断腸亭日常日記 2011年 その4

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年のスペイン滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日
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 3月18日(金) 晴 22331

 病院へ行ってきた。それというのも、12日の奈良のホテルでのトイレでウォシュレットを使っていたら、肛門が痛かった。その日は、ホテルが代わったので、ウォシュレットも代わって噴射する圧も変わるだろうし、噴射の仕方も違うだろうしと思っていた。しかし、翌日ホテルを変わって何かのきっかけで、これは、肛門が腫れていてそれが痛いのだと言うことが判った。それから腫れている患部を指で押して中に入れるが、その都度元に戻る。違和感を感じているので、東京も戻って、仕事している人の中で経験者に話を訊いたら、ボラギノール注入軟膏が良いという話を訊いたので薬局に買いに行ったが、なかったので、ジーフォーL注入軟膏を買った。そして、注入した。それから3日たったが状態は改善されず今日病院へ行ったのだ。

 医者に患部を診せた。血栓が出来ているという。肛門からS字結腸に向かってである。内視鏡を少し入れて映像をちょっとだけ見た。医者が、寒いところのいたとか、長いこと歩いたとかしかしたかというので、その両方を東大寺のお水取りでやっているので、そのことを話した。体に良いことでも痔には良くないことが多いんですよ、という。医者は、今まで使っていた注入軟膏を観て、この薬はかなり強い薬ですが、効かないですか?といい、新しい薬の処方箋を書いてくれた。14日分の薬。東大寺のお水取りはかなり体に負担をかけたようだ。最終日の14日もお水取りに行こうと思っていたが、体調を考えて止めて東京に戻ったのは正解だった。

 東大寺で1番長い時間では、3時間寒い中で立っていた。毛糸の帽子、ダウンジャケット、下はヒートテックの太腿の内側、動脈が通っている部分の上に掌大の貼るカイロを両方に貼り、その上に綿入れのズボンに冬用のズボンをはき、靴下の土踏まずとこうの部分の両足2ヶ所にカイロを貼った。特に足首から下が寒いので、靴下2ヶ所に貼ったカイロは効果的だった。それだけの準備をしても、痔になった。被災地の人たちはこの寒さで、それぞれ持病を抱えている人も少なくない老人が多い。過酷な状況の中にあるだろうということは、想像に易いが、おそらく、想像を超える状況になっているだろう。それは、TV報道では出てこない状況が密かに進んでいる事もあるような気がする。

 南相馬の家族がいる人間は連絡がついて、山形か新潟に避難しているという連絡があったという。一安心したと言っていたが、友人とは連絡がつかない人が多いという。それでも、淡々と日々の仕事をこなす姿には、凄いなぁと思ってしまう。こういう東北人の逞しさを誇りに思う。東北を救わなければならない。それは強く思っている。

 76円台まで円高が進み各国で8年ぶりの協調介入を実施した。円はドルに対し81円台まで回復した。

 22時を過ぎて厚生労働省は、福島第1原発半径20キロ以内にある病院の入院患者を移送する事を決定したという。半径20キロ以内から退避勧告を出したときにこのことを何故決めなかったか、余りにも遅すぎる国の対応だ。それでも、ギリギリの状態で耐え抜いていた現地現場は喜んでいると思う。希望が見えてきただろう。


 3月19日(土) 曇 7585

 薬が効いているのかいないのか?痛みは引かないが、良くなっていると思いたい。2週間分の薬。多分、被災地で、風呂に入れるようになるのもそのころだろう。避難している人は未だ30万人くらいいる。現地は困窮を極める。国や自治体の機能が及ばないところも多いようだ。早く命令系統がしっかりと機能して欲しい。首都圏で、交通網が混乱しているが、そんなことは、微々足ることで被災地が大変なことはみんなが判っている。日本人全体が被災地のことを思って何とかしたいという強い感情に包まれているはずだ。

 鹿島アントラーズの小笠原が陸前高田を訪れて、被災地を観て被災者にあった。小笠原は、盛岡出身で大船渡高校卒業。いつも通っていた所や観ているモノがなくなってショックを受けたようだ。頑張ってということも、今言って良いのか?自分が出来ることは何か、何をしたらいいのを、話を訊いて決めたいと言っていた。地元のスターが訪れたことによって20歳くらいの男の子は、苦しいときはこれを観て力を貰って頑張ると言っていた。携帯で取った小笠原の写真が宝物になったようだ。


 3月20日(日) 晴 32572

 さっき入ったニュースでは、石巻の瓦礫の中から老婆と少年が9日ぶりに発見された。これは奇跡だ。「20日午後4時ごろ、宮城県石巻市門脇町で、捜索活動中の県警石巻署員が、倒壊した民家のがれきから男女2人を発見した。救出されたのは、阿部寿美さん(80)と、寿美さんの孫とみられる任さん(16)。東日本大震災発生10日目。同署によると、任さんは「2人で地震直後から閉じ込められていた」と話している。いずれも意識はあり、任さんは低体温症だという。 石巻署員が行方不明者の捜索中、救助を求める声がしたため、付近を捜したところ、屋根の上にいる任さんを発見した。 任さんから「家の中に人がいる」と申し出があり、同署員と消防レスキュー隊が倒壊した家屋から阿部さんを見つけた。」 ーー時事通信よりーー

 TVでは、少年は低体温症で体温が28度まで低下していて、左足の感覚がない状態だという。冷蔵庫に両足を挟まれていたおばあちゃんに、冷蔵庫のモノを食べていたのだという。もう助かる人は出ないだろうと思っていたが、こういう形で救出される人が出たことは、驚きに値する。震災直後から家の台所に閉じ込められていて、今日になって隙間が出来たので屋根の上に出た、という。それで救助されたのだ。良く諦めずいたものだ。おばあちゃんと助けた16歳の孫の仁君は偉い。足の感覚がないというは非常に心配だ。元気になって欲しい。

 このニュースの第1報を床屋で訊いた。床屋にいた人たちも驚いていたし、喜んでいた。髪を切ってさっぱりした。セバスティアン・カステージャは、怪我から復帰してバレンシアに出場し耳1枚を取った。

 「〈生きていくあなたへ〉1億人が支える 安藤忠雄さん
これほどの範囲で風景が消え、物理的にも精神的にも全てが一気に奪われる事態が起ころうとは想像もしていなかった。被害が都市部に集中した阪神大震災とは違う。皆さんには掛ける言葉も思い浮かばない。私たちにできるのは、国を挙げて、国民を挙げて「サポートされている」という実感をもってもらうこと。もちろん国が立ち上がらないといけないが、国にはお金がない。1億2千万人全員で支援しないといけない。  ボランティア活動に加え、各地で基金を作る方法もある。衣料品会社が支援を決めるなど歓迎すべき動きもすでに現れているが、すべての企業が積極的に立ち上がるべきではないか。  国際社会の連携にも期待したいが、原子力発電所の問題も含めて、国を挙げて、国民を挙げて闘っていかないと、日本という国の信用が失われて支援を受けられない。 」 ーー朝日新聞よりーー

 こういう気持ちにならないと復興はないだろうと思う。今日9日ぶりに発見されたおばあちゃんと孫のように、諦めずに支援していかなければならないだろう。


 3月22日(火) 雨 12181/2

 昨日今日と雨が降っている。買い溜めも少なくなって徐々にスーパーなどにモノが増えてきた。納豆を売っているところはスーパーではない。おそらく町の豆腐屋さんに行かないと納豆は手に入らない。道路は復旧して東北道は一般車両も通れるようになった。東北新幹線も新青森〜盛岡の間が復旧した。物資も被災地に届き始めている。それでもまだまだ足りない。日本中から被災地に応援のメッセージとして募金運動も沸き起こっている。14日、奈良を発つ日でさえ、商店街にあった透明なアクリル容器の募金箱には、午後には千円札が30枚くらい入っていた。非常に驚いた。そういう善意が、全国で集まってきている。

 ここのところスポーツの話題が少なくなっているが、明日から甲子園で春の高校野球大会が行われる。被災地の高校も出場する。注目が集まるのは東北高校。勝ち進んで被災地に歓喜をもたらして欲しい。サッカーもキリンカップが中止になった代わりに、29日日本代表と、日本選抜が対戦する。ヨーロッパから12人が駆けつけ、Jリーグの選手と合わせて代表を形成する。選抜は、ジーコ・ジャパンのメンバーやカズも出場する。Jリーグも4月23日からの再開が決まった。プロ野球はもめている。競馬は、皐月賞が1週ずらして東京競馬場での開催になった。これは、千葉にある中山競馬場は、安定的な施行が無理だからだという。福島競馬場は被害が甚大で使用できないためで小倉などに代替開催されるようだ。なお、中山で予定されていた重賞は、皐月賞を除き全て阪神競馬場へ移行する。

 昨日スパに行き岩盤浴をしてきた。痔は相変わらず治らない。岩盤浴で少しは良くなるかと思ったがそんな風にはならなかった。被災地への物資の運搬方法も、非常に困難な状況のようで、運搬するトラックや飛行機、船が揃わないのと、燃料がないこと、それと現地との連絡が取れないこと。その他に、物流センターのようなモノがあれば良いらしいが、それを作れていない。食料、防寒用の服やカイロなどや、医療品、日用品の不足もある。色々な人たちや企業が動いている。そういう物流のシステムや、避難所ではなく、家で生活している被災地の人たちにも、日々の生活を円滑に出来る様になるシステムを早急に作ることが急務だ。この取りまとめを行政、政府が音頭を取らなければならないようだが、上手く機能していない状態だ。


 3月23日(水) 曇 3747

 余震は続いている。今朝も震度5の地震があった。原発も中央監視室の電灯が点いたという。通電作業も続いていて、菅首相が、光明が見えてきたと、言ったが、本当にそういう状況になってきた。自衛隊、東京消防庁の決死の放水作業で、東電の通電作業が行えるようになった。東京のスーパーは、徐々に棚にモノが入ってきているが、風評被害により福島県のいわき市には、ほとんどモノが入ってこない状況が続いていて、市は救援物資を市民へ配給するという異例の対応をしているという。福島からは、市民が原発の影響で原発30キロ以内から退去命令が出ている。いわき市は、北部の一部がその中に入っているが、市全体へ物資が入ってこない状況になった。トラック運転手が、運搬を拒否しているからだという。これがいわいる風評被害なのだ。


 3月24日(木) 曇 23246

 ついに今日、原発で復旧作業に当たっていた作業員3人が被爆した。東電の下請け企業の人たちのようだ。東電は、自分たちが作業をしなければ、被爆量をチャックしなくて良いというのだろうか?改めて安全管理の問題が注目されている。それと、水道水が汚染されて、乳児に飲まないように警告を出した所では、スーパーに水の買いだめをする行列が出来たという。それほど心配な数値ではないようだが、それでもこの様な行列が出来る。人間の業というモノは凄いモノだ。これが被災地なら、もっと切迫した状況になっているだろうということは想像に易い。そして、想像を超えるドロドロの人間をドラマも展開されているだろう。食料不足から老人、婦女子、子供から食料を取り上げる人なども出ているところがあるらしい。勿論、医療現場はもっともっと切迫している。通常の状態であれば、死に至るような病状でなくても、投薬がなく、暖房もない状態で、人員不足で手当が出来ずに簡単に死んでいく様な状況になっている。

 岩手・宮城の三陸の病院は被災から2週間近くになって、医療スタッフは、疲労困憊で体調を崩す人が出ている。被災地以外の病院などから、医師や看護婦が手助けに行っているようだが、通常の病院業務が出来ない状態だという。被災により、救急医療が通常の4割増。津波により個人病院もほとんど業務をしていない。石巻は、100床以上の入院ベットがある8病院の内3つの病院が全く診察できなくなり、100くらいある個人病院の内80が診察していないという。そういう状態で、石巻近隣の医療まで加わるという、非常に荷重がかかった医療を課せられているという。もうこれでは、善意や、正義感だけでは、対応できる限界を超えているようだ。石巻に代表される三陸の各都市の医療はおおむねこういう状態なのだろうと思う。

 宮城は、県庁所在地の仙台も被災して、行政機能も正常ではないだろう。岩手の盛岡は被災地ではあるが、被害が少ないので、行政機能も宮城に比べれば活発に動いているようだ。この両県に比べて福島は、被害の甚大な海岸部に原発があり、避難命令が出ているので、ほとんど手の付けられない状態で、救援活動も行われていないという。助けられる人もいただろうに、がれきの中に取り残され死んだのだろう。がれきの撤去もされないで野ざらし。放射能に汚染されて畑も農産物も、そして町ごと移住する様な状態になっている。これは、悲惨だ。

 グロリア・エステファンやホセ・フェリシアーノ、そして、サエラのCD、民謡編と歌謡曲編を訊いて気持ちを落ち着かせている。特にサエラの民謡編は聴いていて落ち着く。僕は岩手なので、耳なじみのある歌を聴くとそういう気持ちになる。『八戸小唄 (青森県)』 『 外山節 (岩手県) 』 『 真室川音頭 (山形県) 』 『ホーハイ節 (青森県) 』 素晴らしい東北の民謡を聴いている。寒さに負けない東北の風土と人々の逞しさ、厳かで、しかもしたたかさを感じられるのだ。今日も東北の被災者のために祈りたい。東北では、白い花はリンゴの花であり、稲の花でなのである。東北に、早く白い花が咲き、良い実がなる事を祈る。

 サン・イシドロの概要が分かった。ホセ・トマスは、どうやら出なさそうだ。今年のスペイン行きはどうするか。おそらくこの1ヶ月で結論が出るだろう。ホセ・トマス次第だ。


 3月25日(金) 曇 7317

 日本にいるのに納豆が食えないという非常事態が続いていたが、一昨日町の豆腐屋に行って納豆を買った。昨日からは、近所のスーパーで納豆が売られ始めた。茨城の水戸などにある納豆工場が被害を受けて生産がストップして町から納豆が消えていたのだ。こういう時こそ、火がいらない食べ物である納豆の存在価値が上がるはずなのに、生産できないというのは、本当にガッカリした。まるでスペインにいるような状態で食いたくても食べれない状態だった。スペインの場合は、仮に納豆があっても、ご飯が炊けないので食べられないということと、納豆が高いという事がある。豆腐も高いが、割と色んな所に置いてあるので料理に使う。納豆はほとんど見あたらない。だから、自分で作る人もいる。今回のことで、納豆の作り方を、習得するする必要があるなと思った。

 国会が開かれない状態になって予算が通っていない。菅首相が自民党の谷垣総裁に入閣を打診したが断られた。国難に当たって、挙党一致どころではなく、全ての政党が一つになって乗り越えなければこの難局に知恵が集結しないだろう。現在、民主党の菅内閣が大震災の采配を取っているが、それ以前からこの内閣ではダメと思っていた国民が多いが、倒閣というという言葉は、もうでてこない。何故なら、この内閣でやるしかないことを誰もが理解しているからだ。それならば、大連立をして国難に当たるべきだという考え方が、急速に国民の中に芽生えているような気がする。時期が来ればそうなるような気がする。また、そうあって欲しいと今は思うようになってきた。被災地、避難民前にして、民主党、自民党などといっている状態じゃないからだ。


 3月26日(土) 晴風強し 23744

 本来なら今日、スペイン闘牛ビデオ上映会を開催する予定だった。中止になったのは、練馬文化センターからの要請だった。14日、奈良最後の日に、法隆寺を観たあと奈良市内に戻ってお土産を買って、タバコが吸いたくなったのと、昼は大和粥だったので小腹が空いていたので、コーヒーとケーキを食べようと思って喫茶店に入って注文中に電話が鳴った。それで練馬文化センターからの要請があった。こういう状況なので、要請を受けた。大震災があってから、毎日TVニュースを観て、新聞を読んで泣いていた。頭の中が混乱していた。どうしようと思って、正直に言えば、上映会をどうするかということをしっかり考えられない状態だった。

 タバコを吸いながら、観てきたばかりの法隆寺の事を考えていた。奈良には、日本という国を、仏教を礎にして国の形を作ろうとしていた痕跡が未だ残っている。その代表的な寺院の一つが法隆寺だ。奈良での、募金活動を思いながら心に熱いモノを感じていた。あの日から自分はどうすれば良いのかということはずっと考えている。

 今日は、久々に競馬をやった。ラジオで清水成駿の声を久々に聞いた。清水はこういうときも清水だった。復興競馬をJRAは開催している。競馬も被災地に向けての活動をしている。高校野球も始まり、スポーツ界も、野球やサッカーだけでなく、色々の団体個人が動いている。心配な原発問題が残っているが、良い方向に日本は向いていると思う。


 3月27日(日) 曇 4414

 東北関東大震災での死者が、1万人を超えた。行方不明を含めると2万人を超える。しかし、これは警察に届けられた行方不明であって、家族全員が津波で流された人たちは、行く不明として届けられていない。こう人たちを加えるとさらに行方不明、死者が増えるだろうということだ。なおかつ、原発で救出が出来ない手つかずの福島では、死者、行方不明、死者などが増えるはずだ。被災地は今日、氷点下の寒波が襲っている。非常に厳しい。色々な混乱は未だ続いている。政府などの行政、企業、市民、そして、原発問題。なんとか、温かくなってなって欲しい。毛布や防寒着などで体を温め、支援で心を温めて欲しい。人の優しさを感じて欲しい。


 3月29日(火) 35872/2

 被災地の東北に勝利を、と、甲子園に挑んだ東北高校。しかし、エースでキャプテンが投じた1球目が初球先頭打者ホームラン。0−7で完敗した。しかし、声援は大きかった。被災地にも被災を忘れて応援する姿あった。

 「胸を張れ! 1回戦第1試合に、東日本大震災の被災地にある東北(宮城)が登場。大垣日大(岐阜)に0−7で敗れたが、その全力プレーは東北地方はもちろん、日本中に大きな勇気と希望を与えた。さまざまな思いを抱えて挑んだ戦いは終わった。再び被災地に戻ってボランティアに励むという東北ナインは、夏に戻ってくることを誓って29日に聖地を離れる。一ゴロの代打・山田(3年)が、一塁ベースに頭から突っ込んだ。九回二死。無情なゲームセットの瞬間だったが、2万7000の観衆は大きな拍手で東北ナインをたたえた。

 「最後の最後まで諦めない気持ちでした。全力疾走で自分たちの思いを伝えられました」

 文字通り最後の打者となった山田。家族は無事だったが、出身の名取市では600人を超える住民が命を奪われた。 仙台市若林区に自宅がある斎藤(2年)は、幼なじみの女性が津波で母を失った。大会前、その女性から「甲子園で頑張って」と電子メールが届いた。「頑張るから」と約束。二回にチーム初安打を右前に運び、盗塁も決めた。夢だった舞台。「1日も早く帰りたい。でも、一瞬でも長く長く甲子園の土を踏んでいたい」という斎藤の言葉に苦悩がにじんだ。 無事は確認できたが、捕手・吉川(2年)の両親も被災した。「初回に5点を取られた後も、1点ずつ返していこうと思っていました。全力でやれました」。試合中、壊滅的な故郷が頭をよぎり「野球をやれるだけ感謝している」と気持ちを奮い立たせた。

 試合は一回に5失点。それでも打線は得点圏に4度走者を進め、何度も何度も必死に食い下がった。大敗したが、決してあきらめない姿勢を最後まで貫いた。

 「力不足だっただけ」と五十嵐征彦監督(35)。「選手は応援してくださった方々に何かを伝えることができたと思う」と目を潤ませた。

 左翼アルプス席には「がんばろう東北!がんばろう宮城!」の横断幕。地元企業や兵庫県の高校14校が“友情応援”に駆けつけた。大災害から17日目。今も仙台市では厳しい避難生活が続く。先発した上村主将(3年)は「いまだに安否確認ができず、苦しんでいる人もいるので手を差し伸べたいです」と、帰郷後もボランティアを続けることを明かした。 東北のセンバツは終わったが、誰ひとり聖地の土を持ち帰る者はいなかった。「夏に戻ってくるから」と上村。大災害を克服して、今度は暑い夏にまた希望と勇気を持って帰ってくる。」 ーーサンスポよりーー

 残念だが、勝利を飾ることは出来なかった。それはそうだ。何故なら甲子園に行くまで仙台で災害ボランティアをやっていた東北高校。練習などやらずに勝てるほど甲子園は甘くない。競売いえば、調教をせずにレースに挑むようなモノ。勝てるわけがない。それでも、東北高校の全力プレーに被災者が勇気を貰った様だ。

 もう一つ日本に勇気を与える勝利がドバイワールドカップでヴィクトワールピサが優勝2着にトランゼットが入り、日本馬のワンツーという歴史的快挙のニュースが入ってきた。

 「第16回ドバイワールドカップ(26日、UAEドバイ・メイダン競馬場8R、GI、北半球産4歳上・南半球産3歳上、定量、オールウエザー左回り2000メートル、1着賞金600万米ドル(約4億8000万円)=出走14頭)遠く離れた中東で、日の丸が大きく舞う。日本馬が、ついに世界の頂点に立った。26日夜(日本時間27日未明)に行われた世界最高賞金額(優勝賞金600万米ドル=約4億8000万円)のドバイワールドカップを、昨年の有馬記念馬ヴィクトワールピサ(栗東・角居勝彦厩舎、牡4)が日本馬として初めて制した。ミルコ・デムーロ騎手(32)=イタリア=は「日本のために勝ちたいと思っていた」と涙を流す。東日本大震災で苦しむ日本を、少しでも元気づける勝利になれば、と関係者は願っている。砂漠の夜空にはためいた日の丸。遠く離れた中東に流れる「君が代」に、現地にいた日本人の誰もが涙した。東日本大震災の被害に苦しむ母国・日本に届け、この世界一の快挙−。世界最高の舞台で、ヴィクトワールピサが日本馬として初めて頂点に立った。

 「日本のために祈っていた。日本を元気づけたいと思って乗っていたし、日本のために勝ちたいと思っていました。僕は日本を愛しています」

 日本で騎乗するようになって13年目。日本をこよなく愛するイタリアのミルコ・デムーロ騎手が、涙を流しながら感激の言葉を口にした。ゴールの瞬間、右手を高く挙げてガッツポーズ。そして右袖につけた喪章を軽く3度叩くと、左手の人差し指を突き上げて、空を仰いだ。日本に勝利を届けたい。その願いが今、叶った。

 ゲートで頭をぶつけるハプニングで最後方からの競馬に。しかし、逃げた同じ日本馬のトランセンドのペースが遅いと見ると、向正面で馬群の外から追い上げて、一気に先頭に並びかけた。そこでトランセンドがペースを上げると、デムーロは競り合いを避け、無駄な体力の消耗を回避。そして、直線に向くと日本馬2頭の競り合い。外国勢も迫ってはきたが、2頭は最後まで前を譲ることなく、ゴール前でヴィクトワールがグイっと伸びて半馬身差で制した。

 「きょうはスタートがあまりよくなかったけど、向正面がスローでラッキーだった。直線は長くて、終わりがないのかと思うぐらいだったよ」

 笑顔でデムーロが振り返る。日本のファンにはおなじみの騎手もドバイワールドカップはこれが初騎乗。「信じられないし、ファンタスティックだ。僕はジャパンC(08年スクリーンヒーロー)も、イタリアダービー(02年ラクティなど)も勝っているけど、これがベストレースだ」と喜びを抑えきれない様子だった。

 ヴィクトワールの次走は5月1日に香港で行われるクイーンエリザベスII世C(シャティン競馬場、GI、芝2000メートル)の予定。さらに、昨年7着に敗れたフランスの凱旋門賞(10月2日、ロンシャン、GI、芝2400メートル)にデムーロが「行キマショウ」と言えば、「ミルコが言うなら」と市川義美オーナー(74)=大阪市・ピサダイヤモンド会長=が了承。角居勝彦調教師(47)=栗東=は「ジャパンC(11月27日、東京、GI、芝2400メートル)は使いたいですね」と話す。ヴィクトワールは世界中を駆け回り、日本に勇気を与え続ける。

 復興の道を少しずつ歩み出した日本。ヴィクトワールピサがドバイから灯した希望の光も、新しい日本の道しるべのひとつになれば、と願う。」


「熱狂の一夜が明けた27日、UAEドバイの新聞は一面でヴィクトワールピサとトランセンドの走りを伝えた。現地最大手のGULF NEWSは1面に表彰式の写真を掲載し、「ヴィクトワールピサとトランセンドが、地震と津波の被害に遭った日本に感動的な勝利をもたらした」と報道。もう一紙のThe Nationalも1面で「自然災害の犠牲者に哀悼の意を表する喪章を着けた」デムーロ騎手の写真を大きく掲載。スポーツ面では日本馬のワンツーフィニッシュに引っかけて「Japan’s rising sons」の見出し。息子(son)と太陽(sun)をかけて、「日本の子供(太陽)が昇った」と報じていた。」  ーーサンスポよりーー

 「 【ドバイWC】ヴィクト日本は強い!
 「ドバイWC・G1」(26日、メイダン)
 明るい話題を中東から発信した。有馬記念馬ヴィクトワールピサが日本馬で初めて世界最高額賞金レースのドバイワールドC制覇を成し遂げた。2着には逃げたトランセンド。ジョッキーをはじめ喪章をつけて臨んだ日本馬がワンツーを決めた。(ドバイ・井上達也)
  ◇  ◇
 ドバイの夜空に君が代が響き渡った。日本に夢と希望を‐。“チームJAPAN”の思いを乗せてヴィクトワールピサが世界の強豪馬を封じた。
 世界最強だ!偉業達成の瞬間、M・デムーロは右腕につけた喪章を左手で3度叩き、人さし指を天へ高く突き上げた。「イタリアダービーもジャパンCも勝っているけど、これがベストレース」。昨年の有馬記念でもクレバーな騎乗でパートナーを導き、グランプリ制覇を成し遂げた主戦。揺るがない信頼がVを引き寄せた。
 イメージ通りのレースではなかった。日本よりも幅の狭いゲートに戸惑い、後ずさりをしたときにスタートが切られた。頭をぶつけて最後方からに。ワールドC初騎乗のデムーロはそれでもあわてなかった。「ラッキーだったのはバックストレッチでスローになったこと。いいポジションに行けたからね」。向正面では一気に12頭を抜いて前へと進出し、場内をわかせた。直線は日本馬2頭の叩き合い。日本のファンの声援を背に受け、譲らない両馬。「直線がとても長くて終わらないんじゃないかと思った」。踏ん張るトランセンドを半馬身かわしたところで歓喜のゴールを迎えた。
 幾度となく日本馬が夢散った舞台で“世界のスミイ”を全世界に発信した。1着賞金は600万ドル(約4億9000万円)と世界最高峰のレース。05年のシーザリオを皮切りに海外挑戦を貫いてきた角居師はこれで海外G14勝目を手にした。「向正面でかわしていく鮮やかな騎乗でした。実はハラハラ、ドキドキしていたんです」。直線はスタンドから声を振り絞った。「“残ってほしい”と。ジョッキーの名前を絶叫していました。一番大きなレースを勝てたのはまだ信じられない」。ゴールの瞬間、指揮官はスタッフと抱き合って喜びあった。
 ヴィクトワールピサがドバイに到着したあとに東日本大震災が起こった。レース前には「日本のために、そして被災者のために頑張る」と“チームJAPAN”を何度も強調していた。日本馬のVが日本を救い、明るくさせることができるのなら‐。「日本がこれほど大事な時期に日本国民みんなが応援してくれたと思います」と心強い声援に感謝した。
 “チーム角居”にとって7頭目のドバイ参戦だった。これまでの最高着順はフラムドパシオン(ゴドルフィンマイル)の3着が最高。ドバイG1はウオッカとカネヒキリがともに4着に敗れている。「諦めなかったからです。被災した方も諦めないでほしい。あまり競馬では泣かないけど、きょうは泣きました。日本人のために頑張りたいという気持ちがあったので」。緊張から解き放たれたからだろう。ホッとした表情で祖国を気遣った。
 会見の席では市川義美オーナーが香港のクイーンエリザベス2世C(5月1日・シャティン)と凱旋門賞(10月2日・ロンシャン)の参戦に「行けるところまで行きます」と明言した。競馬に国境はない。日の丸を背負い、世界の強豪たちに立ち向かっていく。」 ーースポーツナビよりーー

 こういう明るいニュースもある。原発の絶望的なニュースだけじゃない!ヴィクトワールピサが優勝。競馬から各スポーツの活躍を期待したい。日本を元気にして欲しい。ヴィクトワールピに騎乗したデムーロはイタリア人。今日サッカーでは、私は日本人というザック・ジャパンとピクシー率いるJリーグ選抜のチャリティーマッチが行われる。


 3月30日(水) 晴夜小雨 30604

 日本にいながら、納豆の食えない日々が続いたが、ようやくスーパーにも出回ってきた。茨城の納豆工場は、稼働し始めているが、しばらくは被災前の20%〜30%くらいしか作れないだろうという。ヨーグルトも温度管理で問題が出ている。計画停電の影響で生産量がガタ落ちで、こちらもスーパーの棚から消えかかっている。そして、昨日か今日からタバコが消えようとしている。JTの工場が稼働しなくなっているからだ。2週間という事らしいが、タバコ屋の訊いたら、ゴールデン・ウィーク明けまで、入荷しないかも知れないという事だった。昨日今日で5カートン買ってきた。それにしても高い、3カートンで1万2千円以上するわけだから。タバコ屋に、去年の10月の値上がりで買いだめなどで、客足が遠のき、ようやく戻りかけてきたときに震災の影響でこういう事になり、ガックリ来ているらしい。


 3月31日(木) 晴 5079

 病院に行ってきた。手首の関節部分に突起が出来て、横になって右手で枕にすると手首が痛くなったからだ。レントゲンを撮り医者がいうには、軟骨の所にゼリーのようなモノが溜まっているからだという。何とかいう病名をいったが、なじみがないので忘れた。太い注射針を患部に刺して抜き取った。取ったモノを見せて貰ったが、本当に透明なゼリー状のモノだった。こんなモノが何故体の中に出来るのか不思議だ。

 原発の進捗状況は、大きな動きがあった。フランスの核燃料会社アレバのアンヌ・ロベルジョン社長が専門家5人と来日対応について、政府、東電、米軍などと情報交換をしている。フランスのサルコジ大統領も来日して菅首相と会談した。対応を協議して、G8の冒頭で原発の国際的な安全基準について協議することで一致した。


 4月1日(金) 晴 6940

 昨日現在、死者は1万人以上になり、行方不明と合わせて2万7千とも8千ともいわれているが、行方不明は、警察に届けられたもので、一家全員が津波に飲み込まれたりして届け出がない人たちが多数含まれている。その数を合わせると4万人を超えるだろうといわれている。5万に行くかも知れない。消防・自衛隊はがれきの回収作業などで遺体回収をしているが、辛い現実に精神的におかしくなる隊員が増えているという。被災者の精神的なケアも重要だし、こういう人たちのケアも重要なもんだになっているようだ。避難所では、泣きたくても人の目があって泣けない人が精神的に思いを溜めて苦しんでいるようだ。医者のケアも始まっているが、未だ不十分な所が多いようだ。フランスは、汚染された水処置、ロボットの提供などを申し出ている。アメリカも特殊部隊の派遣など強力な支援体制を打ち出している。

 岩手県は、ボランティアの受け入れ態勢が整っていない。県内ボランティアが中心になって活動をしているという。早く受け入れて欲しい。宮城県の方は県外ボランティアを多数受け入れている。この状態が続けば、岩手ではなく、宮城の方へ行った方が良いかとも考える。


 4月2日(土) 曇風強し 63864

 原発の海水を取り込む所の近くのピットに亀裂が見つかり、そこから高い濃度の放射能を含んだ水が海に流れ出しているのが発見された。福島の原発は先の見えない長期戦になっている。収束まで1年以上かかるだろう。放射能の問題も含めると5年10年の単位で時間がかかりそうだ。

 サン・イシドロの非公式のカルテルが完成した。それを観ると予約を入れている飛行機の通りで行くとなると、カステージャは3回出場する内1度も観ることが出来ない。タラバンテのペレラも観れない。ほとんど意味のないサン・イシドロになってしまう。このままだとサン・イシドロ域は取りやめにするかも知れない。あとはホセ・トマスのカルテルが入ってくるまで待って決めよう。


 4月3日(日) 曇 4321

 民主党と自民党は水面下で大連立を画策しているという。「平時の菅は使えないが、有事の菅はもっと使えない」というのは、両党の中で密かにささやかれているという。災害の対応、原発の対応どちらをとっても、非道いモノだ。個人的には、菅直人に首相になって欲しかったが、今までの政権運営についても、大震災でのやり方を観ても、ハッキリ言って駄目出しをしたい。こういう事になったからには、政治家が大きな決断をして、復興に向けて動かなければならない。首をすえ代えて、自民党の谷垣総裁が良いとか、色々な噂が出ているようだ。その中で、クリーンで仕事が出来ない政治家ではなく、本当に仕事が出来る政治家を求めることが大きくなっているという。

 そして、小沢一郎待望論が、両党の中で期待する声が持ち上がっているという。週刊誌では、関東大震災後、東京の復興尽力した、岩手県水沢市出身の後藤新平に、小沢一郎がなれるのかという、事を書いているところがある。本当にそういうことが出来るのなら、小沢一郎がやればいいと思う。被災地岩手の奥州市(旧水沢市)出身で大船渡、陸前高田は、中選挙区時代選挙区だった。東北のために全身全霊心血を注いで、困難が激務をこなすだろうと思う。

 NPO、NGOの団体や、個人の被災地支援が続いている。県外だけでなく、県内ボランティアの活躍も続いている。被災した各地では、自衛隊、消防、米軍、を中心になって遺体の回収作業が続いている。行政も寝ずの仕事が続いている。


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