断腸亭日常日記 2010年 その12

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年のスペイン滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日
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 7月12日(月) 曇 11687

 スペインが、延長後半イニエスタのゴールで先制してワールド・カップ初優勝をした!!!おめでとう!!!凄く嬉しい。テレマドリードの中継を観ているとシベレス広場やプエルタ・デル・ソルは人で溢れかえって大騒ぎをしている。GKのカシージャスの出身地モストレスも盛り上がっているようだし、バルセロナも人で溢れかえっている。まさに熱狂だ。タコ予想は100%だった。

 「◇とても幸せ
 スペイン・デルボスケ監督 素晴らしい選手たちを持った。満足しているし、とても幸せだ。優勝だけを考えてやってきた。たくさんの人にこの勝利を届けたい。
◇勝つべくして勝った
 イニエスタ(スペイン) 言葉がない。この勝利は多くの困難を乗り越えてきたご褒美だ。僕たちは勝つべくして勝った。帰ったら家族や友人とゆっくり過ごしたい。」

 「シニアレベルで初の世界王者に輝いたスペインは、ユース年代では近年、世界トップの実績を残し続けていた。 他の追随を許さないパスサッカーの中心となったシャビは、決勝で日本に圧勝した1999年世界ユース選手権(現20歳以下W杯)の優勝メンバー。決勝で殊勲のゴールを奪ったイニエスタも2003年大会で準優勝を経験した。90年以降、17歳以下W杯で準優勝3度、23歳以下の五輪も92年で金メダル、00年は銀メダルを獲得していた。 これだけの結果が、「世界王者」として実を結ぶまで時間がかかった背景に、育成の財産を生かす機会が制限されていたことが指摘されている。最たる理由が、名門レアル・マドリード。世界的なスター選手をかき集めた「銀河系軍団」づくりに執着し、所属選手が5人いる今回の代表メンバーも、下部育ちは2人だけだ。

 正反対の哲学を持っていたのがバルセロナだった。メッシ(アルゼンチン)も輩出した下部組織で育ったシャビやイニエスタらが主力に成長する道がしっかり敷かれ、クラブの生え抜きのスターだったグアルディオラが08年に監督に就任すると、若手のピケやブスケツ、ペドロらを積極的に引き上げ、短期間で代表チームにも欠かせない戦力へと成長した。 スペインの成功は、バルセロナ流の美しいパスサッカーに光を当てるとともに、若い選手を自らの手で大事に育て上げるという、世界に共通した重要なテーマを浮かび上がらせた。ちなみに今のバルセロナの礎を築いたのはオランダ人の名手クライフ。その意味で、決勝を争ったのはサッカーの原点を大切にしてきた両国の争いでもあった。」 ーー時事通信よりーー

 「2010年ワールドカップ(W杯)・南アフリカ大会のMVPに当たるアディダス・ゴールデンボール賞が発表され、ウルグアイのFWフォルランが選出された。フォルランは5得点を挙げて、ウルグアイの4位に貢献した。シルバーボール賞はオランダのスナイデル、ブロンズボール賞にはビジャが輝いた。 得点ランキングは5得点でフォルラン、スナイデル、ビジャにドイツのミュラーが並んだが、アシスト数を考慮されてミュラーが得点王に贈られるアディダス・ゴールデンブーツ賞に選ばれた。ミュラーは最優秀若手選手に送られるヒュンダイ・ベストヤングプレーヤー賞との2冠を達成。以下、出場時間数が少ない順に、ビジャがシルバーブーツ賞、スナイデルがブロンズブーツ賞となった。 また、最優秀GKのアディダス・ゴールデングローブ賞はスペインのカシージャスが選ばれた。」 ーースポーツナビよりーー

 選挙は、民主党惨敗!!!54議席どころか44議席にとどまり、自民党は51議席で躍進、みんなの党も10議席を取って大躍進。ねじれ国会になった。


 7月13日(火) 曇/雨 45337

 スペイン代表はマドリードに凱旋した。「サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で初優勝したスペイン代表が12日、マドリード中心部を凱旋パレードした。国営放送RTVEは「少なくとも100万人」がW杯覇者を祝福するために集まったと報じた。 選手らは屋根を取り払った2階建てバスに乗り、優勝トロフィーを掲げながら8キロにわたりパレード。赤と黄のスペイン国旗を振る群衆は「チャンピオン、チャンピオン」と叫び、街は歓喜一色に包まれた。 パレードに先立ち選手らは、国王のフアン・カルロス1世やサパテロ首相と面会。国王からは「スペインおよびスペイン国民の名において、チャンピオンたちにお礼を述べる」とねぎらいの言葉をかけられた。」 ーー産経新聞よりーー

沿道には100万人以上が出迎えて熱狂した。マドリードの人口は約350万人。約1/3がパレードなどを観たことになる。川沿いに仮説のステージの上でリバプールで活躍するゴール・キーパーのペペ・レイナがマイクを握りしめて各選手を紹介、みんなで名前の合唱をした。その中で、セスク・ファブレガスの時に、プジョルとピケが嫌がるセスクに無理矢理バルセロナのユニホームをかぶせた。アーセナルからバルセロナに来て貰いたいのだろうかと思ってしまった。もっとも、セスクはバルセロナのカンテラ出身だからそういうことをしたのかもしれない。


 「表彰式でメダルを受け取った審判団に、オランダファンで埋め尽くされたスタンドからブーイングが浴びせられた。大会の最後を飾る決勝で、またも誤審があった。 問題のシーンは延長後半10分。オランダのFKでMFスナイダーがけったボールは相手の壁に当たり、ゴールラインを割った。しかし、英国人のウェブ主審はスペインのゴールキックの判定。1分後にMFイニエスタの決勝ゴールが生まれた。 収まらないのはオランダ側だ。「CKだったのは明らか。スポーツの恥だ」とスナイダー。 ファンマルウェイク監督も「8万4490人の観客が見ていたのに、審判だけは見ていなかったようだ」と皮肉を浴びせた。 試合は序盤から激しいぶつかりあいとなった。微妙な判定も多く、最終的な反則数は両チーム合わせて実に47。カード数は今大会断トツの14枚で、歴代の決勝でも最も多かった。カードの乱発が互いをヒートアップさせた感は否めない。 「審判が試合をうまくコントロールしたとは思えない」とファンマルウェイク監督。後味の悪い決勝となってしまった。」 ーー産経新聞よりーー

 「オランダは11日、延長戦の末スペインに0─1で敗れた。ベルト・ファンマルウェイク監督は、試合後「たとえ美しいサッカーでなくても、本当にこの試合に勝ちたかった」と語った。 決勝戦は、計14枚がイエローカードが出され、オランダ側に退場者1人が出る荒れた展開となった。このほか、オランダのMFマルク・ファンボメルとナイジェル・デヨングも相手選手に危険なタックルを見舞い、退場になってもおかしくなかった。 ファンマルウェイク監督はこうした試合内容に関し、美しいサッカーがオランダの理想だとした上で、「われわれは多くのファウルを犯したが、それは相手も同じだ。決勝戦としては残念な試合だったかもしれない」と振り返った。」 ーーロイターよりーー

 ロッペンもプジョルを退場にすべきだといっているが、敗者の醜い言葉だ。試合前半に28分にデヨングがシャビ・アロンソの胸に蹴りを入れたのは明らかなレッドカードだった。そういうものを棚に上げてオランダ人が言っている言葉。くだらない。クライフは、今回オランダを非難している。ヨーロッパ選手権の時は褒めていた。あのときは頭がおかしいと思った。圧倒的にジダンのヨーロッパ選手権評の方が正しかったが、今回は、素晴らしいことをいっている。

「クライフ氏が母国代表を非難「オランダは醜く低俗だった」
 元オランダ代表のヨハン・クライフ氏は、スペイン紙『エル・ペリオディコ』の自身のコラム内で、ワールドカップ(W杯)・南アフリカ大会で準優勝に終わった母国代表について、延長の末にスペインに0-1で敗れた決勝での戦いぶりを厳しく非難した。 「決勝は、美しいプレーを消すことが唯一の対抗手段と考えるチームと、優勝候補との一戦となってしまった。オランダのスタイルは醜く低俗だった。スペインを動揺させるために、スペースを完全につぶして厳しい当たりを見せただけで、これといった見どころのない内容に終始した。スペインは最初の20分間は素晴らしかったものの、相手の汚いプレーがあまりにも多かったために、自分たちのサッカーをさせてもらえなかった。この状況が続いたことにより、試合終盤までスコアが動かなかった」

 一方、「スペインの勝利は妥当」と評したクライフ氏は、度重なる負傷を経て迎えた決勝の大舞台でチームを優勝に導くゴールを挙げたアンドレス・イニエスタや、同選手を含め多くのメンバーが代表のスタメンに名を連ねるバルセロナのサッカーを賞賛した。 「勝利にふさわしい方がW杯を制覇した。スペインは栄光を手にした。イニエスタがゴールを決め、バルセロナのスタイルがタイトルをもたらした」 クライフ氏はまた、決勝で笛を吹いたハワード・ウェブ主審に対する個人的な意見は控えたものの、同試合ではオランダの複数の選手が退場処分を受けてもおかしくなかったとの見解を示し、ルールにのっとった判定を遵守するよう求めた。 「W杯の決勝には、その舞台にふさわしいジャッジが行われなければならない。とりわけ、勇気を持って判定を下せる審判が必要だ」 」 ーースポーツナビよりーー

 クライフも言っているように、スペインの優勝はそれにふさわしいものだ。オランダが勝っていたら…いやそういうことはあり得なかったが、スナイデルとロッペン頼みの個人技に最終的に頼るサッカーではないか。スペインのパス・サッカーは非常に観ている人間を楽しくさせる。サッカーはこうあるべきというものを示す見本の様なサッカーだった。試合後、カシージャスにインタビューしたテレシンコのサラ・カルボネロにキスをした。彼女はカシージャスの恋人。キスの後、サラは、マドレ・ミアと言って、嬉しそうな顔をしていた。

 「延長後半11分に華麗なボレーシュートをゴール左に突き刺すと、ユニホームを脱ぎ去ってインナーシャツ姿に。ホイッスルが鳴り、規定により主審からイエローカードを出されると、素直に従った。シャツには「ダニ・ハルケはいつもわれわれとともに」と記されていた。 「ダニ・ハルケ」ことダニエル・ハルケはエスパニョール時代の昨年8月に26歳の若さで急死した選手。チームでは主将を務め、21歳以下のスペイン代表としても活躍した。バルセロナに所属するイニエスタにとっては同じ土地でしのぎを削り、同世代のライバルであり親友だった。ハルケの訃報を聞いたときは「言葉が出ない。非常にショックを受けている」とコメントを寄せた。 ピッチに立てなかった友の分までW杯にかける思いは強かった。「僕とチームメート全員が強くここにいてほしいと思っている」。イニエスタはあらためてハルケに向けてメッセージを送った。」 ーースポニチよりーー

 セルヒオ・ラモスもセビージャのカンテラ時代の親友でピッチで死んだアントニオ・プエルタのTシャツを着ていたと言う。こういう思いを大事にしているスペイン人を観ているとグッと来る。胸が熱くなる。優勝もそうだし、こういう人間的な所が素晴らしいと思うのだ。

 最後にオシムの言葉。

 「 スカパー!のオフィシャルコメンテーターを務める前日本代表監督のイビチャ・オシム氏(69)が決勝戦について解説。
 優勝したスペインについて「スペインはレアル・マドリードやバルセロナなど常に世界のベスト10に5、6つのクラブが入っている。どういうサッカーがおもしろいかというニーズがある」としながらも、「決勝戦はバルセロナ対世界選抜なると思ったかもしれないが、よいモデルの試合になったとはいえない。でもよく知っているチームメートでやっていけばW杯の決勝戦にいけるんです」と話した。 試合はオランダが9枚、スペインが5枚とイエローカードが飛び交ったが、「オランダはゲームを壊す準備をしていた。戦術的なファウルがあまりにも多かった。美しくなかったことは責めないでほしい」と擁護した。 大会全体については、「今回のW杯ではよい試合、印象に残る試合が少ない大会だった。レフェリーについてFIFA(国際サッカー連盟)はもっと考えないといけない。人間の目の判断に限界があるのなら、テクノロジーの力を借りるべきです」と改めて指摘。

 今後はスペインのサッカーがモデルになるとしたうえで、日本については、「まずはサッカー協会がしかるべき人物に長いスパンで監督を任せるべき。イニエスタやシャビに似ている選手も日本にはいるが、日本人が得意とするコピーをすることがサッカーでは通用しない」と話した。」 ーーizaよりーー


 7月14日(水) 晴 3778

 昨日は、ネットのテレマドリードのスペイン代表凱旋中継の再放送を夜中やっていてそれを観た。ネットの各新聞も観た。ファン・カルロス国王との謁見やサパテロ首相との接見などもネット動画で見ることが出来た。

 「貫いた美しさ、結実=スペイン、真の「無敵艦隊」に
 チームの愛称は「ラ・フリア・ロハ」。その意味は赤い激情だ。積年の悲願を果たしてつかんだ世界一の座。GKカシリャス主将が優勝トロフィーを掲げると、ヨハネスブルクの夜空にスペインの歓喜が燃え盛った。激しく気迫がぶつかり合う戦いで、オランダはスペインの攻撃を止めようと、ファウルも辞さない肉弾戦を挑んできた。体の小さな選手の多いスペインには苦しい時間帯もあった。だが、信念を最後まで貫き通した。
 底力を見せたのが延長戦。後半終盤に投入されたセスクの新鮮な力も得て、パスワークを再加速。素早いボール回しと人の動きで攻撃に厚みと奥行きをつくってオランダを追い詰めた。延長後半早々に突破を図ったイニエスタが引き倒され、相手を1人ピッチから退場で追い出す。流れを引き寄せて延長戦残り4分、セスクのパスを、イニエスタが右から豪快なボレーシュートでたたき込んだ。
 前日、デルボスケ監督は「試合の脚本は一つだ」と言い切った。2年前の欧州選手権。チームは華麗なボール回しで圧倒するパスサッカーを開花させ、頂点に立った。戦い方に特徴がある分、常に厳しい守備を敷かれ、今大会初戦もスイスによもやの敗戦。それでも自信は揺るがなかった。
 攻撃サッカーの一方で、奪われたボールを全員で素早く取り戻すという約束事を忘れることがなかった。7試合で2失点は、4年前に鉄壁の守備が称賛されたイタリアと同じ。自分たちのサッカーをやり遂げた満足感からだろう、オランダの姿勢を問われても指揮官は軽く受け流す。「彼らもベストの戦いをした。だが、美しいサッカーこそ勝利にふさわしかった」。母国は地域ごとの独立意識が高く、代表チームの人気は欧州王者になるまでいま一つだった。かつては皮肉の意味で使われてきた「無敵艦隊」が、情熱の国の誇りになった。」 ーー時事通信よりーー

 「優勝が決まると、スペインの選手はホームの赤色を基調とするユニホームに着替えた。胸のエンブレムの上には優勝を示す星が一つ付いていた。カメラにそれを誇示するように見せる選手たち。スペインサッカーに新たな歴史が刻まれた瞬間だった。 トロフィーの授与が終わってピッチに戻ると、歓喜の輪ができた。バルセロナに所属するシャビとプジョルはスペイン国旗ではなく、カタルーニャ州旗を持って“ウイニングラン”した。地方色の強いスペインならではの光景だった。

 スペインでは世界から多くのスター選手が集うことで人気の高い国内リーグとは裏腹に、代表チームへの関心は低い時代が続いていた。独自の文化を持ち、分離独立の機運の高いカタルーニャ州の州都には名門バルセロナがあり、バスク地方にはバスク人のみの“純血主義”を貫いてきたビルバオというチームがある。代表チームも同様で、かつてレアル・マドリードのラウルとバルセロナのプジョルが一緒に散歩しただけで話題になったこともある。 根深い「地域主義」を変えたのが、優勝した2年前の欧州選手権だった。そして今回も勝ち進むにつれて母国にかつてない一体感をもたらした。デルボスケ監督も「今回の勝利はスポーツ界を超えている。スペインにいるすべての人々がわれわれを応援してくれた。それに報いることができてうれしい」と国民が一体となって声援を送ってくれたことに感謝した。

 今回のチームでは、バルセロナに所属する選手が多数を占めるが、シャビアロンソはバスク地方の出身だし、セルヒオラモスは南部のアンダルシア地方で育った。地方色は依然として残るが、それを乗り越え、国民全員が胸を張って誇れるチームとなった。(北川信行)」 ーー産経新聞よりーー

 ワールド・カップが終わったが、終盤になってスペイン代表がドイツに勝った時点でスペインのパス・サッカーの優勝を確信したが、ネットの記事で面白かったが産経新聞の北川信行の記事である。味のある内容で、良いところを突いていた。決勝ゴールを決めたイニエスタの記事も良かったし、他の記事も良かった。

 「イニエスタが挙げた決勝点にはスペインが志向するパスサッカーの妙技が詰まっていた。途中出場のセスクが中盤でボールを持つと、左のフェルナンドトレスへ。折り返したボールは相手選手に一度はクリアされたが、セスクが再びボールを拾って今度は右からDF裏へ抜け、ペナルティーエリアに入ってきたイニエスタへ。フリーの背番号「6」はトラップしてワンバウンドさせたボールを豪快に相手ゴールにたたき込んだ。 次元が違っていた。ボールが足もとに吸い付いたようなドリブルと創造力あふれるプレーで何度も好機を演出。相手はファウル覚悟で止めるしかなかった。延長後半4分にハイティンハが退場となったプレーもそうだ。

 決定的な得点を決めると、イニエスタは警告覚悟でユニホームを脱いだ。白いシャツには「ダニ・ハルケはいつもわれわれとともに」との文字。昨年8月に急死したスペイン1部リーグ、エスパニョールの主将で親友でもあったダニ・ハルケに捧げるゴールでもあった。 「W杯を獲得した気持ちを言葉で表すのは難しい」。スペインに歓喜のときをもたらした男は試合後、こうはにかみ、穏やかに顔をほころばせた。(北川信行)」

 「120分に及ぶ激闘の終わりを告げる笛が鳴ると、多くの選手がピッチに突っ伏した。最後方でゴールマウスを守り続けた主将のGKカシリャスは人目もはばからず、号泣した。歓喜の輪は大きく広がり、デルボスケ監督は選手に胴上げされた。スペインが悲願の初優勝を成し遂げた。 序盤から持ち味のボール保持で上回りながら、守備意識を前面に出した相手を崩すのに苦労した。「自らのスタイルを出せなかったのは本当だ。90分間苦しんだ」とデルボスケ監督。前半5分にはセルヒオラモスのヘディングが相手GKに阻まれ、後半25分にはビリャのシュートがブロックされた。逆に、カウンターから危ない場面もあったが、これまでも好セーブを続けてきた守護神カシリャスが防いだ。

 互いに得点を奪えないまま延長戦に突入。しかし、スペインはしたたかさでオランダを上回っていた。延長後半4分に相手DFが2枚目のイエローカードを受けて退場して数的優位に立つと、かさにかかって攻めた。その結果が同11分のイニエスタの決勝ゴールにつながった。「白熱した試合だった。PK戦も考えたが、試合を支配できた」とデルボスケ監督は胸を張った。 これまで「無敵艦隊」と称されながら、W杯ではあっけなく敗退していた。2002年は準々決勝で韓国にPK戦の末に屈し、06年は決勝トーナメント1回戦でフランスに敗れた。

 だが、優勝した2年前の欧州選手権がチームを変えた。「いい遺産があった。過去を尊敬しつつ、新しい選手を加えた」と同大会直後に就任した指揮官は強調する。今大会も初戦のスイス戦で0−1。1次リーグ突破に苦しみ、船出は芳しくなかった。だが、「大会が進むにつれてチームはよくなった」と守備的MFとして貢献したブスケツ。デルボスケ監督は「選手たちは成熟している」と話した。 4試合連続の1−0で頂点に上り詰めた。総得点は8点しかないが、失点もわずかに2点。僅差の試合をしぶとく勝てる強さがあった。欧州選手権との“2冠”を達成し黄金時代を迎えたスペインは、名実ともに「無敵艦隊」となった。(北川信行)」

 ワールド・カップ決勝前のセレモニーは2大会連続でシャキラが歌った。スペインでも活躍するコロンビアの歌姫。大会公式テーマ曲 Waka Waka (This Time for Africa) をうたったとはいえ、スペイン優勝を予感させる演出だ。ワールド・カップも終わったので、これで寝不足も少しは解消されるだろう。


 7月15日(木) 曇 41105

 91%。この数字はワールド・カップ決勝のスペインでの瞬間最大視聴率で、2500万人以上がTVを観たという。

「スペインが勝ち取ったタイトル以上のもの
W杯優勝翌日の長い1日
■凱旋パレードに250万人
 スペインのワールドカップ(W杯)初優勝から一夜明けた12日、マドリー市内で行われた凱旋(がいせん)パレードには、歴史を作ったスペイン代表を一目見ようと250万人とも言われる国民が街に繰り出した。
 決勝を終えたその足で帰国便に乗り込んだ代表の一行は、現地時間の12日15時前にマドリーのバラハス空港に到着。ホテルに移動し、食事を兼ねた小休憩を取った後、まずは国王フアン・カルロス1世をはじめとするロイヤル・ファミリーを表敬訪問。公務のために1人決勝観戦に出向くことができなかった国王が、うれしそうに選手とデル・ボスケ監督を迎え入れるシーンがとても印象的だった(ソフィア王妃とアストゥリアス皇太子ご夫妻は決勝を現地で観戦された)。

 続いてスペイン代表が向かった先は、首相官邸だった。大のサッカー好き、バルセロナびいきで知られるサパテロ首相はスピーチ内で、決勝戦でゴールを決めたイニエスタを褒めたたえた。バルセロナファンのサパテロ首相は、かなり前からイニエスタの謙虚で飾らない人柄にほれ込んでいる。スペインがW杯優勝を決めた後にはラジオ番組に電話で生出演し、同じく出演していたイニエスタの父親に、どれほどイニエスタが素晴らしい選手であり、素晴らしい人間なのか、熱弁を振るっていたほどだ。そうなると、必然的にその場でイニエスタにマイクが向けられることになるわけで、内気な性格の彼は「もしこんなことになると分かっているなら、ゴールを決めることはないよ」と冗談を飛ばしていた。

 19時からは、お待ちかねの凱旋パレード。首相官邸のあるモンクロワを出発し、市内を一周した後、21時からステージ上での優勝報告会が予定されていた。だが、ここは“フィエスタ”(お祭り)の国、スペイン。予想をはるかに超える人と熱狂ぶりで代表を乗せたバスがなかなか進まず、パレードは2時間オーバーの計4時間を要することとなった。 しかし、この日はすべてが許される。23時すぎからスタートしたステージ上での優勝報告会では、“宴会部長”のレイナが司会者以上の存在感を発揮し、ユーロ(欧州選手権)2008優勝後と同じような見事なワンマンショーを披露。パレードの遅れで退屈気味だった国民を大いに盛り上げた。1時間ほどでこの報告会は終わり、あとは選手が家族、知人を引き連れてのプライベート・フィエスタに移っていった。こうして、優勝翌日のスペインの長い1日は幕を閉じた。

■カシージャスとプジョルの抱擁
 スペインでは決勝の平均視聴率が80%を超え、イニエスタの決勝ゴールの瞬間には90.3%という瞬間最高視聴率をたたき出した。初のW杯を持ち帰ったのみならず、国民に喜びや感動、自信と、多くのものをもたらした。ユーロ2008優勝時も国をひとつにした感があったが、今大会は開幕当初からスペイン代表が一枚岩になっており、団結の強度は比べものにならないほど強かった。その気運、土台を作っていたのは、ほかでもない選手たちだ。

 大会中、選手の会見やインタビューでの発言を注意深く追っていても、チームの団結が強く感じられた。例えば準決勝のドイツ戦でバルセロナの選手が先発に7名入り、バルセロナ寄りのメディアから「(バルセロナにとって)素晴らしいことですね?」と質問が出ても、ビクトル・バルデス、プジョルといったバルセロナの選手たちは素っ気なく、「僕らはスペイン代表として戦っているから、所属、出身チームは関係ない」と返していた。 優勝直後にテレビ出演していたアスカルゴルタ氏は、「優勝が決まった瞬間、カシージャスとプジョルが真っ先に抱き合う姿を見て感動した」と語っていたが、ピッチでプレーする選手たちは所属クラブの意識やクラブ間の対立とは全く無縁で、それ故に、国民もその姿を違和感なく自然体で流せるようになっていた。わたしのみならず、多くのスペイン国民が、アスカルゴルタ氏の発言を聞かなければレアル・マドリーの象徴であるカシージャスとバルセロナの象徴プジョルが試合終了後、即座に抱擁するシーンが象徴的であることなど気づかなかったのではないかと推測する。

■サッカーが持つ真の魅力と影響力
 決勝で得点を決めた後にユニホームを脱いだイニエスタのインナーシャツに、「ダニ・ハルケはいつもわれわれとともに」と書かれていた点も同じだ。バルセロナをホームタウンとするバルセロナとエスパニョルのライバル関係を越えて、イニエスタは選手として、人間として、そして親友として、今は亡きダニエル・ハルケにゴールをささげた。元エスパニョルの主将は昨年8月、遠征先のイタリアで急性心不全のために26歳の若さで急死した。

 試合翌日、エスパニョルは「忘れられないディテール」と題したイニエスタの写真入りの記事をホームページに掲載した。選手から、「泣いた。イニエスタに感謝したい」(コロミナス)、「あの舞台でダニのことを覚えていてくれるなんて、彼は素晴らしい人間だ」といった感激の声が出ると、エスパニョルのファンからも「人生で初めてバルセロナの選手に泣かされた」「今後、スタジアムで君を見るたびに拍手することに決めた」といった声が上がっている。 わたしは決勝当日、マドリーに滞在していた。初優勝の歓喜に沸く首都で、「アンドレス・イニエスタ♪」という、本来はバルセロナの本拠地カンプ・ノウでしか歌われないはずのコールが聞こえてきたのも新鮮だった。

 そのイニエスタは優勝直後、「僕らがどんなことをやってのけたのか、まだ実感がない」と語っていたが、彼らがスペインサッカーのみならず、スペインという国にとって大きなことを成し遂げたのは間違いない。まとまりある今大会のスペイン代表が勝ち取ったのは、単なる世界一のタイトルではなく、国民の団結とスペイン人であることの誇り。彼らに影響されひとつになっていくスペインを見ながら、サッカーが持つ真の魅力と影響力を感じた1カ月だった。」 ーースポーツナビより(小澤一郎)ーー

 発売されているワールド・カップ関連の雑誌を買ってきた。本も読まなきゃと思いながらすすまないでいる。余韻まだ続いているが、終わって寂しくなった。


 7月16日(金) 晴 8005

 局地的な豪雨などで土砂崩れや落石などで行方不明などが出ている。西日本ではこの1週間くらいで凄い量の雨が降った。NHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』は俄然面白くなってきた。大手出版社のマンガ週刊誌から『鬼太郎』を連載。しかし、2週連続読者アンケートで最下位。どうなる?

 「世界王者スペインが凱旋帰国 政府は経済効果にも期待
 現地時間12日(以下現地時間)、2010年W杯で初優勝を飾ったスペイン代表が凱旋帰国し、マドリー市内で優勝記念パレードを行なった。代表一行はフアン・カルロス国王やサパテロ首相とも面会して優勝を報告。一方、政府は不況に苦しむスペインにとっての経済効果にも期待しているようだ。ロイター通信が報じている。

 カルロス国王は「下馬評を乗り越えて諸君らが見せた努力とスピリットは、新しい世代にとっての模範だ」とコメント。「我々の最高の夢を実現してくれた」と続け、代表チームの労をねぎらった。その後、チームはファンで埋め尽くされたマドリーのメインストリートを凱旋パレード。何時間も待った何万人もファンが集まる中、オープンバスで勝利を祝っている。

 赤と黄色に包まれ、国旗をなびかせ、写真やビデオを撮るファンたちのそばを、「世界チャンピオン」と書かれた赤いTシャツを着た選手たちを乗せたバスが通り、パレードの終着点であるマンサナレス河岸の特設ステージ付近には、狭いスペースに大勢の人が終結。GKイケル・カシーリャスやFWダビ・ビリャを称えるチャントを繰り返すファンには、消防署が落ち着くようにと“消火活動”をするほどだった。一方で、11日の夜にはバルコニーやプールに落ちて2名が死亡するという悲劇も起きている。

 W杯優勝によりスペインは、5人にひとりという高い失業率を記録し、不況に苦しむ国内のムードを高めている。ミゲル・セバスティアン産業相は、「何億もの人がスペインのカラーとブランドを目にした。それだけの人がこういった光景を見たことに、(商業的観点で)どれだけの価値があることか」とコメント。2006年の前回大会優勝後、観光産業が賑わったイタリアと同じように、スペインにも経済効果が現れることへの期待を窺わせた。」 ーーizaよりーー

 ワールド・カップ効果でスペインに観光客が増えるだろうか?そうなれば喜ぶ人が多いと思う。知り合いも喜ぶ人が多いだろう。


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