--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行、2016年11月京都旅行、2017年9月京都旅行、11月の奈良・滋賀・京都旅行、高野山・京都旅行、滞在日記です。
2月26日(月) 曇 16478
平昌オリンピックの聖火が消え終わった。日本は、冬季オリンピック最多13個のメダルを獲得し、素晴らしいドラマに興奮した。事実は小説よりも奇なり、とは言うが、様々な物語に喜び涙した。メダルを取った選手と、それに関わったコーチや関係者、そして、メダルを取れなかった選手にもドラマを感じた。ソチで銀だった竹内智香は、金を取るために4年間続けたが、怪我などあり、ようやく、調子を上げて平昌に出たが、5位に終わった。今季1番の滑りが出来たという。「金メダルを取るのが一番のストーリーだと思うけど、4年間やりきれたという意味では100点満点」と振り返った。
左膝前十字靱帯(じんたい)を断裂という大怪我を負い、気持ちがめげることもあっただろうに、「100点満点」と言い切れるところが凄い。そういう風に言える人生って、輝いて生きているんだと思った。多くの人は、羨ましと思う言葉だ。スポーツ選手の言葉には、何かに熱中した人間の感じた「モノ」が詰まっている気がする。だから、訊いていて面白いと感じるのだと思う。
帰国したメダリストたちの会見が開かれた。小平をはじめ、高木姉妹、カー娘たちの女性陣は良くじゃべる。男たちの言葉には、どこか照れというかそんなものが入っているようだが、女性陣の言葉は、堂々としている。度胸座っているというかなんというか・・・。自分が出来ることしか、出来ないという、割り切りが出来ているような気がする。
サン・イシドロの全容が見えてきた。あとはオフィシャルが決まったら、切符を買おうと思う。
2月27日(火) 晴 7414
帰国した選手団は記者会見やイベントに出席している。今やっている帰国報告会は、松岡修造が仕切っているが、選手の言葉を上手に引き出している。それがこの報告会を盛り上げている。こういうキャラも良いな。スペイン代表のGKレイナみたいに思えた。こんなことやっちゃいけないんだけどといって、ヨハンのインタビューまでやった。素晴らしいと思った。ヨハンの言葉を訳した後に、オランダ人なんだよ、でも、ヨハンは日本人になった。といった。
「ひたすら集中できた」と言った羽生結弦。不安、メダルへの思い、ワクワク感もなくて、「ひたすら集中できた」というのは、凄い言葉だと思った。自分を信じた。羽生が練習を始めた頃、2回転を飛んでも時になかなか上手くいかず、その時、コーチが3回転を飛んだらといった。やってみると飛べた。羽生は、オーマイゴッドといって驚いた。体が2回転ではなく、3回転を覚えていたのだ。それから、オリンピックへ向けて視界が開けたとコーチが言っていたのを思い出す。「今までの人生、これからの人生も全て懸けた結果がこの金メダル。皆さんの喜びにもなってうれしい」凄い覚悟だ。勝負にこだわったオリンピックだった。
小平がいった、「私にとって勇気は、覚悟です。」という言葉も凄いと思った。1000mで、銀になり、そういう思いが沸き上がったのだろうと思う。
大谷翔平のオープン戦ピッチャーデビューは1ホームラン2失点だったが、野手デビューは1打数1安打1打点2四球だった。これから盛岡に帰る。
2月28日(水) 曇 7857
盛岡から戻った。夜半から降り出した雪で、朝は5cmくらいの積雪になっていた。この前降った雪がまだ残っている状態で、その上に積もった雪。やはり、駅を降りると足に寒さを感じた。2月の盛岡は毎年零下10度を切る日が3日はある。だから、昼になっても雪が溶けない状態になる。盛岡駅に県産の物が置いてあった。リンゴ観た人が、立派なリンゴだなぁといっていた。青森や長野に負けないリンゴだと昔から思っている。そして、シミ大根が売っていた。寒い盛岡で、切った大根を吊るすと凍り昼には溶けを繰り返す。そうするとシミ豆腐(高野豆腐)と同じようになりシミ大根が出来る。
それを水で戻して、食べやすい大きさに切って、煮物にする。味が染み込んだ歯ごたえの良い、美味しい大根が出来る。普通の大根よりシミ大根の方が断然美味しい。冬の食べ物。凍らせているから大根が甘いし歯ごたえが良いのだ。こんな素朴な食べ物が好きだ。子供の頃から食べ親しんだ物。昔から寒い地方で食べられていた物。東京では食べられない物。
北朝鮮は平昌オリンピック期間中、「微笑み外交」を繰り広げた。南北緊張緩和を模索した。下心丸出しの微笑みだったが、カー娘がみせた笑顔は、本当の意味での「微笑み外交」だったような気がする。敵である各国選手や関係者、そして何より、日本人の胸にそれは届いているはずだ。それは、LS北見のカー娘が、オリンピック選手らしくない素朴さを感じるからだと思う。ストーン投げる前の会話での最後に、「そだねー」「うん」という同意する。そういう日常会話に近い親しみを、テレビを観ている人達が感じているのだと思う。そこに、親近感がわくのだと思う。
3月1日(木) 晴 10077
なんか分からないけど、寝ていたら左膝の辺りが痛くて、歩けないんじゃかと思ったが、痛いながらも歩けた。買い物にも行けた。どうやら膝の内側の腱か短い筋肉を触ると痛かった。こんなこと初めてだ。
急に緊急地震速報が出るとビックリする。八重山、宮古島で震度5だという。津波の恐れがあるという。
3月2日(金) 晴 9275
盛岡に帰り弟の顔を見て話をしたら、何かホッとした。今まで、高木美帆の姉と言われていた、高木菜那は、金メダル2個取ってから、スポーツ新聞のタイトルは、「金の菜奈」に変わった。積み重ねた努力が、素晴らしい結果に結びついた。妹の美帆も喜んでいた。そして、両親も喜んでいた。日本人女子では初めての1大会2個の金メダル。一つはチームで取り、一つは個人で取った。勝負に賭け、勝負処で感も冴え、体も動いて決めた。唯一あったチャンスを、一瞬の判断で抜け出したのは作戦もあるが見事だった。インのチョイ差し。体が小さいから知らない人から妹に間違えられたが、その体が金をもたらした。
「平昌五輪で銅メダルを獲得して日本中を沸かせたカー娘の“あの名言”が馬名に!!JRA馬主の國分純氏(58)が、自身の所有する2歳牝馬に「ソダネー」と命名。所属は美浦の小野次郎厩舎に決定し、早ければ今夏にもデビューする。 (中略) 平昌五輪女子カーリングで、歴史を変えた日本チーム(LS北見)。ショット前の作戦会議で、メンバー間で頻繁に飛び交った明るく相づちを打つ声が「そだねー」で、北海道独特のイントネーションが観戦者の耳を奪った。
その“名言”がサラブレッドの馬名に採用されることになった。名付け親は、13年クイーンCなど重賞を3勝したウキヨノカゼを所有していたJRA馬主の國分氏。同氏が所有する母カアチャンコワイ、父はシニスターミニスターという血統の2歳牝馬に申請していた「ソダネー」という馬名が、これ以上ないタイミングで認可された。
國分氏は、「LS北見」の支援団体で、同チームのリード・吉田夕梨花が所属している医療法人社団「美久会」の理事長。チームの躍進を陰で支えてきた功労者とあって、同馬を生産したスマイルファームの中村広樹氏も「國分オーナーがつけなければいけない馬名だと思います」と語る。
ソダネー号は現在、育成施設でデビューに向けて調教中。中村氏は「オーナーのチョイスで配合したのですが、シニスターミニスターはいま人気なんです。先見の明ですね。父の特長を受け継いでいる感じの馬体です」と期待を込める。所属は美浦の小野次郎厩舎に決定。國分氏は「とにかく1勝してほしい。常にそれが目標。頼むから1勝して!」と、愛馬にユーモラスなエールを送る。早ければ今夏にも、競馬場で平昌五輪の感動がよみがえる。」(スポニチ)
盛岡に帰って、弟が録画したBLを持ち帰り観ている。これで、『京都人の密かな愉しみ』が全部揃った。全部で6話。1話2時間だから始めから観れば、12時間分ある。こんなものばかり観ていたら何にも進まないが、観たい気持ちが先行する。『山田風太郎が見た日本~未公開日記から語る戦後60年』もじっくり観れるのも良い。風太郎は、戦後、あの戦争は何だったんだろうと、本を買い集め1133冊読破する。それが本になったかといえば疑問だ。多分、本になったのは『同日同刻』だけだと思う。12年かけて読んだ本は、そういう形で残った。あとはその人生観や、小説の端々になっているのだと思う。
知りたいと思って読む本は、つまらなくても何かを感じることが出来る。小説が書けないと言い、独身ならいいだろうが、家族がいると余計に孤独を感じると書いている。子供の無邪気さに、涙が出そうになると記す。幼くして父を亡くし、14歳で母を亡くした風太郎が、作家になって1番大切にしたものは家族。子供が騒いでも、孫が騒いでも、「いいか、いいから」と好きにさせていたという。
14歳で母が亡くなるのは、「魂の酸欠状態」といっていた男が、30前に家庭を作り、それを大事にしたのは当然なのだろうと思う。それにしても、日記の中に、三島由紀夫事件から浅間山荘事件、横井庄一、小野田寛朗の発見帰国の頃。つまり1970年前後は、非常に印象に残っている。それを書く風太郎が面白い。弟が言っていたが、小学校から帰ってきたら親父が、テレビ観ろといって見せたのが、市ヶ谷駐屯地の三島由紀夫だったという。浅間山荘の時は、学校行く前に中継やっていて、学校行かないでテレビが観たいと思った記憶がある。学校から帰ってきてもまだやっていた。横井庄一にしても、小野田寛朗にしても、戦後を感じさせる衝撃があった。劇作家の清水邦夫は、『泣かないのか泣かないのか1973年の為に』を書いたが、三島から小野田少尉までの事が、激動だったような気がする。
あの時代何だったんだろう?と、思っていたら、地下鉄サリン事件が平成になって起こった。風太郎の『戦中派不戦日記』のあとがきの最後にあるように、「人は変わらない。そして、おさらく人間がひき起こすことも」と書いている通りの様な事が起きた。
3月3日(土) 晴 10364
今日はひな祭り。昨日は満月。今月も1月と同じで、満月が2回ある。
『京都人の密かな愉しみ』の1番初めの物を観ていると、秋に京都へ行ったら、出町柳のふたばで、栗大福と豆大福を買って植物園で食べるのも良いと思った。それから上賀茂神社に行ってみるのも1つのルートだ。それから円通寺に行くか、上御霊神社に行ってロケ地の俵屋吉富へ行くのも一興。上御霊へ行ったら同志社で安いランチが食べれる。円通寺へ行くのも時間がかかる。昼食は何処で取るかと、考える。どうせなら一乗寺へ行ってトンカツを食べるのも良いと思う。あのとんかつのおろしソースとみそ汁が美味い。みそ汁がなんであんなに美味しいんだろう。そんなこと思って観るのも、『京都人の密かな愉しみ』の楽しみだ。そして、旅行を考える楽しみだ。
桜花賞トライアル、チューリップ賞は、GⅠ阪神ジュベナイルフィリーズの優勝馬、ラッキーライラックがちぎって優勝。これで桜花賞は、大本命になるだろう。逆転が期待されたリリーノーブルは3着。ちょっと力の差を感じた。
3月4日(日) 晴 10459
なんて暑いんだろう。上野の国立科学博物館で、南方熊楠展を観てきた。ボーとしていたら、今日が最終日になっていたので、行ってきた。一杯論文を書いていたと思っていたら、そんなに書いていなかった。とにかく、粘菌類を多く収集する生活だったようだ。その中で、ほぼ毎日手紙を書き、大きな紙に小さな文字を書き、研究していたようだ。この展示を企画した研究者の一人が言っていた言葉が印象的だ。記憶力が凄い人ですが、それは毎日手紙を書いたりしていたことが、それを支えていたのではないかと思います、と。
「小平奈緒選手を支える病院の「儀」
特集記事「平昌金メダリスト『清貧と報酬』」は、先月25日に閉幕した平昌オリンピックの選手たちの金銭事情を報じる。冬季の競技は金銭面の負担が大きいものが多く、たとえばフィギュアスケートの場合、靴は一足10~20万円、振り付けは1曲100万円程度だと、元五輪選手の渡部絵美は解説する。その渡部も、引退の理由のひとつに金銭面の負担があったという。
今回、スピードスケートで小平奈緒選手が金・銀ふたつのメダルを獲得したが、彼女を支えるのは長野県の相澤病院だ。記事によれば、職員として給料を支払うほか、道具代、遠征費、大会参加費、専属の栄養士の契約料で、年間1500万円(今年度)を負担している。
高須クリニックならともかく、一病院がなぜそこまでと思うところだが、病院の理事長は「困っている小平さんを地元で支えよう」という気持ちで始めたと語る。スポンサー探しが難航するなかで声をかけられ、そうしてくれたことに応えないのは「義に反する」と支援を決めるのであった。「義」とは、利害・利欲にとらわれず、ひとの道に従うことだ。
対して小平選手はそこまでしてくれるのだからと職員として働くことを希望するのだが、理事長はどうせなら徹底的に練習してくれたほうがいいとそれを拒み、また金メダリストになってからもスポンサー契約ではないからと、病院の宣伝塔にする気もない様子。まさに「義」のひとである。」(文春オンライン)
理事長は、金メダルを取ったからといって、それを宣伝活動に使ったりするつもりは一切ないという。ただ地元でスケートがやりたいという、小平選手の気持ちに寄り添っているだけ。違う記事には、自分の給料を半分にすれば良いことですとも、語っていた。凄いことだ。
皐月賞トライアル弥生賞は、大本命、2歳チャンピオン、ダノンプレミアムが、楽勝した。折り合いもついて、馬場の良い大外をまわっての完勝。これで本番が楽しみになった。
3月5日(月) 雨 18351
変な天気だ。生暖かい。昨日から20度以上ある気温で、朝から雨が降ったりやんだり。湿気が強く、床や階段の表面が湿度で湿っている様な感じだ。昨日は、半袖になっている人がいた。サン・イシドロのカルテルはまだ、公式には発表されていない。闘牛サイトが出している、不確定なカルテルが出ているだけだ。一応それに合わせて、予定を立てている。でもまだ、飛行機には何も手を付けていない。万希ちゃんは、もうチケットも頼んだみたいだが、勇気あるよなぁと思う。
平昌オリンピックのフィギュアスケート女子で金メダルを取ったロシアのザギトワ(15)は、両親に良い滑りが出来たら、秋田犬が飼いたいとおねだりをしていた。金メダルを取った後、それをきいた秋田県知事がなどが動いて、秋田犬保存会が贈呈した。「マサルという名前に決めたの。女の子です。日本語で勝利って意味ですよね」と、ザキトワが言ったという。ちょっと違う気がするんだけど・・・。でも、こういうずれって面白いと思う。
大谷は、オープン戦2戦目の登板で、3回を投げアウト8つ全部(変則ルールにより)を三振で仕留めた。4安打2失点。スライダーの曲がりが凄く、ストレートも良かったというが、本人は、あまリ良くなかったと反省を口にした。チームメイトは投打の才能を絶賛し、監督は投打に出場機会が増えるだろうと語っているという。
3月6日(火) 晴 10528
ようやく、イチローが古巣のマリナーズとの契約をする方向で進んでいるというニュースが入った。本当に良かった。
先週録画していた『ガッテン』を観ていて絶対眼科へ行こうと思っていた。今日近所の眼科へ行った。ここに、調整機能解析装置ってありますか?と、きいた。しばらくして、ここにはありませんと言われたので、いったん家に戻った。ネットで検索して、出演していた梶田雅義医師の開業している眼科へ電話した。話していたら、『ガッテン』を観たんですかというので、そうです。というと、放送以降患者が一杯来て、五月の二十何日まで予約が入っていてそれ以降でないとと言われた。そして、近所の眼科で、調整機能解析装置がある眼科がないか訊いた処、丁寧に教えてもらった。新中野と吉祥寺と府中の三つ。
それで、新中野と吉祥寺の電話番号を教えてもらい、電話してから吉祥寺へ向かった。それが夕方。そして、調整機能解析装置で診て貰った。問診をして、どうやら水晶体を動かしている毛様体筋がほとんど動いていないのが、解析で判明した。毛様体筋が動いてないのか、水晶体が動いてないから毛様体筋が動いていないのかは不明。これには唖然とした。再度今使っている二つの眼鏡を持って行って、眼鏡の処方箋を作ってもらおうと思う。
3月7日(水) 晴/曇 10274
今日は寒い。わざわざ上野まで行ったが、国立博物館の『仁和寺と御室派のみほとけ―天平と真言密教の名宝―』は、混んでいたのでやめた。本屋で、田中優子、松岡正剛の対談『日本問答』を買う。移動中の電車の中で読み始める。田中優子は江戸文化の研究者。今は法政大学学長でもある。江戸の文化を書いた本や、『樋口一葉「いやだ」と云う』や大学で1年間講義した白土三平の漫画『カムイ伝』を通して江戸の社会構造を解いた『カムイ伝講義』などは非常に面白かった。松岡正剛との対談は、つまらないわけがない。
吉祥寺へ行き、眼科へ。そこで眼鏡の処方箋を作ってもらう。街を歩き昼食を取り家に戻る。
3月8日(木) 雨 14281
サン・イシドロのカルテルが発表になった。闘牛関係者に交じって、ファン・カルロス元国王とエレナ王女が出席した。凄い事だ。昔では考えられない。それにしても不思議なのは、ネットにサン・イシドロの情報が載ってそんなに時間をおかないで、オフィシャルのカルテルが発表された。ビックリである。昼前に旅行会社に電話して飛行機の見積もりなどを訊いた。大体わかった。決断しなければならない。
医者へ行き処方箋を作ってもらい、薬を受け取る。それから眼鏡屋に行って、医者に書いてもらった処方箋を出し、眼鏡を頼む。10日かかるという。
3月9日(金) 雨のち曇 11085
3月11日に近づいて、NHKなどで東日本大震災を取り上げている番組が増えている。その中で、震災直後の7年前に、作文を書いた子供たちを取材した番組があった。様々な7年を経て生活している。地元を離れた人、仮説から復興住宅へ移り住んで家族と住んでいる子。小学生で被災し、中学に入ると、荒れて友達が離れて行った子もいた。大学へ行って、教師になり震災の事などを伝えたいと思っている子。地元を離れ内陸の学校に行って、フットサルに一生懸命になっている子。
あれからずっと取材をして、その作文にも関わった人が、子供たちに7年前に作文を書いてよかったですか?質問した。子供たちは、良かった。と言っていた。言葉であの時の事を書くことによって整理したり出来たからという。誰にも言えないような、理不尽さと不条理を部屋の壁や、他人にぶつけていた子でさえ、今は仕事をして震災で死んでいった人の気持ちに寄り添おうとしていた。多感な思春期を、死体が転がる現場と向き合って来たのかと思うと切なくなってくる。不真面目に向き合っていたらそうはならなかっただろう。真面目に向き合って来たからこそ、そうなったんだと思う。つらいことだよね。それでも、この先に見える光があるのだと思う。それを感じている時も、その光の先にある幸せを見つけることが出来るのだ思う。
♪朝日が昇るから 起きるんじゃなくて 目覚める時だから 旅をする
教えられるものに 別れを告げて 届かないものを 身近に感じて
超えて行け そこを 超えて行け それを 今はまだ 人生を 人生を語らず
嵐の中に 人の姿を見たら 消えいる様な 叫びをきこう
わかり合うよりは たしかめ合う事だ 季節のめぐる中で 今日をたしかめる
超えて行け そこを 超えて行け それを 今はまだ 人生を 人生を語らず
今はまだまだ 人生を語らず 目の前にも まだ道はなし
超えるものは すべて手さぐりの中で 見知らぬ旅人に 夢よ多かれ
超えて行け そこを 超えて行け それを 今はまだ 人生を 人生を語らず♪ --『人生を語らず』吉田拓郎より--
3月10日(土) 晴 11017
旅行会社に飛行機の切符を頼んだ。宿などは、予約を入れている。あとは、セビージャにいつ行くかだ。5月中に行かないとと思っている。下山さんに連絡とらないと。弟からもらったBLを観ていたら読んでみたい本があった。『遊戯神通 伊藤若冲』河治和香著。若冲没100年後、セントルイス万博に、若冲の間というパビリオンが出現。これを期に、「若冲」の名前が世界に轟いたという。明治と江戸とが入り混じって、青物問屋と弟と義理の妹、若冲が描かれているという。そそられる物語だ。
3月11日(日) 晴 11965
あれから7年。金曜日の夜、国立博物館で行われてた『仁和寺と御室派のみほとけ展』を観た。平成館に入って展示を見ようとしたら、坊さんの話があるというので、訊いた。偶然だがこれは3月11日が最終日になっていて、7年前の話をしていた。その坊さんは、去年世界遺産登録された沖ノ島の地元で、そこの商店街を、まわって祈ってお金や米などを貰って歩いていたという。最後の処が終わて信号待ちしていたら、若者が大きな声を出して走ってきて、千円札を出してこれを使ってくださいと言ったいう。ここの処で、声を詰まらせていた。そうやって集めたお金を被災地に送ったり、届けたりしたという。
こういう話を訊いていると7年前の奈良を思い出す。昼に京都で結衣さんと昼食を取って奈良に向かった。乗り継ぎ駅で、地震を感じ周りを見たら誰も反応していなかった。電車が来て乗ったら向いのおばちゃんが携帯見て、「震度7だって」といった瞬間に、宮城県沖地震だと確信した。ホテルにチェックインしてテレビをつけたら津波、津波、津波。観光どころじゃなくなった。19時からのお水取りに出掛けたが、どうやって帰って来たか、何処で夕食を取ったか覚えていない。テレビをつけっぱなしにして、泣いていた。知らないうちに寝ていた。翌朝、奈良駅前や商店街では募金をしていた。
人は何のために祈るのだろう?14時46分中山・阪神・中京3つの競馬場で、1分間の黙祷が捧げられた。パドックでは騎手が整列して、それを観ている観客も一緒に頭を垂れた。
3月12日(月) 晴 15291
BSでスピードスケート女子500mなどを再放送している。表彰台で、イ・サンファが涙を流していた。小平奈緒は笑顔だ。「周りが何も見えないほど嬉しいです」「全てが報われたような気がします」と、小平奈緒は、金メダルを取った直後に語った。4年間肉体を鍛え、精神を整えて36秒94というオリンピックレコ―ドに刻み込んだ。
「スピードスケートの世界選手権(アムステルダム)第2日は10日、2種目が行われ、平昌五輪で金、銀、銅メダルを獲得した高木美帆(日体大助手)が4種目合計166.905点で、男女を通じ、日本勢初の総合優勝を果たした。伝統ある屋外リンクでの大会を制し、歴史に名を刻んだ高木は「こんな経験は一度きりだと思う」と感激している。
国際スケート連盟(ISU)はこの大会の歴史を紹介した上で、高木のコメントをこう伝えている。「こんな素晴らしい観衆の前で滑る経験はスケート人生で一度きりだと思う。とても嬉しい」と喜びに浸っていたようだ。
普段は屋内のリンクが主戦場。観客の数も比較にならない会場で、さらにライバルの母国。完全アウェーの中で、オランダ紙が「一度も危険ゾーンに入ることはなかった」と称賛したほどの圧勝劇。「ミホ・タカギ」の速さと強さを、王国オランダのファンも目に焼き付けたはずだ。
五輪金メダル5個を誇るオランダの31歳も、素直に完敗を認めた。ローカル局「ブラバント放送」によれば、ブストは「一番強い者が勝利した。私は2番目で一番の敗者」と語ったという。高木を「一番強い者」と表現し、自分は敗れた中で一番であると勝者に敬意を払い、2位を誇った。スケート大国の地元オランダメディアも「ブストを王者の座から降ろした」「一度も危険ゾーンに入らなかった」と絶賛している。
女王イレイン・ブスト(オランダ)を破って達成した快挙に対し、オランダ人コーチのヨハン・デビット氏は「私の緊張も無駄だった」と教え子の高木を手放しで称えている。オランダメディアが伝えている。
恩師の母国で、高木が歴史的快挙を成し遂げた。500、1500、3000、5000メートルの4種目で争う今大会。総合首位で後半2種目を迎えると、最初の1500メートルは1分58秒82で1位。最終種目の5000メートルは4位と奮闘し、総合優勝を射止めた。2位は過去6度優勝のブスト。スケート大国の英雄を抑え、アムステルダムの地で日本人が輝いた。
歓喜したのは、日本を指導するデビッド氏だ。レース後、地元テレビ局「NOS」のインタビューに応じ、「本当に嬉しい。特に、ここでワールドチャンピオンになれることは最高だ」と自身の母国で教え子が世界女王になったことを喜んだ。前回は3種目を終えて首位に立っていながら、最後の5000メートルで逆転され、優勝を逃していた。
「最後まで緊張した。特に、この気候では何が起こってもおかしくない。だから、最後の最後まで緊張していた。最終的にはかなりの差をつけて勝ったんじゃないかな。だから私の緊張も無駄だったけど、もっと落ち着いて見ることもできていたんだなと」
このように笑みを交えながら振り返った。見守ったデビット氏にとってはハラハラの展開だったようだが、高木は堂々たる滑りで7度目の優勝を目指したブストら、並みいる強敵を抑えてみせた。」(THE
ANSWER編集部)
姉の高木菜那は、自身のツイッターに、「美帆世界オールラウンド選手権大会総合優勝おめでとう うん。すごい!」と綴ったという。
明日あたりに旅行会社に連絡を入れようと思う。この時期なので、周りの状況が変わったりしている。でもスペイン行きの日程は変わらない。
3月13日(火) 晴 8963
暖かい日差しで、早い処では桜が咲いている。気象庁の開花情報は、3月22日になっている。本社に行った帰りに紀伊国屋で、『遊戯神通 伊藤若冲』河治和香著を買う。
若冲物の小説は、知る限りでは2つ。上記と『若冲』澤田瞳子著。こちらでは、同時期の京都画壇で活躍していた、池大雅、円山応挙、与謝蕪村などが登場する。『遊戯神通 伊藤若冲』の方は、錦絵の鈴木春信の話がちょっと出てくる。まだ初めの部分だけだが、若冲の末裔が祇園で舞妓をやっていて、その婆さんが、若冲の話をする。若冲の落款が「うにこうる」で、出来ていたという。ユニコーン(空想上の動物一角獣。実際はいっかくの牙)。
物語のふくらみから感じるのは、『若冲』よりも『遊戯神通 伊藤若冲』の方が面白さを感じる。2015年4月出版の『若冲』。そして、生誕300年の若冲ブーム最中の2016年9月に出版された『遊戯神通 伊藤若冲』。今日買ったものは、元々は映画のシナリオを依頼されたものを小説にしたものだという。だからかも知れない。
3月14日(水) 晴 9608
暖かい日だ。パラリンピックスキー大回転座位で、村岡桃佳が金メダルを取った。銀・銅と取っていたが、金には届かず悔しさを語っていたが、ようやく、金メダル。見える景色が違うようだ。
四畳半、障子、床の間。これらは、ドナルド・キーンが言うには、それまでの『源氏物語』に出てくる建物とは違い、今の日本人になじみ深し、落ち着ける空間になっている。銀閣寺横の国宝東求堂に入ると、それらがある。足利義政が作り住んでいた。連歌をし、お茶をたてて隠居生活を過ごした。床の間には、お茶の時に、掛け軸を下げ、その前には、生け花を置いた。そういう空間が、今でも使われている日本家屋に定着する。あらゆる意味でのちの日本文化に影響を及ぼした。茶道、華道もそうだ。華道の池坊がいたし、茶道の侘茶の源流である村田珠光の流れから千利休が出てくる。
三陸鉄道のサラメシは坂本食堂のカツカレーだという。何故かそこに流れていたのは、ディランの『嵐からの隠れ場所』だった。良い気分で観れた。『あまちゃん』の曲じゃなくても、ディランだから沁みるなぁ。たぶん、『血の轍』じゃない別トラックだと思う。おそらく公式に発売されているブートレッグだと思う。
3月15日(木) 晴 3732
暖かいが風が強い。自転車で出かけて戻ってきた。風が強いと、向かい風が強烈な時は自転車がこげなくなる。生活クラブ、デポーで、豚肉と鶏肉、トマトケチャップを買ってくる。どんな味がするのか楽しみだ。いわゆる生協である。オイルショックの頃に、値上がりする牛乳にいきどおって、勉強会を開き、そこから、こういう牛乳はないの?という疑問から、飲みたい牛乳の工場を探し、生産を委託し、豚を見に行った豚舎が匂いもしない綺麗な処だったので、この豚食べたと、販売が始まり、といった具合で、組合員が中心になって活動が続いているという。
その中心になっているのは、主婦。主婦目線で、子供に安全な食べ物を食べさせたいという、気持ちが発展して成り立っているようだ。上記の豚の牧場は、今や高級豚肉のブランドになっているそうだ。それでも安く買えるのは、1頭買いをしているからのようだ。鶏肉も親の親まで、日本で生産されたもので、ほとんどが外国から輸入され、どういう食べ物で育った親か分からないという事がない、鶏肉になっているのだという。トマトケチャップも国産の完熟トマトを12個使ったものだという。これから料理して食べようと思う。
3月16日(金) 雨 10151
例えば、若冲の『果蔬涅槃図(かそねはんず)』。大根を釈迦に見立てて野菜や果物で涅槃図を描いたもの。若冲ってこういう遊び心がある。田中優子が本に、この涅槃図のことを書いていたが、何を書いていたか忘れてしまった。若冲の生家は、京都の錦小路商店街にある。『京都人の密かな愉しみ Blue 修行中 送る夏』を観ていると、漬物屋の息子が家に帰ってきて、奈良漬の茶漬けを食べるシーンがある。夏でバテバテで仕事から帰って来て食べるのだ。
奈良漬は、奈良の漬物だが、遷都して平安京になった時に京都に持ち込まれた。奈良と京都の奈良漬けの違いは、熟成した酒粕に漬ける奈良の奈良漬けと違い、京都の物は、桂川で作られた皮の柔らかく肉厚な桂瓜を酒粕とみりん粕で漬けた物を言う。その桂瓜で作った京都の奈良漬けで茶漬けが食いたいと思った。あーどっかでこんな茶漬けが食べれる処がないものかと思ってしまう。鰻に奈良漬けという組み合わせがあるという。おそらく関西だろうと思う。しかし、瓢亭の朝がゆの様に4000円とか6000円も取らないと思うけど…。でもないかもしれない。三重に行った時、三重のところてんが食いたいと思ったが、伊勢にはなかった。三杯酢か黒蜜しなかった。三重のところてんは、めんつゆをかけてネギを乗せるものと、めんつゆにニラを刻んで乗せるものと2つあるらしい。それが食いたいと思ったが、伊勢の店にはなかった。そう考えると、京都でも桂瓜の奈良漬けの茶漬けはないのかもしれない。
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