−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲旅行の滞在日記です。
6月24日(月) 曇 11954
五木寛之が、『親鸞』という本を書いていることは知っていたが、一切の興味がなかった。しかし、『仏の発見』を読んでいて、色々なことが語られていて非常に面白い。始めて阿弥陀号というのを知った。例えば、能の世阿弥などがそれであるが、そういうことも『仏の発見』に出てくる。
「五木 『梁塵秘抄』というのは、『万葉集』や『古今集』と比べても、遜色ないくらい大きい存在だと思いますし、あの中にある、たとえば、「はかなきこの世を過ぐすとて、海山かせぐとせし程に、万の仏に疎まれて、後生我が身をいかんせん」。
「万の仏に疎まれて」というのは、ほんとうに心にひびきます。あの時代の「海山かせぐ」という、卑しい職業をしながら生きてきて、「万の仏」という、八百万の神様から全部の仏様まで背中を向けられて、お前なんかダメだと言われているよな人びとの「後生我が身をいかにせん」というのは、絶唱ですよね。
梅原 世阿弥の能に「清経(きよつね)」というのがありましてね。清経というのは平家で、重盛の子供ですけどね、戦に行ったが、戦線離脱して、海の中に飛び込んで死ぬんですわ。これはやはり武士としても最低の、ダメ人間です。平家がずっと敗けて九州にのがれて、宇佐の八幡に参るんだけど、宇佐の神様にも見捨てられた平家の運命を誰よりも深く感じ、敗戦は確実だから、雑兵の手にかかるよりはと身投げをする。
五木 武士としては、ちょっと情けない。女々しすぎる武将ですけど。
梅原 『平家物語』では、軽いエピソードとして扱っているのですが。
五木 なるほど。
梅原 それを主人公にして能を作るというのは、そこに世阿弥の思想がある。やっぱり世阿弥の眼はいつも、成功した人間じゃなくて、この世でダメだとされる人間、神に捨てられたような人間に向けられている。
五木 そう。「万の仏に疎まれて」という人間。
梅原 疎まれたんですよ。
五木 そして、後生我が身をいかせん、ああ、という嘆き。「海山かせぐ」という言葉も、小説家という職業なんか、現代の「海山かせぐ」だなと思いますけどね。
漁師、猟師、炭焼きから車借、馬借、白拍子、そういう遊芸人や商人まで全部「海山かせぐ」の人びとです。そういう人びとが「万の仏に疎まれて」と、みんなに背中を向けられたところへ、たったひとり出て来て、あんたたちこそ救いたい、と本願を立てた仏さんがいる。それが阿弥陀如来だという。法然が言ったのは、「いや、こっち向いてくれる仏さんがひとりいるんだよ」ということでしょ?
梅原 そうです。あなたの言われるように、能のシテは万の仏に疎まれた人間です。
五木 ただ、あそこで、不思議なのは、南無阿弥陀仏というのは、「ナム、アミターバ」というふうにサンスクリットのつながりを解釈しますけど、「阿弥」というのは、能役者とか庭師とか、そういう人たちの登用されたときの名前なんです。乞食の所業と最初にいわれていたんです。
梅原 すべて、河原者です。
五木 そうなんです。室町幕府の八代将軍、足利義政に気に入られた善阿弥をいう庭師なんかは、山水河原者として、みんなから蔑視され、「屠者の出家」と言われたという。だけど、それになぜ「阿弥」という名前が付くのか。浄土系の僧侶や仏師、能役者の名前の下に「阿弥」をつける、いわゆる阿弥陀号ですね。
では、その阿弥陀号はどこから来ているかというと、サンスクリットのアミータとか、アミターユスという言葉と結び付けるけれど、同時に「阿弥を救う仏」という意味も出てくるんじゃないか、という気が、私はしてくるんです。
梅原 最初に南無阿弥陀仏と名のったのは、東大寺の再建に功績をたてた、重源ですけれど、地獄へ行き閻魔さんの前に立たされたときは、南無阿弥陀仏と名のれば助かるかも知れない、という思いで、南無阿弥陀仏と名乗ったということです。とすれば重源は、心の底に深い自覚があったと思う。自分は悪人だから、必ず地獄へ行く。だから閻魔さんにナムアミダ仏と名乗る。なにか滑稽で悲しい話です。
この重源に倣って、多くの念仏の僧が、阿弥号を名乗った。それはやはり深い自覚があったと思う。そして、身分的に悪とされる被差別の民もまた、阿弥号を名のる。観阿弥、世阿弥の阿弥などもそうでしょう。私が法然のことを調べに、法然の母の里をたずねたとき、神社に寄付をした人の名が書かれていて、そこには阿弥号の人の名が二、三あった。
いまもなお阿弥号を名乗る人があったことに驚いたが、その里が、被差別部落であろうことを知らされて、法然が、なぜ悪人成仏、女人成仏の口称念仏に、命を賭けたかがよくわかった。法然の悲しみが、私の心にしみ、二冊の法然伝が出来たのです。
五木 阿弥というのは、ある意味で賤視された人びとなんですね。ですから阿弥陀仏というのは、従来の考えからすると、この仏が、あらゆる人びとを疎まずに、顔を差し向けるというのは、その当時、やっぱり出てくる必然性があったんでしょう。
「後生我が身をいまにせん」という嘆きの中に、法然は、だれでも念仏を唱えれば救われるという、易行(いぎょう)念仏ということを言いだします。そして今様の中では「弥陀の誓ひぞ頼もしき、十悪五逆の人なれど、一度御名を称ふれば、来迎引接(らいごういんじょう)疑わず」となる。阿弥陀仏を信頼して一度、南無阿弥陀仏と唱えれば、十悪五逆の罪を負った極悪人でも救われて、阿弥陀さまに手をひかれて、浄土に招き入れられる、という歓喜、よろこびの歌に変わってくるわけですね。
その場合、やはり歌は、人びとの心が反映している。それは、いまの流行歌までつながっている感じがします。
でも、阿弥陀仏とは何か、というときに、インドの言葉で「アミダーバ」「アミターユス」「光りをあらわす無限の」というふうにつながっていくと考える、学問的アプローチのほかに、阿弥衆というのは、いわば底辺から成り上がった人たちの、身分を指しているという考えも、できるのではないでしょうか。
梅原 ああ、そうですね。
五木 そう考えると、阿弥陀仏というのは、卑しき者を救う仏という見方もできる。そんなふうに見えてなりません。 」 ーー『仏の発見』梅原猛X五木寛之よりーー
本を読んでいて、唸ってしまった。日本の仏教というのは凄いなぁと思った。易行とは修行をしない事である。つまり、易行念仏を唱えていれば極悪人でも救われる。むしろ、そういう人を法然が救いたいと念仏を唱えたのは、鎌倉仏教の革命的な出来事だった。小乗から大乗への変化が、大衆の仏教徒化に成功したのだ。
先日米ちゃんからメールが来た。映画が出来たから観に来て欲しいというモノだった。スケジュールを調整した。下山さんからもメールが来て、コルバチョは、今セバスティアン・リテルというノビジェーロのアポデラードをしているという。教えたことをちゃんとやるという。23日ラス・ベンタス闘牛場に出場したが、初めの牛でコヒーダされた。左太股に2つの刺し傷を受けた。大腿骨に達する15cm角傷と、ハムストリングがグチャグチャになる10cmの角傷を受けた。
取り合えず、コルバチョが元気になってアポデラードをやっているのは嬉しいことだ。肝移植手術をしたら日本に来ると言うことらしい。
6月25日(火) 曇/晴 18858
オシムが口を開いた。俺が思っていたようなことを言葉で言っている。こういう事をちゃんと言える事が重要だ。軽はずみな論調だけで監督交代を口にする輩には、違和感を感じていたが、やっぱり論理的で、モノを大局から観て組み立て、そこから分かり易く論を進めるのは、理系出のオシムらしい所だ。
「日本の敗因について、元日本代表監督のイビチャ・オシム氏(72)は、チームの経験不足、フットボール的賢さの不足、走力不足の3つを指摘した。
メキシコ戦が内容も結果も良くない試合になったのは、残念だった。原因は「大きな大会での戦い方」を知らない経験不足と世界のベスト20レベルのチームと対等に渡り合うための「フットボール的賢さ」の不足、そして走れなかったことだ。
バルセロナのようにパスを回すことは短い時間ならできるようになったが、ペナルティーエリアに進入できない。できても単発で孤立し、サポートがないためシュートができない。サッカーはゴールを多く挙げた方が勝つ競技なのだから、シュートから逆算してパスを回すべき。そのイメージを選手が共有しているようには見えなかった。
例えば香川真司、非常にいい選手だが、マンチェスターUでの役割と日本代表での役割は違う。だが、できないことを無理してやることは逆効果。本田圭佑についても同様だ。2人とも力み過ぎず、集団的コンビネーションを磨き、シュートの決定的場面で冷静さを保てるようにレベルアップしてほしい。
日本は、どんな相手にも堂々と対等に渡り合えるところまではきた。10年程度の物差しで測れば大きな前進だ。ただ、自分たちだけが努力し、前進しようとしているのではない。世界の各国が日本以上に努力し前進している。そこに追いつき追い越すことは簡単ではない。ただ、ガッカリばかりしている暇もない。まず、現在地を客観的に見ること。あまり多くのことを望むのも禁物だ。
W杯優勝を公言する選手もいるそうだが、夢を見る自由はある。しかし実現可能な目標、指標がなければ、いたずらに失望したり、日々の練習での課題を見失うことになりかねない。
私は、あくまでも未来志向でやってほしいと思う。具体的には(1)日本の長所を伸ばす(2)世界のサッカーがどの方向に進むかを見極める、ということだ。(1)は現在の日本代表は、技術や戦術理解などは進歩している。しかし、メッシやC・ロナウドのようなスーパープレーヤーはいない。個人の能力のレベルアップも必要で、とくにセンターバック、GK、守備的MFなど守備の要は、強化が急がれる。
(2)は2〜3年前まではスペインの時代、バルセロナの時代で、技術とパスワークのスタイルがトレンドだった。しかし、現在は「フィジカルの時代」が来ている。参考にすべきはドイツだ。チャンピオンズリーグ決勝に残ったバイエルンMとドルトムントはどちらもドイツ。バルセロナ以上によく走り、しかも大型な選手たちが体を張ってファイトする。日本人に、すぐに大型化しろと言っても無理だが、彼ら以上に走ることを重視したい。」 ーースポニチよりーー
「 コンフェデ杯で3戦全敗に終わったザックジャパン。元日本代表監督のイビチャ・オシム氏(72)は1年後のW杯本大会を見据え、守備の強化と走力のある選手の起用、そしてフィジカルの時代に対応した走るサッカーの徹底を提言した。
本番まで1年しかないが、焦る必要はない。3連敗を理由に、ザッケローニ監督を代えるべきという意見があるそうだが、私が日本サッカー協会の責任者なら、代えない。ザッケローニ氏ほどの監督はめったにいない。これまでの2年半、彼のもとで成し遂げた進歩は大きなものだ。
選手選考は監督の専権事項だが、私の意見も参考に挙げておく。まず、攻守に足の速い選手が必要だ。前線にドリブラーは多くそろっているが、広島の佐藤タイプのスピードのある選手がいない。押されている場面でのカウンターなど戦術の幅を広げる意味でも、逆に相手のカウンターの対策として足の速いストッパーやFW、サイドバックは非常に役に立つ。
さらに中盤で圧倒するためには、攻撃の起点になるセンターバックが足元の技術と視野の広さを備えてほしい。中沢や闘莉王の待望論があるが、まずは若手を抜てきしたらどうか。前回W杯の英雄の再招集は最後の手段だ。ボランチもバックアッパーが必要、できればセンターバック、ストッパーもできると、メンバー交代をせずに3バックと4バックを使い分けることができる。
中村俊輔のような左利きのセットプレーキッカーも必要だ。本田は毎試合、FKになるとボールを抱えて自分で蹴ろうとするが、もっと効果的なキックができるようになってほしい。
最後に日本のファンへメッセージがある。(1)前回10年からの進歩を客観的に見よ、前進を自信に、強敵にもひるまず(2)大志を抱き、その実現のために必要なことをともに考えよう、目先の結果に一喜一憂しない(3)今の方向は大局的には間違っていない、そのまま進めばよい――ということだ。」 ーースポニチよりーー
オシムの言葉は、胸にしみる。「今の方向は大局的には間違っていない、そのまま進めばよい」というのは、客観的で、非常に現実的で、なおかつ分かり易い。ラグビーのエディー・ジャパンは、ウェールズ戦の後、パシフィック・ネーションズカップで全勝のカナダを破り、アメリカを降した。エディーは、日本の方向性は間違っていないと断言した。ラグビーは、エディーの様なHCがいるから、メディアやファンが雑音を出さない。でも、サッカーは、メディアもファンも、好き勝手に雑音をまき散らす。そういう中で、オシムの言葉が、輝いて見えるのは何故だろう。
ザッケローニは、オシムのように言葉で上手く表現できないかも知れないが、やって来た方向性は、間違っていなかったと思う。そのことを、オシムは、オシム風の表現で日本人に提出している。この事は、非常に貴重だ。そして、提言としての具体性を備えている。未来への希望も語られている。「中沢や闘莉王の待望論があるが、まずは若手を抜てきしたらどうか。」というのも泣かせるコメントだよなぁ。
日本らしいサッカー。走るサッカー。集団でコンビネーションを使って勝負するサッカー。スペインの様に、最後のシュートを点で合わせるサッカーじゃなくて、何度も際限なく押し寄せる波のように、相手がウンザリするようなチームの総合力で勝負できるサッカーが観たい。その為には、マラソン選手並みのスタミナと足元の技術、視野の広さ、先を読む眼というか、感覚が必要だ。
6月26日(水) 雨 16270
先日、日本の歴史を勉強しているという人がいて、鎌倉時代の武士成立を調べていたら面白かったという人がいた。天皇が地方や寺社勢力に対抗するために、武力を持つ集団を必要とした。そういう話を訊きながら、鎌倉仏教に興味を持って、法然の易行念仏についてや、阿弥陀如来の話をしていたら、法隆寺の端に、中宮寺というのがあってそこにある、阿弥陀如来の笑顔がモナリザの微笑みのように穏やかな笑顔なのだいう事を訊いた。
法隆寺に行ったときにそっちにも行って、観た記憶があるのだ。あの頃は、そんなこと何にも考えずに観ていたから、明確な記憶がないのだ。ただ庭に、連理の桜が何本もあった記憶の方が強いのだ。そういう風に言われれば、梅原猛の『隠された十字架―法隆寺論』を読んでまた訪ねて観たいと思うのだ。
6月27日(木) 曇 14167
週1回歯医者に行っているが、7月一杯かかるといわれた。つまり、7月までは、堅い物を食べてはいけませんよ。治療中の方で噛んではいけませんよ。という事なのだ。つまり自然に食べる物が制限される状況なのだ。
イチローが大リーグ2回目のさよならホームランを打った。ダルビッシュと黒田の投げ合いでも、最後は、イチローが紙面を飾る。川崎はマイナー行きを言い渡されたが、チームメイトが、「みんなが彼に恋してた」と、言い、ロッカールームで監督から降格を選手が訊くという、普通ではあり得ない事が起きたと、驚きを口にする選手もいた。チームメイトとファンに愛されている証だ。
6月28日(金) 晴 12720
コンフェデレーションズカップ準決勝、スペイン対イタリアは、0−0で、PK戦で7−6でようやくスペインが勝った。これほどの接戦になると誰が予想しただろう。スペインの選手たちは一様に厳しい戦いになる、ヨーロッパ選手権の決勝で4−0と一方的に勝った時とはチームが違うと警戒していたので、これだけ万全な心構えなら接戦でも絶対負けることはないだろうと思っていたが、遙かに厳しい現実にさらされた。
これで負けないのが、世界チャンピオン。スペインの強さとも言えるが、PK戦は運が大きく左右する。スペインは運が良かった。イケル・カシージャスがいなかったスペインは負けていたかも知れない。こういうところで、GKの経験が得るのかも知れない。ビセンテ・デル・ボスケがもっと信頼する所以だろう。ネットの書き込みには、試合後、カシージャスとイタリアのGKのブッフォンがユニホームを交換するのに感動したと書かれていた。
「今日の試合はとても、とても難しかった。イタリアは素晴らしいアプローチだったね。PK戦はくじみたいなものだ。僕らは幸運に恵まれ、再びファイナルを戦うことになった。また決勝に進めたことは、この世代やスペイン全体にとって忘れられないことだ」 と、カシージャスは、「テレシンコ」に語ったという。
「 「ブラジルが有利だ。彼らはワールドカップを5回、コンフェデレーションズカップを3回制している。マラカナンで彼らと対戦だね。興奮するよ。エネルギーを回復させ、できるだけ良いコンディションで試合に臨みたい」
「今日のスペインは120分間を戦った。選手たちは普段、毎週2試合を戦うことに慣れている。だから、日曜の試合で全力を出せるようになると信じているよ。どちらが試合を支配するか、どちらがよりポゼッションできるかは分からない。我々はそれにトライする。今日はイタリアがとても強く、試合をコントロールしたね」
また、デル・ボスケ監督はブラジルについて、個々の優れた力があることを認めつつ、チームとしてのクオリティーを警戒しなければいけないと強調した。
「(ダニエウ・)アウベスとマルセロは素晴らしい選手たちだ。彼らは試合に影響を及ぼすことができる。ネイマールはファンタスティックだし、中盤の選手たちも非常に素晴らしい。でも、我々が守るべきは誰か、一人だけを挙げていてはいけないよ」 」 ーーGoal.comよりーー
スペインは中2日。120分戦ってである。厳しい!
6月30日(日) 曇/晴 25808/2
暑くなってきた。少しずつだが、蒸し暑くなってきた。梅雨なのに雨が殆ど降らず、夏になろうとしている。ラベンダーはほぼ花が散り、紫陽花は、花が散りかけてきた。雨に濡れる紫陽花は、鎌倉の長谷寺で観てきたが綺麗だった。去年は、紫陽花寺で有名な明月院へ行ってみたが、あそこの紫陽花よりは、長谷寺の方が遙かに種類が多く、面白い物が沢山観れるので、観に行くなら長谷寺の方だが、ただし、平日の昼でも非常に混んでいる。観るのに、15分から20分は待たなければならない。
特に高齢の女性が多い。京都の寺は、寺と花を見に行くが、鎌倉はどちらかというと、花を見に行くところといった感じだ。寺が格段につまらない。長谷寺はまだ大きい方だが、狭い小さな寺が多いのも特徴だ。それでも、大勢人が来るのだから不思議だ。7月になったら引っ越しするかも知れない。どうなるかは、解らない。
7月1日(月) 曇 4721
今年も半分が終わった。あと半分残っているとも言える。7月になるとより蒸し暑くなり、蝉も鳴き始めるだろうし、汗だくの中で暮らす季節がやってくる。痩せるだろう。この1・2週間で次生活する所が、ハッキリしてくる様にしたい。最近闘牛は、フリが活躍している様だ。
7月3日(火) 曇 24903/2
日曜日の福島のメインレースは、人気馬がトップハンデで、穴気配ムンムン。結局、長考の末、4頭をピックアップしてボックスで買った。でも、結果論から言えば、初めの本命(ケイアイチョウサン)から行っていれば良かったなぁと思うレースだった。
「30日の福島11Rで行われた第62回ラジオNIKKEI賞(3歳オープン、GIII、芝1800メートル、16頭立て、1着賞金=3700万円)は、横山典弘騎手騎乗の8番人気ケイアイチョウサン(牡、美浦・小笠倫弘厩舎)が最内から鮮やかに差し切り重賞初制覇。タイムは1分47秒9(良)。 波乱続きの福島は、メーンも大波乱の決着が待っていた。クビ、クビ差の接戦をものにしたのは、最内から鮮やかに突き抜けたケイアイチョウサン。例年は北海道シリーズで騎乗している横山典弘騎手が、夏の福島で開幕週から見事な手綱さばきを見せてファンを魅了した。
レースはナンシーシャインがハナを主張して、フラムドグロワールがマークする展開。1番人気のガイヤースヴェルトは中団の外めにつける。小回りの福島らしく3コーナー過ぎから仕掛ける馬が出て、馬群が凝縮されたところで直線へ。各馬横に広がってハンデ戦ならではの大激戦となったが、先に抜け出したフラムドグロワールを目標にした3頭がゴール寸前で抜け出した。その中でも、最内から見事な瞬発力を見せたのがケイアイチョウサン。前が塞がり力を出せなかった前走の鬱憤を晴らすような決め手を披露して、重賞初Vをもぎ取った。2着には一番外から脚を伸ばした14番人気のカシノピカチュウ。3着にはつれて追い込んだ5番人気のアドマイヤドバイが入っている。
横山典騎手は「すごい馬ですね。ステイゴールドらしい切れ味たっぷりの馬でした。攻め馬にも乗せていただいて、レース(のVTR)も見ましたが、乗り味が良くないのに走っているので、期待していました。直線は本当にどこに行こうかというくらい手応えがあったけど、進路を探すのが大変でしたね。追ったのは一瞬だけ。この切れ味は楽しみですね。開幕週でコンディションのいい馬場ですし、お客さんもたくさん入ってくれた中でメーンを勝つことができてうれしいです」と8年ぶりの同レースVに笑顔を見せていた。
名手の手綱さばきが、みちのく福島のファンを酔わせた。ゴール前、横一線となった叩き合いの中、いつの間にか内からスルスルと抜け出したのは8番人気の伏兵ケイアイチョウサン。2005年にコンラッドでラジオたんぱ賞を勝って以来、横山典弘騎手が8年ぶりの福島重賞を制した。 「福島のファンも盛り上がってくれてよかったよ」
昨年は震災後初の夏開催ということで4年ぶりに福島で騎乗した横山騎手だが、本来は函館が主戦場。福島のファンにとってはめったに見られないノリの名人技に歓声が上がった。 道中はほぼ最後方で4コーナーを回っても後方から3番手。短い直線で早く動きたくなるところをじっと我慢。直線では前が壁になるものの、慌てない。わずかに空いた1頭ぶんのスペースに滑り込ませ、抜け出した。流れの先を読み、度胸の据わった騎乗はまさに第一人者の面目躍如だ。」 ーーサンスポよりーー
「 「テン乗りだったけどレースは見ていたし、調教で乗せてもらっていいイメージで乗れた。最後はどこに行こうかな、という感じ。追ったのはほんのわずかだったよ」 全馬0秒9差以内でゴールするハンデ戦らしい大混戦。上がり3ハロン34秒3の脚を駆使して、勝利に導いた騎乗ぶりには小笠倫弘調教師も「ノリさんのおかげです」と敬服するばかり。この後はいったん放牧に出されるが、「まだ完成途上なところがあるから、力をつければ先が楽しみ」と調教師は秋以降のさらなる飛躍を願っていた。 鋭い切れ味で一気に重賞ウイナーとなったケイアイチョウサン。今後の路線は未定だが、秋にはさらに決め手に磨きをかけてファンを魅了するに違いない。」 ーーサンスポよりーー
痺れるような騎乗と万馬券。「開幕週だから内を突きました」と軽やかに言う、典ちゃんの天才的な騎乗だった。小笠調教師は、「まさに名手の騎乗」「ノリさんのおかげです」と最敬礼をするような感じだ。中堅調教師。そして、重賞はこれで2勝目なのだから目茶苦茶嬉しかっただろう。騎手をベタ誉めするのはその証拠。しかし、こういうのって余韻を引くのだ。ホント心地よい余韻だ。
ミキティが、4月に女の子を出産したことをテレビで告白して、話題になっている。佐野稔は、「世界一強い“人種”は母親だ。これからの安藤はわが子のために滑ることになる。強い心を持って『母は強し』の姿を見せてくれるだろう。母親のスケーターは前例がないものの、4回転ジャンプなどとてつもないことをやってきた選手だけに、期待できる。コーチ探しは大変だろうが、五輪出場に向けた目標は『全日本選手権での優勝』とはっきりしている。具体的な条件として、3回転が4種類ほしい。3回転−3回転のコンビネーションができれば、鬼に金棒だ」と言っているという。
どうやら、このテレビインタビューは、ミキティ側から宮崎アナに接近して実現したようだ。週刊誌などで色々な噂を流されるよりは、自分から言った方が得策だという判断なのだろう。これから、ミキティを応援する人が格段に増えるだろう。
7月4日(木) 曇 11472
昨日は歯医者に行き治療したら、これで終わりだと言われた。それから一旦家に帰り、医者に行って、血圧の薬を貰ってきた。婆さんの医者だった。色々と状態を訊いて今後の事を考えくれた。めあすになる助言もしてくれた。穏やかな口調でいう。何か雰囲気がある医者だった。疲れていたのか、早く寝てゆっくり起きた。寝過ぎなくらいだ。
コンフェデレーションズカップ決勝は、スペインがブラジルに、0−3で完敗。日本と同じスコアで、同じような失点時間。しかし、内容は全然違うけど。ニーニョ・トーレスは、来年のワールド・カップで優勝できると試合後語ったという。
7月5日(金) 曇時々雨 6959
『仏の発見』を読んだ後、小泉八雲の『英語教師の日記』の最後の方を読んでいたら、2つ本が同調しているような感覚になった。明治二十年代の日本の新国家建設期の中学教育現場を活き活きと書いているが、優秀な生徒たちが次々と死んでいく事も書かれている。日本が貧しさから少し抜け出すのが、明治四十年代だというから、それ以前には、本当に優秀な人間は、貧しさの中で死んでいったようだ。
小泉八雲が松江から熊本へ転任した理由は、冬の寒さに耐えられなかったためと言われている。着物が当時の服装で、栄養価の少ない食べ物を食べ、今のようにダウンジャケットなどがない時代に足袋に下駄のような格好で生活していたら、風邪などの病気にかからない方がおかしいだろう。優秀な生徒の死と、葬儀が細かく書かれている。当時の松江地方の仏教の葬式が解る。良くここまで書き込んでいる物だと感心する。
もし、こういう優秀な生徒たちが大人になって、国家の中枢で働いていたら、日本はもっと凄い国になっていた様な気がする。八雲の無念さも当時の教師や生徒の無念さも伝わる葬式だった。貧乏で葬式も出せないような家なのに、教師や生徒の父兄がお金を出し合って葬式をするのも、凄いと思った。
「諸行無常
是生滅法
生滅々已
寂滅為楽
すべてははかない。生まれたからには死なねばならぬ、生まれたものは死んだものである。そして死んだものは寂滅を楽しみとしているのである。」 ーー『英語教師の日記』小泉八雲よりーー
7月7日(日) 晴、夕立があった。 31730/2
昨日辺りから一気に蒸し暑くなった。今日も日中暑く、夕方近くに夕立があった。それでアスファルトが冷えて、置き水のような状態になって、少し涼しくなった。これから寝苦しい季節になってきた。最近は、部屋の中で熱中症になる人が多くなったという。
今日の競馬は、七夕賞とプロキオンステークスが行われた。時間がなかったので、函館のメインは予想をしていたが、買わなかった。買っていれば全部当たっていた。函館の結果を見て、今日は行けると思った。中京のプロキオンSは、6頭のボックスで3連複を買って、40倍の馬券。本来なら、シルクフォーチュンが本命だが、騎手が不安だったので、買い目が多くなった。エアウルフが直線抜け出し、ゴール前アドマイヤロイヤル、内からセイクリムズン、外からダノンカモン強襲して1、2、3着。シルクは、前が壁になって抜け出せずコール前ようやく5着に上がった。あの乗り方じゃ、馬が可愛そう。完全に足を余して負けている。典ちゃんが乗っていたら突き抜けていたかも知れない。
七夕賞は、マイネルラクリマ本命で、手広く流した。レースは、3・4コーナーで先頭に立ったマイネルがそのまま押し切って圧勝。2着が海外遠征帰りのトレイスブレイザー、3着が内を突いて伸びたタガノエルシコ。1着3着のワイドを当てた。これで29倍以上着くんだから美味しい。ちゃんとアルゴリズム通りの買い目だった。
この調子でと、最終をやったら、本命の典ちゃんが1着だったが、2着がストロングオビン、3着フレデフォートで、そっちかよという結果になった。アナウンサーが、7月7日、七夕の日に行われた最終レースは、7−7のぞろ目で、決まりしました。と、言っていた。おいおいそういうことかと、思いながら訊いていた。
昼は作り置きしていた、カレーを食べ、夜は、納豆に長芋をおろしそうめんに混ぜて食べた。食前は、きゅうりとセロリの塩麹漬けを食べた。
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