断腸亭日常日記 2013年 5月スペイン旅行日記

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲旅行滞在日記です。

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 5月14日(火) 晴 11111  成田のホテルにて

 成田のホテルで1泊。部屋で荷造りして来たが、現時点で重大な忘れ物は、ないようだ。後は、飛行機に乗り遅れないようにするだけだ。マドリードには、現地時間の夜中に着く。残念ながら14日の闘牛は観れない。15日サン・イシドロの日から闘牛観戦が始まる。4月に京都。直前は、出雲大社の遷宮を観る旅行をした。正直未だ、完全にスペインモードになりきっていない。

 昨日の夜に、Nさんと電話で話した。闘牛の話だった。それでようやく少し、スペインモードになりつつある。空港へ行けば気分も変わるだろう。乗り継ぎやマドリードの街に入れば、もうスペインと闘牛はそこにある。久しぶりのサン・イシドロだ。しっかり楽しんでこようと思っている。


 無事マドリードに到着した。23時で、温度計は14度を表示していた。マドリードは雨で寒い。ネットを観たら、今日の闘牛は耳が出なかった様だ。とにかく眠い。これから酒飲んで寝よう。


 5月15日(水) 曇 10014 マドリードのオスタルにて

 眠いのに、朝早く目が覚める。朝食を取りに街に出る。歩いて気づいた。今日はサン・イシドロの日で、休日。街の朝が遅いのだ。チョコラテと、チューロで朝食。部屋に戻り、PCで日記を書いている。眠いのでもう1度寝て、昼過ぎに起きて、くまさんの所へ行って昼食を取る予定だ。携帯を使えるようにしないといけない。夕方までには使えるようになるだろう。そしたら、下山さんへ連絡を入れる。

 マドリードは寒く、冬服を着ている人が多い。闘牛場へは、そういう準備をして行こうと思う。いきなり風邪を引きそうな天気だ。


 5月16日(木) 曇 10999

 昨日は、くまさんの所へ行って佐々木さんとと会ってエヘアで昼食を取った。シャンピニオンの卵和えと、ステーキでお腹一杯になった。京都、出雲の話をし、スペインの話もした。スペインの失業率25%で、若者の失業率は65%に上るというが、14日夜ソル周辺の人出は殆どが、若者でとても失業しているとは思えない状態だ。くまさん曰く、あいつら危機感がない。と、いっていた。

 佐々木さんからは相変わらず、熱い話が訊けた。ISOさんと京都で会っている話もした。旅行の企画の話も色々訊いた。そんな話をして帰りに携帯電話を借りた。それで、下山さんと祐一君に電話した。下山さんは元気そうだった。18日は、コルバチョはタラバンテを観にマドリードに来るという。だから、セビージャでは会えないようだ。祐一君とは闘牛が終わった後に会った。

 夕食を一緒に食べながら話をした。色々あった様で、どん底を辞めて違うところで働いているという。どん底に戻れば良いのにと思うけど、どうなんだろう?TD君は未だどん底にいるようだ。滞在中にどん底に行くことにしようと思う。祐一君とは夜中に会って飲むだろう。夕食もたっぷり食べたのでお腹一杯になってオルタルに戻って寝た。

 朝、メールを開くと万希ちゃんからのメールが来ていた。返事を出したが観るのは、マドリードに着いてからだろう。18日は万希ちゃん会う。すずめさんに電話して元気な声を聞いた。メッチャ喜んで貰ったのにはビックリした。三木田さんへは電話が通じず、Yさんと丸山さんへ電話した。2人とは今日会う約束をした。


 5月17日(金) 雨 7310

 朝から雨が降っている。寒い。何処かでは、雪が降っているという。メッチャ寒いマドリード。今日はノビジェーロ。これで闘牛は出来ないだろう。サンティアゴ・ベルナベウでは、国王杯(コパ・デ・レイ)の決勝が行われる。レアルとアトレティコ。TVEで、20時から中継するという。こっちを観ていた方が、良いような気がする。今日闘牛を観たら、確実に風邪を引きそうな天気だ。

 雨の中、アナスタシアさんに届け物をした。この雨じゃこれ以上外に出る気にはならない。昨日は、Yさんから去年のニームでやったホセ・トマスの記事が載った闘牛雑誌2種類4冊を貰った。これお金出さないと、と言うと、いつもお世話になっているからいらないとと言われた。お金じゃないのだ。気持ちなのだ。何にもいわないのにこういうモノをわざわざ買っておいて、来たときに渡してくれる。物凄く嬉しいことだ。こういう人を大事にしないといけないと思った。

 丸山さん夫婦と榎本さんにも会った。カステージャにガッカリしていた。僕の見解では、彼はラス・ベンタス闘牛場では、アタナシオ・フェルナンデス系の血統の牛で耳を切ってきた。アルクルセンのように、ファン・ペドロ・ドメク系の血統の牛では合わないんじゃないかと思う。期待が大きいだけに丸山さん夫婦もYさんも、けなしていた。ニームでプエルタ・グランデでもして良い気分で24日出てくるんじゃないかと思っている。そのことについては、割と楽観しているのだ。それにしてもみんな年取ったなぁと思う。旦那さんの方は、病み上がりかと思うような顔つきに感じた。そうそう一つ書き忘れていたことがある。スペインは不況でサン・イシドロのアボノを手放す人が増えたという。今までは、アボノを手に入れるのが大変だったのに、アボノ買いませんかという状態だという。勿論、観たいカルテルが減っている事も重なっているし、ホセ・トマスが出たら状況は一変するだろうが…。

 朝、明日の競馬の馬柱をプリントアウトして予想の準備をした。スペイン時間では、明日の夜中の3時から1Rが始まる。これから忙しい。


 5月18日(土) 曇 5771

 ベッカムが引退を表明した。彼のサッカー人生で最大の屈辱を味わったのは、1998年ワールド・カップ、アルゼンチン戦で、「宿敵アルゼンチンと拮抗した試合を繰り広げていたが、2-2で迎えた後半開始2分、ベッカムは自身を倒したアルゼンチンのディエゴ・シメオネ(Diego Simeone)にうつぶせのまま蹴りを入れ、退場を命じられた。 イングランドはPK戦の末に敗退し、ベッカムは帰国してからの数か月間は最大の戦犯として扱われた。」 ーーAFPBB Newsよりーー 事だった。彼はそれから精神的にも成長した。マンチェスター・ユナイテッドやレアル・マドリードの選手として活躍した。

 昨日は、シベレスではなく、ネプチューンだった。僕はレアル・マドリードのファンだが、昨日の試合はアトレティコを応援した。国王杯(コパ・デ・レイ)は、クリスティアーノ・ロナウドのヘッドで先制したレアルが、同点に追い付かれて、延長に入り、クリスティアーノ・ロナウドが反則への報復で倒れながらアトレティコの選手の顔を蹴った。そして、1発退場。当然である。その前から彼は、何もしないアトレティコの選手を何度も蹴りを入れていた。選手として最低の行為だ。

 ああいうのを観ていると、とても応援する気にはなれない。退場の後、アトレティコのディエゴ・シメオネ監督をはじめ選手も怒りを露わにしていた。怒って当然だ。サッカー辞めろといいたい。退場し1人少なくなったレアルは決勝点を奪われて2−1で負けた。通りのアトレティコファンの声が大きくなる。車のクラクションが鳴り、雄叫びが聞こえる。マドリードは、レアルファンより、アトレティコファンの方が多い。富裕層のレアルに対して、労働者階級がアトレティコファンが多いためだ。特にこの不況。アトレティコファンは歓喜した。

 ディエゴ・シメオネは、対戦前のインタビューで、「マドリーが優れていることを認めつつ、ファイナルでは何があるか分からないと勝利への意気込みを表した。

サンチャゴ・ベルナベウで開催されるファイナルで激突するマドリッドの2チーム。シメオネ監督の前日会見でのコメントを、スペイン『アス』が伝えている。 「ミスをすることができない相手だ。彼らはより優れている。それに疑いはない。だが、一つの試合ではすべて異なるんだ。すべてが可能なんだよ。我々は懸命に、謙虚に仕事をするチームだ。ハードワークと謙虚さ、チームワークで、マドリーと争うことができ、成功にたどり着けるという希望を人々に与えたい」 「モチベーションを伝えるのは良いことだが、今日と明日は選手たちにとって特別な日となる。過剰なモチベーションは良くないんだ。プレーをしなければならないんだからね。あとはそれからだ。恐怖も両チームにある。マドリーにもね」 アトレティコは今季のリーガエスパニョーラでもマドリーに連敗を喫している。 「我々はスピーディーで、しっかりボールをポゼッションし、2人のストライカーをうまく使って試合をしなければいけない。自分たちのことに集中している。ファイナルは美しいものだ」 「我々は彼らを苦しめるためにトレーニングしてきた。リーグ戦での対戦だって、勝つこともあり得たんだ。どの選手もモチベーションを感じており、明日の試合に勝つための準備を整えている」 」 ーーgoal.comよりーー  と、語っていた。

 そして、その通り優勝した。98年ベッカムが犯した過ちを、クリスティアーノ・ロナウドが繰り返し敗退した。その前に、モウリーニョ監督がベンチからの退場を命じられていたが…。エジルのシュートはことごとくはじき返された。ゴールポストにも嫌われ、ドフリー状態で2回、キーパーにはじかれ、キーパーがいないゴールへシュートしてもデフェンスにはじかれた。

 試合を観ていて、選手の顔が良かった。10番のトゥラン。髭面の風貌と言い何か好きだ。19番のデイエゴ・コスタも謙虚な1流選手の顔だ。そして、1番気に入ったのが、クリスティアーノ・ロナウドに足を蹴られた20番のファンフランだ。真面目なスペイン人の代表のような顔。エジルのシュートを跳ね返したのは彼だ。好感度は最高に良い。

 「スペイン『アス』がアルゼンチン人指揮官のコメントを伝えた。

「アトレティコを偉大なクラブとするために働くスタッフ、ファン、選手たち…。皆の手によって、この成功を勝ち取ることができた。アトレティはこのクラブを支えるソサエティの希望であり、また物事がうまくいかず、苦しみ抜く人々の象徴なんだ。努力を重ねることで、チャンスは必ず訪れる」 試合自体については、次のように振り返っている。 「チームは、各選手のハートによって勝利を収めた。恐怖を捨て去り、また持つべき運も手にしていたね。我々は自尊心と巨大な気概でもって、この試合に臨んだ。試合前からマドリーの方が優れていたことを認め、そんな彼らを相手に優れたプレーを見せることができた」 「グループがなければ、チームは存在しない。我々は団結したグループであり、だからこそチームとして成り立ったんだ」

また、アトレティコを支えるファンにもメッセージを送った。 「ファンには(祝賀会場の)ネプトゥーノに招待したい。今日はファンの熱烈な後押しによって、まるでホームのように感じられた。彼らはこのチームに誇りに思っているだろう。リーガ次節のマジョルカ戦で、その思いを爆発させてほしい。そうすれば、アトレティのファンがさらに増えることになる」

「思うに、ファンは14年前から、この瞬間を迎えることを約束されていたんだ。マドリーのホーム、コパ決勝という舞台、0−1から逆転することを運命づけられていたんだよ。今日は忘れられない日となる。フットレが『アトレティコというクラブを言葉で語るのは不可能』と話した意味も、今日理解できた気がするよ」 最後に、選手時代の会長であった故ヘスス・ヒル氏に思いを寄せている。 「会見を去る前に、J・ヒルの存在を今一度強調したい。天国で幸せを感じているだろう」 」 ーーgoal.comよりーー

 「アトレティはこのクラブを支えるソサエティの希望であり、また物事がうまくいかず、苦しみ抜く人々の象徴なんだ。努力を重ねることで、チャンスは必ず訪れる」と、言ったディエゴ・シメオネ監督。偉大な監督への道を歩いている。夜中に通りで愛称の、「チョロ・シメオネ」コールが聞こえていた。

 個人的な感想を書き忘れていた。アトレティコファンのホセ・トマスは、さぞ喜んでいる事だろう。でも思うのだ。アトレティコがヨーロッパチャンピオンになったときもそうだったし、今回もそう。ホセ・トマスが怪我で闘牛をやっていないときにタイトルを取るよなぁ、と。


 5月19日(日) 晴 8370 セビージャのホテルにて

 マドリードからセビージャへ移動。サンタ・フスタで下山さんと子供と合流して、カディスの奥の海岸へ行き、昼食を取った。パエジャではなく、アロス・マリスコを食べる。パエジャより水分が多いので食べやすく美味しかった。セビージャでは2日過ごし、21日マドリードに戻り、また、サン・イシドロを観る。セビージャの方が断然暖かい。元気そうな顔を観てホッとした。

 昨日は、闘牛が終わった後、万希ちゃんに会い、須美さんにも会った。タラバンテの闘牛の話をした。牛が悪かったのと、座布団が投げられたので、万希ちゃんはガッカリしていたが、退場の時に、拍手をしている観客も多かった。タラバンテがビクトリーノ・マルティンの牛でちゃんと出来ることが判っている観客が拍手を送っていた。耳は出なかったが、悲観するような事ではないと思っている。

 それから、万希ちゃんと夕食を取りながらタラバンテの闘牛の話、前日の国王杯のサッカーの話をした。お腹一杯になって帰ってきて、今日セビージャに着いた。


 5月20日(月) 晴 5298 セビージャのホテルにて

 ホテルの部屋でタバコが吸えないのは大問題だ。落ち着いてPCをいじっていられない。こんなホテルとは書いていなかったはず。しかも始めてホテルで、近所の土地勘が全くない。4つ星だから他は文句はない。風呂は、足を伸ばして入れるし、冷蔵庫にはビールなど色々入っている。今日はおそらく、セビージャ市内で過ごすことになるだろう。そういえば朝食は郊外と言っていた。

 昨日のサン・イシドロは、ディエゴ・シルベティが、雹(ヒョウ)が降っている中でファエナで、耳1枚を切った。これは、シチュエーションが生んだ耳だろうと思う。ああいう時、ラス・ベンタス闘牛場は異様に盛り上がる時があるからだ。昨日はロシオの巡礼もあった。


 5月21日(火)  7171 セビージャのホテルにて

 これからマドリードに戻る。セビージャの方が遙かに過ごしやすい天気で暖かさを感じる。また、冬のマドリードに戻るのかと思うとウンザリする。でも、闘牛を観るためならしょうがない。本来の目的は、何があろうとも闘牛を観ることだった。サン・イシドロを久しぶりに観て感じようと思ったこと。それをギリギリまで楽しもうと思う。

 昨日の朝食は郊外のバルで食べた。帰りにプルブラ・デル・リオに寄った帰り、ロシオの巡礼の馬車が大型トラクターで牽(ひ)かれてきていた。先導は白バイでその後に何十台モノ馬車が続いていた。ウエルバの方からセビージャへ持ってきているようだ。トラック野郎ならぬトラクター野郎が何十台も連ねて白バイ先頭に堂々とデモでもやっているような風景だった。

 昼食は、下山さんとサラゴサ通りのホテルのレストランで取った。アロス・ネグロと、イカである。アロス・ネグロは、思った以上に美味しかった。下山さんが食べたら、夜行くところの方が100倍美味しいと言った。それで、これも美味しいけどと、付け加えた。一旦ホテルに戻り夕食を取りにサンタンデール通りへ向かったが、まず慈善病院でムリーリョの絵を見た。ムリーリョの絵はコピーが多かった。それよりも、目立つのは骸骨の絵だ。ファン・デ・バルデスが描いた2つの絵。『栄光の終わり』とでも訳すのだろうその絵と対になっている絵は、いくらお金持ちになってもあの世へは財産を持って行けないと言うことを言っているようだ。

 それからレストランへ。雰囲気のある良いところだった。入口を入ると、カラス貼りの床の下に壺などが置いてある。壁は煉瓦で明るい。カルバッチョと、イカ墨のリゾットと海の幸スパゲティーを頼んだ。どちらも2人分あるかという量で、イカ墨のリゾットは昼のモノに比較ならないほど絶品。こんなの食べたら、他でイカ墨のリゾットを食べれなくなるようなクリーミーでコクがある美味しさが口の中に広がる。スパゲティーの方はベティス通りの店の方が美味しいと思った。デザートにイチゴを食べコーヒーを飲んで戻ってきた。メッチャ美味しいリゾット。これまで食べた中で最高だった。

 タウロデルタは、6月4日から9日まで行うフェリア・デル・アルテ・イ・ラ・クルトゥラの闘牛をネットを通じて中継するという。詳しくは、21日に発表される。


 5月22日(水) 晴 9999 マドリードのオスタルにて

 セビージャからマドリードに戻った。マドリードはやはりセビージャに比べて寒い。ソル近くからグラン・ビア近くの所にオルタルを変えた。今度の所は、部屋にトイレも付いているので良い。それとコシーナもある。料理しようとすれば出来る状態になった。ただ2日間だけなので食材調達などの関係で料理しにくい。

 マドリードに戻って、すずめさんと昼食を取った。京都、出雲の話をした。何かあっという間に時間が過ぎた。セビージャへ行くというので、美味しいスパゲティー屋とイカ墨のリゾットを食べれる所を教えた。今年のマドリードは危険な感じがしない。5月に入って旅行ばかりしているので、頭の整理が出来ていない状態のようだ。落ち着いて、何かを考えるという状態にない様だ。こういう時は本を読むに限る。

 レアル・マドリードは、モウリーニョ監督との契約を解消した。また、セビージャの大闘牛士、ペペ・ルイス・バスケスが死亡した。


 5月23日(木) 晴 8888 マドリードのオルタルにて

 ダービーの枠順が発表された。1番人気が予想されるロゴタイプは4枠8番。キズナは、1枠1番。コディーノは、1枠2番。エピファネイアは、5枠9番。いわゆる4強は、こういう枠に入った。昼食を取り、カフェで検討したが、エピファネイアは、ロゴタイプと一緒に馬券が買えない枠順番号だ。ロゴタイプから行くと、NHKマイルを勝ったマイネルホウオウも含めて、エピファネイア以外は買える。エピファネイアから行くと、ロゴ以外キズナ、コディーノが買える。キズナから行ってもコディーノから行ってもお互いが買えない。さて、どうなるか?

 小泉八雲を読んだりして、アナスタシアさんに会った。ちょっとしか話が出来なかったが、忙しそうに日常を過ごしているいるようだった。買い物を済ませ、帰国に備えた。FnacによってCDなどを観た。ビセンテ・アミーゴの新作『Tierra』が出ていた。気になったのは、『Idilico』というタイトルの曲があったこと。Idilico ってバルセロナでホセ・トマスがインドゥルトしたヌニェス・デル・クビジョ牧場の牛の名前だ。意味は、田園恋愛詩の;牧歌的な、のどかな。ひょとしたらホセ・トマスのインドゥルトに捧げた曲じゃないかと思ったのだ。


 5月24日(金) 晴 6666

 いよいよ今日が最後の闘牛。カステージャとタラバンテには頑張って欲しい。ビセンテ・アミーゴの『Tierra』に入っている『Idilico』という曲は、物悲しげな感じて始まる美しい曲。CDの『Idilico』の所には、「Lagrima del cielo,Dentro de ella un toro amando a su torero. 」と、書いてある。俺が日本語にすると味がなくなくなるが、「天の涙。その牛はその闘牛士を愛している。」

 明らかに、バルセロナでホセ・トマスがインドゥルトした牛、Idilico(ヌニェス・デル・クビジョ牧場)のことを曲にしている。あの時、確かパセイージョの曲は、ビセンテ・アミーゴが作曲した曲が流れたと記憶している。この曲ではないと思うが、それはどういう曲だったのかと、思いを巡らせる。

 ホセ・トマスは本の紹介でテレビに登場した。そして、今日バレンシアの興行主のシモン・カサスが、7月26日モランテとのマノ・ア・マノの可能性を語った様だ。やっぱり7月のバレンシアからの復帰は予想したとおりだ。また、ニームにも出るかも知れない。

 ホテルを空港近くに変えた。ホテルで足の伸ばせる浴槽と喫煙室。闘牛場からは遠いが、快適な場所だ。


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