−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行の滞在日記です。
6月21日(火) 雨のち晴 19182
サン・イシドロで撮ってきたビデオをDVDにダビングしながら、ネット『京都人の密かな愉しみ 冬』を観た。間人(たいざ)蟹が美味そうだった。蟹みそに身を入れたモノ、食べたい。それと、何でもない、初午(はつうま)の時に食べる、いなり寿司と畑菜のからし和え。常磐貴子が、畑菜を食べる時の、サクサクする音が食欲をそそる。昔、「柴漬け食べたい!」というCMがあったが、あれと同じで食べたくなった。
大晦日、京都中の寺が除夜の鐘をつく。それがうるさいと目覚めるエミリー。なんなのよ。本当に百八も鳴らす必要があるのか?煩悩の数だけ鳴らすらしいが、だとしたら日本人は世界一悩みの多い国民だ。こういうのは、日本人とは全く違う感覚だ。除夜の鐘をうるさいと思うこと自体、あり得ない感覚だ。エミリー曰く、この女をどう表現すべきか。煮ても焼いても食えない、文化的秘密結社の一員。またの名を『京都人』。・・・これはわたしの持論だけど、この世には二種類の人間が存在する。京都が好きな人間と、そして、嫌いな人間。
うーん。白みそのお雑煮、京都へ行って食べてみたい。
6月22日(水) 雨/曇 4416
先日、サントリー美術館で、広重ビビットを見てきた。原コレクションからの出展で、初摺りの広重が並んでいた。驚いたのは、色の鮮やかさだ。保存状態が良いのだが、初摺りだとこんなに鮮やかなものかと、感心した。それと、版木の木目が、そのまま浮世絵に写っていた。これは、さらにビックリした。考えてみれば、カンナがけした版木の表面に彫り師が、彫る。すると、当然そこに木目が出る。でも、いままで浮世絵を見ていて、そんなものを見た記憶がない。
だからこそ、初摺りなのだろう。ある絵の前で老女が、この展示方法だと、良く判らないと、つぶやいた。何を言っていたかというと、空彫りという技法についてだ。彫った処は、鳥の羽の部分で、そこに凸凹をつけて立体的にしている。色が塗っていない。それが、平面的な展示をしているので、なかなかそれば分からないのだ。そのことを、老女が言っていた。うーんと、思った。浮世絵の技法というのは、おそらく相当深い。いろいろな技術を使って、作られていた事が伺える事を感じられる一つなのだろうと思ったのだ。
闘牛のDVDの編集は、今週中に完成させようと思っている。
6月24日(金) 曇 20021/2
イギリスの国民投票で、EU離脱が多数に成ることが確実になったと、BBCが伝えたという。非常に大きな決定になる。世界経済に与える影響は、非常に大きなものになるだろうと思われる。キャメロン首相は辞意を表明した。円相場は、一時、1ドル99円台に上昇し、株価は1000円以上下落した。日本では、参議院選が始まった。町中ではスピーカーから出る、聞きたくない音がうるさく聞こえる。新聞では、アベノミクスを問うとか書いているが、いったい何をやったというのか?しかし、時期が来れば選挙がある。今年はまだ、台風が発生していないという。雲の動きを見ると、フィリピン付近で雲の動きが活発になってきた様だと、テレビで言っていた。
6月25日(土) 雨/曇 5565
闘牛ビデオ上映会用のDVDのチャプター打ち終了。24日アリカンテの闘牛が終わった後に、ホセ・トマスの動画が、ネット上にアップされていた。しかも、スペイン人が闘牛場で撮ったモノを、ピカやバンデリージャも入った状態でのアップだった。おかげで、ホセ・トマスの闘牛がちゃんと観れた。やっぱり、満員に出る闘牛士だと言うことを証明している。毎回毎回剣を決めて耳を取っている。それだけでも凄いことだが、闘牛の内容が素晴らしい。それが凄いことだ。
マンサナレスも良いファエナをしたようだ。ラス・ベンタス闘牛場のプエルタ・グランデが自信になっているようだ。ロペス・シモンもアリカンテで良いファエナをした。これから夏に向けて、闘牛が楽しみだ。こういう風にみんなが頑張ることが重要だ。ポンセのフランスでのウニコも、昔の焼き増し(べーリー・スペシャル・ワン・パターン)であるが、牛の前でムレタの先を動かして牛を誘うやり方は、ハビエル・コンデのやり方だが、好きなやり方だ。ポンセは、観客を喜ばせる壺を知っている。24年フィグラを伊達に張っていない。
THさん、フランス人がポンセのファエナを観て、みんな泣いていたと、言っていた。昔に比べると大分、フランスでも闘牛が浸透してきたと言うことなのだろうか?闘牛観て、泣いたことありますか?そういう質問をしたことがあるが、そういう風になると、闘牛が体に刻まれている証拠だ。ポンセ観て泣くと言うことも、良いではないかと思う。一杯観て、一杯いろんな事を感じ取って欲しい。
今年のキーワードは、あれから25年。そう25年前の宝塚記念を勝ったのは、メジロライアン。ちょうどスペインに闘牛を観に行っていたので観ていないし、馬券も買っていない。それでも、初めに好きになった馬がメジロライアンだった。鞍上は、横山典弘。そういうのを記念するわけではないが、今年は、1枠2番のアンビシャス横山典弘から行きたい気分だ。3番人気だけど・・・。
6月26日(日) 晴 5065
昨日、アリカンテでエスクリバノが、剣刺しでコヒーダされた。太股を刺されたのかと思ったら、睾丸付近を刺された。映像では、玉が飛び出ているような感じだった。医師の診断書は、難しいスペイン語。どう訳して良いのか・・・。太股の静脈の出血、陰嚢表面を失い、左睾丸が飛び出したのか?摘出?いずれにしろ重傷。6月12日のラス・ベンタス闘牛場のノビジェーロでも2つのコヒーダがあった。一人は、陰嚢10cmの角傷。一人は、右太股の大動脈を刺される重傷だった。翌週も、ラス・ベンタス闘牛場でコヒーダがあった。そのいずれもが、剣刺しの時だった。
今日は、宝塚記念。WINSへ行ったが、直前で指定券が売り切れ。カフェで宮さんと話をして、帰ってきた。来週再チャレンジすることになった。宝塚は、まさかの馬が勝って、ドゥラメンテは、レース後デムーロが下馬した。足元に違和感を感じたからだろう。馬運車で運ばれた。おそらく、凱旋門賞へは行けないだろうと思う。
6月27日(月) 晴 8922
もの思い、じゃなくて、ものもらいになったようで、眼科に行った。右下まぶたの裏側に球体状に脹らんだものがある。医者の診断では、目にはいくつも涙腺の一つに細菌が入った様ですという事だった。目薬を処方しますので、1日4回さしてして下さい。と言うことだった。それなのにまだ、調剤薬局へ行っていない。
6月28日(火) 雨 5115
ビデオ会用DVDの編集が終わった。と言っても、もう一つ工夫したものにしようと、考えがある。それを加えてDVDを見せようと思う。昨日から、ネットでイチローの動画を観ていた。本当に凄い人というのは、こういう考え方をするのかと思った。絶好調というのは、スランプの時にいう言葉だという。何故なら、説明のつかないヒットが続くからだという。説明が出来るヒットの時は、絶好調とはいわないのだという。自分の打撃に迷いが生じている状態の時、説明のつかないヒットが続けば、それが、絶好調だとイチローが言った。そういう状態で月間50本のヒットを打つのだという。こういう風に、行くところまで行っている人の話は、解釈が難しい。が、非常に為になる話だ。おそらく、ホセ・トマスも同じように、常人では理解できない感覚をもって、闘牛をやっているのだと思う。
6月30日(木) 曇/雨 18461/2
基本というのは、大事だと言うことを誰でも知っている。イチローは、そういう当たり前の基本を大事にする。投げるとき、出来るだけ胸が相手に見えないようにして投げる。そうすると、球の切れもコントロールの良くなる。溜が出来威力が増す。右ピッチャーの投球動作で、左手を投球する方向に一旦伸ばしそれを引きながら右腕で投げる。この時、打者に対して胸が出来るだけ遅く見えるようにしなければならない。そうすれば投げる腕が、溜を作り振れる。腕が遅れて出てくるのに、球は速い。この時、右肩と左肩は、地面に平行でなければならない。イチローは遠投でも同じだという。いわゆるレーザービームの時でも、70m〜80mの遠投でも、右肩と左肩が地面に平行にして投げるから、ピッチャーが投げる球の延長のような、矢のような送球が出来るのだという。
同じ事は、バッティングでも言っている。胸をピッチャーに見せないようにするために、ネクストバッターズサークルで素振りをする。構えたバットを下から上に振り上げるような素振り。これは、胸を出来るだけ見せない様にするためのルーティンだという。グリップを最後まで残す。バッティングの基本は誰でも知っている。グリップを最後まで残すといろいろな球に対応できる。球を見極めることが出来る。グリップを残すと、胸はピッチャーには見えない。そして、最短距離でバットを振るのでない。その球にあった軌道でバットを振る。だからだろう、詰まってもヒットにする技術ももっている。というより、詰まってヒットにする技術を身につけた。
もう一度確認しよう。基本が大事だと言うことは誰でも知っている。でも、知っていても、出来ない人が多い。プロでも知っていても出来ない人は多い。それをきっちとやれる人が、1流の中の1流なのだろう。こういう事を考えると、1流の人というのは、基本をきっちり実践している人の事を言うのだろう。それは、おそらくどの分野においてもそう言うことがいえるような気がする。多分、ものを観たり、感じたりするとき、基本が判っているかどうかを観ているのだと思う。基本を実践している人に共感を得るし、それを心地よいと思う。その延長線上に、感動が存在する。
闘牛は存在自体が感動だ。しかし、クルサードすること。牛との距離。牛の特性を見極める目を持っているいるかどうかを、トレアールの中で感じられなければ、ドーパミンの発生は少ない。だからといって、何も知らなくても、感動できるのも闘牛である。両極が存在し、いつも人はその間に彷徨う。彷徨っているから、一つ一つ確認したがる。
おそらく、行くところまで行った、イチローでさえ毎試合一つ一つ確認しながらプレーしているのだと思う。そういうことも感じながら、何かをしたいと思う。
7月1日(金) 曇 4201
明日の準備をしながら、映画を観ている。部屋をかき回して、出てきたビデオをデッキにセットして見出したら、これが面白い。夕飯を食うのも忘れて観ていた。これって明日、使えるのだろうか?不明だ。編集したDVDをまだ焼いていない。焼いてから、ゆっくりしよう。こんな調子じゃ、明日は、競馬どころじゃない感じだが、どうなるか・・・。
7月3日(日) 晴 10033/2
昨日今日と暑い。そんな中で、昨日の夕方、練馬文化センターで、スペイン闘牛ビデオ上映会を開催した。始めてきた人が2名。THさんのお父さんと、HP読者で、Facebookから来た、Sさん。オープニングは、元ちとせの『いつか風になる日』で、1部は始まった。闘牛は、6月1日のベネフィセンシアから、ロペス・シモン(耳2枚)、マンサナレスのグラン・ファエナ(耳2枚)。サン・イシドロの話などしながら観た。次が、5月6日ヘレスのタラバンテ(耳2枚)、ロペス・シモンのインドゥルト(シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ)。
休憩を挟んで2部は、ザ・バンドの『The Weight』をかけて、自己紹介をして貰った。THさんのお父さんから娘がお世話になってと言われ、恐縮した。Sさんは、演劇関係のプロデュースをしている人だという。演劇関係とは思っていたが、そういう人が来るのは珍しい。闘牛は、5月7日のヘレスのホセ・トマス。耳2枚と尻尾1つ、耳1枚のファエナ。それから、昔のサン・イシドロのホセ・トマスのファエナ2つ。98年のプエルタ・グランデと、97年初めてのプエルタ・グランデ。当時のラス・ベンタス闘牛場の熱が伝わるビデオだった。
終わってから、THさんのお父さんは用事があるようで帰り、残った人で飲みに行った。久々に、鈴鹿から浜さんも駆けつけ、みんなで楽しい話をして飲んだ。
7月4日(月) 晴のち雨 5771
積乱雲が急に発達して、突然の雨。土砂降りの雨が過ぎると、蒸し暑い陽気になった。冷房のかけ過ぎや、変な天気のせいで体調を崩す人がいる。39度の熱を出して寝込んでいる知り合いがいる。寒いと思ったら冷房の温度設定を上げた方が良い。朝歩いていたら、植栽を手入れしていた植栽屋。綺麗に形を整えるために刈り込んでいたが、そのために紫陽花やラベンダーの花などが切り取られていた。ああいうのを観ると、せめて紫陽花の花はそのままにして欲しいなぁと思った。
土曜日、会の後の飲み会で、万希ちゃん言っていた。日本語の闘牛の観戦記をちゃんと書いているのは斎藤さんの処だけだけど、最近は、読まないようにしている、という。何故なら、影響を受けすぎるからだという。それを訊いて、2つの事を思い出した。1つは、昔、闘牛の会で、闘牛を観てきた時の感想を発表した事があった。その時に、当時のHPに書いていた闘牛観戦記の様式で、発表する人が複数いた。当然、このHPを読んでいての発表だったのだ思う。その時、そういう様式を無視して自分の感想を言うのだとばかり思っていたので、ビックリしたのと、こうなうのかと、自分の影響力に複雑な思いをしたことがある。
そして、その時に、フランソワ・トリュフォーの事を思い出した。彼は映画監督をする前に、映画評論をやっていた。非常に過激な批評で、映画監督たちに恐れられた。批評が書かれていたのは、『カイエ・デュ・シネマ』。その雑誌が評判になって多くの映画雑誌が創刊され、映画批評も展開された。そこには、『カイエ』と同じように3つ星で映画の評価をして、評論が短文で書かれているスタイルが真似された。
トリュフォーは、それを観て、失敗したと思ったという。スタイルを真似ても、その批評が、独善的であったり、思い違いが激しすぎたりで、ただ映画を批判するだけで、映画批評と、映画をただ対立させるだけの内容にガッカリしたからだという。未来の映画に対する展望がそこに書かれていないことに失望したと言う。そういう話を思い出した。狭い世界で、まっとうな事を書き、未来に希望を持っていても、後から続く人たちがいなければそれは、そうなってしまう。失望のトリュフォーがその後、映画監督になり、ヌーベルバーグの旗手のように、フランス映画界に新風を巻き起こす事になる。
ただ、そこで思ったのは、いろいろな記事や、映画を観て、一つ一つの映画を味わうことが出来なければ、独善的で、独りよがりで、非常にバランスが悪い映画観になってしまう。トリュフォーはそこを嘆いている訳だ。それは、闘牛に置き換えてみても同じだと思う。スペイン語の新聞をちゃんと読めないが、その中で、気づいた事は、新聞に載っている剣刺しの記述は、おおむね正確である。カイーダ、バホナッソ、コントラリア、テンディダなど、ちゃんと書かれている事が多い。牛に対する評価は、大体あっていると思うが、難しい牛に対しては、個性が表れる。そういう差異を自分自身で感じる必要がある。何が際だち、何が足りないのか、そして、何と何が合わさっているのかを、感じる必要がある。
思ったのは、万希ちゃんが、タラバンテの闘牛を観て感じた事を、もっと客観化する必要があると思う。自分が感じたことが本当にそれで良いのかという事を、いろいろなもので、検証する必要がある。少なくても、2つ以上のもので、自分が感じたものに当てはなるものがあるかどうかを、見つけた方が良いと思う。それが独善的にならない1つの方法だ。また、基本に戻って考えること。そういう繰り返しが、自分独特の物の見方を養うのだと思うからだ。それと、タラバンテだけじゃないんだよなぁってこと。そういうことも基本的に感じて闘牛を語って欲しいと思う。また、タラバンテが良いというなら、何処がどのように良いかと言うことを、第三者に客観的に説明できなければならないと思うのだが・・・。
7月5日(火) 曇一時雨 4724
床屋に行ってきた。京都では、祇園祭が始まっている。今日は、北からの寒気が、関東まで降りてきて涼しい。昨日までは、東京は暑かった。北海道は、10度以下という処が多かった昨日。日本列島は長い。東北で祭りが始まるのは、8月。土曜日の、『ブラタモリ』は、会津だった。会津人はアイディアマンとかいうお題だった。あれを観ていたら、会津に行きたくなった。『八重の桜』を放送してから2・3年経ったので、そろそろ観光客も落ち着いて良い頃だろう。高野山に行こうかと思っていたが、今年は、『真田丸』で、昌幸・信繁(幸村)が高野山入口付近の九度山に幽閉されていたので、観光客が多いだろうと思って、行くなら会津かと思ったが、交通の便が悪い。郡山から電車か、バスで会津若松へ行くという感じ。ちょっとなぁ・・・。
それなら、東京でのんびりした方が良いかと思ってしまう。そう部屋の片付けもやらなきゃ。今週でどれだけ出来るか。6月30日は、水無月を食べて、半年の穢れを落とす、厄払いをし、あと半年の乗り切ろうと、いにしえ人にならったが、あと半年、乗り切れるか勝負になる。そのために何をすべきか、何を準備するのか、行動で示そうと思う。
7月6日(水) 曇 4251
本当は、スペイン闘牛ビデオ上映会で流そうと思って観ていた、映画、『カルメン』が2つある。1つは、1部の初めで流そうと思っていた、フランチェスコ・ロジー監督の、『カルメン』からジュリア・ミゲネス・ジョンソンの歌う『ハバネラ』。カルメンが歌うときに周りで踊るのは、アントニオ・ガデス舞踏団の面々。オペラとフラメンコの融合が、スペインロケで開花するシーンだ。演奏の素晴らしさと、歌と踊りが実に上手い具合に調和している。傑作映画の最高の見せ場になっている。
もう1つは、カルロス・サウラの、『カルメン』。これは、アントニオ・ガデス舞踏団がやった『カルメン』が基になっているのだろうが、アントニオ・ガデス、クリスティーナ・オヨス、そして、ギターのパコ・デ・ルシアが出演している。オペラの、『カルメン』を聴きながら、パコ・デ・ルシアがギターを弾いて、フラメンコを踊る、アントニオ・ガデスと、クリスティーナ・オヨスが素晴らしい。それを2部の初めに流そうと思っていた。
しかし、実際にはビデオデッキがなかったので、使えなかった。この2つの映画は、日本公開が1970年代。どちらも、新宿歌舞伎町にある東急シネマスクエアーで上映された。その時に映画館で観た。フランチェスコ・ロジーの、『カルメン』は、闘牛のシーンで始まり、闘牛のシーンで終わる。上記の『ハバネラ』の他にも、カルメンがドン・ホセ役のプラシド・ドミンゴを誘うシーンで、脇毛を出して歌い踊るのが、妙にリアリズムを感じて印象に残っている。
カルロス・サウラ監督の『カルメン』は、とにかくビックリしたのは、クリスティーナ・オヨスの踊りの上手さ。手の動きをカルメン役の若手に教えるシーンでの、手の表情はもの凄い。その後に、若手が手を動かすが、これは、ホセ・トマスと、ノビジェーロほどの違いだ。それと、腰から上の上半身を前屈みした状態を保ちながら、2回転するを観たとき、ゾクッとした。こんな事、人間が出来るのかという、感動が沸き起こったのを覚えている。そして、パコ・デ・ルシアのギター。音を聴いて、その音をギターで出せる。この人は天才ではないかと感動した事を覚えている。こんなギターを弾けたら、人生楽しいだろうなぁと思った。
スペインを知らない頃だし、闘牛も知らない。プラシド・ドミンゴも知らなければ、アントニオ・ガデスや、クリスティーナ・オヨスも、パコ・デ・ルシアも知らない状態で観ていても、非常に印象に残る2つの映画だった。
7月7日(木) 晴 11540
今日は七夕。竹に願い事を書いた短冊がかかった物が、一杯町に溢れている。願い事は、1つ書く事になっている。職場の女性が、願い事を1つなんておかしい。いくつ書いても良いでしょう。と、言っていた。だから、いくつも書くと、願いが薄まるからと言ったら、♪唇つんと 尖らせて♪って感じで納得していない表情だった。
それを観ながら、あれっと思い出したのが、『京都人の密かな愉しみ 夏』で、いつもお茶を入れてくれる事務員が、井戸から水を汲んでお茶を入れていて、その井戸から汲むときに、願い事をしていることが判る。その願い事は、いつも同じ1つのことを願っていた。それを訊いた専務が、女の人は潔いなぁ、たった1つねぇ、男なんか、1つなんて選ばれへんわと、言う台詞を思い出した。
ところで、○○短冊になんて書くの?と訊くと、そりゃーもう、金が欲しい、しかないですよ。と言うので、夢がない男だなぁと思った。短冊は書かなかったが、出先にあったお宮で、お祈りしたときは、秋の事をお願いした。上手くいくようにと。
折角、家に帰ってきたのに、鍵を職場に忘れたことに気づく。また、戻って取ってきた。何やっているんだと思いながら、こういう事も楽しまなきゃと思った。
7月8日(金) 曇 15728
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。 」 ーー平塚らいてう『青踏』発刊の辞ーー
戦後の混乱期に、女学校時代の学友の綾を訪ねると、大家から罵声を浴び、惨めな生活をしている姿を観る常子。手に入れた木綿を、子供のおむつに使ってと渡す。頭を下げ「ありがとう」といい受け取る綾。そして、2人になってから、「どうしたの」と常子。「本当はあなたに、家に来て欲しくなかった。こんなに惨めな暮らしをしているって、あなたに見られたくなかったの。母だってずっとあんな感じよ。口数は減って、いつも暗い顔して、口を開けば口論になるばかり。こんなつらい状況で、何のために必死になって生きているのか。ごめんなさい。」
そして、行李から『青踏』を取り出す。綾は惨めな生活の中で、女学校時代に、東堂先生から教わった平塚らいてうの、「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。」この言葉を思い出すと元気になるのと、いう。「あれからもう10年近く経つけど、私はいまだ、この言葉の通り・・・太陽じゃなくて月のままだわ・・・。だけど、この言葉があるから耐えられてるわ。女は元々太陽だったって思うと、いつか私も太陽にって。元気が出てくるの。おかげてすっかりボロボロだけど(雑誌青踏)、私にとってこれが、唯一の心の拠り所」
綾の姿を観て常子が、女の人の役に立つための雑誌を出版しようと決意した瞬間だった。その気持ちを、甲東出版で辞表と共に、谷社長、五反田などに伝える。谷「どうして」常子「理由は2つあります。まず1つ目は、お金です」「お金?」常子「はい。時代がめまぐるしく変わって行く中、今母と妹は職がなく、私一人の稼ぎで暮らしていくのは、とても厳しいです。このままでは、私はみんなを守れません。だから。そして、2つ目は、本を作りたいからです。五反田さん以前、作りたい雑誌を作ろうと、おっしゃいましたよね」五反田「あっ、うん」常子「あの日以来、私ずっと自分が作りたい物は何か、考えていたんです。それで、今までの自分の人生を振り返って、頭の中で思いを巡らせていたら、ようやく答えが・・・」谷「ちょっと待ってくれ。だったら辞めずにここで本を出せば良いじゃないか」
常子「雇って頂いている立場では、たとえ本が売れても、稼ぐことが出来ません」谷「なんだ。どういうことだ」常子「自分で会社を作って出版しようと思うんです」谷「・・・こりゃー驚いた」五反田「教えてくれ、君が作りたい本というのは、一体・・・」常子「女の人の役に立つ雑誌です」谷「女の人の役に・・・」常子「戦争が終わった今、逞しく前を向いて必死に生きている女の人がいる一方で、戦争で翻弄されて、苦しんでいる女の人が、日本にはまだ数多くいると思うんです。物がない、お金がない、どうやって生きていけば良いのか判らない、こんな状況で、戦争によって非道い目にあった女の人の手助けをしたいんです。だから」谷「そんな彼女たちの役に立つ雑誌か」常子「はい」谷「しかし、女の君にそんなことが本当に出来るのか。だいいち会社を興すお金はあるのか」
常子「いえ、蓄えはあまりありません。なのでまずは、小規模な雑誌になると思います」「女が出版社を興す。訊いたこともない。失敗する可能性もあるんだよ」常子「それは判ってます。でも、このご時世、もうすでに失敗しているような物じゃないですか。だまって配給を待っていたら、餓死してしまうような世の中ですよ。闇市に行けば、私たち女のお給金と同じか、それよりも高い値段で、お米や日用品や食料品が売られています。このまま何もしない方が、怖いと思ったんです。それに、もしこの賭に出て当たれば、大金持ちになれるかも知れない。今まで苦労かけてきた家族を、喜ばすことが出来るかも知れない」五反田「ハハハ、大金持ちか。どうやら覚悟は決まっているようですよ」谷「ああ」常子「今まで沢山お世話になったのに、すみません」谷「確かに。世間が滅茶苦茶な今こそ、好機かもしれん。君がそう思ったのなら、やれるだけやってみろ。失敗したら、また戻ってくれば良い」常子「はい。皆さんに教わったことを糧にして、一生懸命頑張ります」。ようやく溜まっていた録画が今に追いついた『とと姉ちゃん』。
7月7日パンプローナの闘牛について。ダイジェストの動画を観た。ダイジェストという限定された物だからはっきりは判らないが、思うことがあった。アベジャン、パコ・ウレニャ、ロカ・レイ。ロカ・レイが耳1枚、耳2枚でプエルタ・グランデした。ロカ・レイは初めの牛で、コヒーダされた。耳1枚のファエナは良いとして、最後の耳2枚が?と思う。問題は、パコ・ウレニャのファエナは耳に値すると思う。が、オーレがならない。ちゃんとやっているように見えるのだが・・・。アベジャンのファエナですら悪くない。ただ、パセの時に牛が体から遠い。パセ・デ・ペチョなんか尻を後ろに引いて、手を思い切り外に出しているような感じだ。昔のアベジャンじゃない。それに比べれはよく判るが、パコ・ウレニャは、ちゃんと闘牛をやっている。それなのに、パンプローナの観客には、ちゃんと観る気がないような、そんな感じだ。闘牛とは、主観的な見方と、客観的な見方がある。祭りの浮かれた観客には、パコ・ウレニャの闘牛は目に入らないようだ。闘牛士のブランドとして認識されていないと言うことだろう。残念だが、こういう闘牛の判断をするところも少なくない。
7月9日(土) 雨のち曇 7034
朝から雨が降り今日は涼しい。競馬は道悪での開催だったが、順調な内容だった。こういう状態だと秋が楽しみだ。夏の暑い時期に、いろいろな物を仕込んでいきたい。そうすれば、楽しい物が出来るだろう。後は、出来るだけ友達とWINS通いがしたいが、なかなか難しい物があるようで、行けていない。取りあえず、やれることをやっていこうと思っている。
日本は梅雨だが、スペインはサン・フェルミンが始まっている。8月9月のカルテルが発表になってきている。ホセ・トマスは、ウエルバとサン・セバスティアンまでしか決まっていない。他に出場する処があるのかどうか・・・。
7月10日(日) 晴 4955
闘牛士が死んだ。コヒーダされアレナに落ちた後に、左角が腹に入り、そのまま腹をえぐられるように角を振られ離れた。うつぶせになったまま、ピクリともしない。抱えられて医務室に向かった。おそらく、この時点で、死んでいたのだと思う。ほぼ即死状態だった様だ。たぶん、肝臓をやられたのだろう。ビクトル・バリオは、テルエルの闘牛場で、29歳の生涯を終えた。この日、3頭目の牛で、事故が起きたため、そのまま闘牛は中止された。
facebook では、闘牛士たち、アフィショナードから、書き込みが多数寄せられている。うーん。ところで、Facebook の書き込みで、綴りを間違えたと思ったら、こういう事になって、部屋では、ブラウン管のテレビがついに寿命のようで、横に線が多数入って、まともに観れる状態ではなくなった。
7月11日(月) 晴 7843
ビクトル・バリオの死を悼み、10日パンプローナ、マドリード、ラス・ベンタス闘牛場では、入場行進の後、1分間の黙祷が捧げられた。パンプローナでは、当日一緒に闘牛をやっていたクーロ・ディアスが、ビクトル・バリオに牛を捧げた。これは、天に向かってモンテラ(闘牛士の帽子)を掲げて行われた。
先日、根津美術館に行ってきた。若き日の雪舟。作品数は少なかったが、面白かった。それと、ここの庭が良かった。東京にこういう庭があるのは良いなぁと思った。暑いのに、庭の木陰は、涼しい風が抜けて、ホッとする空間がある。一つ、京都のようにいかないのは、周りを走る自動車の音が聞こえるのが、惜しいなぁと思った。
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