−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行の滞在日記です。
5月23日(月) 晴 34681/3
今年3度目の渡西をむかえる。サン・イシドロでは、良い闘牛が続いている様だ。期待に胸を脹らませて渡西する。渡世人は、義理と人情に厚いが、渡西人の義理は、闘牛を観続ける事だ。
結衣さんから郵送されてきた、南禅寺関連の観光用のパンフレットなどが入っていたが、般若心経と、数珠が嬉しい。阿字観で、唱えていたし、去年の秋に南禅寺の臨済録講話を訊きに行ったときにも、般若心経を唱えていた。今は、たぶん、YouTube
何かで検索すれば読み方が判るだろう。そういうのをやるのも、また、良いだろうと思っている。
宮沢賢治と違って、宗教的な人間ではないが、そういうモノに接触したいと思う気持ちがある。それは、スペインに行けばカトリック的なモノを感じるのと同じように、京都へ行って寺を歩いている時に、よりそういうモノが感じられるようになる気がするからだ。
まだ、荷物をまとめていない。忘れ物がないように、準備して行きたい。行く準備をしていたら、何故かPCが10をインストールしたようで、ガッカリしている。こういうので環境が変わって、面倒な事にならなければ良いがと思っている。
ともあれ、サン・イシドロで良い闘牛が観たいと思っている。マドリードでは、久々に知り合いに会って話がしたい。そして、セビージャへも行って、下山さんにも会ってくる。カステージャを観に来る結衣さんとも、マドリードで合流できるだろう。
5月24(火) 晴 8644 マドリードの宿にて
無事マドリードに到着。タバコを吸って、空港からバスに乗ってシベレスへ。途中、M30を通ったはずだか、今回は反対側に座っていたので観れなかったが、この前、帰るときは、バスから、ラス・ベンタス闘牛場が見えた。そうしたら、急に涙が流れてきた。セサル・リンコンが91年に出場機会4回連続プエルタ・グランデした処。1夜にして大スターになっていった処。それから、セサルはラス・ベンタス闘牛場を通るときは、レスペトを忘れずに、十字をを切るか、頭を下げるというラス・ベンタス闘牛場のプエルタ・グランデ。それを、思い出したら涙が止まらなくなった。確か、それを教えてくれたのは、下山さんからだったと思う。何かに記事に書いていたと、言っていた。
そして、そのサン・イシドロが行われているラス・ベンタス闘牛場で、闘牛を観に来たのだ。闘牛の聖地だ。今日は、ウルディアレスとロカ・レイ。面白い闘牛が観れると良いなぁ。これから、昼食を取って買い物して、シエスタを取って闘牛場へ向かう。
先日、コパ・デ・レイ決勝が行われバルセロナがセビージャに2−0で勝った。マルカか、アスのネットのタイトルが、Neimar de la puntilla
al Sevilla だった。puntilla という闘牛用語が使われていることに驚いた。puntilla=短剣。とどめ。
5月25日(水) 曇 11566
マドリードに着いて早々、朝のうちは眠かったが、直ぐに宿に入れた。ありがたいことである。来ていきなり肉が食いたくなって、アルゼンチンの牛肉を炭火?で焼いて出す処に行って食べた。あそこだと、wifi
が繋がるのもありがたい。本当は、違うところに行こうと思っていたが、早すぎて開店前。ちょっと足を伸ばして、日本料理屋に行った。アナスタシア(日本人なのに何故この名前かは、いきさつがあって、同じ名前の人からクレームが入って、そう名のる決まりになった)さんがいるかと覗いたら、カウンターの中にいた。相変わらず、忙しくしている様だった。それで、アベジャンを2回も見逃したと言って、今度は行くと言っていた。
昨日の闘牛は、ダビ・モラが耳2枚切ってプエルタ・グランデした。サン・イシドロでアルクルセンの牛は、10年に2・3回プエルタ・グランデを出す。それにしても、変な牛だったよなぁ。アレナに出来たらいきなり走り出し、ブルラデロに行き、カポーテの初めに、迷うような、振った方に来ないので、非常に危ない牛に思えた。それで、ベロニカをすると、オーレがなった。この時点で、観客の牛に対する感じ方は、危ない難しい牛だったはずだ。ピカの後、ロカ・レイのキーテ。ガオネラを、左で3回通し、次が右、そして右手でラルガ。ダビ・モラが同じガオネラをやる。しかし、風が吹く悪条件。カポーテを風になびかせ右、左、右、ラルガ。形が悪いが、風が吹く中で、カポーテが体に巻き付きそうになりながらだから、こっちの方が遙かに難しい。だから、観客の反応も、オーレの声、喝采が大きい。当然だ。
ブリンディースは、闘牛場付きの外科医主任に捧げられた。ファエナは、アレナ中央部で牛を誘う。背中を通そうとしたパセは、牛にコヒーダされる。アレナに激しくたたきつけられみんなに担がれる。これで終わりか?と思ったが角傷がない。おそらく、プンタッソ程度だろう。落ち着いたら、牛に向かった。アジュダード・ポル・アルトで、左手のトゥリンチェラ続けた。これが綺麗に決まった。オーレがなり喝采がなった。ロカ・レイは、キーテの時、左が良いと思ってやっていたのだろう。ダビ・モラはそれを観て、左を生かそうとしたのだろう。
それから離れ、デレチャッソ。オーレが続いた。牛に近づき、立ち位置を決める前に牛が動き出す。本当は、立ち位置を決めて、ムレタで誘って牛を動かすとよりよかった。そこが1番不満。ダビ・モラの2頭目は、風が吹く悪条件で、コヒーダされ、しかも、2年ぶりのサン・イシドロで、始まる前に喝采が起き、挨拶した。牛は、変わり者で、良い牛の条件をことごとく裏切っていたにもかかわらず、耳2枚。つまりダビ・モラは偶然が重なって耳2枚を切った。こういう事もあるのが闘牛。観ていて耳2枚のファエナだと思った。剣もしっかり決めた。プレシデンテは、白いハンカチ2つを出しっぱなしにした。記憶にない。こういうのは、ラス・ベンタス闘牛場以外で見る光景で、ここでそういうことやるか、と思っていたら、青いハンカチも出した。牛、場内一周。牛に対してオメナッヘの挨拶をした。
しかしである。ロケ・レイのプエルタ・グランデを、現場で観ていないからはっきりしたことはいえないが、しっかりとした感動がない。この闘牛で耳2枚かと思ってしまった。かなり良いが、それでも不満だ。結果は結果として受け止めるが・・・。
それにしても変な牛だ。アルクルセン。飛んだり、首振ったり・・・。ディエゴ・ウルディアレスの初めのファエナは、良かった。耳を取るだろうと思っていたが、途中からダメになった。客のテンションを維持できなかった。たぶん、タンダの途中でクルサードしていないから、やり直す場面があったと思うが、その辺から牛の動きを可笑しくなっていったような気がする。牛が動いているときは、クルサードしなくても、勢いでファエナを続けた方が良い。その方が通常は良い結果が出やすい。ホセ・トマスの様な化け物のような闘牛士のやり方を手本にするのは良いが、真似の出来る闘牛士は限られている。もう少し言えば、難しい牛ならクルサードしないという方法もある。あそこをちゃんとやっていれば、耳が切れていたと思うのだ。4頭目の牛はかわいそうだった。
ロカ・レイは、そつない。例えば、最後の牛。出てきてベロニカをやったら、膝をついて動かなくなった。どこかをひねるか、可笑しくしたのだろう。ピッタリ止まって苦しんでいる。口笛が吹かれる。ピカの後、牛の動きを確認するために、パセをしたがそれほど違和感がない。正確には、後ろ足の動きがおかしい。それと踏ん張りが効かないようだった。それでも、何もなかったようにファエナを続けた。観客は、牛を代えなかったプレシデンテに不満を持ったが、あれ以降、膝をつかないから、代えようがない。ロカ・レイは、距離が判っているような気がする。ダビ・モラはその位置に来ても牛が動き出してからムレタを動かしていたが、牛の動きを見て、その位置でムレタを出して牛を誘いパセしていた。こういう気づきが大切だ。
隣にすわっていた2・3人はイタリア語を話していたようだった。双眼鏡を覗いて、バホナッソとか言っていた。イタリア人も闘牛観るんだと思った。後ろの席の人たちは、アボナード。普通に闘牛を知っている人たちだった。
5月26日(木) 曇 8269
電話していたら、みんなサン・イシドロのアボノを手放している事を知った。Yさんが言う通り、番長だけがアボナードの状態。アボノを手放した、Mさんに訊いたら、どうやらラス・ベンタス闘牛場の反応が、違うなと違和感を感じて、観たい闘牛士も少なくなって、そういう差異が大きく感じるようになり、闘牛場へ通う日が少しずつ減って、そしてついに手放したようだ。しばらくサン・イシドロに来ない間に、こういう状況になっているのは、悲しいことだ。
万希ちゃんが言っていたが、昔に比べて遙かにサン・イシドロの切符が買いやすくなった。不況もあるのだろうが、闘牛人気が下火になってきた証拠のような現象だろう。50年以上サン・イシドロに通っていた老人たちが、歯が欠けるように死んでいって、新しいネット社会から若い人たちが来るのは、それはそれで良いのだが、理屈抜きに、通い続けていたアフィショナードがいなくなるのは、本当に寂しいことだ。ああいう庶民が闘牛を支えて来たのだから・・・。
昨日の闘牛は、予定牧場の牛が、規定に達してなかったために、希望者は、切符の払い戻しが出来る事になった。闘牛場には払い戻しの列が出来ていた。闘牛士の変更がなくても、こういう風に切符の払い戻しは実施される。今日もファン・カルロス元国王とエレナ王女が来ていた。エンリケ・ポンセが元国王の隣に座り、解説をしていた。テレビの解説は、セサル・リンコンとエミリオ・ムニョス。
入場行進の時、テンディド7から三拍子の手拍子が起こった。何に対して抗議しているのか判らない。闘牛が始まっても続いていた。フリに対しての抗議の様だった。フリの何に対して?
まず初めに書かなければならないのは、ロペス・シモン。カポーテの時にパセの後に抜けたり、逃げたりしていた牛。足が悪く膝を着いたりもしていた。しかし、ムレタでは丁寧なファエナを続けた。余計なことがほとんどない、ファエナだった。手の低い長いパセではないが、外連味ない誠実なファエナ。こういうのをラス・ベンタス闘牛場観客は好む。体の力が抜けたようなパセもあった。剣が決まっていれば、耳1枚が切れていただろう。ピンチャッソの後、凄いテンディダで決まった。デスカベジョ2回。残念。
フリは、嫌われている?マドリード出身なのに・・・。確かにそうかも知れないが、そうでないかも知れない。その時の闘牛に対して反応する傾向があるからだ。この日4頭目の牛の時、手の低い長いパセを繋いで闘牛場を沸かせた。しかし、テンディド7を中心に口笛が吹かれる。本人はちゃんとやっていると思っているだろう。確認は出来ないが、ああいう場合の多くは、クルサードしていない場合だ。そうなると、他の観客がオーレの声を出したりして盛り上げないと耳にはならない。7の声がまさったと言うこと。ムンドトロのHPには、Del
laberinto al 7 というタイトルがあったが、迷路でも錯綜している訳ではない。そういうモノなのだ。
昔、セサル・リンコンが、クルサードして牛をくるくる回してパセしていたら、7が口笛を吹き始めてファエナが台無しになったことがある。あの時の方が異常だった。セサルはあの日ホテルに戻って、困ったように笑いながら La
gente dificil. と言ったことがある。あの頃は新聞記者も闘牛を良く判った人たちが書いていて、別に7について、何かを書いていることはなかったと思う。今の記者の方が闘牛をというか、サン・イシドロを判っていないと言うこと?
ミゲル・アンヘル・ペレラは、何だろう。観ていて早く終わって欲しいと思った。5頭目の牛の時もそうだが、何度牛の場所を移動させただろう。彼は結局何処で牛が動くかとか一切考えない。自分がやりたいところでファエナをやりたがる。それで、牛が動かないモノだから、牛の目の前に立って自分は勇気があることを示そうとするが、こういうのは、良いパセがあって、喝采が成立するものだ。観客からの口笛が吹かれた。話にならない。不快。7から Un
petardo の声が上がる。タラバンテとは、大きな違いだ。
フリは拍手に応えて挨拶したが、あれはフィグラのヘストじゃない。ロペス・シモンは喝采に近い拍手を貰ったが、アレナに出もしなかった。これがフィグラのヘストだ。
最新情報では、ホセ・トマスがサン・セバスティアンに出場する。8月14日、メンドーサ、フリと一緒。何故チョペラの処に出るのか判らない。
5月27日(金) 晴 10516
オバマ大統領が、サミットを終えて、広島を訪問した。原爆投下した国の現職大統領が、投下地、広島を訪れるのは歴史的なことだ。核廃絶に向けてスターを切ったと観て良いのかは、疑問だが、期待したい。
昨日の闘牛は、パルラデ牧場の牛。ほとんどの牛が、トリルからゆっくりと出てきた。パディージャはパルタ・ガジョーラからベロニカを繋ぎ観客を沸かせた。バンデリージャも自身で打ったが、初めが、角の間で打ったが、牛にコヒーダされる。片眼なので距離感が掴めないのだろう。その後の続け、3回目はビオリン。4頭目の牛の時、そんなに良いファエナではなかった。片眼のハンデと、コリーダ・ドゥーラのせいか、どうしてそういうやり方をするのかと疑問に思ってみていた。言ってみれば、つまらないファエナだ。しかし、剣が決まると、観客は耳を要求した。信じられないことだ。それだけ、今のパディージャは、片眼の闘牛士という存在感がアフィショナードの中に浸透していて、愛される存在に変わっているのだと思った。あれだけ、出てきただけで、サン・イシドロで口笛を吹かれて、嫌われていたのに、人の心の変わり様は面白い。ヘレスの時もコヒーダされ、エレナ王女が、ファン・カルロス元国王にブリンディースに来たときに、大声を出して声を掛けていた。もう、何処からもカリーニョ光線を浴びる存在になっているようだ。
イバン・ファンディーニョは、5頭目の牛が良かった。あれは耳を切れる牛だった。ファエナの初めのオーレが鳴り、盛り上がったが、牛の気持ちが判っていない。そこで動いているなら、何故その場所でファエナの続けないのだろう。牛を別な場所へ移動する意味があるのだろうか。こういうやり方をやっていると、モランテやペレラのように、限定したファエナしか出来なくなる。もっと、判っている闘牛士かと思っていたが、ガッカリだ。
ホセ・ガリドのアポデラードは、エル・タト。もうそれだけで、判ってしまうような闘牛士。期待など出来ない。コンフィルマシオンをしたばかりで若い。自分の持っている技を全部だそうとしているような感じ。そんなことやらなくても良いのにと言うことが多すぎる。一つ一つの技を正確にパセを繋ぐことの方が重要だと思う。
ところで、パディージャのアポデラードは、カサ・マティージャ。ヘレスやグラナダ?なども持っている興行主。昔は、バルセロナも持っていた。そういうところからのサポートを受けて、今闘牛が出来ている様だ。片眼で距離感が掴みづらいからこれからも、コヒーダが多いだろう。片眼をなくす前から、コヒーダが多かったから、あれだけど・・・。自分の生き様をそうやって闘牛で伝えていくことは、彼にとって非常に重要な、そして、生きる糧になっているのだと思う。闘牛を知らなくても、片眼の闘牛士がいると言うことは、世間では知られていることだと思う。ラス・ベンタス闘牛場のHPに、パディージャのTシャツを着た少年が写っていた。なんか、良い感じだなぁと思った。
5月28日(土) 曇/雨 10536
今日が良い日でありますように、祈ります。アトレティコ・デ・マドリード対レアル・マドリードのチャンピンズ・リーグ決勝。どうか、アトレティコ・デ・マドリードが勝ちますように。たぶん、ホセ・トマスも祈っていると思います。アベジャンも、フリも・・・。ロペス・シモンもたぶんファン。どうか、どうか、お願いします。勝たせて下さい。そして、歓喜で明日が迎えられますように・・・。 (28日分)
5月29日(日) 晴 6194 セビージャのホテルにて
昨日セビージャに着いた。下山さんと合流して、牧場などへ行った。時間というのは、あっという間に過ぎるモノ。いろんな処へ行っていたら、戻るが夜になり、セビージャ近くで夕食を取った。そこで、チャンピオンズ・リーグ決勝を観る。非常に残念な結果になった。後半開始早々のPKを決めていれば、とか、いろいろあるだろうが、こういう大1番になると、お金で集めた選手がモノをいうと言うことなのか?
選手は良くやった。しかし、シメオネは、2位は忘れられる。監督を辞めるか考えていると、言った。アトレティコは、シメオネが監督をやっていなかったらここまで来れなかったチーム。辞める必要はないし、辞めて欲しくない。
27日の闘牛は、何もなかった。ロペスシモンの始め牛は、ギリギリ耳が取れるか取れないかの感じだった。そういう意味で面白かった。多分、取れないだろうと、観ている。しかし、そこをどうするかが、腕の見せ所。
ダビ・モラは、THさんが言うように、初めの牛は右角の方が良い牛。左をどうするかと思っていたら、ナトゥラルの初めのパセでコヒーダ。こういう事もある。でも、闘牛の仕方が、本当に判っているの?と、思うところが、ままあった。
ファンディは、バンデリージャが見せ場。それも、角の間打ってこそ。出来てなければ、それまでの事。ラスベンタス登場の頃の新鮮さが、薄れた。後ろに走りながら牛を誘って、打つやり方には感動を覚えた。多分50メートルは後ろに走っただろう。
5月30日(月) 晴 4062 セビージャのホテルにて
これからマドリードへ戻る。セビージャでは、下山さんと牧場や海など観て、食事して話をした。着いたときは、雨が降っていて、マドリードより寒かったが、日が出ると、さすがに暑くなったが、海は風があり寒いくらいだった。コルバチョの家の前も通った。あの赤い家。コルバチョが可愛がっていた犬が、コルバチョと同じ日に死んだという。彼のカリスマ性が、そういうところにも表れているのかも知れないと思うようなエピソード。
海の風は、甲子園の外野スタンドの1番上のように強く冷たい。砂浜が広く、波との境目の処まで、300mくらいある。ああいう砂浜は日本ではあまり観ないところ。波を観ていると、心が落ち着くような感じだった。あそこに座り、人が歩く姿や、凧揚げ、親子が遊ぶ姿をしばらく観ていたい気分になった。川が好きだが、こういう海ならジッとしていたい気持ちになった。
5月31日(火) 晴 11543 マドリードの宿にて
昨日マドリードの戻ってきた結衣さんと、闘牛が終わった後、合流して夕食を取った。結衣さん、不満一杯だった。何で何もしないで、牛の頭触っているラファエリージョが耳要求で場内一周で、ちゃんとやっているセバスティアンは、耳取れないの?言っていることは、良く判る。タラバンテもそうだが、コリーダ・ドゥーラの牛でも簡単にやってしまう。器用なのだ。逆に、ラファエリージョは、自分で牛をダメにしてパセの出来ない牛にして、勇気だけを見せていた。
4頭目の牛のファエナの初め。ムレタをちょこちょこ小刻みに動かして、牛をアレナ中央部に持って行った。ああいうムレタ捌きでは、牛はパセ出来なくなる。あの牛の場合は、闘牛士は競馬の調教師のように、牛にパセで大きく動くようにムレタを左右に振って動きを教えていかないとダメだ。それをやらないから、パセが短くなる。それを良いことに、クルサードを繰り返し牛の前に立っているだけで、1つも良いパセを引き出せない。しかし、それも闘牛だと言うことをラス・ベンタスの観客は知っている。だから、盛り上がるのだ。それは判るのだが、付いていけない。1頭目は客席に着けず、テレビで観ていたが、この日1番良い牛だった。それで、あの程度のファエナでは、ガッカリだ。やり方が判っていない様な気がする。4頭目の喝采だけを、自分のモノと勘違いするんだろうなぁ、と思った。それはそれで、彼の闘牛士人生。ドタバタを繰り返すだけのラファエリジョの闘牛は、観たくない。
セバスティアン・カステージャは、器用に牛を動かしている。面白いの、こういう牛では、アレナ中央部に立って、牛を誘い背中を通すパセなどしない。しまり、いつもやっているセバスティアンの闘牛のパターンに入っていない。牛からどうやって良いパセを引き出そうかと、考えながら闘牛している。だから、自身の体を回転させてパセ・デ・ペチョとかは、やらない。まじめに牛と対峙している姿は、新鮮だ。ノビジェーロの頃のセバスティアン、今の形が出来上がる前のセバスティアンを思い出せて嬉しかった。しかし、フィグラが、コリーダ・ドゥーラの牛を相手にするメリットが、果たしてあるのだろうか?と、思ってしまう。タラバンテも、アドルフォ・マルティンの牛を簡単に動かせる。でも、結果が付いてこない。セバスティアンの場合は、新鮮さを感じれたので、セバスティアン自身もそういう気持ちを、そうやって思い出せたのかも知れないが・・・。
マヌエル・エスクリバノは、2回ポルタ・ガジョーラをやり、バンデリージャも2回打った。あと、何やったんだろう?ほとんど記憶に残らない。
結衣さんと話していたら、写真だけ載せるFacebookの様なのに、セバスティアンなど闘牛士の写真を載せているらしいが、下山さん、THさんが観ているらしいと訊いた。それにしても凄い量の写真を載せていると感心した。ああいう写真を撮るなら、バレラとかで撮らないの撮れないような写真だった。
過去の日記を偶然読んだ。8年6月のモノだ。最後のホセ・トマスがラス・ベンタス闘牛場に出場した時のモノ。「キオスコに行って新聞を買った。『EL
PAIS』、『EL MUNDO』、『ABC』、『LA RAZON』。主要の4誌全てが一面にホセ・トマスのでかい写真と記事が載っている。「Ya
es leyenda」(すでに伝説) 「Jose Tomas corta cuatro orejas reaparecion en Las Ventas」(ラス・ベンタス闘牛場の復帰戦でホセ・トマスが耳4枚切った) 「Jose
Tomas:apoteosis en Las Ventas」(ホセ・トマス:ラス・ベンタス闘牛場の崇拝(賛美、熱狂、神格化)) 「APOTEOSIS
DE JOSE TOMAS」(ホセ・トマス崇拝(賛美、熱狂、神格化))
タイトルだけ取っても闘牛の記事も凄い!『EL PAIS』が、「El triunfo de la verdad」(本物の勝利) 「Jose Tomas sube a los cielos」(天に上がったホセ・トマス)「Una tarde mas que perfecta,sublime」(崇高で完璧な闘牛がもう1回(15日に)観れる)。『EL MUNDO』が、「Me rindo:Jose Tomas ha vuelto」(私を征服する:ホセ・トマスが戻ってきた。) <<Eres un dios>> (あなたは、神です)。 『ABC』が、「Jose Tomas es el toreo」(ホセ・トマスが、闘牛)。 『LA RAZON』が、「El regreso del heroe」(戻ってきた英雄)。そしてこんな事も書いてある。「Reventa astronomica para 15」。つまり、15日のダフ屋値段は、天文学的になる、と。
『EL MUNDO』の、<<Eres un dios>> (あなたは、神です)の記事には、あるアフィショナードが言った言葉が書いてある。「Ya me puedo morir tranquilo,maestro」(巨匠(ホセ・トマス)、今すぐ俺は死んでも良いよ。)と、いう言葉が載っていた。これが真実を表している気がする。昨日のホセ・トマスは、闘牛というより、1つの事件である。この大きな波紋は、スペイン中を覆い尽くすだろう。
昨日、MEGUさんとカエルさんと飲んで部屋に帰ってきて、ジャック・ダニエルを飲んだ。ボブ・ディランの、『運命のひとひねり』を何度も聴きながら。それから、ブルラデロ.コムとラス・ベンタス闘牛場のHPのビデオを観ていた。今、頭も体もボーとしている。
」
「帰りのメトロで、偶然Tさんと会った。ペレラが耳2枚といったらビックリしていた。感覚が一緒なのだ。「トレロ」コールもが出たのにも驚いていた。後のおっちゃんが、トレロはホセ・トマスだけだと言っていたのを教えてくれた。そうだよなぁと思った。そして、闘牛場に着いたときに話してくれ話を思い出した。5日ホセ・トマスがプエルタ・グランデを通ったあとに、歩いていたら、後の爺さんが、俺は今日でラス・ベンタス闘牛場の闘牛を観るのを引退する。何故なら、こんなに良い闘牛はもう観れないだろうからと、言ったそうだ。
30年以上アフィショナードとしてラス・ベンタス闘牛場に通い続けた人が、ホセ・トマスの闘牛を観て感動の大きさに発した言葉なのだ。実際そうなるかどうかは知らないが、これも、ホセ・トマスを語るときに、必要な逸話として、僕の周りでは語り続けられる話になるだろうと思った。
」
「15日のホセ・トマスの闘牛を観るために、2日前から地方からやって来て並んでいたのだという。地方からその日の闘牛を観に、わざわざやってきた人でさえ切符を手に入れれなかった人が多いのだという。それは、14日と15日に変わる0時頃ラス・ベンタス闘牛場に並ぼうとして行っていたので、そのことは充分想像が着く。あの時点で並んでも買えなかったはずだ。何故なら200枚しか発売しなかったから。その時点で並んでいる人の数が目測で200人はいたからだ。
それで、カエルさんは切符を諦めらのだ。そうやって諦めた人は物凄く多いのだ。それを、3頭観て帰るとは、闘牛士にも失礼だし、旅行に来ている日本人にも失礼だ。だって、一生に一回観れる重要な、そして、涙が出る闘牛を見損なったのだから。ーー中略ーー
それから、TさんからもTELがった。『EL PAIS』の記事についてだった。ラス・ベンタス闘牛場の二万四千人の、魂を鷲掴みにした闘牛と絶賛しているという。それは、そうだと思う。あの日、ラス・ベンタス闘牛場にいた、ほぼ全ての人が魂を鷲掴みにされたのは事実だと思う。初めの牛では、顔から血をしたたらせ、次の牛では、右太腿をぐっさり刺されて血が流れていても、ファエナを最後まで続けたのだ。あんな闘牛やられたら、泣ける!
ホセ・トマスの闘牛を見ながら声も上げずビデオを撮り終わってから、隣で観ていたSさんが、良くそうやってビデオを撮って入れますね。感心します。と、いわれた。ビデオを撮っていなかったら、声を上げて、「オーレ」の合唱に加わるか、何かを叫んでいただろう。でも、ビデオを撮っていると、それに集中しているので、そういうことには加わらないのだ。コヒーダ・シーンでもほとんどカメラはブレていないはずだ。それは、長い間、闘牛場に通って写真を取り続けて来た経験が物をいっているのだ。」
なんだか、感慨深い。みんなと闘牛場へ通っていた日々の残像だ。
6月1日(水) 晴 11201
昨日、昼食を取りに出かけたら、町中で、日本人団体旅行の集団が歩いてきた。目の前に来たので、顔を見るとTさんがいたのでビックリ。仕事中だった。挨拶を交わした。明日行くよ。番長も行くいうてたよ。終わったらあそこに行こうと思った。結衣さんも京女なら、Tさんもまた京女。スペイン来て、京都との関わりは離れない。
昨日の牛は非道かった。3アビソ、バンデリージャ・ネグロなど。サンチェス・バラは、バンデリージャを打たなくなっていた。マドリード闘牛学校の闘牛技のビデオに映っていた少年は、30代後半になった。初めの牛は右は良かったが、左はパセの後に抜ける。右にしてもそれほど良いパセは出来なかった。4頭目はどうしようもない。バンデリージャ・ネグロを意味する、赤いハンカチが出された。向かってこない、右も左もブスカンドする。直ぐに剣刺しをした。これはどうしようもない。
アルベルト・アギラールは、2頭目の牛のファエナで、ナトゥラルから始めた。左角の方が良かった。これはお見事。でも、盛り上がりに欠けるファエナ。5頭目は、マンソ。カポーテを観て逃げていた。ファエナは、デレチャッソだけ。左はやはり良くなかった。しかし、1回もナトゥラルをしないというのは動なんだろう?ホセ・カルロス・ベネガスは、3頭目で3アビソ。カポーテの時からブスカンドしていた。ファエナでは右角がブスカンドした。左は長いナトゥラルが時々決まったいた。3アビソになりフロリート登場し、牛が退場した。最後の牛は、デレチャッソの長いパセが出たが、左角がブスカンドした。
観客席は、3/4位の入りで闘牛士の顔ぶれも、牛もコリーダ・ドゥーラで、これほど退屈な闘牛だった。野性的な牛と言えばそれまでだが、興行的には話にならないような内容だった。
闘牛が終わって、ユウイチ君の部屋に行った。メンサッヘが入っていたので返信。それから遅い夕食を取りに出かけた。そうなと wifi は繋がらない。飯を食って部屋に戻ったら、返信が来ていた。電話ってどういうこと?ネットの電話?判らない。ユウイチ君は、仕事する気にならないと言っていた。今まで頑張って来たことが、報われないと言うか、認められないのが、どうやら原因の様だ。スペインにいる意味があるのかとも言っていた。たぶん、迷っているのだ。
彼は長崎なのだが、帰り道で急に、『長崎は今日も雨だった』って、長崎だけじゃなくて佐賀市と提携していたんだと、言い出した。?と思ったが、次の瞬間、♪探し探し求めて♪じゃないと、歌ったら笑っていた。非道い佐賀市の提携だ。もうすぐ帰国も近づいた。いろいろお誘いもある。どうなるか全然予定が立っていない。
また、8年6月のホセ・トマスのビデオを闘牛の会で流した日記から。「マノロ・バスケスは、日本に来たときに、「闘牛とは、何が起こるか判っていると事、何が起こるか判らないことを、観る物だ」といったが、ホセ・トマスの闘牛とは、あらかじめ判っているホセ・トマスの闘牛術を観に行く物なのだ。その時に、良い牛に当たればそれは非常に良い闘牛が観れる。悪い牛でも、今のホセ・トマスなら良い闘牛が観れる確率が高い。彼の闘牛術は、ロヒコを体にトコトン染み込ませた物だから、観客を興奮させ熱狂させる。6月5日のファエナは、まさにそういう物だった。勿論、ロヒコ以上の事をやっている。あの強風の中で微動だにせずにトレアールしたのは、観客の心の奥まで到達する、強烈なイメージだ。こんな闘牛士がいるか?当然他にいるわけがないと観客は思ったはずだ。
15日のファエナは、5日のそれと比べていえば、これは明らかにロヒコを超えた闘牛だった。こういう闘牛は強烈な印象を観ている観客に植え付ける。非道い牛だったという要因が大きいが、その牛を相手にして、そこまで命を賭けて闘牛をするのか、何故、体に角傷をあれだけ受けてエンフェルメリア(医務室)へ行かないのか?色々な疑問を感じるし、観ていられないくらいの命賭けで、鬼のような形相で牛に立ち向かう姿は、人間離れしている。闘牛士の中でもホセ・トマスだけが飛び抜けた存在であることが、際だっていた。
ホセ・トマスの色々な闘牛を、ビデオや闘牛場で沢山観ているから、ホセ・トマスがあれくらいのことはするだろうということが、頭で解っているが、それでも、それは現実の方が超えている凄さ。興奮は男の場合、立つという行為で表現される。15日のこの日5頭目(ホセ・トマスの2頭目)のファエナ後半で、ビデオを観ている何人かがハンカチを出して、目に涙を溜めて観ていた。ビデオで観ても、あれだけの興奮や熱狂、ファエナの凄さが伝わっているのだ。それは凄いことなのだ。興奮は女の場合、濡れると行為で表現される。そう目を濡らし涙をながず行為で・・・。
牧ちゃんが、15日のファエナの時に、凄い!鳥肌が立ってきた!といって、腕をさすっていた。
今ホセ・トマスは、自分の出来る闘牛をしている。出来ないことはしない。ただ、自分の闘牛を極めようとしている。勝ち負けではない。耳何枚かというのではない、自分の闘牛のスタイルを極めたい。そういう事にこだわって闘牛をやっているような気がする。それがどんなに困難な状況でも。牛にコヒーダされて、流血して、傷ついていても・・・。今そこに観客は、神を感じる。」
闘牛の会でビデオを観た人たちのコメント。「 「高田馬場で東京闘牛の会。ホセ・トマスのファエナに感動。あれはまさに鬼神が乗り移ったものだ。尋常ではない。ありえない光景の連続。ホセ・トマスはいったいどこまで行くのだろう。まさに狂気の闘牛士だ。」 ーーTAKAさんのMIXI日記よりーー
「土曜に、闘牛の会でホセ・トマスの闘牛を見た。客席のざわめきや熱気は、ビデオを通してでも伝わるほどすごいものだった。見ていて鳥肌がたつ。パセが通る度にわき起こるものすごい歓声。でも、周囲の熱狂とはうらはらに、アレナの中だけは音がないようだった。少なくとも、牛と、ホセ・トマスの間には存在してなかった。空気の密度が、きっとあそこだけ周りとは違うのだ。と思わずにいられなかった。」 ーーととろさんのMIXIの日記よりーー
「何でも、ホセ・トマスという闘牛士がマドリッドの第一級闘牛場、ラスペンダス闘牛場で36年ぶりという「快挙」を成し遂げ、そのビデオを映すというのです。現地のテレビでも放送されなかったこの闘牛を見る唯一のチャンスです。う〜ん、やはり大したものでした。あの猛々しい牡牛を相手に、微動だにしないホセ・トマス闘牛士、その姿からは勇気とか勇敢などという言葉以前に、自らを「死地」に駆り立てるような「戦士」としての悲壮感さえ感じてしまいました。そして実際に何度かコヒーダ(牛の角にかけられること)されてしまうのですが、その度に立ち上がって、痛みに耐えて再び牡牛に立ち向かっていくのです。何が彼をしてそこまで「闘牛」に駆り立てるのか・・・。
」 ーーshell-freakさんのMIXI日記よりーー 」
翌年M夫妻の処に行ったとき、あの日の闘牛の話をした。M婦人は、5日と15日どっちが好き?あたしは5日が好きだけど。と、訊かれ、5日は勿論凄い!でも、好きな闘牛と言ったら15日のコヒーダされた闘牛の方と答えた。すると、やっぱりね、と言われた。どっちが好きもないけど、やっぱり感情を揺さぶられるのは15日の闘牛だ。日本に帰ったら、8年6月5日と15日のホセ・トマスのビデオが観たくなった。
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