断腸亭日常日記 2018年 8月

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年、2018年のスペイン滞在日記です。
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 8月1日(水) 晴 10617

 今日は、国会図書館と国立博物館に行くつもりだったが、遅く起きたため、博物館は諦めて、図書館へ行った。石川淳の「江戸人の発想法について」を中心に評論を読む。「見立」「俗化」「やつし」「俳諧化」というキーワードが織り込まれている。これは、田中優子の『江戸人の想像力』や松岡正剛の日本という方法などに出てくるもの。これが戦中に書かれたものというのも驚きだ。「狂歌百鬼夜狂」などは、独山(大田南畝)などの百話の話が書いてあったり、「敗荷落日」では、荷風の死を書いている。

 やっぱりこの辺をちゃんと読まないと、と思った。「天明の狂歌」の辺りの文化人がやっぱり面白い。耕書堂・蔦谷重三郎が版元に出版された、浮世絵や洒落本などが、この頃の江戸文化を一気に花咲かせる。源内、大田南畝、曲亭馬琴、葛飾北斎、山東京伝。西には、大阪の木村蒹葭堂(けんかどう)を中心に、上田秋成や、京都画壇では、円山応挙、与謝蕪村、伊藤若冲、池大雅など。凄い話だ。

 先日の『うたコン』に、サザンオールスターズが出ていた。桑田のアイドル3人をあげていた。天地真理『恋する夏の日』、藤圭子『夢は夜ひらく』、そして、クールファイブ『噂の女』。♪女心の悲しさなんて わかりゃしないわ世間の人に 止(よ)して 止してよ なぐさめなんか 嘘と泪のしみついた どうせ私は 噂の女♪

 桑田「天地真理さん。僕はジャスト、リアルタイムで、あの方のレコードを買ったり、ファンクラブに入ったり、ポスターを部屋に貼ったり。」と、言っていた。俺と同じだと思った。でもなぁ、藤圭子はしびれる!しかし何も、藤圭子の初婚の相手の前川清を出さなくてもと、笑いながら思った。無口と無口じゃ長持ちするわけがないよなぁ。

 そして、朝ドラ『ひよっこ』で、久坂早苗役を演じた、歌手でドラマーのシシド・カフカの『特選』が良かった。♪愛したい 此処までの道を 選びたい この先の道を 総(すべ)てを輝かせるの 一度きり 素晴らしき人生を♪

 明日から2日間、朝から外部の研修がある。

 8月2日(木) 晴 10485

 朝も暑かったが、昼飯を食いに外に出たら暑さ真っ盛りのような状態。7月京都は7日か8日続けて37度を超えた。7月の東京の熱中症の死亡者は90人を超えたという。外は息苦しいような暑さ。

 Eテレ『自律神経セルフケア術』を観る。大阪の朝ドラの脇役で名をあげた、キムラ緑子などが出ている。鼻から4秒吸って、口から8秒吐く。このゆっくりした呼吸法を1日1回1分くらいから始めると良いという。つまり5回続ければいいのだ。繰り返しすること。阿字観と同じような呼吸法だ。阿字観をやる時は、約4秒吸って、1秒止め、15秒吐く。1分間に3呼吸。最後の方では、1分間2呼吸になる時もある。

 ♪夏なのに手も足も 冷たい そこのあなた 自律神経が乱れているのよ まずは呼吸をしっかりして 4秒吸って 8秒吐いて 呼吸は タダだからって あなどらないでよ♪ −−『自律神経の歌 血行編 呼吸法のうた』−−


 8月3日(金) 晴 12308

 2日間の観衆を終えて、飯田橋で降りた。そこから神楽坂を登って、坂上くらいの辺りにあるうなぎ屋行った。昔は、水道橋のWINSの帰りに友人と行った処。2000円でうな重が食えたが、今は2000円ではうな丼も食えない。でも関東のうなぎだ。蒸した後にタレを付けて焼いた柔らかいうなぎ。関西は蒸さないので固い。うな重セットに肝吸いが付いていたのが昔。今は、ただのお吸い物。そういう違いがあったが、久々のうなぎ。2日遅れの土用の丑の日のうなぎだった。

 何人かに電話して、予定を訊いた。あとは安田さん待ち。MEGUさんは、帰省中で札幌。あっちも35度あって、クーラーがないという。それでも、からっとしているのでまだ大丈夫だという。全然、避暑にはなっていないと笑っていた。


 8月4日(土) 晴 12168

 朝から大谷翔平が爆発した。第1打席は詰まったような当たりがレフトへの10号2ランホームラン。第2打席が完璧なライトへのソロホームラン。第3打席はセカンドゴロ。第4打席は、左前打で盗塁。第5打席も、中前打。5打席4安打、2ホームラン、3打点、3得点、1盗塁だった。試合は7−4で勝った。2打席目のホールランを打たれた時の相手投手は、直ぐにそれと分かったようで、後ろを向いてガッカリしていた。

 下山さんと会うが、子供がいるので何処が良いのだろうと考える。あそこが良いか、ここが良いか、それともこれが良いか?明日から100回目をむかえる甲子園の高校野球が始まる。今週は、過去の名場面集などが続けて放送された。今日の夕方は、甲子園の応援にスポットを当てて放送していた。日を変えて、名場面を飾った選手たちが始球式をするという。そういう盛り上げ方は素晴らしいと思う。決勝は、三沢高校の太田幸司。忘れもしない、東北の高校が、優勝に最も近かった時だ。多分、彼が初代高校野球のアイドルなのだと思う。

 安田さんから許可が出たのでみんなに知らせた。


 8月5日(日) 晴 12181

 下山さんが、セビージャより東京の方が暑いといっている。でも、昨日のニュースではマドリードも暑くなったようなので、セビージャも暑いだろうと思う。THさんは、セビージャに行っているので、暑い思いをしているだろう。今日から甲子園で熱い戦いが始まった。開会式直後の第1試合は、星陵対籐陰。始球式に登場したのは、松井秀喜。星稜OBだ。抽選での奇跡的なめぐりあわせになった。そして、星稜のエース奥川は最速150キロを出し9−4で勝った。松井は、校歌が聴けて良かったと喜んだという。

 エンジェルスのソーシア監督が今シーズンで退任するというニュースが出た。後任は内部昇格という報道もある。大谷はどうなる?起用法とか色々と変わるのかどうか?続けて欲しいなぁと思うが・・・。

 バドミントン世界選手権女子ダブルス決勝は、初出場の松本・永原ペアが、福島・広田ペアを2−1で逆転して優勝した。高橋・松友ペアは、優勝したペアに負けている。


 8月6日(月) 晴/曇 16024

 今日は少しましな暑さ。高校野球2日目。佐久長聖対旭川大高の8回表。3−2で旭川大高リードの守備。2アウトからのレフトへの打球は、地面すれすれでキャッチしたが、審判の判定は、ワンバンド捕球でセーフ。そこから逆転を許し3−4になった。これで試合が決まると最悪の誤審だ。高校野球だから、判定には抗議しない。不条理な高校野球だ。ビデオ判定を導入して誤審をなくすようにした方が良いと思う。技術や気持ちの未熟な高校生には酷なことだ。審判も未熟。スポーツとは、そういう物も含めてのものといえば、それまでなのだが・・・。試合は9回裏に同点打が出た。観客は判官びいき。旭川大高に声援を送る。それから1アウト1・3塁から盗塁で、2・3塁。ピッチャーゴロで2アウト。左中間に上がった打球はセンターとレフトが交錯してレフトが取ったが、センターが倒れたまま。審判が様子を見に行ったが、これは痛いふりをするネイマール・チャレンジではない。立ち上がって観客の拍手を受ける。試合は18時をまわって延長戦に入った。

 大谷は今日も2安打。1打点。1打席目のセンターへの2塁打と2打席目のライトフライはもう少しでホームランだった。そして、初めてのデッドボールを受ける。そして、三振がなかった。試合前にソーシア監督は、退任報道について、「ばかげた話」と一蹴した。iPhone の調子が悪い。使っていると熱をもってくる。それと、充電量の減り方が速い。充電池がおかしいのか、中の配線とかがおかしいのか?


 8月7日(火) 雨 7734

 昨日の広島原爆記念日。米ちゃんは広島出身で、広島いうたら原爆だけじゃないんよ。という。平清盛が造った厳島神社がある。戦後の広島で、映画『仁義なき戦い』で描かれたやくざの抗争が激しかったのは、原爆の影響もあるのかもしれない。広島カープもあるが、その話をした記憶がない。広島風お好み焼きの話をしたことがある。NHKドラマ『夕凪の街 桜の国2018』を観る。

 昭和30年広島。「この街の人は不自然だ。誰もあの事ことを言わない。いまだに訳が判らない。判っているのはあの時、死ねばいいと思われたこと。思われたのに、生き延びているという事。そして1番怖いのは、そう思われても仕方のない人間に自分がなった事。」と銭湯の湯船につかってナレーションが入る処がある。写される女湯の女たちの体には、原爆で出来たケロイドのやけどの跡が、背中や首筋のそこかしこにある。そして、皆実が左腕を湯船から上げると、やけどの跡が写る。こういう描き方があるのかと、ちょっとビックリした。姉の皆実は、何かがあると、原爆投下の事を思い出して、感情が高ぶる。

 番組の中で、七波と風子がキャベツ一杯の広島風お好み焼きを美味そうに食べていた。物語は、自分の父親のボケを疑う七波が、買い物に行くという父親を付けると、駅前で切符を買っている。そこで、弟の娘の風子に会う。そのままどこに行くかついて行こうという話になる。電車、長距離バスで、都心から広島へ。広島生まれで養子に出された石川旭(父)が、訪ねるのは、母と姉の足跡だ。墓参り。そこの墓には、昭和20年8月6日死亡が多い。訪ねる家。そこの家人から、父親の姉や母親の話を訊く。原爆症の症状に苦しむ。母と姉の処に遊びに来ていた、京花。旭は、心配して広島の大学へ通い、就職する。京花が父・旭と結婚し自分と弟が生まれる。

 普通の生活。生きていれば、家事もし、仕事もする。恋もする。そういう普通の生活の中で、原爆病で何も出来ない。体中が紫の染みだらけになって、寝込み真っ黒な血を吐いて・・・。動けなくなる。視界が悪くなり、昼なのか夜なのかも判らなくなる。そして、皆実は死ぬ。そういう話を、家人から訊く。

 七波「7歳で母が死に。11歳でおばあちゃんが死に、茨城の親せきが原爆のせいじゃなかって、話していたの。よく判らなかったけど、私も長く生きられないのかなって。だったら私は、人の幸せを応援して、それを眺めて満足しよって。幸せってどこか遠くにあるもので、自分がなるもんじゃないって」風子に話す。

 旭が戦後母親と皆実姉ちゃんと京花と出会ったバラックの跡地。 風子「あたしのおばあちゃん、カッコイイね。」 旭「だろう。」 風子「ねぇお爺ちゃん。どうして、こっそり広島に来たの?」 旭「うん、あー。ずーと心に引っかかってたからだよ。」 七波「皆実さんも、おばあちゃんも、お母さんも被爆者だったのねぇ。」 旭「ああ。そうだ。」 七波「お父さんは結婚したこと後悔してないの?」 旭「してない。する訳がない。」 七波「でもお母さんは、どうだったんだろう。おばあちゃんは、。結局は大事な人を見送ることになった。大事な人を残していくことになった。あたしだったら後悔してしまうかも。」 風子「七波ちゃん。」 七波「広島の事、おばあちゃんも、お母さんも、1度もあたしに話してくれなかった。」 旭「お前たち姉弟の名前は、お袋と京花が一緒に考えた。七波は、七つの波と書くだろう。広島は七つの川が南北に流れる美しい街だ。七つの川。だから七波。山と海に挟まれた広島は、風がピタッと止む時間がある。凪(なぎ)だ。凪に生きると書いて、凪生(なぎお)。どちらの名前も、広島の事を思って、京花とお袋がつけた。隠そうとした訳じゃない。いつか話して、いつかここへ連れてこようと思ってた。もし、生きる時間の方が足りなくなったとしてもだ。幸せになれよ、七波。お前、皆実姉ちゃんに似ているような気がする。お前が幸せにならなかったら、皆実姉ちゃんが泣くぞ。」

 日常からこういうドラマにする。沁みるドラマだった。


 8月8日(水) 雨 11859

 昨日から涼しかったが、今日も本当にすごしやすい。今年の2月3月は天候不良で野菜が高かった。そして今は、猛暑の影響で野菜が高くなり、豚や牛などもバテ気味になって、出荷できる元気な状態じゃないので肉も高くなっているという。そして、昨日からの雨は台風の影響で、自転車並みのゆっくりしたスピードで房総半島に近づいている。

 こんな感じなので、夏は豚肉と思い焼いて、それに冷凍で買い置きしている、アスパラガスと、ほうれん草を炒め、かつお節をかけて完成。ほうれん草は、油かカルシウムがないとえぐくなる。だから、お浸しでも使うかつお節を入れるとえぐくはない。アスパラやほうれん草の冷凍食品は使えると思った。特にこういう状況では、助かる。

 大谷翔平は、2点リードされた1回裏ノーアウト1・2塁からレフトへ12号3ランホームランを打った。それからエンジェルスはこの回に7点取って試合を決めた。大谷は、4打数2安打1四球1盗塁だった。8月になって調子が良い状態が続いている。下山さんから連絡があった。行こうと誘ったものは、セビージャで行きたいと思っていた処だという。


 8月9日 雨のち曇 8600

 長崎原爆記念日。演説では、核兵器廃絶といっていても、核兵器禁止条約に署名しない安倍政権は、本当に核兵器禁止を望んでいるのかと、諸外国から疑いの目を持たれても不思議じゃないだろう。口先だけと呼ばれても仕方ないだろう。沖縄の翁長知事が、すい臓癌で病死した。基地問題は、知事選を挟んで激変するかもしれない。自民党寄りの知事になれば、既成路線で進むことになるだろう。

 録画していた『西郷どん』を観ていたら、糸の父親役で塩野谷正幸が出ていた。そう流山寺祥の『演劇団』にいた俳優だ。いわゆるアングラ芝居を小劇場で観ていた頃、観ていた俳優の一人だ。流山寺の様に、うさん臭い演劇人が好きだ。唐十郎の赤テントや鈴木忠志の早稲田小劇場に在籍し、寺山修司と交わり、黒テントの佐藤信、加藤直、山元清多と一緒に仕事した。その他にも、山崎哲、岸田理生、高取英、北村想など。塩野谷は、大概流山寺の処の芝居に出ていた。不器用そうな芝居が好きだった。昔芝居小屋で観た俳優がこうやってテレビに出ているのを観るのは、嬉しい事。あの頃は、考えられないことだったからだ。

 『江戸人の想像力』を読んでいて感じたことや、NHK『大江戸』「第3集 不屈の復興!! 町人が闘った“大火の都”」を観て感じたことがあるのだが、それは、時間がある時に書こうと思う。ちょこちょこ書くのが良いのかもしれない。


 8月10日(金) 晴 11077

 朝早く目覚めて散歩に出掛けた。日は出ているが涼しい。戻ってきて阿字観。呼吸しているだけで体が温まり汗が出てくる。それから朝食をとる。

 NHKBSで『新日本風土記』「遠野物語」を観る。政府の官僚だった柳田国男が、地方民間伝授の物語を書き留めたものだ。オクナイサン、ザシキワラシ、オシラサマなどの神様のようなもの、カッパもいる。オシラサマは、娘と馬の話でこういう話を訊くと、『八犬伝』の伏姫と八房を思い出す。山で働く人にとっては、馬は大切なもの。だから南部曲り屋という、人と馬が一緒に暮らす居住空間がある。岩手は義経の頃から馬産地として有名で、今の競馬会最大の馬産の社台グループは、南部藩の出だ。早池峰山や六角牛山(ろっこうしさん)などの地名は、アイヌ語のから出来たようだ。北海道などと同じだ。金田一京助が、樺太や北海道に住んでいたアイヌの研究をしているが、関東辺りまで昔はアイヌが住んでいたようだ。

 間引きは、飢饉などで食えなくなった東北の農民が、口減らしの為に生まれた子供を殺した行為だ。遠野の人が、間引きの事を、実際に母親が自分の子供を殺したりした話をしていた。ただ殺すんじゃ、あれだから、カッパになって川に出てくる神様にした。と、言うような事を話していた。寺山修司の歌にも、間引きの歌がいくつもある。

間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子 寺山修司

 宮沢賢治は、飢饉などにあえぐ農民の為に、飢饉にも強い作物など色々農業指導をした。また石灰を売ったりもした。そういう根本的な処をしっかり押さえたいたのだ。盛岡にもザシキワラシの話はある。観ると金縛りになるが、金持ちになるというが、遠野の婆さんは、そんな話はしていなかった。親切にしてあげたら喜んで、二人で走り回っていたと言っていた。

 鹿踊りは北上の方にもあるが、びっこを引いたような踊りで、盛岡のさんさ踊りも今は県庁前の広い通りでやっているが、元々はその町内で踊っていた踊りで、その踊り方も、太鼓を叩いて踊る人も、浴衣で踊る人も、びっこを引いたように踊りをしていた。そういう共通点があるのだと思う。

 柳田国男が遠野を訪ねたのは、8月のお盆の頃だったという。家々には、高い棒の上に提灯をつけ紅白の旗をたてていた。三年から五年以内にその家に死人がいれば、迷わずに帰ってこれるように灯篭木(トウロギ)を立てる。旗といっているが、戒名などが書いているのだと思う。紅が源氏で白が平家ではない。紅が女で、白が男だという。なんか腰巻とふんどしの色と同じだ。そして、ワラで龍の船を作る。そこに提灯や南無阿弥陀仏と書かれた紙を飾り、位牌を乗せて燃やしながら川に流す。盛岡でもやる「船っこ流し」だ。盛岡のは、戒名を書いた紙を船に貼って燃やす。やはり龍の形が多い。灯篭も流していた。お盆も近くなってくるとこういう番組が再放送するのだろう。と、思いながら、やはり、盛岡と遠野は、同じ文化圏なんだと思った。


 8月11日(土) 曇/雨 9003

 午後になり、競馬をやっていたらゴロゴロと雷が鳴り雨が降ってきた。ちょっとは涼しくなるだろう。

 世界女子ソフトボール選手権の決勝トーナメントが行われている。あれから何年経ったか。オリンピックで連投に次ぐ連騰で、金メダルを取った時のエース上野由岐子は、未だにエース。36歳になっても世界最高のピッチャーとして、マウンドに立っている。その姿は、美しい。そして、東京オリンピックを目指しているという。そういう姿を見ているからか、ベテランも頑張っている。そして、若手も出てきている。今回打線が調子がいい。いよいよ宿敵アメリカとの準決勝。たぶん、今夜も上野が投げるだろう。アメリカのエースとの投げ合いが見ものだ。

 郡上八幡で夜通し踊る郡上踊りは、旧暦の8月15日を挟んで昔はやっていた。お盆のような月と満月を言うが、旧暦の8月15日は満月の日。そして盆踊り。多分こういう処から、満月の盆踊りと、お盆のような月という言葉が出来たのかもしれないと思った。昭和20年8月15日。玉音放送があった終戦の日も、戦死者の魂を慰めると、住民がみんなで踊ったという。今は8月15日を挟んで4日間夜通し踊り、前後して約1か月の祭りになっている。郡上踊りは、浴衣に下駄をはいて踊る。何故下駄かといえば、下駄の音が邪気を払うといわれているという。出来れば満月の日に、行ってみたい気がする。夜通し踊りは、土砂降りに雨の中でも踊る。人はこうやって狂う事も必要なのだろう。


 8月12日(日) 曇/雨 11973

 朝方、ドッと雨が降って、少しは涼しくなった。雨が上がっても、やっぱりちょっと蒸している。日中は、予報を裏切って雨は殆ど降らなかった。お盆で各地で祭りが行われているが、怪我人が出ている。ただ狂うだけでは、支障が出る。祭りをやる方も、それを観ている方も、何かが欠けているのかもしれない。

 昨日の世界女子ソフトボール選手権準決勝、日本対アメリカは、ホームランなどで、3−0とリードしていたが、終盤追いつかれて延長8回裏、タイブレークでサヨナラ負けした。宇津木監督は、上野を出せば勝てただろうけど、東京(オリンピック)の事を考えて藤田に経験を積ませたと、言っていた。アメリカはエース、アボット。ホームランなどで3点を取ったのは、打線の自信になるだろう。また、負けたが最後まで投げた二刀流・藤田は、この後を考えるとよくやった。悔しさを糧にして欲しい。今日の昼行われた準決勝日本対カナダは、上野が投げて3−0と完封勝ち。夜の決勝で再びアメリカと対戦する。今度は、上野が先発するだろう。勝てるかどうかは分からない。宿敵アメリカ。上野の右腕に打線がこたえられるか。


 8月13日(月) 曇/雨 15685

 変な天気だ。朝は蒸して暑かった。昼くらいから雷が鳴り雨が降って、そして曇った。雷は、爆音で何度も近くに落ちた。金曜あたりから手術した腹が痛い。咳をすると痛み、下腹に力を入れると痛い。腹が出過ぎ。痩せないといけないと思う。

 世界女子ソフトボール選手権。昨日の昼、準決勝のカナダ戦。3−0で上野が完封。3時間半後の夜の決勝も上野が投げた。アメリカに延長10回、6−7で負けた。この日、上野は合計17回、249球(この試合、162球)を投げた。上野は、「連投は言い訳に出来ない。悔しい」といったという。誰が上野を責められよう。守備のミスなどで足を引っ張られた。アメリカは5人の投手を繋ぎ、日本は上野が一人で投げた。日本の登録投手が4人。5・6人の投手を登録できるレベルを揃えないとダメだろう。上野と藤田の二人が中心。自然に上野に負担がかかる。

 アメリカのエリクセンHCは、試合終了後、優勝したことを語る前に上野を賞賛した。「闘士のようなウエノ投手と戦うことができた。(1日で)17イニングを投げ切ったウエノ投手は素晴らしいとしか言いようがないよ。本当に素晴らしいなと感じる上野投手のパフォーマンス。1日で18人のバッターと対戦することはものすごいことなんだよ」

 日本にも東京オリンピックへの活路が見えている。打線はアメリカのエース、アボットから2試合連続でホームランを打っている。二刀流の藤田はこの試合2本のホームラン。アメリカの5投手から6点取ったのも素晴らしい。あとは上野依存症の投手の駒が増えれば、決勝トーナメントでも安定した成績を出せるだろう。テレビ東京で生中継されたこの試合は、視聴率が10%あったという。


 8月14日(火) 晴 11232

 雨が降らないと暑い。昨日の夜は、雨が降った後だったので、凄く過ごしやすかった。冷房を切って窓を開け外の空気を楽しんだ。

 BSプレミアムで『小野田さんと雪男を探した男〜鈴木紀夫の冒険と死』を観る。1974年フィリピン、ルバング島に、戦後30年潜伏していた小野田寛朗陸軍少尉を、ジャングルの中で発見し日本に連れ帰った鈴木紀夫の話だ。この2年前グアム島で発見された横井庄一は、ジャングルの中で穴を掘って、身を隠し生き延びた。一方、フィリピン軍と銃撃戦などをして、命令通り諜報活動していた小野田少尉。戦後30年近くたっても、銃は錆もせず手入れされていた。軍服を着てジャングルで生活していた。

 田原総一郎は、「横井庄一は、同情。小野田寛朗は、尊敬。」と、当時の日本人の心情を言っていた。小野洋子は、「横井さんは、醜いアヒルの子。小野田さんは、白鳥」と言っていたことを思い出す。同じような意味だ。スパイ養成所のような、陸軍中野学校で、学んだ小野田少尉は、投降したのは、鈴木紀夫と共に直接の上官である谷口義美少佐の投稿呼びかけの文章に、「口達」という文字があったから信じたという。中野学校には、命令書として残すと証拠になるので、直接口頭で伝達するという方法を取ることを、よしてしていた。そこで、谷口少佐から「口達」され命令が解除された。

 こういう事も含めて、筋を通す立派さが、小野田少尉へ対する尊敬という感情を想起させた。羽田空港への帰国を伝えたNHKの番組は、視聴率45%を記録したという。あの時の熱狂はなんだったのだろう。小野田少尉が何処へ行ってもテレビカメラが追い掛け、人々は日の丸の旗を振って熱狂した。その熱狂に嫌気がさしたり、田中角栄首相から、見舞金100万円を拒否したが送られ、その他の義援金と見舞金全額を靖国神社の寄付した。

 その行為や羽田空港に降り立った時に、「天皇陛下万歳」と叫んだことなどからマスコミに、「軍国主義の権化」「軍国主義の亡霊」と批判された。半年後ブラジルへ移住した。その後も鈴木紀夫と小野田寛朗との交流は続く。あの時、小野田寛朗が、何故日本に居れなくなったのか。熱狂と批判。横井庄一は、復員後、参議院選挙に立候補したりしたのとは、かなり違う。そこに、小野田と横井の人間性の違いがあるのだろう。などと思いながら観ていたが、鈴木紀夫の事をちょっと書いておく。

 ルバング島の小野田少尉発見前、ヒッチハイクなどで世界中を放浪の旅に出ている。アジア、中東、ヨーロッパ、アフリカ。50か国以上を廻ったようだ。スペインのマドリードでは、ユースホステルで暮らしていた。そこでも独特の存在感を醸し出していたと訊いたことがある。そこで出会った友人が出ていたが、変り者という意味で、「馬鹿」と言っていた。でも、今の息苦しいような日本社会から見れば、鈴木紀夫のような生き方は、そういうはみだし具合が魅力的だ。多分そのはみ出し方が、小野田の目にも分かったのだろう。そして、小野田に信用されたのだと思う。

 命懸け。ジャングルの中でタバコを吸うのにも、両手で燃えるタバコの先端の火を隠して吸っていたという。火は1キロ先まで見える。フィリピン軍を警戒していた。住民から盗んだトランジスタラジオで、NHKの放送などを聴いていて、大阪万博の事なども知っていた。それを確かめるように、小野田は鈴木紀夫から日本の話を聞き出していたという。


 8月15日(水) 晴/曇 12264

 朝夕涼しくなった。終戦の日。戦没者慰霊祭が行われ、12時には、甲子園球場には、サイレンが響き1分間の黙祷が捧げられた。夜、NHKで『ノモンハン 責任なき戦い』を観る。冒頭、作家、司馬遼太郎が調査し、陸軍の無責任さに嫌気がさして、「日本人であることが嫌になった」と出筆を放り投げたノモンハン事件。満州の治安などを担当していた、関東軍の辻少佐が作戦立案。予想に反して、ソ連軍が飛行機、戦車など圧倒的な軍備の前に、2万人の死者を出す。

 辻少佐も、それを管理する立場の参謀本部の稲田大佐も、関東軍のトップも責任を問われない。現地で撤退した、上官が自殺を強要され自決。そのこと自体も、戦争中は封印されていた。無謀な作戦を立てた辻少佐も、稲田大佐も、直接自殺を強要した人間も、知らん顔だし、自責の念すら持っていないようだ。そこに、司馬遼太郎が、「日本人であることが嫌になった」と思ったのだろう。

 天皇からの直接の命令でも、軍部の中では、どうにでも処理できる曖昧なシステムを作り上げている。こういうのがお得意だ。松岡正剛がいう、デュアル・スタンダード。二項が重複してお互いが補完し合う。時には対立もあるが、いつも、「まあまあ」の関係を作り上げる。天皇と将軍。公家と武家。京都と江戸。神と仏。荒霊(あらたま)と和霊(にぎたま)。公と私。

 この日本的なデュアルスタンダードが、責任の所在を曖昧にする。ノモンハン事件もまた、この典型である。上にいる人間たちは責任を取らず、責任は下の者たちへと押し付けられる。日本社会で最も悪しきものだ。自殺を強要された軍人の残された妻は、戦後軍の関係者に何度も問い合わせをしたというが、「私は知らない」とみんなが口を閉じていたという。101歳になるノモンハンの数少ない元兵士は、今でも戦友たちの慰霊を慰めている姿。無謀な作戦で無残に死んでいった人たちへの、哀切も無念も、怒りをも含んでいる。

 松岡正剛がいう、デュアルスタンダードは、日本文化を高めるために使われてきた。しかし、こういう場合は責任逃れ曖昧にする方向へと作用する。勝新太郎主演の『兵隊やくざ』。鉄拳制裁をされるとき、上官が、「奥歯を噛め」というと、勝新が上官を睨みつけ奥歯を噛む。殴ると、上官が右手を痛がる。勝新がこの野郎みたいな表情をした。脈絡もなくそのシーンを思い出していた。


 8月16日(木) 晴 8185

 スペインでは8月15日は、「聖母被昇天」(マリア様が召された日)で祭日。そして、1年の中で1番闘牛が開催される日。各地で闘牛が行われた。マドリードでは、ファン・オルテガが耳を切った。フランシスコ・ホセ・エスパーダが遠くから牛を呼んでいた。観てみたい闘牛士だ。そしていよいよサッカーも始まった。チャンピオンズリーグ優勝のレアル・マドリード対ヨーロッパリーグ優勝のアトレティコ・デ・マドリードは2−2の延長になり、サウルとコケのゴールで4−2でアトレティコ・デ・マドリードがスーパーカップを優勝した。シメオネは、制裁を受けてベンチに入れず。それでも、勝った。幸先の良いスタートになった。

 「しかし、それはほうとうに別の存在であるのか。
 私はいまの自分を「世を忍ぶかりの姿」のように思うことがしばしばある。そして日本人もいまの日本人がほんとうの姿なのか。また三十年ほどたったら、いまの日本人を浮簿で滑稽な別の人種のように思うことにはならないか。いや見ようによっては、私も日本人も、過去、現在、未来、同じものではあるまいか。げんに「傍観者」であった私にしても、現在のぬきがたい地上相への不信感は、天性があるにしても、この昭和二十年のショックで植え付けられたと感ずることが多大である。
 人は変わらない。そして、おそらく人間のひき起こすことも。

    昭和四十八年二月   山田風太郎   」 −−『戦中派不戦日記』山田風太郎著 文庫本のあとがきより−−

 昨日の『半分、青い。』を観て笑った。何だこれって。

「仙吉 漫画家だったいうのも、ばれてまったか、今日。 鈴愛(すずめ) うん。そこで止まっとったら良かったけど、そのあとがカッコ悪い。やめてまった。カッコ悪いことを、知られたない。 仙吉 カッコ悪いか。カッコ悪ないぞ。ママ頑張ったんや。結果はどうでも。それが1番カッコええことやないか。お爺ちゃんは、お前が頑張ったことをよう知っとる。なんてな、カッコイイこと言っているけど、お前の気持ちは、よう分かる。お爺ちゃん、すねてまって。五平餅作るの、嫌になってまった。 鈴愛 ほやったの。 仙吉 ほうや。こっちで五平餅焼く横で、カツ丼、カツ丼って言われてみぃ。まあええか、作らんでもええかってなるわ。 鈴愛 子供みたいやね。 仙吉 はっはっはっ。鈴愛。教えたるわ。人間ちゅうのは、大人になんか、ならへんぞ。ずーと子供のままや。競争したら勝ちたいし、人には好かれたいし、お金は欲しい。うへっへ。 鈴愛 なんやそれ。」

 「人間ちゅうのは、大人になんか、ならへんぞ。ずーと子供のままや。」ハハハ。この台詞笑える。そうかも知れないと思うし、そうじゃないかもしれないとも思う。何故か、風太郎の「人は変わらない。そして、おそらく人間のひき起こすことも。」という言葉と重なった。ふぎょぎょ!

 昼前から下山さん親子と会ってきた。それは、明日にしよう。


 8月17日(金) 晴 12700

 今日は晴れているが涼しい。昼になっても30度くらいで、風は良い感じだ。アレサ・フランクリンが死んだ。ロック喫茶に通っていた頃、その存在を知ったが、歌を意識して聴いたことがなかった。しかし、『夢で逢えたら』を歌った吉田美奈子が、アレサのレコードを聴いて泣いたという記事を読んで、そのレコードを輸入盤屋で見つけて買ってきて聴いたのが、意識して聴いた初めてだと思う。そのライブ・アルバムの中に入っていた、『アメージング・グレイス』を聴いたときに、吉田美奈子の言葉が分かったような気がした。その後、映画『ブルース・ブラザース』で、色んな黒人ミュージシャンが出て、歌っていたが、その中でも、強く印象に残ったのが、アレサの『Think』だった。バックは、アトランティック時代の録音スタジオ、マッスル・ショールズのミュージシャンが参加していた。

 レコードの参加ミュージシャンの名前で知っている人が、当時それを映像で観れるのは、とても嬉しかった。裏方の人間が、映画によって表舞台に出てきたわけだ。ウィルソン・ピケットやアレサが録音スタジオに使ったことで、ミュージシャンでは知る人が知るサウンドを作り上げていた。その影響で、1969年以降、ボズ・スキャッグズ、ローリング・ストーンズ、ポール・サイモン、ロッド・スチュワート、レーナード・スキナード、ボブ・ディランなどが録音スタジオとして使用した。その後、『ブルース・ブラザース』のコンサートのバックで演奏活動をした。だから、映画にも当然アレサが出て歌った。それ以前にも、黒人音楽は聴いていた。スティビー・ワンダーとか、アール・ウィンド・アンド・ファイアーとか色々いたが、特にゴスペルを意識させてくれたが、アレサ・フランクリンだった。大谷翔平が出場した大リーグ中継でも、回代わりの時に、アレサの『Think』が球場で流れていた。

 昨日、下山親子とは、昼食、夕食を食べた。早目のランチはしゃぶしゃぶ。それから国立科学博物館でやっている昆虫展へ行った。中は親子連れで一杯だった。Eテレでやった香川照之の番組がベースになっている。昆虫には、過変態、不完全変態、完全変態の3つがある。幼虫が直接成虫に変態するのを不完全変態という。蝉、カマキリ、トンボ、バッタなど。幼虫からサナギになり、成虫なるのを完全変態という。蝶、ハチ、ハエ、甲虫。

 その変態する動画なども見れる。標本などは、珍しい昆虫が一杯観れる。例えば、玉虫のような角度によって背中の色が違って見えるものもある。光沢があるもので、紫や緑色のモノの甲虫が綺麗だ。下山さんの子供は、フンコロガシやカタツムリが好きなので、こういうのが良いと思っていたが、興味を持って観ていた。特別展を観終わった後は、中のレストランでケーキなどを取り、他の展示を観た。こっちは、自由に写真が撮れるので、喜んで撮っていた。それから外に展示されている巨大なクジラを観て公園内を歩いた。

 入る前、カマキリが蝉を捕まえているのを観た、下山さんの子供が、助けてあげてといって、下山さんが蝉を逃がしてあげた。蝉は鳴きながら捉えられていた。公園を歩きながら蝉を探した。高い木の上には蝉がいた。でも、捕まえるなら低い木だ。噴水の方に低い木があるのでそっちへ行った。直ぐに手の届く処にいる蝉を発見した。捕まえて触って喜ぶ。近くには何匹もいた。逃げてしまうのもいたが・・・。そんな感じで上野公園を散策した。彰義隊の墓の前に鎮座する、西郷隆盛の銅像。これが出来たのが明治30年代。元々あった彰義隊の墓の前に立てるのが、薩長が日本の政治を握っていたからだろう。幕臣中心の彰義隊を今の京成上野駅のあるあたりから薩摩が攻めた。指揮を取ったのが西郷だ。などという話をしていたら下山さんが驚いていた。それから、19時を過ぎていたが、夕食を食べた。夕食もやっぱり肉だった。


 8月18日(土) 晴 9539

 今日も涼しい。YouTubeで、ブルース・ブラザースの映像を観ていたら、DVDとかで初めから観てみたいと思った。あの中に出ている、黒人ミュージシャンたちは、年を取っているが一時代を作った人ばかりだ。そういう人たちを、映画の中で歌わせているのは、考えてみれば、のちに、ライ・クーダーがキューバのミュージシャンを集めて作った『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』に繋がっているのかと思ってしまう。こういう発想が出来ることが素晴らしいと思う。


 8月19日(日) 晴 12594

 今日も涼しい。夜になると、秋の虫の音が聞こえてくる。大谷翔平が先発を外れ、7−6の7回代打で登場。カウント2−1からの4球目、高めの球を降りぬくとセンターバックスクリーン前の芝生に飛び込む13号3ランホームランを打った。凄いパワーだ。ふぎょぎょ!

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」

 京都下賀茂神社に生まれた鴨長明が書いた『方丈記』は、大火、飢饉、地震などの災害の中で生きた無常観、人生観を綴った。江戸で火事にあった外国人女性が、江戸の庶民は火事を見ながら笑っていると日記に書いているという。鎌倉時代の京都と、江戸時代の江戸人の感覚は全く違うようだ。大火によって、江戸の街が整備され、発展して100万都市になった。「火事と喧嘩は江戸の華」

 火除け地などが作られて、隅田川の東に寺社や、町人の住む場所を作り、大火で燃えた江戸城の天守閣修復費用を街の移転費用に充てた。家は町火消が解体しやすいように、屋根も壁の薄い板で、柱も細いものを使ったという。土間には、茶碗などが入る穴を作り、火事の時にそこに入れ、身軽に逃げたという。火が回ってくると、家を壊して良いか町火消が訊くと、ためらうことなく、やってくれといったという。こういう江戸っ子の精神は、鎌倉時代の鴨長明には、理解しがたい事なのだろうと思う。時代や場所が違えば、考え方も、感覚も変わってくる。江戸っ子は、火事があるのが当たり前と考えて日ごろから生活していたようだ。約3年に1回は大きな火事があったという。こんな江戸っ子的な考えや発想が、天明の狂歌などの文化を発展させたのかもしれない。


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