−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行の滞在日記です。
10月1日(火) 雨 12671 伊勢の宿にて
朝、雨の東京から新幹線に乗って名古屋まで来て、乗り換えて、三重県の伊勢市に来た。電車の外はずっと雨だった。雨の中、昼過ぎにチェックインして、昼食を近くで取った。駅前なので外宮に近い。腹を落ち着かせて、外宮へ向かった。1時間ほど、ほぼ全て観た。遷宮記念館以外。そして、バスで内宮へ向かった。16時には、川原大祓の儀式があるので、それが観れるか、案内所で訊いたら、観れないけど、行列が観れるというので、中にはいると、右手には、神苑。見事な松。凄い。こういう松を観れるのは本当になかなか無い。その先に、五十鈴川、御手洗場。川魚や蟹がいた。綺麗な水。そして、木々の緑。
気付いたが、大分前に来たときに、玉砂利が深く凄く歩きにくかったが、今日は歩きやすい。玉砂利が薄く敷かれている様な気がした。それから神楽殿前を通り、正殿へ。正殿まで上る石段の石が見事だった。こういう石は、観たことがない。ヨーロッパの石段の様な感じだが、石は明らかに、日本の物で、日本式。正殿は、外宮もそうだが、内宮も20年使った正殿と、新しく建てた正殿が並んでいる。写真は撮れないが、神社は、寺と違って、白木をそのまま使うシンプルな物で、技術がそのまま建物に反映される。
出来上がった木の肌には、ニスとかも塗らないし、そのまんまだ。内宮内にある別宮に行ったが、階段横に木の柵が作られていたが、その木肌は、スベスベである。カンナがこんな風にちゃんとしっかりとかけられていると何もしなくて良いという事なのだと思う。正殿も当然同じだ。古代からの日本人の木造建築に対する圧倒的な技術はほとほと凄いものだと思う。
川原大祓の儀式を観た。と、言っても玉砂利の上を歩いていく姿しか見れないのだが、装束が凄いし、言葉を一切発しない。日本人の儀式というのは、祈り以外は、西洋人の様な、リアクションで楽しませたりとか、そういうことはしないのだと思った。小雨の中で濡れながら人々はタダ立って観ているだけだった。
帰りは、おはらい町通りを通って、アワビの姿焼きと焼きウニを食べて、五十鈴川駅まで歩き、伊勢市に戻った。
10月2日(水) 晴 15754 伊勢のホテルにて
朝6時過ぎに起きて、準備をしてホテルを代えた。それからホテルで朝食を取り、月夜見宮へ行く。歩いて直ぐの所にある。何故か蚊が多く3・4カ所刺された。近くに池があるためだろう。それから外宮にあるせんぐう記念館へ行って観る。原寸大の正殿の模型(本物の正殿を作っている宮大工が作っている)前で、車椅子の40歳ぐらいの男性が正殿の説明をしてくれた。丁寧で分かり易い説明だった。こういう風に身障者がこの役割を果たしているのは、今という時代を象徴しているのだろうと思う。
それから、外宮前からバスに乗って内宮へ向かった。今日は古市を通る道ではなく、御幸道路を通った。微古館を通り、倭姫宮前を通り、五十鈴川駅を通り、月讀宮前を通るコースだった。これなら、このバスを利用すれば、別宮が観れることを知った。明日か明後日に行こうと思った。内宮へ着いて直ぐに正殿へ向かった。遷宮される新しい正殿前と、今の正殿前で12時過ぎに列の人垣の動きが止まった。それから動き出すまでが、おそらく、御飾の儀式が行われていたのだろう。
25分になって動き出す。遷宮前の最後の参拝を終える。それから、御飾の儀式の列が荒祭宮へ曲がる所の坂道から降りてきて、角の所で膝を着き頭を下げたり柏手を打ったりして、また列をなして斎館へ向かっていた。列の先頭には女性がいたがそれが、天皇の長女だった。ああいう衣装を着て頭に巻いている顔がよく解らなくなる。
それから内宮を出ておはらい町通りで、てこね寿司を食べ五十鈴川駅に行って、近鉄に乗って伊雑宮へ行った。朽ちていく茅葺きを観ていると思うところがある。それから800mほど離れた佐美長神社へ行った。伊雑宮から出たら、爺さんがいて声を掛けられ、内宮はここで持統天皇がここに来ている。だから私らは今の内宮には行きません。ここが本当の内宮だと思っています。明治の頃に負けだんですよ、今の内宮にと、言っていた。
伊雑宮は、6月に田植えをする所。それなりの根拠があって言っているのだろうと思う。南北朝時代の北朝のように捨て去られた様な所なのかと思った。地元のテレビ局は遷御を放送している。中継は出来なく、録画での放送だ。これから三重のNHKでは、22時から特集番組を放送する。
たふとさに みなおしあいぬ 御遷宮 芭蕉
何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる 西行
10月3日(木) 晴 18588 伊勢のホテルにて
5時前に起きて、おにぎりを食べて、急いで近鉄に乗って五十鈴川へ向かった。それから2.3キロ歩いて内宮へ。6時から大御饌があったからだ。前日ホテルからタクシーを頼んだが、みんな考えていることは一緒で満車でダメだったから、電車で行って後は歩こうと思ったのだ。遷宮後初めての御神体への食事。正殿前は混んでいた。というより遷宮過ぎは初めの日だから余計内宮が朝から混んでいた。参拝後に儀式の様子もしばらく眺められた。
それからホテルに戻り、ホテルを代えて、また、内宮へ向かった。10時から奉弊が行われるからだ。装束はそれぞれの儀式と同じ遷宮の時に使う色つきの衣装だ。それから、おはらい町で早い昼食。松阪牛のステーキ重。そして月讀宮へ行った。バスで五十鈴川駅へ行きそこから徒歩で向かった。ここも寂れた感じの所で、木が朽ちて行く過程そのものが、物の哀れを感じる。そういう意味でも非常に日本的だと思った。
内宮に向かって歩く途中、猿田彦神社へ寄る。そこで今回初めてお守りを買う。内宮で古物渡の行列を観て、ホテルに戻る。15時にチェックイン。それから昼寝をして夕食を食べに出掛けた。伊勢に来て日本食のファミレスへ行っていたので、今日は違うところに行きたいと思って、外宮直ぐそばのバイキングのディナーをやっているところを見つけてそこで、地産の食材を食べる。伊勢うどんもここで食べた。
10月4日(金) 曇 28789 伊勢の宿にて
朝8時過ぎに外宮へ行った。遅めに行ったので、列の玉砂利を踏む音だけが聞こえた。ホテルを代えて、10時過ぎに行ったので、御鎮祭の終わりの列だけが観れた。それから、バスで倭姫宮へ行く。宇治山田に戻り、外宮近くで昼食を取り、二見へ行った。夫婦岩を観に行こうと思っていたが、旅行案内所で話を訊いたら、伊勢神宮の塩を作っている神社とその塩田を観に行くことにした。
参道でバスを降り、案内所で地図を貰い説明して貰った。御塩殿神社は歩いたが簡単に判った。問題は塩田。遠いし曲がった後が、わかりにくかった。通りがかった車を止めて訊いたら、説明するより連れて行ってあげるって感じで、車に乗せて貰って塩田到着。お礼を言った。そんなたいした所じゃ無いけどと爺さんの方が言った。運転していた婆さんの方はニコニコしていた。
わざわざ行って観れたことが、収穫だ。帰り道に時計を観たらもう16時。川原大祓は観れない。諦めて、夫婦岩を観に行った。戻って、夕食を食べ、飲み屋に行って酒を飲んで帰ってきた。今日も良く歩いて足がぱんぱんだ。明日も昨日様に早い。そして、雨の予報。
10月5日(土) 雨 28284 伊勢の宿にて
一昨日と同じく朝5時台に起きて、電車に乗って滝原へ行った。伊勢神宮別宮滝原宮を観るためだ。ガイドブックには駅から歩いて15分と書いてあったが、20分ぐらい歩いた。これぞ伊勢神宮という様な感じの所。静かで人もあまり来ない。鳥居から入ると太い杉の木が両側に植わっている。玉砂利を歩いていくと御手洗場がある。穏やかな川が流れている。五十鈴川とは趣が違う。こちらの方が小さいが子供時代遊んだ川に似ている。
こういうところが、良いなぁと思った。これから参道の続きを歩くと、参道の真ん中に太い杉の木が3本縦に並んで立っている。参道の真ん中に太い木が植えてある。というか、木があったのそれを、切らずにそのままにしているのが、何とも日本的な風景だ。少し歩くとまた参道の真ん中に太い杉の木が立っている。駄目押しのように立っている木が何とも良い感じだ。
滝原宮、滝原竝宮、若宮神社、川島神社が建っている。夏に来ても、秋に来ても、良い感じだろうなぁと思った。ただ、遠すぎるのと、交通の便が悪すぎる。伊勢神宮全125社。当然今回だけでは全部は見れないし、一生そんなことは出来ないだろうが、今回観た内宮、外宮、その中にある別宮と、外にある別宮は一応全部見ることが出来た。その中で、1番印象に残ったは、滝原だ。伊勢神宮125社巡りの本を書いている女性がいるが、その人が言っていたとおり、滝原宮は素晴らしかった。それと蛇を観た、伊雑宮も印象に残っている。
帰りの電車を待つ間、馬券を買った。午前中は調子が良かった。しかし、伊勢市に戻ることになると、流石に連日の早起きと歩き回っている疲れが、どっと出るような感じで体がもたなくなった。夕方になり少し寝て、飲み屋に行って、伊勢の地酒と肴で、夕食を済ませた。明日もまた早起きして、外宮の祭事を観て、東京へ戻る。
10月6日(日) 曇 17947 東京にて
伊勢から東京に戻ってきた。6時伊勢神宮外宮の大御饌を見るために早起きをして見ることが出来た。間近で帰りの行列も見れ、写真も撮れた。1箇所にこんなに長く滞在したのは、日本では初めてだった。スペインならマドリードが長く滞在する所だが・・・。美味しいものも色々食べれた。名古屋まで近鉄で来て、それから新幹線で戻った。
車中から競馬をやっていたが、今日はどうも良くない。さっき凱旋門賞が終わったが、オルフェーヴルも、キズナも優勝できなかった。オルフェが2着、キズナが4着だった。フジテレビは、急遽中継をやったが、非常に残念な結果に終わった。でも、現地でも1番人気になったオルフェーヴル、2番人気なった、キズナは、その現象だけでも、昔では考えられないこと。良くやったと思う。
10月7日(月) 曇 7381
伊勢に行っている時に、踏切内で倒れた老人を助けるために、踏切前で止まっていた車に乗っていた女性が、父親の制止を振り切り、助けに行って命を落としたという事象があった。これにはただただ驚いた。誰も真似の出来ることではないし、人間的に大賞賛されることだ。その村田奈津恵さんの葬儀が昨日行われていたが、菅官房長官が安倍総理の感謝状を持って訪れ、両親に渡したという。
「通夜の前には、菅義偉官房長官が斎場を訪れ、安倍首相名の感謝状を遺族に贈った。政府は人命救助に尽力したとして紅綬褒章の授与も決め、遺族に銀杯や神奈川県警の感謝状も届けられた。
菅氏は焼香後「身の危険が伴うにもかかわらず救出しようとして尊い命を犠牲にされた。人命を重んずる真に勇気ある行為を心からたたえる」との感謝状を代読した。
村田さんの中学時代の同級生という清水千賀子さん(40)は「まだ彼女の死を受け止められない。遠くで生きていると思いたい」と目頭を押さえた。黒岩祐治神奈川県知事や林文子横浜市長、JR東日本の冨田哲郎社長も姿を見せた。
村田さんの両親は「通夜の席で、奈津恵に『奈っちゃんは偉かったよ』と伝えました。日ごとに悲しみが込み上げてきますが、奈津恵の行動を誇りにして生きていきたいと思っています」とのコメントを出した。
事故は1日発生。父親恵弘さんの車に同乗していた村田さんは踏切内にいた男性に気付き、線路に入って助けた後亡くなった。男性は鎖骨骨折などで入院中。」 ーーサンスポよりーー
世界体操での、男子はメダルラッシュ。内村も素晴らしかったが、白井、亀山の金メダルも素晴らしかった。
10月8日(火) 曇 15899
今日は研修へ行って疲れた。昨日が伊勢から帰ってきて初めての仕事。そのあとが研修。ぐったりした。伊勢から帰ってきた日曜日に新しい部屋の風呂の浴槽に初めてお湯をはり風呂に入った。今まではシャワーだけだったが、浴槽に入るとやはり気分が違う。今日も疲れたので、浴槽にお湯をはっている。これから風呂に入ろうと思っている。
10月10日(木) 曇のち雨 19111/2
今日はスパに行って髪を切ってきた。10月10日ということで今日は銭湯の日で、安かった。のんびりしてうたた寝もできたのが嬉しい。昨日は、銀行やカード会社に電話をかけ続けて、住所登録の変更手続きをした。電話で出来るところが殆どだが、出来ないところもある。主要なところでは2つだけ残っている。近いうちに登録変更をしようと思っている。
10月11日(金) 曇 10311
バーナンキFRB議長に代わって次期議長に、副議長のジャネット・イエレン女史が指名された。「イエレン氏は「米国民の多くがいまだに職を見つけることができていない」と雇用創出を重視する姿勢を表明。金融政策ではバーナンキ議長の緩和路線を引き継ぐとの見方が多い。 オバマ氏はバーナンキ現議長とイエレン次期議長を伴ってホワイトハウスでの指名発表にのぞんだ。イエレン氏についてオバマ氏は「FRBで10年以上の経験があり、過去3年間は副議長として経済回復を促進する政策を推進してきた」と指摘。同氏のすぐれた判断力、経済分析力、合意を形成する能力、雇用創出を重視する姿勢などを評価して議長に起用したことを明らかにした。
あいさつに立ったイエレン氏は「雇用最大化、物価安定、安定した金融システム」を実現するために努力する意向を表明。特に多くの米国民が職を見つけられず、「どうやって家計をやりくりするか心配している」と述べ、雇用創出を重視する考えを強調した。 FRBはバーナンキ議長のもとで、失業率が6.5%に達するまではゼロ金利政策を継続するなど、ある程度の物価上昇を容認しながら雇用創出を促進する政策をとっている。
イエレン氏はFRBの中でも雇用創出を重視する「ハト派」として知られ、失業問題が専門の経済学者の出身でもある。今回の発言では米景気が回復基調にありながら、深刻な格差を生み出していることへの配慮が必要との認識を強調した。 金融政策ではバーナンキ議長の敷いた緩和路線を踏襲するとみられる。イエレン氏は「FRBは経済・金融システムに影響を及ぼす強力な手段を持っている」と指摘した。
大統領は今回のFRB議長人事について「大統領としての最も重要な経済での決断の一つ」と振り返った。イエレン氏は米議会上院での承認手続きを経て、女性としては初のFRB議長に就任する。 06年2月に就任し現在2期目のバーナンキ議長について大統領は「(金融危機に際して)大恐慌を防ぎ、金融市場を安定させるために大胆な行動をとった」と功績をたたえた。また同議長が今年1月に続投を望まないことを大統領に伝えたことを明らかにした。」 ーー日本経済新聞よりーー
イエレン氏は、金利を上下させることなく雇用創出し景気を上げる事を実行するらしい。当面金利は据え置きになるようだ。その「経済・金融システムに影響を及ぼす強力な手段」を見せて頂きたいものである。
昨夜、BSで奈良の薬師寺再建の事をやっていた。高田好胤は、10億円を集めるために、功徳があるとして、写経を推し進めた。それから金堂や西塔などを再建した。その中で再建のために請け負った宮大工の棟梁などが、昔の技術を細かく調べ上げて再建した。面白いと思ったのは、薬師寺が、天武天皇によって建立が開始され、持統天皇の時に、完成したという。伊勢神宮の遷宮が始まった時期と同じで、遷宮を言いだしたのが、天武天皇で、実施したが、持統天皇というところまでが一緒だった。この時代に、天皇と政治が強固になっていったのかのもしれない。
10月15日(火) 晴 48352/4
引越しは終わったが、終わっていない。というのも荷物が片付いていないからだ。部屋に荷物が一杯の状態で、一向に片付かない。日曜日の、『笑っていいとも』で、『半沢直樹』に主演した、堺雅人が、普段から断捨離をやっていることを言っていた。能年も出ていたが、印象に残っているが、話が残らない。
夜は、チーズ作りの仕事の流儀が、面白かった。迷ったら、めんどくさい方を選ぶ。誰もやったことがないことが待っている。と、言っていた。厳しさとは、こういう所から養われる環境設定なのだろう。夜、科学番組を見ていたが、アインシュタインの公式が出来てきた。
E=mc2(イー・イコール・エム・シー・二乗)
10月16日(水) 雨のち曇 15895
台風のために雨が降り、風が吹いた。通勤通学時間帯に、首都圏を通ったために交通網混乱した。伊豆大島では大規模な土砂崩れが起きて死者が16人、行方不明者が40人以上出ている。台風は北海道へ抜けたが、その北海道では、平年より20日から25日早く雪が降り積もった。
伊勢で買ってきた水出しできるお茶を入れてみた。驚く程よく出るお茶である。伊勢はというか、三重はお茶の産地で日本で3番目ぐらいのところらしい。おはらい町通りのあの店で買ってきたが、正解だった。水出し珈琲は知っていたが、水出し茶というのは初めて聞いたし、その驚きで買ってきて試した。悪くない。店の人は、お湯で出したほうが美味しいと言っていたが、充分美味しい。これで、焼酎を割って飲もうと思う。
2日前に、塩麹と醤油麹で漬けた大根とキャベツは、良い具合に漬かっている。麹の他に大葉とわさびを入れたが、これがいい感じで効いている。
10月17日(木) 晴 7539
朝、病院へ健診の結果を持っていった。薬を替えたほうが良いということになった。明日から替えた薬を飲むことになる。夕方、渋谷へ行った。オーチャードホールで、ビセンテ・アミーゴのコンサートを見るためだ。久しぶりの渋谷で、東急百貨店本店の行き方を迷ってしまった。渋谷の街は、若者が一杯で、新宿よりも綺麗な女子が多かった。そして、多くの若者がたっていた。待ち合わせというより、暇を持て余している感じだった。
ビセンテ・アミーゴのコンサートは、カンテが付いていた。フラメンコを楽しめた。が、『カンポ・デ・ラ・ベルダ』『イディリコ』は演奏しなかった。2時間弱、彼のギターに酔った。フラメンコは、タブラオでやるときなどは、即興が大きなウエートを占めるが、レマテのところで、演奏をスパッと切るフィーリングは驚いてしまう。楽譜では、できなことで、即興という意味では、ジャズに似ている。が、あの息の合ったレマテの決め方は、日本人にフィットする。
10月18日(金) 曇 7197
今日は、秋1番の寒だという。もうめっきり秋だ。朝のBSの朝ドラは、『純情きらり』から『ちりとてちん』に代わった。昔から朝ドラは、若い女性が主人公である。男より女の方が見たいと思うし、視聴率も取れる。昨日ビセンテ・アミーゴのコンサートの帰り、昔よく行ったロック喫茶へ行った。そこで、『京都の旅』松本清張、樋口清之著を読んでいた。本願寺のところに、女の髪の毛が飾られていることが書かれてあった。柱の木を引くために使ったものだ。
信徒の女性が、髪の毛を切って本願寺に提供したものである。伊勢神宮に行った時も、柱の木を引くために女性が髪の毛を提供して縄を作った。山田風太郎の忍法帖シリーズにも女の髪の毛で綱を作って使う忍者が出てくる。中には、女の陰毛を使う忍者もいる。強い縄ができるという。それだけではなく、女の髪の毛を使うというのには、その神秘的な力を借りるということがあるような気がする。
10月21日(月) 曇 35678/3
天野祐吉が死亡した。雑誌『広告批評』を創刊し編集長をやってテレビのコメンテーターとしても活躍した。後任の編集長は、あの島森路子だった。問題というか、物の切り口が非常に面白かった。こういう感じ方、感覚があるんだと思った二人だ。島森さんも死んで、天野さんも死んでしまった。
『あまちゃん』で、「あまロス」になった人のために、NHKは、色々番組を流している。天野アキ役の能年玲奈が、ドラマの北鉄のモデルになった、第三セクター三陸鉄道の盛駅のイベントに参加して踊った番組をやっていた。それを録画で見て、あの笑顔だけでみんなを幸せな気分にしてくれる。こういうキャラクターは非常に珍しいし、貴重だ。
ISOさんにメールした。11月の京都旅行の計画ことを報告した。行く時期には時間があるので会えるという。また今年もMEGUさんと一緒に行く。シーラさんも来るかもしれないし、来れないかもしれない。
10月23日(水) 曇 15432/2
また、台風が発生して、日本へ向かっている。週末に近づく。伊豆大島では、復旧作業が徹夜で続いている。土日はどうなるのだろう?京都旅行の準備も始めようとガイドブックをめくっている。今年の京都の紅葉はどうなんだろう。京都も台風の影響を受けた。
10月24日(木) 曇 5555
記憶には、二種類あるという。一つは覚える力。もう一つは、思い出す力。覚える力は、加齢によって変化はあまりない。変化があるのは、思い出す力の方だ。思い出す方法を工夫すれば、記憶力がアップすることになる、というのが、今回の、『ためしてガッテン』だった。つまり脳の部分で言えば、海馬である。
どうやらこれは、自分の家や、職場などの「場所」に置き換えてイメージ化して、関連付けると、物語のようにして記憶できるというのだ。「場所細胞」というのがあってそれは、訓練によって年をとっても増えていくのだという。ロンドンのタクシーの運転手は、ベテランほどこの「場所細胞」が多くなっているという結果が出ているという。あと、有酸素運動をすると良いという。
10月29日(火) 雨 68952/5
今日は朝から雨が降って、遅く起きて朝食を食べた。テレビでワールド・シリーズをやっていた。レッドソックスが2点勝ち越したところで出かけた。土曜日の夜、競馬の予想用の印を打って酒を飲んでいたら、目が真っ赤になっているのに気づき、それがなかなか取れなくて、眼科に行った。すぐに検査をしてもらい、検診した。女医曰く、心配ありません。メガネの方もちゃんと度があった合ったものを使っているようですし、心配ないという。白目が赤くなったのは結膜下出血という、いわゆる鼻血のようなものだという。そのままにしていて治りますという。
レッドソックスは、最後上原が投げて勝った。第6戦は地元ボストンに戻る。リーグ優勝決定戦で、MVPを取った上原。このままレッドソックスが勝ってほしい。土曜日は、部屋で競馬。日曜日は、東京競馬場へ行った。当たり出すと続くが、外れ出すとこれも続く。特別レースになって当たったり、外れたりを繰り返し、天皇賞は、外した。ほぼ負けが決定したような状態だった。それから、駅に向かう途中に、新潟最終を買い、電車の中で、京都の最終と東京の最終を買った。
車中で天皇賞秋の結果を振り返った。Mさんと一緒に競馬に行ったので、Mさんはこの日も儲けている。木曜日の時点で買い目を決めていたのに、なぜ三連単じゃなく三連複を買ったんだろうと、後悔していた。俺はこういう馬券も取れないとマイナスになる日が増えるなぁと思った。ワイドを買うにしても、三連複や三連単の配当も見たほうが賢明なような気がした。そんな話をしながら、新潟の結果を見ると、ワイドが2点が当たっていた。ワイドでは大きい方の配当。その後、京都と東京も連続して当たった。
最終レースを良く当てるが、Mさんがいうには、俺は、その日の傾向をつかんでいるから当てるのだという分析である。確かにそれはあると思う。新潟の最終は、メインで来た菱田騎手2番人気から行って3点。これだったら万馬券になった三連単だって買えた。京都は、四位騎手5番人気から2点。東京は、横山典弘4番人気から行って2点。これでプラスに転じた。ちゃんとしたその日の傾向で買っている。根拠がある馬券。
今月来月と忙しくて、会の開催が出来ないでいる。そろそろみんなにメールでも出してどうするか相談しようと思っている。
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