−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年、2018年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行、2016年11月京都旅行、2017年9月京都旅行、11月の奈良・滋賀・京都旅行、高野山・京都旅行、滞在日記です。
7月14日(土) 晴 7089
甚大な被害を出した西日本豪雨。200人以上の死者と行方不明。、山の表層崩壊によって、村が亡くなった処がある。被害状況が完全に把握されたとはまだ言えないほど、広範囲な水害である。床上浸水や倒壊した建物から出る物凄い量のごみの片づけ。ライフラインが寸断された状態。水害で必要なるのが、水。掃除するにも、トイレも飲み水も足りない。そして、猛暑。昨日から東京では35度以上になっているが、今日は広島・岡山・京都など被災地は、37度になるという。
国土の約28%に人が生活する日本。約3/4が山だ。雨が降るのも、四季がはっきりしているのも、この地形的な条件があってこそ。だから火山活動もあるし、地震もある。津波もある。台風も大雨もある。そして昔からそういう自然を神として崇めてきた。こういう激甚災害が起こるたびに、政府は巨額の支援をし、今では多くの義援金や支援活動も行われるようになった。人は誰かの為に、何かをすることに喜びを感じるという。
『奇跡のレッスン 波は“答え”を知っている サーフィン』 「最強コーチ」は、南アフリカのクレイトン・ニーナバー。見よう見まねで覚えた技術は、それぞれの癖が染み付いている。そう簡単には治らない。それを簡単な技術と言葉で直していく。すると今まで出来なかったトップターンが出来るようになる。そして、その後の課題がトップターンの後にボトムターンを続ける。
クレイトン氏は、糖尿病。食事の前のインシュリン注射は欠かせない。それを知ったのは、サーフィンを始めた頃。こういう生活が一生続く。処が、サーフィンで波に体をゆだねるうちに、徐々に些細なことに思えるようになったという。「何より大きかったのは、「波は自分より偉大だ」ということに気づけたことでした。海の大きさに比べたら、自分はほんのちっぽけな存在なんです。自然のエネルギーは偉大です。波は1度壊れても、直ぐに生まれてくる。まさに完璧です。その波に体をゆだねれば、自然のエネルギーと一体化できるのです。最高のサーファーとは、波と一体になってサーフィンし、1番波を楽しんでいる人です。だから、何回も何回も挑戦して波と一つになる感覚を掴むことです。」
ゆっくりした波は、トップがゆっくり崩れて行くので波の斜面を大きく使ったトップターンが出来ます。一方、トップが崩れ速く斜面が切り立っているのが速い波。鋭いトップターンで崩れ落ちる波に合わせます。10代の日本人の生徒たちは波に一体となろうとする。波に乗っている彼らは楽しいそうだ。最終日は、トーナメント方式の大会をする。そして、三週間後、プロサーファー試験。4%の合格率の試験。ここに参加した2人が合格する。自然のエネルギーを偉大と思う南アフリカ人のクレイトン・ニーナバー氏。自然は人間に色々なことを教えてくれる。
パンプローナに頭の皮を剥いで、何十針も縫ったパディージャが出場して耳3枚切ってプエルタ・グランデした。もはやイドロだ!頭に黒い布を巻いて片目の黒い眼帯。海賊のようだ。カポーテを振り、バンデリージャを打ち、ムレタを振り、剣を決める。あの騒がしいパンプローナの観客を虜にした。場内1周の後、どくろの旗をもって観客に挨拶。素晴らしいことだ。
7月15日(日) 晴 4654
猛暑の東京。ワールドカップ3位決定戦は、ベルギーがイングランドに2−0と順当に勝った。1−0の後半、GKクルトワが1対1の状況で、倒れた上にシュートを打たれ、ゴール寸前でCBがクリアするスーパープレーが出た。もしあれが入っていたら判らなかったが、それでもベルギーの攻撃の方が面白かった。2点目になった、デ・ブルイネからアザールへのパスは絶妙だった。アザールのシュートも素晴らしかった。この試合後に、アザールはレアル・マドリード移籍の希望を語ったようだし、クルトワもレアル・マドリード移籍の報道もある。2人ともチェルシーからの移籍という事になるのか。もしそうならレアルは良い補強になるだろう。イングランドは予選リーグでもベルギーと対戦しているので2戦2敗。1得点も上げれなかった。日本は負けたとはいえ、ベルギーから2得点。イングランドのサッカーよりずっと面白かった。
国宝や重要文化財に指定されている茶室の土壁が、炭で汚れたように黒くなっているのが、何故なのかと思っていた。茶室で使う炭の煙でも付いているのかと思っていた。そうしたら『仕事の流儀 “わからない”が、楽しい〜左官 久住有生(くすみなおき)』の中で、左官が土をならす時の鏝(こて)の鉄分が酸化して黒くなることを知る。久住は20歳で、最難関といわれる京都御所の外壁の補修をする。ベテランの左官に交じって、作業の速さと出来の良さは引けを取らなかったという。
それというのも、最高の左官と言われた父親に3歳から特訓を受けた。まるで星飛雄馬の様だったという。毎日練習しないと飯を食わせてもらえなかったという。左官が嫌で、高校の時にパティシエになると父に言うと、「こういわれた。世界を観て来い。高3の夏休み。旅先のスペインで衝撃を受ける。アントニオ・ガウディが設計したサグラダ・ファミリア。圧倒された。 「何かすごいなって純粋に思ったんです。周りに古い建物いっぱいあるんです。でも飛びぬけてガウディの建築は違う。たぶん職人さんたちは、すごく熱くなったと思う。熱意みたいなものが全開にそこから出てるから、見るだけで感動する。すごいな。人の手で作ることと思って。」 帰国した久住さんに父親はこういった。「ケーキは食べたらなくなるけど、左官は死んでも残るんで。」久住さんの進むべき道がこの時決まった。」
仕事場ではいつも悩んで迷って。優柔不断。しかし、それは最後まで良いものを作ろうと、諦めないから出来ることだという。施主の意見を尊重し、設計士の考えを訊き、最後までどうしたら良くなるか考え悩む姿は面白かった。仕事前に、50回も試作で土を塗る。塗っては壊しを繰り返す。様々な土の調合や水分量などを見極めての仕事。せっかく塗り終わった壁を、水分量を間違えて色が変わっている処が出来た。それを全部斫(はつ)ってやり直す。職人は、笑いながら親方が最初に斫ってという。そして、みんな笑いながら作業をする。「みんな笑っているでしょう。良いもの作ろうと思っているからですよ」と言っていた。楽しそうな職場だと思った。
夜中、ワールドカップ決勝がある。フランス対クロアチア。当然、レアル・マドリードのモドリッチがいるクロアチアより、アトレティコのグリーズマンがいるフランスを応援する。
7月16日(月) 晴 3602
今日も暑い。NHKのニュースでは、熱中症に気を付けるように繰り返し喚起している。命を守る対策を取ってくださいと訴えている。ワールドカップ決勝は、フランスが4−2でクロアチアに勝った。初めの得点になったフリーキックは、グリーズマンのダイブだとTwitterなどで批判されている。2点目のPKも誤審だと騒いでいる。どちらもグリーズマンが絡んでいる。ヨーロッパの4大リーグ(スペイン、イタリア、ドイツ、イングランド)でここ最近スペイン勢がチャンピオンズリーグの決勝を独占するような状況の中、アトレティコで活躍するグリーズマンがファールを誘ってFKを得るのは、別に不思議なことではないし、審判にはそう見えたのだから、としか言いようがない。
PKになったCKを蹴ったのもグリーズマン。キックの精度が素晴らしい。1点目のキックもそう。クロアチアも、モドリッチを中心に良くやった。フランスの危険の芽を摘むカンテを機能不全にしたのは見事だった。しかし、フランスの弱点を突けなかった。最も心配したのは、フランスの右サイド。エムバベ、パバールのラインだ。激しく上下運動するパバールの処を突けば、エムバベも下がらざるを得ないだろうし、そうすればフランスの攻撃のパターンの1つを弱らせることが出来たと思う。そして、パバールの守備の弱さに付け入るスキがあった気がする。
しかし、クロアチアはそこを突かなかった。たぶん突けなかったのだ。何故なら、クロアチアの攻撃の多くが右サイドだった。言葉を替えれば、フランスから観れば左サイド。みんながパスを出せ、みんながシュートする能力があるクロアチア。それでも、フランスの守備を崩すことが出来なかったのは、そういう特性があったからだと思う。全体的にポジションを維持し、パスを通すことが出来ても、ゴールを割ることが難しかった。フランスは、セットプレーが良かった。それはグリーズマンのキックの精度が素晴らしかったのと、何より、カウンターの威力があったからだ。
ヨーロッパの多くのテレビ解説をした元サッカー選手が1点目のFKになったグリーズマンの貰いに行ったファールと、2点目PKを誤審だと騒いでいる。その考えを全面的に否定するつもりはない。が、審判がそう判断したのだ。それは紛れもない事実だ。それでも、元イングランド代表のギャリー・ネヴィルは、誤審を嘆きつつも、「全体を通してベストなチームが勝った」と語ったという。確かにそれはそうだと思う。グリーズマンは3度目のMOM。そして大会のMVPはモドリッチ。最優秀新人?は、エムバベだった。おめでとう、フランス!おめでとうグリーズマン!
退院して、直ぐにタバコが復活。そして、今日からコーヒーを解禁にした。酒は腹が痛いのでまだ先だ。その前に、この猛暑の中でも、普通に散歩できるような体調になりたいと思う。
7月17日(火) 晴 5716
暑い中、入院の関係で健康保険の書類を提出しに出掛けた。中野も変わった。北口の駅前はバス停がなくなり、サンブラザ前と横に移動している。税務所の裏は、開発されてビルが出来て、オフィスなどが入って人が一杯だ。サンプラザを取り壊すとか、残すとか色々言われているのは、周りの環境が変わっているからなのだろうと思う。茶店でコーヒーを飲みながら、『別冊新評 山田風太郎の世界』「山田風太郎と<明治もの>の魅力」前田愛X上野昂志と、「今度は明石大佐が主人公ですぞ」山田風太郎インタビュー、聞き手伊藤昭を読む。特に上野さんの対談の話が面白かった。
昨日NHKBS『スポーツ酒場“語り亭”』は、「とことん“二刀流”大谷翔平」。元メジャーリーガーの斎藤隆、岡島秀樹、岩村明憲などが出演して、おかまタレントのミッツ・マングローブとNHKのアナウンサーが進行役。大体今まで訊いた話がほとんどだったが、斎藤が大谷にインタビューした話にちょっと驚いた。それは、直球を投げる時の指の使い方。斎藤はメジャーで自己最速159キロを投げた。大谷は日本で165キロ。斎藤が言うには普通直球を投げる時、ボールが指から離れる時に人差し指と中指で逆スピンをかけるように投げるという。それは、ボールを投げる時に持っている一般人の感覚だ。159キロを投げた時、体が壊れるんじゃないかという怖さを感じたという。それに対して大谷は、人差し指と中指の指先でボールを叩くという表現をしていた。それがどういう感覚なのか判らないが、大谷が言うには、そういう風に投げると低めに力のある球が行くのだという。
出演者みんなが、いくらでも話せるような楽しい話だった。そりゃぁ大谷の事ならそうなるは。番組の最後に流れたのが、ボブ・ディランの『ライク・ア・ローリング・ストーン』めっちゃ気分が良い終わり方だった。こうだから、高揚してより印象に残るのだ。大リーグは昨日が前期最終戦。オールスターを挟んで、後半戦にある。その合間に、今日明日と2日間NHKBSで『ワールドスポーツMLB 夏スペシャル』を放送する。大谷と戦った選手の大谷感を語るというコーナーがあるという。バーランダーなどの投手や、バッターの話も訊けると思う。
7月18日(水) 晴 8055
今日は岐阜かどこかで40度を記録した。今週は猛暑だ。昼食は、ゴマダレでそうめんを食べた。ネバネバのオクラと納豆、ワカメ。オクラにはショウガも入っている。ゴマダレも良いもんだと思った。いつものめんつゆと違う味わい。それからアイス。冷房の中でそうめんは、食欲も落ちない。退院して帰ってきたら、足の裏側の筋が張っている。入院で歩いていなかったからかと思っていたが、どうやら手術した腹の方の影響が、足の筋を引っ張っている様な感じで、貼っていたようだ。それがだいぶ良くなってきたと思ったら腹の痛みが和らいできた。そうしたらまた、足の裏が筋がまた少し張ってきた。完全には腹の痛みがなくなれば、こういう張りがなくなるのだろう。
ワールドカップで試合終盤に涙を流した二人。ウルグアイのヒメネスと、フランスのパバール。ヒメネスは、0−2と負けている状態で、自分の夢が消えて行くことが悲しかったと言い、パバールは決勝で4−2とリードした状態で、夢が目の前にあったことで感激していたようだ。日本シリーズの清原の涙を思い出す。ドラフトで自分を指名しなかった巨人に勝って日本一目前。ヒメネスとパバールは22、3歳。若さがさわやかさを表現している。アトレティコのヒメネスはそれでも、クラブレベルでヨーロッパナンバー1になれる。パバールはクラブレベルではそのチャンスはほぼない。この大会までほぼ無名だったパバールは、これからビッククラブへと引き抜かれていくだろう。
そして、後日談として、フランスのカンテが、決勝当日胃炎で体調不良だったという。それで、デシャン監督と話し合って途中交代したという。試合後は、デシャンのカンテ交代を名采配と称賛を集めた。何故なら、交代後に2点の追加点が出たからだ。胃炎なのにあれだけ動けるカンテって本当に凄い選手だ。フランスではマケレレの後継者と言われ、マケレレ自身も後継者にカンテを指名していたという。レアル・マドリードが銀河系軍団だった時の、汗かき役。影のMVPとファンに言われたMF。14の肺を持つと言われるカンテは、あらゆる危険の芽を摘む守備の要で、攻撃の発端にもなる選手。
そのカンテはシャイ。優勝後にワールドカップに触れないでいると、チームメイトがカップを受け取りカンテに手渡したという。カンテは嬉しそうにカップを抱えた。こういう選手がいて、初めてチーム力が安定し攻撃も威力を発揮する。グリーズマンやエムバベ、味のあるプレーをするジルーなど攻撃陣に目が行きがちだが、パスを供給するポグバやカンテのような選手が凄いと思う。170cmない背の低いカンテは、まさに大車輪の活躍だ。だから、グリーズマンのキックの精度やエムバベのスピードが生きてチームとしてのバランスが良くなるのだ。
7月19日(木) 晴 10416
昼過ぎに入院していた病院へ行った。道中暑い。熱中症で救急搬送された人が先週2500人とかいると、ネット記事に載っていたが、東京も35度前後が続いている。手続きをして、暑い中町をブラブラ歩いてきた。
手術当日の朝に、医者が来て点滴をするため針を腕に刺した。点滴の針なんて、注射と同じようなものだからそんなに痛くない。でもこの針が今までの点滴で1番痛かった。何でこんなに痛いのかその時は判らなかった。手術が終わって2日後に、点滴が終わり針を抜くときになった。その時、抜いた針を観たら、針全体が薄い肌色だった。あれこの針何ですか?と訊くと、これプラスチックなんです。という。最近はこういう針を点滴の時に使うようだ。刺す時は痛い。でも経験からいうと、金属の針を刺して点滴すると3日くらいで刺さっている部分が痛いいうか、かゆいというかそういう金属アレルギー反応を起こしてくる。親指に4日間点滴した時は、抜いた後、何日か指に力が入らなかった。それともう一つの利点は、多少動いても針が柔軟に動くので、抜けたり取れたりしないのだ。柔らかいので曲がって力を吸収してくれるようなのだ。
「一例あげると、享保元年といえば、吉宗が八代将軍になった年だが、同年に吉宗は有名な「お庭番」制度を創設している。そして同じ年に尾形光琳が死に、与謝蕪村が生まれている。お庭番と光琳や蕪村の生死がべつに関係ないけれど、何となく三題噺のようで面白い。(自分用年表というのは、通常の年表には、歴史的人物の「生年」はまず載っていないからである)」 −−「自分用の年表」山田風太郎より−−
多分こういう事が、風太郎の物語を紡ぐ糸口になって行ったんだと思う。モヤモヤしている気持ちが、風太郎を読んでいると晴れて行くような気になる。自分で思うが、俺の文章って無駄が多い。良くいえば書き込んでいる文章。これからは出来るだけそういう物を、引いて行く作業が必要になってくると思う。池泉庭園ではなく、水や草木をはぶいた、「見立」の枯山水庭園の引き算の発想が必要になってくるだろう。あるいはその先に、路地庭園のような、茶室の前にある庭のような物。飛び石や蹲踞(つくばい)、腰掛待合などが、苔や草木に溶け込むような様式に、出来る工夫も必要になってくると思う。
手術などで遅くなったが、今日からサン・イシドロで撮ってきたビデオのダビングを始めようと思う。
7月20日(金) 晴 9683
今日は土用の丑の日。今週はスーパーなどにうなぎが並んでいた。朝食後、上野の森美術館へ行った。『ミラクル・エッシャー展』。エッシャーの転機になったのは、1922年24歳の時にスペイン旅行でアルハンブラ宮殿に行く。そこで壁や天井の幾何学模様に魅了されて自身の作品に生かされていったという。イスラエル博物館の物が展示されている。エッシャーの版画は、二次元の中に三次元を描いている。当たり前な言い方だが、そうなのだ。だまし絵の手法で、例えば、階段を昇る人が四角形に描かれているが、その階段は繋がっているが、人の動きから永遠に階段を昇っていけるように見える。『滝』という作品も印象的。滝の下に落ちた水が水路を通って行くとやがて、滝の上の水になるというような版画だ。白黒の世界に、無限に広がる三次元を感じさせる。エッシャーを知った時の興奮は、未だに忘れられない。
アメリカの有名ブロガーのティム・アーバンは、Eテレの『スーパープレゼンテーション』の中で、「“先延ばし達人”の頭の中」という講演をやった。その主旨は、3つのキャラクターの働きを言っていた。「理性的判断マン」は、物事を正しい方向へ導く。つまり締め切りに間に合うように事を進めようとする。それを邪魔するのは、「快楽主義モンキー」。今やらなくてもこっちをやった方が楽しいよと、邪魔をする。そして、先延ばしをする。ある時期になると、これじゃダメだと、「パニックモンスター」が暴れだしスイッチを入れて事を進めるというメカニズムだった。そうなると、「快楽主義モンキー」は逃げ出していなくなる。
ティム・アーバンは、先延ばしのメカニズムは、自分だけでなく、多くの人が思っていることを、ブログに発表後、凄い反響で知った。何千ものメールが世界中からあり、みんなが悩んでいる事を知る。「私も同じです」。では何故、ドツボにはまるか?先延ばしには二種類がある。1つは、締め切りがある時。先延ばしのシステムは短期間で終わる。「パニックモンスター」が止める。そして、もう1つは締め切りがないケース。締め切りがない状態だと、「パニックモンスター」は、登場しない。
芸術活動や起業といったことには、最初は締め切りがない。自分で動いて、努力して、軌道に乗せないといけない。また、プライベートなこともそう。家族に会うとか、運動するとか、パートナーとの関係を改善するとか、別れるとか。そういうことを先延ばしするとどうなるか。パニックモンスターは締め切りがない状況では、登場しない。目覚めないんだ。そして、先延ばしが延々と続く。長期的な先延ばしって、笑えないし、語られることが極めて少ない。独りで悩むしことになる。そして、長い間、不幸になったり、後悔したりすることに・・・。メールをくれた人たちは、それで苦しんでいるんだ。短期的な事じゃないんだ。自分の人生に“参加できていない”という感覚。夢を追うことさえでていない、そういう、いらだちなんだ。
僕は、もらったメールを読み、そして悟った。先延ばししない人なんていない。みんな、何かを先延ばししている。締め切りとか平気?でも、「快楽主義モンキー」がいちばん悪さをするのは、締め切りがないときだ。 ・・・ 自分の人生において、何を先延ばししているのか、考えること。「快楽主義モンキー」に気をつけること。僕らみんな、これをやるべき。そんなに大変なことじゃないし、今日から始めるべき。まあ、今日じゃなくも・・・。まあ、その・・・近いうちにね。
考えされられる話だった。「理性的判断マン」「快楽主義モンキー」「パニックモンスター」。この3つのキャラクターが、ゆるキャラのイラストで描かれている。講演は笑える話だったが、実は笑えない話だ。3つのキャラクターが、バランス良く自分の中に存在しないと、先延ばしの達人になってしまう。っていうか実際そうなっている。「パニックモンスター」が暴れない状態だ。「今日から始めるべき。まあ、今日じゃなくも・・・。まあ、その・・・近いうちにね。」
7月21日(土) 晴 9285
相変わらず暑い。大リーグは後半戦が始まったが、大谷は、5番DHで先発し、アストロズのカイケル3打数3三振だった。左腕、しかもサイヤング賞投手に、手も足も出ない状態だった。また、右ひじは検査の結果、回復してきているので、ピッチングに向けてキャッチボールが出来るようになった。
我慢して観ていなかった、『プロフェッショナル 仕事の流儀』「ラスト・ミッション 本田圭佑のすべて」を観た。放送されたのは5月14日。ワールドカップ出場選手発表前である。あの頃は、サッカー観る気分じゃなかったからだ。敵は自分。「自分ですよ。敵はどんなときでも。妥協という敵が、日々ね、あらゆる時間に、人間に襲いかかってくるんで、本当に、強敵。ある意味、僕の中で、ブラジルよりも“自分”のほうが強いんですけど、まあ、“ミスター・ポジティブ”なんで、それをポジティブに変えられる能力が、備わっていると。きついトレーニングのことを、一言で表せって言ったら、「きつい」って出るわけですよ、言葉は、でもそれを、言葉でつなげていくと、「きついけど、それが報われたら、楽しく思えるよね」とか、文を作っていくと、ポジティブに物語を作っていけるわけですよね。」
失敗は、必要な過程。「失敗って、本当に過程なんですよね。何か、次うまくいくことに、必要な過程なんですよね。失敗っていう表現が、もしかしたら間違っているかもしれないね。日本では。何かこう物事が思うようにいかない、“成功”みたいな言い方するといいかもしれないですね。物事がうまくいかないと分かった、成功、みたいな。“失敗も成功”みたいな、なんとかの成功みたいな。そういう言い方したら、“失敗”というネガティブな言葉自体、取り除いてしまったら、もしかしたら、前向きに、どんなうまくいかないことであっても、捉えられるんじゃないですかね。ポジティブに考えられるんじゃないですかね。」
「子どものころから今まで、サッカーという偉大なスポーツが僕に、本当に多くを教えてくれました。サッカーとしての“集大成”っていうのは、もしかしたら、次に進む準備が、本当の意味でできてるか。“終わり”である“始まり”みたいな。もうひとつ学びたいです。このワールドカップで」 ナレーションが続く、これが最後のワールドカップ。俺の全てを見てくれと言わんばかりの口ぶりだった。
「人として、どう生きようとしてて、そう人生を終結させようとしているのか、本田圭佑の男としての生き様っていうのを、見ようとしないと。ドリブルとかシュートとか見ようとしていたら、分からないです。本田圭佑のことは。」 「自分ですよ。敵はどんなときも。自分を律する。生きている以上は」 番組スタッフの質問 今回監督には、どう見られたと思いますか? 本田 「微妙やと思うんで。それで自分を、認めさせるには、勝利、得点に絡むような結果。ここがないと認めさせることは難しいという、覚悟を持って挑んでるんで。全責任、それを判断して結果を出せなかった責任は、もちろん自分にありますよね。ただ悔いはないです。ハリルのやるサッカーに、すべてを服従して選ばれていく、そのことの方が僕は恥ずかしいと思っているんで。自分を貫いた自分に、誇りを持っています。 ・・・ うまくいってないことも多いですけど、今の状況を楽しんでやってますし、その点は不変ですよね。いかなる状況であれ、その状況下で前向きに、やれることをやるという、自分の信念は不変だと思ってます。 ・・・ 追い込まれれば、追い込まれるほど、力を発揮します。」
この後、監督交代。そして、ワールドカップに出場し、3大会連続のアシストと得点を記録した。本田らしい言葉。生き方だ。覚悟がここにはある。
「パニックモンスター」が動き出した。「快楽主義モンキー」は逃げ出して、作業を進めている。今日のうちに、6本中3本のダビングが出来た。
7月22日(日) 晴 13886
相変わらず暑い。24日の祇園祭の花傘巡行が、小学校などの要請で中止になった。これは猛暑で、熱中症で死人が出ないようにという事らしい。京都は38度以上が連日続き、そういう事になった。大雨の後の猛暑。日本列島はかつてないような猛暑になっている。今日の大谷は、4打数2安打。二塁打2本を打った。前回3三振だったバーランダーから二塁打を打ったのは大きな収穫だ。
スペインから移籍した、神戸のイニエスタと、鳥栖のフェルナンド・トーレスが今日デビューする。そうなるか?スペインでも報道されているという。そして、ダビングは完了した。あとは、編集だ。
7月23日(月) 晴 15345
記録的な暑さの日本列島。今日、熊谷で、41.1という国内最高気温を5年ぶりに更新した。東京の青梅でも40度を超えた。そんな中でも、甲子園を目指す高校生たちは熱戦を繰り広げ、今日新たに4校の代表校が決まった。高校のクラブ活動の時は、毎年救急車を1回くらい呼ぶのが普通だった。その頃は、熱中症という言葉もなかったような気がする。熱中って、何かに夢中になることなのに、この言葉に、未だに違和感を感じる。暑くても、水を飲むのは悪とされた時代。今は、水分と塩分を取るようにテレビなどでも盛んに言っている。病院へ運ばれて一人前、みたいな雰囲気すらあった。アスファルトとコンクリートに囲まれて、緑が少なくなったことが原因のようなだが、緑がある青梅が40度を超え、いつも高い練馬が40度行っていないのは、どういう風に考えたらいいのだろう。これまでの国内最高気温を記録していたのは高知の四万十。ここだって緑が多いはずだ。何かがおかしいのは確かだ。
ネットでは、イニエスタとフェルナンド・トーレスの記事ばかりが載っている。他のチームの記事はこの2つに比べるとほんと少ない。二人とも得点には絡めなかったが、良いプレーを見せたようだ。大谷の四球からエンジェルスが大勝した。ヒットも打った。一昨日、弁当を食べたら、お腹一杯になって下腹が張っている感じで、苦しかった。手術後、腸の具合がおかしい。ちゃんとおさまっていないような感じ。これから編集作業を始めよう。
7月24日(火) 晴 10253
今日も暑い。昨日新宿駅で、外人の観光客を観たが、暑そうだった。こんな暑さでオリンピックをやるとなると、マラソンとか、サッカーなんて、殺人的だ。ただでさえ、暑いのに運動量が多い外でやる競技は大変だ。編集が終わって見直したが、ちょっと違和感を感じる。編集し直すことにした。多分、こっちの方が良いと思う。
こんな天気中で、散歩したくない。MEGUさんには、ちゃんと冷房つけないと熱中症になるよと、注意された。言われなくてもつけている。それでも、スーパーなどに買いものに出掛けたり、ちょこちょこ外に出るようにして運動している。明日は、退院後の初めての外来。先生と話をしてくる。大谷は、センターへホームランを打ったがチームは逆転負け。
7月25日(水) 曇 10380
寝る前に、『半分、青い。』を10日分くらいまとめて観た。朝予定より遅めに起きて、『半分、青い。』を観る。
「佐野弓子の楽屋 弓子 大丈夫、ここオートロック。 元住吉祥平 この脚本は、森山涼次のものです。 弓子 そうねぇ。 祥平 彼にかえしたい。かえさなきゃ。 弓子 何言ってるの。 祥平 彼に撮らせてやってください。森山涼次を監督デビューさせてやってください。お願いします。(土下座する) 弓子 でも。原作者の佐野弓子が、元住吉祥平でないと原作は渡さないと、言ったんじゃなかったけ。世の中的には、そういうことになってる。だよねぇ。 祥平 本当は違いますよね。あの時先生は、森山涼次に撮らせるおつもりつもりだった。それを俺が、俺に撮らせてくれって。 弓子 そう。捨てられた子犬みたいにね。あの時のあなたの目。見苦しかったぁ〜。あー、仕事なんだなぁって。(笑う)誰もいなくて、私たち二人で。 祥平 魔が差しました。 靴を脱ぎ座り直す弓子。 どうしたいっていうの? 祥平 今から仕切り直して、涼次がこれを撮る。 弓子 そんなこと出来るわけないでしょ。もう出資も映画会社も決まって、それひっくり返せるわけないでしょ。私親近感を覚えたんだよね。私物書きのくせに大学出てないの。家も金なくて。だから虎視眈々とチャンスを狙って。そぅ、出版社の近くで、喫茶店でバイトしたりして。そしたら出版社の人と知り合えるかもって。テーブル下に名刺落ちてて、偉い人のだったら届けに行くの。顔覚えて貰えるかもしれないでしょ。そうやって、一つずつ階段登ってきたの。どんな小さなチャンスも見逃さないで、すばしっこねこのように、見苦しい事、一杯して。あの時のあなたも、俺を使ってくれっていう目が、あー明日に震えてた時の自分みたいだーって思ったのねぇ。でもあなた良い人なんだねぇ。良い人はダメよ。この世界で生き残っていけないよ。悪い人にならないと。競争なんだから。一等賞でテープ切っても、またすぐ次のレースがある。そうやってずーとテープに向かって走り続ける。それが、この仕事。 ノックの音がして 先生。そろそろスタジオ入って下さいって。 弓子 了解。 靴を履く弓子。 本番なんで行きます。映画楽しみ。初号試写でお会いしましょう。といって出て行く。」『半分、青い。』99話より。
その後、祥平が涼次の携帯に、「涼次、ごめん」と泣き声で一言電話。土砂降りの自宅マンションのベランダ。手すりにつかまり眼を閉じて、重心が前に行くところで終わった。次の『あさいち』の冒頭で、博多華丸が、驚いた表情で、「そんなんで、何も解決しないでしょう!」というと、興奮しないで、といさめられていた。それが余計おかしかった。それから急いで病院へ向かった。
電車などを乗り継いで、病院へ行った。着いたのは9時ちょっと過ぎ。受付をして割と直ぐ呼ばれた。先生と話をした。傷も見たし、触診もした。女医。下腹部も触り、これは大丈夫というので、手術後は、以前のような感じはないこと、手術後にまだ張りのような違和感があることを言う。排便時に、きばれない事などを言った。その違和感は、数か月残るかもしれないが、いずれなくなるという。手術後に傷口に貼ったテープに皮膚がかぶれて水膨れになってそれが、つぶれ組織液が出て、それもおさまってきている。もう浴槽につかっても大丈夫だという。酒も飲んでも良いという。♪酒が飲める、飲めるぞ〜、酒が飲めるぞ〜。♪
早々に家に戻った。今日は曇っていて、それほど暑くない。大谷は左腕投手先発の為、代打の出場になった。BSプレミアムで、市川崑の『犬神家の一族』を観る。その後、NHKが作った横溝正史原作の『黒蘭姫』を観る。その後、『新日本風土記』「城崎温泉」を観る。志賀直哉の『城崎にて』の舞台。今も温泉街。そして、野茂英雄のプロ野球を目指すチームもいる。そして、城崎には、昔からコウノトリなのだという。周りの湿地に、コウノトリがいるという。世界各地の家の写真を撮っている写真家の人と話をしたとき、スペインで鳥といえば何ですか?と、訊かれたとき、コウノトリとこたえたことがある。すると、その写真家が、「やっぱり」と言っていたのを思い出す。教会の上に巣を作り、その周りを飛ぶコウノトリや、バダホスへ行く途中の電車の中から観た、巣立ちの準備の為に、巣で羽ばたきの練習をして、風に乗って体が中に浮いている姿が、思い浮かんだ。もう20年以上前のスペインの思い出だ。
姿勢が悪いのは、子供の頃から習慣。背中が猫背になっている。椅子に座る時に、バスタオルを巻いて尻の後ろ側に置いて、座ると姿勢が良くなる。ちょっとこれを、続けようと思う。そうすれば少しは姿勢が良くなることを期待したい。
下山さんから連絡があった。日本に帰国中だ。来るかもしれないと、セビージャに行った時に言っていたが、娘と一緒に来たようだ。
7月26日(木) 曇 9308
「法務省は26日、オウム真理教による一連の事件で死刑が確定した教団元幹部ら6人の刑を執行。教団に対する強制捜査から23年余りがたって、13人の死刑囚全員に刑が執行された。」(Yahoo!ニュース)
東京国立博物館で、やっている『縄文―1万年の美の鼓動』にちなんで、NHK『歴史秘話ヒストリア』で、「縄文1万年の美と祈り」放送した。こういうのを観たり、日曜美術館の『縄文展』を観て行くのと、行かないのとはでは、たぶん、かなり違うような気がする。来週あたりに観に行こうと思う。「この圧倒的な凄みは、日本人の祖先が誇った美意識だ」(日曜美術館、岡本太郎、「日本の伝統」)「縄文土器の荒々しい、不協和な形態、紋様に心構えなしにふれると、誰でもがトギっとする」(歴史秘話ヒストリア、岡本太郎、四次元との対話―縄文土器論)
岡本太郎の太陽の塔は、縄文土偶を参考にして作られたらしい。しかし、『歴史秘話ヒストリア』では、太陽ではなく、月にまつわる話になっていた。月が29.5日(太陰暦)で、地球を1周するように、女性の生理(28日)も同じという(番組出演者はそう言っていた。)。それが土偶の女神像と重なるという。へその上にある線は、妊娠線である正中線だという。何かの儀式に使われていたという。満月と新月の事など、土器や土偶の話を専門家たちが言っていた。銀閣寺など今に残る日本文化の礎を作った義政が、月に魅せられていたのは、こういう古代縄文の時代からあった日本人の美意識に由来するのかもしれない。
大谷翔平は、4打数1安打、1ホームラン、3三振、1四球2打点だった。ホームランは完璧だったが、3三振は頂けない。終わって途中から市川崑の『悪魔の手毬唄』を観る。白石加代子が出ていた。怪談物というかこういう話に、白石加代子はよく似合う。姿、声、女優白石加代子そのものだ。そのままBSプレミアムで横溝正史原作の『殺人鬼』を観る。
今日も曇っていて涼しい。
7月27日(金) 曇 11096
台風が小笠原付近にある為、雲って涼しい。明日は上陸予報になっている。明日は、どうなのだろう?夏野菜の茄子とピーマンのショウガ炒めを作った。味付けは醤油。子供の頃、おばちゃんが作ってくれたものだ。これがあると、何となく良い。肉と一緒に食べても良いし、何かと一緒に食べても良い。
大谷の女房役マルドナドが突然アストロズへトレードに出された。アストロズのキャッチャーが故障して、その為にこのトレードが、急遽決まった。代わってマイナーから上がってきて先発マスクをかぶったアルシアが7回に試合を決める3ランホームランを打ち、8回にもタイムリーヒットを打った。12年間マイナー生活。メジャー初先発で2安打4打点。その間、辞めたくなるような事もあっただろう。ホームランの時の喜びようは、半端じゃなかった。大谷のように、鳴り物入りでメジャーで活躍できる選手とは違うアルシア。しかし、これからは、マルドナドの代わりに、先発マスクをかぶることが多くなるだろう。苦労人がこうやって、メジャーで輝く姿は、見ている人間に嬉しさを感じさせる。
市川崑の『獄門島』を観る。大原麗子、太地喜和子が、本家とそれを狙う分家筋のような女将の配役になっている。大原麗子は綺麗だ。だが、何といっても、太地喜和子の女っぷりが凄い。こういう対比を、市川崑が描きたかったのだろう。またこの映画にはそれが必要だったと思う。そのままBSプレミアムで横溝正史原作の『百日紅の下にて』を観る。
7月28日(土) 雨 11360
台風の影響で、今回のスペイン闘牛ビデオ上映会は、中止順延になった。一人だけ連絡がつかない人がいたので、安田スタジオに向かった。少ししたら、やっぱり現れた。それで、中止になった事を伝えた。それで、せっかくなので飲みに行った。22時45分くらいまで飲んで話てさっき帰ってきた。だから、時間がない。飲み屋から外に出たら雨は降っていなかった。こんなもんだよなぁと思った。
7月29日(日) 雨のち曇 8023
朝早く目が覚めた。外に出たが雨は上がっている。涼しい朝だ。昨日は、満月だったが台風の影響で月を見ることは出来ない。しかも、皆既月食で赤い月が日本でも観れたのかもしれない。台風は、通常は西から東へ進路を取るが、今回は小笠原諸島を北上して、関東の海岸前で進路を西に取った。そのままゆっくりしたスピードで未明に、伊勢市に上陸し、瀬戸内海を通って九州に向かって進路を取っている。奈良では1時間110ミリの大雨を記録した処もある。土曜発売が中止になった小倉も競馬をやった。
昨日は、一人だけ連絡が取れなかったTHさんお父さんが、来るかもしれないと思って安田スタジオの前に居たらやってきたので、酒を飲んで話をした。色んな話が出来ることは、会が終わった後の飲み会での話や、マドリードで話しているので判っている。小説や芝居、映画、落語、天皇の戦争責任についてまで、話したのにはビックリした。新国立劇場のこけら落としの井上ひさし作『紙屋町 さくらホテル』を紹介してもらった。そこでビデオが観れるという。
そして、印象に残ったは中学の頃に観たNHKで放送された早坂暁作のドラマ『天下御免』だった。平賀源内が山口崇、杉田玄白が坂本九、紅が中野良子、仲谷昇が田沼意次、他には林隆三など。今まで見たドラマの中で1番面白かった。そういう印象が強い。中学以来の『天下御免』の話をした。40年以上前のドラマが蘇ってきた。YouTubeで観れるというので帰ってきて、酒を飲みながら観ていた。そして、主題歌もあったのでそれを聴いていた。山口崇、林隆三、津坂匡章(現、秋野太作)が歌う歌が、当時新鮮だった。
♪船出だぞ 船出だぞ このうら船に帆をあげて 自由の風をつかまえろ てんてん天下の御免丸
風風 風風 風はおいらがおこすんだ 俺達みんなが風なんだ へいへいこーらのへいこーら
東に 南に 西にも北にも吹きまくれ 東南西北(とんなんしゃーぺい)吹き飛ばせ てんてん天下の御免丸
風風 風風 どこへゆくのも風まかせ 自由の風よ吹きまくれ しゅらしゅらしゅららの しゅらしゅしゅしゅ
あーわれらが てんてん天下の御免丸 その名も高きオンボロの てんてん天下の御免丸
あーわれらが てんてん天下の御免丸 その名も高きオンボロの てんてん天下の御免丸♪ −−『船出の歌』 歌詞:早坂暁より−−
歌の中に、♪しゅらしゅらしゅららの しゅらしゅしゅしゅ♪とあるように金比羅にちなんでいる。第1回が「こんぴら船々」でも分かるように源内の故郷、高松藩から始まる。それで、思い出したのが伊藤若冲だ。京都の大火の後、金比羅に出向いて絵を描いている。1年か2年だった。こういう事に、大阪の木村蒹葭堂(けんかどう)を通して、源内と若冲が知り合っていても不思議はないと思う。それは、商売上交友関係が広かった蒹葭堂ならうなずける。河治和香が書いた小説『遊戯神通 伊藤若冲』の内容からもそれは想像できることだと、思った。その他に、大田南畝や司馬江漢などの江戸文化人と繋がっていたとしたら、さらに面白い。若冲が生まれた享保元年は、尾形光琳が死んだ年で、与謝蕪村が生まれた年でもある。
7月30日(月) 晴 12287
用事があって新宿へ行った。知人と会って話をした。色々人の動きなどを知る。こっちもあっちも動いている。買い物しようとしたが、探し物はなかった。紀伊国屋に行って、本も探したが、古い本で、取り寄せも出来ないという。そうなると、図書館か古本屋かネットという事になる。食事をしようとしたが、やめて家に帰って夕食のような昼食を食べた。
落語の事を思い出していた。THさんのお父さんと話していた時、圓生が1番好きなようだった。あの落ち着いた話しぶりは味があった。小さんの事を聞いたら、あれはダメだという。それは同じ。とても訊けたもんじゃない。ただ、弟子の談志や小三治は素晴らしい。異端ではと、言いかけると、川柳というので、ビックリして、かわやなぎせんりゅう。川柳川柳と書いてといって、二人で笑った。寄席でいつも爆笑していたのが、川柳川柳。高座で軍歌を歌う。THさんお父さんが、月月火水木金金じゃなくて、土土日日日祭祭が良いです。とか、軍歌、歌っているのを親父が聴いて喜ぶんですよ。涙流して笑うんですよ。と、言っていたが、その通りだと思った。川柳の『世は歌につれ(別名、ガーコン)』や『ジャズ息子』など軍歌を歌う歌いっぷりが凄かった。今YouTubeなどで観れるものより、数段歌いぷりが凄かった。川柳の歌に、客の方が涙流して見ていた。
それともう一人、古今亭円菊。噺の中の女房役などの女ぷりっがおかしかった。指をくわえたり、品を作ったり、瞬きの仕方とか、声色も含めて観ていてとても面白かった。円菊の笑いは、女の人が、若い子でも、40くらいの女の人もだらしなく笑っていた。「やだぁ」とか言いながら爆笑する。そういう笑いだった。川柳と円菊は、俺にとっての寄席の爆笑王だった。それをTHさんのお父さんと共有できたような気がする。そんな話をしていたら寄席に行きたくなった。それにしても今、川柳や円菊のような破天荒な芸風の落語家がいなくなったと嘆かわしい。この二人が寄席で話し始めると、雰囲気が全然違った。テレビには出なくても、客をとことん楽しませてくれる落語家だった。しかし、THさんのお父さんが言うには、今年川柳の高座を観たというが、長くない感じがしたという。円菊はもう死んでしまったが、川柳も・・・。
7月31日(火) 晴 12869
台風は九州に去り、暑い夏が戻ってきた。台風の動きはどうなるか分からない。九州の南の辺りでゆっくりとしたスピードで動いている。これからいつもの様に東に向かうのだろうか。世界的に、今年は暑いみたいで、スペインも暑いのだという。アメリカやギリシアでは、猛暑などで山火事が起きている。夕方、かかりつけの病院へ行って、処方箋を作って貰い、薬をとってきた。そして、入院したことなどを報告する。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』「農業経営者・多田克彦」を観る。「岩手・遠野の農業経営者、多田克彦(63)に密着。自ら生産した牛乳や野菜からプリンなどの製品を作り世界へ売り込む。若き日、牛肉の輸入自由化に直面。その後、農協を脱退し、自ら販路を開拓するなど逆境を乗り越えてきた。信念は「遠野物語」の作者で、明治政府の農業政策を司る官僚でもあった柳田国男が言う“農民の自立”。農業が衰退し、津波被害にあえぐ岩手の魅力を掘り起こそうと奮闘する男が紡ぐ現代の遠野物語とは。」(NHKのホームページより)
遠野産や岩手県産や東北産にこだわり、販路開拓にはげむ。仲間と取り組む姿。「農民は農業だけを生業にし自立すべきだ。」それは柳田国男の考え方だった。宮沢賢治と同じような考え方だ。口癖は、「世界に驚きを与えたいというのが、願いでもあります。どこにでもなくて、世界が驚く味。」30年前から有機農法で、土づくりからこだわっている。牛乳を自立販売し、乳製品やプリン、スイーツなどの販路も開拓した。自分だけではなく、次につながる世代も育てている。熱がある人だ。取材している人がなまっている。たぶん、岩手県の人だろうと思う。笑える。
販路は日本だけではなく、台湾やアメリカにも拡大した。全てが順調に来たわけではない。牛肉の自由化で価格が1/8に下落。牛乳の生産調整。5%を捨てろという命令。農協を脱退する。そして、自立販売。牛乳のパック詰めを委託していた会社の倒産。牛を処分して1年間何をすべきか考えて始める。今は、遠野の弁当も作る。遠野牛のステーキ屋、漬物屋などと組んでご飯の上に漬物を敷きステーキを乗せ、漬物と多田の処のスイーツ。「まさかこの山の中のね、遠野から(弁当)出すなんて考えたことなかったけど。一つ一つの企業が、それぞれバラバラなんだけども、強みの商品を持つことが、合わさると、こういう結果になるんじゃないかか。」
プロフェッショナルとは、「絶望的な状態の中で、どんな苦しい事、どんな困難とかあっても、そこから希望を見出しすことだと私は思ってます。プロフェッショナルとは、そういう意味では、不可能な処から光を見いだす。そういうことと同時に、見えない物を見えるようにしていく。私はそれがプロフェッショナルだと思います。」
思い出した歌がある。岸洋子の『希望』。♪希望のいう名のあなたを訪ねて 遠い国へとまた汽車に乗る♪ いずみたくは、何故この歌をマイナーで作ったのか?たぶんそれは、この歌詞に続く内容からメジャーではなく、マイナーで作ったんだろう。何か遠野にこういう人がいるのは嬉しいなぁと思った。東日本大震災の時に、復興支援の拠点になったのが岩手では遠野だった。そこからこういう人が出て来るのも良いことだ。
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