断腸亭日常日記 2017年 2月

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年のスペイン滞在日記です。
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 1月30日(月) 曇 7451

 何かを見付けよと思う心がなければ始まらない。それがなければ何も始まらないと言って良いだろう。チームプレーの、野球やサッカーであれば、いくら個人として成績を上げても、チームとして優勝できなければ価値が低い。イチローが、大リーグで問題を抱えるのはそこである。数学であれば解は1つである。競馬の答えは数学と同じで1つである。これは、アルゴリズムである。それを掴むのは大変難しい事である。

 ラグビーの日本選手権を制したのは、サントリー。就任1年目で日本一になった沢木監督。エディー・ジャパンで養った監督術で、優勝した。朝4時に起き、5時にはグランドに行っているという。何かを成し遂げようと思うなら、相当の覚悟と、それを裏打ちする自信がなければならない。沢木監督は、エディー・ジャパンで得た確信を実践した。エディーの遺伝子とも言える物が、ラグビー界に根付きつつある。これは素晴らしいことだ。

 広島カープの鈴木が、ソフトバンクの内川を尊敬し、教えを請おうと接触している。去年、流行語にもなった、「神っている」。それはもう訊きたくないと、鈴木は言う。今年は今年で、上を目指す。そのために、取りあえずWBC優勝を目指す。そして、内川と一緒に練習を続ける。もう4・5年続けてきた競馬のアルゴリズムへの挑戦。そろそろ、正念場がやってきた気がする。確信をもって挑もうと思う。せめて今年のスペインや京都へは、競馬の成果で行きたいと思っている。

 相米槙二監督の『夏の庭 The Friends』を観る。これは勝手な想像かも知れないが、相米槙二の子供時代は、この映画の中に描かれた風景と同じような物だったんじゃないかと感じた。この映画は神戸が舞台だが、言葉も関西弁だが、盛岡で観た風景のように感じる。相米と同郷だからそう感じるのかも知れないが・・・。途中から映画を観たのに、チャンネルを回す気にならず、最後まで観た。物語は分かり易いし、子供と老人の話。でも、普通こう続くだろうという話が、微妙に違う風になっていく違和感が、えーと思いながら観続ける事になった。

 子供の映画だし、子供の物語。でも、それが映像で描かれている新鮮さが良い。戸田菜穂が先生役で出演しているが、実は老人の孫だったということが判る。相米は、小泉今日子主演の『風花』発表後、次作に『壬生義士伝』を予定していたが、肺ガンのため2001年9月9日に死亡した。相米は、生前盛岡を舞台にした映画が撮りたいと言っていたという。その前に、盛岡藩脱藩の新撰組隊士、吉村貫一郎の物語、『壬生義士伝』を撮ろうとしていたのかも知れない。相米って、薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』だけじゃないのだ。『台風クラブ』や特に『ラブホテル』で、女を描くのが美味いなぁと思う監督。速水典子が滅茶苦茶綺麗に撮れていた。

 「演技の説明をせず役者自身に芝居を考えさせ、相米が納得するまで何回でも繰り返し演じさせた。相米の厳しさに撮影現場で多くの女優が泣いているが、そんな彼女たちが完成した映画を見ると相米とまた仕事したいと言ったと寺田農は話している。その理由として、自分で発見した演技は躍動感があり、自分で考えた演技は輝きを持ち、役者冥利に尽きるからと説明している」

 『夏の庭 The Friends』を観ていて、つくづく相米の盛岡を舞台にした映画が観たいと思った。もう叶わぬ夢になってしまったが、こんな子供たちの遊ぶ映像を観ていると、本当に観たかったと思い、残念な気分だ。盛岡の畑や田んぼや稲刈り後のモミを焼く匂いまでするような映像を、彼なら撮れたような気がするのだ。プライベートでは、ギャンブルが好きで、仕事をほったらかして、競馬に行っていたという。こういうところもお茶目で良い。


 1月31日(火) 晴/曇 8046

 昨日は20度あった最高気温は、今日は10度になるという。寒暖の差が大きくなるという。風邪に気をつけないといけないだろう。

 『京の極み』で、山ばな平八茶屋の麦とろを紹介していた。何年か前、結衣さんが予約して、めぐさんシーラさん、ISOさんを行ったことがある。鴨川の支流高野川沿いにある。400年も続いているという店で、入口の門が印象に残る処。みんなで写真を撮った記憶がある。それから修学院離宮に行ったが、12月の初めでもう紅葉が終わっていたが、盛りの時に観たらどんなに素晴らしいだろう思った。

 寂光院が放火と思われる火事で焼けて仏像の焼けたが、黒こげになった仏像の中から3000体の小地蔵が無傷のまま出てきたのだという。それを守るために黒こげになったというような事を尼さんが言っていた。ここは、建礼門院徳子の隠居した寺である。また、柴漬け発祥の地でもある。その後、仕出し弁当の木乃婦を紹介していた。NHKの京料理の番組に出てくる料理人。初めのカブラ蒸しが美味そうだった。中に入っているアワビが美味そうだった。仕出し弁当屋でも、店で食べられるのだと驚いた。さすが京都だ。でも、たけーよなぁ!こんな店で食べれる日が来るとかと思ってしまう。


 2月1日(水) 曇 14011

 一昨日は、上着を脱いでいる人もいた暖かい日だったが、もう朝夕は寒くなった。耳が痛いくらいになった。

 「茶道は、雑然とした日々の暮らしの中に身を置きながら、そこに美を見出し、敬い尊ぶ儀礼である。そこから人は、純粋と調和、たがいに相手を思いやる慈悲心の深さ、社会秩序への畏敬の念といったものを教えられる。茶道の本質は、不完全ということの崇拝−−−物事には完全などということはないということを畏敬の念をもって受け入れ、処することにある。可能性を宿命とする人生のただ中にあって、それでもなにかした可能なものを成し遂げようとする心やさしい試みが茶道なのである。」  ーー『茶の本』岡倉天心著 第一章 茶碗に満ちる人の心よりーー

 「それまでの間、一服して、お茶でも啜(すす)ろうではないか。
午後の日差しを浴びて竹林は照り映え、
泉はよろこびに沸き立ち、茶釜からは松風の響きが聞こえてくる。
しばらくの間、はかないものを夢み、
美しくも愚かしいことに思いをめぐらせよう。」ーー『茶の本』岡倉天心著 よりーー

 「物事には完全などということはないということを畏敬の念をもって受け入れ」る、という事は、どういう事なんだろう?野球には完全試合というのがある。1試合(9回X3アウト)27のアウトを一人の打者も出さずうちとり、0点に抑える投手だ。プロ野球の世界でも何人かが達成した記録である。しかし、その内容は、ゴロやフライ、あるいは三振などでうちとられている。では、理想の完全試合はどういうものなのだろうか?27のアウトは、27個の三球三振で築くのが理想なのか?それとも一人の打者を一球でうちとり、27球で試合を終えるのを理想とするのか?

 どちらを理想とするのかは、その試合を投げる投手の考え方によって違ってくる。三振を取れるタイプではない投手は27球の完全試合を目指し、剛速球を投げれるのであれば、27三振を目指すのだろうか。しかし、いずれにしろ実現はほぼ不可能だ。27人の打者を、第一球目を全て振らせることは、いくら投手が意図をもっていたとしても、待たれたら出来なくなる。たとえ、2ストライクを取って、3球目を投げても、空振りか、見逃しのストライクを取れなければ、三球三振にはならない。ファールなら三振にはならないのだ。この打者一人に一球でも違う結果が出れば、それは理想ではなくなるからだ。

 相手がいることなので、完璧な完全試合は、不可能と言っていいだろう。では、現実問題どういう事を考えるか?ピンチの時に、ゲッツーを取れる事を考えたり、ここぞと言うときに、三振が取れることを考えたりする。

 では、闘牛には完全な闘牛はあるのだろうか?インドゥルトの闘牛は完全な闘牛だろうか?トータルで観ればそれに近いのかも知れないが、決してインドゥルトが完全な闘牛とは思わないのだ。例えば、1997年5月26日サン・イシドロのラス・ベンタス闘牛場で行われたホセ・トマスの耳2枚のファエナ。ほぼ左手のナトゥラルだけで行われたファエナ。異様な興奮が闘牛場を包み込んだ。クルサードを繰り返し、角2本過ぎたところに体を置く。最高のクルサード。パセの後の牛から7・8m距離を取って牛に息を入れさせる。そして、タンダを続ける。だが、後半、ムレタを落とす。正確には、パセの後、牛が返るが、その時にムレタを牛に踏まれる。だから、手からムレタが離れるのだ。やっていることは正しい。牛から逃げずにムレタを振っているし、牛を体の近くを通している。が、パセの後の牛の返りでムレタを踏まれた。見ばえが悪い。が、ここで重要なのは、ムレタを持っていないのにもかかわらず、その場を動かない。見栄を切るわけでもなくそこにいる。観客は喝采を送る。バンデリジェーロがカポーテを振って牛の注意を引きつけ離れるまで、その場に立っていた。そして、剣刺しも見事だった。だから耳2枚なのだが、もし、ムレタを離していなかったらあれが今までで1番完全に近い闘牛だったと思う。

 しかし、岡倉天心がいうように、完全というものは闘牛にはないと思った方が正しいと思う。それは日々の暮らしと同じで完全はないのだ。「不完全ということの崇拝」がなければならない。「物事には完全などということはないということを畏敬の念をもって受け入れ」る事を解ることが重要になってくる。それは、「美しくも愚かしいことに思いをめぐらせ」る事に繋がっていくのだと思う。

 「原文の英語では「beautiful foolishness of things」。この「foolishness」という言葉は、常識的には否定的な意味合いしか持たない言葉です。特に英語ではネガティブな意味が強いもの。ところが、ここではそれが、反語的に「俗世間の価値を超えた風流」という意味合いで「foolishness」という形容までつけられて用いられているのです。実に意表を突く発想だと言えます。
 このユニークな語の用い方は、禅における「愚」や「大愚」という語の使い方をふまえたものにはかなりません。世俗の功利的な尺度ではとらえることのできないような広大無辺な精神的価値、それが愚です。つまり、愚かさというものこそが、すべての智の可能性を含んでいる。いろいろな知識で自分を満たしてしまうのではなく、自分をからっぽにしてこそ、そこに世界の真理を読み込んでいけるというわけです。」 ーーNHK『100分de名著 茶の本 岡倉天心』よりーー

 もう一度書けば、「美しくも愚かしいことに思いをめぐらせ」る事に繋がっていくのだと思う。日常の中に、完全な朝とはあるのだろうか?台所の、まな板に包丁が当たる音で目が覚め、朝食で、美味しい漬け物と、みそ汁、竈で炊いたご飯。そして、家族の笑顔。完全な夜というのはあるのだろうか?酒と白菜の浅漬けにチーズを食べ、キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』を聴きながら、テーブルの上で、1本のロウソクの炎が揺れる。そういうのも良いが、そうじゃない日の朝や夜を日々過ごす。実はそういう美しくもなく、愚かしくもない変わらぬ日々の中から、人は何かを見付けようとするかも知れない。不完全というのは、ものや事柄のほぼ全てのものに当てはまる、普遍の事なのかも知れない。


 2月2日(木) 晴 18111

 この時期になると、干し芋が無性に食べたくなる。子供の頃、叔父さんが日立に住んでいて、茨城産の干し芋をでかい袋で送ってきた。持てないくらいだったから10キロ以上はあっただろう。学校から帰ってくると、それを好きなだけ食べた。そのまま食べたり、炭で焼いたりして食べた。そういうことをやっていたので、今の時期になると干し芋が食べたくなるのだろう。良いおなら、良いうんこが出るだろう。

 カーリング日本選手権が行われている。小笠原がいる北海道銀行は、序盤に中部電力に負け、全勝対決になった中部電力と前年準優勝の富士急は、中部が勝った。そして、今、全勝同士中部と、世界選手権で銀メダルを取ったLS北見の試合をやっている。BSの中継がなく、ネットで観ている。白熱した試合で、6エンド終了時点で、3−1で北見がリードしている。北見のマリリンこと、本橋麻理は、アジア大会の主将になった。オリンピックの時は出産後でリザーブになっていたが、今はスキップの藤澤の前で、サードをやっている。カーリング女子は、今や冬のスポーツの目玉になった様な感じだ。カー娘たちも、オリンピック連続出場をして、色々な選手が経験を積んで、かなりレベルが上がってきている。藤澤は9エンドでミスしたが、10エンドはしっかり決めて、5−3で勝った。闘牛は、バレンシアのカルテルが発表になった。モランテは出ないようだ。


 2月3日(金) 晴 15209

 今日は、節分。見方によっては、暦が替わる日である。明日が立春。1年の始まりである。各地で豆まきが行われている。京都では、鬼門と呼ばれる方位の処には、南天などの紅い色のものを植えたりして魔除けをする。

 朝ドラ『べっぴんさん』。「 すみれ お父様、気をつけてお帰り下さい。 五十八 あっそや、栄輔君におおたわ。なんとか、キアリスの力になって欲しいと、頼んでみた。 すみれ お父様。 五十八 お前からも頼んでみなさい。ええ方に行くようにねごうとるから。 すみれ はい。  ナレーション 人には役目があります。子供として、親として、夫として、妻として。役目を全うするために、人は生きているのです。 紀夫 親いうのは、ありがたいものやなぁ。 すみれ うん。」

 家でした五月は、大急百貨店へ行き、栄輔を訪ねる。二郎の夢を叶えるために、神戸を出てきたことをいい、「エイス」で働かせて欲しいと頼む。栄輔は、働かせることにする。前にジャス喫茶ヨーソローのママのすずが、栄輔のことを、「人を蹴落とすだけやと、ここまでやってこられへん。きっと助けても来たはずやって」。いったことを話す。

 赤ちゃんの肌着の生地に使う、メリヤスを作っている工場を栄輔が買い取り、「エイス」の服を作る為に、新しい機械を入れて、「エイス」の為の生地作りを始めることにした。キアリスは、メリヤスの生地を方々から取り寄せて見るが、今まで使っていたメリヤス生地に並ぶものがない。これでは、肌着は作れなくなると、困っている。

 さくらは、ジャズ喫茶ヨーソローで、五月の替わりにアルバイトをしている。紀夫は連れ戻そうとヨーソローへ行くが、すずにたしなめられて帰る。それをすみれに相談すると、すずさんの処なら大丈夫だと思う。というが、紀夫は、思うようにいかんもんやなぁと嘆く。

 栄輔は、潔が全国展開している「オライオン」の中に、「エイス」を入れて欲しいと商談に来ていた。潔は考えさせてくれという。その後、栄輔に、「何で突然姿を消した。紀夫君が帰ってきたからか。」 栄輔 「そない遙か昔の話今さら訊いてどうするんですか」 潔 「訊いたは、工場のこと。何のわだかまりもないなら、何でキアリスの力になってやれんのや。あの頃のお前はいつでも、すみれちゃんの力になってたやないか。」

 栄輔は、キアリスへ行って、今あるメリヤスの機械はそのまま残し、メリヤス生地を卸す事を約束する。帰り際すみれは、お礼を言い、たずねる。人の気持ちがわからないというは、さくらの事か訊くと、そうです。と答える。やっぱり、栄輔は闇市の頃、すみれを好いていた事が判る。すみれは電話で、五十八に、栄輔がメリヤスを卸す約束をしたことを告げ、お礼を言う。電話の後、五十八は、自分が病気になっていることをすみれに言わないように家族にいう。

 すみれと明美が、五月が妊娠していることを知る。倉庫のソファーで寝ていることを知ったすみれは、家に来るようにいう。キアリスに連れてきて、龍一の母の良子と、健太郎の母の君枝に紹介する。帰ってきた紀夫にも紹介。家に戻って、夕食、見たこともないような食事。みそ汁を飲むと、「おいしい。こんなご飯はじめてやわ」とつぶやく五月。自分にはない、温かい家族を感じる。お手伝いの喜代布団を敷いて貰い、「夏やからって足元を冷やしたらあきまへんよ」といわれる。

 翌日、さくらが健太郎に、今月末に二郎と一緒に東京へ行くことを告げる。健太郎は反対する。そこに二郎が来た。健太郎が二郎に、さくらの人生狂わす気かと詰め寄ると、さくらが、健ちゃんやからいったのにという。二郎は何も言わずに出ていく。それを追おうとするさくらを、健太郎がさくら目を覚ませと止める。そこにすずが来て、すみれと明美が、五月が見つかった事を、ヨーソローのすずに知らせに来る。五月が今、すみれの家にいることをいうと、さくらがビックリする。そして、妊娠していることをいい、すずに父親が誰か知っているかたずねると、二郎の子やというと、さくらは、「そないなこと。そんな。」と、2度目のビックリ。さくらの思いを知ったすみれ。」 ーー『べっぴんさん』101・102話からーー

 「人には役目があります。役目を全うするために、人は生きているのです。」なるほどと思った。下山さんが帰国する。そしたら、会って話をする。何処へ行こうかも考えておこうと思っているが、何処が良いのだろう。

 カーリング女子予選リーグ最終戦は、LS北見対北海道銀行は7−5で北見が勝って全勝で決勝トーナメントに駒を進めた。北銀も3位で決勝トーナメントへ進んだ。氷の状態が読みにくい中で、ミスショットもあったが、良い試合だった。明日から決勝トーナメント。カーリングって、出産しても戻ってきてまた出来るっていうのが、長い間活躍できる要因になっているのだろうと思う。


 2月4日(土) 晴 16769

 BS「築地市場 魚河岸の誇りと涙」を観る。豊洲移転に揺れる1年間の密着取材。仲卸人たちの仕事を見ているだけで、面白い。ワクワクするような感じだ。競りは値を上げるだけのものがあるわけではなく、ウニのように一発勝負の値で勝負するものもある。競り前の下見で見た品物に、他の競り人の値段も想定して、値とつけるのだという。毎日面白いだろうなぁと思う。そして、半端な心持ちではやっていられない真剣勝負の世界。

 築地は、素材を探すプロと、素材を輝かせるプロが出会うところだという。ウニだけじゃない。鮑、鮪などのいわゆる鮮魚。鮪の藤田。『プロフェッショナル 仕事の流儀』にも出た、鮪の仲卸人。香りを大事にするという。尻尾の切り口を触っただけで、赤身やトロの具合が判るという。ここには、東京の一流寿司屋が通う。男たちの、正直と真心が勝負を決める世界だ。

 仕事が終わる昼間には、仲卸は、自家製の朝食が出来る。魚や貝などのみそ汁やご飯が待っている。従業員と一緒に食べる朝食。まさに同じ釜の飯を食べることで生まれる連帯感。

 去年、台風で魚が高騰。仲間同士で融通しあう、仲間買いも出来ない状態。そして、豊洲移転が延期のニュース。後継者がいないところは、移転の伴う費用などの関係で、廃業するところも出ていたが、移転延期でまた、廃業が増えるのではないかということらしい。半天姿の人が太鼓を担いで、太鼓を鳴らして築地を廻る。昔、相撲と歌舞伎が江戸の花だった時代の名残。

 良い鮪がないと1ヶ月も買わないという藤田。久々に良い鮪を仕入れる。そして、握るのはすきやばし次郎の小野次郎。ここはミシュランの三つ星店。超が3つくらい付く高い店。代替わりが上手く行っている店もある。年の瀬の慌ただしさ。BGMは忌野清志郎の歌だった。『ジャンプ』。


 2月5日(日) 曇 9400

 一昨日かな、帰ってきて肩の後ろ側がこっているので、中山式の突起のある指圧器を使って、横になって体を乗せて、あー気持ち良いって感じでやっていた。そうしたら、肩の後ろは楽になった、腰痛になってしまった。やっちまったって感じだ。今日だって、競馬やってても痛かった。やばい。

 カーリング日本選手権は、男子がSC軽井沢クラブが5連覇。女子は18時半から行われる。決勝は、LS北見と中部電力。北海道銀行は中部に負けた。小笠原、船山は、これでオリンピック出場出来なくなった。女子カーリングを引っ張ってきた世代。中学時代からやってきた。彼女たちの背中を見て、今活躍する若い世代が出てきた。オリンピックでのテレビ中継を見て、カー娘に憧れた世代が、育ち成長した。非常にレベルが上がったカーリング。もし彼女たちがいなかったら、これほど盛んになっただろうか。カーリング熱に点火したのは、小笠原、船山、本橋らは、チーム青森。そして、3人とも北海道、北見市出身。これから、シャワーを浴びて、女子決勝を見ようと思う。なおLS北見は本橋が北見出身者だけでチームを作ろうと思い立ち、作ったチームだという。


 2月6日(月) 曇 6337

 「失敗には価値がない」というのは、タイガー・ウッズに最初にレッスンをしていたコーチ、ルディ・デュランの言葉。「奇跡のレッスン〜世界の最強コーチと子どもたち〜」。ゴルフに正しいやり方も、間違ったやり方もない。大事なのは、ベストな自分を出すということ。生徒たちにノートを渡す。良いことだけを書いていく様に伝える。メンタルスポーツのゴルフには大事なことだという。彼は技術を教えない。今ある技術で、上手になるレッスンだという。

 ベストなゴルフをするためには、どのクラブでも自分の力をコントロールすることが大事だ。自分が得意で自信があるショットを、信じて打てば良いという。ノートは、自分の為になることなら何でも書いて良い。ドライバーでパッティング。自分の感覚だけが頼りだ。クリエイティブに発想して楽しんで欲しいという。ウッドでアプローチ。ゴロで打った方が良いときには使えるという。技術的に問題のある子にサンドウェッジでパッティング。自分なりの感覚を掴んだとき可能性は大きくなる。

 ゴルフは楽しいのが1番。タイガー・ウッズに正しい技術を教えたらかえって悪くなった。その人の感覚を大事に楽しむこと。打ったときの、気持ちの持ち方の勉強。悪い記憶を消す方法。打つ前に宣言する。つまり、プロセス。ボールを最後まで見続ける。それに集中すると結果が消せる。ゴルフは、1打打つために時間があるので、色んな事を考えて、不安を覚える。だから、自分がやりたいと思うプロセスを大事にする。そうすると、プロセス、良い結果、記憶の保存になるのだという。

 めっちゃ面白かった。プロセスに集中すれば良いということ。そうすれば、結果が付いてくる。それを保存すれば良いのだ。何か、メンタルトレーニングを受けているような感じだった。人は、考え方や感じ方が変わっただけで、世界が変わる可能性があると言うことを感じだ。明るい気持ちになった。まるで万馬券取ったときの様な気分だ。いや、ラス・ベンタス闘牛場で、良いプエルタ・グランデを見たときのような気分。


 2月7日(火) 晴 13638

 昨日夜は、風が強かった。何かの番組だった、多分NHKだったと思うけど、倉本聰が、NHKの大河ドラマ『勝海舟』制作中にスタッフと大喧嘩をやって、東京を離れ脚本家を辞めるつもりで、北海道へ行ってしまった。そこから大ヒットドラマ『北の国から』が生まれる。後年、何故北海道だったかと、訊かれて、「だって敗北っていうじゃない。だから北なんだよ」と。何年か前、知人が行方不明になって、噂では電話も繋がらないという話だったが、電話したら、でて、話をした。そしたら、松島にいるという。それから色々話をしたが、戻ってきて仕事を始めたことがあった。

 それを、何で松島なのか解らなかったので、その話を知人に話したら、「いやー、やっぱり何あったら北でしょう。南には行かないとおもう」といわれた事がある。北の人間からすれば、ちょっと判らない気持ちだった。でも、倉本聰の「だって敗北っていうじゃない」という言葉を訊いたとき、何となく判った様な気になったものだ。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』は、倉本聰だった。彼は脚本を書くときに、登場人物ひとりひとりの履歴書を作り、そこから物語を紡ぐのだという。山田風太郎が、奇伝小説を書くときに、年表を用意していたのは知っているが、個人の履歴書まで用意して書いていたのにはちょっとビックリした。面白いなぁと思った。今書いているのが、テレビ業界人が集まる老人ホームの話だという。お互いの意地や見栄の張り合いだという。

 昔見た映画で、オペラの舞台俳優たちが住む老人ホームの話。突然歌い出したり、お前は脇役だったくせに、ごちゃごちゃ言うなと叫んだり、影では、いつまでも主役気取りで、付き合いにくいとか、ドキュメントだったから、笑えるし、憐れだったり、時に楽しそうだったし、こんな処で撮影した監督が凄いと感心したものだ。倉本聰も、そういう人間ドラマが描きたいんだろうと思う。


 2月8日(水) 晴 17733

 朝、病院へ行く。先生と話をして、療法士に腰痛体操などの方法を教えて貰う事にした。それから、電気を張っている首から肩にかけてかけて貰った。これから毎日体操をして行こうと思う。『ガッテン』を観ていたら冷え性をやっていて、血管伸ばしという体操もやっていて、これも良いなぁと思った。冬になると、つま先が冷たい感じがするので、つま先が温かく感じられるようになると嬉しいなと思う。腰痛は、土日に比べると、大分良くなった。

 時間があるときに、少しずつ闘牛の記事を書いていこうと思う。


 2月9日(木) 雨・雪 9050

 昼前から小雨が降り出し、時々白くなっている。雨がみぞれや雪になったりしている。山陰の方では、大雪が降っているようだ。

 『バクモン』で鉄道の工事現場で、レールを観ていた。錆びてますねと、田中。これは、走る前に研磨して使います。線路を列車が走るとレールが光って来るんです。走ってないとどうしても、錆びますと、工事関係者。ところでこのレールですが、どうやって入れるか知ってますか?と、工事関係者。すると太田が、それは、三球照代に訊かない。というと、田中が、我々は、昭和の人間ですからね。太田が、また今夜も眠れなくなっちゃう。といったので、笑ってしまった。

 三球照代なんて、知らねぇだろう。YouTubeで観ていたら、穏やかな、日常の笑いをさわやかに提供していた。1970年代後半に一世を風靡し、立川談志をして「漫才でトリがとれる」と言わしめた。こっちがノーマルな笑いとすれば、その後に出てきた、アブノーマルで、毒のある笑いが、コント・レオナルドやツービートだろう。YouTubeを観ていたら、コント・レオナルドが出てきたので、見入ってしまった。レオナルド熊の作るブラックというか、禁断の笑いは、非常に新鮮で、面白かった。三球照代のようなとても家族で楽しむものとは、異質で対局にある。

 ツービートとコント・レオナルドのブラック差を比べると、ビートたけしの作るツービートの世界の方が庶民的な感覚だ。「赤信号、みんなで渡れば、怖くない」というのは日常の風景を、何となく誰でも思っているような感覚を捉えている。レオナルド熊の世界は、異様だ。常識というものを手玉にとっている。基本スタイルは、ニッカポッカに頭にタオルの鉢巻き姿。まるで肉体労働者の姿。それで、一般常識の社会通念とは全く違った感覚で笑いを取る。その差異が大きければ大きいほど、笑いを生む。それを受ける石倉三郎の怒鳴り声が、また良い。あの受けがなければ、コント・レオナルドは成立しない。

 タバコを吸った女子高生の娘に、俺が吸っているのに止めろとは言えない。それじゃ教育にはならないでしょう。といったり、不純異性交遊した娘が相手からお金をちゃんと貰ったか心配する父親を演じるその姿は、異様で奇怪だ。まさに怪芸人。毒である。あり得ない父親を演じ、先生役の石倉に迫ったり、はぐらかせたり、やりたい放題だ。だが、ニッカポッカに鉢巻き姿の酔っぱらいの戯言を訊いているように、観客は笑いに身を任せた。

 時代にも合ったブラックで毒のある笑いは、観客の心を掴み大ブレークする。一時テレビのレギラー番組を持っていた。ゲストも綺麗どころを呼んでいた。しかし、人気絶頂時に、コンビを解消する。熊の金に汚いことや、石倉の酒癖の悪さで険悪になった。熊が死んだ1994年の葬式まで絶交状態が続いたという。葬式に出た石倉は、ホント面白くなさそうな顔で、インタビューでも俺は出たくなかったといっていたことを記憶する。

 病身の熊。彼の芸は、酔っぱらいがほざく様に似ていた。滅茶苦茶だが、それが面白かった。真面目な石倉三郎には、私生活でも許せない事ばかりだったのだろうと思う。ファンとしては、続けていて欲しかったが、それは無理な話だったようだ。熊は芸人としては素晴らしい才能と、天才的な芸を見せていたが、おそらく、人間としては駄目人間だったようだ。その駄目さが芸の肥やしにもなっていたんだと思うが、そこに、石倉が見切りを付けたのだと思う。あんな笑えるコントは、後にも先にも皆無だった。

 ツービートの笑いも毒があったが、カラッとしていた。スーツにネクタイをずらして、ちょっと、他との違いを出しているが、コント・レオナルドとは、全然違っていた。ファン層もかなり違っていたと思う。やっぱり毒が強い、コント・レオナルドの方が圧倒的に好きだった。俳優をやっている石倉三郎を観ると、あの頃のコント・レオナルドを思い出す。葬式の時も、みんなに背中を押されて渋々出席した。『バクモン』の三球照代からコント・レオナルドやツービートを思い出してしまった。


 2月10日(金) 曇 4839

 天気は、週末にかけて冬型が強くなり雪なども降る予報のようだ。中国地方や西日本は大雪が予想されている。東京でも雪がちらつくという。

 バブル以降、イラク戦争、神戸の震災、オウム事件、金融危機・・・東日本大震災。そして、今。社会が行き詰まった状態のようになっている。この閉塞感は、色々なところで変なことになっている。やたら苦情ばかり言う人。身障者施設で19人を殺害したりする事件。身近では、電車の中での小競り合いや喧嘩。もうみんな限界に近づいている。マツコ・デラックスが言っている通りだと思う。

 政治がどうのという気はないが、相手を批判するだけでは、良くはならない。建設的な意見、発想の転換が必要な時期に来ているのだろうと思う。津波で、親を亡くした子供たちが、大人になったら、そういう閉塞感を打破するような、生き方をしてくれるだろうと思う。が、それまで待てない。今、何かそれを打破するような活動をする必要があるのだと思う。

 『国宝浪漫』上賀茂・下鴨神社。これを観ていたら、上賀茂神社付近を散策してみたくなった。まだ行った事がないところ。時間を考えずに歩いたら面白いだろうなぁと思った。のんびり散策する時間もない現代人には、本当は必要な気がする。そういうところで感じたものが、人生を豊かに変えてくれるのだと思うのだ。

 木久蔵と小遊三が、60過ぎて絵を描き始めた人の絵を、展覧してしている美術館を訪ねて話しているとき、お父さんは絵を描くんですかと訊いたら、隣の婆さんが、背中かく。というと、頭かいたり。もう一人が、恥かいたりと続いた。こういう笑いは、健全な笑いかも知れないと思った。こういう笑いが生活には必要なのかも知れない。


 2月11日(土) 晴 12973

 雪のため、小倉が中止になった。兵庫、山陰から九州まで大雪が降っている。東京は快晴。昨日は雪もちらついたが今日は晴れていて競馬日和だ。

 ほとんど、20代までに歌声を聴いて、驚いたというのは出会っていたと思う。西田佐知子の『アカシアの雨がやむ頃』。矢吹城の『あなたのブルース』。藤圭子の『花は夜ひらく』。森進一の『おふくろさん』などの流行歌や、洋楽で言えば、ディランやストーンズ、ジャニス・ジョップリンやバーバラ・ストランザンド、ミニー・リパートンなど色々聴いていたので、歌でもう驚くような声に出会うことはないと思っていた。でも、元ちとせの『ワダツミの木』を聴いたときは、ショックだった。

 非常に神聖な声に聴こえた。世界に二つとない声のように感じたからだ。感覚的には巫女のような感じがした。洋楽では、エンヤがそれに近い。でも、元ちとせの方によりシンパシーを感じた。BSの加山雄三がやっている『歌っていいだろう』に、中孝介と一緒に出ていた。若大将は、べた褒めだった。ほとんど、声に羨望していた。中の声も同じ奄美なので、あの声も素晴らしい。この2人は声だけで、歌に説得力がある特異な存在だ。


 2月12日(日) 晴/曇 19065

 東京に出てきてしばらくして、友達の部屋に遊びに行ったら、サイモンとガーファンクルの『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』のアルバムを聴きながら、「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」って何か判ると訊かれた。答えられなかった。正解は、ハーブの名前である。そんなもの使ったことも、食べたこともなかったので知らなくて当たり前だ。

 Eテレで、『猫のしっぽ カエルの手 京都 大原 ベニシアの手づくり暮らし』を観ていたら、冷泉家を訪ね伝統的な日本家屋や倉にある国宝や重要文化財の話など訊き、今でも和歌の会を月に10回ほどやっている事などが紹介された。冷泉家は、小倉百人一首の選者、藤原定家の孫から始まる家であるから、当たり前といえば当たり前だが、ビックリした。ベニシア・スタンリー・スミスは、イギリスの貴族に生まれ、歌手になろうと、『スカボロー・フェア』でデビューしようと思っていた矢先、サイモンとガーファンクルが、『スカボロー・フェア』を歌ったので、歌手になるのを諦めたと言っていた。その『スカボロー・フェア』の中に、パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイムという歌詞が出てくる。

 スペイン語では、perejil, salvia,romero, tomillo 。セージはサルビアを乾燥させたものなのでサルビアにしたが・・・。闘牛場で、観客が闘牛士にローズマリーを渡し、それをもって場内を廻るのは、クーロ・ロメロが耳を取ったときなどに、ローズマリーのスペイン語、ロメロから来ている。ちなみに、1992年バルセロナオリンピックが開催されたが、スペイン版新幹線のAVEは、マドリードとセビージャを結ぶ線が真っ先に開通し、バルセロナへの開通はつい最近である。何故なら当時首相の出身地がセビージャだったことと、92年に万博が行われた為である。そして、万博のマスコットは、クーロという名前だった。闘牛ファンの間では、あれは、クーロ・ロメロから取ったのだと言われていたようだ。


 2月13日(月) 晴 10730

 東京は良い天気だ。雪の影響で、今日も小倉で競馬がある。

 別府で地獄とは、高温の蒸気が沸き出すところをいう。『プラタモリ』は別府だった。小学校の頃、連れてこられて、婆さんに、悪いことをするとあそこに入れるぞと、脅された嫌な思い出があると、タモリが言っていた。案内人の1人は別府市教育委員会の永野泰洋。巨大温泉街が何故出来たかをひもとく。今は別府八湯の総称を別府と言うが江戸時代は、それぞれの村に別れていた。それが明治になって、港を整理して人が来るようになり、栄える。

 もう1人の案内人が、京都府立大学、専任講師、松田法子。非常に品のある穏やかな女性で、宝塚の女優みたいだ。都市史の専門で、街の成り立ちに詳しい。砂蒸し風呂が、海岸にあったという。砂浜を掘れば、何処でも砂蒸し風呂になったという。要所で地図を出して説明していたが、それで、あることを思い出した。ゼンリンである。

 地図情報をデータベース化して電子地図やカーナビを商品化したのがゼンリンである。初めは別府で観光地図を作っていた善隣出版社だった。それから、地図を作って電電公社に売り込んだら、こんなのは使えないと言われた。理由は、ケーブルを引くのにちゃんと測量していないと、地図の意味がなかったからだ。それから、測量してちゃんとした地図を作ったことから会社の発展に繋がった。NHKの『プロジェクトX』でやっていた。儲けてから、馬主になる。競馬ファンには、GT馬ゼンノロブロイなどの活躍馬で有名である。

 別府には、八つの温泉地と金山があった。八湯の内、鉄輪では唯一湯治が出来る。そこでは蒸気で料理が出来る。野菜などは素材の甘さが引き出したり、美味しいものが、料理できるとという。通称地獄蒸し。出来たものは、極楽の味がするという。食べてみたい。油を使わないから、ホントその素材のままが味わえるのだろう。ダイエットにも良いだろうなぁ。


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