−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行の滞在日記です。
9月16日(金) 曇/雨 16369
台湾・中国大陸に上陸した台風は、大きな被害を出した。アメリカの気象機関は、スーパー台風と認定した。また、台風16号が沖縄に接近している。三連休は、沖縄や九州は大荒れになるのだろう。沖縄の珊瑚の事を、夏にテレビでやっていたが、毎年台風が来る沖縄では、台風によって海底の海水が上にあがってきて、水温が下がる。30度を超えると珊瑚は死んでしまい白くなる。そういう状況が起こっていると夏の頃いっていた。4つ上陸した台風も北海道・東北だったので、このままでは、珊瑚が死んでしまうと言っていたが、今度の台風で、海水が混ざり水温が下がるだろうと思う。
11日バジャドリードの闘牛のことを簡単に書いておく。牛は、ファン・ペドロ・ドメク系のガルシア・ヒメネス。闘牛士は、クーロ・ディアス、エル・ファンディ、ホセ・ガリド。クーロ・ディアスは、前日アルバセーテの闘牛で、コヒーダされて、鼻骨骨折した。この為、11日11時半から予定されていた、プラクティカ(一般向けの青空闘牛学校)が中止された。鼻を保護するように、絆創膏というか、そういうモノを付いていた。それにより、下の方の視線が見難い状態になっていた。そういう状態での闘牛だった。それでも、2頭目の牛で耳1枚。顔に深みが増しいた。勿論、ビクトル・バリオが死んだ日、一緒に闘牛をやっていた事もあり、あの時の顔も深い悲しみを抱えているお「男」の顔をしていた。 大分前に、サン・イシドロに出場したときは、当たり前に良い闘牛をやったが、何かチャラ男の感じがあった。それが、落ち着いて闘牛をしていた。鼻骨骨折を抱えながら深みのある顔で、無言で闘牛というものを語っていたと思う。応援したくなる様な闘牛士になっていた。オトーニョで、良い闘牛を期待する。
エル・ファンディの見せ場は、カポーテとバンデリージャ打ち。バンデリージャも、若いときは牛の角の間で打っていたが、今はほとんどが、トロ・パサード。角の外側で打っている。2頭目の初めのバンデリージャは、前を向いて後ろに走って牛を誘い打ったが、これは角の間でキッチリ打っていた。ビオリンは、相変わらず良い。観客が盛り上がり、耳2枚、耳1枚。ファエナは、やっぱり感心しないものだった。
ホセ・ガリドのアポデラードは、エル・タト。クルサードなしでパセを繋ぎセビージャでプエルタ・デル・プリンシペをしたことがある。それでも、コントラートが増えなかった。口をパクパク金魚のようにしてパスするので、気味が悪かった。ホセ・ガリドは、クルサードもしているし、余計なことをしない闘牛士。シンプルにベロニカを繋ぐ姿は好感が持てる。ファエナもクルサードして真面目にパセを繋ぐ。外連味のない仕事をする。落ち着いている。これで、牛が悪かったらどうだろうと、考える。サン・イシドロで観たときよりはずっと良く見えた。今、調子に乗っている事もあるのだろう。オトーニョが楽しみだ。
25日の前売り切符を買ってきた。東京体育館で、バドミントンのヨネックス・オープン決勝が行われる。高橋・松友ペアを観に行く。試合前に、金メダルのお披露目があるという。この日は決勝だけが行われるが、勝ち続けなければ試合は見れない。賭けと言えば賭だが、試合が観たい。
9月17日(土) 曇 11702
どんよりした空。蒸している。戻ってきて仕事に復帰。そういう事なのかと、思った。なかなか、思ったようには行かないのだなぁと、あらためて思った。健康診断が迫っている。検便を取らなきゃダメなのだが、容器がない。何とかなるだろう。
音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ 祐子内親王家紀伊
9月18日(日) 曇時々雨 14359
三連休の中日。曇っていて時々雨が降る。歩いていると、うっすらと汗が出てくる。ニエル賞のレースをテレビで観た。出来が70%〜80%と、言っていたが、それでも、ゴール前でキッチリ刺した。本番の凱旋門賞へ向けて、良い感じだ。今年から、日本でも、馬券が買えるようになる。ルメールは自信を持って、挑むという。勝負の世界は、厳しい。思い通りになるのは難しいが、期待が持てる。オリンピックのバドミントン女子の決勝の面白い記事が載っていた。
「 3連続失点「正直、もうだめかな」
バドミントン女子ダブルス決勝、デンマーク戦の最終第3ゲームの終盤、高橋、松友組は3連続失点で、16―19の劣勢に立たされました。
あと2点取られたら、負け。「正直、もうだめかな」と松友の頭に諦めの気持ちが湧く一方で、ある思いが芽生えます。
「一球でもいいから、相手に『おっ』と思わせよう」
相手のサーブ。コートの後方を守る「後衛」の高橋が相手コート奥へと打ち返しました。と同時に、コートの前方を主に守る「前衛」の松友が、すっと前へ出ます。ラケットを立てて構えると軽く差し出し、シャトルにちょこんと当てました。意表を突くプレーに相手の足は止まり、シャトルは静かに相手コート前方に落ちました。
「プッシュをせず、ラケットを止めろ」
159センチの松友は他の選手に比べて、ラケットを持つ手の位置が低いのが特徴。ラケット面が相手からは見えづらく、球筋を相手に読まれにくいのが長所です。追いつ追われつの第3ゲーム中盤、松友はらしくないミスが続きます。早く決めたいあまりに、ラケットを前に押し出して強い球を返す「プッシュ」と呼ばれるショットが多くなっていたのです。日本のベンチはそんな松友を冷静に見ていました。プッシュをネットに引っかけて18点目を献上したとき、コートサイドにいた中島慶(けい)コーチ(54)が「止めて、止めて」と叫びます。「プッシュをせず、ラケットを止めろ」という意味でした。
無心の境地へ
松友は3点差をつけられたこの場面で、その指示を思い出します。そこで、それまでプッシュをしていた構えから、緩い球を打ち返したのです。ふっとわいた松友の遊び心とベンチワークで、相手の連続得点は止まりました。17―19。デンマークペアには、まだ笑みを浮かべる余裕がありましたが、このプレーから流れは変わります。この後続くプレーを、高橋ははっきりと覚えていません。「タカマツペア」は無心の境地に入っていきます。
「逆転も、あり得るな」
直前に緩めのショットを決めた松友の勢いは、止まりません。
サーブは高橋礼華。打った後、その場にしゃがみ、ラリーを松友に任せます。最後は甘い浮き球を、松友が逆クロスでたたき込みました。
ネットの向こうで、汗をぬぐうペデルセン。対する松友は「無心で、楽しくやっていた」と涼しい顔です。続くラリーでもスマッシュを決めて3連続得点。ついに19―19に追いつきます。
16―19とされた時点で試合をあきらめそうになったのは、高橋も同じでしたが、同点になり「逆転も、あり得るな」と、息を吹き返します。
思い出したレスリング女子の姿
2人は、前日に選手村のテレビで見たレスリング女子の試合を思い出していました。伊調馨、登坂(とうさか)絵莉、土性(どしょう)沙羅が、いずれも決勝の終盤で逆転勝ち。自分たちも、自然とそんな思いが浮かんできました。高橋の武器は、コート後方からのパワフルなスマッシュです。165センチと決して大柄ではありませんが、体幹が強く、多少無理な体勢からでも、正確なショットを打ち分けることができます。
19―19の場面。ラリーを続けながらチャンスをうかがい、横一列に並んだデンマークペアの間を通すような逆クロスを放ちます。責任の所在があいまいで、捕球が難しいところをピンポイントで突きました。
20―19。そして試合を決めた21点目も、2人の間にクロスで打ち込んだスマッシュ。相手の返球は、ネットに当たりました。
「19点くらいからは何も覚えていない」
「19点くらいからは何も覚えていない」と高橋。無心で放った、会心のショットの数々。連続5得点の間、松友の表情はずっと涼しいままでした。勝利の瞬間、その場で泣き崩れた高橋、跳びはねて喜ぶ松友。ネットの向こうでは、呆然(ぼうぜん)とするペデルセンの肩を、リターユヒルが抱きかかえていました。涙を見せたリターユヒルは「五輪の決勝で最高の試合ができた。涙は、誇らしさの裏返しだ」と話しました。
ペデルセンは正直な気持ちを口にしました。「リードを守れなかったことに悔しさがない、と言ったらうそになる。日本のペアはミスを恐れず、リスク覚悟でショットを打ってきた。私たちには何かが足りなかった」。
そして、続けました。「もし夢が一つかなうとしたら、19―16の場面からやり直したい」 」 ーーTHE HUFFINGTON POST よりーー
「もし夢が一つかなうとしたら・・・」。誰でも思うことだが、過ぎてしまったことは、もう戻らない。そうならないように、しなければならないが、人間は、時として、こういう、センチメンタルな気分になるものだ。松友みたいに、無心で楽しまなければならないのだろう。
9月19日(月) 雨 14486
台風が近づいているせいか、天気が悪い。検便の容器は用意できて、もう取った。これで、明日の健康診断に行ける。それにしても、バリウムを飲むのかと思うと、嫌な気分。その後の、下剤を飲んで、トイレにかよう気分がげんなりする。先日、シーラさんから電話があり、結衣さんからも連絡があった。バドミントンもあるが、ダリ展やパコ・デ・ルシアの映画に、四十九日もある。せわしない感じだ。
9月21日(水) 雨 26112/2
昨日の夜中から雨が降り続いていたが、台風が温帯低気圧になって過ぎ去った。だからといって、晴れるわけではないようで、今週は雨模様。1年前の19日ラグビーの日本代表が南アフリカに勝った奇跡の日。3年後のワールド・カップに向けてのイベントなどが行われた。バドミントンは、ヨネックス・オープンが始まった。記者会見が行われ、金メダルの高橋・松友ペアと銀メダルのデンマークペアなどが出席した。会見後、4人でスマホで、写真を撮っていた。デンマークのペアは、日本が好きで、日本食を楽しみにしていると言うが、決勝でこの2組を観たいなぁと思った。
広島カープが優勝し、カープ女子だけでなく盛り上がったが、何なんだろう?真田の甲冑の色も赤。カープの色も赤だし、赤い色は人を引きつける魔力があるのだろうか。目立つ色ではあるが、それ以上に、人を興奮させる。また、赤という色は、落ち着かない色でもある。昔、吉野家のカンターの色が赤だった。客の回転率を上げるために、カウンターに赤い色を採用したとも聞く。魅惑的な色だが、それは、諸刃の刃。良い面もあれば、悪い面もある。物事全てにおいて、そういうことがいえるのではないか。そういえば、口紅の色も赤。『ルージュの伝言』という歌があったが、あれは唯一に近い、荒井(今は松任谷)由美の好きな歌だった。
闘牛でも赤は重要だ。ムレタの赤。牛の血の赤。闘牛士の血の赤。どれも観ている人を興奮させる装置として、配置されている。赤とは、それだけ人を引きつけたり、惑わせたりする、魅惑的な色である。
Sさんに電話。門前仲町の話を訊いた。それからネットで観て、MEGUさんに電話。シーラさんにメールした。それから、メンバーにメール。ビデオ上映会の開催は、10月になる予定。返信を待って日にちを決めようと思う。
9月22日(木) 雨 8262
今日も雨模様。もう半袖では寒いくらいになってきた。韓国人観光客は、ジャケットなどの長袖を着ている人が多い。リーガは、レアル・マドリードの連勝が16で止まり、アトレティコ・デ・マドリードとバルサは、1−1の引き分け。メッシが、古傷の股関節を悪化させ途中退場。今後休養が必要になるだろう。
今インドで開かれているU-16のサッカーの大会で大活躍を続ける久保建英。FC東京の下部組織から、FCバルセロナへ移籍して、そこでも中心として活躍した。18歳以下の移籍問題で、18歳になるまで出場が禁止され、日本に戻ってきた。先日、J1FC東京の選手登録され、10月にはデビューが予定されている。久保君は、15歳で中学生。中学生でJ1デビューで、最年少記録になるらしい。東京オリンピックの目玉になる選手として期待されている。
バルサは、日本に戻った久保君とは接触していて、スペインの新聞は、インドの大会での活躍を報じ、18歳になったらバルサに戻る事になるだろうと伝えているという。10歳から頭角を現し、名門バルサに入団。将来バルサの10番を付けるだろうとも、言われている逸材だ。スペインだけではなく、日本のマスコミも騒いでいる。この状況で、ある記事が目にとまった。
それは、バルセロナ在住の山本美智子が書いたモノだった。「日本のメッシ」と煽る日本のマスコミが、バルセロナに来ると、、「久保くんが次のメッシとなる可能性、バルサの10番を背負う可能性があると思いますか」、という質問を日本メディアから何度か受けた。という。彼女は、中田英寿がローマでトッティから10番を奪うことが出来なった事。バルセロナの下部組織にいた、ボージャン・クルキッチが、900ゴール以上を記録し、メッシの記録を飛び越えた選手だった。その彼は、原因不明のめまいに悩まされていた。当時17歳でスペイン代表に招集されるが、マスコミ、ファンの重圧がのしかかっていたようだ。
「ボージャンが体調不良を理由に試合のリストから外れることになったことを。それを知り、彼が「ああ、うん」と歯切れの悪い返事をした理由はわかったが、それにして、その時のやけに暗い表情が気になった。その謎が解けたのはそれから数年後だった。
メッシの記録を飛ぶ勢いで破っていった天才少年は、長い間めまいに悩まされていた。立ち上がれないほどの強烈なめまいは、日々薬を飲むことで抑えられていたが、それが重圧から来た精神性のものだったことをボージャン自身が明かしている。「全てをコントロールできていると思っていたが、そうではなかったんだ」と彼は語った。
現在26歳のボージャンは、代表を諦めなければならなかった当時の決断を後悔していないと話す。今はもうめまいに悩まされることもなく、ストーク・オン・トレントの空の下で汗を流している(編注:その後ボージャンは08年9月に代表デビューを果たすも、今のところこれが唯一の代表戦出場記録となっている)。
現在15歳の久保くんの才能に疑いの余地はない。彼は順調に成長し、プロとして活躍するだろう。だが、才能ある選手を早い時点から追いつめてはならない。温かく長い目で見守る環境ほど大切なものはない。
彼の選手人生はまだスタートラインにあり、人生には様々なことが起きうるのだ。だからこそ、バルサの下部組織の哲学は「選手形成」ではなく、倒れた時に起きあがるための「人間形成」にあるのだ。」 ーー「フットボール・チャンネル」山本美智子よりーー
メッシは、成長障害で、その治療費をバルサが全額払う事を約束して、アルゼンチンからバルセロナにやってきた。成長ホルモンを毎日打つのを父親は本人にやらせていた。毎日の痛みを自分自身で感じ、受け止める様にするために。
才能が開花するためには、本人の努力と、環境、そして、いくつかの偶然が必要になる。久保君が成長するためには、そういう、要素が必要だ。マスコミは、煽るだけでなく、何が必要かをTPOで、考えて実行する事を願う。
こういう話を訊くと、思い出すのは、アントニオ・コルバチョが、住み込みで教えた2人の闘牛士のことだ。ホセ・トマスと、アレハンドロ・タラバンテ。そのことは、明日にしよう。小沢昭一風にいえば、それは、「明日のこころなのだ」
9月23日(金) 雨 4283
雨が降り続いている。彼岸花が咲いてきた。まだ、赤くはない白い花だが、そういう季節になったのだと、思った。
ホセ・トマスとアレハンドロ・タラバンテ。愚直な努力家と、適応力が抜群の天才肌。簡単に言えばこうなるだろうか。何を教えても、何回やっても身にならないホセ・トマスに、コルバチョはイライラしていたという。一方、タラバンテは、教えたことを直ぐに飲み込み、表現できる。もの凄い速度で吸収する。2人は今、有名闘牛士になっている。闘牛界を背負って立っている存在だ。
出場すれば、闘牛場は切符売り切れになるホセ・トマス。フェリアのアボノ(通し券)まで、売り切れにしてしまう。史上最高の闘牛士がホセ・トマス。マドリード、ラス・ベンタス闘牛場で、グラン・ファエナをして、当日来ていたアフィショナードが、口々に、ホセ・トマスの様な闘牛をすると、驚いたタラバンテの登場。闘牛士に昇格して各地の闘牛場で活躍を続けた。そして、天狗になった。レアル・マドリードのセルヒオ・ラモスと遊び回ったりして、コルバチョの話が耳に入らなくなった。育ててくれたコルバチョとのアポデラードの関係を清算した。それから、何人かアポデラードが代わったが、6月からマティージャに落ち着いた。
コルバチョから離れたタラバンテには、あまり良い思いがなかった。どういう闘牛がしたいのかが、闘牛を観ていて判らなかったからだ。今は、何となくそれが見える気がする。
ホセ・トマスは、1997年のラス・ベンタス闘牛場でのプエルタ・グランデ以降、一時引退する2002年までずっと見続けて来た。復帰戦のバルセロナ闘牛から、メキシコ動脈を切った闘牛の前の年までと、それから復帰したバレンシアの闘牛から今年の闘牛までを観ている。セサル・リンコン引退以降闘牛を観に行くのは、基本的には、ホセ・トマスを観に行くことにしている。実は、そのホセ・トマスを観るのが苦しくなっていた時期がある。それは、メキシコで怪我をする前からだと思う。サン・イシドロが終わった6月のラス・ベンタス闘牛場で、2回出場して、耳4枚と耳3枚取った闘牛以降だったはずだ。バレンシアの復帰戦は良かったが、それ以外がそういう時期に当たると思う。
一時引退前のホセ・トマスの絶頂期は2000年。契約の問題で、セビージャやラス・ベンタス闘牛場には、出場しなかったが、最高の闘牛をやっていた。バルセロナでも良かった、アランフェス、とりわけ、アビラ闘牛は今でも印象に残っている。
「剣を代えて、マノレティーナを繋ぐ。クルサードして2mの所から牛を誘ってオーレ。クルサードして角2本目の所に体を置き牛から1mの所から誘ってオーレ。クルサードして角2本を越えたところに体を置き、牛から50cmの所から誘ってオーレ。クルサードして角2本を越えたところに体を置き、牛から30cmの所から誘ってオーレ。この時牛は、ホセ・トマスの体の左側に行っていた。そっから、マノレティーナで牛を誘う奴はいないよ。
観客は、「ホデール」とか「クイダード」と小声で良いながらこの危険きわまりないパセに釘付けになった。大声を出すと危ないからだ。彼は、自分自身の限界に挑戦しているような、それほど危険なパセを続けた。マノレティーナが終わると観客は総立ちになって喝采を送った。剣は、スエルテ・ナトゥラルでピンチャソ。観客からガッカリした声が漏れ拍手が鳴った。スエルテ・コントラリアでピンチャソ。観客からガッカリした声が漏れ拍手が鳴った。スエルテ・コントラリアでまたピンチャソ。観客からガッカリした声が漏れ拍手が鳴った。4回目で素晴らしい場所に素晴らしい剣が刺さった。牛が倒れると喝采が鳴りやまなかった。そして、闘牛場に、「トレロ、トレロ、トレロ」とコールが沸き起こった。
ホセリートは耳2枚を切ったけれど今日の主役は文句なしにホセ・トマス。しかし、あのマノレティーナはクルサードから角2本越えてしかも牛のと距離を段々縮めて行くところはちゃんとした手続きを踏んでやっているパセなのだ。ただ危険なだけのパセではない。それはホセ・トマスの技術と自信に支えられているとはいえ。
とにかくスゲー写真が撮れた。一緒に行った米ちゃんが、「何か危ないことやってもホセ・トマスだと安心してみていられる」と、言っていたがそれは上記の理由だ。
」 ーー2000年6月10日観戦記よりーー
あれから、アビラで観た闘牛を超えるような闘牛が観たいと思って観たが、なかなかそういう闘牛に出会うことはない。あの当時、ホセ・トマスは、一体何処へ行くのだろうかと、思っていた。フィロソフィア・デ・サムライが、そこに感じられた。今年ホセ・トマスを観たが、観るのが苦しい時期のような闘牛からは、脱却して、足を閉じたファエナなどが復活したような印象。
ホセ・トマスを、崇拝するタラバンテ。しかし、闘牛は、ロカ・レイのような闘牛をしている。去年もそうだったらしいが、今年もそういう闘牛をしている。彼の特徴のスアベの闘牛の中に、今風の闘牛を入れて、ファエナを構成している。それを観ても、器用な人間であることが判る。器用すぎるのだ。今の自分の闘牛では、ホセ・トマスと同じ土俵ではかなわないから、そういう闘牛をしているのだろうと感じた。
おそらく、感情の表出が、ホセ・トマスよりもタラバンテの方が、激しい。ホセ・トマスも40を過ぎて、今までの怪我の影響や、体が硬くなった事や、今風の闘牛などの対応なので、2000年とは違う闘牛をしているのだろうと思うが、一時よりは、かなり改善されてきている闘牛をしている。それは、去年1年間休んで、体の具合が良くなっているのだと思う。また、ラス・ベンタス闘牛場で、ホセ・トマスが観たい。そして、アビラのような闘牛が観たいと切望する。
9月24日(土) 雨 10458
今日も雨。BSで、バドミントンを観る。やっぱり、高橋・松友ペアは強かった。明日の決勝に駒を進めた。それにしても、凄い人気。準決勝なのに満員。会場前は、長蛇の列だった様だ。バドミントンは、女子が強い。女子シングルは、奥原希望に勝った、山口茜が出たが、0−2で負けた。2セット目の後半ミスが出て落とした。明日の試合の順番もまだ決まっていない。今日の結果が出てから発表になる。
THさんが、ホセ・トマスと少年タラバンテの、写真を送ってくれた。お互い、闘牛士になってからの写真しか、観たことがなかったので、嬉しかった。タラバンテが可愛い。THさんに、感謝。よくこういう写真をみつけてくると感心した。日記を読んで送ってきたんだろう。
9月25日(日) 曇 8300
楽しみにしていたバドミントンのヨネックス・オープン。着いたのが会場直前の10時前。人が一杯でどの列に並べばいいのか判らない。係員に訊いて並ぶも、その列の長さは、とぐろを巻いた大蛇のように続いている。入場まで、30分くらいかかったと思う。スタンド席なので自由席。空いているところの座る。コートでは、小学生と、大会に出た選手の試合が行われていた。10歳くらいなのに、みんな上手い。小学生たちが、選手たちに勝っていた。山口茜も出場。1発本気でスマッシュを打っていた。
12時前には、女性だけのよさこい踊り。そしていよいよ選手入場。男子ダブルス。中国対韓国。中国選手は190cm。もう身長を観ただけで勝負有りの感じ。あれだけの長身だと、スマッシュの威力は脅威。フェイントへの対応はネックになるが、長い手足を伸ばして出来ている。後は、タイミングと、コンビネーションを着くしかない。結果は、ダブルスコアで圧勝した。肉体の大きさで勝負するというのであれば、それは、ガスケットやバレーボールと同じなる。バドミントンってそうじゃないよなぁ、と思った。
2試合目が、女子ダブルス。高橋・松友ペアとデンマークのペダーセン・リターユヒルペア。接戦で1セット21−19で取るが、調子が悪そうだった。松本はサーブが入らない、プッシュもダメ。頼りは、高橋。スマッシュもショットも良い。守備も良い。足を引っ張っているのは松友。2セット目くらいから汗が凄い。審判からタオルの使用許可が出ない。サーブを待つ間も注意される。時々、オット思うショットを出すが単発。最後の方はそれが、高橋にも伝染して負けた。金メダル後、取材など色々あって、練習の時間がなかったようだ。松友の汗の掻き方は異様な感じ。普通じゃない。調整不足でも、決勝まで来たことを、良しとしないといけないだろうと思った。
表彰式が終わってから、帰路につく。男女のシングルと、ミックスダブルスは観なかった。お腹空いて、昼食を取りたくなったのと、競馬。高橋・松友のように今日はこんな状態でやったからは、バランスが悪かった。自信があると思ったレースをはずし、自信がないレースで中穴を当てた。でも、最近見えてきているなぁと、感じている。後は、バランスの悪さを調整できれば、完成の域に入ると思う。
曼珠沙華 あっけらかんと 道の端 漱石
9月26日(月) 7796 曇
来週から秋の計画が始まろうとしているが、考えがまとまっていない。『とと姉ちゃん』の台詞じゃないが、「どうしたもんじゃろなぁ」と考えている。
『とと姉ちゃん』で、君子が死ぬ前に、穏やかな顔で言った台詞が良かった。「小さな幸せって言うのかしら、その積み重ねで、今の幸せがあるのね」常子の母、君子が娘3人に最後に残した言葉だった。君子役をやった女優の、穏やかさは素晴らしかった。あれは、母のイメージなのだろう。ああいう母がいたら、子供はノビノビ生きていけるだろうと思う。だから、人を褒めない花山が、「素晴らしいお母さんだ」と言った。
9月27日(火) 曇/晴 14941
「イチローはキューバで神様のような存在なんだ。」そういっていたチームメイトのホセ・フェルナンデス(24歳)がボート事故で死亡した。マーリンズだけでなく、大リーグにそのニュースが衝撃を与えた。
「キューバから4度亡命を試み、3度失敗。1回は刑務所に入れられた。4回目は、銃弾をかいくぐり逃げた。途中、誰かがボートから海に落ちた。フェルナンデスがすかさず飛び込むと、なんとそれは彼の母親だった。荒波の中、ボートまで30ヤード(約27メートル)ほどの距離を母親を抱えながら、必死に泳いだ。彼が15歳のときのことである。 ーー中略ーー
デビューしてから、100マイル近い真っすぐと、大きくタテに割れるカーブ、スライダーで、打者をねじ伏せた。昨年、トミー・ジョン手術から復帰すると、その試合で、ホームランを放った。 ーー中略ーー
7月2日、アトランタで6回途中9失点と珍しく打ち込まれた。試合後、怒り心頭かと思いきや、笑みさえ浮かべながら言った。
「野球って、難しいなぁ」
そのフェルナンデスが逝ってしまったのである。 ーー中略ーー
彼と最後に話したのは、7月のことだったか。
ちょうど、ダルビッシュが、トミー・ジョン手術から復帰後、肩の張りで故障者リストに入っていた。昨年7月2日に同手術から復帰したフェルナンデスも、8月半ばから1カ月ほど、戦列を離れている。当時のことを問うとフェルナンデスは、右腕の付け根付近を抑えながら、「この辺りに違和感があって、力が入らなかったんだ」と教えてくれた。
ダルビッシュが肩に張りを感じていることを伝えると、なぜか彼は自信ありげに、「問題ない」と話した。「手術から復帰後は、よくあることだから」。 その言葉はやがて現実となる。後半に入って復帰したダルビッシュは、以来、問題なく、マウンドに立ち続けている。ひじに関しても、「1カ月ちょっとぐらい前から、気にしなくて良くなってきてます」と24日の登板後に話した。
その前から、フェルナンデスにはトミー・ジョン手術のことを何度か聞く機会があったが、ダルビッシュの復調具合をはかるとき、彼の経験が参考になった。あるとき、フェルナンデスにお礼をいうと、「僕とダルビッシュは、真っすぐとカーブ、スライダーを軸に投げる点で、似ているからね。僕も彼のことが気になる」と話していた。 ーー中略ーー
5日前、フェルナンデスはインスタグラムでガールフレンドの妊娠を明かした。そのとき、こう綴っていた。 ーー中略ーー
まだまだ、話したいことがたくさんあった。聞きたいことがたくさんあった。 陽気で、お調子者に見えて練習熱心だった。ピッチングが好きだった。バッティングも大好きだった。
いつも笑顔だった。真っすぐだった。」 ーースポーツ・ナビ いつも陽気だったホセ・フェルナンデス全米を駆け巡ったまさかの悲報 丹羽政善よりーー
翌日の試合は中止された。「エース右腕のホセ・フェルナンデス投手(享年24)が25日未明、事故死した悲報を受け、前日のブレーブス戦は中止となった。再開されたこの日は、監督、コーチ、選手全員が、同投手の背番号で、永久欠番となることが内定した「16」を付けてプレーした。
試合前には、追悼セレモニーが行われ、両軍全員がベンチ前に整列して黙とうをささげた。その後、マーリンズナインは、「16」と刻まれたマウンド周辺にひざまずき、思い思いにメッセージなどを書き記した。最後は、円陣を組み、試合に臨んだ。
初回、スタントン、ゴードン、イエリチらは涙を流しながら守備位置に向かった。
その裏、今季1号となる先頭打者本塁打を放ったゴードンは、ホームイン後、天を指さすと、泣きじゃくりながらベンチへ戻った。
終了後は、再び全員でマウンドに集まり、黙とうをささげ、帽子を置いて別れを告げた。 ーー中略ーー
試合後のイチローは「今日1日が終わったら、やっぱ(フェルンデスが)いないんだな、という感じですね。本当なんだって…」と、これまで実感がわかなかった気持ちを明かした。
その一方で、「今日は特別な日でしたが、きっと普通にいつも通りやることが、彼が望むことだろうと僕はそう信じていたので…。僕ができることは今日も同じようにやったという1日でした」と、しみじみ話した。」 ーー日刊スポーツよりーー
こういうのを読んでいると、胸が苦しくなってくる。打たれた後、怒るのではなく、「野球って難しいな」言える選手って凄いなぁと思う。記事にあるように、真っ直ぐな人間なんだと思う。次回の契約が年俸30億円とも言われていたというが、そういうことより、その人柄を書いた記事の方が胸に染みる。また、チームメイトたちの反応が、熱さを感じる。
9月28日(水) 曇 16697
曇っているのに蒸し暑い。そんな中で4人で昼間っから飲んでいた。飯食うつもりが、ビールを飲んで、定食食べずにつまんだ。仕事の話なんかしたくなかったが、その話ばかりだった。面子が面子だからしょうがない。どう思っているのか、どうしたいのかというのは判った。秋の計画だけを考えたかったが、そうも行かない模様だ。
帰りに手続きをするのに行った西武線の駅では、「本日の埼玉西武ライオンズ対、北海道日本ハムファイターズの切符は、全て売り切れました」というアナウンスが流れていた。実は迷っていた。久々にプロ野球に行ってみたいなぁと。ここで断念した。先発は、西武が菊池、日ハムは大谷。そう花巻東の先輩後輩の対決。大谷は、完封で15奪三振。1−0で日本ハムが最大11.5ゲーム差を逆転して優勝を決めた。観たかった。野球で1番面白い試合は、8−7と、リンカーが言ったそうだが、これは、野球を知らない人の発言。1番面白いのは、1−0の投手戦に決まっている。しびれるような投手戦。それが優勝を決める試合。先輩後輩対決。最高の舞台設定だった。菊池も今年は調子が良かったし、大谷は二刀流で、大リーグも熱いまなざしで、見続けている。2人とも、岩手県の星になってきた。特に大谷は、子供たちの憧れだろう。
都知事が議会で、所信表明。東京大改革と20回も使い所信を表明した。豊洲の問題や、オリンピック会場の問題など、透明性をもって明らかにしていく覚悟を語った。議場には、多くの都民が駆けつけ、小池知事の言葉に聞き入っていたようだ。ヤジ1つ出ない静けさの中で、その方向性を表した。
9月29日(木) 曇 13754
まだ蒸している。朝は雨が降ったが、その後は、曇だった。新宿によって帰ってきた。
中東和平を実現しようとした、ペレス元首相が死亡した。イスラエル建国世代の政治家は、これでいなくなったという。
夜中、NHKで、『ドキュメント72時間』をやっていた。お盆の長崎を舞台に、花火店を取材。30万円も爆竹を買っていく人。お墓で花火をする人。へっぴり腰で花火を持つ女の子。道路で、大量の爆竹が鳴り続ける。親の初盆に、舟を造り送る人たち。精霊流しの町に、原爆投下の町のお盆に、花火。親父の初盆に、ゴミになるのを承知で30万も買うのは、供養のためという。親に面倒ばかりを掛けたので、こうやって送りたいのだという。それぞれの家族への思いを言っていたが、「こんなんやらなかったら、やってられない」という言葉が、心に響いた。
路面電車の線路がある道路に、ゴミになった大量の爆竹。それを掃除する人たち。長崎のお盆の風景。ああやって、パーっと陽気に送るのは、まるで黒人の葬式で、『聖者の行進』を陽気に騒いで送るのに似ていると思った。明日は、四十九日。盛岡に帰って納骨をする。
9月30日(金) 曇 8622
早朝、新幹線で盛岡へ向かった。弟が向かえに来ていた。今日は、東京もヒンヤリしていたが、盛岡はもっと冷えていた。秋そのものが、そこにある感じだった。家で喪服に着替えて、お寺に行った。叔父さん叔母さんたちがいた。尼さんが、白木の卒塔婆を持ってきて、筆で書き出した。こういうのを観るのは初めてだった。表が出来、裏を書く。それから、納骨堂へ行き、お経を読んだ。
それから、お墓へ行った。石屋がいて、納骨。頭部を除き墓に入れ、頭部は箸で、弟と俺、親父の妹弟が入れ、最後は喉仏を入れた。石で蓋をして坊さんが来て、お経を読んだ。他のお墓に花が添えられている所が結構あった。半分くらいの墓に花があった。こんなに人が来ているのかと、驚いた。地元に密着しているお寺なんだなぁと思った。ここは、小学・中学と通学路。良く通った道の所にある。
それから、みんなで昼食を取った。そばを食べた。叔母ちゃんは段々死んだお婆ちゃんに似てきた。おっとりしているというか、愚痴を言うが、あまり物にこだわらない様な感じだ。嫌みがないので、話を聞ける。それも、笑っているようにして話す。後ろ姿も似てきた。それから、家に戻り着替えして、母親の所に行った。ちょうど、消防訓練をやっていた。車椅子に座っている母親は目を閉じたまま。部屋に戻っても目は開かない。靴下のゴムが肌に食い込んでいたので、ゴムが弱い物に代えて、ベットに寝せて帰ってきた。何の反応もしないというのは、さびしいものだ。
駅に行った。茶店に入りコーヒーとケーキを食べながら話をした。親父の後に、母親も続きそうだ。今年中かも知れない。そんな話をして、改札階へ行くと、梨やリンゴ・キノコなどを売っていた。観ると松茸などもあるが、アミ茸があった。多分、ローカルな茸。普通は取ったら、塩漬けして保存ずる。それを水で戻して、大根おろしで食べるのが美味しい。アミ茸は、ご馳走。思わず弟と顔を見合わせて、買うことにした。子供の頃、美味しく食べた、思い出の味。
アミ茸と 大根おろしが 出会う時 笑顔の食卓 小さな幸せ 風吟
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