−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行の滞在日記です。
2016年1月1日(金) 晴 19799
朝、元朝参りに行った。今年1年良い年になるよう努力しよう。年末年始のテレビ予約を入れたが、殆どがNHKだった。他は、テレビ東京。日本テレビも、テレビ朝日も、TBSも予約は入らない。観たい番組がないのだ。
1月5日(火) 晴 38185/4
昨日の夜、下山さんからメールが来た。そこには、アントニオ・コルバチョの最後を奥さんから聞いた話が書かれてあった。読んで涙が出そうになった。まさに、侍の死だった。最後まで、自分の命を全うした人だった。本当に最後に京都を見せたかった思う。
京都へ毎年行くようになったのは、大震災の年の1月に本を読んでいて東大寺のお水取りを観たいと出かけ、そこで、京都へ行ってみたいと思ったのがきっかけだった。そして、コルバチョが三島由紀夫の『金閣寺』などを読んで、京都へ行きたいと言っている事を知って、案内するなら何処が良いだろうと、色々訪ねることにしたのだ。
下山さんからのメールを読みながら、改めてアントニオ・コルバチョと京都を考えている。
1月12日(月) 雨 83350/7
昨日の夜、facebook からメッセージが届いた。3年前の旅行中に、パンプローナのサン・フェリミンでメンドーサの闘牛を観て、旅行目的を闘牛に変えて、ホセ・トマスの闘牛も観て帰国。人生プランを練り直し1年前にスペインに行って、学校に通いながら闘牛を見続け、アフィショナードとも交流して日々闘牛熱が高まっているという。
3年前にこのHPを観て、「闘牛への情熱溢れた文章」が大好きで参考書のように読んだという。凄いことだ。以前、観戦記をプリントアウトして、通勤中に読み、闘牛を観に来たという人からメールを貰ったり、観戦記のどれを読めばいいから、人に説明できると、直接言われたと事もある。マドリードでガイドをやっている三木田さんからは、闘牛場へ向かうときに、このHPの観戦記をプリントアウトしたモノを読んでいる人を何人か見たと言われたこともある。
朝日新聞?の記者から闘牛の話を聞きたいと話をしたこともある。実は、ラジオにも2回出たことがある。闘牛に関しては、他の人よりかなり詳しい。でも、人生プランを練り直し1年前にスペインに行って、私の人生は、メンドーサとこのHPに出会わなかったら、存在しませんと、言われると、大変に恐縮する。
それに加えて、「美しかろうが、醜かろうが、生きている姿そのものが感動なのかもしない」と多分アベジャンの闘牛の時に書いた文章が、常に自分のお気に入りの言葉として引用していると、言われるとますます恐縮する。
今正月に録画していた『坊ちゃん』を観ている。片山先生が言っていた事だと思うが、明治の頃の小説には、裏側から見ると、元幕臣というキーワードがあると。山田風太郎が1番好きだった漱石。『坊ちゃん』の中にも、そういうモノを感じる。書き出しは、ぶっきらぼうだが、まるで落語の様に語り口だ。坊ちゃんに、その後気性は立派だといつもほめる清。これが元幕臣の娘だろう。死んだら、坊ちゃんの墓に入れて欲しいという。瓦解後、幕臣は食えなくなる。幕臣だけではなく武士階級が、食えなくなる。そこで、江戸改め東京の裕福な家庭のお手伝いなどに元幕臣の娘が入っていって子供の躾などしたのだろう。
勿論、家のために女郎に売られていった女たちが、いたのは歴史上の事実だろう。荷風の小説に出てくる女は、その筋の女ばかり。素人とは交わらなかった荷風は、徹底していた。荷風が描く女が、元幕臣と片山先生が言っていたと思う。朝ドラ『あさが来た』に描かれているは商人の娘。あさは生き生きしている。洋行帰りの五代友厚と親しくなっていく。新しい時代の女性像がそこにあったからだ。
一方、漱石も荷風もまた洋行帰り。滅び行く江戸・日本の良さを書き写している。それにしても2人とも女の顔を描いていない。荷風なんか着物や髪型を書いているが顔は何も描いていないと言って良いだろう。 五代は、大阪経済を動かし新しい日本を作っていく側に身を置き、漱石や荷風は、外国を観て、日本の良さを再確認してそれを記録した。新渡戸稲造は、ヨーロッパで、キリスト教が道徳教育の基になっているが、日本は何が道徳の基になっているかと、問われ、『武士道』がその基になっていると著書を書いた。これもまた、滅び行く日本を書き記した。
しかし、滅び行く日本の良さは、未だに完全には滅んでいない。やはり厳然として残っている。三島由紀夫もそう。彼の場合は大いに幻想を抱きすぎていたが。外国人が三島を読んで、感動するは、ある意味で分かる。特にコルバチョは、信条として、フィロソフィア・デ・サムライと言っていた。闘牛士は、サムライのようでなければならない。そう思っていたようだ。ホセ・トマスの闘牛がその見本だ。タラバンテもその教え体現していると思う。
1月14日(木) 24639/2
闘牛に行こうと、ネットを観ていたらセビージャのコルプス(今年は5月26日)にモランテとホセ・トマスがでないと言うことが分かった。折角、セビージャのホテルを予約していたが無駄になりそうだ。去年の12月11日の記事だった。本当に闘牛のニュースを観ていなかったモノだ。PCを変えてからネットトップ画面を代えていたからだ。
ホセ・トマスは本当に出てくるのだろうか?最大の問題だ。本当はラス・ベンタスで観たいのだが・・・。
リーガは、レアル・マドリードの監督がジダンに替わって、5−0の圧勝。クリスティアーノ・ロナウドは無得点。こんなモノなのだ。ベイルが3点、ベンゼマが2点。バルセロナも勝ち、アトレティコも勝った。アトレティコの首位は変わらず。でも、バルセロナは1試合消化試合が少ない状態で勝ち点2上回っているだけ。混戦だが、バルセロナが有利だろう。ジダンには長く監督をやって欲しいが、優勝は無理だろう。シメオネは慎重だが、グリーズマンは優勝するつもりらしい。勿論選手はそういう気持ちやらなければダメだが、何とかまたシメオネのアトレティコに優勝して欲しいモノだ。
ところで、バロンドールが発表されてメッシが選ばれた。最優秀監督がルイス・エンリケ。当然だろうと思う。バルセロナというチームから選ばれるべきだからだ。クリスティアーノ・ロナウドよりメッシの方がましだ。オシムも言っているが、クリスティアーノ・ロナウドよりメッシの方が良いに決まっている。
1月21日(木) 59152/7
♪No.1にならなくてもいい もともと特別な Only one♪
SMAP解散問題で、フジテレビが『SMAPxSMAP』の中で5人がメッセージを出した。視聴率が37%あったという。どうやら、脱退を宣言していた4人には処分なしで存続する流れになったようだ。
昨日は寝るのが遅くなって、起きたのが12時過ぎ。最近では非常に珍しいこと。それから、珈琲屋に行って、ランチを取った。京都へ行っていたときに、行く珈琲屋が、京都の珈琲屋ではなく、横浜のモノだということが、ネットで判った。そこでビーフシチュードリアを食べた。ホットケーキがふわふわの5cm位あるモノをここは出している。これが食べたくて京都の四条烏丸の店に入ったが、ビーフシチュードリアの上にそのスフレの様なふわふわのモノが乗って竃で焼かれて出てくる。この珈琲屋が家の近くにあるとは知らなかった。そこで出掛けて観たのだ。
駅から離れているのにもかかわらず、店内は混んでいた。禁煙の処はほぼ満席で、喫煙室は、7席中1組しかいなかった。それから床屋へ行って、スーパーで買い物をして帰ってきた。本当は、カマキンに行きたかった、時間的に無理なので、やめた。スーパーで珍しい大根があったので買ってきた。亀戸大根。初めて聞く名前。取り敢えず、豚肉と野菜を炒め、大根おろしで食べた。カマキンには来週行こう。
1月22日(金) 曇 5101
暦のよれば、昨日は、大寒で満月だった。今日は、黙阿弥忌。明日は、奈良若草山焼き。天気予報では雪になっている。競馬は開催されるのだろうか?京都で観た満月から2ヶ月。あれから観ていないような気がする。銀閣寺の向月台で観れたら最高だが、そんなことは出来るわけがない。
facebook からメッセージ以降、何年ももやもやしていた気持ちが収まった気がする。自分が闘牛に対して関わってきた事がそれで良かったという答えを頂いたような気がしたからだ。こういう人が1人いただけで自分がやってきたことに間違いがなかった事の証明だった様な気がする。勿論、下山さんや、MEGUさん、ISOさん、結衣さんなど理解して貰っているとは、思っている。そして、セサル・リンコンも・・・。だが、facebook
からメッセージの人は、言ってみれば、殆ど何も、僕のことが判らない状態で、HPの観戦記を読んで闘牛から理解して貰えたことが、非常に嬉しいのだ。自分が歩んできた道が正しかったと、確認できるような、支えになる。
ある人たちと交わりを絶って良かった思える。彼らとは、嫌な思い出しか残っていない。良いときもあったが、何か疎外感というか、浮いた状態だった様に思う。
1月25日(月) 曇 39669/3
日本列島は寒い。沖縄では39年ぶりの雪を観測した。NHKでは、初めて雪を観測したとテレビで伝えていた。奄美大島では、119年ぶりの雪が降ったという。九州では60cm以上の積雪を観測したところがあるという。朝の挨拶は、「寒い」で、始まった。
PCの調子が悪い。ネットを開いていると、突然ウィンドーが開きアンチウィルスソフトなどが開いたりで、起動も遅くなっている。アンチウィルスソフトを入れたのだが、それでも、治らない。ネットでラジオが聴けない状態になっている。何とかしなければ。
カマキンに行こうと思っていたら月曜日休館だった。病院に行き、風呂屋に行った。風呂から上がったら、NHKの『クローズアップ現代』で、原節子をやっていた。その中で、世界の映画監督が選ぶ映画、ベスト1になった、小津安二郎監督の『東京物語』の原節子の役柄と、「私ずるいんです」と言った後に、義父役の笠智衆の言葉に、号泣するシーンで、大女優への道を歩き始めたと映画評論家が言っていた。
ゲストの『Shsll we ダンス?』の周防正行監督が出ていたが、その中で、上記のシーンと、『我が青春に悔いなし』(黒澤明)の2つをあげ、監督が原節子に託した人間性を出せる女優として起用していたと思うと語っていた。実はあの汚い古ぼけた銀座並木座の立ち見席で、声を上げて泣いた映画が、『我が青春に悔いなし』だった。言い換えれば、あの当時、小津安二郎より黒澤明の映画の方が解りやすかったのだ。
あの時、原節子は、スクリーンに写っているだけで、涙が頬をつたい、言葉を発すれば感情が声になって外に出た。なんかいつまでも原節子は、『我が青春に悔い』の中にあったような気がする。美しいと言うより、1本筋の通った儚くも強さがそこにあった。もうギリギリだよね。これはと、思う。引退してから53年。一度も公の場に出てこずに死んでしまった。そういう意味では、山口百恵以上の相当の覚悟で1本1本の映画に挑み、だからこそ、突然姿を消して永遠にスクリーンの中に自分の姿を残して行ったのだと思う。
1月27日(水) 曇 25525/2
昨日は、宮さんに呼び出されてランチを取った。いきなりステーキだ。やっぱりここは、ランチじゃない方が良いと思った。それから、茶店に行って、色々話をした。仕事の話やなんやかや。その中で、facebook
からメッセージがあったことを話した。あの会の人たちは、僕がやってきたことを、認めなかったが、facebook からメッセージの様な人が何人もいたことに気づかされた。そして、HPに書いたモノを読んで、それをキチッと受け取り、自分の人生設計を変えてスペインに来て留学・仕事をしている。そういう人がいるというのは、観光で闘牛を観に行くときの参考として、このHPを読んでいた人とは、決定的な違いがある。
闘牛の話も簡単にした。宮さんは、そういう違いがあるというのは、深いですね。と、言っていた。結局、彼女のメッセージは、僕の背中を押しているのだろうと思うのだ。今までやってきたことを、整理しなさいと。闘牛についてまとめなさいと言っているように思うのだ。闘牛観戦したときに書き留めたノート、闘牛のビデオ(DVD)、写真などを少しずつ整理して行こうと思う。そして、まだ、HPに載せていない、モノなどをまとめる事にしよう。どうなるか解らないが、本に出来るようなモノを作りたいと思う。
宮さんには、そういう話をした。自分の頭の中にある事を、宮さんを前にして、まとめたような感じになった。なんか改めて気持ちも、頭もすっきりした。結局今までやってきた事でしか、これから出来ることはないのだ。あの会の人たちのやったことに対して、モヤモヤしてもう勝手にしろと言うような気持ちが、今まで続いていたのだと思う。やる気が激減していた。しかし、そんなモノはどうでも良いのだ。こうやって肩を押してくれる人がいるのだ。出来ること、やらなければならないことを、やっていこうと思う。ウニコ、ウニコだよ!よってHPの闘牛関連の更新は、このHPを始めた頃は、インターネットがない時代だ。今は、HPを更新には、長い祭りのカルテルなどは、書けるときは書くが、ニュース等は、あまり更新できないだろうと思っている。HPの更新よりやらなければならないことをやる方を優先したいと思う。
今日は、カマキンに行ってきた。神奈川県立近代美術館 鎌倉。やくして、カマキン。今月で、鶴岡八幡宮から借地契約が切れることになり閉館になる。鎌倉駅を下りて小町通りを歩いていくと、通りは人で一杯だ。平日の昼過ぎにこんなに人が溢れているのかと思った。それから、茶織庵という蕎麦屋で、鴨南蛮そばを食べた。一度食べてみたいと思っていた蕎麦屋。こういうもんかと思った。
それから、カマキンへ行くと40m位人が並んでいた。閉館までわずかなのでやっぱり見に来ているのだ。最後のカマキンを観に。その中で、過去の思いでは、なんと言っても、オットー・ディックスだ。『自殺者』という絵は、首つり自殺している男の絵。そして、ズボンの中には、勃起したペニスがあることが分かる絵だった。ちょっと衝撃的だった。何故、こんな絵を描くのだろう?そう思った。
大分後になってから、絞首刑の執行人だかの医者だが忘れたが、絞首刑の時の男は皆、ペニスが勃起するだと言うことを言っていた。だから、あの絵は、真実を描いていたのだと言うことが、解った。従軍した第1時世界大戦の塹壕のリトグラフなどは、非常にリアルだった。戦争を題材にしたモノでは、ゴヤの『戦争の惨禍』と並び悲惨な戦争を正確に描いていると思った。
カマキンの年表を見ると、ゴヤの後に、オットー・ディックスを観ていた。逆だと思っていたが・・・。他にも色々なモノを見に来ていたんだと思った。鶴岡八幡宮の平家池にある美術館。そこからの眺めも見納めだ。夏には蓮が沢山出て、蓮の花が一杯開いていた。さよなら、カマキン。日本で初めての公立美術館。世界でも3番目だという。日本の美術に大きな影響を与えたと言うが、そういう美術館とは知らなかった。隣では、学芸員で働いていたと思われる人が懐かしがって友人と話をしていた。
1月29日(金) 19005/2
昨日は、暖かかったのに、今日は雪が降るという予報の天気で寒い。東京に住んでいると、体が天気に着いていけなくなって、風邪を引いたりする。これから都心で5〜10cmの積雪が予報されている。
鎌倉の本屋で、『和楽』を買ってきた。北斎の特集が組まれてた。中にドナルド・キーンと染織家・志村ふくみの対談があった。キーンさん、ますます年を取っていた。日本人は、手紙の中で初めに季節の挨拶をする。個人から送られてくる手紙も、会社から送られてくる手紙もそうだという。一方、海外からの会社から送られてくる手紙には、そういう文面はあり得ないという。季節というモノをいかに日本人が感じているかが、判ると言っていた。他、つらつら読みながら、フランスで起きた『ジャポニズム』の中心に北斎の浮世絵があったことを、初めて知った。『富嶽三十八景』(特に、神奈川沖浪裏)や『北斎漫画』が、フランスの美術界を熱狂させた。とりわけ、印象派の画家たちに与えた影響は大きい。
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ) ーー『春と修羅』序 宮沢賢治 よりーー
賢治のこの文章がすっと入ってきた。今なら感覚として解る。昨日は、おぼろ月夜だった。
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