断腸亭日常日記 2016年 5月 スペイン日記

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行滞在日記です。

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 5月3日(火) 曇 8351 成田のホテルにて

 今年2度目の渡西を控えて成田のホテルに到着した。夜遅くなっての到着なので風呂の時間もあるので、時間がない。岡崎が所属するレスターがイングランド・プレミア・リーグで優勝した。奇跡の優勝と言っていいだろう。開幕前の掛け率は、5001倍。まさかまさかの優勝。リネカーは優勝したらパンツ姿でテレビの司会をすると言ったそうだが、納得して放送に出るそうだ。

 人生には、3つの坂がある。1つ目が上り坂。2つ目が下り坂。3つ目が、まさか!その「まさか」が、イングランドで起きたのが、今回のレスターの優勝。イギリスだけじゃなくて、世界中のサッカーファンが驚いたサッカーをした。その中でレギラー出場した岡崎は、本当に立派なモノだ。日本人の誇りともいえる活躍だった。

 今年は渡西人(とせいにん)稼業が忙しい。義理と人情の渡世人(とせいにん)とは違うが、勿論、それにかけて渡西人(とせいにん)を名のる事にする。最新情報では、ホセ・トマスがアリカンテに出るらしい。シモン・カサスが動いている。これだと、秋のニームに出るかも知れない。バレンシアもあり得る?


 5月4日(水) 雨 8351

 たぶん今回は、忘れ物はないと思う。ビデオカメラが調子が悪く、もう一つのモノを持って行くことにした。充電も完了して後は、成田に向かい飛行機に乗るだけだ。ホセ・トマスを観れる喜びを噛みしめつつ、ヘレスを思う。THさんや下山さん、Yさんにも2年ぶりに会える。向こうは暑いのか、寒いのか判らない。完治しない風邪。少なくともマドリードは、寒いはずだ。そう思って服装は、夏用と冬用とを用意してきた。

 レスター優勝の瞬間、チームメイトが集まっていた家で、チャンピオーネ・チャンピオーネ・オーレ・オーレ・オーレといっているのを聞くと違和感を感じる。スペインなら、カンぺオーネ・カンぺオーネ・オーレ・オーレ・オーレだもんな。


 5月5日(木) 曇 21823 マドリードの友人宅にて

 無事マドリード到着。ユウイチ君の処にいる。夜中に到着して、2人でビールを飲んで話し込んだ。久々に来るなこの部屋も、綺麗になった感じ。あれから5・6年経った様で、特にこの1年色々考える事があった様だ。これから、ヘレスへ向かう。

 それから、チャンピンズ・リーグは、やっぱり、レアル・マドリードが勝った。これで、2年前の決勝と同じになった。今度こそ、アトレティコが勝って欲しいと願っている。


 5月7日(土) 曇 32767/2 セビージャのホテルにて

 5日、6日とヘレスで闘牛を観ている。色々あって時間がない。とにかく、今回のヘレスは凄く良い闘牛が観れている。昨日は、インドゥルトまで観てしまった。だが、今日がメインの日。ホセ・トマスの日。1番良い闘牛が観たいと思うのは欲が深すぎるだろうか?とにかく、天気が悪く毎日雨が降っている。取りあえず、闘牛が出来ることを祈り、次に、良い闘牛が観れることをお願いし、次に今回の1番良い闘牛であることを望む。これから、下山さん、Yさんとセビージャで合流し、THさんとヘレスで合流して闘牛を観る。今は、時間がない。とにかく、今日最高の闘牛が観れることをお願いするのみ。


 5月8日(日) 雨 12077 セビージャの宿にて

 ヘレスの3日間の闘牛は、良いものが観れた。3日とも尻尾が出たのにはビックリした。そして、想像もしなかった、インドゥルトまで観れたのだから本当に来た甲斐があったというものだ。ホセ・トマスのパセをする時の足の開き方、手の位置など、気づいていないかと思っていたら、下山さんはちゃんと気づいていた。足を開かなくなって来たことと、それによって手の位置が高くなった。それは、引退前のホセ・トマスに近づいているということだと思う。それを確認するために来たと言っても、言い過ぎじゃないくらい、ホセ・トマスの闘牛を見に来たわけだから・・・。

 これから、マドリードへ行き、サン・イシドロを観る。久々のサン・イシドロ。マドリードの知り合いたちは、ほとんどアボノを手放したという。そういう風になって行くもんなんだと、思った。


 5月9日(月) 雨 12553 マドリードの宿にて

 ようやくマドリードに到着した。昨日は、マドリードに帰る予定が、セビージャにいた。それというのも、AVEの切符を買ってなくて、簡単に買えるだろうと思っていたら、全部満席で、買えず、飛行機もダメ、バスもダメで、諦めてセビージャで闘牛を観ることにした。ネットで月曜の切符が買えず、サンタ・フスタまで行って買ってきた。Renfe のネットって、ダウンしたり接続が悪かったりする話は聞いていたので、駅まで行ったのだ。そこで、遅い朝食兼昼食で、サラダを取り、バスで市役所付近まで行き、THさんと行ったバルでワインとタパを頼んでお腹を満たした。

 それから宿で、シエスタを取り、寝坊して闘牛場へ行くと、時間が過ぎているのに、アレナに敷いたシートの片付けをやっていて始まっていなかった。観客は、思った以上に入っていた。テンディドが1/3弱、グラダが8割以上の入り。途中土砂降りの雨のになったって、アレナが水浸しになった。屋根のあるグラダで観ているから全然平気。でも、アレナに敷いたシートの片付けなどで30分以上始まる時間が遅れ、土砂降りの雨などあって、22時過ぎても6頭目の牛交換など。下山さんの待ち合わせがあり、闘牛場を出て、夕食を食べに行った。

 セビージャに出た3人の見習い闘牛士の内、2番目は有名闘牛士の息子らしいが、これが1番ダメ。練習していないのが良く判る。コヒーダされ牛の上に何秒も乗っていった。腹を刺されたと思ったが、上にカポーテが乗っているので状況が判らない。結局何もなく続けた。初めの見習い闘牛士は、うーんという感じ。途中で、ナトゥラルの時に、クルサールを初め牛が綺麗に動き出した。角2本クルサールしてトレアール。観客が拍手や声を上げる。セビージャのお客さんは暖かい。観客が闘牛の仕方を教えると言うこともある。そして、育てることもある。そういうことなのだ。3人目の見習い闘牛士は3頭目で耳1枚。土砂降りの雨の中でのファエナだった。そういうこともあって耳なのだが、この見習い闘牛士が1番見込みがあると感じた。

 下山さんの話だと、去年第1級闘牛場の見習い闘牛士の組み合わせが、今日ラス・ベンタス闘牛場のサン・イシドロで組まれている。なんと追っかけでもないのに、バレアを2日続けて観ることになる。こんな事、偶然の珍しいこと。


 5月10日(火) 曇 15126 マドリードの宿にて

 これから朝食を食べて、空港へ向かう。日本へ帰る出発の朝だ。昨日は、久々のサン・イシドロの闘牛を観た。見習い闘牛士だったが、雰囲気を感じることが出来た。最後の夜は、ユウイチ君と一緒にヘレスを飲んだ。どん底の厨房のFさん、通称ニーニョとも合流。昔からそう呼ばれているという。番長や寿美さんたちもそう呼ぶという。アトレティコのフェルナンド・トーレスと同じで、ニーニョと呼ばれれば年を取っても、いつまでもニーニョなのだ。

 堀越さんと待ち合わせをするときは、いつもヘレスの店だった。アトリエが近くにあったので、そこが良かったようだ。10年以上前に堀越さんから、斎藤君は、30年経ったら伝説になるよ、と、言われたことがある。それは、勿論、闘牛の事でそう言われた。そうなのかと、ぼんやりと思っていた。昨日の闘牛場の寒さで、また風邪をひいた様だ。上はダウンを着ていたが、下は風も冷たくひえすぎた。

 朝食を食べてきた。ガラスの外で、母親が赤ん坊を抱き、子供の手を引いて急いでいる姿を見た。日本に帰ればこういう日常が始まるんだと思った。THさんからよる電話があり、ノビの闘牛を訊いてきた。彼女は、小さい頃、父親に、永井荷風の、『断腸亭日乗』の日記を読むように言われ、判らなくても読んでいけば判るから・・・。そうやって読んでいた日記とこのHPの日記のタイトルは勿論それから取ったモノ。THさんからの、メッセージで今までやろうとしていたことを思い出し、それを続けようと思っている。偶然というのは、いろいろ重なるモノなのかも知れない。


 5月11日(水) 曇 9407 東京の部屋にて

 無事帰国。最後のラス・ベンタス闘牛場が寒くて、風邪をひいた様だ。部屋に戻り、昼食は、納豆とお茶漬け。日本食だ。あと、漬け物とみそ汁があれば、完璧に近かった。そして、万希ちゃんに電話。サン・イシドロの切符についての話。仮眠後、結衣さんと5月下旬の予定とサン・イシドロ切符の話。お互い連絡を取り合っていると、情報交換が出来る。今回は、クレジット・カードを機械に入れても切符が出てこない。暗証番号のようなモノが必要で、これがプリントアウトしたものに書いてあるあれだと思うというような話などした。

 帰国したが、2週間もしないうちにまた、スペインへ行く。世話しない。オバマ大統領が5月27日に広島を訪問することが決まった。これが核廃絶のスイッチになっていけば良いが、現実はなかなか難しいだろう。ヘレスのことなどいろいろ書くことがあるが、それは後日にしよう。


 5月12日(木) 晴 4267

 昨日東京は、25度あり蒸している。今日は快晴でまるでスペインの様な空。どっちがスペインか判らない空だ。マドリードは、故郷の盛岡とほぼ同じ緯度にある。寒いのは判るが、これほど違うモノか。あれは、冬。ところで、7日ヘレスには、元国王のファン・カルロスと娘のエレナ王女が来ていた。その後ろの方に、白い帽子をかぶったホアキン・サビーナが来ていた。雨が降っていて、ホセ・トマスの闘牛だけ観て、帰って行った。ファン・カルロスは、雨の中、傘もささず帽子もかぶらず、カッパも着ず、席を立たずに観ていたのは対照的だ。はっきり言って偉い!有名人だと、人の噂を気にするだろうに、ホアキン・サビーナは、そう言うモノを気にすることなく、観たいのは、ホセ・トマスだけとはっきりと訴えている。それはそれで、立派なことだと思った。

 今回のスペインは、4日夜到着。5日から9日まで毎日闘牛を観て、10日の朝に帰国便に乗った。つまり、観れる日全部闘牛を観たわけで、こういうスペインは、おそらく初めてだと思う。しかも、ヘレスは5日から7日まで3日間観てすべて尻尾が出たことも驚きの闘牛だった。インドゥルトも出たし、THさんと隣で、闘牛を観ながら闘牛の話を出来たことも嬉しい。6・7日下山さんとも合流。7日2年ぶりにYさんともホセ・トマスを観た。

 昨日のラス・ベンタスのサン・イシドロで、パコ・ウレニャが耳1枚。なんかセビージャで化けたような感じだ。エスクリバノも良い感じだ。10日は、中止。今年は雨で中止の日が増えそうだ。僕が観た中では、4日くらい中止になったことがある。88年には、5日中止になった事があるという。今みたいにアレナにシートをかける様な事はしていない時期。

 昨日の夜、イギリス人、イングラムさんと桜の話をBSでやっていた。昔、日本に旅行し日本の自然の美しさに魅了され、桜の苗木を持ち帰り自宅の庭に植え育てた。花が咲くと近所の人に庭を開放し花を見せ、そこで育った桜の木を、イギリス各地に、無償で提供した。その木が、今イギリスで咲いているという。エリザベス女王の城の庭園にもその桜が咲いているという。3度目の来日の時、ソメイヨシノの木で日本が覆われ、多様な桜が50年後絶滅すると嘆いた。そして、その時もう絶滅したといわれていた、太白という桜の苗木を、京都、嵯峨野に送り、それが日本各地に植樹されたという。

 白い大きな花が特徴の、太白。荒川土手の桜並木をアメリカのワシントンに、送って公園に桜の森があるのはよく知られている。100種類以上あった桜が、今荒川土手には戦争で焼かれたりして、数えるほどの種類しかないという。それを逆輸入しようという話を聞いたことがあるが、イングラムさんの様な人がいたのかと、感動を覚えた。

 夜中、NHKBSでスペインのバスクで料理を食べ歩く作家角田光代のことをやっていて、観ていたが、終わったあと、角田の本をドラマ仕立てにスペイン人の女優などを使って作ったモノが流れていた。脚本演出が源孝志だった。そう、『京都人の密かな愉しみ』を脚本演出した人だ。こんな事までやるんだと感心した。NPO活動の後、バルセロナに帰ってきたバスク生まれの女の話。「どうして食べないの?」「こんな時に食べれるか」「悲しい話が、おいしい夕食と一緒じゃダメなの?」と言って、大好きな豆とチョリソのスープを食べながら、笑いながら泣いて男と別れる話だった。

 なかなかやるよなぁ。源孝志。『京都人の密かな愉しみ』のエンディングは、竹田かおりが歌う『京都慕情』。夕暮れのイメージは、中島みゆきの『別れ歌』、渚ゆう子の『京都慕情』、NSPの『夕暮れ時はさびしそう』の歌の中にある。THさんの夕暮れとは真逆のイメージだ。でも、それを知ったことは、闘牛を観る上でもプラスに作用するような気がする。たぶん書く上でも・・・。

 そう言えば、マドリードのオスタルの女将が、言っていた。何故昨日来なかったというから、AVEの切符が買えなかったからというと、中国人がAVEの4車両分を買い占めている話をして、しょうがないといってくれた。でも、連絡をくれれば、他の人を泊めれたと言われた。ネットサイトがあるから勝手は出来ないようだ。それで、2日分の料金の処を、まけてくれた。ありがたい事だ。

 日産が、いろいろあった三菱自動車を、事実上傘下にする資本提携が双方合意で決まった。ブラジルのサン・パウロ大学がマウスの実験で、原因のジカウイルスが母体の胎盤を通過して胎児に小頭症などを引き起こすことを動物実験で確認したと、『ネイチャー』に発表した。演出家の蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)さんが亡くなった。蜷川の芝居をどんだけ観たんだろう?印象に残っているは、帝劇で観た、元宝塚の女優だけを使ってやった芝居で、女優みんなが、確かディランの『雨の日の女』の替え歌を大声で歌った時や、本多劇場こけら落としの唐十郎作の芝居で、李礼仙が水中から登場したときの驚きは、今も忘れない。映画『Wの悲劇』で灰皿投げたり、ギャグってて可笑しかった。でも、本当に観たかったのは、桜社でやっていた頃。清水邦夫脚本で、石橋蓮司、蟹江敬三、緑魔子がいた頃だ。

 ロダンの大理石で彫った彫刻、『永遠の春』が、ロダン作品の最高値で売買されたという。凄く良い彫刻だと思った。


 5月13日(金) 晴 5635

 昨日スパに行ってきた。時差ボケ、風邪気味なので、それをいやすためだ。THさんに風邪ひいたら1番良いのは風呂入って酒飲むのが良いんだけどと、言ったら、それはおじさんがやることと、言われた。あーそうですかという感じだったが、でも、子供の頃、風呂上がりに、卵酒を作ってもらって飲んだのを覚えている。まっ時代が違うのだろう。

 『京都 国宝浪漫』で、東本願寺をやっていた。蛤御門の変で焼けた阿弥陀堂と、御影堂を建てるため、信徒が木材を集め、それを各地から運搬して16年かけて立て直した。その時、運搬に使った越後のそりと、縄が展示している。記憶では、女の髪の毛で木材を曳いてきたということだったが、実は老若男女の髪の毛と麻で編んで作った縄で、麻だけで編んだ縄より丈夫だったという。ということは、女の髪の毛で木材を曳いたのは、伊勢神宮だけか?

 仏教伝来した時は、女や罪人は成仏できないという考えだった。それが都を奈良から京都へ移してから、鎌倉仏教が出て、念仏を唱えれば女も罪人も成仏できると、布教が庶民の間で爆発的に普及する。法然、親鸞、日蓮などである。家康の時代、信長ですら潰すことが出来なかった本願寺を、東と西の2つの分断した。それほど、一向宗は権力者には驚異だった。

 12日のサン・イシドロは、アランダが耳1枚。ゴンサロ・カバジェーロがコヒーダ。15cmと20cmの角傷。カペアがピトス3回。


 5月16日(月) 晴 45176/3

 スペインから戻って、1日休み、それから仕事。突然眠くなったりするが、今回は凄く楽な感じ。むしろ、スペインに行く前に、風邪薬を飲んでいた時の方がきつかった。今の方がずっと楽な気がする。サン・イシドロをまとめると、9日ファン・バウティスタが耳1枚。10日雨で順延。11日パコ・ウレニャが耳1枚。13日ファン・カルロス元国王とエレナ王女が来た。アレハンドロ・タラバンテが耳1枚。ロカ・レイ、耳2枚。PG。14日耳なし。15日ファン・カルロス元国王とエレナ王女が来たが、牛が悪く耳なし。ニームでは、マンサナレスが耳1枚。ロペス・シモンが耳2枚。PG。

 ロカ・レイがプエルタ・グランデ。同じ日、タラバンテが、難しい牛で耳1枚。こういう闘牛を観客はちゃんと覚えている。ラス・ベンタス闘牛場の観客はそういう人たちだ。朝方になると、Facebook で、THさんとやりとりをした。闘牛が知りたく仕方ない感じ。予定していたニームを体調不良で回避して、テレビで、サン・イシドロを観ているみたいだ。いろいろ情報を教えてくれるので助かる。だから、自分の知っていることや感じたことを、知らせることも出来る。

 万希ちゃんは、マドリードで、「たらばって」いる。サン・イシドロで、タラバンテを観るために、入れ違いに向こうへ飛んだ。初日のタラバンテを観て感激して、出の車の処まで行ったら、凄い人だったらしい。15日は残念な結果だったが、もう1日ある。大体、闘牛なんてそんなに期待通りいかない。最高の闘牛を観ようと闘牛場へ行っても、最高の闘牛に出会ってしまえば、それ以降は、それに近い闘牛は、数えるほどしかないモノだ。そうやって、自分がやっていることを、探り、確かめ、確認する作業となる。

 どうすれば良いか、自分の体の具合も考えるようになる。昔、1ヶ月半追っかけをして、胃潰瘍で倒れたことがある。何も食べたくないし、水も飲みたくない。ひたすら1日以上、血のゲロを吐いていた事がある。そうやって入院したりすると、段々いろいろ解ってくるものだ。知り合いもほとんどいない土地で、闘牛のことなど誰も教えてくれない状態でも、何が正しいのか、何が良いのかが見えてくるのだ。闘牛場では、闘牛士と牛が、それ以外では、自分の周りの関係性で感じることがある。そういうモノを掴めれば、闘牛とより深く関わることが出来るようになる。

 それから、スペインで知り合いがいろいろ出来た。サン・イシドロに通う中、マドリードに住む日本人や、下山さんなどだ。そこで、コロキオやったりして闘牛の話をたくさんした。そうやって身につけたことも多い。万希ちゃんもそうだが、THさんは今、闘牛が知りたくてしかたない感じだ。スペインにいなくても、サン・イシドロの様な直ぐにネットで結果が判る処は、朝方に、ネットでやりとりが出来る。どうしても、やっぱり基準は、ラス・ベンタス闘牛場のサン・イシドロだ。だから、話しやすいというのもあるのだろう。

 日曜日、ヴィクトリアマイルが東京競馬場で行われた。本命は、ミッキークイーンだった。レースは、ハイペースで進み直線で後方勢が、追い込んできて、ストレイトガールが抜けた。離れた2着争いが、ショウナンパンドラとミッキークイーン。連覇になったストレイトガールは、人気薄だったが、戸崎が上手いことやった感じだ。

 録画していたNHK『ドキュメント 72時間』は、新大久保にあるハンコ屋の話。客の7割が外国人。銀行口座を作ったりするために、印鑑が必要になり、カタカナなどでハンコを作っていく。名前を訊いてカタカナで書いて、確認してその場でPCでデータを作り、機械で彫る。30カ国以上の人が来店するという。日本に夢を持ってくる外国人ばかりだ。もう何年も何十年も住んでいる人も来る。友達を連れてくる人、彼氏を連れてくる人、語学学校の先生が生徒を連れてきたり。国で、ダンサー、女優をやっていて、恋人と別れて日本に来ている人など。

 いまだに日本は、ハンコ社会のようだ。日本人も来る。最後は、北海道から旅行で来ていた女性。銀行でお金をおろそうとしたら、磁気不良でおろせなくなって、ハンコを作ることにしたのだという。何故なら、珍しい名前だからという。名字が、合掌。初めて聞くような名字だ。そこまで訊いたら、下の名前が聞きたかった。 この前、NHKの『サラメシ』で、変わった食堂があるというのが、やっていて、注文を受けた後に、下の名前を教えてください。というのがあった。何かというと、例えば、焼き肉定食を頼むと、下の名前を訊かれ、出来上がると、太郎さんの焼き肉定食出来ました。と、言って渡すのだ。これが、接客が良いと評判で、特に、男性客にはウケが非常に良い。とりわけおじさんたちは、名字を言われるより、名前を言われた方が新鮮で嬉しいという。接客をやっているのは24歳の可愛い女性。初めは照れくさかったらしいが、今は、お客さんの反応が良いので、楽しんで働いているという。


 5月17日(火) 小雨 8828

 お土産で買っていった、ピスタチオと向日葵の種。ピスタチオは直ぐなくなった。向日葵の種は、1つ1つ種を口に入れ、葉で割って種を出して食べるので時間がかかる。この前は、種を全部割ってしまった人がいたので、割らないように言った。今回は、割らないのでなくなるのが遅い。それを、口に入れ歯で割ってカラだけを出せるようになった喜んでいる人がいた。

 そもそも闘牛場やメトロの中でスペイン人が食べているのを観て食べてみたのは初め。おいしいもんじゃない。でも、つまらない闘牛などの時に、口寂しさを紛らわすことが出来る。初めてサン・イシドロを観た頃は、3日に耳1枚も出ない頃で、1週間で耳1枚だけとか、とにかく、耳が出難かった。毎日口笛と三拍子の手拍子が続いた。良く通い続けたと思う。そうやって、セサル・リンコンの感動的な闘牛に出会えたから、今でも続いているのだと思う。

 録画していた『仕事の流儀 スーパー高校生スペシャル』を観た。牛田智大(ピアニスト)、新垣比菜(ゴルファー)、山内奏人(プログラマー)、松本圭祐(ボクサー)の4人。4人は天才かも知れない。でも、順調にその世界で、名をはせた訳でない2人は、山内君と、松本君。1つのことに熱中するタイプの山内君は、人と接することが苦手だった子供時代。昆虫から始まり、コンピューターのプログラムに熱中し、11歳でプログラムの国際コンクールで優勝する。両親は一切口出しせず、好きなようにやらせてくれた。それから、プログラムで自信がつき、人と接することが出来るようになる。今、ビットコインをプログラムし企業と組んで、立ち上げ準備をしている。

 松本君は、父親がプロボクシングのトレーナー。子供の頃、原因不明の脱毛症で、全身の毛が抜けた。帽子をかぶっていると、それを取られからかわれた。何も出来ない自分。8歳の時に、父親がボクシングをすすめた。スポーツを通して何か自分に自信を持たせたかった。試合でも、スパーリングでも泣いてばかりいた。でも、周りは上手い上手いと誉めた。

 牛田君は、3歳からピアノを初め、ついた先生から楽しく弾くことを教えられる。いつも1・2時間同じ鍵盤を弾きテンポを変えて弾き続ける。それが、楽譜を読んで、新しい解釈の音楽を奏でる。年間50回のコンサートをこなす。追いつめられると音楽に没頭できる。そうすると、自分の全てを音楽に注ぎ込めるという。感性によって、何処を際だたせるせるかだという。

 新垣さんは、去年プロツアーで3試合連続10位以内という記録を出しゴルフ界に衝撃を与えた。東京オリンピックを目指す。幼い頃からプロになり父親に家2軒買ってあげると、言っていたという。父親はトレーナーで、ほとんど誉めない。「NO. NO.」と言い続ける。親子のなれ合いは一切ない。上下運動で安定していないから。最近反抗期。娘は、ここまで来たのは、お父さんのおかげだけど、最近は、うるさいなぁと思う、という。それでも食らい付く。好きだから、負けられない。ずっと夢に向かって続けたい。父親は、始めた頃、妥協はしない。うるさいこと言うけど良いか。と、言って本気で教え始めたという。

 うん、今いいんじゃないの。(厳しくするのは9嫌ですよ。いい思いしませんよ。逆に早く成長して、僕はキャディーもコーチもしたくないですよ。本当はそうですよ。もう何も言いたくないですよ。応援する側にまわりたいっていうのが本音です。逆に応援したいですよ。そばで観て。それが楽しいですよ。

 松本君も、東京オリンピックの金メダルを目指す。現役世界チャンピオンの八重樫や、井上がいるジムに通う。そこでトレーナーをやっているのが元東洋チャンピオンの父親だ。生まれた事が、宝物だから、チャンピオンになって欲しいとか思ってやったわけではない。

 父親の育ての流儀。押しつけない、与えすぎない。やられても、雑草のように、もう1回頑張れる心をつくんないと。自分で考えて、たくましくなってほしいと思って育てていて、だから、与えすぎずに、入れすぎてあふれちゃったら、何にもなんないので。だから、自主性を重んじた。U15のチャンピオンになってから連戦連勝だったが、高校1年の時、決勝で負ける。成長期の松本君は、減量から体調を崩したからだ。

 周囲が階級を上げるように言ったが、聞かなかった。負けたままでは、階級を代えられない。父親はそれを受け入れた。成長期の中で減量を続け、しかもベストコンディションに持って行く。極めて難しい挑戦が始まった。父親について、松本君は、自分の子供の頃、こうされたのが嫌だったからこうしないとか、こうされたことが嬉しかったから、こうするとか、だから、(父親に対して)うざいとかないです。実際こうしてくれているので、ないです。子供心が判ってくれてる。という。

 父親は、病気の事が初めにあったんで、技術よりもメンタル面を強くするように考えた。この子が熱中出来る時間を、作ってあげれればと思ってやってきた。難しいですけど、親の愛情というモノを押しつけすぎず、でも、これだけ愛しているんだよということは伝えてあげた方が良いのかなと思います。でも、年頃になるとうざったいと思うんですけど。

 思い過ごしだろうか?これを観ていて、アントニオ・コルバチョとアレハンドロ・タラバンテのことを思い出していた。最後に観たのは、あの年の5月のアランフェスだったと思う。入場行進前、フランスのテレビ局?かなんかのカメラが2人を撮っている。コルバチョは、タラバンテの前に立ち、ずっと目を見ていた。あんな風にやって、息詰まらないのだろうか?と感じた。それから6月の末か、7月の初め、コルバチョが連絡してもタラバンテから返事がないことを聞き、そして、アポデラード解消になったことを聞いた。

 たぶん、コルバチョって不器用だったんだと思う。子供の頃から住み込みで教え込んだ闘牛士を、親のつもりでやってきただろうに、親ではないので、うざくなったのだと思う。タラバンテは離れていった。ホセ・トマスの仲も、何故こじれたのか知らないが、おそらく、同じような事があって、事象は違うことでも、コルバチョの心情は同じだったのではないかと思ってしまう。僕は、そういう処まで、コルバチョが好きだ。京都に来るように言ったのに、来なかったは、途中で倒れて迷惑かけたくなかったからだと、下山さんから聞いた。

 本来、感謝こそしても、恨むことはないはずのホセ・トマスとアレハンドロ・タラバンテ。超1流の闘牛士を育てた、コルバチョ。テンタデロでタラバンテがクルサードしていると、もっと、もっと、と言っていたという。タラバンテは、これ以上出来ないと、言っても、もっとと言ったと言う。おそらく、そういうやり方が、良い闘牛士を育てる事に繋がっているのだと思う。コルバチョの顔で、タダで牛まで殺させてくれた牧場がなかったら、2人ともこうはならなかっただろうと思う。


 5月19日(木) 晴 13766/2

 札幌から帰ってきたMEGUさんと吉祥寺で、昼食を一緒に取った。お土産を渡す。ヘレスの闘牛の3日間、尻尾が出続けたことなど話す。途中、今年の京都どうするかも話題になった。行ければ秋に1回1泊だけ、行けたら良いな、位の感じで、と言う話になった。なんせ今年はスペインが忙しい最中で、取りあえず、ホテルの予約だけ入れておくことで話がついた。

 喫茶店へ行って話の続き。万希ちゃんが、サン・イシドロへタラバンテを観に行っている話をした。自分が描いた絵を直接手渡して話をしたことなどいい。Facebook の写真など見せた。凄いね、タラバンテと話したんだ。あの写真は、ホテル・ウエリントンだと思う。大体フィグラの闘牛士はあそこに泊まっている。それに入口の脇で撮ってある印象だった。MEGUさんは、斎藤さんの周りは、女の人多いよね。万希ちゃんもそうだし、結衣さんも、THさんも、私もそうだけど。みんな闘牛関係だ。それに、子供頃、小学生の低学年の時って、女の子とだけ遊んでいた記憶がある。女友達って良いでしょう。あたしと斎藤さんは一生の友達だからねと、いわれた。男同士だとあまりそういうことはいわないが、おそらくそうなんだろうと思った。

 それから珍しく、MEGUさんに誘われて井の頭公園を散策した。何年ぶりに来るのだろう。花見の季節は大勢の人が詰めかけると言う。昔、近くの店で働いていたからそれは知っている。めっちゃ混んだからだ。ベンチに座り、実家の母と姉の話を聞いた。母親が一方的に姉をつまらない事で怒る。それを姉が受け流す。毎日そんな感じで暮らしているようだ。そうやって、姉が母の話を聞いているから、母はボケないようだという。あれだけ、パワーがあるから、頭がシャキッとしているという。親子ってそういうモノなのかも知れない。仕事終わって帰ってきて、1日の母の愚痴を聞いてあげて、姉は凄いと言っていた。

 もう一人の姉の話が印象に残った。保険の外交で、80歳の老人の豪邸に、契約で行ったときの話。80歳になると、生き甲斐とか、希望とかそうのはありますか?と訊くと、その人が、教育と教養です。と言ったので、一緒に行った人と顔を見合わせて?と、首を傾げた。すると、80歳の老人が、それは、今日行くところがある。今日用事がある。それが、キョウイクとキョウヨウだと話したという。今日行くところがあるから、今日何かの用事があるから、出かけたり、人と話が出来る。それを毎日大切にしているのだという。漢字に書けば、おそらく、今日行くと、今日用。なるほどなぁと思った。


 5月20日(金) 曇 15222

 また、行く準備している。ヘレスで撮ってきた、ビデオのデータをDVDレコーダーに起こした。時間があれば編集して焼き付けたいが、時間があるか問題だ。18日タラバンテが、難しい牛で耳1枚。テレビの解説がセサル・リンコンだったと、THさんが教えてくれた。その中で、カポーテ後、全ての牛に、長所と短所をあげていたと言う。どんな牛にも良い部分と、悪い部分がある。それを引き出すのが闘牛士なのだという事なのだろう。

 セサルの牛を観る目を絶大に信頼している。根本的な部分で上記のような事を言ったのだと思う。牛の良い部分を引き出すことは、全ての闘牛士が出来ることでない。また、良い闘牛士でも、全ての牛に対して出来ることでもない。そういう葛藤が、闘牛士の中で渦巻いているのだと思う。そうすると、自然に、闘牛士のタイプが決まってくる様な気がする。器用な人は、自分の闘牛のタイプに引き込めるし、モランテの様に、本来の自分の特性を捨てて、ドゥエンデの闘牛士になる人もいる。ああいう風になると、ダメの時に、自分気持ちが楽だからだ。罵声を浴びても、トレス・アビソでも、恍惚の表情を浮かべ、悦に入ることが出来る。

 ホセ・トマスや、セサルの様に、牛に合わせる闘牛をしているクラシックな闘牛士が、やっぱり好きだ。今、その方向に、ロペス・シモンがいると思う。また、タラバンテも、今回のサン・イシドロで、そういう資質を見せつけた。ホセリートも同系統だと思う。どうも、こういう闘牛士が好きだ。その牛に合わせて闘牛をやることで、その人の人生が見えて来るような気がする。そういう闘牛が観たいのだ。闘牛士の闘牛から、人生を観たいのだ。だから、感動するのだと思うのだ。

 闘牛の深さは、何も、パセの形だけで表現されている訳でないと思う。その人の人となりが、闘牛に反映されているのだと思う。そういう闘牛が観たい。


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