断腸亭日常日記 2009年 スペイン編 その5または帰国後

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年のスペイン滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日
5月1日〜5月14日 5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日
2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日 5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日
6月12日〜6月22日 2002年4月16日から4月30日 5月1日〜5月15日 5月16〜5月31日
6月1日〜6月13日 2003年4月16日〜5月24日 5月25日〜6月10日 6月12日〜6月26日
2004年4月14日〜5月7日 5月8日〜5月31日 6月1日〜6月17日 2005年3月31日〜4月24日
4月25日〜5月22日 5月23日〜6月16日 2006年4月13日〜5月6日 5月7日〜5月29日
5月30日〜6月19日 2007年4月20日〜5月19日 5月20日〜6月16日 2008年5月13日〜6月16日
2009年1月1日〜2月10日 2月11日〜3月19日 3月20日〜4月16日 4月17日〜4月24日
4月25日〜5月11日 5月12日〜5月25日 5月25日〜6月6日 6月7日〜6月12日
6月13日〜6月22日 6月23日〜7月3日 7月4日〜7月21日 7月22日〜8月6日
8月7日〜8月22日 8月23日〜8月31日 9月1日〜9月15日 9月16日〜9月23日

 9月24日(木) 晴 40856 成田のホテルにて

 成田のホテルに到着。昼寝をして夕食をホテルで取った。報道ステーションでNGOペシャワール会の医師、中村哲氏の活動を取り上げていた。活動は、医療事業、水源確保事業、農業計画から成る「緑の大地計画」 を行っている。井戸を掘って水を供給することによって生活や農業の安定をもたらすという考え方を基本にしている。 

 「2000年7月からアフガニスタン国内の診療所で大干ばつによる水不足を原因として、赤痢患者が急増しました。 そこで、同年8月より、医療活動の一環としてアフガニスタン東部一帯で水源(井戸・カレーズ)確保事業を開始し、空爆下も休みなく続けてきました。 2002年1月に、「緑の大地」計画を発表、これまで継続してきた、医療活動・飲料水源確保はそのままペースを落とさず、さらに灌漑用水の確保に力を尽くし、自給自足できる農村の回復によってアフガニスタンが復興されるよう、さらに長期的かつ大規模な事業を目指して努力しています。」

 「農業に一番必要な水を確保するために、ダラエ・ヌール渓谷を皮切りにカレーズの復旧が始められました。砂漠化した中流域で手がけた38カ所が復旧でき、それによって約1000家族(約1万名)が自分の村に帰ることができました。灌漑用井戸の掘削も進んでいます。 2003年3月、水量の豊富なクナール水系の水を利用した灌漑用水確保15カ年計画がスタートし、全長14キロメートルの用水路建設を進めています。」

 「「自給自足が可能な農村」の回復のためのモデル地区として、ダラエ・ヌール渓谷を選びました。 この地区は最も貧困な農村である上に、干ばつ被害で一時は18000名の難民を出した所です。ここに地元民の協力を得て試験農場(約8000u)を作りました。 乾燥に強い品種の作付け、土壌の改善などに力を尽くして生産量を上げるよう、また、ケシに代わる換金作物の研究、農業を軽視せぬ教育、農具の改良などにも努力を重ねています。 さらに、アフガニスタンでは乳製品が生活に不可欠であるため、総合的な家畜業の育成に力を入れています。」 ーー以上、ペシャワール会HPよりーー

 インド洋での給油を中止して、民政支援を、オバマ大統領との会談でいった鳩山首相。その基になるのがおそらく、アフガニスタンで活動する、ペシャワール会なのだろうと思う。2008年8月26日、アフガニスタン東部ブディアライ村で拉致され、殺害されたあの伊藤和也さんもペシャワール会の活動をしていた。こういう地道な活動が地元の人たちの生活支援になっている。軍を派遣するだけでは、国は立ち直らない。TVを観ながら中村哲氏の活動に感動した。

 明日の朝、成田からスペインに向かう。バルセロナでも、闘牛を観た後、人と会う。一杯話をしてこようと思っている。TVニュースが面白いので、日本を離れることがちょっと心残りがあるが、ホセ・トマスを観れる喜びを優先する。

 23日の結果。 ログローニョ。フリ、耳1枚。カステージャ、ダニエル・ルケ、耳なし。 


 9月25日(金) 日本時間、朝 曇 8697 成田のホテルにて

 何とバルセロナの日曜日の天気予報は雨である。昼は雨やや曇で降水確率40%で、夜は雷雨で降水確率80%である。泣きたい気持ち。

 「国連安全保障理事会は24日午前(日本時間同日夜)、核不拡散・核軍縮に関する初の首脳会合を開き、米国提案の「核兵器のない世界」を目指す決議を全会一致で採択した。議長のオバマ大統領は「この歴史的な決議は、核兵器のない世界を目標にした我々の約束だ」と述べ、核軍縮の理念を各国が共有し取り組むと宣言した。非常任理事国の日本の鳩山由紀夫首相も出席、「唯一の被爆国として果たすべき道義的責任」を掲げ、非核三原則を堅持し、世界の先頭に立って核廃絶に取り組む決意を表明した。

 米大統領が安保理首脳会合を主宰するのは初めて。同首脳会合は92年からこれまでに計5回開催されたが、核不拡散と核軍縮に特化したものは前例がない。

 決議は「核拡散防止条約(NPT)の目的に従い、核兵器のないより安全な世界に向け条件を構築すると決意する」と宣言。核不拡散の義務に違反した場合、安保理が責任をもって国際平和に脅威をもたらすものかどうかを判断▽すべての国にNPTの義務履行を要請▽すべての国が核実験全面禁止条約(CTBT)を批准し同条約が早期に効力を発揮することを求める▽非核兵器地帯条約締結への動きに賛成−−とした。

 また、北朝鮮やイランの核問題を念頭に、「核不拡散体制への重大な挑戦への懸念」を示し、来年4月、米国が主催する「核安全保障サミット」への支持も記した。 オバマ大統領は今年4月、チェコの首都プラハでの演説で、核兵器を使用した国としての「道義的責任」に米国大統領として初めて言及。「核のない世界」を目指すとして、今回の決議案を提出した。

 ◇鳩山首相「被爆国の道義的責任」
 鳩山首相は会合で、「原爆投下から60年以上たった今日もなお、放射能の被害に苦しむ人々の姿がある」と表明。「世界の指導者の皆さんにも、ぜひ広島・長崎を訪れて核兵器の悲惨さを心に刻んでほしい」と参加国に訴えた。

 その上で首相は、オバマ大統領の取り組みが「世界中の人々を勇気づけた」と称賛。「日本は核兵器開発の潜在能力があるにもかかわらず、核軍拡の連鎖を断ち切る道を選んだ」と述べ、被爆国としての果たすべき道義的責任を強調した。また、北朝鮮の核問題にも触れ、「平和と安全に対する脅威であり、断固として認めるわけにはいかない」と述べた。

 首脳会合には5常任理事国と10非常任理事国の首脳らのほか、潘基文国連事務総長や国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長も出席した。 一方、CTBTの発効促進会議も同日から2日間の日程で、ニューヨークの国連本部で開幕した。クリントン国務長官が条約批准を目指す方針を表明する。」 ーー毎日新聞よりーー

 「さらに、「核軍縮・不拡散に向けて行動することは地球上のすべての国家の責任だ」とし、〈1〉核実験全面禁止条約(CTBT)の早期発効〈2〉兵器用核分裂物質生産禁止(カットオフ)条約の早期交渉開始――を呼びかけた。核不拡散と核テロの阻止に向けた来年の「核安全保障サミット」に協力する考えも伝えた。」 ーー讀賣新聞よりーー

 世界は、良い方向に向かって動き出した。直ぐには核はなくならないだろう。40年とか50年という時間がかかるだろうが、核廃絶という方向に向かったことが嬉しい!

 「鳩山首相:国連で演説「世界の架け橋に」5項目で尽力強調
 鳩山由紀夫首相は24日午後(日本時間25日未明)、国連総会一般討論で演説した。首相は「政権交代を通じた経済政策の見直しにより、日本経済は復活ののろしを上げるに違いない」と強調。衆院選マニフェスト(政権公約)に盛り込んだ約5兆5000億円の子ども手当やガソリン税暫定税率廃止を「日本の経済再生」の具体策と位置付けた。

 演説冒頭、首相は「日本国民は総選挙で政権交代を選択した。日本の民主主義、国民の勝利だ」と強調した。日本の国連加盟が承認された1956年当時の首相、祖父・鳩山一郎氏について「友愛思想の唱導者」と紹介し、「友愛精神に基づき、世界の架け橋となるべく全力を尽くす」と訴えた。

 その上で「日本が架け橋となって挑むべき五つの挑戦」として、(1)世界的な経済危機(2)気候変動問題(3)核軍縮・不拡散(4)平和構築・開発・貧困(5)東アジア共同体の構築−−の5項目を挙げた。

 経済危機対応では「新しい日本はグローバリゼーションに適切に対処する必要がある」と言及。「光の部分を伸ばし、影の部分を制御する」と訴えた。 気候変動問題では、温室効果ガスの削減目標「2020年までに90年比25%減」に改めて言及、各国の合意を呼びかけた。 また平和構築ではアフガニスタン復興支援に関連し、「職業訓練などの社会復帰支援の検討」をうたい、パキスタンへの支援も表明した。」 ーー毎日新聞よりーー

 今、歴史は動いている。全てのことは出来ないが、自民党政権ではどうにもならなかった事柄が、新しいうねりとなって動き始めた。素晴らしいことである。鳩山政権の国連デビューは、鮮烈に世界に印象づけている。フランスのサルコジ大統領は、日本が国連の常任理事国になっていないことは受け入れがたいと表明した。

 24日の結果。 ログローニョ。ディエゴ・ウルディアレス、マンサナレス、耳なし。ペレラ、耳1枚。


 無事バルセロナに到着した。飛行機で溜まったガスと内容物をトイレで出す。タクシーでホテルに向かう。ホテルではちゃんとネットも繋がる。ホテル近くのレストランで軽い夕食を取る。ハモン・ハブーゴとトルティージャとトマト。ハモンが美味しかった。トマトにオレガノが振りかけてあったのにはビックリした。こんな食べ方もあるのかと思った。ビールが浸みる。今日本時間で、6時半過ぎ。眠い。下山さんとTELで話した。元気だった。こっちは疲れているので元気がない。これから寝ることにする。エル・シドは怪我が治らず明日復帰できない。セビージャは、モランテとカステージャのマノ・ア・マノになるという。


 9月26日(土) 曇 9053 バルセロナのホテルにて

 眠いのに、長く眠れない。朝早く目が覚めてシャワーを浴びて、ホテルで朝食を取る。ビュッフェ式なのでお腹一杯の手前まで食べる。これからどうしようと思って考えたが、折角世界遺産の隣のホテルなので、ビデオを持ってサン・パウ病院を観ることにした。グルグル歩いてビデオを撮り、グエル公園に行きたくなって、久々に行ってきた。2時間くらい歩いていたので、合計で3時間以上歩いただろう。ヘトヘトになって公園を出てメトロに向かったが、帰りの坂道がこたえた。サグラダ・フェミリアで降りて、昼食にメヒジョーネスとセピアを食べた。これから闘牛場へ向かう。

 「広島市の秋葉忠利市長は25日、国連安保理首脳会合で「核なき世界」を目指した決議が採択されたことを受け、「子供たちの未来に、大変素晴らしい出来事だ。歓迎したい」と述べた。 秋葉市長は、核廃絶に向け日本が先頭に立つ決意を表明した鳩山由紀夫首相の演説について、「日本の総理大臣として、被爆者の思いを国際社会にきちんと訴えてくれた」と高く評価した。 その上で、「首相の決断は日本外交を大きく変えた。核廃絶を目指し、オバマ米大統領と手を携えて世界を引っ張っていってもらいたい」と賛辞を送った。」 ーー時事通信よりーー

 本当に核廃絶されれば良いと思う。

 25日の結果。 ログローニョ。フンディ、フェレーラ、ディエゴ・ウルディアレス、耳なし。 ポソブランコ。モランテ、フリ、耳1枚。ペレラ、耳なし。


 9月27日(日) 晴 26027 バルセロナのホテルにて

 何度か目が覚めた。時差ボケのせいというより、部屋の空調のせいで、寒くて目が覚めたのだ。最後には空調を切ったが、体が寒いのと頭が痛いので気分が悪い。こんなので大事なホセ・トマスが観れるのかと不安になる。朝食前に競馬予想。馬体重を観たが、神戸新聞杯は、皐月賞馬、アンライバルド、アントニオバローズとリーチザクラウンの馬連3点買い。オールカマーは、シンゲン、ドリームジャーニー、マツリダゴッホの馬連3点買い。

 朝食を終えて結果を見たら、神戸新聞杯はビックリのノーマーク馬、イコピコが千切って圧勝した。2着がリーチザクラウン、3着がセイウンワンダー、4着にアンライバルド。アントニオバローズは、11着の完敗だった。オールカマーは、横山典弘のマツリダゴッホが逃げ切って圧勝。2着が追い込んでドリームジャーニー、3着がシンゲン。こっちは固く収まった。これから風呂に入って体を清めよう。それから、下山さんと会う。

 マドリードのオトーニョで見習い闘牛士のハビエル・エレロが大怪我をした。各地で開催された闘牛では、入場行進のあと、パキーリの命日25年のため、1分間の黙祷が捧げられた。

 26日の結果。 セビージャ、モランテ、耳なし。カステージャ、耳1枚。 バルセロナ。フリ、耳1枚と強いもう1枚要求、耳1枚。マンサナレス、耳2枚が2回。カジェタノ・オルドニェス、耳なし。 ポソブランコ。モレノ、耳1枚が2回、耳2枚が2回。 アルカラ・ラ・レアル。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、マルセロ・メンデス、場内1周、耳1枚。闘牛士、セルヒオ・サンス、耳1枚、耳2枚。ハビエル・ゴンサレス、耳1枚が2回。 カラバカ・デ・ラ・クルス。コルドベス、耳1枚ともう1枚要求、耳2枚。ファンディ、耳1枚、耳2枚。エル・ルビオ、耳2枚。 コレジャ。ラファエリジョ、耳なし。バウティスタ、耳1枚、耳2枚。サンチェス・バラ、耳1枚ともう弱い1枚要求、耳1枚。


 9月28日(月) 晴 13735 バルセロナのホテルにて

 昨日は闘牛前に下山さんと落ち合って今年のウニコの時に食べたレストランで昼食を取った。僕は着ている物は、あの日と同じ緑の帽子に、黒と青の横縞が入った5本指靴下、エスパーダが付いたTシャツに緑のズボン。パンツまでは覚えていないが、ほぼそれら全てが験(げん)担ぎ。レストランまで一緒だったというのは偶然だったが、探す時間がなかったので下山さんの提案でそうなったのだが、結果的にはそれも験担ぎになっていた。闘牛場でYさんと待ち合わせをして立ち話。終わってから再び合流して夕食を取ることにした。

 闘牛は本当に素晴らしいものだった。今年のホセ・トマスのメホール・ファエナだった。その事で3人の意見は一致した。Yさんは、今年の8月なんか4日間観て、耳14枚も観たし、これだけ良いファエナを観ているから、もうホセ・トマスで涙を流すような闘牛を観るのは無理だと思っていたけど、凄かった。と、言っていたし、下山さんは、去年のインドゥルトの時よりも良かった。と、言っていた。そして、Yさんがバッグ一緒、ネックレスも、昼食のレストランも一緒…という験担ぎを披露した。みんなそういうことをやっているのだ。

 そして、涙を流すような闘牛を観て感動する。本当に来て良かったと、心から思うのだ。受動的じゃなくて、験担ぎをすることによって能動的に闘牛に参加しているのである。闘牛が終わって21時過ぎからバルセロネッタのレストランへ行った。そんなにお腹が空いていなかったが、ビールを飲み、魚介類を食べてホセ・トマスの話に花が咲いた。23時頃突然拍手がレストラン中に鳴り出した。すると先頭にホセ・トマスの姿が現れた。レストランのお客さんもみんなその事を知っているのだ。

 黒い上着を着て、颯爽と歩いている。優雅だ。闘牛場で牛に背中を見せて歩いている姿がダブる。僕等の横の方には、ホセリートもいた。ホセ・トマスの夕食に合流して2つ目の席に座って笑いながら話していた。ビデオカメラを廻してその姿を撮る。今回初めて知ったが、ホセ・トマスもホセリートもタバコを吸っていた。そういうところまでビデオに撮っているのは、パパラッチのようだが、ちゃんとビデオに収めた。

 彼らが来た頃、レストランはお客さんで一杯だった。彼らの席に近い人たちは、一緒に写真を撮ったり、サインを貰ったりしていた。その姿を観て飲んだり食べたりしていた。大分経って殆ど人がいなくなってきてから、サインを貰おうと席に近づこうとしたら、カマレロに遮られた。それでもYさんは、通路のところにジッと立っていた。座ったらと声を掛けたが、ここで待つと言うことだった。それから何分くらい経っただろうか、見かねたカマレロから行ってきたらと声を掛けられ、ハンカチとエントラーダにサインを貰い、両頬にベソをして貰って戻ってきた。もうすでにこちらを向いた顔には涙が流れていた。

 戻ってきて、近くにいた別のカマレロ達が、涙を流している姿を観て、不思議がって、何故泣いているんだと訊くので、Yさんは、ホセ・トマスは、あたしのとって“神様”なのといって説明していた。勘定を済ませて、それからちょっと経ってからそろそろ帰ろうと言うことになって席を立ったが、最後にホセ・トマスのところに行ってサインを貰おうと思い、歩いていった。今度は誰も止めなかった。だからゆっくり歩いていき、ホセ・トマス前に立った。そして、おめでとうと言って、自分の名前を名乗った。それから、今日のファエナはテンポラーダで、メホール・ファエナだった。と、言うと嬉しそうに微笑んで、小声でグラシアスと言ったような気がする。今日のエントラーダにサインを貰い。隣の方にいたホセリートをちらっと観てサインを貰おうかと思ったら、ホセ・トマスが再びこちらを向いて手を差し出したので、また握手して、グラシアスと言った。だから、ホセリートからはサインを貰い損なったのが残念だが、その事を下山さんに言うと、それは気に入られた証拠でしょうと言っていた。レストランを出たのが2時を廻っていた。

 それから、バルセロネッタを3人で歩きながら、今日のことやホセ・トマスの事を話した。話は尽きないが、タクシー乗り場まで来て、今日の事を感謝しつつYさんにお礼を言い、Yさんからもお礼を言われ別れた。下山さんは僕ホテルに泊まった。ホテルに着いて話をしながら簡単な観戦記を書き上げてアップした。TVでは、バルセロナのホセ・トマスのニュースが映像と共に流れてた。とっても幸せな気分で寝ることが出来た。

 朝、7時に起きて準備をして下山さんは、空港に向かった。とても満足なホセ・トマスが観れた。今回急遽バルセロナに来たので飛行機代は高かったし、帰って翌日から仕事というスケジュールを強いられたが、本当に来て良かったと思える闘牛が観れて幸運だった。下山さんにもYさんにも、そして、ホセ・トマスにも感謝したい。ありがとうのオンパレードが心の中で渦巻いている。

 27日の結果。 マドリード。ラファエリジョ、場内1周。バルベルデ、イバン・ファンディニョ、耳なし。 バルセロナ。アパリシオ、罵声。ホセ・トマス、耳2枚が2回。モランテ、耳1枚。コヒーダされて手首骨折の疑い。 セビージャ。フェレーラ、耳1枚。タラバンテ、耳なし。ダニエル・ルケ、耳2枚、耳要求。 グラナダ。フンディ、耳1枚。パディージャ、耳1枚ともう1枚要求。ジージョ、耳なし。 アバラン。オルドニェス、罵声。ファンディ、耳1枚、耳2枚。ペレラ、耳なし。 ビジャビシオサ・デ・オドン。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、フランシスコ・ベニト、耳なし。闘牛士、ロブレニョ、耳1枚。チェチュ、耳2枚。 トリホス。ニーニョ・デ・ラ・タウリナ、エウヘニオ、ルベン・ピナル、耳2枚が2回。


 9月29日(火) 曇 15898 バルセロナのホテルにて

 昨日は、Josemiさんたちと会って夕食を共にした。自然と話が音楽の話になって、『のだめカンタービレ』の事になったとき、のだめに出てくる楽曲リストを持っていたので、エルガーを聴いてみたいと言うと、イギリス人で重い感じの音楽ですと言った。イギリス人にしかできないような音楽ですという。それで思い出しのが、カエルさんの発言。イギリスのように天気が悪いところでサッカーを観てたら、試合が負けた暴動を起こすよ。スペインみたいな天気だったら負けても、しょうがないやと諦めると思うけど…。

 それから、色んな話もしたが、時間になったので空港に向かうことにする。あとは東京に帰ってから。

 28日の結果。 マジョルガ。アベジャン、耳2枚が2回。カペア、耳2枚。モレニート・デ・アランダ、耳1枚、耳2枚。


 10月1日(水) 雨 10943/2 東京にて

 無事東京に戻ってきた。長時間飛行機の中に座っていて、尾てい骨が痛くなった。いつもだと成田エクスプレスで帰ってくるのに今回は行き帰りとも京成の特急を使った。スーツケースがないので移動が楽だったのと、値段が全然違うからだ。それで浮いたお金で帰国第1夜の夕食は鴨南蛮そばを食べた。バルセロナは雨が降らなかったが、成田や東京は雨だった。

 部屋に戻ってDVDのHDDの整理をした。それからようやくバルセロナで撮ってきたホセ・トマスのダビングを始めた。時間の掛かる作業で、おかげで寝ないで夜まで起きていた。録画したビデオは、前の席の人が興奮して立ち上がってばかりいるので、禿頭や服が映っていて、それを避けるためにこっちも立ち上がるので、映像がぶれている。それは仕方がないことだけど…。近くにホアキン・サビーナが来ていたのでその姿も撮った。

 そういえば、Yさんが夕食の時に言っていたことが気になった。それは、Yさんの様に女性が闘牛士を熱を上げると、男が闘牛士に熱を上げるのはどう違うのか、私にはよく判らないという、疑問を言った。その時は、田中角栄の為なら何でもするという政治家が一杯いたように、そういう信条になるのは不思議じゃないという風に言ったが、どちらかというと、王・長嶋に憧れるファンや、イチローに憧れるファン心理に近いかも知れない。

 それと、ホセ・トマスの場合というか、僕の場合はセサル・リンコンについては、命を賭けてやっている闘牛を観て感動したのだからそれに対する尊敬心とそれ以上の存在の偉大さに、目の前にいると震えた。オルテガ・カノでもそうだし、ホセリートもそうだった。でも、セサル・リンコンが1番緊張した。ホセ・トマスの場合は、緊張感が自分の中で盛り上がってこない。本当に偉大すぎる闘牛士だということは、闘牛を観ていれば判ることだ。にもかかわらず、震えないし、殆ど緊張しない。それが何故なのかは判らない。

 Yさんの様に、会って涙が流れて来るというのは、セサル・リンコンならそうなったことがあるが、ホセ・トマスには起きない現象なのだ。その辺の違いというのを考えて整理する必要があるのかも知れない。

 29日の結果。 コレジャ。コルドベス、フランシスコ・マルコ、耳要求。ダニエル・ルケ、耳2枚と尻尾要求。


 10月2日(金) 雨 40869 東京にて

 帰国後翌日からは仕事は初めてのケースだった。何とか仕事も無難に出来た。バルセロナでイギリスの音楽の話をしたが、ブルースがイギリスを中心にヨーロッパで受け入れられた60年代。ロンドンのように霧で憂鬱な天気のところで、気分としてはブルースは受け入れられやすいだろう。だが、本来アメリカ南部で出来たブルースは、カンカン照りの大地で綿花を摘む作業などの労働のつらさや、黒人差別の現実などを歌にしたものがブルースになった。カンカン照りと霧というの全く違った天気なのに、同じようにブルースが出来る。これは非常の面白い現象だと思ったのだ。

 オリンピック招致のための最後のプレゼンが行われている。シカゴでは、オバマ大統領が、東京では、鳩山首相が、リオ・デ・ジャネイロでは、ルラ大統領が、マドリードでは、ファン・カルロス国王とサパテロ首相がプレゼンに立つ予定だ。東京やマドリードではオリンピックをやって欲しくない。何故なら物価が高くなるからだ。だからやって欲しくない。でも、一方ではやって欲しい気持ちもある。東京が変わるというのも良いのかも知れないからだ。特にパラリンピックが開催されれば、身障者向けに色々な施設が改善されるのは非常に良いことだろう。ただ、感触としてはシカゴ、リオ・デ・ジャネイロが有力なのだろう。リオでの開催になれば景気も益々良くなりG20での発言権が強くなるかも知れない。

 1日の結果。 ラス・ロサス。アベジャン、パウリタ、ガブリエル・ピカソ、耳2枚。


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