断腸亭日常日記 2013年 その4

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲旅行滞在日記です。

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 5月26日(日) 晴 7777 東京にて

 朝、成田に到着。空港でウォシュレットを使ったら、日本に帰ってきたんだと実感した。それからネット使ったりタバコを吸って、新聞を買って電車で家に戻る。昼食を取り、東京競馬場へ向かった。競馬場でkたちと待ち合わせ。ダービーの人出は凄かった。大群衆がスタンドを埋めていた。ダービーは、四強では1・2・3着は決まらないだろうと思って、穴は2枠3番のアポロソニックからと思い、ワイドを買った。レースは逃げたアポロが、向正面でメイケイペガスターに先を譲り、2番手で直線へ。そこから勝浦の手綱捌きがさえて、3着に残ったのは良いのだが、1番人気3番人気を買ってなかったので外した。買えよなぁと、自分自身に言った。

 せめて、アポロから四強に流していればワイドは取れたし、3連複も取れた馬券だった。「JRA競馬の祭典・第80回GI日本ダービーが26日、東京競馬場2400メートル芝を舞台に争われ、武豊騎乗の1番人気キズナ(牡3=栗東・佐々木晶厩舎、父ディープインパクト)が優勝した。後方3番手の位置取りから直線大外を豪快に伸び、ゴール手前で2着エピファネイアを鮮やかに差し切り。文句なしの勝利で3歳馬の頂点に立った。良馬場の勝ちタイムは2分24秒3。

 勝ったキズナは今回の勝利でJRA通算7戦5勝、重賞はGIII毎日杯、GII京都新聞杯に続き3勝目。騎乗した武豊は05年ディープインパクト以来となる歴代最多を更新するダービー5勝目、同馬を管理する佐々木晶三調教師はうれしいダービー初勝利となった。

 一方、ゴール前で大逆転を許した福永祐一騎乗の3番人気エピファネイア(牡3=栗東・角居厩舎)は、半馬身差の悔しい2着惜敗。さらに1馬身1/4差の3着には勝浦正樹騎乗の8番人気アポロソニック(牡3=美浦・堀井厩舎)が入線。なお、2番人気の皐月賞馬ロゴタイプ(牡3=美浦・田中剛厩舎、C・デムーロ騎乗)は3着からハナ+ハナ差遅れの5着に敗れ、二冠はならなかった。

 その鮮やかすぎる、そして美しすぎる勝ちっぷりに、東京競馬場が震えた。そして、こだまする13万9000人の大「ユタカ」コール。ゆっくり、ゆっくりと喜びをかみしめるようにウイニングランを踏んだ天才は、何度も右手を上げてその声に応えた。
「いやあ、懐かしいなと思いましたね(笑)。でも、スタンドを見ると、ファンの方が本当に喜んでいるように見えましたし、そういった嬉しそうなファンの顔を見ることができて、本当に嬉しかったですよ」
 検量室に戻ると、横山典弘が満面の笑顔で真っ先に武豊に抱きつき、同期の蛯名をはじめ各ジョッキーが次から次と握手を求め、祝福した。

 やはり、大舞台が最も似合う男だ。競馬ファンもきっと、このシーンをずっと見たかったに違いない。そんな思いと後押しが、皐月賞馬を抑えての1番人気という評価にも表れていた。1990年代から2000年代半ばまで当たり前のようにダービーでも上位人気に乗ってきた武豊だが、1番人気馬に乗るのは05年のディープインパクト以来8年ぶり。ダービー勝利もそのディープインパクト以来途絶えていた。それどころか、自身の成績の下降に比例するように、ここ2年は見せ場も作れず2ケタ着順の惨敗に甘んじていた。
「個人的なことですが、ここ数年は成績が落ちて、なかなかいい結果が出なくて苦しかった。でも、自分も負けずに一生懸命やってきたから、キズナという素晴らしい馬と巡り合えましたし、ずっとダービーを目標にしてきて、こうして答えが出せて本当に良かったですね」

 シビアな勝負の世界に身を置く者として、「実力の世界ですからね、全員がいい結果を出せるわけではない」と、冷静に自らの現状も受け止めていた。しかし、あの“武豊”がこのまま終わるわけにはいかない。
「今回はどうしても勝ちたかった」
 キズナのデビュー2戦目までコンビを組み、現在は落馬負傷のため療養中の佐藤哲三のためにも、その後任として自分を指名してくれた前田晋二オーナーと佐々木晶調教師、そして1番人気に推してくれたファンのためにも負けるわけにはいかなかった。
「あまり決めていなかったんですが、もう4回もキズナに乗っているので、自分の感覚を大事にして乗りました。ポジションよりも、馬とのリズム、走りを重視しました」
 そう振り返った道中は後方から3番手のポジション。前残りの傾向があったこの日の馬場状態を全く無視するような大胆な位置取りこそ、人馬の絶対的な信頼の表れ。ちぐはぐな競馬で5着に敗れた3月GII弥生賞のコンビはもうそこにはいなかった。
 しかし、そんな中にも「枠も1番でしたし、きょうの馬場だと外はあまり回れないなと思っていたので、いかにロスなく、気分良く走らせるか」と、天才の緻密なハンドリングは見逃せないところだ。

 そして迎えた最後の直線。ここで武豊は満を持してキズナを外へと持ち出すが、「前の馬がフラフラしていて」と前方が壁になり、進路がふさがれてしまう。絶体絶命かと思われたが、甦った天才ジョッキーには迷いも気後れもなかった。あるのは、ただ前へ、その一念のみだ。
「あの場面は僕も引けないところ。馬もよく応えてくれました」
 馬1頭分あるか、ないかの狭い箇所に勇気を持って突っ込み、力でこじ開けた先に広がっていたのは栄光のダービーロード。上がり3Fの末脚は破格の33秒5。大外から一筋の矢のように伸び、いったんは抜け出していた福永エピファネイアをゴール前で測ったように差し切った。この瞬間、“飛ぶ”と評された武豊&ディープインパクトの姿を、キズナと武豊にダブらせたファンも多かったことだろう。
「嬉しかったですね。最高に嬉しかった。ディープインパクトの子でダービーを勝てたのは本当に嬉しいですし、ファレノプシス(1998年桜花賞を武豊騎乗で勝利)の弟で勝てたことも嬉しいです」

 一方、佐々木晶調教師は「ユタカ君も本当に命がけで乗ってくれた」と、直線で狭い進路をこじ開けた騎乗を大絶賛。そして、愛馬キズナの勝利と同じくらい、いや、それ以上に言葉に力を込めて、こう語った。
「とにかく、武豊君がダービーを勝ったのが良かった。彼は競馬界の至宝ですからね。本当に絵になる男だよ。きょうはパドックからユタカ君にはすごいオーラがあったからね(笑)」
 キズナに対しても「生まれた時からオーラが違う」と別格の扱いをしているだけに、キズナのオーラと武豊のオーラと、佐々木晶調教師の目にはこの日、2倍以上のオーラに満ち溢れていたコンビに映ったことだろう。
 そして、目標にしていたダービーを勝ち、新たに生まれた大きな目標は、世界一を決める伝統の芝レース、凱旋門賞(10月6日、フランス・ロンシャン競馬場2400メートル)だ。会見の席上では明言こそしなかったが、「やっぱり3歳が有利なレースだし、行くなら、ステップはフォア賞じゃなくて、札幌記念あたりがいいと思っている」とトレーナー。すでに登録は済ませており、オーナーも「凱旋門賞は武豊騎手で」と答えている。あとは正式なGOサインを待つのみだ。

 武豊にとって忘れられないのが、06年の凱旋門賞。ディープインパクトで3位入線(その後、禁止薬物検出のため失格)と敗れ、その時から心に誓っていたことがある。
「ディープインパクトが凱旋門賞で負け、彼が引退したとき、ディープの子でいつか凱旋門賞に出たいとずっと思っていました。実現すれば嬉しいですね」
 今後は鳥取県の大山ヒルズで放牧に入り、つかの間の休養となるキズナ。ひと夏を越えた第80代ダービー馬は、どれほどのパワーアップを遂げて帰ってくるのだろうか。そして秋のフランス、父ディープインパクトが果たせなかった日本競馬界の夢を追い、武豊とキズナがロンシャンの芝で“飛ぶ”姿を目に焼き付けたい。」 ーースポーツナビよりーー

 ISOさんが哲三が乗って勝った黄菊賞を京都競馬場で観てて、あれはちょっとモノが違う。と、言っていたのを思い出す。武じゃなくて哲三が乗っていたら当然買ったと思うし、喜びも全然違っていた。今日の反省は、四強で決まらないと思ってアポロから行くのは正解だった。そこから行くなら徹底してアポロから四強へ三連複を買っていれば、万券(17130円)が取れた。ワイドでも、2630円、4470円の配当が取れた。

 今日は、軸が殆ど合っていた。馬券が外れたレースでもダービーと同じような具合だった。当たったレースは千円台、二千円台の配当で、良い当たり方をした。

 所で、24日タラバンテのプエルタ・グランデの後、みんなが集まっていた。行くとYさんが明日帰るんでしょう?と、言ってそのままみんなと挨拶をして立ち話をした。それで済まなくなって一杯やることになってバルへ行った。そこから1時間以上話し込んだ。時計を観ていなかったので時間は正確じゃない。みっちり闘牛の話をして、くまさんの所へ向かった。というのは、携帯を返さなきゃならないから。23時頃到着して、それから2時間半。旅行に来ていたご夫婦と楽しい話をした。気がついたら1時半。それからホテルに戻ったのは2時過ぎで、6時に目覚ましをかけて目が覚めて電気を点けたがまた寝てしまって、8時2分前にフロントからの電話で起こされた。バスの出発時間だったからだ。

 もう自分でどうしようもないなぁと思いながら荷造りをして、食事を取らずにタクシーを呼んで貰い空港へ行った。そしてあわただしく帰国便に搭乗した。今日の東京競馬場も楽しかったが、24日のスペインも楽しかった。今日は、終わってkたちと3人で、シズラー(Sizzler)へ行って夕食を取った。kが美味しいと言うことを言っていたので入ってみると高い。サラダ・バーで2000円。海老とイカを頼んで4000円弱。家族連れが多く、2組が誕生日だったようで、店員からハッピーバースデーの歌を歌って貰っていた。女性、子供の受けが良いのはよく解る。店を出たときには、15人くらいが並んで待っていた。2000円でお腹一杯になり楽しめるのだから家族連れは来るだろうなぁと思った。


 5月27日(月) 曇 8888

 時差調整のため、今日は休み。朝食は、納豆おろし。満足な朝食だった。それから医者へ行った。薬が切れそうなので処方箋を出して貰い、調剤薬局へ行き薬を受け取る。それから、家に帰ってネットなどして、昼前にスパへ行った。散髪をしようとしたら12時半にと言われ、先に昼食を食べることにした。イワシの生姜煮の定食。みそ汁にはワカメが入っていた。下山さんが血圧下げるなら昆布を取れば良いと言っていたので、ワカメの同じだろうと思って嬉しかった。

 それから散髪をして風呂へ。ジェットの浴槽に入り、蒸し風呂に入り、不感温泉。それから体を洗いジャンプーをし、髭を剃った。それから岩盤浴をして仮眠。これを2度繰り返し、買い物をした。餃子を売っていて、焼き方を教わり夕食を作って食べた。スパでは、『週刊競馬ブック』に印を付けたりして来週の準備。スペインいるときはこういう事は出来なかったが、日本にいるとこれが出来る。

 朝のネットで昨日闘牛の結果が出ていたが、チェチュがコヒーダで重傷。そして、アルベルト・アギラールが最後の牛で、観客の強い耳要求があったにも関わらず耳が出ず、初めの牛での耳1枚だけで、プエルタ・グランデ出来なかったと書いてあった。アルベルト・アギラールにとって一生の重大事で、プエルタ・グランデするとしないのでは闘牛士人生が一変してしまう。さぞ、ガッカリしているだろう。実際観ていなかったので、プエルタ・グランデの価値があるファエナかどうかは定かではないのだが…。


 5月28日(火)  9999

 ISOさんがキズナが凄い馬だと言ったときに、こう付け加えた。最近東日本大震災とかで、「絆」とか言っているけど、ああいうのは見せかけで良い使われ方をしていない様になっている。そういう意味では、名前が良くないけど…。と、言っていたのを思い出す。その言葉を聞いて、闘牛の会のことを思い出した。見せかけだけのモノだったのがハッキリしている。非常に嫌な思いをしたので、ISOさんが言っている事は、直ぐに判った。実際ダービーを勝つと、絆という言葉を、強調して、生産者と馬主の前田兄弟の絆とか、佐々木昌三調教師と、佐藤哲三騎手、武豊騎手の事が最もらしく、「絆」という言葉で賞賛されている。こういうのを観ると、ISOさんが言った、見せかけの「絆」を感じる。下山さんや、くまさんや、Yさんには感謝している。スペインに行って歓待して頂いたからだ。すずめさんも。今回じっくり話が出来なかったM夫妻、三木田さんなどもそう。

 佐々木昌三調教師は、元々有名騎手を自厩舎の馬に乗せたがらない人だ。だから、下手くそでも調教からずっと馬に乗ってその馬を手の内に入れようとする佐藤哲三を主戦にしてきた。それが去年落馬して内ラチに激突して骨折などの大怪我をして乗れなくなった。それで、馬主サイドが武を指名したと言ういきさつらしい。調教師からは武は指名しなかったと思う。佐々木昌三、佐藤哲三と言えば、言わずと知れた、タップダンスシチーでGTで活躍して、人気薄でJCだって宝塚記念だって勝った。そういうコンビである。いわゆる穴の哲三。

 俺は何か知らないが、超1流が好きだが、こういういわゆる売れない騎手というのが無性に好きだ。闘牛士でもそうだが、サン・イシドロで突然開花して、プエルタ・グランデや耳を取る闘牛士を応援したくなる。だから、キズナには哲三が乗ってダービーを勝って欲しかったと心から思う。あいつ、病院のベットで悔しかったと思う。そういう思いを、戻ってきたらレースに反映させて欲しいと思う。下手だから無理かも知れないけど、哲三がんばれよ、と思うのだ。

 良いとこ取りの武豊は相変わらずだが、新聞の記事を読んでいると、哲三が喜んでいる様でそれが嬉しい。こういうのを励みにして、早く復帰して欲しいモノだ。実際ラジオNIKKEI杯も、弥生賞も哲三が乗っていたら勝っていた様な気がする。しかし、ダービーを勝てたかどうかは判らないが…。哲三は妙に「馬が合う」という馬がいるのだ。ダートのGTで活躍したエスポワールシチーだってそうだし、キズナだってそうだと思うのだ。武豊のキズナじゃなく、哲三のキズナだと今でも信じている。哲三!お前を待っている人がいるんだぞ!リハビリに励んで、出来るだけ早く復帰してくれ!


 5月29日(水) 曇 20101

 出勤してスペイン行ってきたら、ある人から顔が違うと言われた。好きなところへ行って来たからそう言ったのだろうと思う。実際そうなのかは、判らない。少なくてもそういう風に、思っている人がいるということ。

 雨が降りそうで、なかなかざーっと降らなかった雨。今日はこのままもつのか、もたないのか?


 5月30日(木) 雨 12345

 日本に帰ってきて、電車や街中ではどうなっているんだろうという人がいる。人の足を踏んで、そのことを指摘すると嫌な顔をして逆ギレ状態になったり、電車の中では、意地の悪いまねをしたり、東京という都会の精神状態の悪さを如実に表しているような光景に出会う。ウンザリするような思いは、日常的に積み重ねられている。耳はイヤホンやヘッドホンで塞ぎ、外の音を遮断して、他者を無視した行動を平気で取っていても、悪いとも思わない人たち。携帯とかスマホを観て、廻りを気にせず自分だけの世界が、世界の全てのような人たち。

 どうかしている。と、思っているのは、俺だけじゃないだろう。他人から指摘されるのは決して良い気分ではないのは承知しているが、自分の行動や行為が、他人に迷惑になっているところを、冷静に判断できない。その時の自分の感情にまかせて、ある意味その人らしく、キレてしまう。閉口して、関わりたくない気分になる。日本って、「すいません」 「ごめんなさい」が、言えない人が多くなったなぁと思う。また、「ありがとう」も言えない人が増えた。

 社会的な基準を、押しつけとしか思えず、個人的な基準も持ち合わせていなかったら、ドンドン人との関わり合い、交わりが出来なくなる。人と話をすることだって出来なくなるし、議論すら出来なくなる。他者を認めない人たちが、いかに多いか。スペインとは、こういうところが違うなぁと思う。人と話をすることが、好きでなきゃダメでしょう。勿論、当たり前に日常を送っている人が大半だが、こういう人がいると、目立つのだ。まともな人が迷惑する。

 ホセ・トマスは、マラガにも出場する様だ。僕は、誤解していたようで、マラガはチョペラが興行主と思っていたら、シモン・カサスと、ペペ・クティニョだった。シモン・カサスは、バレンシアの興行主もやっている。だから出場しておかしくないと言うこと。


 5月31日(金) 晴のち雲 10203

 上野国立西洋美術館へ行って『ラファエロ展』を観てきた。凄い人である。出雲へ行く前に国立博物館でやっていた、『大神社展』を観たとき、やっているのを知って、6月2日までなので、スペインから帰ったら観ようと思っていたのだ。そして、今日観た。入場券を買うのに10分ほど並び、入るのにやはり10分ほど並んで入ったが、人が沢山で観れない。日本の美術館は、盛況でもドンドン人を入れるので、落ち着いてなど観れない。プラド美術館では、入場制限をして入るまでは30分でも待たせるが、入れば落ち着いて観れる環境を整えている。

 これでは、桜や紅葉を観る京都の寺と同じ状態だ。中は歩くのも大変な状態で、人を見に来たのか、絵を観に来たのか解らない状態だ。『聖母』と言えば、僕はラファエロか、ムリーリョの絵が頭に浮かぶ。ムリーリョはスペインで一杯観たが、ラファエロはイタリアに行かないとなかなかまとめて観れない。だから、行ったのだが、この人出にウンザリした。聖母はやはり良かったが、美術展自体は相当ガッカリだった。

 その奥では、『ダビンチ展』をやっていた。『ミケランジェロ展』もあるという。ルネッサンスの三巨匠を観に通うと思う。何故、ルネッサンスが始まったか?簡単に言えば、それは女の裸を描きたかったからだ。題材を、聖書や、ギリシア神話にして裸体を描く。口実を、聖書や神話を伝えるためとして、実質そうやって、実際の裸のモデルなどを使ってリアルに描く事が本当の目的である。女に興味のない男は、ほぼいない。女にも裸にも興味は尽きない。だからこそ、立派な口実を必要とした。建て前と本音が両立したのがルネッサンスである。ここから、絵画をはじめ美術が近代へと走っていく。

 本社によったら、Mさんがいたので、帰りに喫茶店で、『Mワクチン』、またの名を『競馬アルゴリズム』の話をしてきた。軸の決定力が抜群に当たるようになってきたので、これからは、年にいくら儲かるか、または、月や週にいくら儲かるかという現実的な問題になってきている。そういうことで、これから明日の準備である。


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