−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年、2018年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行、2016年11月京都旅行、2017年9月京都旅行、11月の奈良・滋賀・京都旅行、高野山・京都旅行、2019年2月京都旅行、滞在日記です。
3月15日(金) 晴/曇 11928
最近妙に、みかんが食べたくなって、2日に1回くらい買って食べている。安いのを買ってくると、底の方のみかんが腐っている時がある。だから、買う時に透明な包装をよく見て買うようになった。朝八百屋で買い物。
今更なのだが、ラグビーワールドカップの釜石の切符を買おうと思って、公式ホームページへアクセスして、登録。いざと、見たらもう全て売り切れだった。他の会場の物も観たが、遠いところの1番安い席はあったが、東京や横浜も1番高い何万円もする席は、まだ売っているが、それ以外は、売り切れ状態。厳しい!公式じゃない処では、4万くらいで売っている。そんなもの買えない。闘牛の切符より高い切符は、買う必要がない。もうテレビしかない。きっぱり、スッキリ、諦める。でも、釜石に住む、Kに会いたかったなぁ。一緒にサッカーやったあいつの実家は、大槌町で、母親と姉貴が津波で亡くなったといっていた。復興途上の釜石にいるのも、多分いまだに、勘当状態の親父のいる実家へは行かず、されど、近い釜石にいるんだろう。あいつは、海の見える処に住みたいんだろう。俺は、川の近くに住みたいけど。人それぞれの生き方がある。一緒にギター弾いて歌っていた高校の時。ゆっくり、飲みながらでも話がしたい。吉田拓郎の『落陽』でも歌いたくなるかもしれない。それとも中島みゆきの『ホームにて』なのか、ホモサピエンス(河島英五)の『何かいいことないかな』なのか・・・。いまさら?ふっふ、それはそれで、いいと思う。
バレンシアのファジャスで、プエルタ・グランデが出た。ロペス・シモンが耳1枚が2回。ファンディは、ファンディだったし、フェレーラも観たい闘牛をやっていた。ダイジェスト動画だけど。
3月16日(土) 晴/曇 11423
ハッキリしない天気。今日から、JRを始め私鉄もダイヤ改正。それに伴い、東北新幹線の車内販売は、やめることになったという。構内の販売所の充実と、社内販売員の確保が困難になってきたというのが理由。車内販売がなくなるのは寂しい。構内とかで買って来ても、何か忘れる時もある。そんな時、制服を着た丁寧な女性販売の接客を見ているだけでも、心が和んだし、便利だった。
バレンシアのファジャスは、ノー・アイ・ビジェテで、ロカ・レイが耳3枚でプエルタ・グランデした。ロカ・レイのような闘牛は、闘牛を知らない人にも分かり易い。フリの闘牛には、観客はほとんど反応しない。アポデラードのホセ・アントニオ・カンプサーノは、セバスティアン・カステージャを育て、ロカ・レイを発見した。この二人は、体が柔らかい。体が柔らかいので、背中側を通すパセがスムーズに出来る。コヒーダも多いが、大怪我にあうリスクが減る利点がある。
スペイン時間の今日のファジャスは、マンサナレスが出場せず、ポンセとパコ・ウレニャのマノ・ア・マノになるという。片目を失っての復帰戦。大丈夫なのかと思ってしまう。マンサナレスは、手術を受けて、腰の激しい痛みなどで、医者にとめられたようだ。カステジョンから復帰するかもしれないという。
3月17日(日) 曇 14553
5月にスペインへ行く人がいて、問い合わせがあった。サン・イシドロは、まだ決まっていない。カルテルが決まらないことには、予定が立たない。多分、3週間前後になると思う。うまい具合に、良いカルテルが観れるようになって欲しいが、どうなるかわからない。22日の発表を観て、考える。
バレンシアのファジャスは、ポンセとパコ・ウレニャが耳1枚だった。二人とも、最後の牛で剣が決まっていれば、プエルタ・グランデだった。ポンセは地元で、最後の牛はのびのびって感じで闘牛をしていた。剣が決まらなかった。片目を失って復帰戦のパコ・ウレニャは、大丈夫そうだ。入場行進のあと、観客が喝采し、それにこたえて挨拶をした。ファエナも落ち着いてやっていたし、両目がある時より、冷静に牛と対峙していた印象だった。剣は、距離感が判らないので、ピンチャッソ1回の後、良い剣が決まった。これだったら、ちゃんとやれるなと思って、嬉しかった。ネットで中継している人がいて、耳を取ったファエナの後半と、最後の牛を観ることが出来た。パコ・ウレニャ、観たい。
3月18日(月) 晴 16310
暖かい日。それでも、明日からはもっと暖かくなり、4月上旬の気温になるという。明後日は20度を超えるのではという。今週は暖かい日が続く予報だ。
バレンシアのファジャスで、セバスティアン・カステージャが耳2枚取った。問題はこの5頭目のハンディージャ牧場の“オロロッソ”という名の牛。観客はインドゥルトを要求したが、プレシデンテがこれを認めず、剣を刺して殺した。記録では、アビソ2回と書いてある。動画で、ファエナを見た。良い牛であることに間違いはない。風が吹いて途中、おさまるのを間をあけて待っていた。それが、口が開いた牛にとっては良かったと思う。こういう処がセバスティアンが、経験を積んだ味だと思う。それからも右角も左角も良い。剣を代えるところまでの動画だった。
それまでは観客は、白いハンカチを振ったり、騒いだり、インドゥルトを要求していなかった。だから、剣を代えてから、観客はインドゥルトを要求ようだ。動画を観ていないが、セバスティアンが剣刺しに行こうと牛を置いて剣を構えると、観客が強くインドゥルトを要求することが2回続いたのだと思う。それでも、プレシデンテはオレンジのハンカチを出さなかった。3回目に時間が迫って剣を刺した。このプレシデンテのインドゥルト拒否に、メディアやファンが騒いでいる。インドゥルトしなかったのは、間違いだったというもの。
昔読んだ記事には、ハビエル・コンデだったか、フィニートだったか、誰かは忘れたが、観客がインドゥルトを要求し、闘牛士が剣を刺さずにアビソ3回で終わったことが書いてあった。実はこの話には続きがある。記事を伝えたメディアは、闘牛士は間違いを犯したという。何故なら、この闘牛が行われた闘牛場は第3級闘牛場だった。闘牛場は、開催日数や、その土地の大小によって、第1級から第3級まで3つに分けられている。レグラメント(闘牛規則)には、第3級闘牛場では、インドゥルトが出来ないと規定されているという。つまり、レグラメント違反は出来ないので、闘牛士は牛を殺さなければならないと書いてあった。
今回の闘牛場はバレンシア。つまり、第1級闘牛場なので、勿論インドゥルトは出来る。だから、こうやって、メディアやファンが騒いているのである。
3月19日(火) 曇/晴 9441
曇っていて、時々日が差す。気温は暖かい。応仁の乱って面白い。本も売れて話題にもなっているが、政治的にも以降下克上の戦国時代になり、火災で寺や花の御所などが焼けて、文化人は地方に避難して、そこで、文化が地方に散らばる。雪舟なども京都から今の山口に行く。京都復興のために、公共事業的に、寺が再建され、労働力が京都に集まり、食料も集まる。寺や、御所には絵が必要。新しい文化がそこに生まれる。唐物の文化が焼けて、日本風の文化が芽吹く。侘茶もそれだし、絵もそうだ。生け花も盛んになって行くのだろう。畳も盛んに使われ始めるようだ。こういう処は、江戸に似ている。
大火によって、人口が増え、庶民文化が花開く。時代の変わり目は、こういう切欠が必要なのか、必然として変わって行くのものなのか。今の時代も、地震・洪水・火山の噴火。大きな災害が続いている。何かが生まれようとしている気がする。
闘牛サイトの記事で、サン・イシドロのカルテル情報が載っているが、これがおかしい。発表の日付と時間が記入されているが、1番初めに記事が載った時から、少なくても3回更新されている。内容が更新されても、日付と時間は変わらない。スペインってこういう処が、面白いなぁと思う。
バレンシアのファジャスで、ポンセが怪我をした。観ていてたいしたことがないように見えたが、自力で立てなかった。そのまま医務室へ行った。
3月20日(水) 晴 10044
天気がいいので、散歩のついでにワークマンプラスへ行った。ユニクロは、肌着を中心に斬新な商品を出した。値段も安いと感じていたが、今はそういうイメージは大分変わってきた。作業着など青服の労働者に、機能を売りにしてやってきた、ワークマンが、デザイン性を上げ、色も多くなり、女性向けの商品も置くようになった。そして、機能だけじゃなくて、値段も安い。例えばカッパ。型落ちの物を2000円弱とか1000円弱とかで売っていた。多分半分以下の値段になっているのだろう。勿論、安全靴や作業用手袋、作業着も売っているが、カジュアルなポロシャツのようなものや、ユニクロのような汗をかいてもすぐ乾くシャツなども1000円しないで売っている。
闘牛用にカッパを買おうと思ったが、廉価物はサイズがなかった。だから、ポロシャツを買ってきた。行ったのは小さな店だったが、4月になれば、靴下も季節変わりした商品が出てくるだろうから、また行ってみようと思う。ようやく、行こう行こうと思っていたワークマンに行けたのは、良かった。大分あちこちで、桜が咲いてきた。
昨日NHK『超スゴい!クイズ若冲』を観ていて、思うことがあった。40歳で青物問屋店主を隠居し、弟に任せて、好きな絵だけを描いて過ごした若冲。その中からあの偉大な作品群が生まれた。おいらもそろそろ、隠居してそういう好きなことをやっていきたいなと思う。去年辺りから何となく、そんな感じにもなってきている気がする。
バレンシアのファジャス最終日。昼、フランス人女性騎馬闘牛士レア・ビセンスがプエルタ・グランデ。午後、代わりに出場したフィニートが耳1枚だった。次は、カステジョン。週末か来週には、予定が立つだろう。
3月21日(木) 晴 13095
昼頃から強い風が吹き始めた。帽子が飛ばされそうな、突風も吹いている。春を呼ぶ風なのだろう。雨が降るという予報だったが、まだ降っていない。強風になったのは、予報通り。
♪どんなときも どんなときも
僕が僕らしくあるために
「好きなものは好き!」と
言えるきもち 抱きしめてたい
どんなときも どんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること 僕は知ってるから♪ ――『どんなときも』 槇原敬之より――
『まんぷく』で、いよいよ、カップヌードルの開発に成功した。インスタントラーメンを始めてみたのは、昔書いた。カップヌードを初めて食べた時のことはまだ書いていない。お湯を入れるだけで、具の入ったヌードルが簡単に出来る。それは便利だ。中学の頃、デパートで試食したのが初めてだった。海老や卵が入っていた。それは、ビックリしたが、そんなに美味しいものだとは思わなかった。インスタントラーメンを食べた時も、初めは美味しいと思わなかった。それがだんだん慣れてきて、食べたくなった。それは、一人で作れるので便利だったからだ。カップヌードを忘れていた頃に、連合赤軍の浅間山荘事件が起きた。寒い冬の山の中で、立てこもった連合赤軍と対峙する機動隊員が、カップヌードを食べて寒さと空腹をまぎらわせた。
朝から夜中まで、テレビ中継され最高視聴率はNHK民放合わせて89.7%を記録した。その中で、機動隊員がカップヌードを食べる姿が流れた影響で、知名度は一気に上がり、生産が追い付かないほど売れだした。『まんぷく』の話をしていて、インスタントラーメンやカップヌードルを食べたことを、笑い話のように話している。朝ドラで福子が、「おいしい」とにっこり笑って萬平にいうシーンがあるが、そんな感想は、初めて食べた時は、もたなかったというのが実感だ。そんな話をすると、確かにと、言われ笑っていた。それでも、今どこへ行っても、インスタントラーメンが売っている。日本だけじゃなくて、スペインでも売っている。開発した安藤百福は、息子の現社長に、ラーメンを売るな。食文化を売れと言い出したという。世界には、優秀な経営者が一杯いる。その国にあったラーメンを作ってくれる。そして今では、世界で年間1000億食が食べられているという。開発したインスタントラーメンの特許を公開して、「協会」を作り、粗悪品がなくなるように、消費者の安心信頼に応えてきた成果が、今に繋がっているのだろう。
今のように、パソコンがあり、メールがありする時代。それはそれで凄いことではあるのだが、アナログの世界に生きていたからこそ出来た世界が、安藤百福が作ったインスタントラーメンやカップヌードルの中にある。そこには、肉体の色々な表情を感じるのだ。汗やその香り。苦闘、努力や必死さや、悲しさ、わびしさや儚さまでもが、感じられる。それは、闘牛を観ている感覚に近い。デジタルでない、そこにいなければ、体験を感じられないものがある。理屈もあるが、それを越えた実に人間的な感情や感覚、触感のようなものが、震えるのだ。
3月22日(金) 晴 14034
昨日ことを振り返りたい。満月が夜空に浮かぶ春分の日だった。夕方、開幕2戦目にあたる試合が始まるか頃に、共同通信が、試合終了後に、イチローが一線を退く会見を開くという情報が流れた。情報元は、マリナーズ球団からというものだった。オープン戦の打率は、1割を切り、20打席以上ヒットがなかった。そういう状態で、日本に来て、日本のオープン戦でも、ヒットを打つことが出来なかった。それでも、ファンは、一挙手一投足に熱狂した。背面キャッチに歓声が上がり、打席に入れば、手を合わせて見守った。
僕が全部見れた打席は第3打席だった。初球の打ち頃の球を見逃した。そして、空振り、見逃しの三振だった。正直な感想を書けば、全然打てる気がしなかった。技術がどうのじゃない。もう気持ちが前向きじゃなかった。自分でもどうする事も出来ないような状態になっていた。新人がガチガチに固くなっている状態に近い。イチローらしくない。それを観て、終わるんだなと、実感した。
第4打席が終わり、守備位置につくと交代を告げられ、ベンチに戻ると全員が出迎えて、抱擁を繰り返した。イチローの最後だ。観客は涙を流している。菊池雄星もゴードンも泣いている。延長戦の試合が終わってもほとんどの観客が帰らず、イチロー登場を催促している。しばらくしてイチローが登場して、場内一周。ウルティモ・ブエルタである。多くのファンが涙する中、笑顔で手を振りながら挨拶をした。
試合後の会見は、約1時間半行われた。ここでも、イチローには涙がなかった。マリナーズの球団関係者や、チームメイトに感謝して始まった。イチロー節全開だった。全部を観た訳ではない。印象に残った部分を記したい。
「──現役としての選手生活に終止符を打つタイミングと理由は。
タイミングはキャンプ終盤ですね。日本に戻ってくる何日前ですかね。何日前とははっきりとお伝えできないですけど、終盤に入った時です。もともと日本でプレーする、東京ドームでプレーするところまでが契約上の予定だったということであったんですけど、キャンプ終盤でも結果を出せずに、それを覆すことができなかったということです。
──子供達にメッセージをお願いします。
シンプルだな。メッセージかー。苦手なのだな、僕が。
野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つければそれに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしいと思います。
それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁にも、壁に向かっていくことができると思うんです。それが見つけられないと、壁が出てくるとあきらめてしまうということがあると思うので。いろんなことにトライして。自分に向くか向かないかよりも、自分の好きなものを見つけてほしいなと思います。
──いま思い返して、印象に残っているシーンは。
今日を除いてですよね。この後、時間がたったら今日が一番真っ先に浮かぶのは間違いないと思います。それを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものは大したことではないというか。
自分にとって、それを目指してやってきたんですけど、いずれそれは僕ら後輩が、先輩達の記録を抜いていくというのはしなくてはいけないことでもあると思うんですけど、そのことにそれほど大きな意味はないというか。そんな風に今日の瞬間を体験すると、すごく小さく見えてしまうんですよね。その点で、たとえば、わかりやすい10年200本打ったとか、MVPをとったとか、オールスターでどうたらというのは、本当に小さな事にすぎないと思います。
今日の舞台に立てたということは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって。その後にチームと一緒に練習を続けてきたわけですけど、それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかったと思うんですよね。今まで残してきた記録はいずれ誰か抜いていくとは思うんですけど、去年の5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれない。ささやかな誇りを生んだ日々であったと思うんですよね。去年の話だから近いということもあるんですけど、どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います。」
場内一周の引退で思い出すのは、長嶋茂雄だ。涙をぬぐいながらの長嶋に比べ、イチローは大人だなと思った。冷静だ。偉大な記録よりも、この日本での2戦の為、勿論、今シーズンを戦うために、モチベーションを保って、試合に出なくても練習してきたことを、「ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います。」と、言った。立ち向かった壁が高ければ高いほど、厚ければ厚いほど、それを乗り越えてきた人は、実に人間的な豊かさを持つことが出来るようだ。
日本へ来てオープン戦でも、結果が出ていなかった時、中畑が書いた記事を読んだ時、その言葉が気持ちにフィットした。イチローの姿に、覚悟を感じるというものだった。メジャーリーグの後輩たちがいろいろなコメントを出している。それは、あえて書かない。菊池雄星のメジャー初登板の日に、引退したイチロー。雄星の号泣について、「号泣中の号泣でした、アイツ。びっくりしました。それ見てこっちは笑ってましたけどね(会場笑)」といい、大谷について、「世界一の選手にならなきゃいけないですよ。」 「投げることも打つこともやるのであれば、僕は1シーズンごとに投手、次のシーズンは打者としてサイ・ヤング(賞)と本塁打王をとったら。そんなことなんて考えることすらできないですよ。
でも、翔平はその想像をさせるじゃないですか。この時点で明らかに人とは明らかに違う選手だと思う。その二刀流は面白いと思うんですよね。なんか、納得いってない表情ですけど。投手として20勝するシーズンがあって、その翌年に50本打ってMVP取ったら化け物ですよね。でも、それが想像できなくはないですからね。そう思ってますよ。」
イチロー本人だけが明るくて、ファンは涙し、関係者やマスコミも、なんか落ち着かない違和感の中に身を置いていたような気がする。
「人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。
あくまで測りは自分の中にある。それで自分なりにその測りを使いながら、自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの間にかこんな自分になっているんだという状態になって。
だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないと思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない。進むというか、進むだけではないですね。後退もしながら、あるときは後退しかしない時期もあると思うので。でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。
でも、それが正解とは限らないわけですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。でも、そうやって遠回りをすることでしか本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。」
イチローは、偉大な記録沢山持っているが、彼の言葉には、経験・体験したものからしか訊けない金言が織り込まれている。
3月23日(土) 曇 9542
3日間続いた最高気温20度以上から、今日は冬が戻ってきたように寒い。雨の予報になっている。早く目覚めて、発表されたサン・イシドロのカルテルを見る。パッとしないのは判っている。朝ドラ観たり飯食ったりしながら、カルテルを書き上げてアップ。テレビでは、春の選抜高校野球が始まった。それから洗濯。THさんから連絡がありやり取り。アボノは買わないようだ。向こうに住んでいれば、そういうこともできる。行くからには、観たいと思う処を繋ぐしかない。さっと見て、それをやると思ったより長くなることになる。それと、20日までスペインに行っている人との会えない。どうするか、手帳観ながらにらめっこになりそうだ。それと、マドリードの宿の絡みもある。
ポンセは思いの外悪く、4時間の手術をしたアンヘル・ビジャモル医師が、記者会見して、壊滅的な膝であることを語った。去年の暮れのコヒーダで、すでに壊れていた前十字靱帯に加え、内側外側靱帯、2つの半月板、脛骨の骨折した。さらに2cm沈没したいた。オートバイのライダーやスキー選手の怪我などから、理学療法から始め、時間が経てば完璧になるだろうと、アンヘル・ビジャモル医師は述べた。それでもファン・カルロス国王の腰と膝の手術した事で知られる医師は、サン・イシドロに出場するのは、非常に難しいだろうといった。闘牛士に何かが起こる可能性がある。100%扉は閉まっていないとも言った。しかし、運動選手の経験から、前十字靭帯が成熟するには、5〜6か月を必要とする。すでに彼の回復具合を驚いていいるので、2〜3か月早くなるかもしれない。2か月で骨がくっついて、合併症がなければ復帰できるかもしれない20歳と、47歳の膝は同じではない。
医学的には、ポンセはサン・イシドロ出場は無理だ。悪くすれば今シーズン出場できないだろう。落下した時の変な感じは、膝と脛骨を破壊した。こういう状況で、サン・イシドロのカルテルが発表された。予想通り、決まっていたポンセの名前が消え、フリの名前が載っていた。対応が早い。発表は10時からか、14時になると思っていたら、20時15分からだった。それで朝にカルテルをみた。THさんが不満をいうのは良く判る。それにしても、タラバンテが出ないだけで、興味が半減するサン・イシドロのカルテル。ギジェルモのコンフィルマシオンもなくなっていた。来年かな?これから、コルドバやグラナダなどのカルテルが組まれるだろう。ホセ・トマスの気配も感じられない。
昨日の日本対コロンビアのサッカーの試合は面白かった。ワクワクしたが、PKで0-1で負けた。裏でやっていた女子フィギュアの世界選手権は、紀平梨花は、転倒して、4位。優勝は復活したザギトワ。「マサル勝ったよ」と、言っていた。今日は、男子。SPで12点くらい差をつけられた羽生結弦の優勝は、紀平と同じく難しいだろうなぁ。
3月24日(日) 晴/曇 14270
全長162キロ、日本最長の第三セクターの三陸鉄道リアス線が、今日営業を開始した。『あまちゃん』のオープニングで流れて映像のまま、久慈から大船渡の盛駅までの、東日本大震災で被害があった岩手県沿岸部を繋いだ。地元の人たちは、待ちわびた開通だ。大震災3か月後の田老町に行った時、三陸鉄道田老町駅に降りて愕然とした。駅のホームから海側を見渡すと、1キロか2キロ先にある高さ約10mの堤防までの間に建物が一つもなかった。すぐ近くある道路を自動車が走っている。そこも堤防のように高くなっている。そこを乗り越えて津波が来た。
三陸鉄道も道路と同じように盛り土の上を通っている。下を見ると旅行案内所の建物に1階部分が、鉄骨が露出してその横のバス停の脇のガードレールが、水の圧力でグンニャリ曲がっている。それを観ているだけでも、津波の被害が容易に想像できる。ホームの降り口は2か所あるが、1か所は手を付けていないので通行不能になっていた。ホームの下まで、津波の被害ある。田老町の堤防は、高さ10mある。それが二重になっている。堤防2つを越え、道路の盛り土を越え、やってきた。駅から堤防まで家が一軒も立っていない。しかも冬の3月。たぶん寒さの震えより、津波の怖さに震えたのかも・・・。
『あまちゃん』のオープニングテーマ曲のように、被災地に希望の灯をともすのは良い事だ。その中で、釜石でラグビーワールドカップが開催される。
今日のGT高松宮記念は大波乱。他のレースも大波乱が続いた。高松宮が3連単で、449万円、中山のメインも124万円、阪神メインが4万5千円といずれも万馬券だった。9の日なのでこういう事もある。結果的に、今日は「見」だったので、被害はない。為替相場を見ると、明日がユーロの買い時だ。両替に行こうと思う。
3月25日(月) 晴 16204
朝両替所へ行ってユーロを買ってきた。世界経済が後退するサインが出たということで、株価が急落し、円高にふれている。物事は、最高の状態で進むとは限らない。これからもっと、円高になるかもしれないし、逆に円安に振れるかもしれない。取り合えず最良ではないかもしれにが、良好な状態の処で、両替することが出来た。
マドリードからも連絡があって予定も決まった。あとは飛行機と、サン・イシドロの切符を手配することになる。何人かに連絡を取った。
3月26日(火) 曇/晴 9054
朝早く目覚めて阿字観。それから散歩に出かけた。薄いピンク色の花びらのところどころ、濃い紅い色の花びらがあったり、一輪の花びらが濃い色のものが一本の木についていた。何という桜の木なのだろう。こういう桜を観ると嬉しくなる。珍しい桜だ。戻って、『まんぷく』を観て、シャワーを浴び、健康診断に行った。今日は早く終わって、ファミレスで朝食。それから新幹線の切符を買って帰ってきた。
部屋に戻って、旅行会社へ電話して話をした。それから、ネットで検索などしていたが、航空会社のホームページに予定日など入れていたら、そっちの方が安いことを知る。それで、チケットを買った。あとは、サン・イシドロの切符を買うだけ。
3月27日(水) 晴 16118
昨日夕方、病院へ行って処方箋を書いてもらい、薬を取ってきた。帰りに観た夕日が、大きく真っ赤だった。東京のしかも、線路の上に沈んでいく太陽が不思議にきれいだった。今日は、朝早く盛岡へ向かう。年末に死んだ母の葬式が明日あるからだ。桜咲く、春の東京から、最低気温が零下の冬の盛岡へ。
志明院に行った日。トギちゃんに最後に行った大徳寺から車で送って貰って、地下鉄の駅まで送って貰った。降りたところは、島津製作所がある処だ。サラリーマンノーベル賞受賞者田中耕一がいる会社だ。『平成スクープドキュメント』の中で、血液一滴からアルツハイマー病を発見することが出来る発表した田中に、NHKがインタビューした番組だった。最後に、田中は、イノベーションとは、技術革新などといわれているが、杓子定規に考えるのではなく、「もともとイノベーションの日本語訳は『新結合』、あるいは『新しい捉え方』とか『解釈』です。いろいろな分野の方々が集まって新しく結合する、新しい解釈をすることがイノベーションなわけです。失敗と思われることも、別の分野ではすごい発見になるかもしれない。もう少し柔軟に、広く解釈すれば、イノベーションはもっとたやすくできると思います。イノベーションを実際にやっている人も、単にくっつけただけじゃないかと思って、自分自身を低く評価している。そういった人たちに、もっと気楽に考えようよ、意外と簡単にできるよと伝えたい。」と、言っていた。
新結合、新しい捉え方、解釈だという。そうだよなと思った。解釈が新しいものを産むんだと思った。たぶん、こういうことを自分の頭の中でやってきたことなんだと感じた。これが新しいもの産む。強く響く言葉だ。
3月28日(木) 曇時々雪 7517 盛岡にて
盛岡は寒い。昨日は到着すると雪がチラついていて、さっきまで雪が降っていたと、むかえに来た弟がいっていた。今日の最低気温は−1度くらいで、お寺に着いたら雪がチラついていた。葬式と納骨は1時間くらいで終わった。いとこなど親類が顔を合わせた。久々に見る顔もあった。いとこは、ようやく4月から盛岡へ戻ってこれると喜んでいた。水沢まで通っていたが、地元の盛岡勤務へ。残業なしから残業があるようになるといっていたが、嬉しそうだった。苦労が人間を丸くする。別に体形のことではないのだが・・・。
もうこうやって集まるのは、葬式のようなときだけになってきた。子供の頃のように、休みの時に遊びに行ったり、正月に会ったりすることもなくなったと思った。東京から母方の1番年上のいとこが、秋田から次に年上のいとこがやってきた。父方のいとこで1番上の俺なので、みんな下だ。おじさんたちも、体が動かなくなって来れない人、死んでしまった人もいる。90を超えた遠縁のおじさんも来た。町内の人も来た。質素な葬式だ。
法事もなしに、解散した。前後に色々な手続きを弟とやった。両親が亡くなった今、こういう作業をしながら、弟と二人になったんだなと、感じていた。仲が良くてよかった思う。仲が悪かったら最悪の状態になっていたと思うとぞっとする。故郷の訛り懐かし停車場のと、啄木は書いたが、この音はなんなんだろう。体に染みついている音であり言葉だ。寺山修司や三上寛、友川かづきの訛りを訊くと、何処か気持ちというか、耳がホッとする。たぶん、大谷翔平や菊池雄星が、テレビで岩手訛りを喋ったら、笑いながら狂喜するかもしれないが、今やメジャーリーガー。メディアではそんな言葉を発するはずがないだろう。あるとすれば、岩手ローカルのテレビだろう。でも、訊いてみたいな大谷の、「んだ、んだ」を。『あまちゃん』で海女が「んだ、んだ」って言ったように。そのあまちゃんをやった能年玲奈は今、岩手銀行のポスターになっている。岩手の人は、『あまちゃん』を忘れてはいないのだ。
3月29日(金) 曇 6079 東京にて
今日の盛岡は、-3度だった。弟と話をして出勤後、朝ドラを観て駅に向かった。駅で駅弁を食べ新幹線で上野に着く。降りると上野は凄い人。パンダ?と思って歩いて行くと、理由が分かった。桜である。花見客と噴水前にテントで出店が並んでいる。動物園の前には行列が出来ている。それを横目で見て東京都美術館へ行く。そこで本を買って、途中本屋へ寄って本を買った。ついでに昼食のハヤシライスを食べ帰ってきた。東京も盛岡ほどではないが寒い。
昨日の夜、BSを観ていたら『新日本風土記』で上野をやっていた。ジャイナ教 日本に来て23年、あの方を知らなかったけど、あの方の声を聴いてひとめぼれして、何のつてもない日本にやってきた。上野のアメ横を観た時、ニューデリーの市場と同じだと感じたという。インドにいる感じがしたという。そして、あの方のデビューから引退までのCD全部持っている。何度聴いてもあきないという。ある時、訪ねて行って、会ってくれたという。その写真を見せる。でも、あの方の部分は紙で隠している。あの方は、私にとって菩薩です。目を潤ませて、来日23年でペラペラの日本語で語る。その声を聴いてひとめぼれしたあの方とは、山口百恵。『山口百恵は菩薩である』どっかで訊いた言葉だ。そう平岡正明の本のタイトルだ。平岡の本で1番売れた本。そのタイトルの通り、彼は、彼の言い方でいう、あの方は、菩薩ですと言う。凄いことだと思った。今は、日本人の妻と上野に暮らし、宝石店を出している。500店あるという日本一のジュエリー拠点。ジャイナ教徒と、朝上野公園を散歩し、みんなで不忍池のほとりで笑う。ベジタリアンで禁欲生活のジャイナ教徒が朝の笑いで、楽しさを忘れないようにするためだという。
岩手屋という飲み屋。神田明神近くになる。昔何度か行ったことがある。海産物など色々ある。東京では珍しいアワビの殻に入った焼ウニなどもある。そして、1番感動したは、子供の頃からおばあちゃんが作った大根の漬物。白い色の大根の歯ごたえと、素朴な味が味わえる。盛岡南大通り出身だと記憶する。盛岡は、1日の寒暖の差が激しいので、東京でこの漬物を作るには、冷蔵庫に入れたり出したしないとこの味にはならないといっていたのを思い出す。そこに集まる岩手県人。昔いた戦争孤児や浮浪者のことを話したり、帰郷で上野駅のホームで宴会をやったり、東京へ出てきて岩手県人たちが、思い出話をしているようだ。昔は、岩手の人ってあまり来ていなかった気がするけど。
『まんぷく』では、母の鈴が、観音様になっている。観音様なんだから怒らない。とか、私は武士の娘ですが、口癖の福子の母、鈴。武士の娘から生前葬をやって気持ちが穏やかになる。だから、家族から観音様と呼ばれるようになる。
盛岡に帰った日に、THさんから連絡があって、6月22日にホセ・トマスがグラナダで復帰するというニュースを教えてもらう。それで、航空会社に訊いたら、キャンセルは出来るが、変更はできないという。そしたらその後、噂で、アルヘシラスでディエゴ・ウルディアレスと出場するという話もあるという。本当ならインテンタールすることを考える。しかし、早くしないと空席がなくなるぞ。
3月30日(土) 曇 11580
曇っていて寒い。『まんぷく』も最終回。まんぷくヌードルは、若者をターゲットに歩行者天国で売り出されると、完売する。それが歩行者天国のニュース映像が流れると、問屋から注文が殺到し、再びスーパーの店頭で売り出されると、右肩上がりの売り上げと記録する。
白石冬美が死んだ。アニメ『巨人の星』で、星飛雄馬の姉、明子の声優だ。そして、深夜放送『パックインミュージック』で、アラン・ドロンなどの吹き替えの声優だった野沢那智と組んで、ナチ・チャコで人気を得た。だから、顔がなかなか思い浮かばない、徹底的に声の人だ。思い浮かぶのは、対照的だが、明子の声と、ラジオから流れてきた、明るい笑い声だ。萩原健一も死んだ。テンプターズのボーカルから、ジュリーとツインボーカルでやったPYG(ピッグ)もそんなに売れなくて、グループサウンズが終わった。それから俳優になり、『太陽にほえろ』『新宿さすらい節』『傷だらけの天使』『前略、おふくろ様』で、人気になったショーケン。もし、水谷豊が『傷だらけの天使』で、競演していなかったら今の水谷豊はいなかっただろうし、『前略、おふくろ様』で共演した川谷拓三にも同じことがいえるだろう。しかし私生活では、大麻所持など4度逮捕。結婚4回。浮名を流した女は、両手では足りないくらい。ショーケンの『愚か者』は、本当にショーケンのダメ人生を歌っている迫力があった。おそらく歌手としてより、断然俳優としての才能が輝いていたのだと思う。共演者や、監督などの話では天才という言葉が出てくる。ショーケンの、かっこつけた人生は終わった。晩年は、四国八十八か所の遍路を何度も重ね、仏教研究をしていたようだ。人間には、心の平安が必要なのだ。苦しいだけの人生ならやってられない。楽しさや喜びや笑顔がなかったら、つまらない人生になって行くのだろう。
昨日買ってきた本を読んでいる。1つは、『へんちくりん 江戸押絵本』小林ふみ子著は、読みやすい押絵の解説書。そして、『若冲伝』佐藤康弘著は、タイトルそのままの本で、美術史家が書いている。これは、読み応えある。ここには、いろいろなヒントがあるはずだ。
ムンド・トロに載っている記事では、アルヘシラスのホセ・トマスは、カルテルが4月4日に発表になるようだ。その時、判るだろう。THさんから、マラガにも出るらしいという情報を得た。それだけ体調が良いのだろう。それまで空席があるのか?グラナダの宿の予約を入れた。グラナダで、下山さんやTHさんにも会えるかもしれない。Yさんは来ないんだろうなぁ、きっと。
3月31日(日) 曇 13307
なんかここ2日、パソコンの立ち上がりがおかしい。強制終了して再度立ち上げて、ようやく起動するような塩梅だ。何かがおかしいようだ。しっかりしてくれよと、思ってしまう。こういう具合だと、不安を感じる。切符買えるのとか・・・。
昨日、ドバイで競馬のワールドカップが行われた。GT5レース、GUレース2レースが行われて、注目のアーモンドアイがドバイターフで、優勝した。2着がヴィブロス、4着ディアドラと日本馬が上位を占めた。アーモンドアイは、最後の直線ルメール騎手は持ったまんまで先頭に立ち、楽勝した。凱旋門賞へ向けて、夢の膨らむ優勝だった。他のレースでも日本馬は上位に入線した。日本のGT馬は、海外でも勝負できるということが、結果に出ている。
今日が大阪杯、来週は、桜花賞、再来週は皐月賞。いよいよクラシックが始まる。うーん、春が来たことを実感する。
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