−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。
10月9日(日) 曇時々雨 13631
昨日の夕方、シーラさんに会って食事した。闘牛の会を辞めて始めて会う。くしくも第2土曜日で闘牛の会開催日だった。去年ならまだ悶々としていたが、今回は、休みのことも、闘牛の会開催日であることも全く気にしていなかった。非常に良いことだ。万希ちゃん発表していたはずだが、会には行かないので後で話を訊けば良いし、シーラさんも僕と会う方を選んでいる。
新宿で待ち合わせしたが、こんなに大きいとは思いませんでしたと言っていた。名古屋の方から来ればそれはそうだろうと思う。今日のテニスの話をしてパディージャのコヒーダの話をしたらビックリしていた。それからバルセロナ最後の闘牛の話をした。食事が終わって喫茶店に行き新聞の写真を見ながら説明した。携帯で写真を撮っていた。11月に京都に行く話や来年の為に進めている話をしたら目がより一層輝いていた。
途中中村さんからスペインから帰国した電話が入る。駅まで送り帰路に着く。駅に下りたらようやく電話が繋がり、長話。色々な事を考えてくれていることに感心した。そして、感謝。折り返してまた情報を貰う。下山さんにメール。MEGUさんに電話。夕方から充実した時間が過ごせた。
7日サラゴサでファン・ホセ・パディージャがコヒーダされ、深刻な怪我を負った。状況を説明すれば、3回バンデリージャ打ちにの3回目に両手で2本のバンデリージャを打った後、牛と接触して倒れ、そこにアナ・ロメロ牧場の牛が頭を下げて角をパディージャ突き刺した。角は、左顎後ろ、または左耳下から入り左目に貫通した。
顔面血だらけになり立ち上がったが、痛さで膝から崩れそうになったところをみんなに抱きかかえられて医務室に向かった。緊急手術が行われた。状態は非常に深刻なモノだった。奇跡が起こらない限り、彼は左目の視力を失うだろうと医師団は言った。眼球は眼窩内に戻っている。
医師が提出した診断書には、角が入った時に、外耳の左外耳後子宮頸部剥離、両まぶた関与と左眼球の内側の縁に側頭部から実行された不規則な輪郭の非道い傷。眼球突出。骨折のレベルは、下顎鉤状骨骨折、鼻骨自体の複雑骨折。左眼窩底骨折。
1.頭蓋底で手に負えない出血抑制のため、左外頸動脈結糸。2.左目眼窩底再建と眼窩内固定と再建。3.顔面神経接合を試みたが再結合は不可能で剥離した。4.眼瞼と涙腺の複雑な縫合、顔と頸部の非道い傷の縫合。5.鼻骨骨折の修復と抑制。6.集中治療室への移動。
これが角傷による顔面外傷の診断書である。脳に角が達しているとは書いていない。しかし、その危険性は未だに残っているだろう。今後の症状でそれが判明することだろう。非常に深刻な怪我で、重傷だ。コヒーダ直後は意識があったが、その後どうなったかは判らない。彼は永久に顔面神経の麻痺になった。これって瞼の瞬きも出来ないということなのか?そういえば中村さんもMEGUさんも言っていたがパディージャって有名闘牛士?そういう風に書けばみんな読むだろうと考えたんだろうなぁと話をした。闘牛士としてはコリーダ・ドゥーラとしては知る人ぞ知る闘牛士だが、一般のスペイン人は殆ど知らないだろう。危ない血統の牛で勇敢に戦う闘牛士だ。
10月10日(月) 雨の晴 17560
タイマーをセットして寝たのにその時間に起きて行動できなかった。目が覚めた。しかし、その時、体が動こうとしなかった。せっかく東京競馬場で南部杯があったのに気付いたときは発走10分前。あわてて馬体重を確認して携帯で馬券を買ったのが、発走3分前だった。やっぱりトランセンドは強かった。エスポワールシチーを逃がして番手勝負。直線でなかなか差が詰まらなかったが、外から来たダノンカモンと馬体が合い、一旦は先頭に立たれたが、差し替えして先頭に。その外から強襲したシルクフォーチューンも押さえて優勝した。
今までだったら、一旦先頭に立たれたらそのままズルズルと後退していくのに、そこから盛り返したのには成長を感じる。流石世界で揉まれた経験が生かされた。馬券は、3頭しか買っていなかった。トランセンド、ダノンカモンとランフォルセ。ランフォルセはレースがダートだったが、馬体重がマイナス10キロでこれが気になったが、やっぱり一線級相手にすると、響いたようだ。1秒差の6着。逃げた2番人気のエスポワールシチーは僅差の4着だった。
結局東京競馬所に行かなかったので、盛岡競馬場の馬券を買えなかった。復興競馬が終わった。岩手競馬や岩手県へ売り上げの一部が渡ることになっている。3月11日の大震災から7ヶ月になろうとしている。大震災と津波のことは一生忘れない。そして、心の中でいつもそのことを思って生活している。
10月11日(火) 曇 5092
あれだけ寝たから寝れないかと思ったら、そうでなかった。久々に銭湯へ行ったら、行きつけの銭湯だったが、番台の女将が、タオルをくれた。石けんは数が少なかったからもうないけどタオルはあったからと言って。そうやって、覚えているよという風に気を遣ってくれて、くれるのが嬉しかった。またというか、ここにもちゃんと来ないとなと思った。最近スパ行っているからとは、言えないし・・・。
下山さんからメールにアベジャンの事が書かれてあった。泣いていたのはビデオで知っていたが、インタビュアーが来て訊いているのに、気が抜けたように、心ここにあらずの状態になっていて全く気づいていなかったと言う。自身今年のサン・イシドロで顎を角に刺された事、父親がコヒーダされて片足がないことなど、そういうことなんだろうと言うことが書かれていた。
10月12日(水) 曇 9814
もう出掛けなきゃならない。メールに電話をしていたら、あっという間に時間が経った。色々やることがある。忙しくなってきた。もう行かなきゃ。
10月13日(木) 晴 19152
携帯は便利だ。日本にいても、いつでもスペインとメールのやり取りが出来る。PCだとこうはいかない。勿論日本国内とのやり取りも出来るからみんなが使っている。仕事に、遊びに、仲間との交信に・・・。昨日からこういう感じでやり取りがあった。
仕事から帰ってきてぐったり。疲れた。明日は絶対スパに行くぞ!今はそういう気分だ。
10月15日(土) 曇時々雨 13828/2
朝、自転車で近くのマックに行った。食事を終えて出てきたら土砂降りの雨が降っていた。それから、スペイン闘牛ビデオ上映会で使うDVDをダビングした。参加者へが、前日通知のメールを出している。年のため、ビデオでも観れる準備をした。これはいつものこと。DVDは相性があって観れない機器もあるので、いつもこうしている。
遅めに昼食を取って出掛けようと思う。話したいことはいっぱいあるが時間がない。どうするか。
10月16日(日) 曇時々雨 5353
昨日のスペイン闘牛ビデオ上映会は、良い発表が出来たと思う。9月24日からは、フリの耳2枚のファエナ、マンサナレスの耳2枚のファエナ2つと、モランテの耳2枚のファエナ。25日から、ホセ・トマス今期最高のファエナと、耳2枚を剣でなくしたファエナ。セラフィンの耳2枚のファエナ。最後に10月7日サラゴサのパディージャのコヒーダを流した。
話だけで2時間3時間話したいくらいだったが、それは出来ないので、来年に向けた話を少しだけした。それから二次会で、割とじっくり話をした。詳しくは書かないが、そういうことだ。
今日の秋華賞は、ホエールキャプチャが勝つと思う。頭の中は、2着探しになっている。清水成俊は勝てないと言っているが?マルセリーナ?どうなるか判らないのが競馬。
10月17日(月) 曇 15909
疲れていたためだと思うが、目覚ましで起きずに、長時間寝ていた。夕食を食べずに風呂に行ってようやく日が変わろうとしている時に夕食の焼きそばを食べながら日記を書いている。ネットで長時間宿の検索をやったり、自分の為以外の時間を取られたりしながら、土曜日のスペイン闘牛ビデオ上映会を向かえた。行く前のネット競馬をやっていたら、良く当たった。ラジオ中継の解説者がピンと来ることを言っていたので、そういう馬を買うとちょんと来たのだ。
競馬が始まる前には編集を全部終わらせて、後はダビングだけの状態にしていた。だから競馬の方に集中できたのだろう。日曜日は、いよいよ秋華賞と思っていたら、ホエールキャプチャがこけて、アヴェンチュラが圧勝した。正直本命をどっちにしようか迷っていたのだ。こういう事もあるよなと、納得の結果だ。ホエールには、勝ち運というモノがないのだ。最高の状態に仕上げて、これで負けたら納得できないと、厩務員が言っていたが、競馬とはそういうモノだ。
努力だけが報われる世界ではないのだ。努力は報われるべきであるが、それだけではない。運もあれは、才能も必要だ。いろんな要素が絡み合って、厳しい世界の結果に表れてくるのだ。ホエールの池添謙一騎手は、来週の菊花賞でオルフェーヴルの三冠に挑む。非常に三冠濃厚だ。
10月18日(火) 曇 3958
今日は社内研修があった。たっぷりやって、遅い夕食を取って帰ってきたのは22時前。それから横になって腰の指圧と顔面マッサージをして風呂に行き、ようやくパソコンに向かっている。久々に見る顔が何人もいた。M何か相変わらず元気が良く、会社の文句を言っている。頭を観たら、大分前の方が後に後退してきていた。年食ったよなお互いに。
もう忘れていた様な奴もいた。存在感のない3人も、益々禿げてきた。頭だけ自己主張している。相変わらずボケをやっているK。何でああなるのか不思議だが、そのことを話したら、大笑いしていた。色んな奴が居る。色んな風に年を取って行っている。自分の事を振り返ると、他人からどう見られているのか、判らない。俺はこういう生き方しか出来ないんだと、思う。
秋風が吹き始めたこの頃。研修をやって、疲れて腰が痛くなった。あと2ヶ月で、今準備している事をある程度の目途を立たせないといけないと思っている。こっちに来て、良い思いをして帰っていって欲しいと願っている。日本って良い国だと思って貰いたい。少なくても準備をしている我々を、色々と親切にして貰って良かったと、思って貰いたい。その為の準備を、我々なりに、おもてなしの心をもって遂行したいのだ。いわば、使命感の様な気持ちになっている。
10月19日(水) 曇 13853
スペイン闘牛ビデオ上映会で、始めに流した映画『カルメン』は思いの外、評判が良かった。クラシックのオペラ『カルメン』を全てロケで作る。そして、当時、『血の婚礼』や『カルメン』と立て続けに映画を作っていた、アントニオ・ガディスが、自身の舞踏団を引き連れて、フラメンコや、振り付けを担当して、オペラとフラメンコの融合を成し遂げた映画だ。
監督はイタリアの巨匠フランチェスコ・ロージ。闘牛のシーンで始まり、闘牛のシーで終わるという、映画にしている。良くこういう映画を残しておいてくれたと、感心する。キャストは、当時無名に近かったアメリカ人、ジュリア・ミゲネスがカルメン。ドン・ホセがプラシド・ドミンゴ。闘牛士エスミーリョがルッジェーロ・ライモンディ。指揮がイタリアの巨匠ロリン・マゼール。こんな豪華なメンバーで作ったのだから、良い映画、後世の残る映画が出来たのだ。
流したシーンは12分間。だが、それを観ただけで、映画全部を観たくなる映画だ。何人も、「あたし買う」と、言っていた。
10月21日(金) 曇 26133/2
ネット検索で調べているとあっという間に時間が過ぎている。メールのやり取りやネット検索で疲れて寝るともう時間が判らなくなって、時差ボケ状態になる。必死になって探しているから、夢中になっている。多分、こういう状態が、しばらく続くだろう。現地調査もして貰っている。その報告も待って次の段階に進めるように準備をしている。
日本人が使っているサイトと、外国人が使っているサイトでは、同じ物件でも評価が違う。そういうことも参考にしようと思う。基本は、日本ということが、ちゃんと表現されているかどうかという事になってきた。
10月24日(月) 曇 43365/3
土曜日は家に帰ってきて、横になったらそのまま寝てしまった。疲れていたのだ。PCすら開くことなく、タバコすら吸わずに寝ていた。昨日は、スパへ行こうかと思っていたが、競馬をやったり洗濯をしたり、あとはネット検索を続けた。しかし、条件が非常に厳しいので少ししか成果は上がっていない。昨日は気付いたら2食しか食べていなかった。
何日か前の新聞にリビアのカダフィ大佐が殺された事が一面に載っていた。パディージャが退院し、アントニェーテが死亡した。その映像をネットで観ていたら、カダフィ大佐が死んだ動画が載っていた。長年にわたって権力をふるった男の最後はあっけなく終わった。民兵に銃殺された。顔中血だらけになり、民兵にこづかれ、左腹部に銃弾を浴びて死んだ。死ぬときは廻りは全て敵に囲まれてさらし者状態で銃殺だった。こうなるのは目に見えていたのに、リビアから国外へ逃亡しなかったのは何故なんだろう?まだリビアを掌握できると思っていたのだろうか?
アントニェーテの死亡記事を書きながら、菊花賞を聴いていた。TVが地デジ対応していないからラジオで聴いていた。オルフェーヴルの圧勝だった。ゴール板前は手綱を持ったままだった池添謙一騎手。ガッツ・ポーズのない三冠達成だった。圧倒的な1番人気に応えての優勝。京都競馬場の大観衆の歓声がラジオを通じて聞こえてきた。そのあとネットレースの動画を見た。
2番人気だったウインバリアシオンの安藤勝己は2周目の4コーナー手前までほぼ最後方に付けて、最後の直線で内を付いて馬群を縫うようにして足を伸ばして、最後猛烈な追い上げを見せて2着になった。あの腹をくくった騎乗には驚かされた。ラジオ解説者が言っていたが、こうしないとオルフェーヴルを負かせないというような肝の据わった騎乗だと。確かに男を感じる騎乗だった。他の馬も、何とか負かそうと工夫していたのだろうが、オルフェーヴルの前では通じなかった。もう4コーナーを廻るときの手応えやスピードを観ると優勝を確信できる。何処まで強くなるんだろうかと思ってしまう。
JCや有馬記念に出てくるのだろうか?ブエナビスタとやらせたい。どうなるか、楽しみだ。新しいスターホースの誕生だ。池添謙一騎手は、オルフェーヴルで、大きな騎手になって欲しい。
10月25日(火) 曇 7531
昨日ISOさんに電話したら、減塩の食事を取っているという。WHOが発表している世界基準は1日6gで、日本では、1日10gといっているのとは開きがある。ISOさんがいうには、1日6gもしんどい、大体日本人は農耕民族で塩分取らなければ農作業が出来なかった。なるほどと思った。日本食は、どうしたって塩で味付けをする。醤油、味噌もそうだ。確か、信長の頃の兵隊の食事は、塩分1日20gあったと記録から計算した人がいたと記憶する。
それで、健康診断の結果が来て、要治療判定であった。去年の夏くらいまでコレステロール値を下げる薬を飲んでいたが、それを止めたら数値が上がっていた。それで今日医者に行ってきた。前回行ったときの医者で、薬を飲まないと値は下がらない。食事だけより、薬の方がずっと下がりますといわれ、また、飲むことにした。あとは自分で勉強して下さいと、いわれた。ネットとかで観れば良いんですかと、言ったら、あれは医者が書いたモノでないので何処まで信頼できるのか判らないので、僕は信用していませんと、言われた。
ということは、本を読むしかないのか?貰ってきたパンフレットには、1日摂取エネルギーが1500〜1800カロリー。肉より魚や大豆製品のおかず。コレステロールを多く含む食事を注意。油を使った料理は1日2品まで。食物繊維は毎日しっかり取る。アルコール、甘いモノはひかえると、書かれてあった。
取りあえず、昼食は総菜として買ってきた、鶏肉のロール焼きに野菜とシメジ入れて炒め、焼きうどんにして食べた。油を使わず、塩も入れず、調味料として入れたのは、ショウガとニンニクだけ。味が薄い。ショウガとニンニクの香りと味がする焼きうどんになった。
塩分0%の食事については、ISOさんとMEGUさんの知り合いの医者に訊いて貰うことにした。他にも頼もうと思いお願いしたがそちらは断られた。そういうこともある。仕方がないこと。協力して頂ける所にお願いするしかない。
10月26日(水) 曇 5273
朝方、メールが来た。深刻な状況かも知れないと察しが付いた。先のことはどうなるかは判らない。それでも、準備を進めていく。出来ることを出来るだけ正確に、進めていくことが重要だ。
今日から、弁当を作っていくことにした。塩分控えめのモノを作って持って行く。手間はかかるが経済的で体に良い。松岡正剛の『神仏たちの秘密―日本の面影の源流を解く (連塾方法日本 1)』を読み返している。読めば読むほど深いなぁと、思う。ここには、日本を深く知ろうとする心がある。
10月27日(木) 曇 9826
塩分0%というのをハッキリさせ、確実なのものにするために、朝ホテルへ電話をした。レストラン担当者に替わって貰い要点を簡単に話各レストランへ訊いてみるとという返事だった。その時点で、1つの店は大丈夫でしょうとという答えを貰えた。そのあと、向こうから連絡があり、2つめの店もOKが出たことを訊いた。そして、日本食についてもどうにかならないか相談していたら、厨房に電話を回すと言われ、板長らしき人が出て、話をした。初めは、出汁を取るにも、こぶを使えば塩分0%は出来ないと断られた。
そこを、味がどうのではなく、塩分ない素材で、砂糖とか、生姜やニンニク、ミョウガなどの調味料とか、酢とかで味を付けれないか協力して欲しいとお願いしていたら、突然、「判りました」と言い、一旦電話が保留になり、何とかやりましょうという風に言って貰った。つまり、3店舗が塩分0%の食事を提供してくれることになった。これだけでも、非常にホッとした。
何か、朝の電話で1日の仕事が終わったような気分になった。ようやく、明るい光が見えてきた。これから、準備は他の方に重点が移っていくことになる。
10月28日(金) 曇 27185
スパでのんびりして来て、電話で連絡。その間、メールのやり取りもある。ネットを観ていたら、眠くなった。折角、ネットで色々調べたいこともあるけど、体が付いていかない。今日はこのまま寝たい気分だ。いや、多分寝るだろう。あっと、思い出してホテルの予約を入れた。
本当は、天皇賞の予想をじっくりしたかったが、やることが多くて手が回らない。ブエナビスタが来るか、ペルーサか、アーネストリーか、ダークシャドウか。この4頭が頭に浮かぶ。ローズキングダムや、エイシンフラッシュは来ないと思っている。
10月29日(土) 曇 6268
「面影」というのが1つのキーワードになってくるのだと、最近気付いた。小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーンは、「外国から来て日本の美や日本人の心情を深く見つめた人物」(『神仏たちの秘密 日本の面影の源流を解く』松岡正剛著より)である。
「ハーンは日本家屋に住み、日本人の奥さんの節子(セツ)を娶り、日本人以上に日本人らしい暮らしぶりを徹底していきます。
セツと息子の一雄、それにいろんな事情でハーンの家に転がりこんできたセツの家族や親戚たち合わせて、ひとつ屋根に十一人が暮らす大所帯となっていくんですが、一所不在の半生を送ってきたハーンにとって、異国の日本で出会ったこの「家族」がとても大事なものになっていったようです。ハーンはこの様なことを書き残しています。
「私は自分の家に十一人の世界を持っています。この人たちにとって私は愛であり、光であり、命の糧なのです。私が幸せそうなときは皆とても幸せそうです。私が不機嫌なとき、家族は私以上に心を痛めます。だから、私はいつも正しくあろうと努めています。」
まさにこれが日本の家であり、日本のコミュニティやコモンズですね。」 ーー『神仏たちの秘密 日本の面影の源流を解く』松岡正剛著よりーー
セツから聞かされた日本の昔話を、『怪談』という本にまとめ世界に発信したハーンは、松江に来る前に、東大で英語の教授をやっていた。その後任できた、ロンドン帰りの夏目金之助(漱石)は、ハーンさんのあとではとてもやりにくいと、もらしたという。ハーンだけでなく、漱石も、江戸時代から続く日本の伝統をこよなく愛した。以前にも書いたが、漱石の『坊っちゃん』に出てくるお清は、明記されていないが、元幕臣の出だ。
明治になって江戸時代のもが失われて行く中で、漱石はそれに苦悶に胃潰瘍になる。フィロソフィア・デ・サムライは、こういう風にハーンや漱石が思う日本という源流、面影を感じられれば良いのかと思う。
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