断腸亭日常日記 2014年 その2

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日
5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日 2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日
5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日 6月12日〜6月22日 2002年4月16日〜4月30日 5月1日〜5月15日
5月16〜5月31日 6月1日〜6月13日 2003年4月16日〜5月24日 5月25日〜6月10日 6月12日〜6月26日
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11月14日〜11月26日 2011年3月5日〜3月17日 7月20日〜7月31日 8月1日〜8月22日 9月14日〜10月3日
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 1月9日〜1月31日        

 2月2日(日) 晴 26987/2

 小保方晴子氏を巡る報道で、友人や近隣の住民にまで聞き込み調査がされるといった、報道陣の過剰さに対して、HPでお願いを掲載し、研究が出来ない状況になっている現状を訴えて、謹んで貰いように訴えた。

 「笑みを浮かべた女性が男性研究者3人と納まる1枚の写真がある。日付は2009年4月30日。5年後の先月、万能細胞「STAP(スタップ)細胞」の作製で世界を驚かせた理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子(おぼかたはるこ)・研究ユニットリーダー(30)と、小保方さんを指導した論文の共著者3人だ。「くじけない強い心」「自分なりの考えを持っている」「ガッツがある」。研究に対するひたむきな心が大きな成果を生んだ。

 米国東部の都市ボストン。暖かい日の昼下がりだった。当時25歳の小保方さんは、米ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授の研究室に留学していた。「STAP細胞」論文の共同執筆者8人のうち、初期から研究を続ける4人がイタリアンレストランでランチをとりながら、万能細胞の研究について語り合った際、撮影された写真だった。

 小保方さんの隣でほほ笑むのが、バカンティ教授だ。ヒトの耳を背中に持つマウスを作るなど常識にとらわれない発想で知られる。

 「ハルコの強みは、どんな時もくじけない強い心」。バカンティ教授は毎日新聞の取材にこう明かす。今回の研究はあまりにも新しいアイデアだったため、英科学誌ネイチャーに掲載されるまで論文は何度も却下されたが、「ハードルにひっかかる度に立ち止まり、問題の本質は何かと考え、新しい解決方法を導き出した」という。

 当時からバカンティ教授の下で研究する小島宏司(こじま・こうじ)ハーバード大准教授は、小保方さんが米国で研究を続けられるよう尽力したバカンティ教授の姿を鮮明に覚えているという。

 当初は半年間の予定だった留学期間が終わる頃、「博士号もない学生を雇用するのは無理だと事務員に言われたのに、教授は『アイ・ニード・ハー(彼女が必要だ)』と言って電話を切った。若い小保方さんの才能を見抜いたのでしょう」

 小島准教授は「彼女は頭がいいだけでなく、自分なりの考えを持っていた。特に感心したのはその性格の良さ」と指摘する。誰にでも知識や技術を丁寧に教え、忙しい時に自分の実験をずらしてでも対応していたという。

 小島准教授によると、写真は論文を書き始めた時期に当たる。「STAP細胞」の原形となる論文が完成したのは、撮影から4カ月後の09年8月。ところが10年春、論文は米科学誌に採用されなかった。「ほぼアクセプト(採用)とのコメントをもらってみんなで喜んだが、1、2週間後に却下の返事が来て声を失った。その後の2〜3年は彼女は本当につらかっただろう」

 写真のランチの時、小保方さんを留学前に指導していた東京女子医大の大和雅之(やまと・まさゆき)教授が、バカンティ教授の研究室に立ち寄っていた。大和教授によると、小保方さんは極端な負けず嫌いで、研究の不備を指摘すると悔しがってポロポロと泣くことが多かった。実験結果について午前3時まで議論したこともあった。「ガッツがあった。とにかくそんじょそこらの学生とは比較にならないほどだった」と評した。」 ーー毎日新聞よりーー

 こうやってコツコツと努力することが、糧になるんだという見本だ。


 2月7日(金) 晴 78725/5

 寒い日が続く東京。明日は、全国的に雪予報。東京都心でも20cmの降雪になるのではいわれている。気象庁は、記者会見を開き、去年の成人式で記録した、8cmを上回る降雪の注意を呼びかけている。

 色々忙しくHPを更新する時間がない状態が続いた。リーガ・エスパニョーラは、バルサが負け、レアル・マドリードが引き分け、アトレティコが勝って、18年ぶりに首位に立った。

 「2日のリーガエスパニョーラ第22節、アトレティコ・マドリーは本拠地ビセンテ・カルデロンでのレアル・ソシエダ戦を4−0で制した。ディエゴ・シメオネ監督は、単独首位に立ったことへの満足感を表している。

アルゼンチン人指揮官は、試合後の記者会見で次のようにコメントした

「(選手としてリーガとコパ・デル・レイの2冠を達成した)1995−96シーズン以来、初めて単独首位に立った。美しく、選手たちの仕事ぶりが強調されることだ。悪い時期に首位になることはない。ポジティブに受け止めるよ」

単独首位に立ったとはいえ、“試合から試合へ”の方針がぶれることはない。

「“試合から試合へ”と進み続ける。目標は次の試合だけであり、これからは水曜のコパ・デル・レイ(レアル・マドリー戦)に立ち向かわなくてはならない。英気を養い、その美しい試合をどのように迎えられるかを見る必要がある」

この試合の開始前にはルイス・アラゴネス氏の追悼セレモニーが行われたが、シメオネ監督が涙をこらえる姿が映し出されている。

「ルイスのような人物が我々のもとから去っていけば、痛みや悲しみを感じるのは当たり前だ。今日はキックオフからの8分間、沈黙を貫いた人々に心を動かされた」

「ルイスは勇敢であり、真の闘士だった。今日はこの空の上で、ロヒブランコ(赤白、アトレティコの愛称)に誇りを感じているだろう。このチームは彼という人物を体現している」

試合自体については、次のように振り返った。

「結果が示すものとは違い、じつに厳しい試合となった。特に最初の20分間が難しかったね。だが選手交代がうまく機能し、ボールを保持して試合をコントロールできるようになった」

アトレティコ復帰初戦でゴールを決めたMFジエゴにも言及した。

「ジエゴという選手のクラスとインテリジェンスを発揮していた。プレーに臨む意欲とともにね。だから我々は彼の獲得を望んだ」 ーーGoal.comーー

 シメオネは、素晴らしいコメントを出している。この営業力が、チームをまとめる為の目配りにもなっている。チーム力は確実に去年を上回っている。しかし、コパ・デ・レイ準決勝では、レアル・マドリードに0−3で完敗した。逆転は非常に難しい状態になった。


 2月12日(水) 晴 73303/5

 寒い日が続いている。今日は歯医者に行って定期検査をしてきた。ブラッシングもトレーニングもやって、歯石も取った。

 高梨沙羅は、4位に終わった。ワールドカップで10勝してもオリンピックで金メダルを取ることは出来なかった。こんなもんっていえば、こんなもんである。17歳で期待を一身に浴びたプレッシャーは、相当なもんだっただろう。体が硬くなったと言っていた。優勝したのは、ワールドカップで1勝もしていないドイツ人選手。嬉しさで泣き崩れていた。そして、高梨も涙を流していた。

 500mのスピードスケートも惜敗した。リーガ・エスパニョーラも大混戦。アトレティコが負け、レアルとバルサが勝った為に、3チームが勝ち点57で並んだ。これは、21年ぶりの事らしい。所で、スポーツを観ていると思うのは、身近い勝負より、長い競技の方が観ていて面白いし、思い入れも出てくる。そういう意味でも、カーリングは非常に面白い。接戦を制して、ロシアを破り、2勝1敗となった。ノルディック複合で渡部暁斗が銀メダルを取った。

 バレンシアのファジャスのカルテルが出た。


 2月14日(金) 雪 24793/2

 今日も朝から雪で、東京は白い世界が広がっている。交通網は乱れ、夕方から夜にかけては、雪はさらに強まるという。明日も、競馬か中止になるかも知れない。フィギアスケートで、SPで羽生結弦が世界最高得点を出して、1位になった。深夜3時前なのに、視聴率は13.4%もあったという。驚異的だ。被災地・仙台出身で、携帯使わない19歳。


 2月19日(水) 晴 36490/5

 カーママというタイトルで新聞やネットに載っている。ソチ冬季オリンピックのカーリング女子日本代表。昔はカーリング娘略してカー娘(むす)。今は何故、カーママか。それは結婚をして子供を生んで復帰したからカーリングママというのだろうが、時代的に、モーニング娘が流行っていた。今は違うが、モーニングという英語と、娘と言う日本語を合わせて、モーニング娘ならカーリング娘。それならカーママじゃなく、カーリング母(かあ)ちゃんだろう。カーママには違和感を感じる。本来は、カー母(かあ)になるべきだと思っている。

 そのカー母(かあ)が予選の最終戦で世界ランキング1位のスエーデンに負けて決勝トーナメントに進めなかった。顔で、オリンピックに出て来たロシアと違って、スエーデンは凄い実力だ。カナダより強さを感じた。

 雪で東京開催の競馬が4日の中止順延になって平日まで忙しい状態になってHPの更新どころじゃ無くて、更新が遅れた。バレンシアのカルテルも書かなきゃダメなんだけど…。


 2月20日(木) 晴 13060

 未明に女子フィギアスケートSPが行われ浅田真央16位、村上15位、鈴木8位だった。こんなもんである。男子で金メダルを取った羽生は19歳。東日本大震災を、仙台で被災して、拠点を仙台からカナダへ移し若くして金メダリストになった。浅田は、1番良かった15歳の時にオリンピックに出れなくて、その後、銀メダル。そして、今回。

 SPでキムヨナが1位。ロシアの期待の新星リプニツカヤが5位。みんな失敗していく中で、キムヨナが無難に滑って僅差だが1位だった。こんなもんだ。浅田は本番で、自分の持っているモノを表現できなかった。才能があっても、何かが足りない。それは、前回以上に感じることだ。


 2月27日(木) 雨 82716/7

 1週間もHPを更新していなかった。仕事が忙しいのと、プライベートが忙しい。それで更新している暇がない。じぇじぇじぇじぇじぇじぇ!の状態だ。闘牛についての問い合わせがあったが、詳しく説明できない。セビージャなんて2000年くらいから闘牛を観ていない状態だろうし、モランテ、エル・シドで満員になるなんて想像できない状態になっている。それでも、ネットで切符が買える状態になって、状況は変わっている。だから、今まで僕が持っているセビージャの感覚が通用するか分からないのだ。


 3月3日(月) 雨/曇 23626/4

 金曜日の朝から腰が重く、背中が痛い状態で、食事を仕様とすると、咳き込む。昼過ぎに部屋に戻り、おとなしくして、翌日は、ずっと部屋にいた。日曜日は仕事だったが、非常につらかった。今日は朝、病院へ行って観て貰ったが、インフルエンザでは無かった。節々が痛いのと、体がだるい。解熱と鎮痛剤を貰って、飲んだら楽になった。

 昨日は、下山さんからメールが来て、今日は祐一君から電話があった。急にスペインからの風が吹いて来ている。


 3月5日(水) 雨 9851/2

 節々の痛みはなくなった。下痢気味だったのも治った。しかし、なんだかぱっとしない。頭がボーとしている。体の中で何が起こっているのか判らない。昨日はそんな中で、『あまちゃん』あまちゃん祭りを通しで観た。『ごちそうさん』は戦時中で面白くない。また、和枝の家に疎開を始めた。また、いけずが始まる。

 そして、こういう時節柄人間は目茶苦茶になってしまう。それを風太郎のように冷徹に近いような目で見ることは出来ない。家族それぞれの人生は、面白いと言えば面白いが、波乱である。


 3月6日(木) 晴 11963

 バレンシアのカルテルをアップしていると思っていたらやっていなかったのでアップした。セビージャもほぼカルテルが出た。後は、見習い闘牛だけの状態のようだ。ホセ・トマスは、5月3日メキシコで復帰するという。セビージャには、タラバンテが出ない。おそらく、ホセ・トマスはマドリーには出ないだろう。

 昨日のサッカーは、勝つに勝ったが、2失点で課題が残る試合だった。こんなもんかもしれない。


 3月7日(金) 晴/曇 7269

 ハードディスクの容量いっぱいに録画していたので、それを削除して空き容量を作り、録画できる態勢を整えた。何か新しいブルーレイは、使いにくい。どうも、ピンと来ないのだ。前のDVDの方が使いやすい。

 セビージャのカルテルもアップした。マドリードの3・4月のカルテルもアップした。ホセ・トマスはどうするつもりなんだろう。スペインに行くのか、行かないのかも、このままじゃハッキリしない状態だ。


 3月10日(月) 晴 22240/3

 昨日の弥生賞は、鼻差の勝負になり、先に抜け出したトゥザワールドが、坂上から急追したワンアンドオンリーを押さえて4連勝を飾り、皐月賞へ向けて堂々と名乗りを上げた。これで本番、皐月賞は、この2頭と、3着のアデイインザライフの3頭が優先出走権を手に入れた。トーセンスターダム、イズラボニータ、と、朝日杯のアジアエクスプレスなどの争いになるだろう。混戦状態の牡馬クラシック。

 牝馬クラシックは、3強だろう。阪神ジュベナイルフィリーズの3頭、レッドリヴェール、ハープスター、フォーエバーモア。レッドとハープスターの対決が濃厚だ。


 3月11日(火) 晴 3470

 あれから3年が過ぎた。岩手・宮城・福島の復興はまだまだである。忘れ去られようとしている記憶。ボランティアの数は大震災直後に比べて、1/10になっているというという。

 生活が上手く行かない人が一杯いる。何を頼りに生活すればいいのか、未だに手探りの人が多い。お金だけでどうにならない事もある。アイディアが不足しているのも、事実だろう。現実に合わせてその町の復興をしていかなければならないだろう。未だに、大きな被害が出た、町の中心部の商店や家がなく、野ざらしの状態になっていては・・・。

 阪神大震災後に、歌い継がれている歌。東北の復興なくして日本に再生はない。と言うようなことを、安部首相がいうが、現実とのギャップは埋めようがないという事が、政治だけではない人間社会の厳しい現実がある。

 「地震にも負けない 強い心をもって
  亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう

  傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
  支え合う心と明日への 希望を胸に

  響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
  届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

  地震にも負けない 強い絆をつくり
  亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう

  傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
  やさしい春の光のような 未来を夢み

  響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
  届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
  届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように 」 ーー『幸せ運べるように』作詞・作曲:白井真ーー


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