断腸亭日常日記 2016年 4月 スペイン日記

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年のスペイン滞在日記です。
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 4月4日(月) 雨のち曇 51970/3 成田のホテルにて

 明日からスペインへ行く。久々のフェリア・デ・アブリル。どういう闘牛が観れるか・・・。去年ラス・ベンタスで3回連続プエルタ・グランデしたロペス・シモン。もっとも注目して観たい闘牛士だ。


 4月5日(火) 雨 11853 成田のホテルにて

 小雨が桜の木を濡らし、花びらは光っている。朝食を食べに1階に降りてレストランへ。じゃらんで、朝食4.6の評価を受けている処。豆、根菜、納豆、とろろ、みそ汁、ご飯など。庭の草花も雨に光っていた。晴れなら散歩してみたい庭だ。そういうのを出発前に観れるのは、心が落ち着く気がする。これから用意して成田空港へ向かう。忘れ物がないようにしてきたつもりだったが、やっぱりあった。ノートPCのマウス。字が打ちにくい状態なので、空港でマウスを買っていくことにする。いよいよスペインへ。


 マドリードに無事到着。メトロを乗り継いで宿に入った。驚いたのは、ほとんど冬服。そうか、セビージャの事だけ考えてきたけど、クアレンタ・デ・マジョって言うからなぁマドリードは・・・。今日はチャンピンズ・リーグで、カンプ・ノウでバルサとアトレティコの1戦。ニーニョが股抜きで1点。しかし、35分頃2枚目のイエローで、退場。一人舞台って感じ。これで引き分けても、断然アトレティコが有利になる。負けちゃ駄目だけど、それでも、良い感じで試合をやっているが、後半猛攻を受けるだろう。どうやって耐えるか?

 こういう展開になると、バルサで1番怖いのは、スアレスだ。そして、恐れていた通りスアレスに2点取られた。もうさー、判りきっている展開って感じで笑ってしまう。それと、宿に着いて気づいたが持ってきたケイタイは使えない事が判った。じぇじぇじぇ。


 4月6日(木) 晴 13816 セビージャの宿にて

 マドリードは冬のような感じだった。

 YouTubeを観ていて思ったのは、日本で観ているときの広告は日本のモノ。当たり前に思っていたが、スペインで観るときは、スペインのモノだった。そうだったけ?なるほどそういう風になっているんだと、思った。

 下山さんが調子が悪い。THさんを迎えに行ったが、歩けない。うーん。明日、最悪闘牛観れないかもしてないと本人が覚悟している。THさんは、思ったような人だった。ちょっとしか話していないけど。


 4月8日(金) 晴 24857/2 セビージャの宿にて

 セビージャに到着。マドリードが冬なら、セビージャは夏。半袖で歩いていても暑い。宿を変え、THさんと闘牛士が泊まっているホテルの前で待ち合わせ。カステージャ、ロペス・シモンの車が停まっていた。闘牛の話を色々した。闘牛のやり方、闘牛士について、牛について、等々。質問されてそれに丁寧に答えられているか、そういう答えで良いのか、と感じることもある。少なくても、THさんの訊きたいことに、丁寧に答えていくつもり。

 昨日の闘牛は、カステージャは運がなかった。良い牛かと思うような牛が、駄目牛で、この日の3頭目5頭目は貧乏くじを引いたような状態になった。やっぱり初めの牛で剣を決めて耳を切っておかないとこういう事にもなりかねないって事だろう。ロペス・シモンは、出てきてこの牛だろうと思ったこの日の4頭目の牛。しっかり耳1枚を切った。最後の牛は、どうだろうと、思って観ていたが、ファエナの後半になって、連続してデレチャソを繋いで、観客を沸かせた。良く動かしたという感じのファエナだった。剣を決め耳1枚。剣が上手い。いくつか気になった点があるか、その一つは、おそらく、問題ないと思う。


 4月9日(土) 晴 17222 セビージャの宿にて

 下山さんの状態が良くない。闘牛に来れないので、THさんと闘牛場に通っている。昨日は隣の席かと思っていたら違っていた。途中で交換して欲しいとスペインに頼んだが拒否された。THさんが残念がったが、やっぱりアボノの通っている人とかは自分の席じゃないと嫌だと思うのだろう。

 闘牛は、モランテは、初めの牛を沸かせたが、耳を切れる牛なのに、それをやらずに終わった。4頭目のつまらないファエナが続いていたが、マタロジャとかセビージャでは声がかからない。最後の方でオーレがなり盛り上がって、剣が決まれば耳みたいない雰囲気になった。何をやってもモランテは、セビージャでは愛されているのだ。

 フリは、普通に闘牛をして、2頭目で耳1枚。ナトゥラルの手の低いパセが繋がったのと、5頭目でも耳が取れそうだったが、剣がメディアでデスカベジョが5回くらい。悪くはない。ペレラのクアドリージャはなかなか良い。3頭目時に、闘牛場が大喝采に包まれた。それはバンデリージャを打った人にだったが、それより、カポーテを振っていたバンデリジェーロの方が心に残った。牛の置き方が上手いのと壺を知っている気がしたからだ。ペレラ自体の闘牛はあまり変わっていなかった。つまり、あまり感心しない闘牛。フィグラとしてやっているが、モランテのように、動かさなくても良い時に、牛を移動してファエナをしたがる。こういうのは、フリには観られない事で、牛を駄目にする切欠になりやすいので嫌いだ。


 4月10日(日) 曇 11344 セビージャのホテルにて

 昨日は、ホテルに替わり、そこから闘牛場へ行った。THさんと闘牛場で待ち合わせ。17時から18時までコロキオの様なモノに行っている。闘牛場から直ぐなのに、なかなか来ないので電話したが、雑踏の中では着信音が聞こえないのだろう。その後、混んでいて進まないという。前日といいこの日といいノー・アイ・ビジェテだった。混んでるはずだ。そして、THさん念願の僕の解説付き闘牛が始まった。

 解説しながらTHさんが午前中行った処の話を聞いた。プラクティコと言っていたが、ようは、カポーテやムレタを振った元闘牛士などが教えてくれる処だ。剣刺しの練習までしていたのでビックリした。今日は、テンタデロをするという。初心者は、簡単な牛を相手にさせてくれるという。角は切るか訊いたら、切ってないバキージャを相手にするという。話を聞いていて、自分でネットで調べてそういうのに申し込む。凄い意欲だ。

 観るのと、やるのは、別のモノで、初めは観るための参考にと思って通っていたらしいが、今は、それ自体が楽しいのだという。こういうのは、誰にも止められないと思った。オテンバというか、じゃじゃ馬というか、こういう事も出来るのは、スペイン語が出来るからだ。ちゃんと勉強してスペインに来たから1年半でこれだけ出来ている。相当なモノ以上に、出来ることを最大限にやろうとしている姿が、まぶしいくらいだ。若いというのは、素晴らしい事だ。羨ましい限りだ。そして、スキーは怖いけど、テンタデロは怖くないと言うから、これも驚き、びっくりぽんや。怪我をすることはあるだろうが、大怪我をしないようにして欲しいが、まっそれはどうなるか判らない。何でも前向きだから何とかなりそうな雰囲気だ。

 この日は、ファン・カルロス元国王と、エレナ王女がロイヤル・ボックスに来ていて、それぞれの闘牛士の初めの牛は、ファン・カルロス元国王に捧げられた。全体的に良い牛だが、パセをやっていると脚を痛めたりして問題もあった。ポンセは、初めの牛で、彼らしい闘牛で耳1枚。マンサナレスは、パセの形は綺麗だが、牛が遠い。タンダ・デ・ムレタソが短い。それはそれでシンプルで良いと思う。5頭目で剣が決まっていたら耳1枚だったかもしれない。ロカ・レイを初めて観たが、セビージャでは余計なことをあまりしないで、闘牛していた。最後の牛でコヒーダされて、角上にまたがる状態で結構乗っていたが、角傷はないようで、その後ファエナを続けた。あれも剣が決まっていれば、耳が出ていただろう。器用な闘牛士という印象。このまま行って欲しいが、二十歳過ぎればただの人にならなければ良いが・・・。


 4月11日(月) 雨/曇 10832 セビージャの宿にて

 セビージャに着いて2日目か何かに使えなくなっていた、アイホンが使えるようになった。指紋認証が使用できず、パスワードを入れなければ駄目だったが記憶しているモノを入れても駄目で、がっかりしていた。それが、あれっと思ってそれを入れたら使えるようになったのだ。しかも、位置登録の仕方も判った。これが出来ていたら来るときに空港で登録出来たのに・・・。

 昨日は、おみやげを買いにコルテに行った。宿からタバコ1本分の距離。風邪を引いたのかビックリするようなだみ声になった。

 夕方には、マドリードに着いて友達に会う。それから空港近くのホテルに行き12日の出発に備える。12日は朝が早い。


 4月12日(火) 小雨 6995 マドリードのホテルにて

 昨日下山さんが復活。午後に会ってセビージャ郊外に出かけ昼食食べた。もうちょっと考えて体を大事にして欲しいと伝えた。次の時も同じならもうガッカリだ。THさんがサンタ・フスタ来ると言っていたが間に合わなかったので、電話で挨拶をした。セビージャも天気が悪く10日くらいから寒くなり、11日は雨模様で一気に冬服姿になった。そして、マドリードに戻ったらもっと寒い。昨日から良く咳をしている。それでもタバコを吸っているのは、鼻が痛くないからだ。

 今回は、ロペス・シモン、ロカ・レイを観れたことが良かった。それと、THさんに会えて話が出来たこと。こういう人がいるんだという驚きを知った。下山さんにはあだ名を付けたことを言った。たぶん、闘牛場でそれを言うだろう。下山さんと似ている処もある。下山さんも、僕と似ているところがあると言ってた。いずれにしろ励みになる事だ。それと、セビージャで、闘牛を観たりして感じたのは、人は、自分の中にある孤独と上手く付き合えないと駄目なんだなぁと思った。

 さて、東京へ戻ろう。Hasta la proxima mes.


 4月13日(水) 曇/小雨 東京の部屋にて

 マドリード、バラッハス空港からアムステルダム経由で、成田に無事到着。バラッハスで、機内荷物に出来なかったスーツケースの中にノートPCとデータが入ったHDD、それと闘牛の切符を入れていて、ロストしたらどうしようと、心配していた。そして、荷物受け取り所で、他の荷物が一杯並んで新しい荷物が出てこない。これだけ人がいるのに、何故荷物を取らない?イライラする時間が過ぎたが、自分の荷物が見えた瞬間凄く嬉しかった。受け取って、中を確認。取りあえず切符を確認して、タバコを吸いに行った。

 今回は、成田でPCを開くことなく、アイホンで位置登録して書き込み。家族や職場、友人にメールなどした。帰りの飛行機は、空いていて後ろの方では、4席続いているところに横になって寝ている人が何人もいた。日本に戻っても寒い。


 4月14日(木) 曇 10094/2

 部屋に戻って、荷物をといた。そして、録画していた『真田丸』を観る。草刈正雄が良い。信繁(幸村)の父・昌幸役だが、若い頃の二枚目役から、味のある癖のある役をこんなに上手く演じられるのかと感心している。草刈正雄は、最近だと、Eレテの『美の壺』のひょうきんな役柄で日本伝統の美を紹介しているが、若いときには出来なかった事が、年を取って出来るようになっている。人には、時が必要だと言うことがある。

 結衣さんから、電話。4回目にようやく取れた。アイホンになって電話の取り方も判らない様な状態。行く前に練習したんだけど・・・。今年は桜の京都へ行こうと思って、ホテルの予約を入れていたが、かなわなかった。結衣さんは、セビージャの闘牛の話を聞きたくて電話が来た。長い話だった。セバスティアン・カステージャの話、ロペス・シモン、ロカ・レイの話など。知り合いの闘牛ファンの話などもした。マドリードに住んでいる闘牛ファンや闘牛の会の人たちの話もあった。話が合う人、話しやすい人というのがあって、なかなかそういう人は少ない。

 セビージャで会ったTHさんも話しやすい人。闘牛のことを何でも知りたいという意欲は、闘牛の関わった初めの頃の感じに似ている。しかし、プラクティカに行ったり、ペーニャや、コロキオに行ったりは、本当に凄い事。結衣さん話だと、Hさんの様に研究をしている人は、自分の中にデータを一杯入れて処理できるけど、表現する人は、私も万希ちゃんも、斎藤さんもそれが出来ないのよ。あの人たちは、左脳を使うけど、私たちは右脳を使うのだという。

 結衣さんは小説家だし、万希ちゃんは漫画家。俺は何でもないけど、頭の処理の仕方はそうなのかもしれないと思った。誰かに何かを伝えようとするとそういう風になるのかもしれない。人それぞれのやり方がある。データを一杯集めて、分析する脳の働きと、表現者の脳の働きはたぶん違うのだろう。それと闘牛士の話で、不器用な闘牛士が好きだと言うことを言ったら、カステージャよりロペス・シモンの方がずっと不器用だし、ホセ・トマスも不器用。セサル・リンコンもはまる牛以外は不器用だ。不器用を誠実にやるから、そこにマジックが起こる。それは経験を積むからそれが出来る。器用な闘牛士より不器用な闘牛士の方が好みなのだ。カステージャが自分のパターンに牛を引き込めるのも、器用だから。つまり、そういうことなのだろう。ポンセも同じ器用だからだろう。

 チャンピオンズ・リーグで、アトレティコ・デ・マドリードがバルセロナに2−0で勝ちトータル、3−2で勝ち上がった。バルサは、3月初めまでは、今年も3冠の勢いだった。もうこれでしょうがないと思っていたが、チャンピオンズ・リーグはこれでなくなり、リーガも勝ち点3差まで詰められて、雲行きが怪しくなってきた。ルイス・エンリケ監督がアトレティコに勝ったら、次やるチームは判っているなどという発言を訊くと、おごりすぎだろうと思っていたが・・・。チームとしてやっているのだし、ファンあってのチーム。自分だけでやっている訳じゃない。どこかに関係者への感謝の気持ちが欠けてきているのだろう。やはり、おごる平家は久しからずって事だろう。

 昨日、セビージャでインドゥルト。ビクリーノ・マルティン牧場の牛。口を開けないでファエナ。あの動き。観たくなった。サン・イシドロで観たいと思った。切符次第だが、6月1日が難しいかもしれないが、これはアボノではなく、ベネフィセンシアなので買えるかもしれない。他はたぶん大丈夫だろう。27日から、インテンダールするか。切符発売は、25日。どうする?

 改めて、桜花賞を検証した。前の10レースの結果が、10D 6B 9D の結果。つまり桜花賞は9の法則で来る確率が非常に高くなる。結果は13F 12E 10D である。つまり、9の法則、第1条、第2条、第3条すべて適用される結果だった。ワイドで行くなら12−13からで3連複なら12−13軸で、5と10の2点で取れる馬券だったということ。それを買えなかった自分に駄目出ししながら、1点勝負の怖さを改めて知る。それにしても優勝したジュエラーのミルコ・デムーロの喜びようは凄い。ミルコの下の娘の誕生日だったという。ミルコと調教師や、厩務員など関係者との男同士の抱擁を観るとまるで、ラス・ベンタスでのプエルタ・グランデを決めた闘牛士の様だった。


 4月15日(金) 晴 15597

 昨日は、医者に行った。ついでに風邪の状態も見てもらい、処方箋を書いてもらい、薬を飲んでいる。大分良くなった。起きたら、咳は止まりタバコが吸えるような状態。医者には、タバコの本数を減らすように言われた。その通りにしている。夜は、ビックリするような地震の話で、余震がもの凄い数起こっている。倒壊した建物の下敷きになっている人もいるようだ。

 かえって、風邪をひいてちょっとおかしいくらいだから、2度寝、3度寝をしたので、時差ぼけなどないかもしれない。


 4月19日(火)  26304/4

 東京へ戻ったときは、寒かった気温が、大分上がってきて、風邪の状態も改善に向かっている。昨日、電車で出かけたら、沿線に咲く藤の花が見えた。葡萄の房のように咲く藤の花を見ながら、いつか春日大社の千年藤の花や、宇治の平等院にあった藤棚の花が観たいなぁと思った。

 熊本の地震は、3つの断層が動いているようで、余震数が凄い!死者43人、避難者が20万に及ぶという。熊本に住んでいたことがある人が、妹たちが施設に入っている、何でだろう。父親が預けた様だが・・・。連絡がつかないと、困っていた。俺がバイクでいつもと通っていたところが、崩落していると、ビックリしていた。新潟の山古志村の地震の時も凄かったが、震度6から4までの余震の数が凄すぎて、どれだけの危険を感じているか。子供は怖がって親から離れないという。観光産業は、99%キャンセルだという。ほぼ全部って事。

 災害現場のスタッフは大変だ。救助する人たち、医療関係者などは、寝る暇がないほど働きづめで、環境が悪化した状態での、治療を続けている。いくらトリアージュしても、追いつかない。そして、停電。そういう状態でも患者は殺到する。また、災害弱者といわれる、子供、老人の生活環境悪化は、どうしようもない現実に直面する。それに、持病がある人も、継続的な投薬、あるいは治療が必要な人は余震の数の多さに気力すら萎える気持ちになるだろうし、治療が受けられ難い状況になっているだろう。

 昨日は、MEGUさんと会った。大分に住むぴょんちゃんの話が出た。彼女も子供を抱えて地震の中にいるという。

 MEGUさんとは、スペインの話をした。久々のセビージャは面白かった。下山さんとは、あの状態ではあまり会えなかったが、近況など話、THさんと会って、闘牛の話などをしたことを伝えた。MEGUさんが言うには、ネットで闘牛のことを知ろうとしたら、斎藤さん以外ないから、話聞きたいと思うといっていた。THさんと一緒に、闘牛場やレストランやバルに行って話をした。食べ終わった皿に残ったポテトとピーマンの茎を使って説明した、テルシオ・デ・バンデリージャスなど、具体的な話をした。牛の話もしたが、結構その通りの牛の動きだった。下山さんとは、いつもレストランに行くことが多いが、THさんと行った、セビージャのバルはある意味新鮮だった。

 バルと言えば、マドリードで三木田さんやくまさんなどに連れって貰っている処しかあまり知らないが、セビージャのバルの面白味を知った感じだった。こういうところは、バルセロナにはないと言っていた。バルセロナは高い。MEGUさんも体調が良いようで、元気そうだった。かえるさんの話や闘牛の会の人たちの話もあったが・・・。今回MEGUさんにお土産を買ってこなかったことを言った。5月も行くと言ったら注文を受けた。それで勘弁して貰おう。

 気づいたが、今回時差ぼけをあまり感じない。風邪ひいた事も作用しているのか、楽だ。そして、セビージャのアボナードもフィグラが戻った闘牛場に戻ってきた感じで、フェリアの闘牛を楽しんだようだ。セビージャから帰ってきてからの方が、良い闘牛が観れたようだ。ビクトリーノのインドゥルトや、なんとパディージャ一世一代のプエルタ・デル・プリンシペなど、話題の闘牛があった。


 4月20日(水) 曇 6393

 研修があって遅くなって帰ってきた。疲れたので、途中で夕食を取り、部屋に着く。あと半月するとまたスペイン。忙しいというか、せわしないというか・・・。研修中の終わりに、隣の知り合いが咳をし始めて、思わず「○○咳するな」と言いそうになった。すっかり忘れていた咳を思い出して、咳が出そうになったからだ。風邪はまだ潜伏している様で、薬を飲んでいる。

 リーガ・エスパニョーラは、レアル・マドリード、アトレティコ・デ・マドリードが勝ち、バルセロナが負けて、勝ち点1差に3チームがひしめく状態になった。チャンピオンズ・リーグは、アトレティコがバルサに逆転で勝って、ベスト4に、レアル・マドリードとアトレティコが残った。両チームは、準決勝で、バイエルンとマンチェスター・シティーと対戦することが決まった。アトレティコは、というか、シメオネは、1本に絞るべきだ。つまり、リーガを捨ててでも、チャンピオンズ・リーグの優勝を目指すべきだと思う。そうすれば、夢は叶えられると思う。「努力は絶対裏切らない」シメオネの言葉が本当なら。

 そういえば、セサル・リンコンも、ラス・ベンタスに出場するまで、「夢は必ず叶う」と信じ続けていたという。シメオネと同じような事を考えていた。シメオネは、さらにいう。「信じることを止めてはいけない」

 じぇじぇじぇ。今テレビで、アレサ・フランクリンの『アメージング・グレイス』がかかっている。そう歌手の吉田美奈子が泣き崩れたという曲だ。ゴスペル・ソングというか、賛美歌というか・・・。アレサの歌を聴くと何故か心が揺さぶられる。


 4月21日(木) 晴 14555

 溜めていた朝ドラ、『とと姉ちゃん』を見始めた。父親役の小橋竹蔵役の西島秀俊を見ていると、何故だろうジーンとする。日常の生活の中にある幸福を体現させたら、これほど素晴らしい配役はいないだろう。この家の家訓は、3つ。一、朝食は家族皆でとること。一、月に一度家族でお出掛けすること。一、自分の服は、自分でたたむこと。

 結核になった竹蔵を囲み正月の一コマ。百人一首を家族でやっている。竹蔵が上の句を読み、母の君子。3人の娘たちは一つも取ることが出来ない。かか強すぎます。常子が言う。

 世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海女の小舟の 綱でかなしも

 常子が初めてこれを取り、やっと取れたと言うと、竹蔵と君子が笑い出す。何がおかしいの?と常子。いえねぇ、自分の札は、やはり手にするモノだと感心して。自分の札?実はねぇ、常子という名は、その百人一首の短歌に由来しているんです。えっ。世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海女の小舟の 綱でかなしも。そこから一字を取って、常子という名にしました。どういう意味ですか?世の中の様子が、こんな風にいつまでも変わらずにあって欲しいモノだ。波打ち際をそいながら漕いでいる漁師の小舟が、陸から綱で曳かれている。こんなごく普通の情景が切なくいとおしい。ごく普通が切なくいとおしいのですか?この国は、幾たびか戦争をしてきました。ととやかかの知り合いにも、戦争でなくなったり、親兄弟を失った人がいるんです。ととにも家族が出来て、常子が生まれたときに、こう思ったんです。このささいで、ごく普通の暮らしが守られ常に変わらずあって欲しいという願いを込め、常子。そうなんだ。元々かかの君子という名のも、百人一首に由来すると聞いている。とても良いなぁと思ってまねをしたんです。かかの名前は、どの短歌ですか?私のは、この君がためと言う歌。

 君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ

 二人とも自分の札を取ったんですね。じゃ私は。私はどの札なんですか?とと。と鞠子。あっ、あー、鞠子と美子も百人一首から取ろうと考えたんですが、合う歌が見つからなかったんです。えっ。鞠子は、生まれたときに、ぷくぷくと太ってまん丸な鞠のようだったので鞠子と名付けました。そんな理由?よっちゃんは?美子は、朝生まれたんだけどね。朝方ようやく生まれた美子を、抱き上げたときに見えた朝焼けが実に美しくてね、美しい子で、美子。へー。 えっ、えっ。どうして私だけ単純な理由なんです? かわいいじゃない。 まぁ、餅の様でもあったので、餅子と迷ったんですけど、その方が良かったかな?それなら、鞠子で結構です。家族で笑う。

 子供たちを、対等な人間として接する竹蔵。子供時代に両親を亡くし、親戚をたらい回しにされて、その家族の中で、家長である父親が威張っているのをみて、父親も家族も幸せそうに見えなかったから、自分が家族を作ったら、対等に接しようと考えたのではないかと、弟が言う。

 こういう役柄をやらせたら、西島俊秀は抜群に良い。この穏やかさが、暖かさを感じさせるからだろう。何でもない日常の何気ない一瞬。そういうモノを大事に出来ないと駄目なんだなぁと、改めて思い知らされた様な気がする。西島俊秀に教えられているような気がする。

 25日は、休みを取った。どうなるか判らないが、サン・イシドロの切符を買うためだ。アクセスしても全然繋がらない事が予想されるが、出来るだけの事をしてみたい。5月25日6月1日が非常に難しい可能性が高い。結衣さんや万希ちゃんも希望を持ってアクセスするだろう。行く日は違っても頑張るだろう。当日は連絡を取り合おうと思う。

「たとえレギュラーでなくても

 イチローはここまで(19日〈同20日〉現在)で12試合中8試合に出場し、11打数5安打、打率4割5分5厘の好成績を残している。それでもチーム内で外野手の4番手とされ、試合中はベンチウォーマーになりながら出番が来るまでジッと戦況を見つめ続けなければいけない。その間はいつお呼びがかかってもいいようにしっかりと集中力を研ぎ澄ませ、来るべき代打起用に備えて準備しておく。代打で起用される場合、打席に立つ機会は当然先発よりも少ない。そういう流れの中で結果を出さなければいけないのだから、言うまでもなく相当な神経と力を要する。それでもイチローはこうやってヒットを放ち、着実に結果を出しているのだからまさに脱帽だ。

 今季からチームの新指揮官となったドン・マッティングリー監督は、そのイチローについて「ベスト・オブ・ザ・ベスト(ベストの中のベスト)」と評し、こう続けた。

 「イチローは4番手であることを受け入れてくれている。あれほどの実績を持つレジェンドならば、何か要求や注文を付けたとしてもおかしくはないだろう。実際に過去、首脳陣に対して『もっと自分を使え』と直談判した選手を私は何人も見てきた。ところが彼は一切、そういうことをしない。ただ黙々と仕事をこなし、何の不平不満も口にせず常に真摯(しんし)な態度を貫く。与えられたところで最高の結果を出すために、最高の準備と努力を怠らない。メジャーリーガーの鏡と言えるような素晴らしい選手だ」

 決してリップサービスではあるまい。なぜならば、外野レギュラーの一角を担う中堅のオズナも「すべてにおいてイチローは手本だよ。我々の『センセイ』なんだ」。そしてイエリッチが「ボクは子どものころからイチローをテレビで見て、ずっとマネばかりしていた。自分のアイドルと一緒にプレーできて、その上いろいろと教えてもらえるなんて最高の環境だ。彼のすべてを吸収したいと心から思っている」とややエキサイト気味に本音を口にすれば、スタントンも「ボクにとってイチローは『レジェンド(伝説の偉人)』と言うよりも『ゴッド(神)』だね。試合での動き、練習の仕方、さらに食事の仕方まで……。彼の行動はすべてにおいて超人的だ。42歳なんて絶対ウソだよ。あの動きと気構えはボクらと変らない20代のはずだ」と絶賛した。

 たとえレギュラーでなくても今もイチローはチームの中で十分過ぎる存在感を放っている。外野レギュラー陣3人からはもちろん他のチームメート、そしてマッティングリー監督らスタッフからも特別な選手として全幅の信頼と尊敬の念を集めている。円熟味を増した今も、メジャーリーグの第一線で活躍するイチローは今後も引き続き我々を驚かせてくれるはずだ。」 ーーMSNニュース・臼北信行よりーー

 人から信頼されると言うことは大変な努力や忍耐が必要なのだろう。


 4月25日(月) 晴 39472/4

 桜は散り、道には花弁や茎が昨日の雨に流されて、水の流れる処に集まってそこかしこに跡を残している。桜の花は、咲いているときは美しい。散り行くときは、なお美しい。ドナルド・キーンは、日本に来た初めの頃、京都の花見に呼ばれたときに、桜は綺麗ですが、散ったら掃除が大変ですね。と、言って笑われた。日本人は、そういう儚いものに、魅かれることを、当時分からなかったのだ。もう、桜に代わり、ツツジが赤紫色や、ピンク色、白などの花を咲かせている。

 日曜日は雨が降り、だいぶ寒くなったが、もう新緑の季節になってきた。

 わざわざ休んで、サン・イシドロの切符を買おうと試みた。25日が割と簡単に取れて、ホッとしていたら、アクセスが微妙な状態になって、それから6月1日4日27日24日も取った。30日も買ったはずだが、プリントアウトしていないので不安。あと3日。あとは現地で取れると思うんだけど・・・。確認のメールは4通しか来ていない…。結衣さんと万希ちゃんと電話しながらのアクセスだった。そして、旅行会社に電話して予約を入れた。どうしようこんなにお金使って・・・。あとで考えよう。


 4月26日(火) 晴 4305

 かつて武豊が、将棋の羽生善治が全タイトル7冠を取ったとき、僕は命をかけて1年間やって、1億ちょっと、羽生さんは、将棋で2億円。なんなんでしょうね。と言うようなことを言ったことがある。先日、囲碁の世界でも全タイトル7冠を取った棋士が現れた。井山裕太26歳がそれだ。

 日曜日の『若冲』にしてもそうだが、人と同じ事をしていては、こういう偉業は出来ない。羽生は、羽生にらみで相手を威圧したりしたが、井山は、そういう感じはない。むしろ、小首をかしげたり、自信がなさそうに見えるが、独創的な手を打って、相手を驚かす。安全な手は、最良の手ではないという。それが積み重なると、100%ではないから、相手が有利になる。そう考える。

 囲碁や将棋には、定石とというモノがある。そういうモノを身につけていると段位が取れ、強くなっていく。しかし、超1流の棋士が集まるタイトル挑戦を賭けたリーグ戦やタイトル戦、また、世界のトーナメントでは、それだけでは、勝てない厳しい戦いがある。

 井山裕太が、誰からそういう手を打てば良いかとということを学んだわけでない。敗戦の悔しさから、ストイックに碁盤に石を並べ、対局からそういう考えに至ったようだ。伊藤若冲にしても、誰から絵を学んだか定かではない。庭に鶏を放ちそれを眺め絵を描き続けた。そういう地味な作業が人には真似の出来ないモノを作り上げる事に繋がるのだろうと思う。


 4月28日(木) 雨 15661/2

 薬もなくなり、風邪が全然良くならない。それで、取りあえずタバコを吸うのを止めて、医者に行った。そこで、処方して貰い、薬をまた飲み始めた。スペインに行くまでに風邪を治したいと思ったので、それなら、タバコを止めるかと思って始めたが、風邪が治るならそれで良い。早く治って欲しいのだ。薬を飲んだら、なんか、病人の様な雰囲気が漂っている。不思議だ。

 アトレティコが、バイエルンに1−0で勝った。アトレティコのファンは、1点の重みを1番よく知っている。8−0や5−1とかで勝つ、レアル・マドリードやバルセロナと違い、堅守で得点が少ないので、1点差の試合が多い。1−0の試合が特に多いようだ。だから、虎の子に1点を守る堅守は、ファンから絶対的な信頼を得ているチームの特徴だ。チームのイドロ、シメオネ監督は、選手時代から自分の形を持っている。超攻撃的なチームを相手に、0に押さえる守備は、相手の良さを潰すところから始まる。相手に好きにさせないから、自分のチームは良いプレーが出来るのだ。アトレティコは、実にアトレティコらしく戦った。


 4月29日(金) 晴 風強い 14606

 朝早く起きて上野に向かう。東京都美術館には、8時過ぎに到着したが、もう50〜100人くらい待っていた。ゴールデン・ウィーク初日。前日警備員に、8時に来れば50人くらい並んでいると訊いていたから、朝早く来ることにした。9時過ぎにゲートが開けられ、敷地内に入るが、1階部分をコの字型に列が描き、地下の入り口の通じるエスカレーター前まで、9時半まで待って入場。

 初めの部分は、金閣寺、大書院の襖絵。これは去年相国寺の美術館で見ている。先に宮内庁の動植綵絵(どうしょくさいえ)を目指す。そこで割とゆっくり、ゆったり観ることが出来た。でも、もう10時を過ぎるころになると、そんな悠長なことを言っていられなくなる。とにかく、凄い人。若冲生誕300年を記念して開催された『若冲展』は、出展作品も凄いが、人出はもの凄いモノだ。


 5月2日(月) 曇 24906/3

 Dos de Mayo. 約20年前にホセリートがラス・ベンタス闘牛場で、ウニコ・エスパーダをやって耳6枚取った記念すべき日。暗い影のある少年が、大人になりつつあるときに、満員の闘牛場を歓喜させた日。もう、闘牛場に立つことがなくなったホセリート。でも、闘牛を見始めたときに、比較対象の4人の闘牛士の中に入っていた。

 僕が見始めた頃は、カポーテでは、ベロニカと、メディア・ベロニカしなかった。ムレタでは、デレチャソ、ナトゥラル、パセ・デ・ペチョ、トゥリンチェラッソくらいのバリエーションしかなかった。まるで、古典落語の語りを訊いているように、じっくりと闘牛と向かい合うことが出来た闘牛士。そして、剣刺しの見事さと言ったら・・・。

 そんな、不器用なホセリートが、ウニコのために色々技を仕込んで、挑んだのが95年のDos de Mayo. カポーテ技で観客の心をつかみ、ムレタ技で虜(とりこ)にしてしまった。右手のナトゥラルなどもそのときに出た。当時、美男子といえば、僕の中ではホセリートだけだった。彼の中にある孤独が、闘牛を支えているのだと、勝手に思いこんでいた。偉大な闘牛士の物語。闘牛の中の伝説の一つ。ある意味、あそこで一つの完成があったのかも知れない。


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