断腸亭日常日記 2015年 6月京都旅行

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行滞在日記です。

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 6月17日(水) 晴時々雨 60806/7 京都のホテルにて

 朝、東京駅に着いたら、びん付け油の臭いがして、逸ノ城など力士がいた。幸先が良いなぁと思った。そんな気持ちで新幹線に乗って京都に来た。京都駅には、ISOさんが迎えに来てくれた。予約していた駅前のホテルに行き、チェックイン。それから駅前で昼食を取りながら旅行のプランを練った。
だからこそ天授庵、南禅院と観た。それから、最勝院に何気なく入ったら、御手洗い所の水を溜めている石が全て苔で覆われてた。面白いものを観たと思った。

 それから京都大学へ行ってISOさんと夕食を取った。いわゆる学食。


 6月18日(木) 曇時々雨 25323 京都のホテルにて

 今日はホテルでたっぷり朝食を取って京都駅からバスに乗って桂離宮へ行った。素晴らしいところだった。ここも後水尾上皇が絡んでいる所だった。楓も多いので秋は紅葉が綺麗だと思う。1時間と言っていたが1時間10分はかかった。それから、タクシーで苔寺(西芳寺)へ行った。タクシーの運転手の話だとうちのお袋は子供の頃、桂離宮で遊んでいたという。戦後になって宮内庁の管理が厳しくなった様だと言っていた。門前の苔の茶屋でとろろそばを食べで腹ごしらえをして時間つぶし、梅雨時の苔寺へ。

 秋に観たときは、紅葉が綺麗だったが、苔が元気でなかった。梅雨に見に来れば、苔が1番元気なはずなのでこの時期を狙って京都へやってきた。今回のテーマは、「新緑と苔の世界」である。だから、苔の元気な苔寺は、やはり素晴らしかった。一杯写真を撮った。苔寺では、今回は般若心経の写経をした。前回は、木の板に自分のお願いを書いただけだ。折角持ってきた筆を、ホテルに忘れてきたので、筆ペンで書いた。

 それから前回と同じで2周した。休憩所でタバコを吸おうとしたら、何処かに落として来たようだ。食事の時はタバコを吸ったのでそれ以降だと思う。仕方がないので1周後、吸い殻入れからシケモクをした。苔寺の次は、月読神社、松尾大社と観た。松尾大社の途中でカメラのバッテリーが切れた。仕方がないので携帯で写真を撮った。それから阪急に乗って烏丸に戻り、星乃珈琲店でスフレパンケーキとコーヒーを頼んだ。スフレパンケーキはふんわりして美味しかった。コーヒーも美味しかった。

 それから大丸などへ行って時間をつぶし、夕食も四条烏丸で取った。納豆そばが食べたかったが、どうもないようで、麹を使っているレストランで食べた。こんなもんかとと思った。味が薄いのと、肉を麹で付けているならもうちょっと柔らかくなって良いと思った。ただ、サラダは美味しかった。

 そして京都駅前のホテルに戻り、預けていた荷物を受け取り今日のホテルへチャックイン。さて明日は、何処を廻るか。鷹峯に行くのは決めたが、他は毘沙門堂へ行くか、それとも・・・。


 6月24日(水) 雨のち晴 92054/6

 月曜日の夜に東京に戻った。月曜日は、ISOさんと2人で廻った。はじめは、三十三間堂付近の養源院。ここは俵屋宗達の絵などがあったが、1番観たかった小堀遠州の庭が公開されていなかったのは、詐欺にあったような気持ちになった。何のために行ったのか、訳が解らない。ただ、山桃の大木というか古木があり、こんなに大きくなるのかびっくりした。山桃の実が一杯落ちているのは、この時期ならではで、この木は、秀吉が植えたものを移植したものだというから400年はたっていることになる。

 がっかりしながら、智積院へ行った。結構大きな寺で、真言宗智山派総本山。だからでかいのだろう。しかも高僧が退位する日だったので、人が多い感じだ。収蔵庫には、長谷川等伯と、その子、久蔵、他弟子が書いた国宝の障壁があった。ISOさんは久蔵の桜図に偉く感激していた。久蔵は親を超える才能の持ち主だと断言していた。

 後で調べたら、狩野派から長谷川等伯一派は敵視されて、久蔵の暗殺の噂もあるのだという。桜図は25歳の作だが、死んだのは26歳。死因がはっきりしない。

 庭は利休好みの庭と言われているらしい。落ち着いた感じの庭で山が築かれている。珍しい庭だ。鯉が二匹死んでいた。これも珍しい。

 それから苔寺(西芳寺)へ。今回2回目の訪問。この日は写経もせずに庭園巡り。前日は雨が降って苔が元気。じっくり楽しめた。


 7月1日(水) 雨のち晴 76184/7

 弟から貰った、BLを観ていた。ボブ・ディラン30周年記念コンサートを観たくてタイトルの書いていたディスクを探していたら、『南禅寺界隈別荘群』などが出てきた。それを楽しみ京都を思い出していた。あの紅葉を観にまた秋に行くつもりだ。そんな中で常盤貴子(役名 沢藤三八子 みやこと読む。3X8=24節季にかけている)主演の、『京都人の密かな愉しみ』約2時間のドラマ仕立ての作品を観て、最後の『京都慕情』が流れてきたら涙が流れてきた。知らない京都が一杯あった。

 日曜日の夜にISOさんと行った日本料理店で食べた、鮎の味を思い出した。あの塩焼きは絶品だった。一口目の頭は何の抵抗もなく食べれたし、二口目の肝は忘れられないこの時期でしか食べられないタイミングで本当に素晴らしい焼き方で出された物だった。こういう喜びを感じ出せてくれる京都の日本料理は食べに行くだけでも喜びを感じる。


 7月8日(水) 曇のち雨 62219/8

 京都から帰ってきた絶対買おうと思っていた物を買ってきた。最近太り気味で、この前大きな鏡の前に立って観たら、腹が出て尻が出てという自分の肉体を観てガッカリした。食事制限もしなきゃとか、色々考えた。

 アメリカの旅行雑誌が選んだ、魅力的な都市の1位に京都が2年連続選ばれた。

 ギリシャの国民投票で、緊縮財政を拒否したために、為替・株価の変動が激しい。世界的な株安になっている。もちろんユーロも安くなっている。


 7月22日(水) 晴 /14

 下山さんがスペインから来ている。台風直後だったので、そんなに暑くなかったが、昨日今日と暑くなった。台風で祇園祭の山鉾巡行が危ぶまれたが、無事行われた。その後、大雨が降ったようだが。

 今、日曜美術館は、午前が今週分を、夜は先週分を放送している。あれを観ていると美術館へ行きたくなる。河鍋暁斎とその弟子になったコンドルの絵が、丸の内でやっている。それを見に行きたいと思っている。

 ところで、下山さん情報によると今年、ホセ・トマスは、メキシコシティーのモニュメンタル闘牛場へしか出場しないという。つまり、スペインでは出場しないということらしい。今年は、スペインへは行かないだろう。


 8月3日(月) 晴  /

 下山さんは、スペインに戻った。日本を楽しんで行ったのだろうか?東京は猛暑日が3日間続き、明日も予報では35度を超えて猛暑日になる様だ。これは新記録になるという。明日、盛岡へ帰る。


 8月19日(水) 晴 /

 『若冲』澤田瞳子著 『等伯』安部龍太郎著 読了。伊藤若冲は、江戸時代中期の画家。長谷川等伯は、安土桃山から江戸初期の画家である。どちらも舞台は京都。そして、時の政権(秀吉、家康など)に、絵の発注をを受ける等伯。狩野派の弟子になった後、代替わりの永徳とは仲が悪くなる。元々、七尾で絵仏師をやっていた等伯。京都に出て、ある事情で、舞子などの扇子の絵を描いて食いつなぎ、日蓮宗の寺などで絵を描き、妻と子、久蔵を京都に迎えて生活を始める。狩野派に対抗するために、長谷川派を立ち上げる。

 6月智積院で観た国宝の、等伯・久蔵が描いた金碧障壁画は、鶴松死亡後に建立した祥雲寺に納められた物。

 伊藤若冲は、京都錦小路(今の錦市場のようだ)の青物屋に生まれ、絵に没頭して家督を譲り、隠居の身になって絵師になる。『若冲』の中では、亡き妻の為の供養のようにして個人的な絵を描いている。同時代には、池大雅、円山応挙、与謝蕪村などがいる。若冲は、隠居後、錦高倉の市場閉鎖に伴い、これは五条の問屋から、免許状が大火で消失していた事から営業取り止めを奉行所へ訴えられて事だったが、約3年かけて免許状を発行して貰えるように奔走した時期がある。これがなければ、今の錦市場はなかったのかも知れない。

 若冲は臨済宗の相国寺に出入りして鹿苑寺(相国寺の塔頭・金閣寺)の大書院障壁画などを描く。有名なのは、鶏の絵だ。これぞ若冲というのが、鶏。晩年は、石峰寺の五百羅漢石像群の下絵を描き、若冲五百羅漢として残っている。

 『若冲』を読み『等伯』の順番だ。この順番でよかったと思う。応挙のところで、御所の絵を請け負うなどの話があるが、新しく建物を造るときは、障壁画や襖絵などが必要で、それに応える絵師集団が必要となる。等伯の時代は、権力が信長から秀吉、家康へ移行する。聚楽第、朝鮮出兵のための名護屋城、伏見城、二条城など絵を描く舞台は一杯あった。狩野永徳は、聚楽第のどを担当したので、今に代表作が残っている数が少ない。等伯は、七尾での絵仏師時代の寺に納めた絵も残っているし、国宝、松林図(小説では秀吉との命を賭けた絵として描いている)、金碧障壁画、大徳寺塔頭に描いた物などが残っている。

 また、『等伯』を読んでいると改めて、石田治部少輔三成の嫌われぶりは半端ではないと思った。大河ドラマ『官兵衛』でも三成の嫌われぶりが良く出ていた。絵師という視点からもそう見えるのだ。(淀姫の母が嫁いだ浅野家は、旧主。近江者である三成は、そう思って秀頼・淀姫に使えていたとしている。)嫌われ者三成を、千利休と親しかった大徳寺住持、春屋宗園は、沢庵と共に三玄院に三成を葬る。三成が利休を引っかけて切腹に追い込んだのに・・・。

 人の道、仏の道は、色々複雑で難しいモノだ。


 9月14日(月) 晴 

 萩、尾花(ススキ)、葛花(くずばな)、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、朝顔。春の七草が食べるものなら、秋の七草は、愛でるもの。ただただその美しき佇まいに見とれる。山上憶良(やまのうえおくら)が、『万葉集』で詠んだことから始まったと言われている。最後の朝顔は、桔梗(ききょう)、木槿(むくげ)、昼顔を指すものと言われているらしい。中島みゆきなら当然、桔梗である。

 秋が段々深まって来ている。本を読んでいたら、尾花をススキと読むと初めて知った。ヤクルトにいたよな、尾花投手。

 色々調べていたら、面白い。下旬に奈良と京都へ行くことにした。それでガイドブックや本を読んでいる。今回のテーマは、白鳳、琳派、弧篷庵。

 下山さんからメールが来た。闘牛についての面白い話だった。


 9月16日(水) 曇 28358/2

 先日、国会図書館へ行って、本を出して貰おうとして検索したら、出てこない。係員を呼んで、話していると、時間になって本が借りれないことが解りガッカリした。思い出したように、いつ作ったか解らないので、更新時期を調べて貰うと、2日後に期限が切れるという。それで、更新手続きをしたというと、パソコンでクリックで終了。こんなに簡単なんだと思った。はじめの申し込みには色々時間や手間がかかったが、更新は実に簡単だった。

 秋風や 今はさわやか 嵐の前 風吟


 9月17日(木) 雨 14165

 朝、雨の中、上野へ行った。国立博物館で、「後水尾院と江戸初期大和絵」を観てきてきた。本館の特別2だけの展示だったが観ておきたかった。上野駅構内の本屋を覗いたら、良い雑誌があった。『サライ』の京都特集と、『和楽』の秋感動の京都へ、である。別冊付録が付いていて、「和食は京都にあり」「大徳寺」である。大徳寺は68ページある。

 後水尾院は、二代将軍徳川秀忠の娘、和子を中宮に迎え、修学院離宮を造った。修学院離宮を観たときに、こういうモノを造るような人は、ただただ凄いと思った。生け花を始めたのも後水尾院だったと記憶する。生け花の絵も100以上残っている。この展示にも、屏風絵にあった。池坊の二代目の生け花の絵もあった。土佐派、住吉派の大和絵が展示されていた。また、和歌にも造詣が深かった。

 夜、スペインから帰ってきた結衣さんと電話で長話。そして、録画していた、『ブラタモリ』奈良編を見返している。旅行前はいつで楽しい。


 9月18日(金) 雨 10392

 実相寺昭雄の『京都買います』は円谷プロで撮られた、『怪奇大作戦』の中で撮影された。舞台は色々な京都の寺を廻ったらしいが、祇王寺。この寺を僕に紹介してくれたのは、結衣さんだ。今は作家になっているが、OL時代にこの寺に来て、この風景を観ていると、自分にも何かできるのではないかと、思わせてくれて、気持ちが高揚したこと事を話してくれた。

 実際、京都へ行くと半分以上は祇王寺へ行く。竜安寺の次に良く行きたくなる場所だ。平清盛の寵愛を受けていた白拍子、祇王が、時と共に清盛の心変わりで京都を追われ、出家してこの地に、母と妹と出家して過ごす。苔と奇木の織りなす幻想的な世界は、秋の紅葉の時期は、心を鷲掴みする。新緑の頃でもまた、美しい。ただただ美しく、儚いのがこの祇王寺だ。

 実相寺昭雄は円谷プロで、『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』を撮ったが、ATGで撮った、『無常』はつまらない作品だった。期待してみたがかったるかったよなぁ。本当に監督として才能があるのかと疑いたくなった作品だ。他に有名なのは、『帝都物語』の監督でもある。『怪奇大作戦』の『京都買います』は、生前シリーズ中1番愛着があると言っていたそうだ。また、行きたいなぁ、祇王寺へ。いつか冬の雪の降る日に行きたい寺の一つだ。

 みわたせば はなも紅葉も なかりけり 浦のとまやの 秋のゆふ暮  藤原定家
 こころなき 身にもあはれは しられけり 鴫(しぎ)たつ沢の 秋のゆふくれ  西行


 9月20日(日) 晴 16784

 歴史的な事が2つ。安保法案が可決。海外メディアは、平和政策を転換と報じているという。そして、もう一つは、ラグビーW杯で、南アフリカに終了間際に逆転で勝利した。イングランドの会場は、ジャパンコールが鳴り響いたという。

世界に衝撃!エディーJ、V候補の南アから歴史的大金星
ラグビー・イングランドW杯1次リーグB組(19日、日本34−32南アフリカ、ブライトン)1次リーグB組は8大会連続出場で初の8強を狙う日本が、初戦でW杯2度優勝の南アフリカと対戦した。FB五郎丸歩(29)=ヤマハ発動機=の先制PGや主将のFLリーチ マイケル(26)=東芝=のトライなどで善戦し34−32で大金星を挙げた。日本は勝ち点4。4トライと7点差以内で負けた南アフリカも勝ち点2を得た。

 エディー・ジャパンの4年間の思いが初戦で爆発した。後半28分、左ラインアウトからとっておきのサインプレー。ライン参加したWTB松島からFB五郎丸にパスが通ると、もう南アフリカの選手は誰もいなかった。ゴールも決まり29−29の同点とした。南アのPGで突き放されたが、終了寸前、スクラムからWTBヘスケスが逆転トライ。24年ぶりのW杯2勝目を、W杯優勝2度の強豪から奪ってみせた。

  「日本が真剣にラグビーをやっていることを証明しにきた。世界に尊敬される試合を見せたい」。エディー・ジョーンズ・ヘッドコーチ(HC、55)の思いをフィフティーンがグラウンドで体現した。サイズとパワーでW杯優勝2度を誇る南アフリカに劣るが、公約通りにスピード勝負。テンポの速い6次攻撃に相手が反則を犯し五郎丸が先制PGを決めたのが前半7分。W杯優勝2度の強豪との初対戦で、最初にスコアを奪ったのも桜のジャージーだった。

 肉弾戦でも渡り合う。FLブロードハーストが密集で相手からボールをもぎ取る。SO小野とHO堀江は2人がかりのタックルで、2メートル近い相手をなぎ倒した。3−7の前半29分にはモールを押し込んでFLリーチ主将が歴史的トライだ。

 パワーに臆せず、ボールを手にすれば素早く動かし、果敢に攻めた。日本サポーターも大挙詰めかけたスタジアム。タッチキックをクイックスローインで展開する日本の攻撃的なスタイルに口笛が飛び、南アがFWの近場を攻めるとブーイングが起こる。突き放されかけては五郎丸のPGで追いすがる、一進一退の展開が最後まで続いた。

 南アの4トライは2つがラインアウトからモールを押し込まれ、2つはタックルミスから。だがミッドフィールドでは南アへタックルを決め続けていた。

 「8強」を誓うフィフティーンの野望が近づいた。23日の次戦はスコットランドが相手。大金星で自信をつかんだ日本はさらに世界を驚かせる。

五郎丸歩選手の話「みんなが4年間ハードワークをした結果。たまたまきょう僕が(多く)キックを決めただけで、本当に仲間を信じてやってきて良かった。歴史を一つ変えたが、この先もっと大きなものを変えて日本に帰国したい」

エディー・ジョーンズ・ヘッドコーチの話「W杯で南アフリカに勝ったのだから特別な気持ち。W杯の歴史の中でも最高のゲームだと思う。まだ終わっていない。ベスト8にいかないといけない。それが私の仕事」

リーチ・マイケル主将の話「このためにやってきた。(歴史的勝利は)もちろんうれしいが、ここで切り替えて次のスコットランド戦へもう一回いい準備をしないといけない」  」 ーーサンスポよりーー

 「「W杯史上最大の衝撃」英メディア、日本の勝利を異例の扱い
ラグビーのワールドカップ(W杯)イングランド大会で日本が19日、過去2度の優勝を誇る南アフリカに逆転勝ちし、英メディアは「W杯史上最大の衝撃」と異例の大きな扱いで報じた。

 テレビ中継した英放送局ITVの解説者は試合中に「信じられない」と連発。次の試合の中継が始まった後も日本の試合を振り返った。世界中で大ヒットした小説「ハリー・ポッター」の作者J・K・ローリングさんからも驚きの声が。ツイッターに「こんな話は書けない」と記した。

 ガーディアン紙は「W杯史上、比類のない試合。世界に波紋を広げた」と報道。デーリー・テレグラフ紙は電子版のトップで「史上最大の番狂わせ」と伝えた。

 BBC放送もニュースで繰り返し試合の模様を放送し、ラグビー発祥の地である英国に与えた衝撃の大きさをうかがわせた。」 ーー共同通信よりーー

 「知恵で打ち負かされた?南ア指揮官 日本に敗れ「想像以上にショック」
ラグビーのワールドカップ(W杯)イングランド大会で日本に敗れた世界ランキング3位の南アフリカ代表を率いるマイヤーヘッドコーチは、「国民に謝らなければならない」などと話し、屈辱の敗戦に唇をかめしめた。

 英国のスポーツ専門チャンネル「スカイスポーツ」の電子版などによると、日本に衝撃の敗戦を喫したラグビー界の“巨人”の指揮官は「想像以上にショックだ。十分なプレーができず、受け入れがたい結果となった。すべての責任は私にある」。積極的なプレーを見せたものの、日本の守備陣が耐え「簡単な試合ではなかった」と振り返った。

 「まだ優勝できると信じている。チームを修正する」と巻き返しを約束したが、思わぬ黒星スタートのショックで表情はさえなかった。

 南アフリカ代表で、11年からサントリーサンゴリアスでプレーしているSHフーリー・デュプレアは「日本代表は南アフリカをターゲットにし、われわれよりもしっかりと準備をしてきたのだろう。知恵で打ち負かした」と脱帽した。

 史上初の3度目の優勝を狙う南アフリカ代表は日本戦に向け先発15人の合計キャップが880に達する経験豊富なメンバーをそろえた。07年大会優勝を知るロックのマットフィールドやWTBハバナらを並べ、マイヤー監督は「ニュージーランドやオーストラリアと同じように研究している」と日本を警戒していた。 」 ーースポニチよりーー

 「なぜ選手はついてきたのか エディーHC 前例なき4年間の挑戦 自ら見本を示す
 ラグビー史上最大の奇跡が起きた。日本のW杯勝利は、91年イングランド大会のジンバブエ戦以来、24年ぶり2勝目。12年4月に就任したエディー・ジョーンズ・ヘッドコーチ(55)の下、世界一のハードワークを積んできたジャパンが世界を驚嘆させた。

 この4年間の歩みが、それを物語る。過去1勝2分け21敗のW杯の歴史を変えるため、「人生最大のチャレンジ」と銘打ち、全てを日本ラグビーのためにささげた。就任当初は毎月の日本協会理事会に足しげく通い、予算の取り付けや合宿の重要性を説いた。長すぎる拘束に反発するトップリーグのチームにも頭を下げ、理解を求めた。今年の代表拘束期間は130日以上。前例なき強化体制はこの日のために敷いた。

 選手の強化も前例のないことばかりだった。合宿では1日3部練習は当たり前。実戦練習とフィットネス練習を休みなく交互に繰り返し、試合以上の強度に慣れさせた。FWコーチに元イングランド主将のスティーブ・ボーズウィック氏、フィットネスコーチにジョン・プライヤー氏を招へいするなど世界最高レベルのコーチ陣もそろえた。

 自身は13年10月、軽い脳梗塞で倒れながらも、同11月のニュージーランド戦(秩父宮)は病室からメンバー選考の指示を出した。「選手はこの4年間、たくさんのものを犠牲にしてきてハードワークしてきた」。そう語る指揮官自ら見本を示してきたから、選手もついてきた。W杯後の11月1日付での退任はすでに決定。南アフリカのストーマーズとの契約が決定的とされる“雑音”が流れても、選手たちとの信頼は揺るがなかった。 」

 朝、ネットで日本勝利の速報記事を読みながら涙が出てきた。こんな事、生涯ないかも知れない快挙だ。


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