断腸亭日常日記 2013年 その2

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行の滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日
5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日 2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日
5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日 6月12日〜6月22日 2002年4月16日〜4月30日 5月1日〜5月15日
5月16〜5月31日 6月1日〜6月13日 2003年4月16日〜5月24日 5月25日〜6月10日 6月12日〜6月26日
2004年4月14日〜5月7日 5月8日〜5月31日 6月1日〜6月17日 2005年3月31日〜4月24日 4月25日〜5月22日
5月23日〜6月16日 2006年4月13日〜5月6日 5月7日〜5月29日 5月30日〜6月19日 2007年4月20日〜5月19日
5月20日〜6月16日 2008年5月13日〜6月16日 2009年5月25日〜6月6日 6月7日〜6月12日 6月13日〜6月22日
6月23日〜7月3日 7月4日〜7月21日 9月24日〜10月2日 2010年5月29日〜6月7日 6月8日〜6月26日
11月14日〜11月26日 2011年3月5日〜3月17日 7月20日〜7月31日 8月1日〜8月22日 9月14日〜10月3日
 11月21日〜11月27日 2012年 4月2日〜4月22日 11月1日〜11月13日  12月4日〜12月11日  12月12日〜31日
 2013年1月1日〜1月31日 2月1日〜2月10日      

 2月11日(月) 晴 8123

 ロドリゴ・アリアスに出会ったのは、91年のマドリード、ラス・ベンタス闘牛場である。リングネームは、モナキージョ・デ・コロンビア。当時セサル・リンコンのバンデリジェーロをやっていた。彼はいつもバンデリージャを打った後、必ず両手を頭の上で両腕を伸ばして合わせていた。それがバンデリージャを打った後の基本なのかも知れないが、とても綺麗だった。そしていつも堂々としていた。

 セサルの追っかけをやっていたので、闘牛場の入り待ちで挨拶をするようになった。翌年、セサルのチームには、ファン・モンティエルという新しい優秀なバンデリジェーロが加わった。2人のコンビは最強だった。そして非常に仲が良かった。おそらく、夜は、そういう世界で女にも、もてて色々あったのだと思う。

 97年久々に闘牛場へ行ってセサルと話しをしたら、モナキージョとは別れていた。ファン・モンティエルもいなかった。セサルにモナキージョのことを訊いたら、不快そうに、彼とはもうやらないといっていた。おそらく喧嘩したんだろう。それから元アポデラードの誘いでその闘牛士のバンデリジェーロをやっていた。スペインにもあまり来なくなった。

 今日のニュースで、メデジンでモナキージョが引退した。そしてその日に、大怪我をした。両太股と肛門周辺を刺されたようだ。何か悲しいニュースだ。セサルはスペインでの引退は、ホセ・トマスを前にして耳3枚切って1人だけプエルタ・グランデし、自国コロンビアでの引退は、インドゥルトをして華々しく引退した。コロンビアの英雄とその元バンデリジェーロのモナキージョの引退はこれほどの違いがある。

 闘牛の世界に出会い、最初の頃に活躍した人たちの印象は、今でも多く記憶されている。その中でも、強く記憶されているセサル・リンコンと、モナキージョ・デ・コロンビア。早く良くなって欲しい。そして、セサルとの仲が、元のように話しが出来るようになって欲しいと思う。


 2月12日(火) 曇 24653

 疲れた体で、みんなで横浜に行ってきた。みんなはダメだったが、俺ともう1人は成果が出た。良い気分で帰ってきた。物凄く腹が減っていたので、ホットドッグを食べて、腹を落ち着かせて風呂に入った。それで、今、ようやく、つまみながら酒を飲んでいる。心の中で、感謝しながら乾杯している。

 セビージャの春祭りのカルテルがほぼ出来上がったようだ。今年はいつ行く気になるのだろう。サン・イシドロになるのか、それ以降になるのかは、ホセ・トマス次第だ。


 2月13日(水) 晴 7986

 朝、夜中の雪で、地面がうっすらと雪化粧。駅に向かって歩いて行くと、寒椿が花びらを落としていた。雪と寒さでこうなったのかと思った。春の椿は、花ごとぼろっと落ちるので、京都のお寺などの苔の上では、緑と紅という色が映える状態になり、見事なコントラストで感動的である。それに比べて寒椿は、ボロボロと花びらを散らせるので、その後のしおれ具合や腐っていく様は、美しくなく見える。

 今日は歯医者に行って来た。差し歯の土台に当たる部分を入れて、プラスチックの仮歯を装着した。昼飯は、喫茶店で、ハヤシライスセットを頼み、食後にホットケーキを食べて帰ってきた。家の近くにこういう喫茶店があったら、しょっちゅう通うのにと思っている。お気に入りの部類にはいる。ホットケーキが食べれるところが好きだ。


 2月15日(金) 曇/雨 10321

 夕方、小雨の降る中、神田にてアンコウ鍋を食べに出掛けた。あん肝がでかかった。アンコウづくしの料理で、カウンターの中には、アンコウが吊されていた。最後は、勿論雑炊で締めるのだが、まあまあの味だった。昔同じ神田にあるアンコウ鍋屋行ったことがあるが、あっちの方がもっと美味しかったと記憶する。それでも、久々のアンコウ鍋を楽しんだ。

 出掛ける前には、すでに、明日の競馬予想の準備は出来上がった状態だった。帰ってきて、これから、酒を飲みながら、オッズなどをチェックして観ることにしようと思っている。ネットしたら、セビージャのオフィシャルのカルテルが発表になったようだ。それと、コルドバがホセ・トマスを待っているという記事もある。


 2月16日(土) 晴 8765

 多分、競馬アルゴリズムは完成した。先週の日曜日に、それを感じたが、それが間違いでなかった事を今日確認した。パスワードが分かった以上、JRAに預金していたモノを、後は下ろすだけの状態になったといえるだろう。ようやくここまで来た。明日の準備も出来た。後は、風呂に入り酒を飲んで寝るだけだ。


 2月17日(日) 晴 8898

 朝、出掛ける道すがら道路にある水たまりが凍っていた。風が吹き寒い1日の始まりだった。今日は待ち合わせて一緒にやったが、どうも1人でやる方が成果が出るようだ。思い切りが悪くなる。それでも、勉強になることが多いのも事実だ。帰りに、メールが来て明日のことについての問い合わせだった。それで返信して、改めて家に帰ってからメンバーにメールした。

 明日は夕方まで何をしようか考えている。酒を飲みながら考えようと思う。


 2月19日(火) 曇/雪 159321/2

 昨日の夜は、会のみんなと都内某所に集まって食事をした。闘牛の話は、ホセ・トマスのアポデラードの話や、今年のカルテルの事についてなどを話した。スペインの話もしたが、旅行に行ったときに、ホテルで洗濯する方法で、面白い意見を訊いた。それは、大きめのビニール袋と、すすぎが1回で済む日本製の洗剤を持って行き、ビニール袋に、洗剤と洗濯物を入れて振るというものだ。そうすると手洗いで、手の皮がむけたり疲れたりしなくて良いというもの。このアイディアに、非常に興奮した。これは使えると、思ったからだ。

 他は、それそれの話をした。そうそう『ワンピース』の話から任侠映画やチャンバラ映画の話にまでなった。高倉健、藤純子、市川雷蔵、勝新太郎など。話は尽きないような感じだったが、3時間の食事会が終わった。実は時間を全然気にしていなかった。楽しい食事会だった。また機会があればやりたいなぁと思った。

 帰ってきて、ネット観たら、アグアスカリエンテスの後に、ホセ・トマスとアポデラードのサルバドール・ボイスが別れるというニュースを読んだ。


 2月20日(水) 曇 14362

 昨日は、日中雪がちらついた。風が強く吹雪のようになって雪が舞ったが、積もることはなかった。仕事的には、色々あった。色々あると、その時の人間の動きなどを見ていると、色々なことが判る。その人間の姿が映し出される。つまりその人の仕事での価値が判ってくる。どういう状況でも的確に動ける人は、強い。人間はなかなかそういう人はいない。たいていはおろおろするするばかりだ。でも、そういう状況でも輝ける人間がいるのだ。そういう人間になりたいと思って仕事している。昨日の事を振り返って、自分はどうだったのか、反省している。「反省だけなら、猿でも出来る!」

 反省を次に生かすには、問題点を洗い出し、分析する必要がある。その中で取り除けられるモノと、そうでないモノを分けて、単純化その上で、フローチャートを作って行くことだろう。これを紙の上だけでやっても仕方がない。実行性をもって結果に繋げられなければ本当の反省にならないと考えるのが、猿でなく、人間のやることだろうと思う。


 2月21日(木) 晴 5646

 久しぶりに弁当を作るというのも、良い物だ。買い物から調理までの過程で、色々感じるモノがある。外食だけをしていると、どうしても塩分が多くなるのと、もうそういう食事ではしょっぱいと思ってしまう様になったからだ。今進めている事を、今月中に形にしたいと思っているが、なかなか思うようにいかない。ここは、集中してやりたいものだと思っている。


 2月22日(金) 晴 20013

 明日の準備をするために、眠いのを我慢して作業していたら、すっかり体力を使ったようで、何もする気にならなくなった。今日は、歯医者に行って型を取ったり約2時間かかった。それから、昼食を食べていなかったので、喫茶店でコーヒーとホットケーキを食べてしのいで、家に帰ってきた。途中買い物をして来たので、夕食はちゃんと食べて、それから作業。眠い。これから酒飲んで寝よう。


 2月26日(火) 晴 71420/4

 フルベッキ博士という明治学院の理事をやった宣教師が幕末にいた。彼の名前を、日本人の記憶に留めているのは、上野彦馬が撮影した、いわいる『フルベッキ写真』の存在である。上野彦馬は日本で最初に写真館を開いた、日本写真史において開祖である。東の下岡連杖、西の上野彦馬。これが幕末から明治のかけての写真史に名前を残す2人である。

 下岡連杖は、山田風太郎の『明治もの』にも登場するが、画家を志し、写真に出会い衝撃を受け写真師になった人だ。横浜で写真館を開いている。人物写真も多く撮ったが、当時の日本の風景を撮影してそれに色を塗ってカラー写真のようにした写真を作り売ったことで有名だ。

 上野彦馬は、長崎に写真館を開いた。そこに来た幕末の志士たちの写真を残している。坂本龍馬、高杉晋作の写真を撮った人である。日本初めての戦場カメラマン(従軍写真家)でもある。その上野が撮影した『フルベッキ写真』は、始め雑誌『太陽』で発表されたときは、佐賀の学生達の集合写真として紹介された。のちに、色々あって、当初は20人くらいしか写っていなかったのが、今ではフルベッキと息子ウイリアムを中心に、坂本龍馬、中岡慎太郎、後藤象二郎、勝海舟、西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀、川路利良、黒田清隆、桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文、江藤新平、大隈重信、井上肇、明治天皇など46人が写っていると言われている写真である。

 とても本物とは思えない写真だが、朝日、毎日、日経などの新聞社が広告を掲載してしたという。確かに、夢のある話ではあるが…。のちに、話がねつ造された写真だと思う。


 2月27日(水) 雨 4352

 昨日薬が切れたので医者に行った。そこで処方されたのは、今まで飲んでいた薬ではなく、尿で多くナトリウム排出するというモノである。血圧をいかに下げるかというと塩、つまりナトリウムを体外に出すことによって、効果を上げようというのである。今日からの服用である。効果のほどはそのうち判るだろうが、だからといって、塩分を多く摂取するのはおそらく逆効果になるだろうから、今まで通り減塩である。

 データはないよりあった方が良い。しかし、データが効果を発揮するのは、テーマを明確に設定して取るからこそ有効になるのである。金曜日まで、そのデータ取りに精を出したい。そうすればアルゴリズムも完全な形に近づく事になるだろう。

 最新の情報では、ホセ・トマスは、マラガのドミンゴ・デ・ラモスに出場する意志を、固めたようだと言うことがネットで流れている。


 2月28日(木) 晴 8745

 日曜日から月曜日になったと思ったら、もう木曜日。早い。やることがいっぱいある。時間がない。それでも、こういう時こそスパに行きたいと思っている。スパに行ってのんびりしたい。明日は、作業があるから、今日中に仕上げないといけないのに、それが出来ていない。困ったもんだと、思いながら時間だけが過ぎていく。


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