−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行の滞在日記です。
4月18日(木) 晴 12654
今年観た花で1番心に残っているのは、1・2週間前に観た利休梅。何故か知らぬ間に近づき見とれていた。白い丸い渋い花だ。これは何か?と生け花になっているその花を観て、気に入って名前を観て感心した。ぴったりだ。侘びの世界がここにあった。こう書くと何かつまらないモノになる。淡く儚いその丸い白い花に、やられたなと思ったのだ。目立たない白と丸い形が、それでも目を引く花。清楚で行儀が良く、正しく素直で、そして可愛らしく美しい。非常に女性的な花だが、それを利休梅と命名した日本人の感性も、賞賛したい気分だった。
去年の4月は、京都へ行って桜を観まくった。色んな桜を観たが、京都の桜は、垂れ桜が素晴らしい。薄い色のソメイヨシノじゃなく、ハッキリとした色のしだれが良い。建物と風景に溶け込んでバランスの良い心地好さを感じる。龍安寺の石庭にある垂れ桜は、グッと来る。霧雨が降っていてとても風情があった。石庭前の板間に座っていた50くらいのご婦人が、「あたしはここで垂れ桜が咲いているところを観るのが夢だった」と、言っているのが聞こえたが、そういう風に思わせる石庭と垂れ桜はやはり魅力的だ。
去年の春のJRの『そうだ、京都へ行こう』のキャンペーンポスターは、この龍安寺石庭の垂れ桜だった。上手いよなぁ、このキャンペーンのポスターは。本当に唸るような写真が観れる。しかし、去年観た花で1番心に残っているのは、これではない。龍安寺でも、石庭前にある花だ。苔の上に散った椿の美しさとその前にあるつつじを、夢中になって写真を撮った。苔の緑の上に、紅い椿が散っている様は、誰かが意図的に配置したのではないかと思うほど、芸術的に散っている。緑と赤のコントラストは白眉だ。色彩が春の息吹を、生命力を印象的に伝えているようにさえ思える。
そしてその前にあるつつじのつぼみがまた、自然が作り出す造形美を遺憾なく発揮して、色彩と共に目の中に入ってきて焼き付く。若いときは、母親が花を綺麗と言ったりする気持ちがちっとも解らなかった。それが今では、理屈抜きにすっと入ってきて焼き付いてしまうこの不思議。何なんだろう?
今年は京都でどんな花が観れるのだろう?まさか競馬場で鼻差で泣く、はずれ馬券の鼻じゃないだろうなぁと思ってしまう。それが1番印象に残るハナなんてことになったら、つまらない京都旅行になってしまうだろう。しかしそうはならないと思う。今回はお寺廻りが中心ではないので、あまり花は観れないかも知れないが、それでも、その辺にある花もなかなか風情があってグッと来るモノが沢山あるのが京都だ。
4月19日(金) 曇 6789
朝から肌寒く、曇っている空。つつじの花は、紅だけでなく、桜色や白と、頃合い良く咲き始めた。アベノミクスのよる証券バブル的な好景気は、後2年続くと専門家筋から流れている。気分が好景気というのは、何とも経済用語的で面白い。実体のない好景気。根拠希薄な好景気である。
枠順が発表されたが、これだと1番人気のカレンブラックヒルから行くより、シルポートから行った方が、どうも収まりが良いようだ。これから日曜のメインも含めて検討にはいる。
4月20日(土) 曇のち雨 寒い 12398
2月の寒さだとニュースでいっていた。寒い東京。これだと暖かくして京都へ向かわないと思った。準備を大体整った。しっかり京都を楽しんでこよう。
4月21日(日) 曇一時雨 11498 京都のホテルにて
朝、東京を発って昼京都に到着。そのまま、京都競馬場へ向かった。初めての京都競馬場。本当にターフの中は、池で白鳥がいたのには驚いた。こんな時期でもいるんだ。入場券を買って、指定券を買ったら、入場券は入らないと言われてビックリ。東京や中山では入場券を買ってからでないと、指定券が買えない。指定券売り場が、競馬場の中にしかないからだが、京都は、外に指定券売り場があるので指定券を買ったらそれが入場券を代替すると言うことなのだろう。東と西の違いに途惑った。
福島は、降雪のため中止になった。代替開催が29日に行われるという。これもやらなきゃと思った。夜は街に戻ってホテルに荷物を置き、ISOさんと飲み歩いた。そして、話をした。何か楽しい気分になった。明日からは、本来の目的、京都グラフィーを観る。出来れば、法隆寺にも行きたいと思っている。
そういえば、フリがセビージャで怪我をして集中治療室に入ったという。
4月24日(水) 雨 32198/3 東京にて
昨日東京へ戻ってきた。京都では日記を書く暇がなかったので、これから徐々に書いていこうと思う。昨日は、予定を変更して朝イチで龍安寺へ行った。桜なんて散っているものだとばかり思っていたが、門近くに八重桜があり、石庭の垂れ桜も未だ少し残っていた。修学旅行の生徒たちが沢山来ていた。まずやることは、石庭の石の数を、一二三四…と数えること。外人もそれをやっていた。十五まで数えて、それからまた数を数えると十四で止まる。
つまり、五、二、三、二、三の5つの石のグループの内、初めの五のグループの石の内の1つと、最後の三のグループの内の1つのどちらかが見えない仕組みなって十四しか見えない。それをガイドが説明している。そして、ある処で観ると、どちらか見えないはずの石の両方が見える。そのことを大体説明している。そういう五月蠅(うるさ)さも含めて、この庭が1番落ち着く。穏やかな気持ち、気分になる。何故だろう。ここで、1日ぼーとしていたい気分だ。
石庭から出て、鏡容池の廻りと歩いた。桜苑というのがあって、そこを観た。そこには未だ、桜が残っていた。梅のような枝振りというか、幹がそういう形をした桜があった。ソメイヨシノのように、均質的なつまらなさがない。花の色もそうだし葉の色、枝振りもそれぞれに個性的な様な気がする。藤の花、つつじ、何という花なのか名前の知らない花たち。そういう花でさえ、心惹かれる龍安寺である。
龍安寺に3時間以上いたので、高桐院へは行けなくなって、烏丸御池に戻り、ホテルから荷物を取って、四条へ行った。そこで結衣さんと待ち合わせて昼食。途中でISOさんも来て、コーヒーを飲みながら話をした。もし3人からスペインを取ったら、知り合わなかっただろう。マドリードで知り合った。それが今でも続いている不思議。そして、京都でこうやって話しているというのが、また不思議といえば不思議だ。
4月25日(木) 雨のち曇 13245
めっちゃ風呂に入りたくて、さっき入ってきた。体も気持ちもスッキリする。今日はみんなで横浜に行ってきた。疲れているとどうも脳細胞が思うように活動してくれない。初めと最後の方だけ、動いたが、京都の疲れもあって途中で目茶苦茶眠くなってそれ前後がどうも良くなかった。京都いると毎日酒を飲んでいれるのに、東京に戻ると毎日飲めないというのはどういう事だ!
今日は京都のことをひとまず置いて、家に帰ってきて天皇賞の枠順が発表されていることに気づいた。ゴールドシップが4枠8番。まず負けないだろう。後は、どれが来るのか買い目を絞る作業と、馬券の種類を考える作業が待っている。意外と難しそうな作業だ。
4月26日(金) 曇 8989
やがて死ぬ気色も見えず蝉の声 芭蕉
何というか、芭蕉は凄い!ただただ凄い。十七文字の中に、世界を表している。蝉を観て1週間の命だと思っていても、それをこういう風に表現されると、参ってしまう。闘牛場で鳴く牛が時々いるが、それは割と直接的に死をイメージするが、威勢良くやっている闘牛士には、死とは反対のイメージを持つ。しかし、闘牛士の中に、芭蕉が詠んだ意味が含まれているのは、この句の世界観が一致しているからだと思う。
京都へ行って、ISOさんと話をしていて、色々考えされられた。今まで自分がやって来たことを、反省させられた。鈴木大拙や、小泉八雲を読もうと思った。日本人が持っている感じ方、考え方、感覚を呼び起こすモノが、そこにあると感知したからだ。龍安寺の石庭の中にあるモノを、日常でも感じながら、生きていきたいと思った。
4月29日(月) 晴 34567/3
家に戻って、思い出した。今日がサン・イシドロの発売日。早速アクセスしたが、全然ダメ。それで、いつもの奥の手で、注文した。が、その後、トラブル発生。あーめんどくさい。どうすれば良いのか。考えている。うーん。何とかなるとおもうが、時間がかかりそうだ。手元に切符が届く日を心待ちにしている。
4月30日(火) 曇、これから雨が降る予報 8765
急遽予定外に、博物館へ行くことにした。自分が何を感じられるかという問題だ。取り合えず、色々やらなければならないことも多いが、今日はこの選択で行くことにした。
咲き乱れ つつじの後の 皐月待ち 蜜を味わい 蜂踊るなり 風吟
5月1日(水) 曇/雨 12654
世界遺産に条件付きで、登録をされることになった富士山。一方、鎌倉は、不登録になった。鎌倉市など観光関係者はガッカリしているようだが、いわば当然の結果のような気がする。京都に比べるまでもなく、寺や街が、それにふさわしいとは思わないからだ。寺の石庭などは、観るに忍びないようなモノばかりで、とてもそういう価値があるとは思えない。
源頼朝によって攻め滅ぼされた平泉は去年世界遺産に登録された。これは、毛越寺など、頼朝軍によって破壊、焼かれた建物が多くあるが、街の人々が、金色堂をはじめ他の藤原三代のゆかりの地を大事に保護してきた成果なのだ。京都は京都は街中で戦争がしょっちゅうあり、いつか滅びるものだから大事にしなければという人々の気持ちがあったので、今日まで京都であり続けた。
廃仏毀釈の嵐の中でも、何とか持ちこたえた。奈良もそうだ。そして、平泉は頼朝によって破壊されて、これ以上壊れないようにと人々が力をあわせた。それに、中尊寺の住職だった、今東光の存在も大きい。彼のやった業績は計り知れない。金色堂に眠る藤原四代のミイラの発掘調査を実行させたのも彼で、それがあって、金色堂は蘇り、観光地としても栄え、世界遺産の登録にも繋がった。
鎌倉は、平泉を滅ぼした敵である。積年の恨みを晴らした気分でもある。京都のように戦火に一度も巻き込まれず、幕府が滅ぶときも、街も寺もそのまま残っていながら、おそらく、廃仏毀釈の嵐の中で、街も寺も衰退していったのだろう。その危機感のない鎌倉が、世界遺産に登録されたら、そっちの方が驚きである。
北鎌倉駅そばにある円覚寺で座禅を組んだ漱石は、何を思ったのだろう。神経衰弱などの治療だった様だが効果がなかった。一方、元尼寺の東慶寺(縁切寺)で、研究生活を送って大きな成果を上げた鈴木大拙。どちらも、世界的に有名な著作者である。文豪漱石と、大仏教学者鈴木大拙。英語の著作が多い鈴木大拙は、アメリカ上流社会への禅思想を広めた立役者である。おそらく、彼らを真似て多くの文学者が、鎌倉に住み着いたのだろうと、想像する。
しかし、今読みたいのは漱石ではない。漱石の前任の東京帝国大学で英文学講師をやっていた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が読みたい。そして、鈴木大拙を読みたいと思っている。この2人から教えを請いたい。小泉八雲の文章を読んでいると、清らかな気持ちになる。日本人を思う彼の気持ちを、素直に美しいと思う。
五月雨の つつじのうしろに 何か紫蘭(しらん) 紫のつぼみ 水滴輝く 風吟
5月2日(木) 曇 4321
昨日は、マドリードやセビージャのホテルの予約をしていたら時間がなくなって本が読めなかった。闘牛の切符の問題も未だ解決していない。メールしても直ぐに返事が来ない。俺のスペイン語にも問題があるのだろう。こういう現実を受け止めるしかない状態だ。
ビルバオで6月に行う予定だった記念闘牛は中止になった。ホセ・トマスの復帰を待っていたが、その時期までに間に合わないようで、闘牛自体を中止した。なお、8月のセマナ・グランは9日間行われる予定である。
5月3日(金) 曇 10101
昨日北海道では雪が降った。日本列島が寒波に覆われたような状態だったようだ。最高気温が3月の気温というのだから、晩冬の状態。春から冬に逆戻りしたこの寒さ。冬服がなかなかしまえない状態が続いている。マドリードのように、40
de Mayo.5月でも寒いのだ。出雲行きの準備をしている。
そうこうしていると、また明日から競馬だ。そっちの準備もしないと行けない。忙しいったらありゃしない状態だ。仕事も忙しいので、暇な状態がない。だから闘牛情報のアップも出来ない。日記書いている場合じゃないよな、本当は。5月2日のマドリードのゴヤ闘牛は、フェレーラと、アルベルト・アギラールが耳1枚取った。
5月4日(土) 晴 4444
京都へは、『京都グラフィー』という写真展を観に行った。ねねがいた圓徳院では、石庭の後に掛け軸のように飾られた、細江英公の写真。土方巽や、三島由紀夫がはえていた。白黒写真って良いなぁと思った。五条でレンタサイクルを借りて、御所の当たりまで行って、それから四条まで戻って、圓徳院などを観たが、京都の街を始めて知った気がした。
ISOさんが京都は坂道が多いと言っていたが、京都駅がある八条から、御所のある、今出川や、一条辺りまでは、ダラダラと上り坂になっている。歩いていると気づかない。行くときも気づかなかった。しかし、帰りは殆ど自転車をこがなく良いので、ハッキリと坂上から坂下に向かっていることが解った。烏丸通りをよく観ると、京都駅方面は下りになっているし、反対は上りになっている。
タモリがいう高低差というのが街を観る楽しみというのが実感できた。京都で自転車というのは、非常に面白い。ISOさんは最近は、自転車じゃなくて、歩くのが良いと言っていた。それは、人間の自然な早さで体に馴染んでいるから、考え事が出来るからと言うことだった。
朝起きたら、メールが来ていた。どうやら、頼んでいた切符も届いたようだ。そして、セビージャの予定も確定した。
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