断腸亭日常日記 2017年 6月 スペイン旅行

--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行、2016年11月京都旅行滞在日記です。

99年4月15日~5月11日 5月12日~6月4日 6月7日~6月10日 2000年4月20日~4月29日 5月1日~5月14日
5月15日~5月31日 6月1日~6月15日 6月16日~6月29日 2001年4月19日~5月3日 5月4日~5月17日
5月18日~5月31日 6月1日~6月11日 6月12日~6月22日 2002年4月16日~4月30日 5月1日~5月15日
5月16~5月31日 6月1日~6月13日 2003年4月16日~5月24日 5月25日~6月10日 6月12日~6月26日
2004年4月14日~5月7日 5月8日~5月31日 6月1日~6月17日 2005年3月31日~4月24日 4月25日~5月22日
5月23日~6月16日 2006年4月13日~5月6日 5月7日~5月29日 5月30日~6月19日 2007年4月20日~5月19日
5月20日~6月16日 2008年5月13日~6月16日 2009年5月25日~6月6日 6月7日~6月12日 6月13日~6月22日
6月23日~7月3日 7月4日~7月21日 9月24日~10月2日 2010年5月29日~6月7日 6月8日~6月26日
11月14日~11月26日 2011年3月5日~3月17日 7月20日~7月31日 8月1日~8月22日 9月14日~10月3日
 11月21日~11月27日 2012年 4月2日~4月22日 11月1日~11月13日  12月4日~12月11日 2013年 4月18日~5月4日
 5月5日~5月13日  5月14日~5月24日 10月1日~10月29日  11月25日~12月6日  2014年5月31日~6月23日
6月24日~8月19日  8月24日~9月2日 2015年6月17日~9月20日 9月22日~11月19日  11月20日~12月31日
 2016年4月4日~5月2日 5月3日~5月20日  5月23日~6月1日  6月2日~6月20日  9月1日~9月15日
 11月16日~11月30日 2017年1月1日~1月15日 1月16日~1月29日 1月30日~2月13日 2月14日~2月24日
 2月25日~3月10日  3月11日~3月31日  4月1日~4月19日  4月20日~5月7日  5月8日~5月21日
 5月22日~5月31日        

 6月1日(木) 晴 14360

 ソルテオに行って、買い物をして一旦帰り、それから市場に行って買い物。昼食を作成中。宮里藍が引退を表明した。会見で、引退理由を、パターがイップスなったからといった。色々悩んで結論を出したようだ。幼いことから父親にゴルフを教えて貰い、プロになってからも、芝目の読み方や、打ち方をしょっちゅう相談して、自分自身で独自でそういう物を乗り越えないとと、いっていたが、もっと素直に相談して問題を発見していけば良かったのかも知れない。今男子世界ランキングの4位の松山英樹は、憧れの人で、あそこまでいった人には、何も言葉が出ません。というようなことをいって、自分のメンタル・トレーナーになって欲しいといったそうだ。

 昨日の闘牛は、ビクトリアーノ・デル・リオ牧場の牛で、ミゲル・アンヘル・ペレラ、ロペス・シモン、ロカ・レイ。ファン・カルロス元国王が来ていた。5頭目のピカが良かった。遠目から牛を呼んでの、ピカの刺しで盛り上がった。テンタデロのイメージだ。カポーテを振っていたときに、右角が良いが、左が短いと思っていた。ファエナは、デレチャッソで始まり、「オーレ」の合唱がなった。タンダ・デ・ムレタソが4回ほど続き、観客は耳を疑わなかったが、案の定、ナトゥラルはさっぱりだった。左角だとこの牛はやっぱり動かない。それから、デレチャッソに戻したが、駄目だった。剣刺しも決まらず、デスカベジョも良くなかった。観客は完全に冷めてしまった。2頭目の牛の時もまあまあのファエナをやって耳要求がでた。

 ロカ・レイは、3頭目の牛で耳1枚切った。まあ、これくらいやらないと、観客が観たいと思わないだろう。ミゲル・アンヘル・ペレラも耳1枚切った。牛を彼が合っていたんだと思う。終わった後、隣の叔父さんが、ロペス・シモン、酷いと酷評していた。2年前は凄く良かった。去年は良かった。今年は悪いと嘆いていた。アフィショナードといわれる人たちは、難しい。良いと思った闘牛士をずっと追いかける訳ではない。特にラス・ベンタス闘牛場アボナードは、独特の感性を持っている。かと思えが、何年も何十年も前のことを、未だにちゃんと覚えている。そういう物が同居している所が、アナログ的な感性で良いと思う。


 6月2日(金) 晴 14835

 昨日ソルテオに行って牛を観ていたら、不安を覚えた。ある統計では、全ての血統の65%にあたるファン・ペドロ・ドメク牧場の牛なので注目して観ていた。でも、体重の重さとかではなく、アルクルセン牧場の牛を観たときに感じたものが、何も感じられなかった。つまり、牛の腰の部分が細く見えるのだ。しかも、去勢牛の様に、幾分トモの前の所に窪みがある。こんなので、ラス・ベンタス闘牛場の様にアレナの広いところで走れるのだろうか?という、疑問が出てきた。

 昔、ファン・ペドロ・ドメク牧場の牛は、一時ラス・ベンタス闘牛場へは、出場していない時期があった。理由は牛が小さいからということだった。確かに、アレナの小さい闘牛場では、何度も良い闘牛を観ていた。でもそれだけで、出さない理由になるのだろうかと疑問に思っていた。昨日のソルテオで牛を観て危惧したことが、現実に思ってしまうと、やっぱり駄目なのだろうかと思ってしまう。

 頭が高く、尻が小さい牛は、98年のホセ・トマスが相手にした牛のように、ムレタをエン・ガンチャする。そうなるとファエナにならない。それでも、ホセ・トマスは耳を切ったけど、あれは闘牛士の強い意志でファエナに出来た。それと勿論、ラス・ベンタス闘牛場の観客がちゃんと観ていたからだ。そういうことは、おそらく他の闘牛場では起こりえない事だろうと思う。闘牛を知り尽くしている観客だからこそ、あのファエナが成立したのだと思う。

 昨日の闘牛は、ファン・ペドロ・ドメク牧場の牛で、ホセ・マリア・マンサナレス、カジェタノ、コンフィルマシオンのホアキン・ガルドス(ペルー人)。カジェタノには、元闘牛士のイバン・ガルシア、ホアキン・ガルドスには、元闘牛士、ゴメス・エスコリアルがバンデリジェーロで付いていた。イバン・ガルシアは、3頭目のバンデリージャ打ちの時に、喝采を貰い挨拶していた。ファン・カルロス元国王来て、3人の闘牛士が牛を捧げた。

 初めの2頭目は、何とか動きそうな感じだったが、動きが止まった。剣刺しが良かったので、喝采がなった。3・4頭目は動かなかった。だから「ウ・ペラルド」という声が響いた。5頭目は、ファン・ペドロ・ドメク牧場ではなく、ファン・マヌエル・クリアド牧場だったので、どうかなと思って観ていたら、こっちも動きが止まった。6頭目もどうにもならなかった。「トロ」コールまで起きた。牛が悪過ぎだ。

 最後の牛の剣刺しの所で、21時前。それから死んで、闘牛士の退場で21時7分頃だった。この酷さは何なんだろうと思って帰ってきた。しかし、昔の牛に比べると、まだ良いということに気付く。酷いときは、カポーテで牛が膝を着きまくったり、ピカが入るととたんに動かなくなったり、牛が良く転んだり、膝を着いたりするのが本当に多かった。それに比べれば、大分良くなったと思う。それでも、酷い闘牛であることには変わりないのだが、今年から興行主が変わって、徐々にではあるが、色んな事が変わってきている。牛も8頭以上を毎日牧場から連れてきている様だ。切符も買いやすくなった。色々変わっている。今後に期待しよう。


 6月3日(土) 晴 11288

 昨日は闘牛が始まる寸前に小雨が降った。直ぐにやんだのだが…。そして、23時頃から雨が降り出した。だから、今日の朝は涼しい。

 昨日の闘牛は、ドミンゴ・エルナンデス牧場の牛で、エンリケ・ポンセ、ダビ・モラ、バレア(コンフィルマシオン)。切符は売り切れで、エレナ王女が来ていた様だ。ポンセがプエルタ・グランデした。ピンチャッソ1回で耳1枚が2回だった。ベロニカから動く牛で、「オーレ」がこだました。チクエリナもポンセにしては、良い方だった。ムレタでは、兎に角、右角が長い。ゆっくりとした手の高いパセが長く続いた。それはお客さんは喜ぶでしょう。しかし、左角が悪かった。ナトゥラルは、タンダ・デ・ムレタソが1回だけ。しかも、「オーレ」の声なんて1回もならない。それじゃ、耳2枚のファエナには、値しない。剣刺しがピンチャッソ1回。その後、剣が決まった。それでも耳1枚出た。何故だろう?隣の爺さんに訊いたが、ファエナ自体は、耳1枚。ピンチャッソだから耳が出るのはおかしいといっていた。当然だと思った。

 この日4頭目のポンセ。牛の力強さが足りなくて、ベロニカの途中から動きが鈍くなった。パセが短い。それでも何とか繋ごうとする。そこは、長年フィグラをやっている経験。やっているように見せるのが上手いんです。パセなんて、牛とポンセの体の間は、牛1頭分以上入るかというほど、遠く牛を通している。パセが悪い物だから、牛の前に立って、ムレタの柄(タキージャドール)を持って、クルクル回して三角柱を作るような形になる、アバニケオをやって、牛の前に2回まわった。すると観客は立ち上がって喝采を送った。何にもしてなくてもフィグラの顔。自分の見せ方を最大になるように構成力が抜群に上手い。91年のアルテルナティーバから今までずっと観てきたが、そこが全くぶれません。剣刺しがピンチャッソ1回。その後、剣が2/3決まった。すると観客は耳を要求してなんと耳が出てしまった。隣の爺さんと、耳じゃないと意見が一致した。

 下の人は、ニコニコしながら耳だといっていた。爺さんが文句をいっていたが、その人が精神薄弱の人のようで、爺さんはそれ以上いわなかった。それから、耳に対する抗議の三拍子の手拍子があると、爺さんと2人で一緒に抗議した。隣の婆さんは耳を要求していたけど…。でもなぁ、理屈でピンチャッソ1回だから耳はないんだよと下の精神薄弱の人にいっても分からないだろうと思う。何よりあの笑顔には、ある意味素直な人間の喜びを感じるのだ。

 バレアの最後の牛は、良い牛だった。あれは耳が切れる牛だった。実際、良いファエナをして剣刺しが決まっていれば耳が出ていたと思う。剣刺しがピンチャッソ1回。その後、剣がきまったが、こっちは耳が出ませんでした。もっと良いファエナが出来たと思う。ポンセは手が高い。バレアは手が低い。が、クルサードしていないように見えるのと、実際パセの時に、牛が体の遠くを通っているように見えるのだ。ポンセだって同じような物なのに、手が高い分と、フィグラの誤魔化し方を26年間も続けてきたので年季が入っているのだ。半端じゃないから、綺麗に見える。そこがバレアとの決定的な違い。牛が退場時に喝采がなっていた。良い牛だった。ダビ・モラは、2人に比べ、牛に恵まれなかった。それなりのファエナにはなった。剣刺しでコヒーダれ危なかった。

 ソルテオで観た感じだと、ポンセの2頭とバレアの最後の牛が良く見えた。ポンセの2頭目がどうかな?って感じだった。それは、THさんと話していた時に、クーロ・ディアスが相手にした牛の斑点模様があったからだ。もし、アフィショナードがいう通りなら…という事だ。でも、3頭の結果もその通りになった。本当かよと思う結果だったのでビックリした。それを、下山さんにいったら、おめでとうございます。牛のブロンズ像をあげますといっていた。今日明日はソルテオに行かないので、月曜日からのコリーダ・ドゥーラでも、見分けが付くのかどうか、行ってみようと思っている。写真で見たら、初めにポンセを肩車していたのは、どうやらハビエル・コンデだった様だ。ビックリポンや!


 6月4日(日) 晴 12099

 昨日は、ソルテオには行かず、レイナ・ソフィアへ行って、El Camino a guernica 展を観た。ゲルニカは、スペインに始めてきた当時は、プラド美術館別館に展示されていて、入館するのに空港の様な荷物検査や金属探知する装置を通らなければならなかった。そして、ゲルニカは防弾ガラスに囲われていた。何年か前に観たときは、兵隊が機関銃を持って絵の前に立っていた。今は、美術館員のような人が両端に立っていた。

 死んだ子供を嘆く母親、泣く女、裂けた腹の痛みの馬、大の字に横たわって死んでいる男、手には折れた剣を持っている。両手を挙げている女は、落ちる女らしい。その中で、人の顔の様な、牛。馬と牛の間には、白い鳩?死んだ子供を嘆く母親顔の上に牛がいる。他の誰よりも、どんな物よりも悠然とというか平然としているように見える牛。

 ゲルニカに繋がる習作を色々見ながら、日本帰ったら、松田君とピカソの話がしたくなった。ピカソの研究をしていたし…。今は大学で教えて時間があるかどうか分からないのだが…。

 昨日の闘牛は、見習い闘牛で、フロル・デ・ハラ(サンタ・コロマ系)牧場の牛で、ファン・ミゲル、アレハンドロ・マルコス、アンヘル・サンチェス。ファン・ミゲルが4頭目の牛の時にコヒーダされて牛の頭の上に乗っかり、落下の仕方がバックドロップのような感じ落ちた。頭が地面胴体が直角に空を向いて足が地面と平行のようになり、その状態をまた牛が突っついた。助け起こされたとき、頭を押さえていたので、強打したのかも知れない。それで、続けたもんだから、観客が盛り上がって、剣も決まって耳1枚出た。3人の中で1番駄目だと思っていた…。

 6頭目の最後の牛は、良い牛だった。耳が取れる牛。しかしやり方が駄目だ。地方ならあれで「オーレ」がなるだろう。でもラス・ベンタス闘牛場で、口笛やヤジが飛んだ。原因は大きくいえば2つある。立ち位置が悪い。クルサードしていない状態で牛を誘う。だから、牛は当然外を通って行く。良いパセにならない。もう一つはその状態で、手が低い。手が低いパセは深みがある。が、この状態で手の低いパセをすると、外を牛が通るだけじゃなく、牛との距離が凄く開いて、牛と闘牛士の間に牛が、1.5頭分の隙間があるので、深みではなく、嫌みというか、毛嫌いされる。3人の中で、1番才能が感じたがやり方が悪い。おそらく、ラス・ベンタス闘牛場の観客は期待していた思う。3頭目牛は、酷かったので交換になった。アレハンドロ・マルコスは剣刺しもパセも特徴がない。印象に残らない。

 昨日夜は、チャンピオンズ・リーグ決勝で、レアル・マドリードが勝ったので夜うるさかった。みんな元気だ。ましてや仕事が休み前の土曜日の夜なので騒ぎやすかったのかも知れないが…。


 6月5日(月) 晴 9119

 窓を開けて寝ていたら、朝寒かった。昨日の5頭目が終わった頃には風が吹き、上着を着て観ていた。

 昨日の闘牛は、セレスティーノ・クアドリ(サンタ・コロマ系)牧場の牛で、フェルナンド・ロブレニョ、ハビエル・カスターニョ、ホセ・カルロス・ベネガス。牛が悪かった。入場行進の後、ロンドンのテロにあった犠牲者に、1分間の黙祷が捧げられた。最後の牛は、酷く何度も膝を着いた。テンディド7を中心に、牛を代える要求が出されたがプレシデンテは拒否した。バンデリージャ打ちは本当に酷く、6・7回やり直した。それでも、ムレタでは、右角が良かった。長目のパセが繋がると観客が沸いた。パセの後牛の返りが速いので、コリーダ・ドゥーラのドタバタ闘牛に近かったが、この牛を相手に良くパセを繋いだ。隣の爺さんたちは、拍手を送り、ムーチョ・メリットといっていた。剣を代えて、ベルナディーナでコヒーダ。腹を押さえていた。剣が凄いバホナッソで口笛が吹かれたが、あれが決めっていれば、耳要求があったと思う。彼は、3頭目でもコヒーダされた。

 フェルナンドは、4頭目の牛で、勇気を見せた。若いときはそれだけの闘牛士だった。コヒーダされても泣き顔になりながら牛に向かっていった。ある時、レアル・マドリード選手3選手が見に来ていたときに牛を捧げたことがある。ジタン、ロベルト・カルロス、ミッチェル・サルガド。ジタンはその日生涯初めての闘牛観戦だったという。フェルナンドがコヒーダされたシーンでは、顔をしかめて観ていた。駄目牛で動かない。それでも牛の前に立ってクルサードしてパセを繋いだ。もう38歳。あの頃のフェルナンドの面影を思い出していた。未だにバリエンテです。剣はピンチャッソの後、バホナッソで三拍子手手拍子がなった。

 カスターニョは、ほとんど良いところを見せることが出来なかった。ノビジェーロの時のプエルタ・グランデは遠い過去の出来事になってしまった感じだ。去年はガンを克服して復活という物語があったが、1年後の今年はそれも過去のことになった。2頭目の牛の時、彼ピカドールが遠目から牛を呼んでクイダッソを2回して歓声が起こり、観客から喝采を浴びた。その後のバンデリージャ打ちでも、マルコ・レアル、フェルナンド・サンチェス。そして、カポーテを振ったマルコ・ガランに喝采が起こり3人が挨拶した。初めはバンデリージャ打ちした2人が出てきたが、観客は、カポーテを振ったマルコ・ガランにも出てくるように催促した。


 6月6日(火) 晴 101795

 昨日はソルテオに行って、牛を観ていたら、12番の牛が良く見えた。それ以外は…。闘牛が終わってから知人3人で食事する。海鮮など美味しかった。

 昨日の闘牛は、ドロレス・アギレ(アタナシオ・フェルナンデス、コンデ・デ・ラコルテ系)牧場の牛で、ラファエリジョがなる。アルベルト・ラメラス、ゴメス・デル・ピラール。ラファエリージョは、ドタバタ闘牛。コリーダ・ドゥーラでもない牛でもこれだ。牛の扱い方とかも感心しない。初めのカポーテでも、牛を大きく振って動きを教えようとしない。あれじゃなぁ。ラメラスは、5頭目の牛で、挨拶をした。ムレタの初めの3回くらいのタンダ・デ・ムレタソで、デレチャッソの長いパセを繋ぎ「オーレ」がなった。しかし、ナトゥラルでは牛が動かず、その後、デレチャッソに代えても牛の動きが止まった。

 ゴメス・デル・ピラールは、3頭目の牛で耳1枚切った。ポルタ・ガジョーラから始まったが、良いベロニカを決まり{オーレ」牛が良いことも判る。耳の切れる牛。牛は怪我をして車椅子生活を送るチャノに捧げられた。デレチャッソが良くパセが繋がった。カポーテの時は、膝を着いていたが、ムレタになってからは、大丈夫で、ゆっくりした長いパセが繋がった。「オーレ」が続いた。ナトゥラルも悪くはなかったが、もう少し距離感を掴んでトレアールすると、もっと良いファエナになっていたと思う。剣も決まり耳1枚。口笛や三拍子の手拍子がなったが、耳だと思う。この牛が12番の牛だった。最後の牛は、途中で動きが止まり、耳が切れるようなファエナにはならなかった。

 ソルテオを観て、大分牛の見方が分かるようになってきたようだ。今日は朝からソルテオに行ってみたが、10時に闘牛場に着くと50m以上列が出来ていた。もうすぐに切符は売り切れになったようだ。ソルテオでは、タラバンテの1頭目とパコ・ウレニャの2頭が良く見えた。


 6月7日(水) 晴 15319

 散歩代わりに、闘牛場へ出掛け、ソルテオを観るのが日課になりつつある。

 昨日の闘牛は、ビクトリーノ・マルティン(アルバセラーダ系)牧場の牛で、ディエゴ・ウルディアレス、アレハンドロ・タラバンテ、パコ・ウレニャ。

 この日、耳が初めに出る可能性があるのは、タラバンテの初めの牛だと思ってみていた。ベロニカから「オーレ」がなる。やっぱり見立ては正しかった思った。ファエナは、右角も良かったが、左角の方が長いパセが出来ていた。それとパセがゆっくり気味で、割とビクトリーノの牛にしては、扱いやすい牛だった。タラバンテって、コリーダ・ドゥーラの牛でも、スアベだ。こんな奴なかなかいない。剣も決まり耳1枚。

 パコ・ウレニャは、2頭とも良い牛だった。特に、この日3頭目の牛は、ビクトリーノらしい牛で面白かった。パセの後の返りが速いので体の直ぐそばに頭が来る。つまり危ないのだ。そういう牛だから動きが速く、パセも早い。勿論アビオンもする。スペクタクルな闘牛で、気を抜くと大変なことになる。ファエナも盛り上がって、剣も決まり耳を出す準備をしているのに、デスカベジョが決まらす、耳が消えた。それでも観客は場内1周をするように催促して笑顔の少ない場内1周になった。6頭目も良かった。こっちはブスカンドもしていたので、それをどう扱うかというのが見所だった。耳までは行かないようなファエナだったが、充分楽しめた。タラバンテが耳で、ウレニャが場内1周。この結果の違いになることを考える。ウレニャって、こういう闘牛士になるのかなぁと思ってしまう。

 ディエゴ・ウルディアレスは、牛も悪かったが、全く見所がない。唯一、4頭目の牛のピカで、牛をアレナ中央に置き、ピカドールの見せ場を演出した所だけだった。おそらくサン・イシドロ最長距離のピカだったと思う。呼ぶと牛が向かってきて、喝采を浴びた。およそ、25mくらい牛が走ったことになる。セサル・リンコンのファエナで牛を呼ぶ距離よりは短いが、ピカであれだけの距離を呼んでクイダッソしたのは、初めて観た。マヌエル・ブルゴスというピカドールだった。


 6月8日(木) 晴 11576

 朝からドタバタして、準備中。どうなるか分からないが、それはなるようにしかならない。そうなるための、事をするだけだ。

 昨日闘牛は、レウエルガ(サンタ・コロマ系)牧場の牛で、フェルナンド・ロブレニョ、アルベルト・アギラール、ペレス・モタ。ソルテオで観た感じでは、どの牛も駄目そうに見えた。唯一20番の牛がひょっとして…と、思ったくらいだったが、なんとその牛が、場内1周をして、最後の牛は、左角が凄く良い牛で、20番の牛以上に、良く見えた。最後のアレナに牧童が出てきて、観客挨拶をしていた。

 アルベルトの5頭目は、ピカの時、遠目から牛を呼んで、クイダッソをして観客から拍手を受けた。遠目から呼べる牛。ファエナはアレナ中央から牛を呼んでデレチャッソで始めた。その時に牛がアルベルトに当たり、左足を押さえていた。角が当たった訳ではなく、体が当たっただけだったが、痛がっていた。腰の引けたパセ。ビビリが入っていて、良いパセにはならい。牛が良いのに、何故もっと丁寧な仕事が出来ないのだろうと思った。左も良かったし、もっと良いファエナになっていたはずだ。剣が決まったが、バホナッソだった。牛は場内1周。惜しいよなぁ。

 最後の6頭目、ペレス・モタの牛は、カポーテの最後に左角で3回パセをした。だから、左が良いのを判っていた。ファエナは、ナトゥラルで初め、良いパセが繋がり、「オーレ」がなった。タンダ・デ・ムレタソを2回続け、闘牛場が盛り上がった。そのまま左だけのパセを繋げるつもりでやれば良かったのに、デレチャッソに代えてしまった。勿体ない。自分が一生に1回出会うかどうかという、良い牛だったかも知れないのに…。有名闘牛士は、そういう一つ一つの牛との出会いからの積み重ねで、牛の扱い方や、闘牛の本質を学び取って、フィグラになっていくはずだ。こういう牛との出会いを大事に出来ないと、のし上がっていくことは出来ないだろう。途中から観客は呆れたように、冷めていった。徹底して左で、丁寧にクルサードを繰り返しパセをしていれば、確実に耳が切れただろうと思う。ホセ・トマスなら耳2枚のファエナになっていたと想像する。何だろうなぁ…。

 牛が退場するときに喝采が起きた。プレシデンテの前に1人の青年が立って何かをいっていた。おそらく、牛を場内1周するように要求していたものと推察する。残念な闘牛だった。フェルナンドの事は、今日は書かなくても良いだろう。


 6月9日(金) 曇 10118

 夜の話し合いで、朝もドタバタがあって、結局一緒に闘牛場へ連れて行って、ソルテオを観て、それから会いに連れて行った。そして、話をして少し落ち着いた様だった。人間って色々悩む様で、そうやって落ち着かせようと思ったのだ。寝れなかったみたいだけど…。ソルテオには、THさんとお父さんが来ていて、ソルテオを観た。初めに出てきた2頭が良く見えた。特に182番が1番良く見えた。ファン・デル・アラモの初めの牛。35番はエル・シドの初めの牛。139番は、微妙な感じで、最後に出た101番と174番は体型から前脚が弱そうだった。それは尻が小さく後ろ脚がしっかりしていない様なので問題があると思ってみていたが、檻に入れるときの仕草などから、気性にも問題も抱えているかも知れないと思った。気性のことは、THさんもいっていたので、同じ事を感じているんだと思った。

 昨日の闘牛は、アルクルセン(カルロス・ニュニェス系)牧場の牛で、エル・シド、ホセリート・アダメ、ファン・デル・アラモ。ファン・デル・アラモが、プエルタ・グランデした。耳1枚ともう1枚要求で場内2周。プレシデンテに罵声が飛んだ。耳1枚。やはり、ソルテオで観たとおり182番の牛は良かった。というか非常に良かった。しかし、出てきた時は、これ気性に問題があるのかと思った。なかなか、カポーテに反応しなかったからだ。マンソかと思った。隣の叔父さんにソルテオでこの牛が1番良かったといったが、駄目かもとその時点では思っていた。ソルテオは気性がほとんど分からない。体を観るのだ。それで判断する。

 カポーテを振って牛を左右に振る。大きく振れなかったので、アレナ中央へもっていった。初めのピカは反対側で行われピカが入ると飛んで逃げていた。バンデリージャの時のカポーテで、後ろ脚が流れていたのが気になったが…。ムレタの初めは、膝を折ったデレチャソ2回、ひっざを折った左手のパセを2回すると「オーレ」なり、牛を観ないでナトゥラルをすると、「オーレ」が大きく響いた。それからパセ・デ・ペチョ。一気に闘牛場が興奮の中へ入り込んでいった。こうやって牛を大きく左右に振って牛に動きを教えていくやり方が出来れば、この牛は良いファエナになると確信した。

 それからデレチャッソで牛が面白いようにクルクルパセが繋がり、観客はドンドンファエナに引き込まれていった。テンプラール気味のパセが続いた。ナトゥラルのタンダが終わると、剣刺しの仕草をして、剣を代えにいった。それからファエナの始まりと同じ様に膝を折ったナトゥラルからナトゥラルを繋ぎ剣刺しにいった。剣は、見事に決まった。牛は膝を着き闘牛場は白いハンカチで埋まった。しかしプレシデンテはなかなか耳を出さなかった。ようやく出ても、観客は口笛を吹き白いハンカチを振り続けた。それでも2枚目は出なかった。その判定に口笛や罵声が飛んだ。だから観客は場内2周させた。耳が出た後、隣の叔父さんが、良い牛だったといって、手を出して握手を求めた。嬉しかった。

 最後の牛は、カポーテの時に左角が短かった。それを隣の叔父さんにいると、冷静にたしなめられた。よくスペイン語が分からなかったが、カポーテとムレタでは、牛の動きが変わるときがあるので、そのことをいっていたのかもしれない。ファエナは、場内2周したものに比べたら落ちるが、よかった。というか、観客がプエルタ・グランデを出すぞというカリーニョ光線を出していた。それを一身に集め良くやった。剣も決まり耳要求が始まった。今度はプレシデンテは、あっさり耳を出した。アルグシルから耳を受け取りになかなか出てこなかった。もうみんなと抱き合ってプエルタ・グランデの喜びを噛みしめていた。このプエルタ・グランデを開けた鍵を忘れないように、続けていって欲しいと思った。

 エル・シドは、4頭目の牛で良いファエナをした。1頭目では上手く行かなかった。剣も決まらなかったが、4頭目で挨拶をした。ホセリート・アダメは、クルサールせずにファエナをするからパセが繋がっても口笛や三拍子の手拍子がなった。ベンタス向きのファエナが出来ない。牛は良かったと思う。アルクルセン牧場の牛は、今年のサン・イシドロで、2回連続でプエルタ・グランデした。凄いねぇ。

 部屋に戻って話をしていたら、ソルテオに始めていって観て、182番の牛が良いと同じ意見だったので、あの牛で耳が出た事を伝えると喜んでいた。毛づやとか良かったからと、いっていたが、初めて観て、俺、観る目あるじゃん。だって。ハハハ。


 6月10日(土) 晴 15390

 今日早起きして競馬。それからウトウトしていたら、THさんから電話。これからブラジルに発つのだという。お父さんへの伝言など頼まれる。サン・イシドロ、メホール・トレロ、ファエナ、トロ、ガナデロなどの話をする。その話は後にする。昼食は、THさんのお父さんに伝言などを伝え、ラボ・デ・トロなど食べて、カフェで話をして帰ってきた。色々話したが、時間がないので割愛する。

 昨日の闘牛は、アドルフォ・マルティン牧場の牛で、アントニオ・フェレーラ、ファン・バウティスタ、マヌエル・エスクリバノ。アドルフォ・マルティンって、ビクトリーノ・マルティンの弟なので、てっきりアルバセラーダ系の血統だと思っていたら、なんと、アルクルセンと同じカルロス・ニュニェス系だった。ソルテオでは、57番6頭目エスクリバノ、70番、1頭目フェレーラ、71番、2頭目バウティスタが微妙と思っていた。THさんがコロキオに行って、そこでアドルフォ・マルティンが、今日はバウティスタの2頭が良いが、2頭目の牛が駄目だったら、牧場を閉鎖するくらいの気持ちだといっていたと訊いた。

 闘牛は、4頭目のフェレーラだけがトレアールした。駄目牛でもあそこまで丁寧に仕事すれば喝采が起きる。当然だ。しかし、2頭目のバウティスタは、クルサードせずにタンダを始めるからパセが繋がっても良いパセが出ない。オーレが鳴らない。なんなんだろう?これ。ガッカリだ。6頭目の最後の牛は、1番良く見えたが、これもやり方が悪い。レマテの後に、7・8m牛から離れ牛に向かっていかない。だから、牛の息が入らない。いつも牛の前にいるので、牛が動かなくなる。フェレーラは動かない牛を動かすために、距離の変化をつけ、誘い方や色々工夫するから牛が駄目でもパセを引き出せる。エスクリバノはそれをやらない。だから、出来る牛なのに出来なくなる。失望が大きかった日だ。


 6月11日(日) 晴 16683

 一昨日、闘牛が終わった後、アフィショナードの集まりに参加した。その時、向かいに座っていた叔父さんが、パラール、テンプラール、マンダールといっていた。闘牛の3つの重要な要素とスペイン人が考えている言葉だ。僕は、1番重要なのは、シタールだといった。するとその叔父さんは、そうだねと同意した。少なくてもセサル・リンコンにしても、ホセ・トマスにしてもシタールで成立する闘牛なのだ。それは、否定しようがないと思う。

 昨日は、騎馬闘牛。フェルミン・ボオルケス牧場の牛で、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ、セルヒオ・ガラン、レア・ビセンス。セルヒオ・ガランが耳2枚、耳1枚でプエルタ・グランデ。レア・ビセンスが耳1枚。特に後半3頭の牛は、悪かった。セルヒオの耳2枚だってそうだが、耳1枚もレアの耳1枚だって、それに値するかどうかは疑わしい。三拍子の手拍子なって口笛も吹かれていた。フェルミン・ボオルケス牧場の牛は1頭目も悪かったので、耳4枚出てプエルタ・グランデが出たといっても褒められたものではない。

 ようやくさっき話が終わって、電話をして決めたようだ。こういうドタバタもこれで終わりになれば嬉しい。人は、立ち直るのに、エネルギーが必要だが、それほどまで落ちるような事なのかと、部外者は思うのだ。


 6月12日(月) 晴 9413

 長いサン・イシドロの闘牛が終わった。32日間1日も欠かさず通い続けたのは、91年から闘牛を見続けて始めてのこと。今までは、セサル・リンコンやホセ・トマスを追いかけてタラベラ・デ・ラ・レイナ、コルドバ、グラナダ、アランフェスなどへ必ず出掛けて闘牛観ていたので、サン・イシドロを欠席する日があった。他には目もくれず、ラス・ベンタス闘牛場に通い続けたのは1度そうしてみたかったからだ。それに、もうそんなにスペインに来れる回数も多くないと思っていたので、通して観るのはこれが最後になるか知れない。

 今までほとんど行かなかった、ソルテオに通い続けて、初めは全く判らなかった牛の見方が、何となく判るようになったのが嬉しい。それは5月25日アルクルセン牧場の牛の時だったことは書いた。耳2枚出る牛の体型がインプットされた。アルクルセンって、セサル・リンコンがコロンビアから来た当初世話になっていたカサ・ロサノが持っている牧場だ。何度もプエルタ・グランデの牛を出している。ホセ・トマスが初めてプエルタ・グランデした牛もアルクルセンだった。ともあれ牛の体型が何となく判ったからそれ以降の牛の見方が決まったわけである。

 つまりスペイン人は、角の形や牛の美しさなどを観ているのだと思う。でもそれを観たからといって良いファエナが観れるとは限らない。アレナの大きなラス・ベンタス闘牛場で、良いファエナを観れる可能性が大きい牛を探すための方法を発見しようと思っていたので、それが中心になる部分が分かったのは、非常に大きな収穫だった。その他にも、ラス・ベンタス闘牛場で育んできて闘牛の見方はしっかり自分の中に定着している事を確認できた。テンディド7との違いや、若いアフィショナードとの違いについても。

 昨日の闘牛は、ミウラ(ミウラ系)牧場の牛で、ラファエリジョ、ダビラ・ミウラ、ルベン・ピナル。牛が悪く2頭の牛を交換した。ラファエリジョは相変わらずの闘牛。時々沸くが、プンタッソ程度なのに大げさに痛がったりして気を引いていたが、駄目なものは駄目である。5頭目の牛が悪くソブレロが出たが、これがエル・ベントリジョ牧場の牛。良い牛だった。それなのに、クルサードせずにパセを繋ぐから口笛、三拍子の手拍子がなった。やり方がアンダルシア風闘牛。パセ繋げば良いでしょうって感じ。それじゃラス・ベンタスでは、「オーレ」はならない。ルベン・ピナルは剣だけが良かった印象だ。

 終わった後に、THさんのお父さんとバルへ行った。大分遅くまで色々な話が出来た。芝居や映画、作家や本の話。勿論、闘牛の話もした。原節子の話が出たので、思い出したように黒澤明の『我が青春に悔いなし』を観て泣いた話をしたら、あれを観て泣いたというのは素晴らしいですねと、いわれた。あれはもう原節子の生き方の美しさに惚れる映画だ。脚本が映画を監督した黒澤明。『生きる』にしてもアクションじゃなく、人間ドラマが切ないくらいに素晴らしい映画を撮る監督だった。我が青春に悔いなしというのは、お父さんの父親の口癖だったという。それも面白いと思った。THさんお気に入りの言葉でもあるらしい。

 溝口、小津、黒澤。世界に誇る3人の映画監督。THさんのお父さんはフランス時代に、小津をフランス人から訊いて観るようになったという。『東京物語』などの監督だ。僕は小津映画は正直眠くなる。やっぱり溝口の映画1番しっくりする。小津が溝口の『祇園姉妹』の映画を観て、自分には絶対作れない作品といったそうだ。溝口ってそういうところがあるのだ。フランス、ヌーベル・バーグのパーティーの乾杯の時には、大体「溝口に乾杯」をいって始まっていたともきく。

 闘牛の話もしたし、スペイン人やフランス人などヨーロッパに住む人たちと日本人の違いなども話した。『「いき」の構造』の九鬼周造が、自分の本当の父親は、岡倉天心じゃないかと信じていた。その事をいうと、よく知ってますねといわれた。彼がフランス留学から帰ってきて京都帝大で教え、日記を書いていて、その日記が荷風の『断腸亭日乗』の様に、ちょっとはすにかまえたものの見方をしているのだと教えて貰った。ちょっと探して読んでみたくなった。色々話したが、凄く楽しい時間を過ごせた。今日の夕方帰国するという。


http://www2u.biglobe.ne.jp/~tougyuu/以下のHPの著作権は、斎藤祐司のものです。勝手に転載、または使用することを禁止する。


ホームに戻る