断腸亭日常日記 2016年 10月その1

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行滞在日記です。

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 10月16日(日) 曇 5540

 映画監督のマーチン・スコセッチが世界文化賞授賞式出席の為に、来日した。イタリア系アメリカ人で、同じイタリア系のロバート・デニーロを主演にした映画でヒット映画を監督した。音楽も好きで、ザ・バンドの最後のコンサート『ラスト・ワルツ』も撮った。こういう映画を後生に残すという意味は素晴らしい。最後は、ディランの『アイ・シャル・ビー・リリースト』を出演者全員で歌う。『タクシー・ドライバー』を撮った頃は、こういう映画を撮るなどとは思っても見なかった。

 多分人は、誰かを理解したいと思い、誰かに理解されたいと思っている。だから、マーチン・スコセッチが世界文化賞授賞式出席するのだと思う。自分が携わってきた映画という物で、賞を受ける。ディランは、ノーベル賞を受けるか、拒否するのかという話題がネットでも、話されている様だ。拒否すれば、サルトルのようになるが、どうなるだろう?拒否しないと思う。音楽で商業的に成功した。若い頃のように、突っ張ってないと思うし、角が取れたと思うからだ。


 10月17日(月) 雨 5193

 パ・リーグ、クライマックスシリーズで、北海道日本ハム、ファイターズが勝って、日本シリーズに駒を進めた。9回リリーフに立った大谷は、15球投げ、直球が8球全てが163キロ以上で、165キロの直球を3球投げた。151キロのフォークも投げた。

「第1戦に先発した大谷は中3日での登板となったが、自己最速を更新する165キロのストレートを計測すれば、変化球も151キロのフォークを投げるなど、ソフトバンク打線を圧倒。1イニングを無失点に抑え、4年ぶりの日本シリーズ進出に大きく貢献した。プロ野球解説者・選手たちは、この日の大谷の投球をどのように評価したのだろうか…。

 5日に放送された『日本ハムvsソフトバンク戦』(NHK BS1)の野球解説を務めた和田一浩氏は「凄いですよね。今まで僕が対戦した投手の中ではナンバー1のピッチャー。まだまだ発展途上だと思うので、彼がこの先どこまでの選手になるか想像できないボールを投げている」と絶賛。昨季まで現役だった和田氏は、ダルビッシュ有、田中将大、前田健太といった現在メジャーでプレーする投手たちと対戦したが、大谷の球は彼らを上回っていると感じたようだ。

 野村克也氏も同日に放送された『S☆1』(TBS系)で165キロを計測した大谷について「すごいね。プロ野球バンザーイ!スーパースター誕生」と喜び、「バッターボックスに立ってみたいね」と話した。普段は選手に対してボヤくことも多い野村氏だが、大谷に関しては高く評価している。

現役選手たちも凄いと評価
 現役選手たちも大谷のスゴさについて語っている。『サンデースポーツ』(NHK)のマンスリーキャスターとして出演した松井稼頭央(楽天)は「想像を超えますね。(151キロのフォークも)見た事も聞いたこともない」とかつてメジャーの舞台で、米球界を代表する投手たちと対戦を繰り広げた経験豊富なベテランでも驚きを隠せない様子。

 今季、日本球界では10年ぶりに打率3割を記録した福留孝介(阪神)は「大谷投手が出てきたことによって、ファンの盛り上がりが凄かった。それによって勝つという雰囲気づくり勢いをつけたかった。それが栗山監督の意図にあるように感じました」と分析していた。」 ーー「ペースボールキング」よりーー

 今、大谷見なくていつ見るの?そんな感じの投球が続いている。MVPになった、中田翔は、インタビューで、「165キロ。凄いですね。あそこまで打って、投げてされたら、こっちが練習しているの、馬鹿らしくなります。」と、あきれていた。才能は輝きを放っている。

 鶴瓶の『家族に乾杯』は、京都だった。京都の神社や町並みが映っていた。その中で、「家族に一杯」でやっていたのは、祇園にあるうどん屋。ネギうどんを取り上げていた。京野菜の九条ネギを8本も入れるというネギうどん。食べてみないなぁと思った。京都のうどんは腰のないうどん。それにさっぱしたつゆに九条ネギ。こういう庶民的な料理だけを食べながら京都を歩くというのも良いなぁと思った。


 10月18日(火) 雨のち曇 4361

 昼過ぎに、高円寺に行って買い物。靴や肉、野菜を買った。やっぱり、肉や野菜は高円寺が安い。納豆専門店にも行ったが、auショップに寄ってくれば良かった後から思った。それから区役所へ行ったり、床屋に行ったりした。こうやって動けたのは、午前中で、DVDの編集が終わったからだ。

 この間、サラゴサで、パディージャがコヒーダされた。ポルタガジョーラしたときに、カポーテじゃなく体の方に来た。鼻面と顔が当たったと思ったら、角が左目の斜眼帯に当たっていた。パディージャだから良かったが、目がある闘牛士なら、角が刺さっていたかも知れないようなコヒーダだった。それと、サラゴサのフェリア・デ・ピラールの中継を最後に、カナル・プルスのアナウンサーをやっていた、マノロ・モレスが引退するようだ。後継者を育て、後身に後を譲った。そして今日、広島カープの黒田博樹投手が引退を発表した。日本シリーズで有終の美を飾るお膳立てが、整ったといえる。って事は、大谷の日本ハムは勝てないって事?


 10月19日(水) 曇 6948

 昨日は暑かったし、今日も暖かかった。そして、予報では明日も暑くなるという。研修の後、真っ直ぐ家に帰り、食事をしようと思っていたが、レバーがあったので、それをつまんでビール。美味かった。それから飯を作って食べた。それから横になって、目が覚めたら、NHKで近松のドラマを再放送していた。お初、徳兵衛の曾根崎心中になる基の話という設定だ。

 近松門佐衛門の最後の言葉は、「今わの際に言うべく思うべき真の一大事は一字半言もなき倒惑」と、風太郎は書いている。風太郎は、最後のインタビュー集の一冊に、『いまわの際に言うべき一大事はなし。』がある。最後まで人を食っていたなぁ、風太郎は。本人はそんなつもりはなかったんだろうけど・・・。


 10月20日(木) 晴 12078

 今日は暑いので、半袖で出かけた。ようやくauショップへ行き手続きをした。それから、靴屋へ行き仕事用の靴を買った。それから、紀伊国屋へ行き、覗いていたら『Newsweek』日本版10・25 が特集で、詩人ボブ・ディランを組んでいたので買ってきた。

「ディランの世界に対する貢献はさながら太陽のように陰ることがない。ジョン・レノンはディランに会うまで、ポップ音楽で「ラブ・ミー・ドゥ」以上のことは表現できないと考えていた。当時、レノンの頭の中は階級への怒りや壮大なアイデアで煮えたぎっていた。彼は自分の中で起きているカオスを芸術に昇華させるため、ディランに会う必要があったのだ。」 ーー『ボブ・ディランの歌詞はノーベル賞に値せず』スティーブン・メトカフよりーー

 「先週の木曜日の朝7時過ぎ、シンガーソングライターのロザンヌ・キャッシュがニューヨークの自宅で紅茶を飲んでいると、夫のジョン・レベンソンが「ゾウのように」足を踏みならして2階から下りてきた。「ディランがノーベル賞を取った!」「嘘でしょ」とキャッシュは言った。「あり得ない」 」 ーー『文学の殿堂に迎えられたアメリカの「詩人」』ジェフ・エッシャーズ(ワシントン・ポスト紙記者)よりーー

 こういう書き出して始まると、昔からのディラン・ファンは、この先を読もうと思ってしまう。ロザンヌは、ジョニー・キャッシュの娘で、自身もコンサートに一緒に出演しているし、父は、ディランとレコーディングしている。ディランと関係がある人たちが登場するだろうことが書き出しで判るからだ。

 「ディランより2歳年上のカントリーミュージシャン、ビリー・ジョー・シェイバーが最初に曲を聴いたときの反応は、シャビロと違った。70年代にカセットテープを買って聴き、圧倒されると同時に嫉妬に駆られたという。嫉妬のあまりテープを輪ゴムで留めてバッグに入れ、橋の上から川に捨ててしまった。「俺には足元にも及ばない相手だと思った」と、シェイバーは振り返る。「トラック運転手やカウボーイの仕事に戻るのが身のためだと、自分に言い聞かせた」 」 ーー『文学の電動に迎えられたアメリカの「詩人」』ジェフ・エッシャーズ(ワシントン・ポスト紙記者)よりーー

 「彼と仕事をするのはシェークスピアを学ぶようなものだと、いつも思っていた」と言うのは、ロジャー・マッギン。フォークロックグループ、ザ・バーズの元リーダーで、バンド解散前にディランの作った曲20曲以上レコーディングした。例えば、ザ・バーズのデビュー曲「ミスター・タンブリン・マン」。「あの美しい歌詞は・・・・・・詩以外の何物でもない 」 ーー『文学の殿堂に迎えられたアメリカの「詩人」』ジェフ・エッシャーズ(ワシントン・ポスト紙記者)よりーー

 ディランは未だ、何も語っていない。ノーベル賞委員会は、本人と連絡を取ることを断念したと言った。そういえば、書き忘れていたが、ラス・ベンタス闘牛場の興行主が、代わることになった。入札が行われ来年から4年間フランス人のシモン・カサスのグループが興行権を得た。これにより、ホセ・トマスの出場する条件が整ったといえるだろう。また、ホセ・ガリドが、アポデラードのエル・タトとの契約を解消した。もう一つ、パコ・ウレニャもチョペラとのアポデラードの契約を解消した。


 10月21日(金) 曇 8211

 今日14時7分頃、鳥取県中部を震源とする地震が発生した。マグニチュード6.6と推定され、倉吉市などは、震度6弱を観測した。テレビでは、ドラマやワイドショーなどを中止して地震情報を流している。島根県の原発は、点検のため、運転を停止している。福井県にある原発も止まっているらしい。

 バルセロナおよび、カタルニアでの、闘牛禁止は、スペインの憲法裁判所で、違法と判断されたため、闘牛が出来るという判決になったようだ。いつから、闘牛が再開されるのは、判らない。もし、来年から再開されるのであれば、通常であれば、4月からだと思う。そこには、ホセ・トマスが立つ可能性が高いだろうと思う。いずれにしろ、初日でなくとも立つことになるだろうと思う。問題は、興行権を何処が取るかだが、以前と同じカサ・マティージャであれば、ホセ・トマスは出場するのは確実だ。それと、マドリードのラス・ベンタス闘牛場にも、出場するとなると、来年は大変なことになりそうだ。

「日本には、百里の道を行く者は、九十里を半分とみなせという諺があります。」 ーー『弓と禅』オイゲン・ヘリゲル著よりーー


 10月23日(日) 曇 15889/2

 昨日は、スペイン闘牛ビデオ上映会があった。初めは、オペラ『カルメン』から、「闘牛士の歌」をかけた。1部は、9月4日のビクトル・バリオを讃える闘牛。パディージャ(耳1枚)、ホセ・トマス(耳1枚)、モランテ(耳2枚)、フリ(耳2枚)、タラバンテ(耳2枚と尻尾1つ)。2部は、ボブ・ディランの『運命のひとひねり』をかけて始めた。9月11日のクーロ・ディアス(耳1枚)、ホセ・ガリド(耳2枚)、9日のホセ・トマス、(耳1枚、耳2枚)。

 2部の途中で、クルサードについて、カステージャの映像を使って、立ち位置と、誘い方についての考え方が分かり易く説明した。こういうのって、闘牛場で隣にて、説明するのが1番良いが、映像があるので、意図が伝わったと思う。ビデオが終わってからバジャドリードの話をHさんに、ニームの話をTHさんのお父さんに、セビージャの話をSさんに、話して貰った。みんなが闘牛場で見てくれば、いろいろな話が聞ける。それから、時間がある人で、飲み屋に行って話をした。1時間の予定が2時間話していた。楽しい時間だった。


 10月24日(月) 晴 7112

 3日ほど暖かい日が続いたが、また、寒くなった。そうやって、段々と秋が深まっていくのだろう。この2日間で、リーガ・エスパニョーラの首位は4チームが入れ替わったという。アトレティコから、勝ったバルセロナがへ。そして、アトレティコに勝ったセビージャが首位に立った数時間後に、レアル・マドリードが首位になった。5位のアトレティコまで、勝ち点3点差の中に5チームがいる混戦状態になっている。バルサは、怪我でイニエスタを、1ヶ月以上戦線離脱することになった。レアルも怪我人を多く抱えて、四苦八苦状態。そこで、2人のアルゼンチン人監督がいる、アトレティコとセビージャがチャンスを伺う。その2チームのつぶし合いは、ホームのセビージャに軍配が上がった。面白くなってきた。こういう混戦こそ、守備の良いチームが安定した戦いが出来るだろう。

 初戦、2戦目と連勝した広島は、明日の3戦目黒田が先発。これが生涯最後の登板と言われている。3戦目広島が勝てば、もう決まりだろう。大谷で勝てなかったのが痛い。バドミントンのデンマーク・オープンで、女子ダブルスで高橋・松友ペアと女子シングルで山口茜が優勝した。タカマツペアは、今年オリンピックの他に、スーパーシリーズ8戦中、4勝。山口は、韓国オープンに続きスーパーシリーズ2勝目。奥原希望や、オリンピック金メダリストに勝っての優勝だった。

 菊花賞は、サトノダイヤモンドが圧勝した。三冠最後のレースは、期待されながら皐月賞3着、ダービー2着だった、サトノダイヤモンドが皐月賞馬、ディーマジェスティなどを寄せ付けなかった。ルメールは、ようやく結果を出して、初めてのクラシック制覇になった。ダービー馬マカヒキではなく、この馬を選んだのはルメール。古馬になったらもっと強くなるだろう。

 京都に良いホテルを見つけて予約を入れた。やはり、1ヶ月前とかだと、予約を入れている人のキャンセルとかが入るから、こういうホテルでも予約が、入れれるようになるのだろうと思う。


 10月25日(火) 曇 7418

 京都国立博物館では、坂本龍馬展。奈良国立博物館では、正倉院展が始まった。芸術の秋。今日は、東京国立博物館へ行った。庭園を散策し、小堀遠州が作った、転合庵や奈良にあった、六窓庵を観る。やはり、京都にある茶室に比べるまでもなく、保存状態が良くない。中が観れないので何とも言えないが、ちょっと、ガッカリ。それから、特別展『禅』を観る。臨済宗の今の体系を作った白隠が中心の展示だった。雪舟があり、狩野永徳の描く信長があった。大徳寺塔頭、大仙院の方丈障壁画の相阿弥や、南禅寺塔頭、天授院の方丈障壁画、長谷川等伯、旧海宝寺障壁画、伊藤若沖、池大雅などがあった。

 平尾誠二が死に、ラグビーファンがショックを受けている。ドラえもんのスネ夫の声優も死に、平幹二郎も死んだ。でも、1番ビックリしたのは、知り合いの死だ。東西文化センターで、闘牛の会をやっていたとき、事務所を準備の場所に提供していた I さんが死んだことを知った。10年間、スペインに闘牛を観に行く時期を除いて、毎月会っていた。スペイン、とりわけスペイン語に人生を捧げた人だった。マドリードに留学して、戻ってきてからはスペイン語の翻訳などをして、会社を立ち上げて、後輩も育てていたようだ。会社は後輩たちが引き継ぐようだ。突然のことでビックリしている。

 下山さんから、ある人の消息を聞かれ、スペイン闘牛ビデオ上映会に来た、日西経済同友会の副会長に問い合わせていたら、そのことを知った。いつも、ニコニコの笑顔が印象に残っている。一度、事務所で準備中に、今読んでいる面白い本といって、その本を読み出したら、「やめて!」を叫ばれたことがある。フィリピンかなんかの残飯市場の話を読んでいた時だった。藤原新也か、辺見庸の本だった様な気がするが、ビックリしたことがある。 I さんのある面を感じた時だった。

 東西文化センターを離れてからは、会っていないと思うから、10年以上経ったのだろう。 I さんは、ガンで死に、問い合わせた人も正確には判らないが、末期ガンらしい。副会長も言っていたが、知り合いが亡くなっていくのは、さびしいことだ。博物館の庭を散策し、『禅』展を観ながら、気持ちが静まって行くのが判った。


 10月26日(水) 晴/曇 12522

 良い悪いの評価方法は2つある。相対評価と、絶対評価だ。スポーツの場合は、相対評価が主な方法で、サッカーや野球は相手より多く得点した方が勝ちになる。しかし、チームとして相対的に上回っていても、自分個人としてどうだったのかと、考えると、それが絶対評価として、良かったのか、悪かったのかが、判ってくる。何処が出来たのか、何処が出来なかったのか、修正しなければならない物が見え、調整の方法を考える。

 スポーツでもそういうことを考えるが、弓道などの場合は、どう考えるのか?呼吸を整え、体の動きを、一切考えない様にすれば、上手くいくようだが、それがなかなか出来ないこと。良いことに喜び、それに浸っていると、直ぐにそれは崩れる物らしい。

 「悪い射に腹を立ててはならないということは、あなたはもうとっくに御存じはずです。善い射に喜ばないことをを付け足しなさい。快と不快との間に右往左往することからあなたは離脱せねばなりません。あなたはむきにならない平静な気持で、そんなことに超然としているように心がけねばなりません。すなわちあなたでなくてまるで別の人が善い射を出したかのように喜ぶことを心がけるのです。この点でもあなたはうまずたゆまず錬磨せねばなりません----このことはどんなに大切であるか測り知れないのです。」 ーー『弓と禅』オイゲン・ヘリゲル著よりーー

 禅。あるいは、柔道、弓道、書道、華道、茶道など道と付く物は、日本では、こういう絶対評価の世界や、普遍性という物を基準にすることによって、極めようとしているのだろう。そこに、ヘリゲルは禅を観ていたのだと思う。しかし、人は相対評価をして貰うと、嬉しくなる物だ。この狭間に、揺れるのだろう。


 10月27日(木) 曇/晴 13772

 講習があった。余裕をもって出掛けたが、駅の出口1分と書いてあるのに、その出口までが、7・8分かかるというのは詐欺みたいな物だ。何々口徒歩3分と書いてあれば、ホテルが近いと思うのが普通。じゃらんとかでホテルを検索するときに、そういうのを目安にする。失敗したなと思った。時間には間に合った。休憩中と終わった後、仕事の話をした。

 何かについて、感動し、琴線に触れたり、それ以上に、感情を揺さぶられる様なことに出会うことは、素晴らしいことだ。日々を過ごす中でこれは、いろいろな支えになってくれことがある。こういう事に出会えると、自分の人生に良い影響を及ぼすことになる。THさんのお父さんと、話したときに、そういう闘牛に出会ったことを話したら、それは良い物を観ましたね。そういうのを観ているのと、観ていないのでは全然違いますね。と言っていた。言わなくても、そういうことが解る人なんだと思った。こういう事が解る人は凄いと思った。

 ビデオを観ながら、間について話したのか、多分、タンダ・デ・ムレタソの後に、取る間や、牛と対峙したとき間のことを言っているのだと思うが、間について、何を思いますかと訊かれた。その時は、落語の間と言った。言葉と言葉のあいだの間。所作と所作のあいだの間もそうだ。後から考えると、身に付いている間の感覚はちょっと違うかも知れないと思った。1点を争う投手戦の時の、ピッチャーの間や、バッターの間の方がピンと来るなぁ思った。

 闘牛士が作る自分の間は、ピッチャーやバッターが相手ではなく、自分の間に持って来れていれば、自分に利がある。そういう心地よさが、間で作れるか、そのことが大事なのだと思う。闘牛の場合は、その中で、牛にイライラさせずに自分の間で闘牛が出来るかどうかが重要だと思う。その辺の言葉が、足りなかった様な気がした。


 10月28日(金) 曇 10344

 朝夕はかなり寒くなった。起きてトイレに行ったら下痢だった。風邪を引いたのかも知れないと思った。咳とかはでていないが、そんな気がする。ホトトギスの紫の花の色が好きだ。ふんわりとした花。淡い紫色。高浜虚子は、漱石の、『我が輩は猫である』を掲載した雑誌『ホトトギス』の名を、鳥の名から取ったのか、それとも、花の名から取ったのか・・・。

 夜中、東日本大震災当時の、大槌町の行政機能が麻痺した状況を、NHKでやっていた。町長を初め多くの幹部職員が津波で死亡した状況で、住民の要望に応えようと、必死に寝る間もなく、2週間働き続けた。避難所の住民はそれを見て、自分たちも何かしなければと動きだし、避難所も運営も住民に任せられる状況になって、初めて、岩手県からの職員の受け入れが始まった。遺体収容所の職員は、自分の感情を押させることで、精神状態をようやく保って業務に当たったと言う。水で脹らんだ人、隣の人や知り合いなどいろいろな遺体がある中で、暗い顔をするでもなく、笑うわけでもなく、普通の状態の顔で淡々と遺族に接したと言っていた。

 やりたくても、やれないことばかりの現場の状況。支援を受けたくても、現場の状況などで県に要望を出さず、歯を食いしばって、あの状況を堪え忍んだと言う。疲れ切っている役場職員を抱えて、頭が冷静にまわらない状態。はがゆいばかりの現場。自治体法では、その自治体の要請がないと、県や国が動けないと言う。踏み込んで、支援を出来ない法律上の問題があるという。それが、熊本の震災の時には、その自治体の要請がなくても、踏み込んで県や国の支援を実施されたという。これは、東日本大震災の教訓が生かされた結果だという。

 役場機能が体をなさない状況で、町長をはじめ幹部職員が亡くなって、残った職員をまとめて、手探りの状況で大槌町を引き受けざるを得なかった総務の平野さんが、今は町長になっているのだという。やはり、大変な状況を引き受けなければならい状況で、体をなしいない状況でも、やりきった人に住民は、町長を任せる決断を選挙でしたんだと思った。震災時、役場の体をなしてない状況で、大きな不満を抱えながらも、必死で切り盛りした人を住民は町長に選んだのだろうと思う。


 10月29日(土) 曇 12345

 ついに、暖房を使い始める。下痢は治まり、咳が少し出るも、おさまりつつあるような感じだ。ボブ・ディランがノーベル財団に連絡し、受賞を受けると言ってきたようだ。何故、これまで沈黙していたかというと、「ノーベル賞のニュースに言葉を失っていた」と、語り、「この栄誉をとてもありがたく思う」を感謝したという。意外とそんなもんだよなぁと、思った。12月10日の授賞式や、7日の受賞者講演会に出席するかは決まってないという。


 10月30日(日) 曇 12270

 本格的な秋になったようで寒い。昨日は、広島に場所を代えた日本シリーズ第6戦で、8回表、2アウトから押し出しや、満塁ホームランで6点を入れた北海道日本ハム、ファイターズが10-4でで勝ち日本一になった。MVPは、寿司を握るパフォーマンスで有名になった、ホームラン王、レアード。使い続けた栗山監督に、感謝していた。大谷を温存して勝った日本ハム。そういう采配が栗山監督の現状に対する対応力の凄さの断片の一つ。大谷は、試合後、大リーグに行かずに、日本ハムに入って良かった。と、言ったらしい。

 天皇賞は、1番人気のモーリスが勝った。ムーア騎手は手腕をいかんなく発揮して楽勝だった。マイル王が、2000mの天皇賞秋を勝った。ゴルフも松山英樹が楽勝しそうな勢い。


 10月31日(月) 曇 7943

 日本一になった監督が、一選手に手紙を書く。新聞社の依頼で実現した。しかも、本人の家に配達される訳でない手紙が、新聞紙上とネット上で公開された。

「 前略  大谷翔平様

 チームを勝たせろ!と入団以来ずっと言って来ました。2016年 日本一、一つの約束を果たしました。
 翔平にとってどんな一年だったのでしょうか  さらなる成長のため、進むべき道がはっきり見え始めたシーズンになったなら本当に嬉しい限りです。 いつも厳しいことしか言いませんが今日は一つだけ伝えます。
 翔平の道がどこにあるのか、翔平のファーストへ向かう姿、走塁にあると思っています。投手であっても常に全力で絶対にセーフになってやろうとする姿。シリーズでも初戦でベースを踏む際 足首を軽く捻り心配しましたが、最後まであの全てをかけてファーストを駆け抜ける姿を貫きました。常に全力を出し尽くす魂。
 そんな姿にしか野球の神様は微笑みません。野球の神様に愛されなければ天下は取れないのです。
 二刀流もその最も必要な魂があるからこそ成り立っていると思っています。これからが本当の大勝負です。
 成績が残り始めても、今の思いで野球に向きあっていけるかどうか、身体や技術はもちろん大切ですが、最も大切な魂をさらに強くしながら前に進めるかどうかです。
 まだまだありがとうとは言いません。翔平に始めて会った時に聞いた夢。それを実現した時みんなが“ありがとう”と口にするはずです。その時を待っていたいと思います。

 翔平
     “まだまだ”

 誰も歩んだことのない道は無限に広がっています。野球を愛してくれる人のため仲間のため、次代を担う子供達のためそして自分のため全力で走ってくれること信じています。
                  早々            
                       栗山英樹(原文まま)  」 ーー日刊スポーツよりーー

 「そんな姿にしか野球の神様は微笑みません。」ってのが、良いよなぁ。必死な姿じゃなきゃ訴える物にインパクトが薄くなる。野球だけじゃなく、他の物でもそうだろう。

 「剣道の完成は沢庵に従えば次の点に在る。我と汝、敵とその剣、自身の剣とその使い方についてのどんな思考も、生死に関わる考えすらも、もはや心を煩わさない点に。「それゆえ一切は空である。汝自身も、サッと引き抜かれた剣やこれを使う腕も。否空であるとの考えすらも、もはやそこにはないのである。」「このように絶対空の中から、行為のもっとも素晴らしい展開がわき出るのである。」と沢庵ははっきりと結論している。」 ーー『弓と禅』オイゲン・ヘリゲル著より 沢庵の"不動智神妙録 "ーー

 ここだけ読んでも、沢庵の"不動智神妙録 "の意味は、良く解らないかも知れないのだが・・・。 ちょっと、違うかも知れないが、アグアスカリエンテスで、ホセ・トマスが大怪我をした時。角がホセ・トマスの左太股の突き刺さり、空中で体が回転する。それからアレナに落ち、ホセ・トマスは体を回転させながら逃げた。仰向けに横たわって動かない。人が駆け寄り抱き上げようとするが、手を挙げてそれを制して、自分の左太股を観る。

 何故、駆け寄った人を制して太股を観たのだろうか?牛がこちらに来るかも知れない状況で、それをやった。それはほとんど、無意識にやったのだと思う。痛いことを人に訴えるわけでもなく、早く医務室へ連れて行ってくれと、訴えるでもなく、まず、自分の太股の状態を目視した。大動脈が切れていて、それから7リットルとも11リットルとも言われる輸血をし生死の間を彷徨う。今観ると、駆け寄った人を制した行為が不思議に思える。刺されてから、抱き上げられるまで、ああいうのが、「空」なのかも知れない。


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