断腸亭日常日記 2010年 その20

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年のスペイン滞在日記です。

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 11月14日(日) 曇 43234/2

 横山典弘騎手が昨日復帰して、パドックからは声援が飛んだという。初日2レースに騎乗したが、斜行して2着から10着へ降着。4日間の騎乗停止になった。それを知ったのは今日の午前中。今日は赤松賞を観に東京競馬場へ行ってきた。ダンスインザムードの初子、ダンスファンタジアの2戦目である。鞍上は横山典弘。どういう勝ち方をするか注目した。レースは好スタートから2番手をキープ。そのまま直線にはいると坂下で持ったままで先頭に並びかけた。他の馬は追い出している。ムチを入れている馬もいる。あとはどうやって抜け出すかだけだ。坂上で徐々に手綱が動き出すとハミがけでリズムを変えてると馬にエンジンがかかる。ムチを1発も入れることなく2馬身半の楽勝。モノが違う。おそらく次は、GT阪神ジュベナイルフィリーズになるだろう。去年のアパパネと同じ路線だ。誰が乗っても勝てただろうが、こういう風に綺麗に美しく、そして、負荷をかけずに楽に勝てるようにしたのが、横山典弘である。だからこそ2歳牝馬チャンピオン戦が楽しみになった。

 そして、今日のGTエリザベス女王杯。京都競馬場で行われた。
 「■レース展開・総括
 スタートは全馬ほぼ互角。5番アパパネが好スタートを切り、内から2番セラフィックロンプがそれを制して前へ。それから8番ブライティアパルスが出て行き、17番リトルアマポーラも今日は積極策。4番テイエムプリキュアはジワリと前に出て行った。結局、1コーナーを先頭で入ったのはテイエムプリキュア。やや掛かりながらセラフィックロンプの内を抜けて半馬身ほどのリード。2番手にセラフィックロンプ。1馬身差の3番手のブライティアパルス。3馬身離れてリトルアマポーラ、1馬身差の単独5番手にアパパネ。直後に6番スノーフェアリー。その後ろはかたまって1番コロンバスサークル、12番アニメイトバイオ、16番アーヴェイ。それから9番メイショウベルーガ、内に7番サンテミリオン。後方集団には10番ヒカルアマランサス、3番レジネッタ、15番ムードインディゴ。1馬身離れて14番アースシンボル、18番シングライクバード、最後方に13番サンレイジャスパー。

 テイエムプリキュアは向正面に入りリードを広げて8馬身以上の差。2番手にセラフィックロンプ、差がなくブライティアパルス。そこから後続集団は4馬身以上離れており、昨年を彷彿させるような各馬の隊列となった。しかし、前半1000m通過は60秒1。ペース自体は昨年より0.4秒速く、淀みのない流れとなった。

 3コーナーを過ぎてもテイエムプリキュアの軽快な逃げは続き、2番手セラフィックロンプも勢いよく坂を下る。4番手にコロンバスサークルが上がり、同馬に外から併せる形でリトルアマポーラ。それからアパパネ、スノーフェアリーのジョッキーの手が動き、4コーナーへ。3馬身差でメイショウベルーガもスパートを開始した。
テイエムプリキュアは最後の直線で馬場の4分どころ。コロンバスサークルは内、アパパネは外へ行くなど、後続集団は横に大きく広がっての追い比べとなった。そんな中、アパパネをピッタリとマークしていたスノーフェアリーが、アパパネとは逆に内へ進路を取ると、凄い瞬発力で一気に突き抜けた。残り200mで早くも先頭に立ち、あとは独走。メイショウベルーガが大外から上がり34秒4の脚で追い込み2着に上がるも、完全に勝負はあり。スノーフェアリーが楽々と4馬身突き抜けた。3着は接戦。リトルアマポーラとアパパネが並んでゴールしたが、わずかにハナ差だけアパパネが出ていた。

 スノーフェアリーは今年の英愛オークスを制するなど実績は十分だったが、長距離輸送を経て初の日本の馬場ということで当然課題はあった。が、そんな懸念を吹き飛ばす圧倒的なパフォーマンス。追われてからの推進力が素晴らしく、メイショウベルーガを上回るメンバー中最速の上がり34秒0を叩きだして豪快に突き抜けた。完璧なレース運びではあったが、このメンバーでは格が一枚違った印象。出走を予定している再来週のジャパンカップにも出てくるようであれば、大きな注目となるだろう。

 2着のメイショウベルーガはしっかり末脚を伸ばして力を出し切ったが、4馬身差をつけられては完敗と言わざるを得ない。相手が強かった。3冠馬アパパネは序盤掛かり気味なのはよくあること。勝負どころの反応がひと息の上、スノーフェアリー、メイショウベルーガとの追い比べで完全に見劣った。激戦続きの疲労があったのかもしれない。3着を死守したことがせめてもの意地だった。」 ーーJRA-VANよりーー

 最後の直線で内から1頭だけ次元が違う脚の馬が抜け出そうとしているのを観て物凄い脚だと感心してこの馬が勝だろうと確信した。それが、イギリスのスノーフェアリーだった。英オークスと愛オークスを連勝したヨーロッパの1流牝馬。勝ったとき57キロという重い斤量を背負っていたが、日本のスピード競馬に付いてこれるのか不安があったがあっさり力の違いを見せつけた。この馬がこのままJCに出走する予定だ。今年のJCは凄い外国馬が一杯来る。それを迎え撃つブエナビスタなどの日本勢。今から楽しみになってきた。エリザベスは馬券を外したが、東京のメイン、武蔵野ステークスは、ばっちり58.2倍をゲット。勝ったグロリアスノアは、根岸ステークスの強さを思い出したように素晴らしかった。地方競馬騎手の戸崎圭騎手が素晴らしい騎乗をした。2着ダノンカモン。こういう風に良い運を引くと気分が良い。携帯の交換用充電池を忘れてきたのに気付いたのが競馬場に着いてから。最後の京都12レースの予想をして買い目を入れたデータを送信した後にバッテリーが上がった。4頭の馬連のボックス買い。これが1着から4着を独占したのだからさらに気分が良かった。しかも馬 券は人気の薄い方が着たから配当も、17.7倍と思いの外付いた。

 東京競馬場の中にある木々は色づき始めていた。赤や黄色の葉っぱを観ながら府中の街を歩いた。神社では出店が出て人が大勢いた。着物を着た女の子とがいる。今日は七五三なのだろうか?秋の気配を一杯感じながら良い気分で帰路についた。


 11月15日(月) 曇夜雨 13911

 TVで伊香保温泉の紅葉の模様をやっていて、観に来た観光客が、「言葉にならないような綺麗さで、感激しました」と、言っていた。紅葉といえば、今まで観た中で1番印象に残っているのは、酸ヶ湯温泉の裏にある山の辺りの紅葉。観に来ていた老夫婦が、死ぬ前に観れて良かったと、語っていた言葉を思い出すくらい鮮やかな風景だった。最近そういう紅葉を観ていなかったが、今年は観れる。それが楽しみだ。計画実行中。

 昨日の競馬の話。今日のサンスポで、柴田政人は、次元の違う脚と絶賛した。JCに出走してくるようだと人気になるだろう。競馬場での隣にいた人たちの会話。3連単取った!アパパネが3着に残って良かった。これで万馬券だから久々に10万手にする。だって。おめでとう。こういうの買えそうで買えない馬券だ。一方、9レースの赤松賞。がースゲェなぁー。モノが違いすぎる。これでジュベナイルフィリーズは、レーヴドリアンの妹との1点だな!とつぶやいている人がいた。普通に考えればそういう結論になる。

 白鳳の連勝記録は63でストップした。止めたのは稀勢の里。白鳳は取り組み後、心のスキ、勝ちに行ったと語った。
「◇白鵬との一問一答
 −−率直な気持ちは。
 「もうちょっと行きたかったなあ」という気持ち。
 −−張り差しは効かなかったようだが。
 相撲の流れで、少しスキがあった。
 −−連勝中と違いはあったか。
 途中から慌てたところがあった。勝ちに行った。
 −−「スキ」とは。
 今まで63の白星があった。もう一つ伸ばしてやる、そういうところにスキがあった。
 −−双葉山の69連勝に届かなかったが。
 改めて思うのは(自分の力は)こんなもんじゃないかなと。今日一日、ゆっくり考える。まだ13日あるから(切り替えは)大丈夫。
 −−土俵を落ちた時に思ったことは。
 これが負けか(と思った)。」 ーー毎日新聞よりーー

 勝負とは、厳しいものである。記録は破られるためにあるとはいうが、それを破ることは、並大抵のことではないのだ。負けたと聞いて正直に言えば僕は嬉しかった。


 11月17日(水) 曇のち雨 40174/2

 昨日は寒かった。朝夕が冬のようだった。旅行まで1週間になった。色々連絡して準備を進めている。

 来年のセビージャの闘牛にホセ・トマスが出場するかも知れない。興行主側はヌニェス・デル・クビジョ牧場の牛を出してホセ・トマスを呼ぼうとしているようだ。


 11月18日(木) 曇 29885

 ボブ・ディランのCDが2つ届いた。『ザ・ブートレッグ・シリーズ第9集:ザ・ウィットマーク・デモ 』3780円と、『ボブ・ディラン・モノ・ボックス』18900円である。『ボブ・ディラン・モノ・ボックス』はファースト・アルバムの『ボブ・ディラン』から8枚目の『ジョン・ウェズリー・ハーディング』までのモノラル録音版で紙ジャケット(アメリカ発売オリジナル?)でばら売りなし。ビートルズのモノラルBOXがファンを熱狂させたように、続くのはボブ・ディランのこのボックス。ファンとしてはお約束として購入した。届いたばかりでまだ聴いていない。今かけているのは、『ザ・ブートレッグ・シリーズ第9集:ザ・ウィットマーク・デモ』。ディランがここから始まったというようなデモ・テープ集。「62年から64年までの音楽出版社のために録音していた音源を中心に音楽史上重要な不滅の名曲として存在し続ける多くの楽曲―「風に吹かれて」「はげしい雨が降る」「ミスター・タンブリン・マン」「時代は変る」他―の出発点。」 ーーAmazonよりーー

 曲中、咳が聞こえたり、音が消えかかっている所があったりするのがデモ・テープ的である。やたらうるさくなる音楽。そんな中で植村花菜(かな)『トイレの神様』が受けるのだろう。ディランの初期の音楽は4作目まで生ギターで、5作目の『ブリギング・イット・オール・バッグ・ホーム』からフォーク・ロックで、8作目がカントリーの本場ナッシュビルでの録音という風に変わっている。この変遷をボックスで聴けるのだ。

 来週の準備とDVDの作成もしなければならない。


 11月20日(土) 曇 32050/2

 旅行準備は進んでいる。ホテルの予約状況を見て値段を観て直前になって変更してホテルを確保した。大分安くなった。始めに予約を入れた頃は、開いているホテルがなくて、ある中で安いものを予約したが、直前になっておそらくキャンセルが入って部屋に空きが出たホテルがweb上に載せたのだろうと思う。だから安くて使えそうなホテルが一気に増えた。スペイン旅行の時もこういう事は良くあること。その経験がいきた形である。


 11月22日(月) 晴 51710/2

 昨日の競馬は難解なレースでとてもお金を沢山入れるようなレースではなかった。勝ったのも予想外のエイシンフォワード。先週と同じく内から直線抜け出しての勝利。外が伸びると聞いていたが、実際外から伸びてきてはいるが届かなかった。競馬のことは今週のJCに期待したい。夕方、六本木ヒルズに行ってボブ・ディランの絵画展を観てきた。そんなにインパクトがある絵ではなかったが、ファンとしては行ったという事実が大事だ。帰りにヒルズ内にある毛利庭園の池の中にある照明のオブジェが綺麗だったので携帯で写真を撮ってきた。

 明日から3日間京都に行ってくる。


 11月24日(水) 晴 55281/2 京都のホテルにて

 昨日京都に着いた。ISOさんが出迎えてくれた。ホテルから街中を歩き黒谷さんへ。紅葉が綺麗だった。京都の街を見下ろせる場所に会津藩が見廻り組を組織して新撰組などを使って治安を維持するよう幕府から命令で本拠地を置いたのは、戦略的に良く地形を考えた結果だろうと思った。中にある多くの墓は、見応えがあった。江戸時代からある風化して字が読めなくなった墓も多くあった。それと会津藩の本拠地であったこの地に平成になって作られた記念碑のようなものがあったが、そこには、おそらく、会津関係の人たちが今でもお参りに来ていた。謎の知識人にも話しかけられた。ISOさんは、東北人って100年以上前の事を忘れない。と感激していた。ヒョとしたら山口組と抗争をした会津小鉄の人たちも来ているのかも知れない。近くには会津高校舞剣部や福島県知事などの名前が入った卒塔婆などもあった。

 隣にある、真如寺の楓の紅と銀杏の黄色、そして緑のコントラストが感動的だった。京都は街中で紅葉が観れる素晴らしい街だ。おそらく日本でこういうところは珍しいのだろう。携帯で写真を一杯撮ったが、やっぱり一眼レフで撮った方が良い写真が撮れる。こんなに、素晴らしい紅葉を観れるならまた来年も来たいものだ。今日は、MEGUさんが来る。中村さんとも合流して銀閣寺から哲学の道を通って南禅寺へ行く。


 11月25日(木) 晴 19691 京都のホテルにて

 昨日は、市役所前広場で中村さんと待ち合わせ。デジタルビデオカメラのテープを買いに電気街へよってホテルを代えた。それから中村さんと一保堂へ行く。そこで出された茶に驚く。ドロッとした線香のような深い緑色のお茶。香りが良い。苦いとか渋いとかそういう感じはしなかったが、今まで飲んだことがないお茶だった。飲み終わると、それにお湯を足して茶筅で抹茶を作ってくれる。2種類の和菓子を2人で半分ずつ分けて口に運びながらお茶を飲む。手術した話や術後の話を訊いた。僕が手術をした頃は、開腹手術だったが、今は、王貞治が胃を取った手術のように4ヶ所に穴を開けての摘出手術をするのだという。術後は体調が優れないこともあるらしく非道いときは座っているのも辛いときもあるという。一方、術後には、髪の毛の艶が良くなり櫛の通りが凄く良くなったし、食後に胃が苦しいような状態がいつもあったのがなくなったという。同じ手術をしたことがある人は、3ヶ月くらいたつと体調が戻るのだそうだ。

 僕がやった開腹手術と違って今の手術は違うし、それぞれの体の個体差と症状の差によっても、術後の体調などには差異が生じる。中村さんからスペイン旅行の時のホセ・トマスなどの写真データをUSBで貰う。その後、玄米茶を急須に入れて熱湯を20秒入れて飲み、2回目からはお湯を入れて直ぐに湯飲み茶碗に入れる。1回目と2回目以降は当然味が変わる。1回目は上品な味だが、2回目以降は渋みなどの味わいが深くなるような気がした。急須も滑川焼きの素晴らしいものだった。それから京都に到着したMEGUさんと迎えに行ったISOさんと合流。中村さんは病院へ行くので挨拶をして別れた。タクシーで銀閣寺へ。紅葉の中にある白砂の庭と銀閣寺。向月台の盛砂の意味のなさが凄い。銀閣寺のわびと白砂と向月台のいつでも新しく作り直す事が出来るものが同居している風景が紅葉の中でよりいっそう映える。銀閣寺を入って直ぐの生け垣があって銀閣寺を観るそのドラマツルギーも素晴らしいと思った。

 銀閣寺向かいの山を登って見下ろす銀閣寺もまた良い。特に山の紅葉の色の鮮やかさと、わびの世界の銀閣寺が日本人の心に浸みるのだろう。外国人の目にはどういう風に写るのか?ドナルド・キーンのような人には、解る世界も一般の外国人にはどういう風に写るのか。そんなことも考えた。大満足の銀閣寺。それから西田幾多郎が歩いた哲学の道を歩きながら南禅寺に向かう。途中で昼食を取る。MEGUさんは昨日行った真如寺の紅葉が観たかったらしいが、銀閣寺を観てやっぱり来て良かった言っていた。ISOさんは、久しぶりに来た銀閣寺に以前観た印象が変わったようだ。紅葉の時期というのも大きいようだが、時間が経過した自身の内面の成長や変化もそういう気持ちになったのだろう。

 南禅寺では、紅葉と水路閣を観た。上に登って今でも使われている水道を上流にずっと歩いていって、琵琶湖からひいているダムのような所まで行った。こんな所はISOさんが案内してくれなかったら観れなかったところだ。工事用に使っていたレールを観てそこを降りて地下鉄の駅に行った。東山で降りて長楽寺に向かって歩く。知恩寺、円山公園、を通り長楽寺へ。建礼門院のゆかりの地らしい。また、頼山陽の墓や幕末の水戸藩士の墓があった。拝観所にある庭園がISOさんの好みで、そこでくつろぐ。寂れた庭に、紅葉の色が何とも味があった。MEGUさんのデジカメで庭を撮る。

 それから八坂神社を通って祇園、四条大橋、錦市場を通りホテルに戻りチェックインして夕食へ。とにかく良く歩いた。そして、湯葉と生麩を食べに行った。ホテルから近い所だったが、出てくる料理はでれも美味しかった。生麩より湯葉の方が美味しかった。中でも豆乳で煮た豚肉の角煮が美味しかった。豆乳で煮ると臭味もなく脂ぽっくもなくなって素晴らしい。今まで食べた角煮の中でも最上位にランクするものだと思った。それと漬け物の盛り合わせを頼んだが、絶品だったのが長芋の漬け物。始めて食べたが長芋にわさびがピリリと効いて驚く味。メニューになかったが、長芋の漬け物だけを注文したら、出来るかどうか訊いてみると。戻ってきたら出来るという許可が出たという。あっという間になくなる。錦市場で売っているいるというので、MEGUさんとこれを買って帰る事に決めた。京都満喫の旅の最後は、念願の龍安寺の石庭。枯山水の極致を観るのだ。

 ボブ・ディランが1時間以上たたずんだ石庭。何かあったときに観に来ようと思っていた場所。丁度、1年前の今日、漠然と闘牛の会を辞めようと思った。その記念にもなる。ああいう嫌な事は龍安寺の石庭を観て浄化させたい。人間関係がズタズタになり人を信じられなくなって、それでも、良い人間関係を続けれる人たちを、大事にしていきたいと思う。僕がやってきたことを全否定した人とは交われない。今考えるとあの時、あの人たちにはそういうつもりがなかったのかも知れないが、僕にとっては強くそう感じた。だから、辞めようと思った。あばよと言って、違う道を進んでいこう。そういい意味での整理の旅でもある。そこに、MEGUさんやISOさんや中村さんがいたのは必然でもあるのだ。夜には、新幹線で東京に戻る。そして、普段の生活に戻るのだ。


 11月26日(金) 晴 19605 東京にて

 昨日は、6時過ぎに起きてシャワーを浴びて準備を整えつつあったとき、MEGUさんから電話。チャック・アウトして荷物だけ預けていった方が良いのではないかという提案。同意してそういう方向で準備をすませて、7時過ぎに朝食を取るために1階に降りてチェック・アウトして荷物を預けた。レストランでは、MEGUさんが窓際ですでに朝食を取り始めていた。もうチェック・アウトして荷物を預けたという。ご飯に納豆、みそ汁、漬け物、のり、おからなど他は何を食べたか忘れたが、朝食から大分お腹に詰まった。7時半過ぎにISOさんがやってきて、タクシーを呼んで龍安寺へ向かう。車内で石庭の15の石の話をした。どこから観ても14の石しか見えないという石庭が作者が解らないという話をしていたら、ISOさんが15全部見えるという話をした。背の高い外人が観ると全部見えるとかと、言うと運転手が笑った。そんな話をしていたら、龍安寺には悟りを開きに行くんですか?とか言った。ISOさんが洒落たことを言ったが笑いの中に消えた。おっと気を付けないと思った。悟りを開きに行くんですか?という突っ込みについてだ。

 公開前の8時前に到着。それでも切符は売ってくれたので、歩いて石庭入り口着いたのが5分前。女性が掃除の最中で、もう少し待ってくださいといった。他にもまだ誰も来ていない。少し待つと、どうぞお待たせしましたと言って下足に靴を入れてはいるように言った。上に上がり板間を歩くと、所々に板ぶきした水の後が残っている。それを踏まないように歩くと直ぐ左側に石庭が見えてきた。石庭を見下ろす板間もぞうきんがけの水の後が残る。まずは、石の数を数える。5、2、3、2、3と配置された石がどこにあるのか確認して位置を変えて本当の14個しか石が見えないか観てみるが、どうやら14個しか見えないのではないかと思える。8時過ぎから殆ど5分くらいは3人で独占状態。朝早く来たのは大正解。

 それから徐々に人が増えてきて8時半には団体客が来て一気にうるさくなった。ガイドの話に余計うるささを感じた。じゃまだ。外国人のカップルが無言で別々の場所で観ている。それから隣に座ったが、殆ど言葉を交わさない。男はじっと見ていたり、目をつぶってじっと考え事をしている。何を考えているのか興味があるとISOさんが言っていた。ISOさんが板間の一ヶ所に15個見える所があることを教えてくれる。確かにその辺の辺りでは15個の石が見える。隠れて見えない石は、入り口から石に番号を付けると2番目の石と15番目の石のどちらかが見えないので、その石が僅かだが両方見える場所が全部の石が見える場所になる。その場所は、入り口側から奥に柱が立っているが、奥から2つ目の柱の辺りである。それと気付いたが1番奥の柱?(壁?)の辺りでも15個見える場所があった。

 この石庭に来て1番良い過ごし方は、ボーとして過ごす事、何かを感じ何かを考えることだろう。ISOさんが言うように知識で観ては、この枯山水を感じることが出来ないような気がする。そう、あの外国人男性のように。約1時間石庭にいて考えた。それから、石庭が人気になる以前、鏡容池を観る。ここも良いところだ。紅葉も良いし池には鴨などの鳥がいる。紅葉が有名な所じゃないのに綺麗だ。京都の庭職人は凄い。長い間、素晴らしい紅葉を見せるように木々を少しずつ手入れしてしてきたのだろう。何度も書くが、街中で今回行った寺は全て素晴らしい紅葉が観れた。東京の庭職人とは、レベルが違うだろう。伝統もあるし、気候や木の性質も良く理解しているのだろう。

 これからどうするか?1番近いのが金閣寺なのでそこに行くことにした。40年前、小説『金閣寺』を書いた三島由紀夫は、自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した日である。考えみれば、そういう日に金閣寺を見に行くというのも、それだけで印象に残ることだ。金閣寺は、小学生でも解る派手な建物。修学旅行に来ている子供たちの目が輝いている。外国人も昂揚している。エンターテイメント的な金閣寺。成金趣味な秀吉好みな建物だ。だけど金閣寺を観て、龍安寺や銀閣寺が、コントラストによって引き立つような気がした。入り口前でタバコを吸ったりして一休み。龍安寺は非常に良かった。贅沢を言えば、石庭でタバコを吸いたかった。そうすれば、完璧だった。

 それからバスで、烏丸今出川まで行く。左が同志社大学。旧薩摩藩邸。右に京都御所。御所の目の前に、薩摩藩邸があるというのに驚いた。御所の中を歩く。砂利道に自転車が通る細い道が出来ている。昔、修学旅行で来たときにもあったので、もう何十年も京都で生活する人たちの自転車道が続いているのだと感じた。ただ、昔に比べると道の幅が狭くなったような気がする。河原町通にある、みつばちという甘味屋に入る。美人の姉妹がやっている店。そこであんみつの豆と寒天が入ったものを頼む。始めに豆だけを食べたが、豆の味がちゃんとして美味しい。寒天もしっかりしている。豆は、北海道。天草は九州。しっかり作っているもの。MEGUさんの頼んだ、ぜんざいを少し貰ったが、小豆の香り強く味がしっかりしていた。こんな小豆は東京の甘味屋では食えないと思う。京都は、しっかりした仕事をして値段もそれなりのものが、ちゃんと残っている。こうやって当たり前に良いものがあるというのが、京都の良さを感じた。

 それから錦市場へ行って買い物。漬物屋を何軒か試食したがやっぱり24日の夜に食べた長芋のわさび味にはかなわない。打田漬物店でそれを買う。試食していたら、スイカの奈良漬が絶品だったのでこれも買う。他には三京水産で、焼きえびを買う。このまま食べて酒のつまみにもなるし、炒め物に入れても良いし、煮物での良いと言っていた。すっと、昼食を食べようと探していたが、途中の店で予約は行っているので20分くらいで終わるならといわれたが、それは無理。結局ホテル向の店にしようとしたが、14時までだったので、駅に行って食べることにして、預けていた荷物を取り駅に行って遅い昼食とビールを飲む。3日間歩き続けて疲れたが、非常に良い旅だった。昨日は東京に戻ってISOさんに直ぐにお礼のメールを出した。


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