断腸亭日常日記 2016年 6月 スペイン日記

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年のスペイン滞在日記です。
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 6月2日(木) 晴 11258

 昨日の昼は、三木田さん夫妻と結衣さんとメニューを食べた。久しぶりに、闘牛仲間で楽しい昼食。三木田さんが連れて行ってくれる処は、安心して食べられる。パエジャも美味しかったし、赤身肉も美味しかった。ビセンテ・バレラの話、セバスティアンの話。写真集の話など。ホセ・トマスの話などいろいろ昔から今までの闘牛の話が出来た。茶もした。例えば、昔なら、カポーテだけ良かった闘牛士とか、バンデリージャだけ良かった闘牛士がいた。そういう風に何かに特化した闘牛士がサン・イシドロで観客を楽しませた。今、ペレラのアポデラードをしているフェルナンド・セペダもベロニカで沸かせた。モレニート・デ・マラカイの様に、バンデリージャのキエブロだけで感動させる闘牛士がいた。今は、優等生が多いからそういう闘牛士がいなくなったと三木田さんが言っていたが、その見解はある意味正しいと思う。

 三木田夫妻と別れ、結衣さんとも一端別れ宿に戻る。それから仮眠して、闘牛場へ行った。前日の詐欺みたいな非道い闘牛を観ていたので、どうなるかと思っていたが、こういう事もあるのかと、素晴らしい闘牛が観れた。2人の闘牛士がプエルタ・グランデした。こんな事非常に珍しい。記憶が確かなら観た中では、ラス・ベンタス闘牛場では、2回目。ただし騎馬闘牛は除いて。25年前の同じベネフィセンシアで、オルテガ・カノとセサル・リンコンのマノ・ア・マノ以来ベネフィセンシアでの歴史的な闘牛になった。ビデオもちゃんと撮っている。本当は、セバスティアンとロペス・シモンだけ取る予定でいたが、5頭目のマンサナレスの牛が凄く良かったのでファエナを撮ることにしたら、この日というか、今年のラス・ベンタス闘牛場最高のファエナになった。

 まず初めにプエルタ・グランデを決めた、ロペス・シモンから書こうと思う。今年3回目のラス・ベンタス登場。良いファエナを続けていたので何とか耳を取って欲しいと思ってみていた。彼はベンタスでは、外連味ない誠実な闘牛をする。そういうところが好きだ。時々何かに怯えているいるような表情をする青年。マドリードのバラッハス出身。おそらく、マドリード闘牛学校のグレゴリオ・サンチェスから闘牛技を教えて貰ったのだろう。それに、コルバチョの言う、フィロソフィア・デ・サムライ(侍の哲学)を持っている。地方の闘牛場では、膝着いたり余計な事をするが、聖地ベンタスでは、余計なことをあまりしない。ただ今日はプエルタ・グランデが決まった後の最後の牛では、ポルタ・ガジョーラをしたのは、余計な事の一つかも知れないが、耳2枚で満足していないという覚悟を見せたのだと解釈したい。

 この日の牛は、ビクトリアーノ・デル・リオ牧場。前日のように、コリーダ・ドゥーラではない。フィグラがやる牧場だ。そして、普通に良い牛だった。マンサナレスのグラン・ファエナに比べるまでもなく、耳2枚のファエナではなかった。しかし、ファエナプラスコヒーダで耳2枚という感じだった。当然、テンディド7を中心に抗議が起こった。しかし、結果的に最後の牛で耳1枚の価値のあるファエナをしたので、文句はない。

 そして、この日というか今年のサン・イシドロで、もっとも闘牛場を沸かせたマンサナレスのグラン・ファエナ。ビデオを撮る予定ではなかったが、ベロニカを観て、これは牛が凄いんじゃないかと感じて、ファエナを撮った。デレチャッソでパセを繋ぐと牛が、アビオンする。トゥリンチェラなど、見事。そして、テンプラールなパセ・デ・ペチョが決まると、闘牛場の雰囲気は一気に変わった。あのパセ・デ・ペチョには、不満がある。外を廻してしるからだ。ホセ・トマスが98年にやったパセ・デ・ペチョに比べると、テンプラールのゆっくりさ、体の近くを通しているという意味では、格段に違う。勿論ホセ・トマスの方が最高。

 ナトゥラルも手の低い長いパセを繋いだ。オーレの大合唱が闘牛場にこだまする。誰もが耳2枚を確信していた。剣刺しは、見事なレシビエンド。牛はカポーテを振らずに直ぐに倒れた。闘牛場が白いハンカチで揺れる。プレシデンテは、直ぐに白いハンカチ2枚を出したが、観客はハンカチを振るのを止めなかった。なんと尻尾を要求していた。牛は、場内一周しなかったが、サン・イシドロで観た中では、1番良い牛だった。ネットで観たビデオでは、アポデラードらしき人と抱き合って泣いていた。アポデラードはカサ・マティージャ。

 セバスティアン・カステージャは、丁寧にパセを繋いでいた。初めの牛で、雰囲気としては耳1枚の感じだったが、剣が決まったがデスカベジョを5回くらいやって耳が消えた感じ。

 とにかく、ビクトリアーノ・デル・リオ牧場の牛は非常に良い牛を出した。途中客席から、ビバ・レイと叫ぶと、シーと応える掛け声もとんだ。ラス・ベンタス闘牛場で、2人の闘牛士がプエルタ・グランデするシーンを観るのは、何十年に1回あるかないかの闘牛だった。それに、立ち会えたことを喜びたい。結衣さんと待ち合わせ。帰りにTHさんから電話あった。ロペス・シモンの話ではなく、マンサナレスのグラン・ファエナの話だった。結衣さんとは、カステージャの話とかこの日の闘牛場の話をして帰ってきた。なかなか興奮で寝付けず、遅くまで美酒を飲んでいた。


 6月3日(金) 晴 9316

 昨日は、ユウイチ君とTD君と昼食。それから闘牛へ行った。昨日の闘牛については、簡単に書いておくと、何もなかった。牛もそこそこ、闘牛士もそこそこ。セレティーノ・クアドリ牧場の牛で、ルイス・ミゲル・エンカボ、フェルナンド・ロブレニョ、ルベン・ピナル。エンカボは昔と変わっていない。闘牛の常識も判っている優等生。でも、規格外や想定外には対応しにくいタイプ。4頭目の牛の剣刺しが決まらず、デスカベジョ12回。退屈な観客はここぞとばかりに、口笛と罵声を浴びせた。その直後、アンチタウリナが乱入し取り押さえられた。その後に、警官が大勢駆けつけて連れて行った。ある意味良い余興ではなるが、ラス・ベンタス闘牛場で、しかも、サン・イシドロで、こういう事が起こる自体非常に闘牛の立場が苦しいところに来ていることを表している様な気がする。

 ロブレニョは、すっかりコリーダ・ドゥーラになってしまった。若いときは、向こう見ずな闘牛をして観客を沸かせていたが、牛の扱いが下手。勇敢でなくなったら、それを技術で補えない。悲しくなるよなぁ。若さの闘牛から脱皮できない。この日1番まともだったのがルベン・ピナル。初めの牛では、左角が良いことを判ってファエナをしていたし、次の牛では、右角が良いことを判ってトレアールしていた。そこは立派。でも、耳がでるようなファエナには持って行けないんだよなぁ。牛からそれを引き出すことが出来れば、1流の闘牛士になれるだろう。

 闘牛が終わってから、また、2人と合流。他にTD君の奥さんと、Hさんと会った。遅くまで飲んで話した。こんなにTD君と話したことがない。何故歴史の話や、歌の話になるのか判らないが、そういう話が一杯出た。


 6月4日(土) 晴 15174

 昨日は、ソルテオに行った。バルセロナからTHさんが来ていて、ラス・ベンタス闘牛場では、初めて観た。と言っても実際くじ引きするところは観れず、牛を檻の中に入れる処を観た。それが順番に各闘牛士に決まった通りに収まるかに立ち会うという感じだった。牛の番号と名前を呼び上げ、囲いを移動させ檻に入れる。

 昔、フランスに行ったときに、セサル・リンコンのクアドリージャに付いていって、実際のくじ引きの処は観たことがある。タバコの巻紙に、牛の番号を2つずつ書いて、2頭1組のモノを3つ。それを、親指と人指し指で丸めて、アンダルシア帽に入れ、その上にもう一個のアンダルシア帽をかぶせ、振って、その中に手を入れて各闘牛士のバンデリジェーロが取る。そうやってき決まったモノを紙に書いて、張り出す。

 1回観たのは、地方の闘牛場で、間違って牛を出したところがあった。引いたくじの牛が出てこなかったので、セサル・リンコンのバンデリジェーロは黙ってみていた。そして、牛を戻して、くじの牛を出し直して闘牛を始めた事がある。非常に珍しい事だった。THさんの隣にいたおっさんが、3頭目が良いと言っていた通り、1番良い牛だった。競馬のパドックで馬を観て、良い馬と思ってもなかなか馬券にならないが、スペイン人の牛を観る目は凄いと思った。

 昨日の闘牛は、ビクトリーノ・マルティン牧場の牛で、ウセダ・レアル、ミゲル・アベジャン、エル・シド。ウセダ・レアルは、初めの牛でムレタをはらわれた直ぐに剣を代え剣刺しした。口笛と罵声が飛び交う。それにしても、バンデリジェーロのカレテロが、あれだけバンデリージャを打ちたくないそぶりを見せたのを初めて観た。若い頃に比べて腹が出て、動きが悪い。そして、ウセダ・レアルは、非道すぎた。普通は、左右の角がブスカンドするよと、観客に見せてから、ほら出来ないでしょう、と、剣刺しに行くべきなのに、そういう手間をはぶくので、批判を浴びることになる。

 アベジャンは、そこそこやった方だろう。5頭目の牛の時、カポーテでは左角が良かったので、ナトゥラルから始めたが、動きが悪い。それでデレチャッソに代えたら長いパセが出来た。闘牛って難しいよなぁ。こういう牛もいる。批判されるような闘牛ではなかったが、2頭目の牛の時は、ビビリが入っていたのが・・・。

 エル・シドは、3頭目の牛の時に、耳の価値のファエナをした。ベロニカの時から良い牛であるのは判った。ファエナのナトゥラルもデレチャッソも良かった。オーレが続いていた。が、途中ちょっと中だるみした。剣を代えた後のタンダは沸かなかった。剣がバホナッソじゃ、耳をあげたくてもあげれない。やっぱ、ビクトリーノ・マルティン牧場牛なら、最近だとエル・シドが良い。それとセビージャでは、エスクリバノ、パコ・ウレニャが良かった。セビージャの時のようなときめきがないのが残念だった。

 ソルテオに来ていたスペイン人のおっちゃんの言ったとおり、3頭目が1番良い牛だった。恐れ入ります。


 6月5日(日) 晴 20282

 昨日の昼は、M夫妻の処に行った。久しぶりで旦那の方は白髪が増えていた。それに左手が挙がらない。筋肉か腱か炎症を起こしているのかも知れない。病院で観て貰っているらしいが、未だ不明。奥さんの方は、元気そうだった。サラダ、カレーライスなど頂く。話はやっぱり闘牛の話が多い。観客の反応への違和感、それと観たい闘牛士がいないことが、原因で段々観に行く回数が減って、2年前からアボノを手がなしたという。だから、去年観ていない。ロペス・シモンも、ロカ・レイも観ていないのだ。

 ホセ・トマス以外は、観たくなさそうだった。そういう気持ちは良く判る。彼以外の闘牛士で、追っかけしたいと思う闘牛士はいないと思う。それは確かだ。しかし、それだけだと、闘牛の状況が判らない。例えば、モランティスタの存在や、パディージャが置かれている状態などは、闘牛場へ行かないと判らない部分がある。誰よりも、モランテが1番と思い、神のように崇める。1部熱狂的な信者とも言うべきファンを持っているモランテ。クーロ・ロメロの様な感じに近い。

 昨日の騎馬闘牛。フェルミン・ボオルケス牧場の牛で、パブロ・エルモーソ・デ・メンドーサ、レオナルド・エルナンデス、レア・ビセンスのコンフィルマシオン。レアは、ヘレスで観たとき感じた騎馬闘牛士としてのセンスの良さは、ベンタスでも出ていた。手綱捌きも1流だ。女という物珍しさで、客寄せの興行というような事はない。初めの馬でベンタスの観客の心を引き寄せた。入場行進の手綱など観ていると、レオナルドより上手い。初めで耳1枚。最後の牛で耳1枚でプエルタ・グランデ出来たはずだ。新しいスター誕生を感じさせた。最後の牛は、非道く向かってこない牛。登場時から口笛が吹かれ続けていた。それでも、何かとしてしまう気持ちの強さと、技術を持ち合わせている。見事な剣が決まり耳1枚と耳要求。牛が悪く短いバンデリージャを打たなかったから、耳1枚でしょうがない気もがするが、初めの牛で耳が出なかったので・・・。どちらにしても、プエルタ・グランデを逃した。

 パブロ・エルモーソ・デ・メンドーサは、観客を沸かせた。馬の尻を左右に振って牛を誘って追わせる技術、手綱捌きは、超1流の証。でも、ダメなときのパターンは、いつも剣刺し。ピンチャッソを繰り返しては、耳は切れません。残念でしょうがない。史上最高の騎馬闘牛士も、引退が近いのかも知れない。

 エルナンデスは、耳1枚とピンチャッソ2回で耳1枚。最後の耳は観客が要求したのだから仕方ないのかも知れないが、抗議の口笛があちこちから吹かれていた。当然だ。ともあれ記録として、去年から、出場機会4回連続プエルタ・グランデ!騎馬闘牛でも、記録的なプエルタ・グランデだ。闘牛士でこの記録を持っているのは、セサル・リンコンだけ。ロペス・シモンは4回目に出来なかった。

 エルナンデスは、若さと勢いで耳を切っている。観客の気持ちの壺を押させている感じだ。ベントゥラの様に、ならなければ良いなぁと思っている。彼は、今、騎乗技術をもっと磨く必要がある。5頭目の時に使った白い馬はずごかった。ああいう馬を複数持つ必要がある。それをやっておけば、ベントゥラの様にはならないだろう。

 今日が今回最後の闘牛。おそらく、雨で中止になった闘牛が6日に開催されるだろう。でも、今日ハビエル・カスターニョの闘牛を観て日本に帰ることになる。


 6月6日(月) 晴 11182

 スペインでの闘牛の予定等終了。これから日本に帰国します。


 6月7日(火) 小雨 10804 東京の部屋にて

 パリ経由で、無事成田到着。昼食と取ろうと、コンビニで買い物。山形のだしなど買う。納豆には、これが合う。もうこういう季節になってきたのだ。梅雨が近い。飛行機の中で珍しく映画を観た。しかも、日本映画4本。吉永小百合が出た、山田洋次監督の『母と暮らせば』。二宮和也も良かったが、黒木華が良かった。この子、NHKの朝ドラ『花子とアン』の時も良かったが、これも素晴らしい。何というか非常に日本的な女性を表現している。

 原作は、井上ひさしらしい。原爆が家族の絆を引き裂いている物語を、静かに描いている。原爆の悲惨さを描くのではなく、亡霊になった息子と母の会話や、結婚するはずだった町子(黒木華)と、母の会話などで。静かに良い。涙が流れる映画だ。山田洋次はこういう描き方が上手いなぁ。日本人だけでなく、世界の人の心にも届くような描き方なのだろうと思った。井上ひさしのように、静かに怒っている描き方が、大衆的なのだろうと思う。マニアックなだけでなく、そういうことも考えて書かなくてはならない。そうしないと、伝えたいことが、伝わらなくなるのだろう。

 取りあえず、録画していた、『真田丸』から観てブルーレイを整理していこうと思う。それから、スペインで撮ってきた闘牛のビデオをDVDに起こそうと思う。


 6月8日(水) 曇/小雨 4039

 タモリが上京して、初めて沼田に行ったのは、教科書に出ていた河岸段丘が観たくて訪れた。『ブラタモリ』で、そういっていた。沼田は真田が治めた土地。沼田城は河岸段丘という自然な地形を生かした要塞になっている。その沼田城を巡り、秀吉、北条、真田、徳川が会談する。北条は氏政が出席せず江雪斎が、真田は、昌幸ではなく、信繁が、徳川は、家康ではなく本多正信が出席する。秀吉の裁定により、小田原攻めが決まる。北条は、お家存亡の危機になる。

 床屋に行って、洗濯をしたり、部屋の整理・掃除をしていた。季節は、ツツジ・五月の花から、紫陽花に変わろうとしている。もう、梅雨が始まろうとしている。湿気で暑さが増す季節に変わろうとしている。闘牛は、たぶんサン・イシドロで活躍した、タラバンテ、ロカ・レイ、ロペス・シモン、それとパコ・ウレニャ辺りが中心にフェリアを盛り上げていくのだろう。マンサナレスは、牛が良すぎた印象で、わざわざ観に行きたいとは、思わない。剣刺しは凄いけど。

 もし、来年行くとしたらパコ・ウレニャを是非みたい。ちょっと良い。THさんがサン・イシドロ最終日に、テンディド7の人たちが、ちゃんと闘牛をやっているのは、パコ・ウレニャだけだと言っていたことを教えてくれた。ビデオでしか観ていないので、あれだが、グッと来るファエナをしていた。M夫妻の様に、観たい闘牛士がいないというのは、判るような気がする。ホセ・トマスは1年に何回もやらない。ラス・ベンタス闘牛場で最後にやったのは、2008年。そうすると、そういう気持ちにもなるのだろう。

 ブルーレイを整理しようと、昔録画を観ていたら、ザ・タイガースのコンサートが出てきた。初期にビートルズでなく、ストーンズをやっていたことが判る。ジュリーがストーンズを歌うのも良いものだ。もう読まなくなった村上龍が『限りなく透明に近いブルー』を、ストーンズの『アウト・オブ・タイム』を聴きながら書いたと言うが、たぶん、僕は、ディランの、『運命のひとひねり』だろうなぁと、思った。ノリで言ったら、『ライク・ア・ローリング・ストーン』だろうけど・・・。準備もしなければならない。

 谷崎潤一郎は、戦中、作品を発表できなかったが、毎日『細雪』を書き綴った。日記に、終日細雪。と、書いている。早く僕も、終日細雪と書けるような日々が来ることを望む。


 6月9日(木) 曇/雨 3645

 録画しているダービーを観た。結果は勿論知っている。1000m1分の平均ペースで進んだレースは、有力馬が中段に固まっていた。直線坂上で武豊のエアスピネルが先頭に躍り出た。あと200m。外から川田のマカヒキ勢いよく伸びて先頭へ。そして、ルメールのサトノダイヤモンドが外から馬体を合わせる。ルメールの渾身の右鞭がうなる。川田は、はみを掛けて追い続ける。そのまま馬体があったままゴールに飛び込んだ。写真判定。3着は皐月賞馬蛯名正義のディーマジェスティ。4着武豊のエアスピネル。5着が2歳チャンピオン、デムーロのリオンディーズ。この馬は後ろから行き過ぎた。結局5着まで、皐月賞で5着までに入った馬が着順を代えて入着した。史上最高レベルのダービーと言われたレースは、やはり、実力通りの結果になった。

 掲示板に、3が1番上に掲示されると、川田将雅(ゆうが)騎手は、天の仰ぎ拳を握りしめた。込み上げるモノに身を任せていた。ゴーグルをかけている見えないが、泣いているように見える。2着のルメールは、ゴール直後左手を差し出して、川田はそれに応えて右手を出して握っていた。ルメール悔しいだろうなぁ。自分が乗っていた、マカヒキとサトノダイヤモンドが1・2着。自分が選んだ馬が2着で、捨てた馬が優勝。着差はハナ差。2枠と4枠という枠の差が着差になった様な結果。

 男の勝負は潔いし、美しい。そして、3着に敗れた蛯名正義は、またしても皐月賞馬で挑んだダービーで、悲願のダービーを取れなかった。マカヒキは賞金2億円を稼いだ。馬主の金子真人は、ディープインパクト以来のダービー制覇だった。13万人が現場で目撃したダービー。歓声が渦を巻いているような感じだった。東京競馬場はやっぱり良いよなぁ。

 昔は、スペインに行っていると馬券が買えなかったし、ネットでも結果が判らなかった。今年は、サン・イシドロの闘牛を観ながらでも、ネットで馬券が買えるようになった。サン・イシドロの頃って、ずっと東京競馬場。行けないのは残念だが、闘牛の方が大事だ。競馬は、テレビでも充分だし、ネットでも良い。でも、闘牛は、テレビも日本にいれば観れないし、やはり、闘牛場に行ってその雰囲気を感じながら観ないと、本当の意味でも体感することは出来ない。

 サン・イシドロ最終日になった5日。ミウラ牧場牛がテルシオ・デ・バラスで沸かせた。遠くに牛を置き、ピカドールがピカを振り上げ牛を誘うと、牛が動き出すと、歓声があがった。まさに、テンタデロのイメージだ。この日は、ハビエル・カスターニョを観に行った。もう2度と観ることがないかも知れないと思いながら。ノビジェーロの時、サン・イシドロでグラン・ファエナをして、耳2枚の価値のあるファエナを2回した。剣がダメで、耳2枚しか取れなかったが、非常に可能性を感じさせる闘牛士だった。

 牛を怖がらなかったし、クルサードも深く、パセも素晴らしかった。下山さんが言うには、ホセ・トマスとマヌエル・カバジェーロ(今テレビ解説をしている)を足して2で割ったような闘牛をしていた。それが、なかなか上手くいかず、ガンになり、治療で脱毛して闘牛場へ戻ってきた。何か観ていて悲しくなってきた。このまま、彼はコリーダ・ドゥーラで終わってしまいそうだと思ったからだ。治療とかで、テンタデロもあまりやっていないのだろうと思った。

 スポーツでも、自分の才能を活かせる人は少ない。一介の選手で終わる人は多い。他のモノでもそうだ。でも、闘牛はもっと難しい。言い方は悪いが、ポンセなんて一介の1流闘牛士だ。でも、それを25年続けるのは、立派だ。フリも19年続けている。でも、同じ19年でも、ホセ・トマスがサン・イシドロで、プエルタ・グランデしてから19年が経ったが、ずっとトップでいるのはとてつもなく凄いことだ。途中6年ぐらい引退状態だったし、去年も闘牛をやっていないが、凄い闘牛を続けている。

 正直に言えば、メキシコで大怪我をする前から違和感を感じていた。ホセ・トマスももう終わったんじゃないかと。しかし、今年の復帰戦のメキシコのビデオを観ておやっと思い。ヘレスで確かめた。下山さんともそのことを確認した。昔のように足を開かず、手の高いパセ。それが観たかった。完全な形ではないが、それに近い闘牛をするようになっていた。そういうことを、下山さんに言ったら、アフィショナードは手の高いパセは嫌う。でも、今日の後ろに下がるときの足捌きは、足の状態が治ってきたからスムーズに動いていたと言っていた。これから、そして、来年楽しみになった。


 6月14日(火) 曇 61797/5

 昨日は雨。新緑に降り注ぐ雨は、まるで命を育んでいるような感じだった。百花繚乱はもうすぐだろう。やまももの木から実が落ち始めた。京都の東山の麓、三十三間堂の向かいにある養源院は、淀が父浅井長政の菩提を弔うため創建した。門を入って左手に、やまももの大木がある。言い伝えでは、秀吉が植え400年以上経っていると言う。こんな大きなやまももの木は観たことがない。木の下には実が大量に落ちている。いつも観ているやまももの実に比べると小粒だ。木が古くなると実が小さくなるのかも知れない。

 今の京都の町並みの原型を作ったのが秀吉だ。応仁の乱以降、大火などで荒れ果てた京を土木工事などで立て直した。『真田丸』でも、家康にも受け継がれるいろいろな政策の一端が出てくる。絢爛豪華な文化が花開いた安土・桃山時代。安土とは、信長の安土。秀吉の桃山とは、京都の伏見のこと。ここを桃山といった。つまり、安土城を中心の信長と、伏見城が中心の秀吉の時代を安土・桃山時代と言った。バブル崩壊以降30年近くデフレ不況が続く日本。大きな震災も2つあった。新しい文化が咲き乱れる日が早く来ることを願う。

 いろいろ忙しい。今、結衣さんから電話。スペインから帰ってきたようだ。カステージャの話やバルセロナであったTHさんの話もしていた。


 6月15日(水) 雨 8906

 昨日の朝、練馬に行き手続きをしてきた。その前日電話して訊いたら、7月2日が空いていると言うことだった。なんとラッキーな事か。直前で空いているとは信じられない。そして、スペイン闘牛ビデオ上映会を、7月2日18時から開催することとした。その前に、みんなにメールして日にちを打診。多数意見とこちらの都合でその日に決めたのだ。今回は、Facebook で友人になった人も来るようだ。この人は、以前からHPを愛読していると言っていた。8月中旬から約2ヶ月スペインなどに行くという。ビデオ会がいつあるのか楽しみにしていたという。こういう人もいるもんだと、改めて思った。

 多分、連絡をよこさなくても、HPをずっと読んでいる人もいるようだ。結衣さんからもそういう人が何人かいると言うことを訊いている。このHPは、闘牛というモノに、特化している。そういう情報を求めている人にとっては、日本語で読めるモノとしては、1番充実しているのだろう。だからといって、そういうモノを重荷に感じることなく、淡々と書き綴っていきたい。結衣さんは、カステージャから耳を貰ったことや、取材を受けることなど話していた。

 結衣さんは、THさんの闘牛の見方は、僕に近いと言っていた。THさんは、特定の闘牛士の誰かの追っかけをする様な感じじゃない。サン・イシドロが終わったときに、言っていたが、来年は、サン・イシドロの後半2週間来てみたいと言っていた。フィグラが出る闘牛ではなく、コリーダ・ドゥーラの牛が観たいという。ビクトリーノ・マルティンのソルテオに一緒に行ったが、牛を観るのも好きで、ヘレスではFacebookのその日の牛の写真を見せてどの牛が良いですかと、言うのでビックリした事がある。

 競馬のパドックで馬を観ても、なかなか当たらない。それは何年も通ってやってきたから判っている。それを、写真で、どれが良い?と訊かれても、判らないのだ。それを、スペイン人はソルテオを観てあの牛が良いと断言して、そして、実際その牛が1番良かったのには、驚いた。THさんは、闘牛全般への興味が非常に高い。メンドーサに憧れ、馬まで乗れるようになったのだから。

 Facebookを見直していたら、4月10日に僕のFacebookにアップした、バンデリージャの場面で、カポーテが良いと言っていたが、THさんは、バンデリージャを打っていたバンデリジェーロが良いと言っていた。実はビックリしたが、あの時もカポーテを振っていたのは、Javier Ambel だった。そう、サン・イシドロで、エンカボの時に、拍手を受けたカポーテを振っていた彼だ。THさんがビクトリーノ・マルティンの牛の時に隣で、いろいろ説明してくれたというバンデリジェーロ。本来は、ミゲル・アンヘル・ペレラに付いているバンデリジェーロだ。まるで、昔セビージャで、バンデリジェーロなのにカポーテを振って、オーレの声が出た、ファン・モンティエルの様なカポーテ捌き。ファン・モンティエルの方が感動的だったが、今のバンデリジェーロでは、最高級のカポーテ捌きだ。やっぱり、技術を持っている人間は、何処でも輝く。セビージャでも、マドリードでも。

 そういえば、セサル・リンコンは言っていた。全ての闘牛ファンは、闘牛の技術を愛している、と。


 6月16日(木) 曇/雨 8806

 抗ガン剤治療は、6クールあり、その4クール目か、5クール目に脱毛したという、職場の人の嫁さんの話を訊いた。そういうモノかと訊いていた。やっぱり、ショックなのだろうと思う。本人もそうだが、周りの人も・・・。かと思えば、朝、小学1年生の女の子が、用もないのに来ておしゃべりに付き合わされた。お母さんが来るのかと思って訊くと、ジムに行ったという。学校に行くまで15分くらい時間があって、話し相手をした。明るい子だった。でも、やっぱり寂しいんだと思った。色を混ぜると、いろいろな色になるの。赤と青を混ぜると紫になるの。白とね、赤を混ぜるとピンクになるの。ランドセルの色が変わっていた。初め灰色かと思ったが、薄い紫色。その子が言うには、ラベンダーの色だという。ラベンダーの色には見えなかった。どちらかというと、紫に白を混ぜたような色だった。

 イチローは、ついにピート・ローズの最多安打記録の抜いた。それなのに淡々としている。これが目標ではないと言っている。それでも、ファンが喜んでいる姿が嬉しいとも言っている。誰も行ったことがないところに行っているいる人は、やはり、凄い。


 6月18日(土) 晴 30592/3

 昨日の朝、新緑の緑の葉に、玉のような雨粒が着いて光っていた。雨上がりの美しい光景が明るかった。暑くなるなぁと感じた。そして、今日も暑かった。いよいよ、蒸してくるような暑さが始まった。日本に帰ってきて、楽しみにしていた『和楽』を買ってきた。特集は、王道の京都がいちばん楽しい!付録は、武相荘(ぶあいそう)。白州次郎・正子の終の棲家で、茅葺きの日本家屋。

 王道で上がっているのは、5つ。南禅寺、西陣、嵯峨野、二条城、祇園。西陣は、行ったことがない。祇園は、通っていると言うくらい。それと、京都人がふだん食べているもの大研究、と言うのがある。今日は競馬をやっていたのまだ読んでいない。


 6月19日(日) 晴 3636

 『ブラタモリ』は、横須賀だった。駅に向かうシーンでかかったのは、『港のヨーコ、ヨコハマ、ヨコスカ』のイントロがかかった。確か、JR横須賀駅でかかる曲は、『横須賀ストーリー』だったと思う。どちらも、歌詞・阿木耀子、作曲・宇崎竜童が手がけた。歌詞を読んで、曲を書くという順番でやっていたそうだ。普段は、パッと曲が浮かぶらしいが、『港のヨーコ・・・』の時だけは、全く曲が浮かばず、結局語りになり、リフの処だけ曲が付いたという事を宇崎が言っていた。『横須賀ストーリー』もそうだが、『プレイバックPart2』の、「緑の中を走りぬけていく真っ赤なポルシェ」の詞を読んだ瞬間に曲が自然に出てきたと言っている。

 あの当時、小学校に入るか入らないかのいとこが、「アンタ、あの娘(こ)の、何んなのさ?」と言っていた。普通なら言うはずのない違和感がある年齢の台詞なのに、本当、はやり言葉として、老若男女よく口に出して言っていた。阿木耀子という作詞家は、なんなんだろうと思ったのは、この曲を聴いたときだ。あ・・あ・・な・・な・・と言葉の音を合わせて作詞をしている。そして、物語がある。ただ者ではないのかも知れないと思ったのだ。その後、山口百恵の代表曲で花開く、コンビの初期がこの曲の中にある。

 全盛期のキャロルに対抗するため、革ジャンではなく、違うファッションで売り出そうと考えて、思いついたのが、黒いサングラスにつなぎ。その後、暴走族などは、革ジャン、つなぎを着てバイクを乗り回していた。そういう形でも定着した。ダウン・タウン・ブギブギ・バンドとキャロルが、どうしてもライバルには考えられないけれど、同時期に活躍した。テレビでは、ダウン・タウンの方が出ていた。キャロルの矢沢永吉より、ダウン・タウンの宇崎の方に、音楽的な才能を感じ好きだった。矢沢は、『成りあがり』(ゴーストライターで糸井重里作と言われている)のイメージが定着しているだけと思う。宇崎は京都生まれの東京育ち。阿木は横浜育ち。『京都人の密かな愉しみ』の中に、東男に京女と、よく言うが、「本当は、京男に東女やでぇ」というのがあった。つまり、それがこの2人だ。才能が出会うとこうなるのだ。しかし、物語はすれ違いが面白い。不思議なのだが・・・。人生と同じなのかも知れない。

 スペインから帰ってきてから、ずっと腰が痛い。考えるに、飛行機の中で寝ないで映画を観ていたからではないかと思う。腰痛体操などしないと。それと少し痩せないと。日本に帰ってくると米が美味しい。これから、競馬。秋を考えて、やらなければならないこと。ネタとかも、いろいろ拾いに行ってくる。分かる人には、分かる話だ。それにしても、一人称がない文章をこれだけ書くモノだと、自分でも驚く。日記にしても、他のモノにしても。


 6月20日(月) 曇/雨 4998

 溜まっている朝ドラの進まない。家族で百人一首をやろうということになる。常子の名が、世の中は 常にもがもな 渚(なぎさ)漕ぐ 海人(あま)の小舟の 綱手(つなで)かなしも  という百人一首から取った。それは、母君子の名が、百人一首から取ったから、それを真似した。実家でその話していると、君子が、 君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣に 雪がふりつつ から取ったというと、筆頭番頭の隈井が、残念ですが、その歌じゃねえんです。君子が、そんなはずありません。隈井が、いえ、それじゃねえんです。常子が、あーそういえば、君の字が入った歌がもう一首あったような気が・・・。隈井が、えっと、うなずく。美子が、どんな歌?君子が、こんな歌よと、 君がため 惜しからざし 命さえ ながくもがなと 思ひけるかな とよむ。

 常子が、どんな意味だっけ?鞠子が、あなたのためなら、捨てても惜しくないと思っていた命だけど、お会いできた今では、あなたと一緒に少しでも長く生きたいと思うようになりました。君子が、これって恋しい人を思う歌だもの、だから、子供の名前につけるは、おかしくありませんか?隈井が、えー。しかし間違いなく女将さんが選んだのはこの歌なんです。君子が、母が・・・。隈井、へえ。あの頃、君子さんを身ごもった女将さんは、体を悪くしてしまって。医者から子供を産めば、母体が危険だと言われたんです。それを知ったとき、女将さんは、自分は死んでも良いから、この子を生みたい。この子と会えるなら、自分は死んでも良い。そう思ったそうです。そんな思いで、出産にのぞみ、いざ無事に生まれたばかりの我が子を見たときにね。この子とのために、長生きしたい。出来るだけ長く一緒にいたい。そう思うようになったんだそうです。

 常子が、この歌と一緒だ。君がため 惜しからざし 命さえ ながくもがなと 思ひけるかな。君子の頬を涙がつたう。そこに仕事を終えた滝子(君子の母)が戻る。君子が、お母様、意地張ってばかりですみませんでした。滝子、はっ、なんだい急に。と言ってうなずく。そして、仕方ないさぁ。あたしの娘だもの。意地っ張りなのは、お互い様だ。ここらで、ちょっと意地を張るのを休んでみるかい。君子が受け入れてくれるなら、学費の援助、させて貰えないか。これは、あたしだけの気持ちではなく、200通もの手紙をくれた、竹蔵(君子の夫)さんへの、感謝の気持ちでもあるんだ。どうだい?君子、ありがとうございます。よろしくお願い致します。と、言って頭を下げる。

 母と娘の長い対立が解けた瞬間だった。グッと来る台詞がある。隈井の片岡鶴太郎の台詞まわし、君子の涙。そして、滝子の大空真央の台詞も良い。娘に、恋の歌から命名するその発想も素晴らしいと思った。脇が良いとドラマが締まるよなぁ。この親子和解を仕組んだのは、常子だった。『とと姉ちゃん』

 そろそろサン・イシドロのビデオをDVDに起こそうかなぁ。


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