断腸亭日常日記 2018年 4月 その2

--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

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 4月25日(木) 雨のち晴 11334

 ♪僕はハイライトを吸ってます♪吉田拓郎の歌じゃないけど、タバコを吸いながら大リーグ中継を観た。去年のワールドシリーズチャンピオン、アストロズを相手に大谷翔平は登板した。前日の練習後にアルトゥーベに呼び止められて、通訳を入れて話をしていた。「地元メディアが大谷について問うと、アルテューベは「100マイル(約161キロ)の速球といいスプリットがある。ベスト投手の1人だ」と話し、スター遊撃手コレアも「打撃も投球も高いレベルでこなすなんて、他に誰もやっていない。そんな選手は尊敬するし、対戦が本当に楽しみ」と称賛。中軸の1人レディックは「彼を見るのはエキサイティングだし、少し嫉妬もする」と話した。」(日刊スポーツ)

「アストロズのヒンチ監督は大谷がベーブ・ルース以来の本格的な二刀流を行っていることについて「野球界にとっては素晴らしいこと。(メジャーリーグは)世界でトップレベルの選手を必要としているわけで、しかも彼は我々のリーグにいるので見る機会が多くなる。多くのファン、世界中のファンが注目するというのはいいことだ」と好意的な意見を述べた。(東京スポーツ)

 試合は、アルトゥーベなどクリンナップを押さえたが、制球が問題で4失点。ストライクを取れなくてカウントを悪くして打たれたりした。98球うちストライク55球。スプリット(フォークボール)の投げる率が高い。直球のコントロールとスライダーやカーブの配球を考えた方が良いと思う。アルトゥーベへのカーブは腰が引けていた。もっと楽に投げられるはずだ。ただ、球審の判定に疑問があった。2ランを打たれた前の打者の四球に判定された直球はストライクの様な気がする。ソーシア監督も怒っていた。6安打、1ホームラン、5四球、7奪三振だった。最速101マイル(163キロ)の速球を投げたが、これは大リーグ公式ホームページに動画で載った。今シーズン先発投手で最速を記録した。

 大リーガーたちが一様に、大谷翔平に注目するのは、リトルリーグや高校野球で、4番でピッチャーという選手として最も憧れる選手として活躍した自分たちが、プロになって出来ないかったことを実現している処にある。それは、ほとんど尊敬の目で観られているからだ。アルトゥーベが言うように、100マイル(161キロ)の速球といいスプリットがある。ベスト投手の1人だ。というのは投手としての誉め言葉。コレアが「打撃も投球も高いレベルでこなすなんて、他に誰もやっていない。そんな選手は尊敬するし、対戦が本当に楽しみ」というのはおそらく多くの大リーガーが思っていることだと思う。これも大谷に少年野球の面影を観ているからではないかと思う。

 セビージャのフェリアの闘牛が終わった。フリがトゥリウンファドールになるだろう。でも、クーロ・ディアスやアントニオ・フェレーラ。特にフェレーラのやったファエナの方が観たいファエナだった。


 4月26日(木) 晴/曇 7615

 大谷翔平が花巻東に入学して、佐々木洋野球部監督から目標達成シートを書くように言われて書いたもの。高校1年の11月か12月に1年生全員が書いたというが、大谷の書いた内容が凄い。81マスの真ん中ににあるのが、高校時代に達成したい目標で、その周りの8マスがそれを達成する為に必要なことで、その8つに必要な8つを書くという方法だ。ドラフト1位で8球団に指名されるというが、目標だ。その為に必要なのは、コントロール、キレ、スピード160km/h、変化球、運、人間性、メンタル、体づくりが必要で、その8つにそれぞれ必要と思う8つを書いていくという物。

大谷翔平が高1の時に書いた目標達成シート

 8-8
体のケア
 8-1
サプリメントを飲む
 8-2
FSQ 90キロ
 1-8
インステップ改善
 1-1
体幹強化
1-2
軸をぶらさない 
 2-8
角度をつける
 2-1
上からボールをたたく
 2-2
リストの強化
 8-7
柔軟性
 8.体づくり  8-3
RSQ130キロ
 1-7
リリースポイントの安定
1. コントロール  1-3
不安をなくす
 2-7
力まない
2.キレ  2-3
下半身主導
 8-6
スタミナ
 8-5
可動域
 8-4
食事
夜7杯
朝3杯
 1-6
下肢の強化
 1-5
体を開かない
 1-4
メンタル
コントロールをする
 2-6
ボールを前で
リリース
 2-5
回転数アップ
 2-4
可動域
 7-8
はっきりとした
目標を持つ
 7-1
一喜一憂しない
7-2
頭は冷静に
心は熱く 
 8.体づくり  1.コントロール 2.キレ   3-8
軸でまわる
 3-1
下肢の強化
3-2 
体重増加
 7-7
ピンチに強い
 7.メンタル  7-3
雰囲気に流されない
 7.メンタル ドラ1
8球団 
 3.スピード
160km/h
 3-7
体幹強化
 3.スピード
160km/h
 3-3
肩周りの強化
7-6
波をつくらない 
 7-5
勝利への執念
 7-4
仲間を思いやる心
6.人間性   5.運  4.変化球  3-6
可動域
 3-5
ライナーキャッチ
ボール
 3-4
 ピッチングを
増やす
 6-8
感性
 6-1
愛される人間
6-2
計画性 
 5-8
あいさつ
 5-1
ゴミ拾い
5-2
部屋そうじ 
4-8
カウントボール
を増やす 
 4-1
フォーク完成
4-2
スライダーの
キレ
 6-7
思いやり
 6.人間性  6-3
感謝
 5-7
道具を大切に使う
 5.運  5-3
審判さんへの態度
4-7
遅く落差のある
カーブ 
 4.変化球 4-3
 左打者への
決め球
 6-6
礼儀
 6-5
信頼される人間
 6-4
持続力
 5-6
プラス思考
 5-5
応援される
人間になる
 5-4
本を読む
 4-6
ストレートと
同じフォームで
投げる
 4-5
ストライクから
ボールに投げる
コントロール
4-4
 奥行きを
イメージ

 高校の時から取材して『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』を書いた佐々木亨が、目標達成の為に必要なものの5番目に、「運」と書いたのが凄いと言っていた。たぶん、自分が必死に努力しても、どうにもならないものがあることを知っているんだと思う。謙虚である。真摯である。

 佐々木洋は、菊池雄星が3年生の時に、肩の故障をしたのを悔やんで、大谷の学年から骨端線を調べた。肩肘の骨端線を観て今は無理な運動をさせるべきでないという事を感じたという。しかし、大谷は2年生の時に股関節の怪我をする。それを悔やんで今は、色々な場所の骨端線を調べているという。面白いのは、怪我の功名で、ピッチング出来ない間、バッティング練習をして磨きをかけたのが、今に通じるという。この81マスには、ピッチャーとしての項目が書かれているが、バッターの事は書かれていない。高2時も書いている。高3の時はその時期にもうドラフトにかけられたので、どうなのか。でも、高2高3の物は、出ていない。いずれにしろ、彼が恵まれたのは、両親の家庭環境と花巻東で佐々木洋監督に出会ったこと、そして、日本ハムの栗山監督に出会ったことなど、やはり、「運」にも恵まれているような気がする。エンジェルスという球団を選んだことも恵まれた事なのだと思う。

 なんか野球見始めた頃や、闘牛観始めた頃の様な、ワクワクが止まらない。昨日の投球でも、課題だった走者を出した時のスライド投球法も以前に比べると良くなっているように見えた。1つずつクリアしているような気がする。


 4月27日(金) 曇 5797

 下山さんやTHさんさんとやり取りをしていたら、朝方、THさんが、ホセ・トマスがアルヘシラスで6月29日復帰の記事を送ってくれた。『Aplausos』の記事だった。本当だろうかと思っていたら、『mundo toro』にも載っていた。調べたら、グラナダやアルヘシラスの興行主の、ランセス・デ・フトゥロの、Twitterの公式ホームページで発表していた。公式のカルテル発表は5月4日だという。こういう風に今年何回か闘牛をして、来年のサン・イシドロに出てくるのだろうかと思った。アルヘシラスへは行けないだろうと思う。その後、何処に出てくるのか、それによっては動こうと思う。オトーニョだったりして・・・。


 4月28日(土) 晴 6363

 AVEの切符を買おうとしたが、何度やってもクレジットの番号が入らない。奥の手で、頼んだ。返事が来るだろう。大谷翔平は5番DHで先発し第1打席で内角の156キロの難しい直球を完ぺきにとらえてライトへソロホームランを打った。試合後打たれたセベリーノは、「彼はいいね。でも次はもう内角は投げないよ。彼はいい投手であり、打者だ。いい球だったが、彼は本塁打を打った」と、衝撃を受けたようだ。テレビで解説していた岡島は、あれは失投じゃないです。と、断言していたが、セベリーノもそう感じたようだ。だからショックなのだろう。

 ところで2打席目にセカンドゴロを打った時に、バットが砕け1塁に駆け込んだが、交錯してベースを踏んだ時に左足首を捻挫して交代した。明日は状態を観て出場するか決めるという。こういう怪我が1番心配なのだ。無理してマー君と対戦することはない。休んだ方が良い。次の登板にも響いたら嫌だ。


 4月29日(日) 晴 11443

 快晴の京都競馬場で、第157回天皇賞春が行われた。あまたの名馬で天皇賞を勝ち続けた武豊は、騎乗停止で不在だった。勝ったのは直線内から伸びたレインボーラインが1番人気のシュヴァルグランを交わして優勝した。その直後、岩田騎手が下馬した。右前を故障した。GⅠ挑戦10度目の悲願だった。インタビューで岩田は馬を心配していた。勝負とはこういう物である。

 大谷翔平は出場しなかった。昨日1塁ベースを踏み違えて捻挫した怪我が影響している。昨日の試合後、カートに乗って球場を引き上げて行ったという。次の先発も予定の5月2日(日本時間)を、大谷は大丈夫と言っているが、スライドする可能性はあるだろう。それにしても大谷のホールランを観たヤンキースの選手たちの反応が凄い。セベリーノは、「脱帽だ。」といい、「内角に投げない。直球もダメ。チェンジアップを投げる」と言ったそうだ。「キャッチャーのサンチェスは、「内角のいい球をしっかりコンタクトされた。とてもいいコースだったし、コンパクトに振り抜かれた。これでさらに投球で100マイル(160・9キロ)を投げるわけだろう? 今まで長い間、見たことのなかったことをしているのはすごい能力だと思う」

 ヤンキース・ジャッジ(昨季本塁打王の2番打者。右翼で大谷の打球を見上げ)「コンパクトで鋭い振りをしている。これからも見るのが楽しみだ」ヤンキース・ブーン監督(大谷について)「すばらしいスイングだった。ビデオでリプレーを見たが(投手は)コーナーを突いていたし、97マイルの球をフェアゾーンに運べるのは、すばらしいスイングだったから。決して悪い球ではなかった」(日刊スポーツ)

 今日スタメンに大谷の名前がないことを聞いた「ヤンキース・ブーン監督(大谷について)「すばらしいスイングだった。ビデオでリプレーを見たが(投手は)コーナーを突いていたし、97マイルの球をフェアゾーンに運べるのは、すばらしいスイングだったから。決して悪い球ではなかった」
「昨日のあのスイングを見た後ではガッカリしてないよ」と冗談交じりにコメント。続けて「彼のようにポジティブな意味で周囲からの注目を集める選手はそうそうお目にかかることができない。そういった選手の怪我などは誰も望んでいないだろう。昨日のスイングはとても印象的だった。(怪我が)深刻ではないといいね」と状態を気遣っていた。」(Full-Count)

 ところで今日はヤンキース田中将大先発して6回2安打1失点で4勝目をあげた。序盤で10点の大量リードを貰い楽に投げられたのだろう。


 4月30日(月) 晴 15362

 闘牛のサイトを観ていると、何処でも怪我怪我の記事ばかりだ。写真を見ただけで痛そうだ。それなのに何故人は闘牛をやるのだろう?

 『ブラタモリ』は4月になりアシスタントが代わって、101回102回は、京都奥東山(ブラタモリの京都で良く出る、梅林秀行が命名した)を歩いた。まず銀閣寺。足利義政が作った庭と建物。建物(銀閣)の正面は庭に面した東側。東山の借景に月を眺めるために造ったと考えられている。その縁側に座って、ここがやっぱり1番良いねぇ。と、タモリ。そして、銀閣寺を眺めるために山に登る。そこから背後に山が見える。もう一つの断層で出来た吉田山だ。説明では、吉田山があるので、花の御所や、京都御所が見えないようになっている。庭も御所に背中を向けるようになっているし、銀閣寺を立てた場所の意味が、吉田山があるからだという解説だった。なるほどと思える。応仁の乱などで、政治に嫌気がさして、ここを隠居する場所にした決め手になっているという。

 そこに日本で初めての四畳半(東求堂)から茶や花、連歌などをして余生を送る。義政にとっては、それは余生でなく、本当に過ごしたかった時間だっんだと思う。将軍としては最悪でも、今に続く日本文化の基礎を作ったと言っていい功績を残した。義政がいなければ、狩野派も、侘茶も、華道も、京都の寺の美しい庭なども、残らなかったと思う。信長が、政治のやり取りで、侘茶を使ったのは、そういう意味ではちょっと面白い。新緑の人の少ない銀閣寺を、ゆっくり散策したい気分になった。


 5月1日(火) 晴 14837

 月がかわって5月になった。今日は天気が良く暑い。昨日は満月だったが曇っているからか、低い処にあるからか見えなかった。名古屋には不思議な食べ物が一杯ある。天むすというのがあって、海老の天ぷらをおにぎりに中に入れたものだ。昔職場の人間が、名古屋にいた時に良く食べて、美味しいといっていた。何故、天むすなのか?それが全く分からなかった。おにぎりという言い方と、おむすびという言い方があると、NHKでやっていた。

 コンビニの影響で、おにぎりという言い方がほぼ9割で、1割がおむすびという言い方だという。特に、広島、山口では、山賊むすびという3種類の具を入れたものがあり、それが、おむすびという言い方を後押ししているようだ。それを観ていて、名古屋の天むすは、天ぷらおむすびの略した言い方なのだろうと思ったのだ。でも、名古屋でもおむすびという言い方より、おにぎりという言い方がメジャーなんだろうと思うのだが、何故天むすという言い方に残っているのかと、疑問を持った。全然違う処から天むすという名前が付いたのかもしれないのだが…。


 5月2日(水) 曇 11628

 今日、南禅寺の国宝、方丈で異臭騒ぎがあった。呼吸が出来なくなるなどで、救急車が駆けつけたりした。原因は不明。4人が搬送され拝観中止になった。大谷翔平は5番DHで復帰先発した。2打席目で三塁線抜く二塁打を打った。試合は9回に追いつかれたが、9回裏ようやくアプトンが打ってサヨナラ勝ちした。

 『ブラタモリ』102回のお題は、前回と同じ、「うつくしき“ニッポン”の始まりは東山の奥にあり!?」。鴨川と高野川の合流点、出町柳の対岸から始まる。前回は銀閣寺でわびさびの世界を観た。案内人の京都高低差崖会の梅林秀行に、大谷大学の鈴木寿志教授(地質学)が加わる。対岸から大文字山が見える。京都では、大文字山を見るとは言わず、拝むというと、梅林が言っていた。京都の中心部に住むと、大文字山が半分しか見えない。Kの字に見えるのでK文字と言ったという。大の字半分だからKに見える。何故、大文字山は高くて尖っているのか。それは、比叡山が高くて尖っている理由と同じだった。

 大文字山と比叡山。その間が弧を描くように凹んでいる。同じ岩石で出来ている。元々は泥岩。ホルンフェルス。大文字山の場合9000万年前マグマが地上近くまで上昇。その周りが固くなってホルンフェルスに変わる。マグマはゆっくり冷えて固まると花崗岩になる。それが侵食されて、地上に出、ホルンフェルスが侵食され、花崗岩が顔を出す。風化しやすい花崗岩が優先的に侵食しホルンフェルス(ドイツ語でホルンは角。フェルスは岩)が残った為に、比叡山と大文字山が残った。

 それから白川へ行く。底を見ると白い。白川は大文字山と比叡山間のくぼみの部分が源流である。花崗岩が川に流され白い砂になって流れてくる。タモリが、花崗岩が風化して真砂(まさ)になった砂ですよね。鈴木教授が、まさにその通りです。花崗岩が風化して真砂になる。それを真砂化するという。まさか、そういうしゃれが続くとは思わなかった。花崗岩は4種類の鉱物から成る。カリ長石、石英、斜長石、黒雲母。それに割れ目が生じてバラバラになる。黒い雲母が白川にはない。雲母は薄い板状の物ですから薄く剥がれるんですよ。そうすると川の流れで流されるとタモリと鈴木教授が言っていた。こうして黒雲母が流されて、白い色の鉱石だけが残った。この白砂が美しき“ニッポン”の始まりとなる。

 銀閣寺の庭園の銀沙灘、龍安寺の石庭。枯山水の庭に使われる白砂は、室町以降ここ白川から取れた白砂で作られた。たしか、修学院離宮のあの3つの道もそうだったと思う。何処かで訊いた記憶では、白川の砂は、月夜にはその月の明かりを反射して方丈の部屋の中を照らすと言っていた。神聖な白い砂。それが白川の真砂。真砂化まさかの枯山水である。

 それから哲学の道に行く。京都大学の哲学者西田幾多郎が散策したことから哲学の道と言われている。この道沿いにある疎水。これは南から北に向かって流れている。それを指摘されるまで気が付かなかった。鴨川も白川も川の流れは北から南に流れている。これは全く逆に流れている疎水は実は、明治に出来た人工の琵琶湖疎水なのだ。だから、高低差を逆にして作られていた。それを使って、明治以降、南禅寺界隈に、別荘群が出来る。植冶こと小川治兵衛が作った庭群だ。『ブラタモリ』では、許可を取って、對龍山荘を観る。羨ましい。つまり枯山水から水を使った贅沢な庭が出来る。

 そこにあった岩に層状チャートで出来た石がある。泥や粘土とプランクトン(放散虫)の死骸が海底で交互に堆積して出来た岩。ざっと2億年で出来る。この岩は京都の物ではない。滋賀の木戸で取れる守山石。琵琶湖の西側。それまで使われていなかった石が使われた切欠が、琵琶湖疏水。運搬が便利になった。南禅寺と無鄰菴の間に疎水の京都の出口がある。インクラインの下だ。タモリ曰く、美の産業革命ですね。


 5月3日(木) 雨のち曇 8528

 憲法記念日。改憲派、護憲派がそれぞれ集会を開いた。

 記憶の定着というのは不思議なものだ。92年5月2日セビージャの闘牛場で、マンサナレスのバンデリジェーロ、マノロ・モントゥリュが牛の角で心臓を一突きされて死んだ記事が載った。新聞の写真には、脇の下に角が入り、口から舌を出していた。丁度ラス・ベンタス闘牛場で、ただで配っていたABCか今はないDIARIO何とかいう新聞だった。だから、現場で観た訳でないし、情報を仕入れた日が記憶の日とすり替わってしまったようだ。インターネットがない時代の記憶だ。ゴヤ闘牛の日が来ると思い出す記憶。実際死んだのは、新聞発売日の前日だから5月1日だった。モントゥリュの出身地のバレンシアでは闘牛場の前にある彼の銅像前で、記念日に彼を讃えるイベントが開かれ、バレンシアの闘牛を長い間引っ張ってきた、エル・ソロや遺族などが出席し開催された。今彼の息子が、アントニオ・フェレーラのところでバンデリジェーロやっている。体つきや動きが父親そっくりだ。去年のセビージャでは、フェレーラとモントゥリュがバンデリージャを交互に打って観客から喝采を浴びた。美しい光景だった。

 テレマドリードで、5月2日のゴヤ闘牛と、15日のサン・イシドロの日の闘牛をテレビ中継するという。ここの処テレマドリードで、ラス・ベンタス闘牛場の中継が途切れていたが、久々の闘牛中継である。こういう風に、有料ではないテレビで闘牛中継がされないと、ファン拡大にはならない。90年代や2000年代のまでは、良く闘牛中継がテレビでやっていた。そういう風にやって欲しいと思う。頑張れモンチョリ。

 5月2日のマドリード。ゴヤ闘牛。エル・タホ、ラ・レイナ牧場。たしかホセリートとマルティン・エンリケ・アランスの牧場だ。イバン・ビセンテ耳要求で場内一周。、ハビエル・コルテス、耳1枚ともう1枚要求。ゴンサロ・カバジェーロ。ダイジェストの動画を見た。ハビエル・ヒメネスは、距離が判っている感じがした。コヒーダされ左太腿裏から血を流し足を引きずりながらのファエナ。そうとう痛がっていた。剣刺しが骨に当たって直角に刺さっていた。ちゃんと入っていたら耳2枚出ていただろう。その後、耳を受け取らずに医務室に担がれていった。テレマドリードで中継されたので、多くの人が見たはずだ。


 5月4日(金) 曇/晴 9807

 イチローが今シーズンは選手として出場しないとマリナーズが発表した。会長付き特別補佐に就任した。チームの練習に参加しながらサポートするという。ディポトGMは、「2019年以降選手として戻る可能性がある。どんな形でもマリナーズに残って欲しいと思っていた」と語った。「マリナーズのジョン・スタントン会長は3日(日本時間4日)、球団の特別補佐に就任したイチロー外野手(44)への思いを語った。 イチローは3月7日にマリナーズと1年契約。3月29日の本拠地・インディアンス戦で自身5年ぶりの開幕スタメンを務めた。今季は打率2割5厘、本塁打と打点はなかった。

 今後はベンチ入りの25人枠から外れ、選手としては今季の残り試合は出場しない。チームに同行し、練習しながら選手らをサポートする。 この春、ジェリー(ディポトGM)から電話があり、イチローと再契約できるかもしれないと告げられた際に、こう伝えました。「チームが勝つための決断を下すように。イチローと契約するかどうかは、君とスコット(サービス監督)の判断に委ねる」と。この1か月間もその通りでした。

 4月に(16勝11敗と)勝ち越せたのは、イチローがチームにいたからです。チームはさらに勝ち続けるはずですが、それはイチローが新しい役割を務め、チームやチームメートたちを支えてくれるからです。

 2月にジェリーへ「もしイチローが毎試合に出場できなくなった場合は、私に連絡するように」と指示しました。球界史上最高の選手の一人であるだけでなく、球団史上最高の選手の一人。イチローはこのファミリーの大事な一員で、永遠にそうあって欲しいと思っているからです。マリナーズの一員として、これから新しいページを開くことになりますが、それが永遠に続くことを願っています。」(スポーツ報知)

 かなり悲しい知らせだ。それでもイチローは、大好きなチームの為になるのならと快諾したようだ。そして、これで引退かと思っていたら、上記の様な提案があって来年以降現役復帰の道も残された。田中将大は、登板後そのニュースを聞いて、「僕もさっき知ったので…。すぐには整理もつかないですけども」「まだ引退ではない、とのことなので。真っ先に浮かんだのは、今年これで対戦する機会はなくなってしまうのか、と思いました」「フロントに入られ、生涯契約とも聞きました。そういうものを結んでもらえるのが、どれだけ凄く偉大なことなのか」「それだけの功績を残してこられたからこそだと僕は思うので、凄いなと思います」(スポニチ) 大谷は試合後イチローについて、「常に目標になる存在」と言ったという。

 「マリナーズのイチロー外野手が3日(日本時間4日)、今季は戦列から離れ、球団特別補佐に就任することになった。メジャー球界でも今回の衝撃は大きく、4日(同5日)からマリナーズと対戦するエンゼルスの選手たちも背番号「51」が残してきた功績に敬意を評している。

「エンゼルスの面々が荘厳なイチロー・スズキのキャリアを振り返る」と見出しを付け紹介したのは、地元紙「ロサンゼルス・タイムズ」だった。ア・リーグ西地区のチームとして何度もマリナーズと対戦し、イチローの走攻守のプレーに悩まされてきたことに言及。そして、主力選手たちが今季シーズンを“全休”することになったイチローを称賛する声を紹介している。

 エンゼルスのコール・カルフーン外野手はアリゾナ州立大学に在学中、イチローからグラブにサインをもらったことを振り返り、過去にサインをもらった選手の中で「ぶっちぎりの1位だね」と語ったという。イアン・キンズラー内野手も「イチローはゴロをヒットにしてしまうか、どこかに穴を見つける。彼のハンド・アイ・コーディネーションはすごいよ」と、その打撃技術を称賛している。

 3日(同4日)のオリオールズ戦でメジャー通算3000本安打に王手をかけたアルバート・プホルス内野手は、ホームラン全盛期の2001年にメジャーデビューを果たしたイチローが、MLBで活躍できるか疑問に思っていたという。

 だが、巧みなバットコントロールに俊足を生かしヒットを量産したのを目の当たりにし、「ショートへのツーバウンドの当たりでセーフになってしまうんだ」と当時の衝撃を振り返った。打撃練習ではいとも簡単にスタンドインさせる打撃技術にも「イチローはいつでもホームランを打つことができた」と称賛したという。

 イチローは今季シーズン直前にマリナーズに6年ぶりに復帰。入団会見では最低でも50歳までプレーすることを語っていた。今シーズンはプレーする姿を見ることはできない。それでもプホルスは「イチローはまだ終わっていないと思う。60歳までプレーできるかもしれない。一塁まで出塁するのに車いすがいるかもしれないけどね」と、ジョークを交えながら語ったことを紹介している。

 数々の伝説を残し、日米のファン、そして選手たちを魅了してきたイチロー。肉体的に衰えることはあっても、打撃技術は衰えることはないだろう。再び、グラウンドに戻ってプレーする姿を誰もが待ち望んでいる。」(Full-Count編集部)

 大谷翔平は4月の月間最優秀新人賞に選出された。これは、アメリカの記者による投票で決まる。これを受賞することが、このシーズンの最優秀新人賞候補資格に繋がることが多いという。今日も5番DHで先発。NHKの特集で、大リーグを長年取材しているAKI猪瀬が、「アメリカ国内では、160キロ以上のボールを投げる投手、打者として特大のホールランを打つバッター。こういう選手たちは、野球の神様から特別なギフト。贈り物を貰った選手と表現されます。メジャーリーグの場合は、このギフトを1つでも持っていれば、スーパースターになれるという世界観なんですが、大谷選手の場合はみなさんご存知の様に、このギフト、2つ持っている稀有な存在ですね。現地の取材していて最も印象に残っているのは、ソーシア監督、ラリーピッチングコーチ、ヒースリーヒッティングコーチ。お三方にお話を伺った時に、100年間誰も成しえいない壮大な挑戦を、23歳の青年が挑もうとしている。こんな歴史的な挑戦に立ち会えて非常に幸せだという風に、監督コーチが言ってましたね。」

 エンジェルスというチームがGMを始め、監督コーチが大谷翔平をどういう風に思い育てようとしているかが判る話だ。ソーシア監督が、指にマメが出来ればその状態をこまめにチェックし、足首をひねれば、しっかり休ませて、良い状態になるまで待っている。こういう使い方自体がチームマネージメントに優れていることを表している。大谷は本当に良いチームを選んだ。最高の環境で才能が開いてきている。

 映画『十九歳の地図』というのがあった。監督は柳町光男。『ブラック・エンペラー』という暴走族のドキュメンタリー映画に続く2作目だった。その頃、上野さんに連れられて行った、新宿2丁目辺りの飲み屋で柳町監督と会ったことがある。Tが柳町に色々質問していたが、そういう事言ってもしょうがないよなと思いながら聞いていた記憶がある。そこには、ジュリーが主演した『太陽を盗んだ男』の長谷川和彦監督や『サード』の俳優永島敏行がいたはずだ。長谷川は広島の下品さを象徴しているような人間だったが、永島は運動部の真面目な青年って感じだった。『十九歳の地図』の原作は芥川賞作家中上健次。新聞配達の少年が、自分が配達している地区の地図を手書きで書いていく話。漢字の書き順が滅茶苦茶。その乱暴さと繊細さが混在するような感じだった。それでも地図を完成する。中上健次を読もうと努力したことがあるが読めなかった。それは、どうもあの文体が読めなかったからだ。被差別部落の出身の中上健次。彼の苦悩はそこから出ているようだがどうも読めない。島崎藤村の『夜明け前』は読んだ記憶がある。中上健次は、晩年末期癌の体で、都はるみの活動を支援見続けた。

 地元和歌山の熊野古道の祭りなどに参加した。熊野の小説も書いたようだ。NHKのBS『新日本風土記』で、吉野熊野をやっていた。そこに中上健次が祭りに参加している映像が出ていた。多分、中上健次の小説を読むことはないと思うが、彼が惹かれた熊野の自然信仰は熊野三山の神道によって古来から続いている。そこは、小栗判官、照手姫の物語に象徴されるように、どのような道に落ちても救われる、蘇生するという信仰がある。そういう処ににも中上健次は惹かれたのかもしれない。そして、その自然をこよなく愛したのが、あの南方熊楠である。彼は地元の熊野古道を歩き回り粘菌などを採取して、廃仏毀釈により樹木の伐採に反対し、政府へ廃仏毀釈の廃止と自然保護を訴えた嘆願書を提出した。その後、廃仏毀釈は終わったが、8割の神社仏閣がなくなったという。

 熊野古道は、僕の感想でいえば高野山と繋がっているが、吉野とも繋がっていたとは想像を超えていた。でも、地理上では、吉野も高野山も近いのだろう。多くの上皇や天皇が吉野から熊野詣をした記録が残っているという。熊楠が歩き上皇や天皇が行幸した熊野古道を歩いてみたいなぁ。特に、山本健吉の『いのちとかたち』の冒頭に出てくる那智の滝が観たい。


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