−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行の滞在日記です。
5月5日(日) 晴 21678
こどもの日の日曜日。NHKマイルカップが行われた。人気馬総崩れで大荒れの競馬。勝った柴田大知騎手は、号泣して泣き崩れた。
「 「夢のようです。実感がわかなくて、嬉しいけどよくわからなくて…。夢中で追っていたので、レースはよく覚えていません」
苦労人がついに栄冠を手にした。NHKマイルCをマイネルホウオウで制し、初めて平地のGI競走を勝った柴田大知騎手(35)=美浦・フリー=は、大観衆を前にしたインタビューでも涙を隠さなかった。 「できれば前につけたかったが、行けなかったので馬のリズムで行った。(最後の直線は)負けたくない一心で…。馬のほうが冷静だったかもしれない」
デビュー18年目で福永祐一騎手や和田竜二騎手らと同期。「競馬学校花の12期生」と呼ばれる世代にあって、柴田も弟の未崎元騎手(現調教助手)とともに「双子ジョッキー」として注目を集め、その期待にたがわず2年目には重賞レースを制するなど活躍した。しかし2年目の1997年までは年間30近く挙げていた勝ち鞍が、3年目以降は激減。2005年にはそれまで騎乗していなかった障害レースにも乗り始めたが、06、07年は平地競走も含め1勝も挙げることができなかった。
その後、岡田繁幸氏の知遇を得て、「マイネル」や「コスモ」の冠名を持つ馬に多く騎乗するようになる。11年に中山グランドジャンプをマイネルネオスで制し障害GI初制覇。12年には自己最高の38勝を挙げるなど、それまでの苦労が報われつつある。 この勝利がJRA通算200勝目。奇しくも前日に200勝を達成した川須栄彦騎手が、かなり早いペースとはいえ4年目であることを考えても、それまでの柴田の臥薪嘗胆のほどがわかる。
「勝てなかった年が何年かあって、200勝なんて夢の中のことだった」 感極まって途切れ途切れのインタビュー。柴田が言葉に詰まるたび、彼の雌伏の時を知るファンからは暖かい声援が飛ぶ。 「皆さんに感謝して、これからも一頭一頭一生懸命乗っていく」と、最後はファンや関係者に力強い口調で誓った。」 ーーサンスポよりーー
ゴール板過ぎの喜びようは半端じゃなかった。嬉しさを全身で表していた。そして、戻ってきて人目をはばからず号泣。この涙は、勝者だけが許される特権である。男は、人生と対峙し、苦闘し結果が出たときに、自分と自分の人生を誇って、涙を流すのだ。美しい涙だ。観ているこっちまでもらい泣きする。全盛時代の武豊は、1年で200勝をしていたことを思えば、その苦労のほどは、なおさらである。言葉にならないとは、こういう事だろう。気持ちがストレートに伝わってくる。去年のJCダートで勝った酒井学にしても、柴田大知にしても苦労人がこうやってGTを勝つと馬券を離れて嬉しいものだ。
「JRA3歳マイル王決定戦、第18回GINHKマイルカップがこどもの日の5日、晴天の東京競馬場1600メートル芝を舞台に行われ、柴田大知騎乗の10番人気マイネルホウオウ(牡3=美浦・畠山吉、父スズカフェニックス)が優勝。前半の800メートルが46秒1というハイペースの流れの中、後方3番手から脚をためると、直線大外から鋭く末脚を伸ばし、ゴール手前でまとめて差し切る大逆転の勝利を飾った。良馬場の勝ちタイムは1分32秒7。
マイネルホウオウは今回の勝利でJRA10戦4勝、重賞は初勝利。前走GIIニュージーランドT7着からの見事な巻き返しとなった。また、2走前のGIIスプリングS3着で皐月賞の優先出走権を獲得していたものの、これをパス。マイル路線にかけた執念が実った。
また、手綱を取った柴田大知は、デビュー18年目にして涙の平地GI初制覇となった。
一方、クビ差の2着は田中勝春騎乗の6番人気インパルスヒーロー(牡3=美浦・国枝厩舎)、さらにクビ差の3着には横山典弘騎乗の8番人気フラムドグロワール(牡3=美浦・藤沢和厩舎)。1番人気に支持されていた内田博幸騎乗のエーシントップ(牡3=栗東・西園厩舎)は直線粘れず7着に敗れた。
なお、人気馬がまとめて敗れたことで、3連単は123万5600円の大荒れ配当となった。」 ーースポーツナビよりーー
「〜レース後のコメント〜
1着 マイネルホウオウ(柴田大騎手) 「嬉しいです。(レースのことは)よく覚えていないです。本当に嬉しいですし、結果を出せて良かったです。最後も夢中に追っていました。折り合いもつくようになったし、テンションも落ち着いてきて、これからもっともっと成長していくと思います」
2着 インパルスヒーロー(田中勝騎手) 「残念です。スムースに流れに乗れて競馬が出来ました。今日は外枠で良かったです。ただ、道中から馬がモタれていました。残念だけど仕方ない。ただ、しぶとい馬です」
3着 フラムドグロワール(横山典騎手) 「マイラーではないので、平均に脚を使うイメージで乗り、ある程度の位置を取りに行きました。手応えはありましたが、追い出してからモタモタしてしまいました。最後はその分だったと思います」
4着 レッドアリオン(川須騎手) 「返し馬の時に馬の状態がものすごく良く、僕自身もリラックスして臨むことが出来ました。ゲートの中では良かったのですが、前脚が宙に浮いて地に着いた時にスタートを切られてしまいました。ペースは思った通りに流れて、直線は内をつきました。ただ、まだ遊んでいて本気を出し切っていない感じです。舌も出していました。出遅れた以外は焦りはありませんでしたが、中々簡単にはいきません」
5着 ガイヤースヴェルト(ウィリアムズ騎手) 「道中はリラックスしていましたし、この馬なりのスピードで掛からずに行けました。ただ、結果的に最後タレてしまいました。距離適性は分かりません。能力が高いことは確かです」
7着 エーシントップ(内田博騎手) 「前半はいい感じで、なだめながら行きました。折り合いも途中からつきました。それでも伸び切れませんでした。硬い馬場が堪えたのかもしれません」
8着 コパノリチャード(福永騎手) 「ちょこっと逃げる形になりました。コーナーでは逃げ気味になり、バランス良く走れませんでした。直線では良かったのですが、ラスト100mで力尽きました」 」 ーーラジオNIKKEIよりーー
レース前、清水成駿が言っていた言葉を思い出す。「これまでの勝ち鞍は断トツでエーシントップの5勝。が、最多の数字が強さの証明にはならない。レースを選んでコツコツ積み上げてきた結果がこれ。全5勝の2着馬をみればおわかりいただけるはず。事実、着差も新馬の2.1/2馬身差を除けば、残りはすべて3/4馬身差以内の大接戦。辛勝であった。
そのうえ今年のNHKマイルCは1分33秒前半の速い決着が想定される。これまで一度も1分34秒の壁を打ち破れないのも気になる。ただ、それでも5勝を叩き出したのだから身の丈以上。これも血と汗の結晶だろう。エーシントップは勤勉と貯金の重要性を教えてくれるようなタイプ。頭が下がる。」と、書いてある。つまり、押し出された1番人気なのだ。その証拠に単勝290円。
つまり予想の組み立てとして、エイシントップを買うか買わないかというところを、しっかり吟味する必要があった。2着に来たインパルスヒーローは、4戦全て左回りで3連勝して来ている。この辺をもっと突っ込んで考えるべきだった。買わなかったが、2の日なのだから12番のフラムドグロワールも臭いと考えてはいたが、買うまでは行かなかった。勝ったマイネルホウオウもマイルが得意。この辺が、人気薄でも目を付けれないと馬券を外すことになる。
今日は東京9Rが完璧な予想だったにも関わらず買えなかったのが非常に痛い。そして、ダービーでコディーノの鞍上が横山典弘からウィリアムズ騎手への乗り替わりが発表された。今年の俺と典のダービーが終わった。折角ダービーに合わせて帰国予定を立てていたが、非常にがっかりだ。サン・イシドロの切符が届いたと連絡があり、確認して貰った。22日のフエラ・デ・アボノ以外ちゃんとあったという連絡だった。
5月6日(月) 晴 12654
荷物の準備が出来ていない。忙しすぎる。今週は遷宮を観に出雲に出掛ける予定だが、それがどうも…。荷物の準備だけじゃなく、予備知識も準備も出来ていない状態で、せめてガイドブックなどと買ってきても、未だ殆どめくっていない。それでも、この前、上野の国立博物館へいて、『大神社展』を観た。普通は、美術館などは女性が多いが、今回のそれは、異様に男が多かった。半分以上という印象があるくらい男だった。
そして、外国人も多かった。刀も展示されていたが、真っ直ぐなモノと、そりが入ったモノが、14世紀くらいまで混在した様だ。全国の神社から出展された色々なモノが観れる。伊勢と出雲の遷宮が重なった年で、こういう催しモノが行われている。
5月7日(火) 晴 18912
飛行機会社に電話して、国内線の荷物持ち込みについて訊いた。それで荷造り開始。なるほどなと思いながら、充電したり準備中だ。ギリギリにならないと荷造りが出来ないタチの様で、いつもあたふたしてやってしまう。スペイン行きの荷物も考えないといけない。他の準備は殆ど出来ている。遷宮を観に行くからといって、全てが観れるわけではない。自分も観れるモノ、感じられるモノを大事にしたいと思っている。
NHKマイルカップで、100万円取り損ねたという、職場の人間が、三連単を狙って外した。三連複なら当たりで10万円を手に入れることが出来た。ムッとしていたが、欲のかきすぎで外すより、三連複を買って喜んでいた方が良かったんじゃないと、思った。競馬も欲をかいて大損する。コツコツが1番良いのかも知れない。ガイドブックと八雲を読んで、出雲へ行こうと思う。
思い出したが、5月5日の国民栄誉賞で、松井秀喜が投げた球を長嶋茂雄が空振りした。キャッチャーの原辰徳がビックリしていた。安部晋三は笑っていた。半身不随になっても、バットを持てば打席で本能的にバットを振ってしまう長嶋はおかしい。年を取っても、あんな体になっても、長嶋はあくまで長嶋だった。
5月8日(水) 晴 25678 松江のホテルにて
「八雲立つ出雲八重垣妻込めに、八重垣造る、その八重垣を」
朝、羽田から出雲空港へ着き、松江やって来た。取り合えずホテルに荷物を預けに行くと、チェックインが出来た。それから近くの鮮魚を扱う処で昼食を取り、ちょっと息抜きをして、それから、八重垣神社へ行った。須佐之尊が八岐大蛇を退治して、稲田姫命が夫婦になって暮らした処と言われている。初めの歌は結婚できる喜びを歌ったと言われている。
ラフカディオ・ハーンが、松江尋常中学へ赴任し、県知事に挨拶へ行った時、案内をした西田千太郎が知事に、「この方は古代の宗教と風俗を学ぶために来日し、とくに神道と出雲の伝説に関心を持っている。」と、紹介すると、知事は、「それなら杵築の出雲大社や八重垣神社、熊野神社を訪ねてはいかがか」と言ったことが小泉八雲の本に書いてある。つまり、ここから八雲という名前を付けたのだろう。
そして、ここ八重垣神社に西田と人力車で訪ねてきて、鏡の池に特に惹かれたという。不思議な神社で、明治になって佐草で信仰されていた、下の病気を治すという山神神社が移設された。大男根が象徴しているが、下の病気とは、つまりそういうことだ。
それから、県立美術館へ行って夕日を観た。夕日のスポットへも歩いていった。夕焼け空、宍道湖に写る夕日の色、空の色などを観ていたら、良い気分になった。ISOさんが子供の頃観たという紫や碧い空が観れるかも知れないと、期待していていたが、紫の空は観れなかったが、良い感じだった。写真を一杯撮ってきた。
5月9日(木) 晴/曇 32198 出雲のホテルにて
朝食後、熊野大社へ行った。遠いところで、のんびりとした気分にさせられる。火をおこす神事が行われている所の様だ。それから松江に戻り、小泉八雲記念館、小泉八雲旧邸、武家屋敷を観た。旧邸の池のある庭があって、そこに机などが飾られている。壁に八雲のその部屋から観た池のある庭の印象を書いた文章がかかっていた。池に蛙がいて、蔵から蛇が出て来て食べた話で、蛇に蛙を食べないでくれと、書いてあった。
池から蛙の鳴き声が聞こえる。他の庭を観てまた戻ってきたら、池の脇に小さな蛇がいた。「あっ蛇」と思わず言ったら、隣にいた老女が、「二匹いるのよ。こっち側にもいるの。ホントあの壁に書いてある通り今も蛇がいるのね。」と言うので、「蛙もいますよ」という、「えっ。何処に」と言うので、「見えないけど、さっきから鳴いてます」というと、「そうですか。ホント、八雲が住んでた頃と同じなのね」と言った。僕もそう思った。何か非常に良い気持ちになった。八雲の文章を思い出すと、グッと来る。
夕方、出雲に着いてホテルにチェックインして、部屋に行かずに荷物を預けて、稲佐の浜へ夕日を観に行ったが、曇っていて観れなかった。それから歩いて大社を目指した。途中出雲の阿国の墓を観る。大社に着いたが真っ暗だ。神楽殿の横から入ろうとしたが、柵があって入れない。雅楽がなっている中、白装束の人たちが列を作って歩いている。婆さんが手を合わせて何かブツブツ言っている。神事の最中で荒垣の中にも入れない。鳥居の方に歩きながら、大社の人に明日の事など訊いた。警備もいたのでその人たちにも訊いた。
明日は、大変な事になりそうだということが解った。帰りに木の鳥居を過ぎて竹野屋が見えその近くに、蒸し寿司と書いている寿司屋に入る。これが変わった味だったが、そのことは後で書くことにしよう。
5月10日(金) 雨/曇 22222 出雲のホテルにて
出雲大社大遷宮当日。朝から雨が降っていた。昼頃に雨が強くなった。その頃、古代出雲歴史博物館にいた。遷宮関連の展示が中心になっている。大社に行ってから博物館へ行って、それからまた大社へ行って、ホテルに戻った。今日のホテルは、昨日ホテルと違って、ラブホテルのような所で、駅からも離れている。1時間だけ休憩を取り、また、大社へ行った。雨は上がっている。
テレビでは、遷宮の事をやっていた。遷宮の始まる19時過ぎに、大社へ着いた。一般参拝者は規制されて、荒垣の中には入れない。参道の右側に大きなテントがあり、1000人以上入れるような所で、そこに神事の映像を流している。そこに入って神事を観た。途中物凄く眠くなったが、最後までいた。最後の“たまむし”を捧げ終わった時に、突然、テントの屋根が、雨を知らせる音を立てた。ザワザワと声がした。
ちょっと神懸かっていると、感覚的に思った。60年に1度の遷宮の日の朝から雨が降り、天気予想も1日中雨の予報で、昼頃に雨が強くなり、神事が始まる前には、雨が上がり、終わった途端に、雨が降る。何故なんだ。何故かは判らない。だから、神懸かっていると思ってしまうのだろう。
5月11日(土) 雨 29876 東京にて
朝、飛行機に乗って、東京へ戻ってきた。浜松町で昼食を取り、そのまま自宅へ戻る。そして、競馬。出雲へ行って色々感じた。まず、八重垣神社、熊野大社、出雲大社の3つが観れたのは、最大の収穫。そして、遷宮も観れたし、八雲記念館と旧邸が観れたのも大きい。八雲が観た日本を少しでも感じることが出来たような気がする。松江の街と、出雲大社をしばらく感じていたい。
参道を歩いていて、上っていくだけではなく、下っていくと大社がある。それが不思議だった。その不思議な感覚が、大社なのかも知れない。門前の商店街も、当日は、23時まで開けている所があり、普段は17時で閉める店ばかりなのに、遷宮に合わせていた。ある店の人が言っていたが、ゴールデン・ウィークは70万人来て忙しかった。こんな事は今までなかった事のようだ、と。これも遷宮の影響だと言っていた。
これから、競馬の予想をして酒飲んで寝ようと思う。
5月13日(月) 晴 10101 成田のホテルにて
日曜日は、競馬場へ行かずに旅の準備をしながら競馬をした。メインの11R、ヴィクトリア・マイルは、ガッチリ予想が的中。ホエールキャプチャと、マイネイザベルを狙っていて、両方から流した。だから、ワイド3点を的中した。優勝したヴィルシーナが勝つかどうかは判らなかったが、ホエールキャプチャは、来ると思ったのだ。12番人気で2着だったので、高配当だった。マイネイザベルとのワイドは、7000円以上ついたし、ヴィルシーナとだって、2500円以上ついた。
MEGUさんの所に、電話したら、凄いねと言っていた。旦那さんは、ホエールキャプチャから行けないでしょうというので、マイルは5戦して3勝2着2回なので、と言うと、だって買えないでしょうという。近5走が二桁着順だからと言うわけである。でも、来るんです。特にマイルは、マイル実績というのが非常に大事だというのは、競馬の常識で、単勝2番人気のハナズゴールは、マイル8戦4勝に比べれば遙かに成績が良いし、去年は覇者がホエールキャプチャだ。3着に来た、マイネイザベルは、マイル戦6戦1勝2着1回、3着1回の成績だが、近走は好調だった。鞍上は、先週平地GT初制覇をした柴田大知。
9の日で、4枠8番のホエールキャプチャが軸なら、1枠1番のマイネイザベルと、6枠11番のヴィルシーナを買うのは当然だ。8+1=9。8+11=19。こちらも9になる。これが、競馬アルゴリズムだ。
荷作りをして、成田のホテルにいる。回線接続が不良状態だったので、直して貰ったら遅くなった。夕食もたっぷり食べてお腹一杯。
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