断腸亭日常日記 2016年 8月 その1

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行滞在日記です。

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 8月23日(火) 晴 11212

 台風は通過しそれなりに暑くなっている。誰かが言っていた。自分はこれだけやったのに、何で?と、思うようじゃ心が出来ていないという。柔道の選手かレスリングの男子選手が言っていた。世界一練習した人間が金メダルと取ると思っているので、4年後は世界一練習して金メダル取りたいと、銀メダリストが言っていた。つまり、これが、心が出来ているのだと言う。これは立派なことで、前向きだ。そして、大変なことに挑戦するにも関わらず、それを克服しようという意志が感じられる。

 自分はこれだけやったのに、何で?と、思う人はそれでも努力した人。ほとんど何の努力もしないで、プライドがないからと言い訳する人を見ると、何をどう言えばいいのかと、一瞬言葉を失う。それが、個人的な事に限定されるのであれば、それでも良いだろう。周りで一緒に仕事している人間にとって、影響は甚大だ。朝から気分が悪かった。「だったら辞めろよ!」と、若いやつの声を荒げたが、そういう風に言われるようなことをして、開き直り、逆ギレ状態。ガキに話をしているんじゃないのにと、思ってしまう。

 20日葬式のあと、法事。いとこが来て、母の弟が今朝死んだことを伝えた。盛岡に帰ったとき、叔母が来て、余命3ヶ月で、祐ちゃんの声が聞きたいと言っていたので、電話番号を教えて欲しいと言ってるというから教えた。電話がかかってこないから、おかしいなぁと思っていた。法事の後、叔父さんに会いに行った。最後の別れだ。そうしたら、1番年上のいとこが東京から来ていた。そしてこんな話をしていた。

 1週間前電話がかかってきて、法事の席順とか全部決めたから。と言われたので、そんなこと決めないんだ。というと、叔父さんは、だって暇だがらよと、言ったそうだ。当然、俺や弟の席も入っているのだろう。予想に反して、叔父さんはふくよかだった。食べれなくなって、液体しか取れないと言っていた割には。顔に黄疸が出ていた。ガンが肝臓にも転移していたからだ。いとこは双子だが、女の方は泣いていた。葬儀屋に聞いたら、先週叔母さんが相談に来ていたことを知る。


 8月24日(水) 晴一時雨 15461

 昨日もそうだが、晴れているのに雨がザーと降る。地面から這い出した蝉の穴が雨でふさがっている処がある。蝉も大分減ってきた感じだ。オリンピックのメダリストたちが、帰国した。さっき、選手団がホテルで会見を行った。こういうのって、他の国ではやるのだろうか?メダリスト全員がそろっての会見。短い言葉だったが、選手それぞれの思いを語っていた。メダリストの顔は、みんな良い顔をしているなぁと思った。

 20日叔父さんの処に向かう途中、高校の同級生に電話した。直ぐに切れる。何なんだろうと思っていたら、スマホに代えたばかりで、慣れなくて電話が取れなかったという。おいおいそれかよ。それから、待ち合わせ時間と場所を聞く。そして、いとこたちと別れて、弟に映画観通りまで送って貰い、電話をかけて向かえに来て貰った。おー、○○○○か。変わってねぇなー。○○○○は、高校までの呼び方だ。

 そして、同級生が待つ飲み屋に行った。向かえに来たTHは、高校の時に仲が良かった奴で、母親同士も交流があったが、THの母親は、亡くくなっていることを知った。店は盛岡では有名らしい。再会のメンバーは、SNは、サッカー部で一緒にやっていた。二人とも途中で辞めたけど。でも、爺になりすぎて初め判らなかった。奥にミュージシャンの写真など撮ってカメラマンをやっているYY。もうすっかり白髪になっている。その右が、全部白くなったKK。大槌町からサッカーやるために来た奴で、キン肉マンだった。YYとは、一緒にバンドを組んでいたが、KKとも一緒にステージに上がったことがある。KKはDFだった。そして、Mi。変わらないので直ぐに判った。声も変わっていない。

 今の状況や高校時代の話をした。1年の時に遠野に遠征したときに、初めて会った斎藤重信先生の話をしたりした。あの当時から目がギラギラしていた。怒鳴られた思い出話した。そしたら全国優勝した時のキャプテンが、藤村の息子だという。何となく顔も似ている。今J1ベガルタ仙台にいる。実はそうじゃないかと思っていた。早くレギラーになって欲しい。Jリーグ開幕の頃、2つ上の先輩の菊池光悦さんが審判をやっていた。その同学年には市立の監督になった成ヶ沢さんがいた。留年したので学年は1つ上だった。成さんが監督をやったから市立は全国大会に行くようになった。また、一つ年上の同級生だった、幸二はゼブラの監督をやっていた。

 SNが言っていたが、成さんから電話がかかってきてコーヒーを持っていった話をしていた。学校一やんちゃだった成さんが教員になって丸くなったという。成さんとKさんは独特の雰囲気があった。成さんは怖いと言うより、近寄りがたい感じだったし、Kさんは気さくな感じだったが、何考えているか判らないような処があった。KKは、中学がKさんと同じなので仲が良かった。大槌町は、東日本大震災の津波で大きな被害あった。KKの家族も死んだ。それでも、こうやって会って話していると、それを感じさせないようにしているのだろうと思った。あとからMaが仕事を終えてきた。

 同級生だけでなく、他のクラスの話もした。SNの娘がやっている飲み屋に行くことになった。1分くらいの処。若い女の子がいるところ。SNは高校の頃から、同棲していたからか、娘がこういうところで働いているを、全然恥ずかしいとか思わないところが良い。めっちゃ明るい子。帰る頃には来年、同級会か同窓会をやるので、来るように言われた。それも良いだろうと思った。でも、こいつらが話をまとめないと・・・。2・3時間くらいじゃ話を終わらないよなぁ。喪服で同級生と会って話するのは初めてだが、こういうときでなければ、会って話が出来なくなったのだと思った。おかしなもので、YYもKKもケイタイの俺の名前は、高校時代の○○○○の呼び名で登録しているという。おかしなもんだよなぁと、思った。


 8月25日(木) 晴 8761

 テレビで天気予報を観ていたら、蝉の鳴き声が聞こえた。おかしいな、外で鳴く声がこんなに聞こえるはずがないと思った。天気予報が終わったら、蝉の鳴き声もやんだ。それって天気予報の効果音的に使っていたようだ。今日は暑いということを音声で判らせると効果を狙っているようだ。

 夜中、ふと思い出したようにパスポートって何処だっけと?それで、あわてて探した。部屋の整理で物をいろいろ動かしたので、あちこち探したが出てこない。万が一、無いとなると、今からでは手続きしても出発までは間に合わないだろうと思った。ちょっと本気になって探そう。明日でも良いではやぱいと思った。冷や汗をかきながら探していたら、ちゃんと出てきました。何だそんなところにあったのかと、思うところから出てきて、笑みがこぼれた。荷物など準備のすすめようと思う。


 8月26日(金) 晴 19528

 スペインから戻った結衣さんから電話があった。カステージャの話などした。後ろ髪を引かれるような思いで、スペインから帰国したのが判った。カステージャの調子は、去年に比べて落ちていると言うことだ。ファエナのやり方がどうもあれで、イライラを感じるようなファエナで、上手くいかない。ロカ・レイとかに煽られている様な状態が続いていたようだ。最後のクエンかでは、目の前でインドゥルトされたからか、ようやく牛の動きに合わせてのファエナをやっていたのが、救いで、これから良くなるような雰囲気があったというようなことを言っていた。だから、もうちょっと観ていたかった様だ。

 タラバンテは、もうロカ・レイやロペス・シモンに振り回される様な事はなく、自分の闘牛をしていたという。サン・イシドロのファエナが、目覚めさせたのか、良いファエナを続けている様だ。電話前のSメールには、THさんの事が書かれてあった。二人ともお金無くて、切符を売って夕食を食べた事をなど言っていた。下山さんとも会った話もしていた。

 いろいろ書きたいことがあるが、今日は金曜日で忙しい。これから、明日の準備をしなければならない。


 8月27日(土) 曇/雨 23210

 朝の散歩。曇っていたせいか、涼しい。秋の気配が感じられるほど。台風が来ているからか、天気は悪くなる。日月は、台風の通過する進路に、東京も含まれている。そうなるか?昨日両替してきた。明日は朝からWINSへ行く予定。


 8月29日(月) 曇/雨 33463/2

 夜中、秋のように涼しく、そして生暖かい感じがした。そもそも、涼しく感じるというのは、それだけ気温が下がっているいるからだろう。それでいて、生暖かいのは、台風のせいだ。それが、昼になり太陽が出たら、蒸し暑くなった。その前にしっかり雨が降ったからだろう。電気屋に行き、録画用のビデオテープを買って、ファミレスで飯を食った。それから、auショップへ行って手続きをした。auショップに入ったら、サザンの『いとしのエリー』がかかっていた。そうだ、YouTubeだ、と思って調べたが、サザンの物がなかった。仕方ないので、一青窈をアイホンで録画した。これで、いつでも聴ける状態になった。

 洗濯して買い物などした。台風は八丈島の南東にいる。予想だと、北関東か東北に上陸し日本海に抜けるという。これから雨が強くなるだろう。明日は、交通網がどうなるか判らない状態。外に出れないかも知れないので、食料を買ってきた。旅行の準備などして過ごそうと思う。


 8月30日(火) 雨/曇 10015

 台風は、東京にはほとんど影響を与えず東北へと向い大船渡付近に上陸した。北上川の水位が高いところがあり氾濫の可能性が出てきたという。それが心配だ。北上川のような第一級河川が氾濫すると、とんでもないことになるからだ。昔は、氾濫して家が床上浸水したと死んだお婆ちゃんが言っていた。昔の家には、ここまで水が来たという跡が残っていた。堤防が出来る前の話だ。

 『とと姉ちゃん』は、今日昭和32年1月の頃をやっていた。電化製品が、主婦の家事の苦労を軽減するために、いろいろな物が販売・消費され始めた頃である。洗濯板から洗濯機へ。家にも洗濯機が来たとき、洗う水槽と、脱水する槽が2つ並んだ物が来た。死んだ親父がロール2つの間に、洗濯物を入れて水を絞り、それから脱水槽に入れて使うのだとやっているのをみた。

 小さい頃、お婆ちゃんの甥夫婦が、引っ越ししてきて同居した。叔父ちゃんだが、夫婦で教師していて、子供が男の子2人。一つ上と3つ下だった。小学校の頃、良く遊んだ。今は2人とも教師をやっている。叔父ちゃんたちが引っ越ししてきたとき、初めて脚のついたテレビを観た。部屋に遊びに行って戻ってこない物だから、親父が、テレビを買った。それで、東京オリンピックを観た。今でも鮮明に覚えているのは、国立競技場へ戻ってきた2位の円谷幸吉が、ヒートリーにトラックで抜かれて3位でゴールしたシーンだ。

 病院から退院して戻ってきたばかりで、立って動けなかった頃。学校へも行けず、テレビでオリンピックを観ていた。首を振りながら、疲れ切った表情で走る円谷に涙した。その後の、円谷の悲劇的な死は、日本人の心に深く刻まれる。遺書を読んだ、川端康成は、「相手ごと食べものごとに繰りかへされる〈美味しゆうございました〉といふ、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐる。そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ」と語り、「千万言も尽くせぬ哀切である」と評した。

 『とと姉ちゃん』で、ブラウン管の白黒テレビを思い出し、叔父さんを思い出した。この前、舟っこ流しの時、叔父さんの町内の舟の先頭で、川に入っていた。もう80を超えているのに、舟に貼る戒名を全部書いていると言っていた。葬式の時に白髪になった叔父さんの下の子が来ていた。あれだけ一緒に遊んだのに、言われるまで判らなかった。歳月というのは、気づかないうちに過ぎてしまい、記憶との差異を大きくする。


 8月31日(水) 晴 3874

 台風は去ったが、北海道と岩手県に大量の雨を降らせ、河川が氾濫している。宮古、釜石、久慈、岩泉と、南富良野から帯広の間は、堤防の決壊などで浸水している。盛岡・宮古を繋ぐ国道が、土砂崩れなどで何カ所も道路が切断されて、通行止めになっている。つまり、台風通過の東北側に集中して雨が降った物と思われる。上記地区は、8月の降雨量の1.5倍の雨が24時間の間に降った様だ。岩泉のグループホームで、警察が9人の遺体を発見したという。

 オリンピックで、号泣しながら、「ごめんなさい」「取り返しのつかないことをしてしまって」と、言っていた吉田沙保里。何かかわいそうになって、そのシーンを観たくなかった。伊調の時は、おそらく勝つだろうと思っていたが、吉田の試合を観ていて嫌な予感があった。しかし、8月25日付けの記事を読んで、感動を覚えた。

 「8月18日(月・現地時間)のリオ五輪・女子レスリング・フリースタイル53kg級の決勝戦で、五輪4連覇を狙った吉田沙保里(33=フリー)を破り、金メダルに輝いたヘレン・マロウリス(24=アメリカ)が、米メディアの取材に対し吉田攻略に至るまでの道のりを振り返っている。

 これまでに吉田と2度対戦しているマロウリス。1度目は2011年の世界選手権・三回戦で、19歳のマロウリスはわずか1分9秒でフォール負けを喫した。2度目の対決は2012年の世界女子選手権・決勝戦の舞台で、マロウリスは再び吉田にフォール負けで敗れ、銀メダルとなった。

 それからリオ五輪まで約3年間、両者は対戦することはなかったが、マロウリスは2013年にコーチに就いたバレンティン・カリカ氏とともに、何度も吉田の試合映像を見て研究を重ねた。時には吉田の考え方や気持ちを知るために、吉田の日本語インタビューを英語に訳してもらい、聞くこともあったという。

 マロウリスは「私は何年も吉田選手のことを研究しました。まるで彼女の頭の中に潜り込むように、ただただ彼女が何を考えているのか知ろうと思いました」と振り返っている。そして、こうした研究を続けた末に、吉田攻略のカギに辿り着いたという。

「彼女は他の選手よりも我慢強いです。そして、彼女の対戦相手の多くはパニック状態に陥っています。そういった状況で戦うことに慣れている吉田選手に対して、吉田選手と同じ我慢強さで勝負を仕掛けたらどうなるだろうと考えました」(マロウリス)

 マロウリスはレスリングという格闘技の手技・足技といった技術的な部分だけではなく、心理面からのアプローチを吉田攻略のポイントとした。

 迎えたリオ五輪の決勝。第1ピリオドで吉田に1ポイント先制を許したが、マロウリスは焦らず勝負に出るタイミングを待った。この時マロウリスは過去に感じたことがないくらい冷静だったという。そして、第2ピリオドに入り、マロウリスは序盤に吉田のバックを奪い2ポイントを返して逆転に成功。終盤には吉田を場外に押し出して2ポイント追加し、4-1で吉田を下した。マロウリスの研究は実を結んだ。

 しかし、マロウリスは勝利の喜びを語る一方で、吉田を研究すればするほど、ライバル心とは異なる感情を抱いたことを明かしている。「対戦相手の研究をしていると、その相手に対して敵対心を抱くと思います。でも、吉田選手に関してはそういった感情が芽生えませんでした。彼女から湧き出るレスリングに対する愛情や、彼女がどれだけ競技に自分自身を捧げているかが分かりました。私は彼女に対して深い尊敬の念を抱いていましたし、言葉で上手く説明できませんが、彼女にとても感化されました」と話した。

 五輪3連覇、個人戦206連勝という偉業を成し遂げた吉田沙保里。そして、その吉田を破ってアメリカに女子レスリングで初となる金メダルをもたらしたマロウリス。2人の戦いは世界のレスリングに新たな歴史を刻んだ。」 ーーeFightよりーー

 「彼を知り己を知れば、百戦殆うからず」という諺があるが、マロウリスは、吉田の戦い方を分析研究して、パニックにならなず、我慢強く勝負を仕掛けるという結論に達した。その過程で、インタビューを訳して貰ったり、している中で、「その相手に対して敵対心を抱くと思います。でも、吉田選手に関してはそういった感情が芽生えませんでした。彼女から湧き出るレスリングに対する愛情や、彼女がどれだけ競技に自分自身を捧げているかが分かりました。私は彼女に対して深い尊敬の念を抱いていましたし、言葉で上手く説明できませんが、彼女にとても感化されました」と、言っている。

 吉田は負けて、悲しかっただろう。でも、マロウリスの言葉は、この上なく愛情に満ちている。自分を向上させるために、吉田を研究し、その過程で、吉田を理解し、自分自身を発見したからだと思う。

 YouTubeで、高橋・松友ペアの、『アスリートの魂』(NHK)を、観た。勝てない時期に、松友が怪我で1ヶ月離脱。復帰後も2人の呼吸が合わず、勝てない。そこで、お互いの気持ちをコーチを交えて3人で話し合った。そこで、お互いに悩んでいた事を知り、それから、気持ちがすっきりして以前以上に話し合い、試合に出て結果が出るようになった。15年12月放送の番組だが、16年になると連戦連勝状態で、オリンピックの金メダルを取る。

 この2人、先輩と後輩だが、お互いに相手の痛みを感じ、それをいたわれる関係だ。だから、つらい時期を乗り越えられたのだと思う。高橋が言っていた。相手に勝つ前に、まず、自分に勝たないといけない。

 おそらく、スポーツだけでなく、人との関係性が、その人間を形成していくのだ。松岡正剛がオリンピックで、女性アスリートばかり観ていたと言っていたが、男だとあまり感じない。サッカー選手なんかの言葉って、昔のプロ野球選手の言葉に比べて面白くない。シメオネは、非常に面白いが、これは例外的だ。オリンピックに出た女性アスリートの言葉は、非常に面白かった。プロでないからかかも知れないが、人間性や人生を感じることが出来る。

 時間がないのでこの辺にする。荷物を取りあえず、ほぼ入れて観た。準備は整った感じだ。


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