断腸亭日常日記 2019年 1月 その2

--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年、2018年のスペイン滞在日記です。
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 1月25日(金) 晴 11613

 起きて久々に、阿字観をした。それから散歩や食事をして、歯医者に行った。そうしたら、1時間時間を間違えていた。時間をつぶして、治療を受けた。麻酔がだいぶ切れてきたので、夕食を取った。

 『京都人の密かな愉しみ Blue 修行中』の中で、陶芸家の父親に、娘の柚子が梅の皿を描きたいというと、反対にあう。何故なら、梅や桜、松に菊は大ネタだから昔から扱われている題材で、どうしても比較されるので、辞めた方が良いという、親心だった。それでも、描こうと、庭木職人の親方、通称、梅の美山に相談に行く。梅を描くのは分不相応ですか?と。分不相応ということはないが、実力差がハッキリと現れる画材で難しいという。そして、梅の庭を見せて回る。そこで親方は、梅といっても色々な雰囲気がある。それを皿の上に写すには、風情が必要だという。「梅は風情を良しとする」。結局優子は梅を諦めて違う花、苔に椿とした。それを観た師匠の父親は、良い風情やなと、いった。

 日本画家がやったことは、花鳥風月の中に、親方がいう風情という物を写し取った。『江戸あばんぎゃるど』の中で、アメリカ人コレクターたちが江戸の日本画に心躍らせたのは、西洋画の理論を無視した作風に、風情を感じたからだと思う。文字にすれば二文字。しかし、これが難しい。

「 パン職人上町葉菜 あきませんか? パン屋の店主玉井利夫 アイデアとしては悪るない思うねんな。梅ジャムいうのもあるし、そやけど、梅干しジャムはちょっと。 葉菜 うちあんぱんのおへそに入っている、梅の塩漬けが好きやし、いける思ったんですけど。 玉井 いや、発想はええんや、発想は。北野の天神さんの梅で作った梅干しを使ういうのんは、春の創作パンのアイデアとしてはおもろい。 葉菜 堪忍です。親方。 玉井 謝ることないがな。 ナレーション どうも葉菜は、このところスランプ気味みたいや。 葉菜 親方みたいに、きっちり王道行ってるパン職人の弟子が、けったいなものばっかり考える女で。 玉井 けったいと、天才は、紙一重や。 葉菜 い、しかおうてませんやん。 玉井 ん、そういう意味とちゃうし。 葉菜 変なことばっかり思いつく自分が、嫌になりますわ。まだまだパンの基本も出来てへんのに。 玉井 よう似てるわ。 葉菜 えっ、うちのお父ちゃんにですか?それ、あんまり嬉しないです。 玉井 いやいや、染上の大将は、職人としてはむしろ、わしと同じタイプや思う。仕事はきっちりやけど、融通が利かん。 葉菜 ふっ、確かにそうやわ。今度いっときます。 玉井 いやいやいやいや。そんなん、いわんといて。怖いし。 葉菜 冗談です。 玉井 ふふ。修業時代に小林君いう兄妹弟子がおってな。葉菜ちゃんがこの男によう似てんねん。けったいな男やけど。天才やな、あいつは。 葉菜 ひょっとしてみつやの製パン部長の。 玉井 年がら年中パンのことばっかり考えてる男でな。しょっちゅうひらめいては、親方の目盗んで、けったいなパン焼いて、怒鳴られてたわ。 葉菜 滅茶苦茶王道のパン焼かはる人ですやん。 玉井 そら、老舗のトップ職人やからな。京都の人らの口に合うパンを、追及してるんやけど、たまに我慢でんようになって、試作やいうて、売り物にもならんけったいなパン焼いてるみたいですわ。しかし、この試作品、けったいやけど美味い。 葉菜 うちの焼いたんは、けったいで不味い。最悪ですね。 玉井 小林君にあって、葉菜ちゃんにたらんもんは、なんやろな? 葉菜 才能、技術、経験。全部ですね。 玉井 圧倒的な失敗の数やと、わしは思うねんけどな。」(京都人の密かな愉しみ Blue 祝う春)

 葉菜は高校の同級生があつまる飲み屋で、焼いたパンを試食してもらう。「料理人松原甚 葉菜。 葉菜 はい。 甚 微量やけど白味噌が入ってますな。 葉菜 わかる。 甚 せっかくええ酒粕使こてんのに、香りも味も、ちょっともっさりしてるんは、そのせいや。なんか、ヌタ食うてる感じ。 葉菜 この前おばちゃんが作ってくれた、酒粕のヌタをヒントに試してみたんやけど。やっぱり余分やったな。 おばちゃん そやな。このパンに関しては余分な足し算かもしれんな。 葉菜 酒粕の量を、色々調整してこれが適量いうのはわかったんやけど、最後の一押しみたいな、酒粕を際立たせるもんがみつからへんねん。 甚 白味噌は、他の味噌より2倍ちこう米麹をつこうてる。ゆうたら、白味噌と酒粕は、似たもん同士の親戚や。ほんのちょっとの隠し味にするんやったら、親戚より親がええな。 葉菜 親。お酒入れるん。 甚 立春朝搾りの純米吟醸をほんの一滴(ひとしずく)。その方が上品な風味が出ると思いますけど。 葉菜 あんた、ええこというわ。 英二 その舌に、腕がついてきたらええんやけどな。 甚 まっ、一日一歩ですわ。はい。ハハハ。」(京都人の密かな愉しみ Blue 祝う春)

 足し算より、引き算。余計なもんを引いて行く。枯山水の白石に波を描き、水を感じさせる、それ。それを、江戸時代の絵師たちがやったことなのだろうと思う。そして、基本になるのは、自然や四季。花や木、生き物を生き生きと描く。仏教が入ってくる以前の神道的な、自然を敬う気持ちが、絵に現れたのだと思う。


 1月26日(土) 晴/曇 12969

 北海道や日本海側では、雪が降っている。東京は寒いが天気は良い。治療した歯に、かぶせ物をするために、型を取った。出来るまで2週間かかる。それまで、歯の上に仮のかぶせ物をした。左右の臼歯なので、食べると必ず使う処。それが取れたら、どうするのだろうと、訊いたら、大丈夫取れませんと、先生はいったが、そのあとで、取れたら来てくださいと、いった。それはそれでいいのだが、熱いものを食べるとしみる。痛い。こんな感じだから、酒を飲む気になれない。食べ方に、工夫が必要だ。

 明治時代から植物採取をして、1500種の新種を発見し戦中に植物図鑑を発売した牧野富太郎。地元高知の植物を調べ上げ、当時最高峰といわれた東京帝大へ。研究結果を認められて研究室への出入りが許可される。日本にも、食虫植物があることを発見。しかし、何故か研究室への出入りを禁止される。嫉妬があったのかもしれない。全国を旅して、植物採取。採取したものは、支えた妻のいる東京へ送る。それらの活動は、借金によってまかなわれた。そういう苦労を乗り越えて、研究室へ復帰。日本の植物図鑑を作りたいという強い思いで、研究に突き進んでいた。

 牧野を支えた妻、壽衛(すえ)が病気になる。その時、新しく発見した先の丸い笹を「すえ小笹」と命名する。「私は困難な生活の上で行き詰っていたか、あるいは止むを得ず商売替えでもしていたかも知れません。よくもあんな貧乏生活の中で、専(もっぱ)ら植物にのみ熱中して、研究が出来たものだと、我ながら不思議になることがあります。それほど妻は、私に尽くしてくれたのです。」(自伝) しかし、壽衛死ぬ。

 世の中の あらん限りや スエコ笹  牧野富太郎

 植物採取で、集めた膨大な標本からは、今ではDNAをみることができる。細胞レベルで分類していた時代も、重要だっただろうが、DNAが解ればより、詳細な分析ができる。そういう遺産でもあるのだと思った。ましてや、牧野がやった、全国への植物採取の呼びかけで集まった数は半分にのぼる。そのやり取りでは、南方熊楠から送られたものもある。小学生が送った植物とそのスケッチを添削して、こう描いた方が良いというアドバイスまで送ったり、これを取ったら、これはないか調べて欲しいなどの依頼をしたりもしている。その中から今は植物学者になっている人がいる。「植物は、実地の研究が一番大切」。牧野が開いた植物観察会は、今でも続いているところがあるという。今でも牧野が出した植物図鑑は、版を重ね発行されている。植物図鑑として今ではスタンダードになっている。牧野と、南方熊楠の違いは何なんだろう?そういう違いを考えたり、感じたりすることも、面白いと思った。生前牧野は、何故研究するのかと問われ、「私は植物の精だから」と、こたえたという。

 朝夕に 草木を吾の 友とせば こころ淋しき 折節もなし  牧野富太郎


 1月27日(日) 晴 12622

 昨日の京都12Rは、ダートだったが、芝もダートも薄っすらと雪が積もっていた。心配された降雪はなかったようで、今日も京都で競馬が開催された。昨日は、風が強く寒い日だった。ハラハラした全豪オープン女子決勝。第2セット、あと1ポイントで優勝が決まるという処から、サービスをキープされて、逆転されセットを落とす。涙ぐんでいるように見えた。トイレタイムを取って、勝負の第3セット。第2セットの失敗を繰り返さないようにしたという。トイレに行った時に、私は1番強い人と対戦している。と自分に言い聞かせ、冷静さを保ったという。試合後のインタビューで、そのことを訊かれ、あそこは、彼女のサービスゲームだったので、そういうこともあると、軽く流していた。そういえるメンタルが凄い。

 2-1で勝ったが、これで全米オープン、全豪オープンとグランドスラム連勝である。「この快挙を、女子テニスのレジェンドたちも称賛している。現在のWTAランキングの初代ナンバーワンであるクリス・エバート氏は、「グランドスラム連勝はまれにみる特別な快挙で、その結果、なおみが女子テニスのトップに立ったことをとてもうれしく思う」とコメントした。

「彼女のエキサイティングなプレースタイル、加えてコート内外で見せる品位は、テニスファンから大いに愛される魅力的な組み合わせ」「まだまだ若く、ナンバーワンとして成長を続けられる大きなポテンシャルを秘めている。将来をとても楽しみにしている」

 同じく元女王のビリー・ジーン・キング氏も、日本人の母親とハイチ人の父親を持つシャイな大坂の姿に感銘を受けている。キング氏はツイッターに「グランドスラム2回目のチャンピオン、おめでとう大坂なおみ!」「あなたの未来は明るい。その才能、熱意、意志の強さがさらなる高みへ連れて行ってくれるでしょう」と書き込んだ。

 マルチナ・ナブラチロワ氏も大坂に喝采を送り、「全米オープンを勝って大坂なおみはスターになった。そして今、全豪オープンを勝って世界1位になった彼女はスーパースター!」と話している。」(AFPBB News)

 大坂なおみは、凄いことをやった。それは、上記のレジェンドたちのコメントを読めばわかる。何度かメンタルが凄いことを書いてきたが、それを支えたは、戦略などを組み立てたりしたサーシャコーチと、体幹をなど鍛え、体作りを担当したシラートレーナーの存在が大きいようだ。二人は、セリーナ・ウィリアムズの処で一緒に働いていた仲のようだ。シラーは、「アメフトのNFL選手の俊敏さ、短距離走者のスピード、サッカー選手の持久力を併せ持った大坂を作り上げたい」そして、「フェデラーのような熟練で、ジョコビッチのような安定性、そしてナダルのような攻撃性を持つ選手」にしたいようだ。「彼女はもっと高いミッションを希望している」という。体作りが、強化されてきているから、当然のようにメンタルも強くなってきたようだ。

 最後に決勝で負けたペトラ・クビトバについて書いておきたい。ウインブルドンを2度制したことがある実力派。しかし、自宅で強盗にあって利き腕の左腕を切られる大怪我を負って、再起不能ともいわれた。そこから、グランドスラムの決勝へ進んできた。アドバンテージサイドからのスライスサーブは外に切れて行くので、レシーブするのは大変だ。大坂もそのサーブに苦しんだ。彼女がそういう不幸な境遇から再起していたことに拍手を送りたい。良い試合を観れて良かった。レベルが高い試合だった。


 1月28日(月) 晴 16878

 夜の風は冷たい。嵐が、2020年をもって活動を休止することを発表した。その原因がリーダーの大野が、芸能活動を休止を望んだ。「一度何事ことにも縛られず、自由な生活がしてみたい」という理由で、引退を考えていたが、他の4人からの説得で、こういう形になったという。嵐のことは、ほとんどなにも知らないし、興味がない。でも、大野のことは知っている。と、いっても、NHKでやった、伊藤若冲を紹介する番組のナビゲーターをやっていたからだ。何故、彼なのか?そういう疑問は、彼が絵を描いているということから、腑に落ちた。細かな現代風の絵を描く。若冲に興味を持つのは当然かもしれないと思った。

 絵の見方も、若冲の感じ方も凄いなぁと思った。そんな印象だったが、嵐の中で、誰よりも歌が上手く、踊りも上手いのだという。歌でも売れているが、ほとんどの歌で、メインボーカルをとっているという。その大野がいなければ、嵐にならない。それが他の4人の思いだったという。彼ならやりたいことがあるだろうと思う。そして、豊かな人生を楽しめると思う。そんなことを思い出していたら、若冲の番組が観たくなった。


 1月29日(火) 晴 9682

 遅く起き、郵便局へ行き、郵送した。コンビニで、ネットやガスなどの支払いをして朝食を取った。えびの出汁で取ったラーメン。盛岡には、あったが東京にはないと思っていたら、スーパーにあったものを買って来て作った。新宿にはこの店がある。本店は、北海道にある。それにしても今日は、風が強い。風の音だけをきいていても強風であることが判る。それから、喫茶店に行き、本を読む。

 シモン・カサスは、サン・イシドロのカルテルをどう組むのか?バレンシアの火祭り(ファジャス)のカルテルは詰めの段階に来ていると思う。そんな時に、サン・イシドロの目玉になる闘牛士が必要だ。タラバンテも、パディージャもいない状態だ。1番良いのはホセ・トマスが出場することだが、そんなことは、今の状態では考えられない。これから一体、どうする?それとも、2008年のような事をする?

 サッカーのアジアカップ準決勝日本対イランは、3-0という圧勝の形になった。中東のラフプレーにも冷静に対応した。大迫が復帰して、攻撃が上手く機能した。今までの日本のセンターフォワードをイメージを一変させた大迫。物凄くバランスが良い。武藤ではダメだし、北川では話にならない。レフェリーに問題がある部分があったが、オーストラリア人なので中東の笛はなかった。3点目が入った直後のキックオフで、ボールと関係ない処で、大迫が蹴られた。ああいう事をやるんだなぁ。やけくそも良い処。もみ合いになっていたが、吉田が止めに入っていた。ちょっかい出されても、柴崎は冷静だった。日本のサッカーも逞しくなった。 !Vamos!

 草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)


 1月30日(水) 晴 15373

 用事があって新宿へ出た。今日はわりと暖かい感じがする。帰りにスーパーで挽肉を買ってきた。今日はこれで、カレーを作ろうと思っている。先日『プロフェッショナル 仕事の流儀』は、「百貨店バイヤー・本田大助」。神戸生まれで、札幌在住。大丸松坂屋百貨店で、北海道物産展を専門にやっているバイヤーである。取引をする生産者や店は700。本田が北海道中から選りすぐった物を、全国の大丸松坂屋百貨店の北海道物産展を企画し、出店する。他の百貨店の北海道物産展は、東京などのバイヤーが企画するが、本田は、北海道に住み、物と人を結び付けて、新商品を開発したり、誰も着目していないものを、商品に仕上げる業界唯一の北海道常駐バイヤー。幻の魚、いとうの養殖をしているときけば、訪ね生産者と話をして、食べ契約をする。

 地震の被災地、厚真町の取引のある生産者を訪ねると被災状況を見て回り、お手伝い出来ることがあれば。カボチャを出荷できないで困っている農家があるときけば、そこに行き、話を訊き、食べる。甘く栗のようにホクホク感がある。そして、ピンときたアイデアが浮かぶ。カボチャ全部を買い取り、物産展人気のコロッケ店へ行き、シェフに、生産者が作った気持ちや、被災して困っている状況を説明し、シェフのやる気に火をつける。食べて貰い、新商品の開発を依頼する。アイスクリーム屋では、カボチャのアイスを作って貰う。食べると、美味しいです。というが、もうちょっとカボチャのツブツブ感があった方が良いと思いますという意見をいう。ケーキ屋では、北海道産のチーズなどを混ぜて、シュークリームを作って貰う。その商品をもって、生産者を訪ね食べてもらう。まさに、生産者と店を繋ぐ。

 本田はいう「物にほれるというのもあるんですが、人にほれるというのも、そこも僕は大事だと思うんですね。最終的には人の力が縁になって、ものすごい、また物の力をさらにつけていくっていう、人の持つエネルギーみたいなものが縁になって、またこの縁を紡いでいくと、さらに大きな力になると思っています。」

 今まで取れていたシャケやカニ、シシャモの不漁が続く。地球温暖化の影響だ。そこで、今まではあまり取れなかった、ブリの水揚げ量が増えたと知ると、ブリを目玉にした海鮮丼を物産展で仕掛ける。年末に上野でやった物産展では好評を得た。これを観ていて、大丸松坂屋百貨店の北海道物産展に、行きたくなった。どんなものがあるのか、行ってみたい。そして、食べてみたいと思った。ただ一つ気がかりは、彼の体。力士のように太っている。北海道中歩いて、食べてを繰り返しているので、こうなったのだろう。結婚当時から大分増えたという。これからも元気で、物産展を企画して欲しい。


 1月31日(木) 曇のち雨 11372

 遅くに起きてカレー。昨日作ったカレーは思いの外、美味しい。玉ねぎをしんなりするくらい炒め、細かく切ったシイタケを入れ、それから挽肉を炒め、ここで少し塩コショウ。火が通ったらそこでお湯を入れ、ルーを溶かしてカリフラワーの刻んだものとさつま揚げを入れた。歯の治療中なので、鶏肉ではなく、挽肉にしたが、食べやすくなった。鶏肉だと噛むという楽しみがある。それでも挽肉でもいい感じだ。さつま揚げを入れたので出汁も出た感じだ。

 暗くなる前に散歩に出掛けた。いつもと違う道を歩いたが、ネコヤナギがボンボリになって毛がフサフサになっていた。お寺と神社に寄って参拝し、スーパーにも寄った。そうしたら、探していたラーメンがあった。西山ラーメン。それと、この前買ってきたえびのラーメンの塩味もあった。明日にでも、買ってこよう。ポツポツと雨が降ってきた。これがこれから雪になるかもしれないという。

 ホームページを開き、日記を書き始めて20年目になることに気づく。いったい何を書いてきたのか、今見ると、たぶん汗が出てくることになるだろうと思う。おそらく、馬鹿な事ばかり書いてきたんだと思う。「恥の多い人生」と、書いたのは太宰だったが、人間そういう風にしか生きれないのかもしれないと、思うことも多くなった。今までの事は、恥のかき捨てと、思ってやっく行くしかないが、これからも、恥ばかりかいて生きていくのだろうと思う。

 恥を受け止めるのも、人生。そう簡単に割り切れれば、人生は楽しいのだろうと思うが、なかなかそれも難しい。父が逝き、母が逝ってしまった今、弟と二人になった気がする。残ったのは、いったい何なんだろう?色々なものを、弟が始末している最中だ。死んでもなお、親の有難味を感じる。親不孝ばかりで、何の親孝行も出来なかったが、これからの人生も、自分なりの生き方をするしかないだろうと思う。そう思って、何処かで観ているかもしれない、親に、胸を張れるようにしたいと思う。


 2月1日(金) 晴 9406

 ゴミ出しをして、朝食は西山ラーメン味噌味。昼食は作り置きのカレー。日が暮れる前に散歩に出かける。寺の門前の、蝋梅は満開の状態で、本堂の脇には、紅梅が咲いていた。神社の庭は、冬枯れの草木ばかりだが、そこにポツンと黄色の花を二輪咲かせ、地面に顔を出している。西福寺の若冲の屏風絵を思い出した。表が金屛風に群鶏が描かれ、裏は墨絵で、冬の蓮池が描かれている。枯れた花や蓮の実が沢山描かれているが、ポツンポツンと小さな花が描かれている。

 若冲研究家の大学の教授がいっていた。東日本大震災が起こる前は、この絵を観たとき、若冲は何で、金屛風の裏に、こんな寂しい絵を描いたんだろうと。でも、大震災の後は、若冲が本当に描きたかったのは、復興ではないかと感じたという。若冲が西福寺行ったのは、京都が天明の大火で焼け出されたからだ。大火の後の復興を金屛風の裏に、願ったのではないかと、若冲研究家がいっていた。晩年の若冲は人前から姿を消すように、伏見の石峯寺にこもり、天井画や五百羅漢の石仏の下絵など描いて、絵を米に替えたりして、穏やかに暮らしたようだ。


 2月2日(土) 晴 12112

 朝食はラーメン。毎日観ているが、朝ドラ『まんぷく』を続けて観るのも良いもんだ。

 アジアカップ決勝日本対カタールは、前半0-2。どっちの吉田の前でシュートを打たれた。初めの失点は相手が上手いが、2点目はもっと寄せないとダメだろうと思う。どうも中盤が上手く行っていない。相手の11番とかがフリーの状態で、攻撃されるので、こういうことになる。後半塩谷のパスから南野のゴールで1-2になってこれからっていう時に、やっぱり吉田のハンドでPK。1-3になり、これでもうアウト。日本が負ける時は、いつも吉田の絡んでいる印象があるのは俺だけだろうか?キャプテンだけど、どうもなぁ・・・・・・。

 ワールドカップから世代交代をして挑んだこの大会。富安という20歳のDFが、出てきたのは素晴らしいこと。でも、もうチョンボの多い、吉田を外して、DF、特にセンターバックのテコ入れをした方が良いと思う。吉田はある水準ではあるが、安定性が著しく欠如している。それなら、吉田を控えにして若い選手を抜擢した方が良いだろう。この敗戦は吉田が原因ではない。前半のイレブンの動きと連動が悪かった。遠藤が怪我でいなかったのもあると思う。が、吉田のここという時に、一押しというか、間の合わないプレーをするのにガッカリする。少なくても、もうキャプテンはやめた方が良い。

 子は親に似るというが、俺の左手の人差し指の爪にある傷は、幼少の頃、鉈で薪を切ろうとして鉈が指に入った傷で、深いもんだから爪に跡が残っている。骨までガッツリ行った。高校の時か、それとも東京に出てきてからか、忘れたが、母親と話をしたときに、母親も子供の頃、同じように鉈で左手の人差し指を切ったといって、指を見せられた。俺よりは深くないがちゃんと爪に跡が残っていた。それを観て、親子とは同じような事をするもんだと笑ったことがある。

 勝小吉は子供の頃、崖から落ちて金玉をしこたま打って片玉を無くした。勝麟太郎(海舟)は、子供の頃、犬に金玉を食いちぎられ片玉を無くしている。こういうのを訊くと、親子とはつくづく、つくづくと思ってしまう。今では笑えることだが、あの時は、血がいっぱい出て、指を口に入れるとしょっぱい血の味がして、悲しくてどうなるんだろうと、金玉縮みあがったものだ。


 2月3日(日) 晴 12106

 今日は節分。スーパーやコンビニでは恵方巻が一杯置いてある。いつも行くお寺の豆まきは、2月2日と書いてあったので、昨日がそうかと思っていたが、暦には、ちゃんと3日になっている。店にある恵方巻は、中をみると太巻のようなものもある。なじみがないので、恵方巻の中身がどういうものを入れれば良いのか知らないので、そう思ってしまう。

 昨日BSプレミアムで放送した、『北斎 幻の肉筆画~アメリカに眠る 画狂老人の魂~』ワシントンにあるフリーア美術館。そこに所蔵されている220点の北斎の肉筆画。そこを、井浦新と浮世絵研究家の浅野秀剛が訪ねてみる。番組の始めや途中で、浄瑠璃風に三味線と歌が入る。そこで踊る、北斎に見立てたであろう人が動く。その動く人物が最後の方で、暗黒舞踏の田中泯であることが判り、ちょっとした感動を感じた。

 それが判ったのは、画狂老人卍となった臨終の場面。中腰で背中に障子を背負い、ゆっくり動く。三味線が鳴り、歌語りの声。♪嘉永二年卯月のころ 画狂老人 北斎 いまわの際にありけり 天があと十年 命ながらえることを許してくれたなら いや あと五年 命があれば 神聖の画工に なれたであろうに あーくぅ あー♪ こういう場面で、無言でこういう表現ができるのは、俳優ではできない。田中泯の味は、鮮烈だ。朝ドラ『まれ』で、能登の塩づくりの職人も凄かったし、『龍馬伝』の吉田東洋しかり。映画で冷酷な殺人者をやった時も、無言でアクションする姿は、恐怖を体現して、まさに神聖ですらあった。この顔の深みは、なんなんだろう?そこにいるだけで、圧倒的な存在感をかもしだす。役者を越える表現を、田中泯は持っている。北斎が目指した、神妙の域。田中泯はすでにそこに到達しているのではないかとさえ、思えてくる。『まれ』で競演した大泉洋は、田中泯さんは、ずるいよねぇ。そこにいるだけで、もう僕ら負けちゃうもん。あの存在感は、ないよねぇ。と、いっていたことを思い出す。


 2月4日(月) 晴 17384

 朝の生暖かさはなんなんだろう?気味の悪さを感じるような、変な生暖かさだった。これが、立春なのかと思ってしまった。天気予報通り日が暮れて来て、風が冷たくなってきた。北日本や日本海側では、大荒れで吹雪いたりするところがあるという。

 スポーツは、結果という物が如実に表れる世界だ。競馬もそうだが、2、3分の短い時間に結果が明確に表れる。リーガ・エスパニョーラで、バルサは、0-2からメッシの2点で追いついて引き分け、アトレティコは、ここで勝てば差が詰まる状態で、PKの1点に泣いた。レアル・マドリードは、そんな中で、3-0で勝って上位2チームの差を詰めた。1月の移籍市場で、トルコに移籍した香川真司は、後半36分にピッチに立ち、16秒後ドリブルからゴールを挙げた。そして、その3分後にFKからゴールを決めた。移籍して出場3分で2得点をあげる大活躍。こういうのをみると、香川ってチームでは輝くんだなと、感じてしまう。FKからのゴールは、驚きのキックだ。

 『歴史秘話ヒストリア』は、「山城、戦国を動かす」だった。戦国時代に山城が多く作られる。能登の畠山が作った山城は、常の住まいだった。家臣との住居を区切っていたのは堀切。主君と家臣が並立して住んでいた。対等な関係。主君の立場は弱かった。「横につながった連合の中の一人。戦国大名ひとりが一番上に立つわけではなく、横並びの同盟的な関係で家臣団がいた」(宮島敬一佐賀大学名誉教授) 同じことは浅井長政の小谷城にもいえる。難攻不落といわれた小谷城本丸の浅井の隣りに守護大名だった京極家が居を構え、堀切で区切られ、しかも高い処にいた。堀切があると防御の時に連携ができない欠点がある。そこを攻めた信長軍の先方、木下藤吉郎は大手道から浅井を攻めずに、麓の街を進み、急勾配の水の手から攻めた。そこにあったのは京極丸。ここを攻略することによって、多くが寝返り浅井長政は自刃した。

 信長が初めに作った山城は小牧城。本丸に信長、その下に家臣団が居を構えた。戦国の山城に並立していた君主と家臣という関係を、はっきりと誰が君主で、家臣かをこの位置関係を高低差で表した。安土城もまた同じだった。ただ、安土城の表門直ぐには、信頼できる家臣を置いた。それが、豊臣秀吉だった。それを安土城に行った時に観ている。だから信長の考えがハッキリと出ている。戦国の世に、上下関係をハッキリさせる方法を、山城築城のスタイルを変革させ、そのことによって、天下統一を目指して行った。並立から高低差をつける。それが画期的であったのだという。


 2月5日(火) 曇 11193

 空はどんよりと曇っている。日曜美術館アートシーンを観ていたら、断念したはずの箱根の岡田美術館へ行きたくなった。入場券だけで2800円もする。高い。しかも往復で6000円くらい。行くとすれば、それだけで1万はかかる。しかし、今行かずにいつ行くのかという気がした。

 『100分de名著』の2月は、『大衆の反逆』ホセ・オルテガ・イ・ガセット。第1回は大衆の時代。「大衆とは(略)他人と自分とが同一であると感じて、かえっていい気持ちになる。そのような人々全部である」 オルテガが定義した大衆とは。🔶mass man:大量の人たち。🔶“根無し草”になってしまった人たち。🔶個性を失い、何ものでもない“群衆化”した人たち。

 大衆を、単に労働する人たちととらえてはいけない。曰く、大衆とは平均人である。それは、質を共通にするものであり、他人から自分を区別するものではなく、共通の型を自ら繰り返す人間だと、オルテガはいう。 「大衆とは、みずからを特別な理由によって-よいとも悪いとも-評価しようとせず、自分が《みんなと同じ》だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる。そのような人々全部である」

 「人間の生のもっとも矛盾した形態は、《慢心した坊ちゃん》という形態である。《慢心した坊ちゃん》とは、とてつもなく異常なものだということが、はっきりわかると思う。なぜならば、かれは自分でしたい放題のことをするために生まれおちた人間だからである。」

 慢心した坊ちゃん。🔶正しさを所有できると勘違いしている。🔶自分の能力や理性にたいする懐疑がない⇒自分を完全だと思う“愚か者”。🔶自分を越えたものへの畏敬の念がない。

 大衆と専門家。オルテガは、科学者をはじめとする専門家たちこそが、現代では大衆的人間に変わってしまったと、書いている。「現代の科学者は大衆的人間の原型だということになる。むかしは、人間を、知者と無知の者あるいは、かなりの知者と、どちらかといえば無知である人に、単純に分けることができた。ところが、専門家は、この二つの範疇(ちゅう)のどちらにも入れることができない。かれは、自分の専門領域にないことを、知らないたてまえだから、知者ではない。しかし、かれは《科学者》であって、自分の専門の微小な部分をよく知っているから、無知ではない。かれは無知な知者であるとでもいうべきであろうが、事は重大である。」つまり、科学者も《慢心した坊ちゃん》としてあるので、大衆であると、いっている。専門馬鹿。それしか知らないという事なのだろう。

 朗読は、田中泯だった。彼は、暗黒舞踏をやって普段は無言で踊る。しかし、声も良い。スペインの哲学者の文章を田中泯が読む。これも風情を感じる。


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