−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行の滞在日記です。
5月31日(土) 晴 8918 京都のホテルにて
仕事を終えて新幹線で京都へ来た。東京駅の食堂で飯を食おうと思っていたが、目的の店は見つからなかった。閉店したか、タダ単に見つからなかったかのどちらかだ。しょうがないので、駅弁を買って食べた。ウニ丼食いてぇ〜と、思っていたが、東京駅じゃ無理か?おら〜北三陸に行きてぇ〜、じぇじぇ。
スペインに行けないのに、京都くらい行かせろよ!という、気分で東京へやって来た。バスでホテルに向かいチェックイン。印を打っている途中、コンビニに買い物に出掛けた。義経と弁慶が出会ったという五条大橋を渡った。そこで忘れてきた靴下、ビールなどと、亀田製菓の柿の種わさび味を買ってきた。シャワーを浴びてビールをひと飲みしてわさび味を試した。パッケージがわさびだから緑。ピリッとするかと思ったが、そこまでではない。昼に食べた、梅しそ味の美味さは格別だと言うことが判った。おそらく柿の種史上最高が梅しそだ。
明日の準備はまで出来ていない。これから印の続きを打って寝る。競馬と薪能が楽しみだ。
6月3日 56796/3
日曜日は京都競馬場へ行ってダービーを観た。途中からISOさんが合流。ダービーは3連複だけを買ったが、3着が12番人気のマイネルフロストが来て外してしまった。勝ったのは、横山典弘のワンアンドオンリー。皐月賞馬、イスラボニータを直線の叩き合いで競り落とし橋口調教師に初のダービーの栄冠をプレゼントした。
「橋口調教師の悲願 競馬人生最高の1日 定年まで1年半 唯一無二のダービー勝利
JRA3歳最強馬を決める競馬の祭典、第81回GI日本ダービーが1日、東京競馬場2400メートル芝を舞台に争われ、横山典弘騎乗の3番人気ワンアンドオンリー(牡3=栗東・橋口厩舎、父ハーツクライ)が優勝。好位追走から最後の直線、皐月賞馬イスラボニータ(牡3=美浦・栗田厩舎)との叩き合いを制し、2011年生まれのサラブレッド7123頭(持込馬、輸入された外国産馬含む)の頂点に立った。良馬場の勝ちタイムは2分24秒6。
ワンアンドオンリーは今回の勝利でJRA通算9戦3勝。重賞は2013年のGIIIラジオNIKKEI杯2歳ステークス以来となる2勝目、GIレースは初勝利。騎乗した横山典は09年ロジユニヴァース以来となるダービー2勝目、同馬を管理する橋口弘次郎調教師は、1990年の初挑戦以来18回目、延べ20頭目の挑戦にして悲願のダービー初勝利を飾った。
なお、蛯名正義騎乗の1番人気イスラボニータは3/4馬身差の2着に敗れ二冠ならず。さらに1馬身半差の3着には松岡正海騎乗の12番人気マイネルフロスト(牡3=美浦・高木厩舎)が入った。
競馬の神様は確かにいた
あまりにもドラマチックすぎる結末。個人的な思いも含め、いったい何から書いたらいいのか分からない。
レース後の共同記者会見が終わり、厩舎エリアへと戻っていく橋口調教師を追いかけていくと、ちょうど福永祐一が通りかかり、橋口調教師に握手を求めに行った。そして、
「橋口先生、競馬の神様っていましたね!」
まるで自分のことのように笑顔を浮かべて、そう話していた。
そう、競馬の神様は確かにいたのだ。
1990年にツルマルミマタオーで初挑戦(4着)してから24年。通算18回目、延べ20頭目の挑戦での嬉しい、嬉しいダービー初勝利。その間、96年ダンスインザダーク、2004年ハーツクライ、09年リーチザクラウン、10年ローズキングダムと、4度も悔しい2着に泣いていた。
「ダービーだけは何としても勝ちたい」
常々そう口にしていた橋口調教師も現在68歳。JRA調教師は70歳で定年となる規定があるため、あと1年半で引退。つまり、ダービー勝利のチャンスは今年含めて2回しか残っていなかった。いや、来年ダービーを狙える馬が現れる保障などどこにもない。ひょっとしたら今年がラストチャンスだったかもしれないのだ。
そんな状況での悲願のダービー制覇。やはり、競馬の神様はいた、という他に言葉が見当たらない。
押して先行、名人・横山典の真骨頂
「想像を絶するレースですね。周りのみなさんの反応を見てもそうだし、勝ってみて、改めて日本ダービーってすごいレースなんだと分かった。言葉では表現できない。これまで日本のGI、海外のGI含めて大きなレースを勝たせていただきましたが、ダービーはやはり別格。次元が違いますね。もう辞めてもいいくらい(笑)。競馬人生最高の日です」
橋口調教師の目は、涙で赤く充血していた。レース直後の検量室前では、調教師仲間、ジョッキー、関係者らがこの東西きっての名トレーナーに次から次へと握手。その場が“祝福”で満ち溢れていた。もちろん、ダービーは毎年そういう雰囲気なのだけれど、特に今年に関しては、勝利ジョッキー、勝利トレーナー以上に周囲の喜びが大きかったように思う。これも橋口調教師の人徳、人柄がそうさせるのだろう。
かく言う僕も、栗東トレセンの取材記者時代は橋口調教師には大変お世話になっており、毎年ダービーでは何はなくとも橋口厩舎の馬を応援していた。だから、今年のダービーは個人的にも最高に感動的なレースだった。競馬を見ていて思わず声が出たのも、ずいぶん久しぶりだったように思う。
話をレースに移すと、やはり殊勲の第一功は横山典だろう。昨年秋、GIII東京スポーツ杯2歳Sを使うにあたって、陣営は横山典に「ダービーまで頼む」と騎乗依頼したという。
「最近はよく騎手が変わる中で、いまどき珍しいというか、そういうオファーをいただいたので、好きなようにレースに乗って、ダービーに向けて馬を作っていけました。厩舎での調整に関しては橋口先生ですからね、何も不安はなかったですよ」
横山典のこの言葉どおり、ダービー当日、ワンアンドオンリーは完ぺきに仕上がっていた。橋口調教師自身「スタッフの思いも強かった。厩舎一丸になっているのを感じていた」というほどの究極仕上げ。ワンアンドオンリーもこの思いによく応えた。
「よく仕上がっていたからでしょうね。スタートはいつもそれなりに反応するんですが、どうにも二の脚が遅い。皐月賞のときも行き脚がつかなかったんですが、きょうは加速してくれました」
そして、ここからが名人・横山典の真骨頂だ。なんと、押してハナを切る勢いで先行集団に取りついてく。これまで差し一辺倒だったワンアンドオンリーからは想像もつかない位置取り。それをこの大一番でやってのける大胆さが、横山典たるゆえんだろう。
「間違いなくスローになると読んでいました。だから、脚を余して負けることだけは絶対にしたくなかった。ハナを切ってもいいくらいの気持ちで行きましたね」
隊列が固まり前を見ると、ちょうどすぐ目の前には皐月賞馬イスラボニータ。
「一番いい馬が誘導してくれた。目の前に一番いてほしいなと思っていた馬がいてくれました」
「あそこからよく踏ん張って、伸びてくれた」
ここまでは思い描いていた通りの最高の展開。しかし、レースは生き物だ。いいことばかりが続くものではない。向こう正面から横山典とワンアンドオンリーは、終始苦しい戦いを強いられていたのだ。
「ずっと引っ掛かっていました。スローだったから後ろもゴチャついていたみたいで、落ち着いたかなと思ったら乗りかかられそうになったり、3回ぐらい危ない場面がありました。4コーナーも手応えよく見えたかもしれませんが、実は無理に抑え込んでいたところもあったんです」
それだけに、追ってもそんなに伸びてくれないんじゃないか、そんな不安もよぎったという。しかし、「あとは意地のぶつかり合いですよ」。そんな横山典の気合に、ワンアンドオンリーも持てる力をすべて出し切ることで応えてくれた。皐月賞馬との真っ向からの叩き合いを、力でねじ伏せてみせたのだ。
「弾けたというイメージは正直なかったんですが、あそこからよく踏ん張って、伸びてくれましたね。自分としてはもう必死で、何も考えてなかった。下を向いて追うだけで、若手にはよく『下を向いて追うんじゃない』って言ってるんですけど、今回は自分がそうでした(笑)。決して褒められる騎乗じゃなかったですね」
大レースを勝った喜びの中にも反省の言葉を口にした横山典だったが、橋口調教師とのコンビでは、これまで実にGI2着が7回。このダービーが初めてのGI勝利でもある。
「橋口先生にはいつもお世話になっているので、もう頑張るしかないと思っていました。先生の数少ないチャンスの中で勝てて、本当に嬉しいですね」
ハーツクライが2着に敗れたダービーでも、手綱を取っていたのはこの横山典だった。当時の父と比較し、完成度ではまだまだワンアンドオンリーが劣るという。
「その状態でダービー勝つんだから、すごいですよね。これからも順調に行って、大きいところで頑張ってもらいたい」
次なる夢はキングジョージ挑戦!
ハーツクライがそうであったように、また代表産駒であるジャスタウェイ、ウインバリアシオンがそうであるように、ハーツクライ産駒の特徴といえば、その成長力にある。ワンアンドオンリー自身もこのダービーが絶頂期ではなく、本当のピークはまだまだ先にありそうだ。そんな愛馬の将来性をすでに予見してのことか、橋口調教師も“次”のさらなる大きな夢を明かしてくれた。
「ハーツクライの仔でダービーを勝ててことは感慨深いものがありますね。実はオーナーとは、もしワンアンドオンリーがダービーを勝ったら来年はキングジョージに挑戦したいというようなことを話していたんです。ハーツクライの仔でキングジョージに挑戦するのは私の夢でした。今回、ダービーを勝てたことで夢に少し近づけたかなと思いますし、今後いっそうワンアンドオンリーを鍛え直して、キングジョージに挑戦することができれば、私の競馬人生はより最高のものになると思います」
キングジョージとは、英国競馬最高峰レースの1つ『キングジョージVI世&クイーンエリザベスステークス』のこと。ハーツクライは06年に挑戦し、前年凱旋門賞Vのハリケーンラン、その年のドバイワールドカップ優勝馬・エレクトロキューショニストを相手にいったん先頭に立つものの、僅差の3着に敗れている。その借りを、ハーツクライの息子で返そうというのだ。
人生最大の夢をかなえてくれたワンアンドオンリーは、橋口調教師にとって馬名どおり“唯一無二”の存在となっただろう。そして、ダービーを勝ったことで生まれた新たな夢。ワンアンドオンリーは再びかなえてくれるだろうか――答えはきっと、かなえてくれるに決まっている。橋口調教師とワンアンドオンリーがこれから歩む1年半は、僕だけじゃなく、競馬ファンにとっても至高の時間となるに違いない。」 ーー文・森永淳洋/スポーツナビよりーー
競馬が終わって平安神宮へ行った。タクシー運転手と競馬の話をした。面白いことを言っていたが、それはあとで書くこととして、「薪能」は、眠かった。もう凄い。言葉も良く解らないし、動きも少ない。一緒にやった狂言は、言葉も分かるし動きもある。笑いもある。だから観ていられるが、能はダメだった。終わって、飲みに行った。レアル・マドリードとアトレティコ・デ・マドリードの話をした。俺の中では、ディエゴ・シメオネ礼賛だった今シーズン。ISOさんもシメオネを誉めていた。
昨日は、懲りて「薪能」へは行かなかった。ISOさんと飲みに行った。何か良い店に入れた。食べ物が美味しいと嬉しくなって話も弾む。ホテル近くに戻って、古い昭和の香りがする食堂に入った。そこは有名な処らしい。大阪の芸人のサインなどが飾られていた。中華そばを食べた。昔風の味で、麺はちょっと好みではなかったが、これが京都風なのかとも思った。
今日はこれから平安神宮へ行って、無隣庵へ行こうと思っている。それから夕方には東京へ戻る。
6月4日(水) 晴 49524/2
東京に戻って、また、生活が始まった。やっぱり、時々旅行に行かないと、何か日常生活がつまらないままになってしまうような気がする。楽しかったし、リフレッシュ出来た。ISOさんとアトレティコ・デ・マドリードやサッカーの話が出来たのも嬉しかった。
今NHKの『ためしてガッテン』を観ている。昆布のネバネバについてやっている。こういうのを観ていると、とろろ昆布を買ってきて料理などに使いたいなと思った。
6月7日(土) 雨 46524/3
木曜日辺りから雨が降り続いている。梅雨入りである。関東南部でもこの3日で、平年の6月の降水量を上回る降水量を記録している。ワールド・カップの直前で、各地で出場国が、練習試合をやっている。東京に戻って、仕事が忙しいので京都の余韻がドンドン消えていくような感じだ。
昨日は、医者に行った。腹が京都にいる2日から痛かったからだ。特に悪いところは見あたらず、痛み止めの薬を処方され、それを飲んだら痛みが消えてきた。
今日明日も雨が降るので、競馬は重・不良馬場になるだろう。いずれにしろ、面白い馬券になれば面白い。
6月11日(水) 曇のち雨 39668/4
京都へ行く前は、紫陽花がつぼみを作っていたが、戻ったら梅雨になり、花が咲き出した。百花繚乱の季節になった。去年は、鎌倉に紫陽花を観に行ったが、今年はどうしよう。また、鎌倉に行くか、それとも違うところに行くか思案中だ。
安田記念は、ジャスタウェイが強かった。あの不良馬場でのめりながら諦めずに差しきったのだから凄いことだ。2着3着が人気薄が来て高配当。こういう時って隣が来るし、数字が続く。
コディーノが死亡した。腸捻転を起こして開腹手術をしたが、手遅れの状態だった。去年のダービーで藤沢調教師は、鞍上から横山典弘を下ろした。そして、今年のダービーはワンアンドオンリーに乗った横山典弘が優勝した。検量室前で横山典弘に握手を求めた藤沢調教師。あれから、典ちゃんは、藤沢厩舎の馬には1頭も乗っていない。和解のための握手だったのだろうと思うが、今後乗るようになるかは不明だ。
6月13日(金) 晴 25263/2
ワールド・カップが開幕してブラジルがクロアチアに3−1で勝った。決勝点になったネイマールのPKは、西村主審の誤審だ。でもスコラーリは、そういうことも織り込み済みで試合を組み立てているのだろう。そういう意味で西村主審は、ブラジルを後押ししている。それにしても、クロアチアは素晴らしかった。エース抜きで、ブラジルを追いつめたチーム力は賞賛に値する。
6月16日(月) 晴 50195/3
ワールド・カップの初戦で波乱があった。スペインはオランダに1−5で大敗。ウルグアイもコスタリカに、1−3と負けた。日本も1−2で負けた。この3チームに共通するモノは先制点を取ったということ。そうなると油断するのだろうか?
最近わざと書くことを辞めてきたSTAP細胞は、ほぼでっち上げだったようだと言うことが、判ってきた。理系的な人間には、どうやら初めから判っていたような事らしい。これだけ状況証拠が揃ってくると、それを覆すことは殆ど無理な状況だ。遺伝子的に言っても、明確に否定される状況。若山教授が記者会見して、ほぼSTAP細胞はないことが第3者期間に提出した、STAP細胞といわれる細胞からはそれを証明するモノがでなかった事を明らかにした。しかし、若山教授は、それでもSTAP細胞は夢の細胞なのであって欲しい。その為には、体調が悪いと聞いてますが、小保方さんが検証実験を行って欲しいと、言っていた。この人たちもそうだが、自分自身も騙されたクチだ。
6月18日(水) 晴 29181/2
降りそうで降らない空模様。少しずつ蒸してきた。歩いていると汗が流れ出す。もうすぐ夏至。夏に向かっている。この時期の緑の若葉に、紫の花の色が栄えてとても気分が良い。雨が降るのは嫌だが、それでこういう風に綺麗なモノが観れるなら、それはそれで良いのではないかと思ってしまう。
ワールド・カップは、メキシコがGKオチョアの活躍で、0−0の引き分け。あそこまで行ったら勝って欲しかった。予選リーグは、2戦目に入った。これで大分見えてくるだろう。スペインは?日本は?ウルグアイは?どうなるか楽しみだ。
6月19日(木) 晴 8714
朝、スペインが0−2で負けたのを知って、ガッカリした。ブラジルが警戒していたチリが勝ち上がり、スペインは予選リーグ3戦目を待たずに敗退が決まった。本当に為す術もなくあっさりと負けた。スペインは、スペインのサッカーが出来ずに負けた。知りたくない結果だった。オランダ対オーストラリアの試合を観ていると、3戦目も楽な試合にはならないと思う。スペインは今日、皇太子が新国王になった。時代が変わっていく。
昨日は、地下鉄東西線が火災で止まり、今日は小田急線が脱線で止まった。どうなっているんだ!
大リーグでは、ワールド・カップ一色なので細々とやりますと言った田中将大が、11勝目をあげた。驚異的な記録を出し続けている。凄いもんだ。
6月20日(金) 晴 5682
19日ホセ・トマスがアレナに帰ってきた。グラナダで今年初めての闘牛を行った。スペインの情熱はブラジルの地で砕け散った。王国は敗れた。翌日新国王が誕生した。その日に、グラナダでもう1人の闘牛界の国王が姿を現し、王国が健在であることを証明した。静寂の中の情熱。湧き出る興奮。無防備な背後から牛が襲いかかり、空転する体。響き渡る悲鳴。うつ伏せにアレナに横たわり、微動だにしない。担ぎ上げられ、エンフェルメリア(医務室)へ向かった。
アレナには代わりにフィニートが立って剣刺し。ピンチャッソ2回。「トレロ」コールが響き、ここで、王国の主がアレナに再登場。喝采がなる。そして、殆ど完璧な剣刺し。白いハンカチが振られ耳2枚を獲得した。そして、また、エンフェルメリア歩いて向かった。観衆は独立した共和国のように国王であるホテ・トマスを情熱をもって支持した。自分の人生も、命も、賭けれない奴は、勝利も、成功も掴むことは出来ない。ホセ・トマスの崇高な時間の凝縮。これは、何物にも代え難いモノだ。
日本対ギリシアの試合後、スペインの友人からメール。グラナダの闘牛が終わった直後だろうそのメールには、ニーム以上のもはもう観れないなんて、馬鹿なことを考えていた私ですがホセ・トマスはホセ・トマスでした。の記述。そして、どうして観に来なかったの!とおしかりの言葉。新たな伝説を作りました。とにかく今年、観に来ないと後悔しますよ!って。
うーん。溜息。脅しのような、催促の言葉。持つべきは友か。7月から9月の間に、intentar しようと思った。
6月23日(月) 晴 16449/3
優勝国であるドイツが引き分けで、ポルトガルも引き分け。アルゼンチンは、メッシが終了間際に1点入れて辛うじて勝ったが、もう過去の栄光が対戦チームへの驚異にはならない時代になってきたワールド・カップ。
NHKで72時間という番組をやっていて、今回は恐山。死者の霊と対話するために来るのか、人々はそれぞれの思いを胸にここを訪ねる。もう大分前に大祭の時に行ったことがある。盲目の女性たちが、「いたこ」になって死者の霊の言葉を、口うつしする。多くの人たちが涙し、あるいは号泣する。恐山の風景そのものがまた、心に残る雰囲気だった。寺山修司の映画『田園に死す』の中でも雰囲気が伝わるが、あの独特の感情を呼び起こす場所だ。
いたこが、語るあの言語は、音楽のように心地よいが、背中がぞくぞくするする時がある。人間の奥深いところを刺激する。夏なのに、あの湖の賽の河原は、風が強く寒い。砂を盛りそこに割り箸を差してある。そこに蜻蛉がとまっている。羽は風に吹かれて揺れていた。湖の神秘的な色。殺風景とも思われる霊場に、お地蔵さんに赤い前掛けの様なモノをつけている。風に吹かれまわる風車。それら全てが強烈な印象として心に刻まれる。また来たいと思うところ。わざわざ行きたいと思うところ。そういう磁場が、恐山にはある。
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