−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年のスペイン滞在日記です。
7月20日(水) 曇のち雨 5432 東京にて
スパに行って帰りに買い物をした。夕食は生スパゲッティの店。作りがサイゼリアに似ていた。食事してアイスコーヒーを飲みながら『週刊ダイヤモンド』のドラッカー特集記事を読む。スペインに持って行く本は、この本と、『連塾 方法日本 神仏たちの秘密 日本の面影の源流を解く』松岡正剛著、『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲がり』坪内祐三著、など。これをスペインで読みたい。
準備は整いつつある。後は、スーツケースに荷物やおみやげを詰めれば良いだけだ。
7月21日(木) 曇時々小雨 9012 成田空港にて
心配していた台風は、出発には影響ない状態になっている様だ。昨日から寒くて上着を着て成田まで来た。美味しい昼食をホテルで取り地デジは出発前には対応できなかった。帰ってきてからになる。なでしこについての記事の中で次のようなモノがあっとという。
「日本の良さを徹底的に追究したらガラパゴス化することなく国際標準になった。こんな痛快な話がある だろうか」 ーー日本経済新聞よりーー
何というか、本当になでしこのサッカーが女子サッカー界の国際基準になったということを、ドイツを初めヨーロッパの国々や、アメリカは強く意識した大会だった。これは女子サッカーに革命を起こしたといって過言ではない。確かに、北京オリンピックの時も、非常に質の高いサッカーを評価されたが、今回の大会でそれが結果に結びついたので、世界がなでしこのサッカーを目指して動き出すだろう。
準備は整った。連絡などもして、これからホテルの風呂に入って成田に向かう。ホテルでHPの更新が出来ず成田空港で更新した。
23日バレンシアには、ファン・モラに代わってビクトル・プエルトが出場することになった。
7月22日(金) 曇 12345 バレンシアのホテルにて
順調にスペインに到着。バレンシアに移動して闘牛を観る。到着したのが、途中からだったので3頭目のファエナの途中から。マンサナレスの剣刺しはレシビエンドだったが、ずばっと上手く刺さり耳1枚。最後の牛でもレシビエンドで耳1枚でプエルタ・グランデした。TAMAさんと夕食を食べて戻ってきた。疲れているので寝ることにする。
7月23日(土) 曇 8325 バレンシアのホテルにて朝食後記入
昨日は、マドリードについて、TAMAさんとくまさんの所へ行って頼まれていた荷物を渡した。おみやげも。そして携帯を受け取った。荷物を少し整理してアトーチャへ行った。TAMAさんは遅くの電車なので後でバレンシアで合流することにして、バレンシア行きのAVEに乗った。隣の席の女の子はPCでDVDを観ていた。何度か下山さんへ電話したが通じなかった。バレンシア到着間近に隣の女の子のDVDが終わりPCの画面に戻るとそこには厳島神社の海の中の鳥居が写っていた。
バレンシアのホアキン・ソロージャ駅はAVEの駅で以前の駅はセルカニアの駅に代わっていて、ちょっと途惑った。急いでいたのでタクシーで前の駅の直ぐ近くのホテルに行った。チェックインして荷物を部屋に置き、必要なモノを持って闘牛場へ。タキージャに着いて、そうだ、切符の写しを忘れたと思ったが、遅かった。しょうがないのでネット買ったこと、支払いは済んでいることをいうと、クレジット・カードを見せるようにいわれた。出すと番号を入れると確認が取れ、アボノを渡された。
それを持って闘牛場へ入った。3頭目のマンサナレスがファエナをやってきた。入り口の所に人が溜まってよく見えない。剣刺しの所だけちゃんと見えた。レシビエンドでズバッと決めて耳1枚。良い剣刺しだった。それから席に着いた。3頭目が終わると5分か10分くらい休憩時間があった。それからポンセ、フリ、マンサナレスと観た。今年初めて闘牛。しかもマドリードのラス・ベンタス闘牛場ではない。ポンセは牛を自分のペースに持ち込んで観客を沸かせた。剣が決まっていれば、地元なので耳2枚でていたかもしれない。フリも耳1枚のファエナだったがこちらも剣がダメで挨拶。マンサナレスは普通に良かった。アレナの中央部でファエナをやったのは素晴らしい。レシビエンドで耳1枚。
闘牛途中に下山さん、まゆみさん、TAMAさんから電話があった。終わってからホテルに戻ったらTAMAさんから電話で張るに行こうということになり出かけた。マドリードでは、ウエルバの切符、そしてバルでバレンシアの切符を渡す。ビール2杯ととつまみを食べていると眠くなってきた。日本を22時に出て飛行機の中でウトウトしたとはいえ、30時間くらいたっている。それは眠くなる。ホテルに戻って簡単にHPをアップして寝た。朝は、駅に行って帰りの切符を買った。早かったので、殆ど人がいなかったので切符が買いやすかった。帰りに朝食を食べてホテルに戻った。
いよいよ今日はホセ・トマスの復帰戦。天気は曇。さっき駅まで歩いて行ったときは、ポツポツ雨が降っていた。天気予報は、降水確率20%。肌寒いくらいの気温で闘牛観戦には丁度良いが、雨が降らなければ最高だ。結果は、ホセ・トマスが期待以上の闘牛をするだろうということだと思うが。
7月24日(日) 曇 20000 バレンシアのホテルにて
ホセ・トマスの復帰戦を観る。始まる1時間も前から闘牛場の前は物凄い人だかりで、なかなか前に進めない。下山さんとプエルタ・グランデ前で待ち合わせをしたが、車が渋滞で会ったのは、始まる45分くらい前。5分くらい話して下山さんは先に闘牛場の中へ。TAMAさんとは、モントリュの銅像の前で待ち合わせをして一緒に闘牛場へ入った。入り口で今日の記念の布で出来たカルテルを配っていたので貰う。トイレへ行き、水を買い直ぐに席に着いた。
あのバルセロナの復帰戦とは雰囲気が違う。それでも登場すると闘牛場の中が喝采に包まれた。20人から30人くらいの動画を含めたカメラマンがホセ・トマスを一斉に撮っている。パセイージョが終わると、再び闘牛場が喝采に包まれホセ・トマスがアレナの中央部の方へ歩いて挨拶をした。初めの牛ではどうやら、怪我を治した医者4人に牛が捧げられたようだ。しかし、剣がメディアでテンディドだったので耳の要求はなかった。
次の牛では、足を横に開いたチクエリナやメディア・ベロニカ。伝家宝刀ガオネラをやった。闘牛場が盛り上がっていく。牛は観客に捧げられた。アレナ中央でブルラデロにいる牛を誘いエスタドアリオを仕掛けたが、コヒーダされた。アレナに倒れたが動かない。やばい!今年の闘牛はこれで終わったかと思った。起こされると腹の所が血で真っ赤。刺された?しかし、バンデリジェロが水を首にかけている。どうやら頭から落ちて脳震盪を起こしているようだ。そのまま、カジェホンに運ばれ落ち着かせていたら、アレナに持って行った。不死身だ。
初めの牛も動きが悪い牛だったが、丁寧によく動かしていた。この牛は右が良い。デレチャッソで手の低い長いパセを繋ぐと、「オーレ」が鳴り出した。牛の動きが速いのでパセのスピードは速い。それでも、1つ1つのパセが丁寧な仕事をしている。アドルノ的なレマテ当たりのパセも的を得ている。右で良いパセを引き出した後に、ナトゥラルを始めると、手に低い長いゆっくり目のパセが繋がる。「オーレ」の声がより一層大きくなっていった。
ファエナの終盤には、闘牛場が「トーレーロ」コールに包まれた。剣を代えマノレティーナと繋ぎ、「オーレ」が続く。剣刺しが決まって。歓声が沸く。牛が座る。プンティジャが決まらず立ち上がるが倒れた。歓声が鳴り、一斉に観客が白い座布団を振り出す。ハンカチより座っている座布団の方が直ぐに持てるし、軽いから丁度良いのだ。コヒーダされ時の厳しい顔が、今は笑顔になっている。耳1枚を意味する白いハンカチがプレジデンテから出されたが、観客はもう1枚を熱望している。物凄い口笛が吹かれる。罵声が飛ぶ。しかし、プレジデンテは2枚目を出さなかった。
観客は怒った。プレジデンテに対する不満は物凄い。ホセ・トマスが耳1枚を受け取り場内1周を始める。喝采、歓声が入り交じっている。アレナを1周することになると、再び闘牛場が、「トーレーロ」コールに包まれた。アレナ中央に行って挨拶しようとすると観客はもう1周するように催促をした。そして、それに応えてホセ・トマスは2周目を廻った。観客に愛されているホセ・トマス。2周目が終わりアレナ中央で挨拶をしてカジェホンに戻ると、観客は再びプレジデンテに対する不満を爆発させた。何で今のが耳2枚じゃなくて1枚なんだ!と。
終わった後、待ち合わせたが、車の運転などで疲れていて少しだけ話をしてまゆみさんに迎えに来て貰い帰っていった。当然笑顔で闘牛には満足していた。今日これから一緒に朝食を取る。その時、ゆっくり話をする。
7月25日(月) 曇 12345 バレンシアのホテルにて朝食後に記す
朝早く目覚めて、風呂に入り朝食を食べる。受付付近に置いてあった新聞をちらっと見たら、ホセ・トマスが病院に行ったというタイトルが目にはいる。ネットには入院とかそういう記事がないのでたいした事はないようだ。ホセ・トマスのの復帰戦は闘牛界の重要なイベントだった。ホセ・トマスが闘牛界に果たしたイノベーションは、多くの闘牛ファン(アフィショナード)に闘牛のあるべき姿を体現して見せた。そしてそれは、闘牛の聖地マドリードのラス・ベンタス闘牛場のもっとも熱く闘牛を思い続けている、コアな闘牛ファンを強く満足させる闘牛だった。
そのホセ・トマスが2年ぶりにスペインに戻って来たのだ。こういう熱い思いをもって闘牛ファンはホセ・トマスを受け入れている。これは今年1年続くだろう。最後のバルセロナはまさにバルセロナ最後の闘牛でもある。闘牛を分かり易く、万人でも解るような闘牛をしながら、なおかつ、最高で最上級の質の闘牛を続ける強固な意志は何処から来るのか?
アントニオ・コルバチョのフィロソフィア・デ・サムライ(侍の哲学)を徹底的に教えられ叩き込まれた弟子がホセ・トマスである。まさに真剣勝負の、命のやり取りもじさない覚悟が闘牛の中に感じられる。人間の原初的な部分を刺激し続ける闘牛は、観ている人に、日常から感じられない感動を呼び起こす。忘れかけている大事なモノを思い出させている。そういうのがホセ・トマスの闘牛だ。
7月26日(火) 曇 8901 サンタンデールのホテルにて昼食後に記す
昨日はマドリードに戻り、くまさんたち4人で中華で昼食を取る。お腹一杯で10ユーロなら安い。TAMAさんはグラナダへ。昼寝して夜は佐々木さんと合流してエヘアに行って飲む。バルを代えてまた飲む。くまさんにはよくして貰った。佐々木さんの話は面白い。通じる所がある話なのでいつも熱くなる。
今日はサンタンデールに到着。闘牛場へ行き、今日と31日の切符を買って昼食を食べたところ。海岸の方にある美味しいスパゲティ屋さんへは行く時間がなかった。今後の予定を準備して、電話を何軒かかけて予定を決めた。明日はマドリード。28、29日はセビージャ。30日にマドリードへ戻り31日はサンタンデール。1日はマドリード。2日は、セビージャ。3日はウエルバ。4日にマドリードへ戻り、そのまま空港へ行き日本に帰る。
バレンシアの事も書くことがあるが、時間がないので後にする。取りあえず昼寝して闘牛場へ行くことにする。
7月28日(木) 晴 45678/2 マドリードにてセビージャ出発前に記す
昨日はサンタンデールからマドリードに戻ってきて、電話を代えて電話したり、日本への連絡でメールのやり取りしたり、ホテルの予約や、RENFEの予約をしたり、23日のホセ・トマスのビデオをくまさんがPCに取り込んだりして色々あってHPの更新は断念した。
今日は朝8時前に目が覚めて下のバルに行って朝食を取り、荷物の用意をしてPCに向かっている。バレンシアも寒かったが、サンタンデールは、初春のように寒い。みんな上着を着ている。中には裸足で夏用の靴をはいている人がいたが、相当寒いはず。夏用の薄手のジャンパーを着ていたが寒かった。闘牛は、2頭目の牛が凄く良く、良い闘牛士なら耳2枚は確実に取れただろうし、上手くすれば尻尾も取れそうな牛だったが、フランシス・マルコは耳1枚。5頭目でも耳を取ったのでプエルタ・グランデした。
セバスティアン・カステージャは、6頭目の牛で良い闘牛をやった。3頭目の牛は悪かったがそれなりに牛を扱って良いファエナにした。最後の牛では、アレナ中央から牛を誘ってファエナを始めた。割と扱いやすい牛だったが、力強さに欠けた。それでも耳2枚に近いファエナをした。観客は耳2枚を要求したが、プレジデンテは出さなかった。
闘牛が終わって海岸沿いを歩いた。美味しいスパゲティ屋があるという話だったので、行ってみることにしたが、遠かった。おそらく3キロ以上は歩いただろう。へとへとになった。もうなくなっているようだったが、近くにイタリアレストランがあったのでそこに入った。そして、スパゲティを頼んだ。これは予想外に美味しかった。ベーコンやキノコが入った、唐辛子入りのモノだが、日本だとスープが底にあるのになかった。でも、スパゲティの堅さなどは申し分なかった。行ったカイがあった。満足して帰ってきた。
7月30日(土) 曇 15678/2 セビージャからマドリードへ向かうAVEの中にて記す
セビージャでは、下山さんと会って、コーヒーを飲んだり食事したりして、一緒に行動して話をした。今日の朝の朝食以外の食事は全部一緒に食べた。セビージャは、マドリードよりずっと暑い。サンタンデールは寒く、バレンシアはその次に寒かった。AVEがコルドバまでは、33度気温を表示していたが、コルドバを過ぎると37度を表示した。その通り、セビージャは暑かった。カフェやバルのテラス席だと日が暮れる前だと暑い。店の中だと冷房が利いていて、涼しいが外は暑い。タバコを吸いたいもんだから、どうしてもコーヒーなど飲みもを飲むときはテラス席に座るとジワーと汗が出てくる。中には、ミストが着いている所もあるが、ないよりはましだが、やはり暑い。
食事は、冷房の利いた店内で食べることが多かった。28日の昼食は、カマレロやコシネロが生徒で実践の場として、ホテルの中でレストランをやっているところがあって、そこで食べた。これは盛りつけも味も良かった。ちょっとセビージャでは食べたことがない味だったし、盛りつけも洒落ていた。4つ星ホテル以上のレストランじゃないと観れない盛りつけだ。それで13ユーロ弱なら安い。日本では高校生レストランが話題だが、こちらも素晴らしい。話を訊くとマドリードなどに5カ所くらい学校があって実践の場はセビージャの1カ所だけだという。2日に来たらまた行こうと思う。
28日の夕食は、コレア・デル・リオのバルで取った。ここにはハポン(日本)という姓の人が多い。山田長政が使節団がこの地に来てその血を残した事がハポン姓の由来だという。昔、リーガ・エスパニョーラ(サッカーのスペイン・リーグ)で審判で笛を吹いていた人でハポン姓の人がいたが、あの人も、コレア・デル・リオ出身なのかも知れない。グアダルキビール川をでかい船が航行していたが、大航海時代にセビージャまで船が昇ってきた証拠だろう。セビージャに戻り、近所で犬の散歩をした。
29日は、朝食はアルカラ・デ・グアダイラへ行って取った。その後、公園で犬の散歩。松林の中を歩き小さな川の近くまで行き3匹の犬と下山さんと歩いた。終わり頃になって、くしゃみが出まくって涙まで出てきた。これって松の花粉症?苦しかった。家へ戻って、前日に続いてDVDレコーダーをいじったが、どうも編集などまで出来るのだが、削除の方法が解らない。編集しても、それをダビングする方法も解らない。前日同様、画質を落としてDVD-Rにダビングした。これが録画時間と同じ時間かかるので偉く時間がかかった。しょうがない。
それから、預けていた子供を受け取って、昼食は中華。途中でまゆみさんが来て子供を受け取っていった。食後に家に戻ると、まゆみさんは子供と荷物の梱包をしていた。出来たら車に乗せるのを手伝う様言われた。家に戻ったのにダビングはまだ終わっていない。しょうがないのでDVDを観ていた。フリに耳1枚、マンサナレスの耳2枚。サン・イシドロのDVDだ。前日は、DVDの操作方法が解らず、すずめさんに電話して訊いたが、メーカーが違うと解らない。僕がいつも使っているメーカーとも違うので、操作方法が本当にどうして良いか解らない。
ともあれこのダビングで、セビージャのフェリア・デ・アブリルやマドリードのサン・イシドロの報告が出来そうだ。ダビング中、朝早い下山さんはシエスタを取った。僕も後半はウトウトした。途中まゆみさんから荷物を車に積む手伝いをする。ダビング終了間際に下山さんが起きてきて、夕食に行くことにする。車で移動中、まゆみさんから電話で夕食どうするのというので、これからベティスのイタリア・レストランでスパゲティを食べる計画をいうと、じゃどっかいいとこに行けないから、今度来たときといわれた。2日に夕食は何処に行くか。彼女が連れて行くところは何処でも美味しい。
イタリア・レストランに予約を入れて、カフェテリアでジュースを飲んだ。スイカのジュースはセビージャで飲んでも美味しかった。それからレストランで夕食。スパゲティはやっぱり美味しかった。「セビージャ来たらスパゲティでしょ」とは、このレストランで食べたときに、くまさんが発した言葉だ。スパゲティが出来る間、Yさんに電話。どうやら電話番号を間違えていたようで、下山さんに訊いてそれに気付いた。
3日のウエルバでは会える。でも、終わってからセビージャに戻るというのでゆっくは出来ない。始まる前なら少しはゆっくり出来だろうけど。これからマドリードに戻り、昼食は、すずめさんと取る。明日は、サンタンデール。マドリードへ戻り、セビージャ。3日の昼にはウエルバの地に到着だ。今年2度目のホセ・トマス。楽しみだが、それまでも楽しみたい。
7月31日(日) 晴 9012 マドリードにて朝食後に記す
マドリードはセビージャに比べて、少し暑さが穏やかだが、それでも歩くと汗が出てくる。店は何処も冷房が入っている。セビージャほど強く設定されていない。日本も去年までは、冷房の設定が強くなっていたが、今は28度とか穏やかになっているだろう。昼すずめさんと昼食を取る。その前にアナスタシアさんへ子供用の食べ物などを届ける。その後会う予定だったが、すずめさんと話していたら、時間を忘れて話をしていたので気付いたら時間を過ぎていた。電話を入れて正直に謝った。泥棒に襲われたかと心配していたといっていたので理由を言った。今回は、ゆっくり話が出来なかったが次回会えるだろう。
昼食は、アラブ料理を食べた。クスクスなど食べたことがない料理だったが、違和感なく食べられた。闘牛や東日本大震災、なでしこの話をした。なでしこの放送はずっと観ていてドイツに勝ってからあれーという感じになって、準決勝も負けるだろうと思っていたら勝って、決勝もダメだと思ったら勝ったのでビックリしたと言っていた。日本の熱狂はスペインでは殆ど期待のない状態だった様だ。沢の年俸が360万円だと言うことも、殆どの選手がアマチュア契約であることにも、驚いていた。これは殆どの日本人がビックリしたことと同じだ。
大震災の話をした。奈良で地震を感じてホテルで観光せずにテレビをずっと観ていた事など、スペインに来る前に実家に帰って宮古と田老町を観てきた話をした。すずめさんは、津波の映像を観て気持ちが悪くなったといっていた。CNNでは、2日間他のニュースをやらずに日本の大震災のニュースだけを流していたそうだ。ソルには、こっちに住む母親たちが中心になって募金活動をやって、観光客など多くの人が募金箱にお金を入れたそうだ。あまりの重さで募金箱が持てないくらいになったり、50ユーロ紙幣が何枚も入れていったという。
津波の映像を観た人たちは、強烈なインパクトを受け取ったから、そういう現象が起きたようだ。そろそろサンタンデールへの出発の時間が近づいたのでチャマルティンへ向かうことにする。ここはアトーチャへもチャマルティンへも、メンデス・アルバロへも近いので旅行へ行くには本当に立地が良い。
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