断腸亭日常日記 2019年 6月 スペイン旅行その1

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


 6月4日(火) 晴 13472

 昨日朝食後、散歩に出かけた。マイヨール広場を通って、オペラに行き、王宮前の広場で本を読んでた。そしたら、犬を連れた女性がボールを投げて、それを犬が走って噛んで飼い主の女性に渡し、また投げてそれを咥えてと繰り返していた。投げるボールが球体じゃなく、ラグビーボールのように変形しているので、バウンドすると何処に転がるか判らない。バウンドして跳ね上がって処で犬がジャンプして口に咥えていた。こういうのって飽きることなく、犬は続けたがる。やっているうちに、感情が高ぶって興奮している。いつの間にいなくなったと思ったら、南米人風の男が犬を連れてやってきた。こっちは球体のボールをサッカーのように蹴って、それを犬が追い掛けて、咥えるという遊びを繰り返していた。単純な遊びは興奮する。カルロス・サンタナいうように同じ音を繰り返すことによって強調されるの同じだ。遊びの中から楽しみを覚え、楽しさの中から個性が生まれるんだと感じた。闘牛士の個性もそこにある。汗や努力や、血を流すことでしか、それを掴むことが出来ないのだ。

 昨日のサン・イシドロは、フエンテ・インブロ牧場の若牛で、ファニート、アントニオ・グランデ、ディエゴ・サン・ロマン。入場者は見た目で1/3だったが、ラス・ベンタス闘牛場ホームページでは、16500で、他の闘牛サイトでは半分と書いてあったあるとこともあった。おそらく売れている切符が約16500で来ていた客がそれ以下で少なかったということだろう。アボノを持っていて来ない人の分も含まれた入場者数というだろう。若牛でいえば、6頭の内、2頭目のアントニオ・グランデがやった牛が1番良かった。あれで耳切れないんだとガッカリした。この2頭目まで一昨年からアボノで隣接していたスペイン人の老夫婦がいるのだが、グラダの1番上の席で直射日光を避けて座った居たら、直前に彼らが入ってきて挨拶していると、婆さんの方が上がってきて隣で2頭目まで一緒に観た。ほとんど出来ないスペイン語での会話で、婆さんの話では、あの席に6年いて、あそこには十何年、今の席は、6年目といっていた。全部で30年か40年くらいラス・ベンタス闘牛場に通っている。去年一昨年は、サン・イシドロ後半になると、4頭目まで席に着かずグラダの廊下のトイレの前のテレビモニターの前にいた。俺は、人が少ないと1番上の日陰で観ていた。トイレに立った時そのことが判った。今日はそれを知って上に上がってきたのだ。もう3年目なのでこの老夫婦や他の人とも顔見知りになった。アフィショナードは、闘牛のことを愛していると判ると優しい。クルサードが足りないとか、剣がカイーダとというと、テンディダでエスプレンディダだなどといいながら闘牛を観た。

 ファニートは、ポルトガル人。たいしたことないかと思っていたが、そうでもなかった。闘牛のことが判っている。やる気もある。でも上手く出来ない。アントニオ・グランデは日曜日にセビージャで耳1枚切った。下山さんと闘牛観に行くか考えた時、名前見て、ふざけた名前だといってやめたが、まともな名前が彼だけだった。1頭目の牛が良かったが、クルサードが足りないのと、牛の扱い方が下手。タンダの後の距離の取り方も不満だ。何とか耳を切ろうとしている気持ちは判るが、技術や知識が追いついていない。

 ディエゴ・サン・ロマンは、確か5月1日にもラス・ベンタス闘牛場に出場したメキシコ人。そんなにメキシコ風は感じなかったが、基本はメキシコ風。耳切って名をあげて、アルテルナティーバしたい気持ちは良く判る。でも、無茶するなよと思う。動かない牛の剣を代えたあと、ベルナディーナするか?これで口笛が吹かれる。最後の牛では、コヒーダされた。牛の角に跳ね上げられ落ちてきて、また、跳ね上げられ、と、3・4回跳ね上げられた。まるでサッカーのボールリフティングのようだ。アレナに落ちずに3・4回牛の角に跳ね上げられたのは、初めて見た。有名になる代償は計り知れないくらいの物が必要だ。ダメだと判断されると、口笛を吹かれ、罵声を浴びる。体の傷は、勲章になるかもしれないが、それだけでは、フィグラにはなれないのだ。

 闘牛場から帰ってきて来たら、同居人二人が顔を揃えていた。開口一声が、こんなに早く帰ってくることがあるんですか?だった。だから今日はノビジェーロで人が少なくて、いつもは時間つぶしで歩いてくるけど直ぐにメトロに乗ってカリフール(スーパー)に入ったのが22時前で買い物して帰ってきたというと、あれ、またガスパチョ買ってきたの。まだブランコあるでしょうというので、買える時に買っておくの、腐るもんじゃないしといった。それで、休日に入っている方の同居人がカレー作ってあるからというので、ご馳走になる。もう人は、今日帰ってきたのと訊くと、夕方、バラッハスについて帰ってきました。という。彼は今年からイベリア航空の添乗員になって日本との往復をして来たという。鶏肉のカレーライス美味かった。


 6月5日(水) 晴 11622

 今日のマドリードは寒い。最低気温が11度くらい。これから予報が出ている来週の金曜日まで、最低気温が低い日が続くようだ。最高気温も、30度を超えない予報になっている。昨日は、朝食は鶏肉カレー。それからソルテオに行った。見立では、3頭目の17番の牛が1番良く見えた。しかし、微妙な感じで、あとはダメだろうと思っていた。いったん、部屋に戻って、同居人と「MIKI」に行って昼食を取った。去年いかなかったので2年ぶり。すずめさんも旦那さんも元気そうだった。14前に行って15時半くらいまでカウンター席で話をしながら寿司をつまんだ。

 2日の騎馬闘牛の時に、ディエゴ・ベントゥラの1頭目で、突然女の歌声が聴こえてきた。テンディド2の上の方にいた人が立ち上がって、歌い出したので。マイクがないのに、闘牛場に響く声量の声だった。歌い出しなどザワザワしていて聴こえなかった。それでも観客がそれを聴こうと静かになった。歌い終わるとこの人に対して拍手を送った。そして、ディエゴ・ベントゥラの2頭目の牛の時、今度は男の声で歌が聴こえてきた。テンディド4の上の方にいた人が起ち上って歌った。1頭目の女の歌声と同じく、歌い出しなどザワザワしていて聴こえなかった。それでも観客がそれを聴こうと静かになった。歌い終わるとこの人に対して拍手を送った。2人とも歌手なんじゃないかと思う。ああいう声量で歌えること自体、羨ましい。それを聴こうとする闘牛ファンが、また良いと思った。ここ数年、アンダルシアなどで歌手がファエナの時、こういう風に歌うことが流行っている。これも昔の闘牛場にはあった光景なのかもしれない。

 昨日のサン・イシドロは、ラス・ランブラス牧場の牛で、モレニート・デ・アランダ、ファン・デル・アラモ、トマス・カンポス。こんなこといったら何だが、書きたくなるような内容ではなかった。モレニート・デ・アランダも、もっと何とか出来るのかと思ったら、全然だった。トマス・カンポスもひどい。ファン・デル・アラモだけが何かが起こりそうな気配があった。実際1頭目のファエナの前半は耳の雰囲気があった。でも、続かなかった。風の強い日なのに、モソ・デ・エスパーダは、新聞紙を切ってアレナに入れていない。3人の闘牛士のモソ・デ・エスパーダが揃ってこのざまだ。ファン・デル・アラモは、今アポデラードが付いていない様で、無記名だった。こんな状態だから、他の2人もどうにもならない感じだ。2年前サン・イシドロでプエルタ・グランデしたことは、まるで等位過去の出来事のようだ。せっかく、サン・イシドロでプエルタ・グランデして、カルテルがいっぱい入ってきても、あとがダメだと続かない。

 アントニオ・フェレーラが、初めてサン・イシドロでプエルタ・グランデしたのは、カリキリ牧場の牛で2002年だった。1頭の牛で耳2枚。それから17年後の今年まで、2年前の耳1枚切ったことがあるが、プエルタ・グランデはなかった。これだけ長い間、プエルタ・グランデがなかったのは非常に珍しい記録だと思う。ファン・デル・アラモも、もう一度見直して、10年後でもいいからプエルタ・グランデが出来るようになってもらいたいものだ。


 6月6日(木) 晴 10958

 『奇想の系譜』の続編的な辻惟雄の『奇想の図譜』は、北斎のワニザメの絵から始まり、波について書いている。『奇想の系譜』に入れれなった北斎をここに書くことによって、その心情を満たしたものになる。70代にして、『富嶽三十六景』の大ヒットを飛ばし、晩年は肉筆画に専念する。北斎がいなければ、広重の絵もなかっただろうし、国芳も出なかったのではない。馬琴との仕事を通じて、自身の絵に対する考え方や感じ方が、変化して、進むべき絵の方向が見えたのだと思う。90歳で死ぬまで、時に猫一匹描けやしないと涙を流し絶望したりしながら、描いた作品群は、日本に留まらず印象派などの海外にも大きな影響を与えた。波のしずくの先から千鳥が飛ぶところを描いているが、マンディアルグや、エッシャーをイメージする。

 北斎の絵を、奇想の中に入れた辻惟雄の目は正しいと思う。絵などを入れながら解説する筆は冴えている。何を伝えるのか、何を伝えられるのかが、考えられていると思う。辻もまた年老いてなお、美術界の注目を集める中心にいる。若冲ブームの火付け役で、色々な謎解きもまた楽しみだ。『江戸あばんぎゃるど』も観ようとしてBLを持ってきたが、ノートパソコンの調子が悪く観れないでいるのが残念だ。

 昨日のソルテオは、10時半頃パティオ・デ・クアドリージャに着いたら、1人しか並んでいなかった。そして寒い。それなりの服装をしていった。メトロの中も、町の服装も半袖の人もいるが、冬仕様の服装の人もいるバラバラ状態。その次に来た人が、フランス人老夫婦。セバスティアン・カステージャが出場するからだ。この人たち、中でも隣にいた。フランス語なのでちっとも判らない。奥さんのほうは、上には太い毛糸で編んだセーターのようなものを着ているが、下はミニスカート。スカートから出ている太腿から下が鳥肌になっている。ムーチョ・フリオといっている。

 マドリードは、クワレンタ・デ・マジョ(5月40日)という言葉がある。5月1日から40日経つまでは、冬のように寒くなる日があるという意味だ。明日からは、もう少し厚着にした方が良いかもしれない。こういう日用に、薄いダウン・ジャケットを持ってきている。長袖も2つある。下は、ユニクロで買ったものもある。ところで、ソルテオの見立は、ガルシグランデ牧場の牛だったが、6頭目の121番の牛が1番良く見えたが、これすら、微妙な感じの牛だった。それ以外は、良く見えなかった。だからヒネス・マリンに1番可能性を感じる。セバスティアン・カステージャは、魔法がないとダメそうな感じだった。

 なかなか買えなかったというか、買わなかった、グラナダの往復を買った。行きが、丁度いい時間のが売り切れていたので、朝早く行くしかなくなった。残念。仕方ない。しかし、これでスペインでの予定の行動の全てで、予約などを含めて、完了した。あとは、この予定にそって確実にこなすだけとなった。

 昨日のサン・イシドロは、ガルシグランデ牧場の牛で、セバスティアン・カステージャ、アルバロ・ロレンソ、ヒネス・マリン。ソルテオの見立通りセバスティアン・カステージャとアルバロ・ロレンソは、牛がそんなに良くなかった。それでも、セバスチャンは、1頭目の牛で、らしさをを見せることが出来た感じだ。ファン・カルロス元国王が来ていたが、1人だけ牛を捧げなかった。フランス人だからだろうか?牛が良くなかったからだろうか?

 アルバロ・ロレンソは、良い処がなかった。つまらない。赤旗を振っているコミュニストにしか見えなくなる。2頭目だったか、牛が動かないと、牛に近づいて行ってパセを繋げようとする。フリのような感じになる。そうじゃなくてクルサードを深くすることや、角の間ではなく、反対側の角の外側にクルサードしたり、距離の取り方もダメだった。あれじゃ口笛を吹かれて当然だ。こんなことやってたら、サポートを続けるカサ・ロサノも見放してしまうぞ。

 この日は、ヒネス・マリンの日。1頭目は、カポーテでベロニカを繋いだ時から良い牛だと判った。俺のソルテオの見立も当てにならない。牛はファン・カルロス元国王に捧げられた。距離を取って遠目から牛を誘いナトゥラルを繋ぐとオーレが鳴った。あとはヒネス・マリンの世界だ。2回か3回のナトゥラルのタンダをすると、オーレが続き喝采が鳴った。レマテの後の距離の取り方は、フィグラ仕様。デレチャッソのパセも繋がり闘牛場は盛り上がった。最近の傾向で、レマテがこれでもかと続く時がある。パセ・デ・ペチョの後、トゥリンチェラなどが3回くらい続く。剣も決まり耳1枚。

 最後の牛は、ソルテオの見立通りだとプエルタ・グランデが待っている。この牛は良い牛だった。そして、プエルタ・グランデをグッと手繰り寄せるようなファエナを続けた。最後が、ベルナディーナだったと思う。4・5回続け観客は殆ど、プエルタ・グランデを確信するところまで行った。勿論、剣が決まらなければダメだ。そうしたら、ピンチャッソ。その後、良い剣が決まって牛が倒れ観客は、白いハンカチを振り、口笛を吹いた。この耳要求をプレシデンテは拒否した。罵声が飛び、座布団が舞った。一部のファンからは、プレシデンテの裁定に拍手する人たちがいた。大勢はプエルタ・グランデを望み、耳を要求した。個人的には、プレシデンテは正しいと思う。あそこで剣を決めれなければ、プエルタ・グランデを通ることは出来ないと思う。闘牛の世界では、最高のカテゴリーのラス・ベンタス闘牛場で、あれでプエルタ・グランデを認めない方が、良いと思う。勿論、プエルタ・グランデを望んだ大勢の観客の気持ちも分からないではない。でも、ファエナが耳2枚の価値か、それに相当する価値があるのであれば、耳1枚出しても良いと思うが、耳1枚で、1・5枚くらいでもなかったと思う。だから、プレシデンテの判断は正しいと思うのだ。

 非常に残念な結果だが、決めれなかったヒネス・マリン、あなたが悪い。観客の喝采に応え場内一周。それからもう一周した。二周目の時は、口笛も鳴った。それは口笛も鳴るだろうと思う。フェレーラの場内二周とは、訳が違うと思う。おい、肩を落とすな前を向け。また明日7日ラス・ベンタス闘牛場に立つのだから。


 6月7日(金) 晴 9877

 晴れているが風が冷たい。8時で11度しかない。これから闘牛場へ行くのか嫌になるような寒さ。2日前は寒いと思って、長袖シャツを出して着て行った。ズボンも冬用のやつ。昨日は、長袖も厚いもので、ズボンの下もユニクロの物を着て行ったが、今度は遅く行ったので、日当たりに立っていて暑かった。さて今日はどうしようか。

 9日のサン・イシドロは、エミリオ・デ・フストがカセレスでの怪我の為、代わりに、ロマンの出場が決まった。ラス・ベンタス闘牛場から発表があった。また、Vic-Fezensac にもエミリオ・デ・フストに代わって出場する。ニームにも代わりに出場することが決まったようだ。

 昨日のソルテオの見立。エル・プエルト・デ・サン・ロレンソ牧場の牛。1番良かったのは6頭目の102番〇。次が1頭目62番△。2頭目88番、3頭目105番、4頭目50番が微妙。5頭目15番が×だった。プエルタ・グランデが出るか期待が大きい気がした。

 昨日のサン・イシドロは、エル・プエルト・デ・サン・ロレンソ牧場の牛で、アントニオ・フェレーラ、ミゲル・アンヘル・ペレラ、ロペス・シモン。ソルに座っていてもほとんど汗をかかない。強風が吹く中で行われた。入場行進後に、アントニオ・フェレーラへ喝采が鳴り挨拶した。アントニオ・フェレーラの1頭目のはじめは、観客は注目して静かに見守った。この前のグラン・ファエナを観ているからだ。何かが起こりそうで、起きなかった。2頭目は選択を間違えた。テンディド6付近でファエナを始めたが、強風でムレタが風に揺れる。たぶん、反対側のテンディド2付近で始めれば、風の影響は少なかったと思う。そうすれば牛も動いたと思う。

 ミゲル・アンヘル・ペレラは、2頭目。フェレーラの2頭目を観ていたので、テンディド2付近で始めた。これは賢い。しかし、牛はソルテオの見立通りダメだった。それにしても、つまらないファエナだ。彼はフィグラだが、ポンセやフリのように、観ていてつまらないフィグラだ。

 ロペス・シモンは、1頭目で見せ場を作った。牛も良かった。初めのタンダのデレチャソを繋ぎ、背中を通すパセから盛り上がっていった。右手のパセも、左手のパセも、割と長いパセが繋がり、手も低く、時々テンプラールなパセも出た。剣を代えベルナディーナ。3回目くらいのパセの後、通過した牛の角が尻を刺して体を突き上げた。牛の頭の上に乗り落下した。やられたかと思ったが、抱き起され立ち上がり、またベルナディーナの持ち方で構えると、口笛が吹かれた。危険だからやめろという観客のアピールだ。それでも、牛に向かっていった。3回、4回とパセを繋ぐとオーレが鳴り、レマテの後、喝采が鳴った。雰囲気は耳1枚が出来上がった感じだった。しかし、剣はピンチャッソを繰り返した。

 ソルテオの見立は大外れで、牛が悪かった。闘牛士もイマイチで、しかも強風が吹くコンディション。去年隣で観ていたおっさんが、帰り際に、同じことをいっていた。


 6月8日(土) 晴 10055

 夜中、同居人と構想など話していたが、昨日の昼食後に、渚ゆう子の方じゃなくて、『京都人の密かな愉しみ』のエンディングにかかっている、武田カオリの『京都慕情』を聴いていたら、突然、書き出しを思いついてパソコンに向かって書き始めた。それにしても、武田カオリの『京都慕情』は不思議な歌だ。曲のテンポもゆっくりになっているし、抑え気味に歌っている声が、かえって響いてくるのだ。だからといって、しっとりしている訳でもない。乾いているわけでもない。丁度良いのだ、力の抜け具合が。下山さん風にいえば、まるで、ファン・モラの腰をまわして、力の抜けたパセのようだ。熱唱するよりこっちのほうが、イメージが増幅する。だから、突然インスピレーションが沸いてくるんだろう。

 昨日のソルテオの見立は、アルクルセン牧場の牛。2年前THさんと一緒に観ていて、ピピッツと来て、こういう牛が良いんだというのが、その日のヒネス・マリンのファエナを観て判ったのだ。だから、思い出のアルクルセン牧場の牛なのだが、残念なことにちっとも良いと思える牛が見当たらない。1番良く見えた牛も、微妙な感じ。6頭目の111番。あとは全て良く見えなかった。

 そして、昨日の闘牛は、アントニオ・フェレーラ、ディエゴ・ウルディアレス、ヒネス・マリンだった。1頭目のアントニオ・フェレーラは、静かに淡々と始まった。カポーテの時、右角が短かった。だからファエナは、ナトゥラルから始めた。これは正しい判断だと思った。パセが繋がり闘牛場の観客からオーレの声が出始めた。ナトゥラルのタンダ2回で、闘牛の雰囲気が変わった。じっくり見るぞという集中力が増した感じだ。右手の手の低いパセが繋がると、オーレが続いた。ファエナの中盤はクルサード不足の部分があって口笛も吹かれた。後半は剣なしで左右の手のナトゥラルを繋いだ。剣を代えてからの最後のファエナが出来なかった。剣は、スエルテ・コントラリアで、レシビエンドで決めた。観客の半分以上は耳を望み、白いハンカチを振って、口笛を吹いたが、プレシデンテは耳を出さなかった。正しい判断だと思う。残念だが妥当な裁定だ。フェレーラは、アレナに立つと何かやってくれると思って観てしまう。

 ディエゴ・ウルディアレスは、1頭目を観て今までの印象は変わらなかった。しかし、2頭目のファエナにはちょっと驚いた。良い時と、悪い時が極端に違う闘牛士だと思っていたが、そうじゃないことがこのファエナで判った。カポーテのパセの時に、飛び跳ねていた。首を振り上げた時に、飛ぶのだ。やっかな牛。今までの印象だと、こういう牛には対処できない。それを、膝を折ったデレチャッソから始め、デレチャッソを繋ぎパセ・デ・ペチョ。距離を取ってデレチャッソのタンダが続く。パセのしにくい牛を何とかパセを繋ぐその姿に驚いた。こんな牛出来ないという、へストがない。ナトゥラルを繋ぐと牛が膝を着いた。口笛が鳴る。それでもクルサードしてパセを繋ぎパセ・デ・ペチョ。アグアンタール。こういう忍耐が必要な牛。決して良いファエナではない。が、その一生懸命さが観客にも届いている。こういうファエナに決をつける奴は、闘牛を知らない。アジュダードからナトゥラルを繋ぎトゥリンチェラで絞めて剣を代えた。スエルテ・ナトゥラルで剣が入り拍手が鳴り、牛が座った。こういうファエナが出来るなら、観る価値のある闘牛士だ。

 ヒネス・マリンは、5日の悔しさを晴らすことは出来なかった。牛が悪いといえばそれまでだが・・・。隣のおっさんは最後の牛を観ながら、インポッシブレ(不可能)といっていた。パセの後、牛が逃げていく。やりようがない。でも、もうちょっと工夫して欲しかった。彼は若い。今すぐ覚える必要はない。ソルテオの見立では、この牛が1番良く見えた。しかし、気弱で集中力かけるという牛の精神までは見ることが出来ない。あくまで牛の体つきを観て、良し悪しを判断することに徹している。そこまでしか、出来ることはない。


 6月9日(日) 晴 11015

 昨日あたりから最高気温が上がってきた。今日明日と28度27度になる予報だ。でも、最低気温は12度。火曜日は最高22度最低8度の予報になっている。水曜日からは最高気温が25度を超えるが、最低気温の方は、11度から13度と出ている。雨が降らず、そんなに暑くないというのは、ソルに座ている人間にとってはありがたい事だ。去年のサン・イシドロ後半は、暑かったという記憶があるが、このぶんだと、今年はそんな思いはしなくてもよさそうだ。

 大谷翔平は、花巻東の先輩、菊池雄星から6号ホームランを打った。三者連続被弾の雄星は、「経験したことのない悔しさ」と語った。三試合連続KOになった。一方、大谷はここ8試合で4本のホームランを打って、調子を上げているようだ。

 昨日のサン・イシドロは、最後の騎馬闘牛。ニーニョ・デ・ラ・カペア牧場、カルメン・ロレンソ牧場の牛で、パブロ・エルモーソ・デ・メンドーサ、レア・ビセンスのマノ・ア・マノ。結果を書けば、パブロ・エルモーソ・デ・メンドーサとレア・ビセンス二人のプエルタ・グランデだった。レア・ビセンスは、コンフィルマシオン以降、ラス・ベンタス闘牛場で初めてのプエルタ・グランデ。それが、パブロ・エルモーソ・デ・メンドーサと一緒だったというのは、女性騎馬闘牛士としては箔がつく。マリア・サラ以降、何人か女性騎馬闘牛を観たが、彼女が最高である。他は、観るに堪えない人が多かった。かといって、クリスティーナ・サンチェスのように、一杯闘牛場へ出ていても、耳の判定は女性仕様で実に実に甘いものだった。蜂蜜にコンデンスミルクをかけたような甘さだ。レア・ビセンスの裁定にも甘い部分は確かにあるが、せいぜい甘いイチゴ程度で、ちゃんと甘酸っぱい。1頭目は良い牛で当然の耳1枚。さらに耳を要求していた処が甘かった。2頭目はダメ牛。最後の牛は、まあ剣が決まればという感じで、耳1枚。

 それよりこの日は、パブロ・エルモーソ・デ・メンドーサが凄かった。久々にラス・ベンタス闘牛場で絶品のディナーを食べた感じだ。1頭目、2頭目を牛は逃げてばかり。ちっとも面白くなかったが、3頭目でようやく向かって走って来る良い牛が出た。全盛期の名馬カガンチョを思い出させるような、牛に馬の尻を追わせて、モンローウォークのように左右に尻を振ったり、タブラに頭を向け、尻を牛に追わせ、来た方向に切り返して牛を交わして喝采を浴びていた。他の馬では、バンデリージャ打ちの後、牛の目の前で一回転して交わして、これもまた喝采。馬の後脚が牛の角の間にあるようなギリギリの技が観客を驚かせた。馬術とはこういう風にするものですよと、いうようなお手本になる手綱さばきは絶品。剣も決まり、牛は直ぐにもんどりうって倒れた。その瞬間、両手をあげてガッツポーズ。観客の中には同じポーズをしている人が何十人といた。直ぐに闘牛場は白いハンカチで埋まり、うるさいくらいの口笛が吹かれ続けた。いやー凄い。これをほぼ全部、ビデオに撮れたことは幸せだ。やっぱり、年はとっても、未だに史上最高の騎馬闘牛士はパブロ・エルモーソ・デ・メンドーサである!

 昨日ニームで行われた、ダビ・デ・ミランダのコンフィルマシオンは、コヒーダされ耳2枚。フェレーラも耳2枚切って二人でプエルタ・グランデした。こっちも観たかったなぁ。それは贅沢というもの・・・。


 6月10日(月) 晴 11349

 サン・イシドロも残すところ、あと1週間。昨日のコヒーダの映像がネット動画になっている。あれだけ角が刺さった状態で、牛が頭を振り回していたら、傷口は広がり、いろいろなところが損傷することは、目に見えている。ひどい角傷だった。

 昨日のサン・イシドロは、バルタサル・イバン牧場の牛で、クーロ・ディアス、ペペ・モラル、ロマン。この日3頭目の牛で事故が起きた。ロマンは30日サン・イシドロで耳を切り、エミリオ・デ・フストの代わりに出場した。ニームでも代わりに出場して、今日はVic-Fezensac の出場も決まっていた。しかし、事故である。ファエナは沸いたが、耳になるような内容ではなかった。剣を決め、最後の牛に備えれば良いと思っていた。スエルテ・コントラリアで剣刺しに行った時、事故が起きた。剣刺しは、通常牛の両角の間に体を置いて構え、闘牛士が左側に牛を避けるように、左足を踏み出す。右手の剣は、牛の両方の肩甲骨の間を狙い、右足は牛の目の前にさらされる。だから、男性器は必ず左太腿に寄せられている。万が一に備えているわけだ。

 この時の剣刺しは狙い通りの処に剣が突き刺さったが、同時に牛の右角が、ロマンの残っていた右足太腿に突き刺した。膝から20cmくらいの場所に刺さり、角を振りあげた、ロマンの体は上下が逆さまなった。あとで、ネット動画を観ると約4秒間、牛が角を上下に振り回す間、時に頭がアレナを打ったしながら、ロマンの体がただ一点、突き刺された牛の右角によって支えられていた。4秒という長い間に、バンデリジェーロたちはカポーテを振ったり、駆け寄ったりそれぞれの役割を果たした。バンデリジェーロが駆け寄った時、彼は右太腿を抑え、顔をゆがめていた。溢れ出る血を両手で抑えているように見える。駆け寄ったペペ・モラルなど3・4人に抱えられて医務室に向かった。テンディド6で起きたことなので、その光景は鮮明に焼き付いた。誰もが大変なことになった事を理解しただろう。

 この日のディレクトール・デ・リディアのクーロ・ディアスがデスカベジョを持って出てきたが、剣が牛の急所を的確にとらえていたので、牛は座った。プンティージャが決まると、闘牛場は一斉に白いハンカチで埋まった。大勢の観客は、ロマンへの耳を要求してハンカチを振り続け、口笛を鳴らした。プレシデンテは耳を出すことを許可した。この裁定には不満ではある。ファエナが耳の内容に値しないからだ。しかしである。不満ではあるが、怪我の代償として、観客が望んだ耳については同意する。ロマンは闘牛場の医務室の手術台の上にいて、このことを知らないだろう。知らなくても、観客が望んで出した耳1枚が、彼が病院のベットの上で、回復の力になることを信じたいのだ。確実にあの瞬間、闘牛場の大多数の人間たちが、そう思ったに違いないと思う。こういう場合、通常の耳の基準が無視されても、それはそれで、真っ当な申し立てとして、耳が成立すると思う。

 ラス・ベンタス闘牛場の外科主任であるマキシモ・ガルシア医師の診断書は、角は太腿を30cm横切って、内転筋組織、坐骨神経の挫傷、動脈の痙攣を起こしている。というような内容だった。動画や写真を見ると、傷口から血が噴き出しているので、動脈は切れている気がした。翌朝、つまり今日のネット記事によると、ロマンが搬送されたサン・フランシスコ・デ・アシス病院で、血栓症が見つかり、1時に2度目の手術が行われた。大腿動脈と静脈は切断され、バイパス手術が行われたという。

 ロマンの事故の後も闘牛は続く。この日4頭目の牛。クーロ・ディアスの2頭目の牛。良いベロニカが繋がりオーレが鳴った。牛は良い。ピカ、バンデリージャが終わると、クーロはモンテラを持ってタブラ付近を歩いて行く。そして、医務室の入口に立って、口上の延べ、モンテラをタブラの上に置いた。闘牛場は拍手に包まれた。闘牛の良い処の一つはこういう処だ。傷ついたコンパニェーロ(仲間)に対して、やさしく、敬意をもっている処だ。これだけで感動する。

 闘牛場にオーレが鳴り響いた。クーロの味のあるパセが繋がる。力の抜けたデレチャソ。テンプラールなパセが続き喝采が鳴った。この日、1番の牛で1番のファエナ。闘牛ファンは闘牛場に、こういうファエナを期待して観に来るのだ。ファン・モラの力の抜けたパセとは違うやり方だ。でも、とてもクーロらしいファエナだった。剣も見事に決まり、牛が膝を着いて、耳1枚が出た。この耳で闘牛場が浄化されたような気分になった。最後の牛も、ロマンに代わってクーロがやった。この時のバンデリジェーロたちはひどかった。バンデリージャ1本ずつしか打てなくて口笛を吹かれた。彼はロマンのバンデリジェーロたち。あとから考えると、ロマンのことが気になって、集中できていなかったのかもしれないと思った。状態は、極めて悪い状況だと、聞かされていたのだと思う。ペペ・モラルは、ひどいファエナだった。あまり悪口を書く気分ではない。彼がこの日やった最大の仕事は、傷ついたロマンを抱えて、医務室まで運んで行ったことだった。

 ルベン・ピナルも、アルバセーテで尻を刺され入院したようだ。闘牛士の怪我が続く。いつどこで、こういうことが起こるか判らないのが闘牛だ。


 6月11日(火) 曇 10010

 昨日はソルテオに行かずに、部屋にいた。昼食の約束があったこともあるが、他にやることがあったので、そっちを片付けていたら、時間がなくなった。それで、13時過ぎに用意して出かけた。昼食は、アルゼンチンの肉の店。この前行った、『MIKI』のシェフというか大将夫婦と同居人の4人。アルゼンチンのチョリソを食べて、美味いなぁ、美味いなぁとモグモグ。肉は3種類頼んで、一つ目を店の人が切り引き分け、食べると、大将が、いやーこれ、アルゼンチンバックブリーカーだ。と、感激の言葉。それを訊いて、懐かしいその言葉。久々に訊きましたよと、笑みがこぼれた。昔懐かしプロレス用語。ブッチャーやファンクス、タイガー・ジェット・シン、ビル・ロビンソン、ミルマスカラスなどの名前が次々に出て来て二人で盛り上がっているが、すずめさんと同居人は、何の事やらサッパリ判らない。同世代だから通じる話のようだ。ミルマスカラスの空中殺法とか、笑い声を上げながら話していた。

 アルゼンチン肉を食べているから、アルゼンチンバックブリーカーという言葉が出てきたんだろう。後2種類を食べて、これは延髄斬りだと、また大将がいう。いやー、アルゼンチンの赤身肉は本当美味しい。それに、食いごたえがある。次は、ソロミージョが食べてみたい。お腹一杯になって、サンタ・アナの不思議なカフェに行った。会員制の処らしく、ここは室内でタバコが吸える。今時スペインでこんなところない。そこで、前日の闘牛放送をテレビでやっていた。ロマンのコヒーダなども観たので2時間くらいいたのかもしれない。闘牛の話や、今書いている話などして、来るとき乗ってきた飛行機で観た『終わった人』という日本映画の話をした。結局時間になり部屋に帰ってきて準備して、闘牛へ出かけたのだが、大将夫婦も部屋に来て、そのあとは同居人と話を続けたらしい。

 昨日のサン・イシドロは、エル・ベントリージョ牧場の牛で、エウヘニオ・デ・モラ、リッテル、フランシスコ・ホセ・エスパーダ。この日もまた事故が起きた。この日4頭目の牛のピカの場で、リッテルがキーテを始めた。チクエリナを繋いだが、牛の返りが早くコヒーダされた。転んでアレナにいる処を、牛の角が襲った。右膝の後辺り刺され、宙に跳ね上げられ、そこをまた角が襲った。ふくらはぎの双子筋破壊し、神経、動脈、静脈傷つけ、鼠径部も傷つけたという。闘牛場で全身麻酔で手術が行われた。

 リッテルは1頭目の牛で、良いやり方でトレアールしていた。批判する口笛を吹く人もいたが、おおむね彼のやり方に間違いはない。牛がもっと良ければ耳を取れるようなやり方が出来ていたと思う。デスカベジョのやり方は、ロベルト・ドミンゲスを彷彿させるやり方をしていていた。だから、エウヘニオの牛のキーテでコヒーダされたことが残念でならない。2頭目の牛のファエナに期待していただけに本当に残念な気持ちだった。

 リッテルの2頭目の牛をエウヘニオが、この日最後の牛として担当した。カポーテから良い牛だと判った。やり方を間違えなければ、耳を取れる牛だと思った。97年サン・イシドロの最優秀見習い闘牛士で、98年には闘牛士で、プエルタ・グランデした。あれから20年。フィグラになり切れなかったが、まだ闘牛を続けている。その通りやり方を間違えることなく、デレチャソのパセでクルクル牛をパセする。オーレが鳴る。手も低いし、長いパセが続く。エウヘニオのクルサードは、角の間というより、片方の角の前にするスタイルでクルサードが薄い。それとパセ・デ・ペチョは、角度をつけて廻すようにパセをする。今日もそんな処が見られた。剣が決まり耳1枚出た。カポーテの時から、この牛で、リッテルにファエナをやらせたかったと思っていた。残念で仕方ない。しかし、エウヘニオは、ラス・ベンタス闘牛場で16枚目の耳だったという。

 フランシスコ・ホセ・エスパーダは、初めて見るはずなので、期待半分、不安半分だった。思ったよりファエナは形になっていた。2頭目の牛のファエナでは、距離の取り方も良かったと思う。しかし、剣刺しが下手。デスカベジョは、もっと下手。それにしても、マドリード闘牛学校校長だったグレゴリオ・サンチェスが死んで以降、マドリード闘牛学校から良い闘牛士が出てきているのだろうか?ホセ・トマスのようなクルサードをあの時代闘牛場でやっていたグレゴリオ・サンチェス。その教えを受けた生徒たちが闘牛場で活躍したが、今はマドリードの闘牛士といわれて、現役で誰の名前を思い浮かぶのか?エル・フリ?ロペス・シモンもそうなのかな?


 6月12日(水) 晴 12906

 昨日、阿字観をやって、それから買い物に出かけた。そうこうするうちに、THさんから連絡があって、ティエンタで昼食を取ることになった。昨日はスペインへ来て、1番寒かった。Vic-Fezensac から10日に戻ってきて、その前の週は、アレスに行っていた。目まぐるしいくらい闘牛場をまわっている。外を歩いている人は、半袖の人もいたが、冬用の上着を着ている人が多い。食事の後のコーヒーも、日陰席ではなく、わざわざ日向を選んで、座った。闘牛の話がほとんどで、書いているものの話は少しだけした。でも、闘牛士のキャラについて話した。闘牛士を比較して、キャラが立っている闘牛士が、ファンから見れば、判りやすい。闘牛ファンには通じても、一般の人には闘牛が判らないとキャラが立たないことになってくる。という話をした。話しながら、今書いているもののキャラの事を考えていた。気になったのは、ティエンタのソロミージョが値段が上がって、量が減ったこと。それはないでしょう。

 闘牛が終わって部屋に戻ったら、同居人が鶏肉鍋を作っていた。それをつつきながら、知人を呼んで3人で食べた。最後は、おじや。昆布のだしなどが利いて、卵でとじているおじやは、しめには最高だった。ビール、ワイン、フィノなどを飲んで、いろいろ話をしたが、最後の方では、同居人と、書いているものの話をした。4時過ぎまで話をしていた。起きたのが9時。眠いし、いつもは、水を飲むのに、ガスパチョを飲んで、ようやく落ち着いて、それから朝食を取った。今日は、これから準備をして、闘牛場へ向かう。昨日の闘牛のことは、あとで書こうと思うが、牛が良くても、出来ない闘牛士たちだった。


 6月13日(木) 晴 12084

 昨日のソルテオは、THさんと一緒に観た。前日のソルテオは、寒くて行っていなかったが、THさんが観て、その見立が当たっていたということを訊いた。通うと、だんだん分かるようになってくるのではないか思う。スペイン人的な見方と、俺が言っている腰つきなどの3点を観る方法を融合した見方だと思うが、そういうのを続けていくのは、良いと思う。ただ闘牛用の牛と、騎馬闘牛用の牛は違う。闘牛用の牛は、角度のあるパセの変化に対応できように腰つきを見ているが、騎馬闘牛用の牛は、走力がないと話にならない。それを何処を見て判断するか、ちっとも判らない。昨日のソルテオの見立は、6頭目の25番が微妙で、あとは良く見えなかった。騎馬闘牛用の牛は、判らないので見立てたのは闘牛用の4頭である。

 昨日のサン・イシドロは、ベネフィセンシアなのでフィリッペ4世国王がロイヤル・ボックスで観戦。その横には去年引退した片目の闘牛士、ファン・ホセ・パディージャが説明役をしていたようだ。騎馬闘牛用の牛は、ロス・エスパルタレス牧場、闘牛用の牛は、ヌニェス・デル・クビジョ牧場。騎馬闘牛士は、ディエゴ・ベントゥラ、闘牛士は、エル・フリ、ディエゴ・ウルディアレス。ノー・アイ・ビジェテ。1頭目から3頭目までは、牛をフィリッペ4世国王に捧げられた。ディエゴ・ベントゥラは、2頭目の牛で、馬の手綱を取って両手でバンデリージャを刺したりして観客を沸かせ、剣も決まり耳1枚。

 フリは、2頭目の1頭だけ毛色が違う薄茶色の牛で、ベロニカを繋ぎ、ファエナでも観客を沸かせた。膝を折ったデレチャソから始め、長いナトゥラルが繋がるとオーレが鳴った。デレチャソもナトゥラルも長いパセができる牛で、剣が決まれば耳が出る雰囲気だったが、ピンチャッソ3回じゃ耳は出ない。

 ディエゴ・ウルディアレスは、1頭目の牛で良いファエナをした。その牛のバンデリージャの場で、ビクトル・ウーゴがバンデリージャを打った後、牛の追われて、ブルラデロに戻ったが、追ってきた牛にブルラデロからわずかに出ていた体を刺され重傷を負った。その前でカポーテを振った人が牛を、引き付けることが出来なかったのが大きい。刺さったは尻で、刺さり方は牛が、ブルラデロとタブラにぶつかったように見えたが、牛は衝撃で倒れた。それだけど思っていたら、カジェホンの中で人が集まり、抱えられて医務室に走っていった。傷は左臀部領域に上昇軌道で35cmの角傷を負った。闘牛場の医務室で、全身麻酔による手術が行われた。深刻な予後を伴っているという。

 ウルディアレスは、真面目にファエナをして観客を沸かせた。笑わない闘牛士で、印象として眉間にしわを寄せている。何かそういう処は、俺に似ている。こっちもナトゥラルの手の低い長いパセが繋がり耳の雰囲気だった。剣も決まり出るかなと思ったが、デスカベジョ3回じゃ出ない。挨拶をした。

 11日のサン・イシドロは、バルデジャン牧場の牛で、フェルナンド・ロブレニョ、イバン・ビセンテ、クリスティアン・エスクリバノの3人のマドリードの闘牛士だった。この日3頭目の牛、つまり、クリスティアン・エスクリバノが相手にした牛が良かった。でも、彼は上手く牛を扱えない。耳が出てもおかしくないのに、トレアールが出来ない。それはイバン・ビセンテにも言えること。観客は牛を場内一周することを望んだが、それは叶わなかった。THさんは場内一周だと思ったといっていたが、それに値しないと思った。フェルナンド・ロブレニョだってもっと出来るはずだ。でも、去年の出場数がロブレニョが6回、イバンが3回、クリスティアン・エスクリバノが4回。これじゃ、牛の扱いも出来なくて当然かもしれない。


 6月14日(金) 晴 11124

 昨日のソルテオはTHさんと一緒に観た。部屋にいたら10時過ぎに電話があり、今日のソルテオの切符を2枚買ったという。何故なら、この日は、Mejor dia de San Isidoro だから、切符がなくなると思ったという。すっかり、テンディド7のアフィショナードである。俺には、そういう感覚は全然ない。彼らがいる、存在意義は大きいが、彼らのようになりたいとは思わないからだ。それで闘牛場で落ち合うことにした。11時過ぎに到着して20分前くらいにやってきた。

 ソルテオの見立は、セレスティーノ・クアドリ牧場の牛。1番良く見えたのは、4頭目の51番の牛。THさんと見解は一緒。THさんは、次に3頭目の29番の牛が良かったといっていた。俺は他の5頭は良いと思えなかった。闘牛はやってみないと判らない。そういう探求心をもって観るのは非常に良い事だ。子の見立はという作業は、わびさびの世界と同じで、余計なものを取り除いていくものだ。中心を観ようとする気持ちがないと、ダメだと思っている。

 昨日のサン・イシドロ30日目は、セレスティーノ・クアドリ牧場の牛で、ラファエリジョ、ロペス・チャベス、オクタビオ・チャコン。この3人をまとめて書くことにする。良い牛が出ていても出来ない。最も醜いのは、ラファエリジョ。2頭目の牛はカポーテの時から左角が良かった。ファエナで始めるのも、当然左角。どうしてそれが判らないの?デレチャソから始めて、ドタバタ闘牛。ナトゥラルは真面目にやらず、出来ないことを牛のせいにする。そういうへストが見える。まるで逆でしょう。口笛や三拍子の手拍子を受ける。その意味を考えて下さい。

 昨日は、その日の4頭目から6頭目まで、全てカポーテの時から左角が良い牛だった。ロペス・チャベスのファエナの後半はナトゥラルでオーレが出て闘牛場が沸いた。でもそれって、何故初めから判っていたことなのだから、ナトゥラルで始めないの?この日、1番良い闘牛をしたのはあなたですが、その根本が理解できていないんじゃないですか?オクタビオ・チャコンもそう。デレチャソから始めナトゥラルになるとビビリが入る。まともにナトゥラルが出来ていない。最後の牛もそうだけど、あなたのピカドールは2人ともひどかった!罵声を浴びていた。去年か一昨年、サンイシドロを沸かせた、あれは何だったんでしょうか?今年3回の出場全て観たけど、プラス要素になるような事は、ほとんど見当たらない。こなすだけの闘牛なら、ラス・ランブラス牧場では、評価されない。罵声、口笛、三拍子の手拍子を浴びるだけです。

 闘牛が終わって、部屋に戻り、夕食を取り、酒を飲んでいたが、最後に泣き出すってどういうこと?女じゃないんだから、酔っ払って泣くなよ!創作するする人間の、感情の起伏が激しいのは、良く判る。でも、それをそういう形で、出てくると、そこにいる人間がどう思うのかと、考えた方が良いんじゃないの?などと、ブツブツ呟きたくなる気分だ。そういう感情で、殻を破っていくのなら、意味がある。マイナス思考でそういう風になるんなら、驚きだ。自分の内部にあるものと、真剣に対話して、そういう処を変えないといけないと思うが、子供みたいに、あっけらかんと日常を過ごしていくなら、それも一つの手。突然泣くのはやめて欲しい。左角が良いのに、右角でトレアールする闘牛士のようで、イラつく。左だろうといいたくなる。

 ともあれ、自分の中にもそういうものが存在する部分もあるのだと思うから、そこがなんとも難しい。ため息をつくしかなくなる。そういうのって、他人が手助けして、解決することではない。その人が、方法を見つけて行くことでしか、解決できない問題だと思う。自分で発見することが重要だ。が、俺もあとから考えると、いい過ぎたのかと思うこともある。

 これから闘牛場へ向かう。今日が今年最後のソルテオになる。THさんが連絡をよこしているので、また一緒に観ることになるだろう。今日はフエンテ・インブロ牧場。フィグラがやる牧場なのに、モレニート・デ・アランダ、ペペ・モラル、ホセ・ガリドってどうなっているんだろう?というカルテルだ。しかも今年のサン・イシドロは、5月15日に続いて2回目の登場の牧場。良い牛が残っていないんじゃないかと心配になる。


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

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