が流れるミシシッピー川も、私の生まれた地域に源流部があった。私はこうしたところから決して遠く離れなかった。そこがこの世界における私の居場所であり、自分の血統はそこにあるといつも思っていたのだ。

 ハイウェイ61号の北端やミシシッピー川源流部についてディランがいっていることは地理的に正しい。しかし、ミシシッピー・デルタへといたるハイウェイや大河の起点を故郷の近くに"発見"したのは、南部の古いブルースへの思い入れがあったからこそであって、その逆ではない。そしてまた、「この世界における私の居場所」という言葉からは、現代の人間の問題とルーツ・ミュージックが持つ特別な魅力の両方が見えてくる。魂の「居場所」は生と同時に与えられるものではなく、みずから"発見"するしかないのである。
 南部のルーツ・ミュージックは、ブルースにしてもカントリーにしても、悲惨な生活から生まれ、哀しみを歌うものが少なくない。そういう気の滅入るような内容の歌が、なぜか多くの人の心を捉える。それは、歌を通して体験を共有するということが人間に計り知れない力を与えるからだ。しかし、たとえ家郷に帰れなくても(homelessness)、土から切り離されても(uprootedness)、そしてまた、愛するものを失っても(blues)、その喪失の切実さを分かち合う人々がいる限り、私たちは生きることができる。音楽が愛という言葉と結びつくとすれば、そういう意味でだろう。哀しい音楽がなぜ楽しいか。美しいからだ。そして心のありようを偽らず伝えようと模索するからだ。ルーツ・ミュージックはそうした単純さを失わない音楽だ。」 ーー『ロックを生んだアメリカ南部 ルーツ・ミュージックの文化的背景』 エピローグよりーー

 「哀しい音楽がなぜ楽しいか。美しいからだ。」と言い切っている事が凄い!なぜなら昔、知り合いのDJから暗いのより明るいのの方が楽しいじゃない。と言われて、何と言葉を返したら良いだろうと思った事がある。こういう風に言い切ってしまえばいいのだ。

 28日の結果。 カリ(コロンビア)。セサル・リンコン、耳2枚。ウセダ・レアル、セバスティアン・パロモ、耳なし。

 29日の結果。 カリ(コロンビア)。フェレーラ、耳1枚と強いもう1枚要求で場内2周、耳2枚。カステージャ、ルイス・ボリバル、耳1枚。

 30日の結果。 メキシコ。ウンベルト・フロレス、耳1枚。マルシアル・エルセ、口笛。パウリタ、耳なし。 カリ(コロンビア)。セサル・リンコン、コヒーダ。耳2枚。ルイス・ボリバル、耳2枚。 トゥラテナンゴ(メキシコ)。フェルナンド・オチョア、アルフレド・グティエレス、耳なし。ホセリート・アダメ、耳2枚、耳1枚。


 1月3日(木) 晴 48057/2

 年明けの読書は、『葉隠入門』から始めようと思った。なかなか感じるところがある。アントニオ・コルバチョが、この本を読んで何を感じたかは判らない。でも、おそらくと思える部分をいくつか気付いた。それは、これから日記にも書くかも知れないが、今日はこの辺で止める。

 鹿島が広島に勝った。録画したビデオを観たが、PCをいじりながらなのでちゃんとは観ていない。

 12月31日の結果。 カリ(コロンビア)。パコ・ペルラサ、耳なし。カステージャ、耳2枚。ペレラ、耳なし。

 1月1日の結果。 カリ(コロンビア)。フェスティバル闘牛。闘牛士、フェレーラ、アベジャン、耳1枚。イグナシオ・ガリバイ、耳なし。パコ・ペルラサ、ルイス・ボリバル、耳1枚。騎馬闘牛士、ジョアオ・モウラ、耳1枚。


 1月4日(金) 曇 9393

 モランテは、セビージャのフェリアには出ないようだ。モランテは去年途中で、テンポラーダを切って、南米での闘牛が始まるとメキシコに渡り、変な格好で闘牛場に現れているが、頭が本当におかしくなったようだ。病院に行った方が良いと思う。

 「年明け最初の取引となった2日のニューヨーク商業取引所の原油先物相場で、国際的な指標となるテキサス産軽質油(WTI)の2月渡し価格が一時、1バレル=100ドルちょうどを付け、史上初めて100ドルの大台を超えた。 昨年1月の約60ドルから約6割値上がりした。」 「年明け最初の取引となった2日のニューヨーク株式市場は、米景気の減速懸念の高まりや、原油高騰を嫌気した売りが優勢となり、ダウ平均株価(工業株30種)は一時、約1か月ぶりに1万3000ドルを割り込んだ。 ダウ平均は、12月31日に比べ220・86ドル安い1万3043・96ドルで取引を終えた。ハイテク銘柄が中心のナスダック店頭市場の総合指数は、同42・65ポイント低い2609・63で取引を終えた。」 ーー讀賣新聞よりーー

 暗い経済ニュースで始まったアメリカ経済。今年はどんな年になっていくんだろう。


 1月5日(土) 曇 28387

 今日初詣に行ってきた。JRA神社銀座。さい銭料は、馬神によって還元され何倍にもなって戻ってきた。当然さい銭だから金額は少ないのだが・・・。高校サッカーは母校を破った遠野がベスト8で負けた。所で、メールや掲示板に、「あけおめ」とある。新年早々随分猥褻な言葉を書くものだというのが第1印象。だって、「開けっ広げのおめ○」かと想像したら、「あけましておめでとう」を縮めたものということが判った。そうはそうなんだけど、縮め方もこういう風にすると違和感を感じるなぁ。言葉を縮めると言うことは、かえって同音で違う意味のものも感じさせた方が面白いというのはある。それは、判るが・・・。

 年末年始のTV番組を録画で観る。『プロフェッショナル 仕事の流儀 イチロー・スペシャル』『イカ天2007復活祭』『爆笑問題のニッポンの教養』『どんど晴れ・総集編』などを観る。イチローはいかれているように凄い!!!きちっと時間通りストレッチや練習をしていくと試合には、スイッチが入るという。脳科学的には、これは正しいという。21歳で大スターになってマスコミやファンに騒がれて違和感を感じ、大リーグへ。そこでも同じ。野球が楽しく感じられなくなる。そして、2007年の新たな挑戦で野球がまた楽しくなりそうだという。プレッシャーに弱いという自身を克服するために、170本を打ったら自分からプレッシャー掛けて試合に挑んでいく。7年間同じ朝食を食べ続けているというのもいかれている証拠の1つだ。

 イカ天は、YouTubeでも観れるが、BEGINやたまの石川が出演して話をしたのが面白かった。イカ天を知らない女子アナウンサーがアシスタントをしていたが、当時のBEGINの『恋しくて』を聴いたあと、凄い人って初めっから凄いんですね!と感激していた。そして、たまもイカ天だったんですか?へー凄いですね!と、言っていた。それから、毒舌の吉田健や萩原健太の話。そして、「二枚でどうだ」で、当時三宅裕司がどういう意味と訊いていたシーンが流れたあと、直ぐ判ったと言う相原勇が、だって21だったから判るでしょう。と言っていたのは面白かった。彼女ももう41歳。

 BEGINの比嘉がイカ天に出る直前に、爺さんか誰かが死んで沖縄に帰って、みんなに戻ってこいと言われて、そうしなきゃダメかなと思ったけど、イカ天というのがあって今度それに出るから、それが終わってからと言うことになって、出演してチャンピオンになって、曲がなくて毎週毎週曲作りに四苦八苦してグランド・チャンピオンになってデビューした話をしていた。すると、相原勇が、あたしも仕事がなくて事務所から首になりかけて、広島に帰ろうとしていたときに、イカ天の出演が決まった話をしていた。

 『日本の戦時下ジョーク集 太平洋戦争篇』早坂隆著、読了。『葉隠入門』、『お節介なアメリカ』ノーム・チョムスキー著、読む。

 3日の結果。 カルタヘナ・デ・インディアス(コロンビア)。アベジャン、耳1枚。ペレラ、耳なし。ルイス・ボリバル、口笛。

 4日の結果。 カルタヘナ・デ・インディアス(コロンビア)。ポンセ、耳2枚、場内1周。パコ・ペルラサ、耳なし。カステージャ、耳1枚。


 1月6日(日) 晴 6204

 『メジャー』を観ていると面白くてやめられない。茂野吾郎、佐藤寿也などキャラクターと物語が面白い。そして、型破りなところと熱がある。

 「毎日新聞が昨年12月に実施した全国世論調査(電話)で、次期衆院選は自民党と民主党のどちらに勝ってほしいかを尋ねたところ、民主46%、自民33%という結果だった。その他の政党13%、無回答9%。「民主躍進、自民惨敗」となった昨年7月の参院選直後より民主党のリードが大きくなった。年金記録漏れ問題や防衛省の不祥事などで自民党への逆風が強まっていることがうかがえた。 この質問は今回で5回目で、いずれも民主党が自民党をリードしている。参院選直後の昨年8月調査は民主44%、自民37%で7ポイント差だった。9〜10月の3回の調査では差が4〜5ポイントに縮まったが、今回は13ポイントに開いた。

 同時に質問した支持政党が自民26%、民主27%と拮抗(きっこう)していることを考えると、民主支持層以外にも民主党への期待が強いことを示した。 衆院選への関心については、「非常に関心がある」39%、「ある程度関心がある」43%で、計82%が関心を持っている。「あまり関心がない」は11%で、「全く関心がない」は3%だった。 衆院選の投票の際に最も重視するのは「政策」が51%で最多。「人柄」15%、「所属政党」11%、「経歴や実績」9%、「イメージ」3%などが続いた。当選した政治家に一番重視してほしいものは(1)「国全体の政策」62%(2)「地元への貢献」27%(3)「政府や政党幹部とのパイプ役」4%−−の順で、有権者が政治家の政策立案能力に期待を寄せていることが浮かんだ。 衆院選で小選挙区と比例代表でどちらを重視するかは、「小選挙区」の68%が「比例代表」の21%を大きく上回った。」 ーー毎日新聞よりーー


 1月7日(月) 曇 27605

 録画していた、『紅白』をまた観る。一青窈は何故、『ハナミズキ』の最後で、♪君と好きな人が百年続きますように♪を歌わずに手話で終わったのだろう? しかし、そういう終わり方は、会場の反応からは好意的に取られていたようだった。おそらく、TVを観た人からもそういう風に受け取られたのだろう。

 今日の『クルーズ・アップ現代』は特別版で1時間15分あった。マネーの潮流と題されたグローバル・マネー。年頭から為替、株式市場は暗い。オイル・マネーや中国、インドなどのお金が、グローバル・マネーとしてアメリカだけに集中しなくなって来た現状を分析して、これからの展望を分かり易く語っていた。番組を観ていて、アメリカは、市場からもそっぽを向かれ、地球温暖化で農産物でも不作になったら、壊滅的な打撃を受けるだろうと思った。グローバル・マネーは暴走を始めたといって良いだろう。これから不況になるようだ。大変な時代になってくるだろう。不況になると、面白くなると思って、楽しみに思う気持ちはおかしいだろうか。

 『葉隠入門』、『お節介なアメリカ』ノーム・チョムスキー著、読む。

 5日の結果。 カルタヘナ・デ・インディアス(コロンビア)。セサル・リンコン、耳1枚。カステージャ、耳2枚。セバスティアン・パロモ、耳なし。

 6日の結果。 メキシコ。エル・パナ、アビソ3回、右太腿に25cmの角傷を受ける重傷。モランテ、耳1枚がもう1枚要求が2回。 ドゥイタマ(コロンビア)。ウセダ・レアル、パコ・ペルラサ、耳1枚。リカルド・リベラ、耳2枚。


 1月8日(火) 晴 4296

 闘牛の会のビデオの編集をするためにDVD録画をした。

 正月録画していた、NHKでやった『民主主義・世界10人の監督が描く10の疑問』から、『アメリカ、闇へ』と『ボリビア、先住民たちの革命』を観る。『アメリカ、闇へ』は、アフガニスタンやイランで行われたアメリカ軍の拷問について、直接拷問に加わった軍人や弁護士、拷問された人、政府関係者などにインタビューをしてドキュメントしている。この中で明らかになったのは、副大統領の発言から、現場段階になった時点で、その発言が拷問という形に表れる。上の者の発言が、間にいくつもある組織の責任者を入れることによって、都合の良いように解釈されて、ジュネーブ条約の人権要項を無視する形で拷問へと向かう。

 裁判などを経て拷問を実行した人間は、裁かれたが、副大統領や大統領は、議会へ法律を通して自分たちの戦争責任を問われないようにした。ノーム・チョムスキーが言う、テロ国家アメリカの現実がここにある。自国の利益にならないことは、敵対勢力またはテロなどとして攻撃する。不利になることは、超軍事大国・世界の警察として有耶無耶にする。こういう姿勢がそもそもアメリカが嫌われる理由なのだ。民主主義の旗印でアメリカがやっていることは、世界をボロボロにすることだ。そもそも、アル・カーイダとフセインが結びついているというのは、この拷問から得た嘘の情報であった。その嘘の情報を基に、大量破壊兵器があるので戦争するというのも、国家テロ的な行為である。アフガニスタンでの戦争にしても、国連の承認を得ないで戦争を始めた。

 それにしても、こういう風にドキュメントを作っているアメリカという国は、未だ救いがあるような気がする。それでも、この中で言っていた、テロリストに対して拷問しても良いと思っている国民が35%いることが、拷問を生むというのは納得できる発言だ。

 『ボリビア、先住民たちの革命』は、先住民初の大統領になったエボ・モラレス。彼はコカ栽培農家出身でコカ栽培の推進している。ただし、精製してコカインにすることは認めていない。MAS(社会主義の政党)を率いて大統領に当選して天然ガスや土地の国有化を目指して改革を行っている姿を映す。しかし、問題も山積している。スペイン系の白人大地主の反対にあい議会運営が厳しい。プラネという女性の下部組織が、仕事がなくなって不満を募らせている。チェ・ゲバラがキューバに続いて社会主義革命を成し遂げようとして死亡したボリビアで、社会主義革命を選挙によって成し遂げようとしている、エボ・モラレス大統領。チェ・ゲバラと同じ、チリの監督が撮っている。

 7日コロンビアのドゥイタマでラス・ベンタス・デル・エスピリトゥ・サント(セサル・リンコン)牧場の“フイシオソ”という名の牛(#406、480キロ)をセバスティアン・カステージャがインドゥルトした。

 7日の結果。 ドゥイタマ(コロンビア)。セサル・リンコン、耳2枚。カステージャ、シンボルとしての耳2枚(牛、インドゥルト)。ルイス・ボリバル、耳なし。


 1月9日(水) 曇/晴 4651

 闘牛の会のためのビデオ編集が終了。ダビングも終わった。多分、初めから観れば、どういう意図で編集されたか判るだろう。特に半分以上占める前半部分は。あとは観てのお楽しみ。

 最近ハッキリしない天気が続いている。日の出も今の時期は1番遅い時期になっているそうだ。


 1月11日(金) 53289/2

 薬害肝炎被害者救済法が成立した。草の根的な被害者の活動についに政府も重い腰を上げた。また、国会では、新テロ対策特別措置法が参議院で否決され、衆議院で再可決された。これでインド洋での給油活動が再開されることになった。

「政府は、何か問題のある行動を起こそうとするとき、しばしばその意図を隠す口実として、ほとんど反射条件のように、安全保障上の懸念を訴えるものである」

「つい先日(2004年6月)ジョン・ネグロポンテが駐イラク米国大使として世界最大の外交使節団を率いてバグダットに赴いた。その任務はイラク人に主権を移譲し、中東地域と世界に民主主義をもたらすという「救世主(メシア)的使命」を果たすことであるという。あるいは、少なくともそのように重々しく報道されている。
 ネグロポンテは、1980年代、駐ホンジュラス米国大使として叩き上げた人物である。おりしも現政権の閣僚の多くが、レーガン政権下で実績をつみ、最初の「対テロ戦争」が中米と中東で宣言された時代である。」

「ネグロポンテの駐イラク大使就任について『ウォールストリート・ジャーナル』のカーラ・アン・ロビンスは2004年4月に、「現代植民地総督」という見出しで記事にした。ネグロポンテはホンジュラスではまさに「植民地総督」として知られており、これは「植民地時代、有力な行政官に与えられた肩書き」である。彼は現地で、ラテンアメリカで2番目に大きな大使館を統轄していたが、それは、大使館に当時では世界最大規模のCIA支局があったからであり、決してホンジュラスが世界のパワーバランスの中心地だったからではない。
 ロビンスの見解では、ネグロポンテは「ホンジュラス軍による虐待行為」(コレは大規模な国家テロを指す婉曲表現である)を隠蔽工作の目的は、アメリカにとって重要な拠点であるホンジュラスに確実に時刻の資金援助を流すことあった。当時レーガン大統領は、ホンジュラスを基地にして、秘密裏にニカラグアのサンディニスタ政権に対して戦争を行っていたのだ。この「秘密戦争」はサンディニスタがニカラグアで革命政権を樹立した直後に開始された。米国政府が明言した懸念は、この中米の一国が第2のキューバになりうるという恐れだった。そして、ホンジュラスにおける植民地提督ネグロポンテの任務は、現地の基地を監督し、そこでテロリスト傭兵部隊(コントラ)訓練し、武装させ、ニカラグアへ送り込み、サンディニスタ政権を転覆させることであった。
 この動きに対し、1984年ニカラグアは法治国家としてふさわしい対応をとった。アメリカをハーグの国際司法裁判所に提訴したのだ。国際司法裁判所は、アメリカにニカラグアに対する「非合法な武力行使」(ありていにいえば、国家テロ)をやめ、相当な賠償金を支払うことを命じる判決を言い渡した。しかし米国政府は国際司法裁判所を無視した。さらにその後、コレに関する2つの国連安保理決議(この国際司法裁判所判決を支持する決議、そして国際法を尊守するよう各国に求める決議)に拒否権を行使した。
 米国国務省法律顧問アブラハム・D・ソファイアーは、アメリカが国際司法裁判所の裁定を拒絶する理由をこう説明した。大半の諸国には「わが国と見解を共にする事が期待」できないため、わが国がどのように行動し、いかなる諸問題が「基本的にアメリカの規定する国内管轄権の範囲内」で裁かれるべきかを「決定する権限を保留」しなければならない、と。ここでいう「諸問題」とは、この場合、国際司法裁判所が非難するニカラグアに対するテロ攻撃を指す。
 当時米国政府が裁判所命令を無視するという暴挙や、国際社会を軽視する姿勢は、おそらく現在のイラクをめぐる状況と無縁ではないと思われる。
 ニカラグアでのテロ戦争は、結果としてアメリカ依存型の、腐敗した、形だけの民主主義を定着させるにいたったが、数え切れないほどの犠牲者を出している。民間人の死亡者数は推定数万人である。ニカラグアの総人口に対するこの死亡者数を、アメリカの総人口に比例させると「南北戦争および20世紀に起こったすべての戦争でのアメリカ人犠牲者数の合計をはるかに上回る」と、ラテンアメリカにおける「民主主義促進」の歴史を専門とする第1線の研究者、トーマス・カロサーズは書いている。
 カロサーズは学者としてのみならず当事者の視点からも論じている。彼は、レーガン政権下、中米で「民主主義強化」プログラムが展開されていた当時、国務省の官僚であった。レーガン時代のこの「民主化」プログラムは、「真剣」な取り組みではあったが「失敗」に終わった、と彼は確信している。米国政府が容認したのは「制限つきの、上からの民主改革」にすぎなかったのである。「そういうかたちにしておけば、アメリカと古くから結びついてきた、伝統的な権力構造を覆すという危険を冒さずに済むからだ」。
 こうした動きは民主化構想を求め続けてきたアメリカの歴史の中では珍しくなく、くり返し見られるものだ。イラク人も、自国においてアメリカが再びおなじみのパターンを展開していることに気づいているようだ。われわれが見て見ぬふりをしていても、である。
 今日、ニカラグアは南半球で2番目に貧しい国である(最貧国は、20世紀アメリカ介入主義の主たる標的ハイチだ。ニカラグアは第2の標的と位置づけられていた)。ニカラグアでは、2歳未満の子供達の約60パーセントが重度栄養失調による貧血で苦しんでいる。この例だけでも、民主主義の勝利として喝采を浴びたニカラグア革命政権転覆の実態をまざまざと物語っている。
 ブッシュ政権は、中米でこうした経験をつんだ「ベテラン」大使を頼りに、イラクに民主主義をもたらしたいと主張しているのである。
 ネグロポンテの指名承認公聴会において、ニカラグアでの国際テロ活動は、ざっと触れられはしたが、現在のところ特に重大視されていない。おそらく「すばらしき国」アメリカは道徳判断の普遍性の原理にはあてはまらないからであろう。
 ネグロポンテが駐イラク大使に就任した数日後、ホンジュラスはイラクから派遣部隊を撤退させた。これは偶然のタイミングだったかもしれない。あるいは、ネグロポンテがホンジュラスに駐在していた時代の、われわれとしては忘れ去りたい記憶がホンジュラス人たちによみがえったかもしれない。」

「ジュネーブ条約とは、「アメリカにおける最高法規」のひとつであり、現代における人道法の基礎である。1996年戦争犯罪法(共和党議会により可決された)では、ジュネーブ条約に対する「重大な違反」の責任を負う司令官を死刑に処すとしている。
 この戦争犯罪法は、大統領顧問アルベルト・ゴンザレスが、今回司法長官に指名されたことでも、また表面化した。2002年1月に、ゴンザレスは、「対テロ戦争」への新しい対策に関するブッシュ大統領宛のメモで、ジュネーブ条約の抜け道を探るよう助言していた。そうすれば、「戦争犯罪法にもとづいた、国内における刑事訴追をうける危険性が格段に減ることになる」というものだ。
 国際法を無視することは、ブッシュ陣営の誇りである。ブッシュが国務長官に指名したコンドリーザ・ライスは、すでに自身の見解の概略を『フォーリン・アフェアーズ』(2000年1月号)で説明していた。同誌で彼女が非難の的にしていたのは、まさに人々の「国際法や国際規範の概念に反射的に飛びつこうとするやり方、そして権力を正当に行使するためには諸国の支持(あるいは、可能ならば国連などの国際機関の支持)が不可欠であるという考え方」であった」

「ブッシュ政権の考える大統領権限のあり方は極端にすぎるため、最も、穏健な立場で信用ある専門誌からも、かつてないほどの批判を受けている。テキサス大学憲法学教授サンフォード・レヴィンソンは米国芸術科学アカデミーの機関誌『ダイダロス』(2004年夏号)にこう書いているーーーー9・11後の世界においてブッシュ政権は憲法やその他の規範が一時無効になったかのようにふるまっている。
 戦時には何をしてもまかり通るというこの理屈は、「カオス的状況に提要できる規範はない」と言い直してもいいだろう。 レヴィンソンの指摘によれば、この言い方はナチス・ドイツの指導的法哲学者カール・シュミットから引用したもので、このシュミットこそが「(ブッシュ)政権の真の黒幕」であるという。大統領法律顧問(現司法長官)アルベルト・ゴンザレスの助言のもとブッシュ政権が表明した見解に従うと「その大統領権限のとらえ方は、シュミットがヒットラー総統に与えたいと考えた権力にあまりに近い」、とレヴィンソンは述べている。
 こういった批判はこの国の指導者層の中枢からはめったに聞かれない。
 こうした帝国的な大統領権限の解釈こそが、現政権の政策の基本なのだ。イラク侵攻は、その初期において「予防的自衛」として正当化されたが、国連憲章の基礎にあるニュルンベルグ原則には、侵略戦争の開始は「最悪の国際犯罪であり、それ自体すべての悪が蓄積されているという点において他の戦争犯罪と異なる」と宣言されている。ファルージャやアブ・グレイブでの戦争犯罪、暴動の際の犯罪行為、侵攻以来、重度栄養失調児が倍増したこと(いまや、その数はハイチやウガンダよりはるかに高く、アフリカのブルンジ並みの状況である)そしてそのあらゆる残虐行為もまたこの原則に反する。
 この春(2004年)、司法省の法律家たちが、拷問を許可する権利を大統領がもつことを正当化しようとしていたと報じられたのち、イエール大学法学部長ハロルド・コーは、『フィナーシャル・タイムズ』で「大統領に拷問を許可する憲法上の権限があると考えるのは、彼に大量虐殺を行使する権限があると言っているようなものだ」と述べた。
 法律顧問たちや新任の司法長官は、大統領が実際に大量虐殺を許可する権限を有していると何の苦もなく主張するだろうーーーー「第2の超大国」、世界世論がその権利の行使を許せばの話だが。」 ーー『お節介なアメリカ』ノーム・チョムスキー著よりーー

 アメリカ追随の自民党に、それを受け入れている日本に未来はあるのか?ノーム・チョムスキーは、アメリカ人言語学者であるが、政治的な発言は過激ではあるが、実に正しい現状認識を持っている事が上記の文章を読んだだけで判るだろう。採決を欠席した小沢一郎に批判が出ていると言うが、そんなものはどうでき良いことのように思えてならない。くだらないネガティブ・キャンペーンのようなものだ。

 荻内先生とTELで話す。明日は葬式に出なければならないと言う。そのあとの飲み会に出たいと言っていた。


 1月13日(日) 曇 14298/2

 土曜日の闘牛の会。荻内先生は葬式に行ったはずで、それから合流予定も、2日間寝ていないのでしんどいだろうとと言うとおり、合流は出来なかった。日本に帰ってきたのが金曜日だからそういうこともよく判る。年々時差ボケがひどくなってきているのだろう。闘牛の会の参加者は少なかった。用事がある人が重なった様だ。

 ビデオは、SICAB96・97から馬のフェスティバルから色々な馬術や見せ物を流した。ヘレスの王立騎馬学校でやるような騎乗技術や、音楽に合われて牧場で使う棒を持って踊る馬のダンス。中世の騎士の戦い。西部劇で出てくるようなアクロバット的な騎乗。馬の尻に火を点けて馬に芸をさせるもの。勿論、尻に付けているプロテクターのようなものに火を点けるのだが、動物は本能的に火を怖がるのにそれが全くない。それと、4頭立ての馬車競技。そして、2006年のメンドーサの騎馬闘牛。92年のサン・イシドロで幻の5回連続プエルタ・グランデのセサル・リンコンのファエナ。97年パレンシアのホセ・トマス。太腿と言うより、股間で牛の角を突っつくような事やっているファエナ。最後が2005年サン・イシドロで初めて耳を切ったセバスティアン・カステージャのファエナ。

 それから二次会で飲みに行った。闘牛でも話が盛り上がったが、後半の盛り上がりは何だったんだろう?来月は、久々に闘牛初級講座をやろうと思う。

 8日の結果。 マニサレス(コロンビア)。ペペ・マンリケ、場内1周。クリストバル・パルド、耳要求で場内1周、場内1周。リカルド・リベラ、耳なし。

 9日の結果。 マニサレス(コロンビア)。セサル・リンコン、耳なし。ポンセ、耳2枚、耳1枚。ルイス・ボリバル、耳2枚。

 10日の結果。 マニサレス(コロンビア)。ウセダ・レアル、耳1枚が2回。アンドレス・デ・ロス・リオス、セバスティアン・パロモ、耳なし。

 11日の結果。 マニサレス(コロンビア)。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ジョアオ・モウラ、耳なし。闘牛士、セサル・リンコン、耳1枚。ポンセ、フリ、耳2枚。カステージャ、アンドレス・デ・ロス・リオス、耳1枚。


 1月15日(火) 曇 44449/2

 寒い日が続いている。そろそろバレンシアやカステジョンに続いてセビージャやマドリードの情報も入ってくるだろう。中心にあるのは、ホセ・トマスのTV中継拒否の問題だ。この問題をどういう風に解決していくかが各闘牛場の腕の見せ所だ。これが出来なければ1番の目玉を観ることが出来なくなる。態勢としては、何とか出場して欲しいと言うこと。環境整備が最大の問題だ。

 12日の結果。 マニサレス(コロンビア)。セサル・リンコン、耳なし。フリ、耳1枚。カステージャ、耳なし。

 13日の結果。 メキシコ。エル・サパタ、耳1枚が2回。ルイス・マヌエル、オマル・ビジャセニョル、耳なし。 アリメニア(コロンビア)。セサル・リンコン、耳1枚。ルイス・ボリバル耳2枚が2回。パロモ・リナレス、耳なし。 イジェスカス。マヌエル・アマドール、ホセ・マヌエル・プリエト、耳1枚。ハビエル・ペレア、耳なし。


 1月17日(木) 曇 51073/2

 年明けからアメリカの株価が値下がりして、日本でも株が値下がり、ドル安、ユーロ安、円高になった。それとアメリカの金融会社の決算が発表され手始め、それに拍車が掛かっている。こういう状態では景気は悪くなるだろう。アメリカでは、元財務長官が16兆円の景気対策をすべきだという提言を発表した。

 マニサレスのセサル・リンコン最後の闘牛では耳を取れなかったが、闘牛場には、「トレロ、トレロ」「セサル、セサル」の叫び声が響いたという。2月24日まであと1ヶ月弱。セサルが出る闘牛場ではこう言うことが起こるのだろう。


 1月18日(金) 曇 29905

 阪神大震災から13年が経った。NHK『プレミアム10』は被災地で生まれた、歌い継がれている歌たち紹介していた。神戸では、関西のローカル・ロック・バンド、ソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕」は、被災地で呆然と立ちすくむ被災者を観て作られる。小学の先生が作った「しあわせ運べるように」。震災10年後にヴィッセル神戸サポーターが作った「神戸賛歌」。新潟では、平原綾香の「ジュピター」。スマトラでは、五輪真弓の「心の友」。

♪風が吹く港の方から
焼け跡を包むようにおどす風
悲しくて全てを笑う
乾く冬の夕

夕暮れが悲しみの街を包む
見渡すながめに言葉もなく
行くあてのない怒りだけが
胸をあつくする

声のない叫びは煙となり
風に吹かれ空へと舞い上がる
言葉にいったい何の意味がある
乾く冬の夕

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て 命で笑え 満月の夕

絶え間なくつき動かされて
誰もが時代に走らされた
すべてを失くした人はどこへ
行けばいいのだろう

それでも人はまた 汗を流し
何度でも出会いと別れを繰り返し
過ぎた日々の痛みを胸に
いつか見た夢を目指すだろう

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て 命で笑え 満月の夕

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て 命で笑え 満月の夕♪ ーー「満月の夕」よりーー


♪地震にも負けない 強い心を持って
亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きていこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
支え合う心と明日への 希望を胸に

響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように♪ ーー「しあわせ運べるように」ーー


♪俺たちのこの街に お前が生まれたあの日
どんなことがあっても忘れはしない

共に傷つき 共に立ち上がり
これからもずっと歩んでゆこう

美しき港町 俺たちは守りたい
命ある限り 神戸を愛したい♪ ーー「神戸賛歌」ーー

 大震災があった日に、発足当初のヴィッセル神戸は、初練習の日だった。だから、「お前が生まれたあの日」という歌詞がそのまま大震災の日を意味している。

♪音楽で瓦礫の下の人を助けたりは出来ないけれど
心の傷を治し 元気づけ 勇気づける そんな魔法のような力が
音楽にはある。♪ ーー「震災を乗り越えて」よりーー

 どれもグッと来る歌だった。歌は人々に歌われることによって歌い継がれていく。そこには、被災した人たちの思いが詰められていることを判る。人は、窮地に陥った時に、真正面から人生を考え直す真面目さを大事にしている。


 1月19日(土) 曇 7019

 寒い。アルルのフェリアの概要も判ってきた。カステジョンはほぼ判り、バレンシアの概要も判った。次は、セビージャのフェリア・デ・アブリルとマドリードのサン・イシドロである。1月中には、バレンシアとセビージャ、マドリードのドミンゴ・デ・レスレクシオンが決まるだろう。2月か3月初めには、セビージャとマドリードのサン・イシドロの主要なカルテルが決まるだろう。さて、今年はスペインに行けないかと思っていたが、行けそうだ。しかし、仕事のスケジュールが、先が見えない状態になってきたのが不安要因。どうなるか・・・。


 1月21日(月) 曇 49661/2

 夜になって、世界同時株安の様相を呈してきた世界経済。新興国と言われるインドでも11%、シンガポールでも6%以上、中国でも5%以上下げているという。ロンドンやスペインでも下げているようだ。為替も、ドル安、ユーロ安で、円が上がっている。ブッシュが発表した16兆円の景気テコ入れ政策への失望売りで市場は、冷え込んでいる。福田政権は、発足後ドンドン株価が下がっている事について、責任がないという事を言っている。本当だろうか?そういう認識が間違っていることを表に出さないようにしていることが、サブプライム・ローン問題と合わさって、市場に失望感を与えているのだと思う。

 1月中に色々状況が変化するようだ。それがどういう風に表れるのか、見極めていかなければならないようだ。 


 1月22日(火) 曇 5905

 『「震度7」を生き抜く』を、読んでいて気付いたことがある。阪神大震災があったのは、18日の日記にも書いた、「満月の夕」の歌で判る様に満月の日に起こった。そして、中越大地震もやはり満月の日に起こっている。何か関係あるのだろうかと思ってしまう。そして、今日が満月の日だ。月は古来より神話などで語られるように、女性を象徴している。女性の体も、月に支配されている。

 NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』イチロー特集を観ていていたら、臨時ニュースがテロップで流れた。「FRBが金利を0.75%引き下げた」出た。これは火なりのサプライズだ。緊急に0.5%の利下げが必要だろうというエコノミストの意見をニュースで言っていたので、それを0.25%上回って利下げしたことは、市場に大きなインパクトを与えただろう。これで一時的にも世界同時株安は沈静化するだろう。為替がどう動くか注目だ。ユーロは一時、152円台まで値下がりしたがまた上がるのだろうか?

 16日の結果。 モロレオン(メキシコ)。フェルナンド・オチョア、場内1周。カステージャ、耳1枚。レオポルド・カサソラ、耳2枚。

 19日の結果。 メデジン(コロンビア)。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ジョアオ・モウラ、耳1枚。エル・ヒノ、口笛。クリストバル・パルド、ランセス、耳なし。 レオン(メキシコ)。エロイ・カバソス、耳2枚と尻尾1つ。カステージャ、耳1枚。アレハンドロ・アマジャ、耳2枚。 アピサコ(メキシコ)。エル・パナ、場内1周。セサル・リンコン、耳2枚。

 20日の結果。 メキシコ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ガストン・サントス、耳1枚。闘牛士、イグナシオ・ガリバイ、耳1枚が2回。フェルナンド・オチョア、口笛。マルティナス・ベルティス、罵声。 ボゴタ(コロンビア)。ペペ・マンリケ、耳1枚。セバスティアン・バルガス、場内1周。パコ・ペルラサ、耳なし。 レオン(メキシコ)。セサル・リンコン、耳1枚。ソトルコ、耳2枚と尻尾1つ。ファン・アントニオ・アダメ、耳なし。 マラカイ(ベネズエラ)。フェスティバル闘牛。ニーニョ・デ・ラ・カペア、耳1枚。エル・ミト、耳2枚。ラファエル・ポンソ、耳なし。モレニート・デ・マラカイ、耳1枚が2回。トマス・カンプサーノ、耳1枚。ビクトル・メンデス、マヌエル・フエンテス、耳なし。

 イジェスカス。ヘスス・ロメロ、耳なし。エウヘニオ、耳2枚が2回。ルイス・ミゲル・バスケス、耳なし。


 1月23日(水) 雪 5574

 朝、餅を焼いてきなこに黒ミツを入れた物で食べた。雪が降る中、渋谷に行きてTCの両替をしてくる。昨日、FRBが利下げして、株式市場が少し落ち着いたので、為替は揺り戻しが来ると思って昨日の値段で両替したかったので行ったのだ。ついでにJRAに寄ってこちらもお金をおろしてきた。新宿によってロシア料理を食べる。食べ放題で980円もそれほど美味しいとは思わなかったが、腹一杯食べて来た。

 帰ってきてネットを繋いだら、この前、強盗に生後18日の赤ん坊をこらされた22歳の母親が自殺した?というニュースを観て悲しくなった。犯人は絶対捕まるべきだ!!!と、思った。残された同居の母親と、旦那は悲惨だ。どうして良いか分からないだろう。

 北国の少女は、今頃、足元を見詰めながら歩いていることだろう。山田風太郎『魔界転生』読む。


 1月24日(木) 曇 13579

 世界的に株価は持ち直した。FRBは、去年末から少しずつ利下げをしているが、それでもまた足りないと市場は思っている。資本主義だからそれに合わせて経済政策を打つのは当然である。福田内閣が何の手も打たないに比べれば、アメリカは打つ手が早い。身動きが軽い。何処か他人事のような日本とは全然違うのだ。為替も、少し円安に振れた。それでも、一時的なものだという。相当根が深いサブプライム問題。


 1月26日(土) 曇 52895/2

 サッカー、日本対チリは、0-0の引き分け。巻が倒されたのは、PKだった。後半大久保が入って活性化したが、流石やんちゃの大久保は、チャンスをことごとく外した。気になったのは、守備から攻撃に変わるときに駒野のパスの出し方がイライラするくらい遅いのと、ゴール前にボールが上がったときの川口が、飛び出すか、待つかの判断が悪い。相手のシュートが下手だからいいもののワールド・カップなどでの失点時は、ほとんどが判断ミスによる失点だった。飛び出すならボールに触らなければならないので、それが出来ずに失点というのが多いのと、それを怖がって、飛び出しを躊躇している今の姿は進歩が感じられない。

 セビージャのフェリア・デ・アブリルの概要が判った。明日アップする。『魔界転生』読む。


 1月27日(日) 曇 2704

 ネット・オークションで、『アウトローズ・アンド・エンジェルス/ウィリー・ネルソン&フレンズ』と『ガッタ・サーヴ・サムバディ/ザ・ゴスペル・ソングス・オブ・ボブ・ディラン』を落札してそれが届いた。さっそくDVDを観た。『アウトローズ・・・』に出てたリッキー・リー・ジョーンズを観てガッカリした。あの顔の崩れ方は許せない!!!まるで娼婦のような顔だ。良い人生を送ってこなかったような顔だ。声は流石に歌手だから昔のような声に驚いた。彼女はあくまでアンバランスが魅力というのは判るが、それにしても・・・。

 それに比べれば、キャロル・キングの顔は、幸福な人生を送ってきたような顔をしている。離婚しているが。

♪今宵 あなたは全て私のもの 僕を優しく愛してくれる君 あなたの瞳には 愛の光があふれてる 明日も私を 愛してくれるかしら?♪ ーー『ウイル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロー』よりーー

 初めにライターとして大ヒットしたこの曲をゆっくりしっとりバラードで歌われるとグッと来るなぁ。例えば、キース・リチャーズが年を取ってあの顔というのは、ある意味で判る。麻薬をやっていた不良少年のなれの果てだからだ。でも、リッキー・リー・ジョーンズの顔は情報が少ないのもあり許させない!あのヤンキー娘がジャズが似合う年になったといっても・・・。

 アーティストの色々な側面が観れるのが『アウトローズ・アンド・エンジェルス』。『ガッタ・サーヴ・サムバディ』は、期待以上に凄い!何かかが起こっているという感動がある。


 1月29日(火) 小雨 38443/2

 昨日は、横になったら寝ていた。頭の中には、『ガッタ・サーヴ・サムバディ』のDVDに入っている、『プレッシング・オン』が何度も繰り返し聴こえていたような感じで、幸福な気分で寝ていたんだろ思う。

 TV中継の問題で、セビージャにはホセ・トマスが出ないようだ。バレンシアのカルテルの発表が遅れているのも、それが原因だろう。もめているのだ、きっと。出ると行っているバレンシアに、もしホセ・トマスが出ないことになれば、マドリードも危なくなる。でも、マドリードには出るような気がするけど。仮に、バレンシアに出ないことになっても・・・。

 寒い。昨日は、下痢だった。原因が風邪かも知れないというのがやっかいだ。


 1月31日(木) 曇/晴 55197/2

 ネットで頼んだDVD『ヒストリー・オブ・ロックンロールVol.1〜5』が届いた。早速観ている。NHKで昔流したものとは違っていたが、多くのアーティストが出演してインタビューに応えている。勿論、昔の映像も流れている。vol.1でタイトスカートをはく子は不良であるPTAが言っているのが面白かった。ロックがアメリカ社会に嫌われていた時代。一部の白人がブラック・ミュージックを受け入れた事から社会現象になっていく。きっかけは、偉大な黒人ミュージシャンたちと、ビル・ヘイリーとエルヴィス・プレスリー。

 そして、その音楽に目を付けてレコードを録音した白人がいたからだ。人種差別は、音楽の世界から解放されていくのだ。多くの名曲と、ミュージシャンたちによって。そしてそれを受け入れたマーケットがあったからだ。ブラック・ミュージックは、ブルース、リズム・アンド・ブルース、ジャズ、ゴスペルの黒人だけの視聴者から、白人視聴者へ向けてマーケットを広げた事によって爆発する。

 「ソウル、ゴスペル、フュージョン、ジャズ、ハード…全部だ。それらは黒人音楽という泉から出た流れの1つ1つだ。黒人文化の産物さ。世界中が黒人サウンドをマネしている。興味深いことだ。」 ーージェリー・レイベルーの言葉よりーー


 2月1日(金) 晴/曇 4131

 DVD『ヒストリー・オブ・ロックンロールVol.1〜3』の途中まで観た。1枚について約120分あり、2つの章に分かれてある。1.ロックンロールの誕生。2.グット・ロッキン・トゥナイト。初期のスターたち。3.ブリティッシュ・バンドのアメリカ上陸。4.ザ・サウンズ・オブ・ソウル。5.プラグ・イン。これはディランがギターをプラグに差し込んだ前後を扱っている。

 仕事がなかったら、このDVDをずっと観ていたい。セビージャのオフィシャルのカルテルが発表された。アップすのは今日は無理かな?


 2月2日(土) 曇 29312

 DVD『ヒストリー・オブ・ロックンロールVol.3』の「プラグ・イン」を何度も観た。その中でマーク・ノップラーは、「ボブ・ディランになるのが夢だった」と言っている。明確な発言だ。ジュディー・コリンズは、ディランがフォークからフォーク・ロックに転向した事を「少年時代に別れを告げた瞬間よ。“大人になったんだ”と実感したわ。ディランがエレキへの道を開き、全てが可能になったの」 キッスのメンバーは、「彼の転身は、パイオニヤ的で、とても勇敢な行動だと思った。彼は、フォーク・ソングを、アリーナまで持ち込んだのさ」

 ブルース・スプリングスティーンは、「ポップ・シンガーに道を開いた」「思考と偶像と社会崩壊を予言した」「放浪の感覚だった。“家ものない” これだ。“頼れるのは自分だけ” 突然、すべてが容易になる」 トム・ペティーは、「扱わなかった素材を取り上げた。恋だけじゃない。彼の素材は、いろんな分野に渡ってた」 ボノは、「彼の音楽は、一行ごとに変化していくのさ次の行では、違う世界が広がる」「彼は周りの世界を絵に描いた。俺にとっては、“ロック界のピカソ”だよ」 グラハム・ナッシュは、「作曲でも歌手としても好きだよ」 トム・ペティーは、「ボブ・ディランは、彼の後に出て来たすべての音楽に影響を与えた。ポップも、ロックも、フォークもだ。リズム・アンド・ブルースにもな」

 ロジャー・マッギンが、「フォークの神様だった彼は、イギリスでビートルズに、“主張が感じられない”と言った。ジョン・レノンは、その一言で、大ショックを受けたんだ。ディランを崇拝してたからさ。レノンは知的な詞を書き始めた。同様にディランも、より音楽を追究した2人は心の奥底で影響し合ってたんだ。」と言っていた。また、vol.2だったと思うけど、ディランがイギリスに言ったときに、ビートルズに会わせるべきだと思って会わせたら、それからディランは、エレキを借りてきてフォーク・ロックを始めたと言っていた。 アル・クーパーは、「ディランの詞と、ビートルズの曲の影響で、新しい音楽が生まれた」という。それがフォーク・ロックやウエスト・コーストで花開くサイケなどのバンドに繋がっていく。

 また、アニマルズのエリック・バードンが、ジミー・ヘンドリックスとフーのピート・タウンゼントの違いについて、「ザ・フーもジミー・ヘンドリックスもステージの上で機材をブチ壊した。ザ・フーが“暴力的なレイプ”だったのに対し、ジミー・ヘンドリックスは、“淫らな儀式”だった」と言っていた。面白い言い方だと思った。


 2月3日(日) 雪 6941

  『ヒストリー・オブ・ロックンロールVol.3』の「ウッドストック・ジェネレーション」では、ジェファーソン・エアプレーンのポール・カントナーは、「俺たちは“変革”の現れだった。既成の価値観が崩壊し始めてた。混沌(カオス)の時代だ」 カルロス・サンタナは、「小さな画面がシネマスコープになったのと同じさ。それが、ジミー・ヘンドリックスの音楽だ。ブルースの枠から、はみ出してた」 ジミー・ヘンドリックスは、「歯で弾きたいときは、歯で弾く。ステージにいる時が、一番自然でいられる」 U2のボノは、「ジミー・ヘンドリックスは、悪魔払いとして、ベトナムをアンプで増幅したんだ。天才ロック・ギタリストさ」 ブルース・スプリングスティーンは、「世界が進む道は、1つじゃなかった。精神的にも、性的にも、肉体的にもなり得た。ジミー・ヘンドリックスは、すべてのドアを、打ち破ったんだ。彼のギターは深いエクスタシーを誘った」

 ドアーズについてトム・ペティーは、「暗い音楽だと思ったよ。ミステリアスで暗かった。なぜかな。だけど、詞はバツグンに良かった。凄い作詞家が現れたと思ったよ」 ドアーズのレイ・マンザーレークは、「ジム・モリソンは、ポスト・ビートの作家だったんだ。ジャック・ケロアックやアレン・ギンズバーグの影響が強い」

 ザ・バンドのレボン・ヘルムは、「サイケが大流行していた。俺たちが目指した音楽は、時代に逆行してたんだ。昔に戻ったのさ。ブルースのルーツの時代にな」「ボブ・ディランにウッドストックへ呼ばれた。ツアーで組んだからさ。ボブと田舎に住んで、午後からミーティングだ。曲作りのな。ボブとリチャードのタイプが、居間のテーブルにあって、通り過ぎる時に2人が打っていくんだ。詞を書き足し合っていくのさ。1日の終わりには、2、3ページほどになってたよ。“セックス・ドラッグ・ロックン・ロール”がロックの売り文句だったなんて、恥ずかしいぜ。音楽だけでも、充分やっていけるよ」

 トッド・ラングレーは、「ジャムがジミー・ヘンドリックスとクリームの持ち味だった。演奏家としての名人芸を強調し、曲の構成自体はシンプルだった。ミュージシャンとしての腕を全面に出したんだ」 クラプトンは、「ギターを弾き始めた頃は、ほとんどのギタリストの手本は白人プレーヤーだった。僕は黒人ギタリストに憧れていた」と言っている。ザ・バンドのレボン・ヘルムが「ジンジャー・ベーカー(クリーム)は恐ろしくうまかった。太鼓が3つであの迫力だからな」フィル・コリンズは、「ジンジャー・ベーカーだけじゃない、キース・ムーン(フー)も凄かった」と言っている。それはその通りだ。

 ピート・タウンゼントは、「ドイツのステージで、ギターをブッ壊したら警官が俺の頭に銃を突きつけて“やめろ 撃つぞ”と言った。“ギターだ 人じゃない”って言ってやったぜ社会的声明と受け取られるようになっちまった。生まれ育った国を非難したんだ。“国は衰えてる。先には新しい世界があるんだ”とな」

 カルロス・サンタナは、「ジャムはサボりだ。よく学校をずる休みしたよ。音楽用語なんて何も知らなかった。耳で聞いて弾くだけさ。感動する心があれば、そこには必ず熱狂が存在する。熱狂ほど伝染しやすいものはない。即興の曲で、人々に喜びを伝えるんだ。誰かの心をつかみたいと思ったら…」と言ってギターを弾く。そして、「2音ずつ弾くんだ」1音ずつ弾いて、「これじゃ情緒がないだろう」なるほどと思った。「“感動させるんだ”という自覚を持つべきだ。観衆はゾクッと来ちまう。ライ・クーダーが1音弾くだけですべての怪我逆立っちまうのさ。セックスの快感と、神の来訪が、同時に来ちまった感じだ。本当にイイ音楽だと、そういうことが起こる。ボブ・マーリーやジミー・ヘンドリックスから音楽の広さを学んだ」

 グラハム・ナッシュは、「ロックの出現で、若者たちはパワーと、暇つぶしの道具と独自の領域を手に入れたんだ。親たちが認めない、愛すべき領域だった」

 ジャニス・ジョップリンは、「これほど成功できたのは、私が妥協しなかったからよ。テキサスにいる時、決心したの、“自分に対して超時期に生きよう” “真剣に生きるんだ”ってね。それだけは心掛けてるわ。自分に嘘をうあかないって事よ」 あるミュージシャンは「稼ぎまくってた。彼女へのプレッシャーは凄かったよ。売れる商品だったからね。その重圧が彼女を殺したんだ。ステージで暴れまくる女が、帰るときはいつも独りだった。寂しかったのさ」 元恋人だったカントリー・ジョーは、「彼女はステージを下りるのが、怖かったんだ。寂しさを鎮痛剤と酒でまぎらし始めた。彼女には友達なんていなかったのさ」

 ドアーズのレイ・マンザーレークは、「悲劇さ。彼は光り輝く詩人だった。僕ら4人は兄弟のように仲が良かった。世界征服を企てていた仲間だ。ドアーズが唱えたのは、愛のメッセージと世界の不思議さだった。彼の死には打ちのめされたよ。」

 フーのピート・タウンゼントは、「今でもキース・ムーンのファンは多い。俺が彼の死に腹を立ててる事を知らないんだ。大好きだけど、あの死は許せない」 ジェファーソン・エアプレーンのポール・カントナーは、「死ぬのは、自分の人生が見えちまって、ガッカリするからさ。現実に背を向け、世間では認められないものを求めるんだ。探求すべきなのは、死でなく、自分自身だ」 ブルース・スプリングスティーンは、「売れちまうと、外からも中からも物凄い恐怖が襲ってくる。ロック・ミュージシャンは、社会の外からやって来て、戸惑っちまうのさ」

 ジミー・ヘンドリックスは、「誰だって主張する事も、曲を書く事もできる。だが才能は中々認められない。可能性があれば精一杯頑張るべきさ。言葉を切り倒して、タイトに仕上げるんだ。俺たちの詞は主張ではなく、ある種の答えだ。否定的にはならない」 グラハム・ナッシュは、「ジミー・ヘンドリックスは、とても興味深い男だった。イメージと大違いだ。ワイルドだと思われていたが、紳士で、思慮深くて、聡明だった。知り合えただけでも光栄さ」 リッチー・ヘブンスは、「ワイト島が最後だった。彼が死ぬ直前だった。2人で話し込んだ。彼が仕事の事で悩んでたから、“心配ない。その件はロンドンで話し合おう“と言ったら、それっきりさ」 ミック・ジャガーは、「ジミー・ヘンドリックスは偉大なギタリストだった。並はずれた独創性を持ってた。仕事で悩んでの事か、事故かは分からないが、本当に残念だ」

 デビッド・クロスビーは、「ジミー・ヘンドリックスやジャニス・ジョップリンが、今でも生きていたらと思うよ。ケタ違いだった。地上に現れた天体たちは土に帰っちまった」 ピート・タウンゼントは、「俺たちの世代はどうなってるんだ?ジミー・ヘンドリックス、ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョップリン、キース・ムーン…死人を挙げ出したらきりがない。死んじまったのは俺の友達だ。ファンには偶像でも、俺には仲間なんだ。」 グレイトフル・デッドのメンバーは、「ジャニス・ジョップリンにもジミー・ヘンドリックスにも、帰る家庭がなかった。意見してくれる人は誰もいなかったのさ」

 カルロス・サンタナは、「人間本来の姿で生きる方が満足できる。リムジンに乗って、スイートに泊まっても、何も得られない」 デビッド・クロスビーは、「公民権を唱えた。“憎しみより愛。戦争より平和”と、訴え続けたんだ。ドラッグをやる事が、主な目的じゃなかった」 ジョニー・ミチェルは、「フリー・セックスの実験は、失敗だっわ」 「60年代で印象深いのは、反戦運動と公民権運動と女性運動だ」 あるミュージシャンは、「ロックは新たな種族を形成して、アメリカに純粋な王国を築いた」と言った。そうかも知れない。でも、あの中で死んでいった人たちは、そうなるべくしてそうなったのだと思う。ジャニス・ジョップリンや、ジミー・ヘンドリックスや、ジム・モリソンや、ブライアン・ジョーンズは、長生きできなかったのだ。あの燃焼のパワーが彼らの人生をも燃え尽きさせたのだと思うからだ。


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