断腸亭日常日記 2016年 10月

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行滞在日記です。

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 10月1日(土) 曇 12510

 朝、道路が濡れていたので、雨上がりだった。半袖だと肌寒い。スーパーに行って大根を買ってくるが、9月の台風のせいで、野菜が高い。大根でも倍以上の値段だ。そして、おろしたが、これがめっちゃ辛い。青首のはずなのに、辛いのは、雨のせいかもしれない。アミ茸と一緒に食べた。美味しいが辛すぎる。ほのかな、茸の味と香りが、控えめだ。それでもプリプリした歯ごたえが心地よい。納豆に混ぜても美味しいなぁと思った。

 明日、パリで凱旋門賞が行われる。マカヒキが現地でも2番人気になっているという。日本馬が初めて優勝できるか。ルメールは、みんなプロフェッショナルと言っていたが、厩舎も100%に持ってきているようだ。後は、スタート後の位置取りと、ルメールの腕次第。明日の日本時間23時過ぎに結果が判る。そして、このレースから、外国の大レースの馬券が買えるようになる。楽しみな秋。そして、GTが始まる。明日は、ビッグアーサーだと思う。勝負の秋が始まる。


 10月3日(月) 雨 20179/2

 台風の影響で雨が降っている。明日は、32度になるという。沖縄の方から台風の影響が出るらしい。女子ゴルフの日本オープンで、17歳高校3年生のアマチュアの畑岡奈紗が優勝した。宮里藍が、高校生でプロを相手に優勝したときも、驚いたが、今回の日本オープン優勝は、世界が変わるくらいの出来事だ。女子プロの会長の小林浩美は、畑岡奈紗を、30年に1人の逸材と褒め称えた。

 今回日本オープンに、半分近くのアマチュアの出場した。3日目首位に立った、長野未祈は、15歳。この2人だけが突出しているのでなく、有望な高校生アマチュアの選手は複数いるという。凄いことだ。畑岡奈紗は、世界ジュニア選手権を2連覇した実力と言う。東京オリンピックを目指すという。


 10月4日(火) 晴 13333

 昨日、ノーベル賞が発表され医学生理学賞を大隈良典さんが受賞した。

 「2016年のノーベル医学生理学賞を東京工業大栄誉教授の大隅良典氏(71)に授与すると発表した。大隅氏は生物が細胞内でたんぱく質を分解して再利用する「オートファジー(自食作用)」と呼ばれる現象を分子レベルで解明。この働きに不可欠な遺伝子を酵母で特定し、生命活動を支える最も基本的な仕組みを明らかにした。近年、オートファジーがヒトのがんや老化の抑制にも関係していることが判明しており、疾患の原因解明や治療などの医学的な研究につなげた功績が高く評価された。

 生物は飢餓状態になると、自らの細胞を作り替えたり休眠状態になったりして乗り切ろうとする。このことは、哺乳類の冬眠や、粘菌がアメーバ状態から胞子を形成することなどを通じて古くから知られていた。細胞の内部で自らのたんぱく質を分解する仕組みがあることは1960年代に、ベルギーのドデューブ(74年ノーベル医学生理学賞)がマウスの臓器で見つけ、オートファジーと名付けていたが、分子レベルでは未解明のままだった。

 大隅氏は東京大助教授だった88年、微生物の一種・酵母を栄養不足で飢餓状態にすると、液胞と呼ばれる小器官に小さな粒が次々とたまっていく様子を顕微鏡で見つけた。酵母が自らの細胞内にあるたんぱく質などを液胞に運び込み、さまざまな酵素を使って分解するオートファジーの過程だった。

 さらに93年、飢餓状態にしてもオートファジーを起こさない酵母を14種類見つけ、正常な酵母と比較することで、オートファジーを起こす遺伝子を突き止めた。この遺伝子は酵母以外の動植物の細胞でも相次いで見つかり、この分野の研究は大きく進展した。

 オートファジーは酵母のような単細胞生物からヒトなどの高等生物に至るまで共通して持っており、生物が生き延びるための基本戦略となっている。近年はパーキンソン病やアルツハイマー病などに共通する、神経細胞での異常なたんぱく質の蓄積を防ぐ働きをしていることが分かってきたほか、がん細胞の増加や老化の抑制にも関与していると考えられている。

 大隅氏の発見を機に、年間数十本だった関連論文は今や同4000本にまで急増。近年最も発展している研究領域の一つとなっている。」 ーー毎日新聞よりーー

 オートファージを起こすのは、酵母。しかし、それを起こす遺伝子があるという。科学とはロジックによって成り立っている。それを、基礎研究の積み重ねによって糸口を見つけようとする。言葉を変換すると、基礎研究とは、経験である。その経験を基に、ファエナを構成する。こうすればこうなるというのは、ロジックであり、経験によって得た自信だ。上手くいくときは、酵母が働いているのだろう。今は、これ以上言葉と言葉の構成が出来ない。どれとどれを結びつければ、解りやすいのか、考えよう。

「トリコ」に出てきた!

「オートファジーって、トリコの世界だけの話と思いよったわ」という声もあった。

メジャー誌のヒット漫画に、オートファジーが登場したことを喜んだのは、少年漫画愛読者だけではない。登場時に、長年、オートファジーを研究していた科学者も嬉しそうに感想を書き込んでいたのだ。

科学者も驚いた正確さ

オートファジーはギリシャ語で「自分」を意味するオートと「食べる」を意味するファジーを組み合わせたもの。

科学用語を一般向けに解説するのはただでさえ難しい。少年漫画、それもエンタメ色の強い漫画のトリコの説明はどこまで正確なのか。実は、とんでもなく正確だったという。

大阪大の吉森保教授(細胞生物学)は登場時、自身のホームページに公開した記事で「うーむ、感無量」「好い加減な英文総説真っ青の極めて正確な説明までついている」と手放しの大絶賛。

「なんと連載漫画の中にオートファジーと書かれているではないか! 読み間違いではなく、紛れもないオートファジー、しかもカッコして自食作用と正しい日本語訳も付いているし。さらには次のページには『オートファジー(自食作用):栄養飢餓状態に陥った生物が自らの細胞内のたんぱく質をアミノ酸に分解し一時的にエネルギーを得る仕組みである』という、好い加減な英文総説真っ青の極めて正確な説明までついている」

「うーむ、感無量… ついにオートファジーもここまできたかあ。苦節10数年、やーいやーいオートファジーと蔑まれ続け(嘘ですが)、それが天下の少年ジャンプに…もう思い残すことはない(って大げさな)」

大隅さんと並んで紹介されたことも

大隅さんとともに、長年研究を続けてきた、東京大大学院の水島昇教授が、2011年に出版した著書「細胞が自分を食べる オートファジーの謎」には、「トリコ」の名前こそないものの、こう書かれている。「『週刊少年ジャンプ』の漫画のなかで、あるヒーローのオートファジーが活性化される場面が登場した」。

これは、冒頭「はじめに」で、2番目のエピソードとして紹介されている。水島さんがいう漫画は間違いなく「トリコ」を指している。 ーー中略ーー

伝わる研究者の情熱

研究者の情熱は、確かに広がっている。それにしても、大隅さんはどうして、こんな研究を続けられたのだろう。ヒントは、本人の言葉にあった。学生にこんな言葉を贈っている。

「私が皆さんにお伝えしたいのは、科学の道を志すのであれば、人がまだやっていないこと、そして、自分が心底面白いと思えることをやって欲しいということです。研究には苦しさが伴います。しかしながら、その研究テーマが自分にとって魅力的で面白いものでさえあれば、たとえ一時期不遇であっても、苦しさは必ず乗り越えることができます」(東工大のHP) 」 ーーBuzzFeed Japanよりーー

 誰もやったことのないものをやる。そういうモノは非常に難しいだろう。でも、何かをするなら、それを目指さないと出来ないだろう。


 10月5日(水) 曇 5966

 台風18号は、風速60メートル近い強風と雨で、沖縄地方に被害を与え、朝鮮半島付近から東に進路を変えて、日本列島の日本海側を通り、6日未明には三陸沖に抜ける模様。

 今年のJR東海のそうだ、京都へ行こうは、天竜寺。あの池の向こうの紅葉と、嵐山の借景が使われている。今年は、スペインに4回行って、これで京都へ行ったら、罰が当たるなぁと言ったら、そんなことないです。行けるときに行ったかないと、行けなくなります。と、言われた。そういわれると、行って良いんだという気分になる。予約は入れているが、どうするかと思っている。紅葉か、それとも12月料亭の料理展示会の辺りにするか?

 競馬観るなら、11月が京都開催。競馬の翌日に紅葉が楽しめる。くまさんに、京都は何処が良いか、訊いたら、京都より滋賀が良いと言っていた。去年、湖東三山へ行った。確かに素晴らしかった。結衣さんに訊いてみるのも良い。7日シーラさんが来るので、MEGUさんとも相談しないといけない。26日、27日が競馬的には良いのだが・・・。どうするか。紅葉は、その年によって、時期が微妙にずれる。ホテルの予約もこの時期は厳しい状態だが、京都以外ならまだ、空きがある。


 10月6日(木) 晴 9790

 今日も振る。ボトルに入れた、インスタント・コーヒーを、少量の水で溶かすために、振る。砂糖はスプーン1杯ほど。約30秒振ると、泡になる。それを、カップに入れる。それから、牛乳を入れる。ギリシア風コーヒーの出来上がり。最近、家で飲むコーヒーはこれ。つまり、『ためしてガッテン』でやっていたコーヒーだ。熱を加えなくても、出来るコーヒー。泡立つ物は、ゴールド・ブレンドより、セブンで売っている、セブン・ブランドのインスタントが、泡が立つ。今年のサン・イシドロの時も、泡コーヒーをスペインで飲んだ。

 ようやく、オイゲン・ヘリゲルの、『弓と禅』が届いた。読むのが楽しみだ。


 10月7日(金) 晴 8484

 今日、虎ノ門ヒルズから、銀座などを、オリンピック、パラリンピックのメダリストたちがパレードした。80万人が集まったという。NHKは中継して、その模様を伝えた。夜、元闘牛の会のメンバーと食事した。シーラさん夫婦が東京に出てきたので、MEGUさん夫婦と会った。Sさんから紹介された店で、ビールを飲みつまんだ。蕎麦屋なので、締めはそば。3種類あるそばから、更級以外の、江戸前と田舎そばを食べた。つまみも美味く、そばも美味しかった。久々の会食。しかも、門前仲町。久々に門仲いったが、やっぱり色々な飲み屋や食べ物屋が一杯ある。東西文化センターで、闘牛の会をやっていた時以来だと思う。


 10月8日(土) 雨のち曇 7567

 朝から雨が降って嫌な気分。午後になり雨が上がった。漱石って、イギリスで、発病した様だ。帰国後、家族に当たり、猫を飼うことによって、気持ちが穏やかになり、家族とも折り合いをつけれるようになったようだ。猫伝を書くことによって、何かを吐きだしたのだろう。

 オイゲン・ヘリゲルの、『弓と禅』は、思ったより読みやすい。気のせいか?こんなんだったら、直ぐ読めると思うが、土日月と忙しいので、読む暇はないだろう。


 10月9日(日) 雨のち曇 5660

 昨日と同じく、朝方から降り出した雨が昼過ぎには上がった。ピアニストのグレン・グールドが愛読した漱石の、『草枕』訳書を2冊以上持ち、100回以上読んだという。風太郎は、定期的に漱石を読み、その度に、新たな発見があると言っていた。漱石は、色んな事に苦しみ、悩んだ。それが、時代を超えた、普遍性をもつことになったのだろうと思う。

山路やまみちを登りながら、こう考えた。
 に働けばかどが立つ。じょうさおさせば流される。意地をとおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさがこうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいとさとった時、詩が生れて、が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、つかの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命がくだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするがゆえたっとい。
 住みにくき世から、住みにくきわずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、である。あるは音楽と彫刻である。こまかにえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌もく。着想を紙に落さぬとも※(「王+膠のつくり」、第3水準1-88-22)きゅうそうおん胸裏きょうりおこる。丹青たんせい画架がかに向って塗抹とまつせんでも五彩ごさい絢爛けんらんおのずから心眼しんがんに映る。ただおのが住む世を、かくかんじ得て、霊台方寸れいだいほうすんのカメラに澆季溷濁ぎょうきこんだくの俗界を清くうららかに収めればる。この故に無声むせいの詩人には一句なく、無色むしょくの画家には※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)せっけんなきも、かく人世じんせいを観じ得るの点において、かく煩悩ぼんのう解脱げだつするの点において、かく清浄界しょうじょうかい出入しゅつにゅうし得るの点において、またこの不同不二ふどうふじ乾坤けんこん建立こんりゅうし得るの点において、我利私慾がりしよく覊絆きはん掃蕩そうとうするの点において、――千金せんきんの子よりも、万乗ばんじょうの君よりも、あらゆる俗界の寵児ちょうじよりも幸福である。
 世に住むこと二十年にして、住むに甲斐かいある世と知った。二十五年にして明暗は表裏ひょうりのごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日こんにちはこう思うている。――喜びの深きときうれいいよいよ深く、たのしみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。かたづけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものがえればも心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足をささえている。背中せなかには重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えばらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……」  ーー『草枕』夏目漱石よりーー

 漱石の精神もそうだったように、微妙なバランスで、何とか保っていたのだろう。何とかしようと思っていたから、禅寺で座禅を組んだりしたのだろう。


 10月10日(月) 曇 7553

 もう夜や、早朝は、ヒンヤリしている。昼暑いと思って、クーラーをかけても、日が暮れると肌寒い。吉本隆明の『共同幻想論』という本がある。吉本は、国家とは共同の幻想であると説く。集団の最小単位、家族も同じなのだろう。全共闘世代のバイブルの様な本だった。読んだ記憶があるが、ほとんど覚えていない。内容より、共同幻想という言葉にひかれていたのだと思う。それは、『芸術的抵抗と挫折』にしても同じだと思う。

 99年4月17日のセビージャの闘牛場での、クーロ・ロメロを思い出す。牛が出てきて、クーロがカポーテでベロニカ繋ぐと、「オーレ」の大合唱が起きた。レマテのメディア・ベロニカして、牛に背中をみせて歩き出すと、大喝采。観客は狂喜している。大勢が笑い声を上げている。笑いながらの拍手。何なんだろうこれは。闘牛場に、異質の空気が流れていた。美しくもない、姿勢が綺麗な訳でもないベロニカ。しかし、それに狂喜している。

 意味が解らなかった。この人たち、闘牛を知らないのだろうか?とも思った。やがて、そういう気持ちが変化した。あの当時、闘牛場でスペイン人に、好きな闘牛士はと、訊くと、必ずといって入っていたのが、クーロ・ロメロだった。ファン・カルロス国王の母、バルセロナ公爵夫人は、良く闘牛場へ来ていたが、1番のご贔屓が、クーロ・ロメロということだった。ファエナになっても、腰の入っていないデレチャッソ。ただ振っているだけに見えるトゥリンチェラ。これなら、その辺いる闘牛士の方が、ずっと素晴らしいと思った。

 その時だった。共同幻想という言葉が頭に浮かんだのが。そこで行われている闘牛が良いのではない。そこで行われている闘牛を観て、これが闘牛だと観客が幻想している。つまり幻覚を観ているのだ。その幻想・幻覚に、酔っている。そうさせているのは、クーロ・ロメロ。その日テレビ中継したフェルナンド・ロマンは、「Esta plaza un manicomio. Es manicomio. 」と、絶叫していた。つまり、闘牛場が精神病院になったと、言っているのだ。観客を、狂わせるクーロ・ロメロ。

 レマテでダンダ・デ・ムレタソが終わると、観客は立ち上がり喝采を送る。中には、クーロ・ロメロに指ををさして笑っている。ああいう風に、狂喜する観客を観るのは非常に珍しい。剣が決まると、テレビでは、フェルナンド・ロマンは、最低でも耳2枚と、言った。あの闘牛場の雰囲気をそのまま言葉にしている中継だった。

 ダリの絵に、『幻覚剤的闘牛士』というのがある。闘牛場の観客が、共同幻想した闘牛というのは、また観たいと強く思うだろう。それが、癖になるという意味で、幻覚剤的闘牛士が、クーロ・ロメロなのだと思う。スペイン人のメンタリティーの中には、こういう物が存在する。いわゆる、ドゥエンデというは、こういう闘牛の事をいうのだというのを実感した闘牛だった。ハビエル・コンデ、ラファエル・デ・ラ・パウラとかもそうだ。モランテ・デ・ラ・プエブラがそうだというスペイン人が最近増えたようだが、モランテは昔から観ているからそう思わないのだ。彼の本質は、アルテの闘牛士。ノビジェーロの事からそう感じている。変わったのは、ラス・ベンタス闘牛場で、ウニコ・エスパーダを失敗してから精神を病んで、自己暗示のように、ドゥエンデ系闘牛士になろうと振る舞っているような気がする。

 それにしても、カポーテ持って牛に向かっていくと、闘牛場がシーンとなることや、あの狂喜を沸き起こす魔力は何なんだろう?10回に1回しか良い闘牛をしないクーロ・ロメロ。モランテも、普段良い闘牛をしなくても、批判が気にしなくて良いように、自己防衛をしているとしか思えないのだ。そして、クーロ・ロメロのように、シレンシオ(沈黙)が1番怖いとうそぶくのだろうか?

 クーロは、昔ほとんど何もせずに、バジャドリードでは、観客に、segunda divicion (リーガ・エスパニョーラでいえば、2部リーグ)と笑われ、トレドでは、あまりに非道く、退場時に、座布団の雨が降るだろうと思っていたら、先に人知れず退場していたため、失笑が起きた事があった。それなのに、セビージャでの耳2枚、ラス・ベンタス闘牛場での耳1枚を観たというのは、貴重な財産になっている。

 ちなみに、小説家、吉本ばななは、隆明の次女である。読んだことないけど。


 10月11日(火) 雲 5032

 今日は、今年1番の冷え込みになった。もう半袖では、耐えられなくなって来た。撮ってきた闘牛のビデオの録画を始めた。心配していた逆光の影響は、思ったよりも少なくホッとしている。アボノで撮っているので、アングル、逆光、その他の条件を、あらかじめ想定できる点が、負の要因を減らすことが出来たのだと思う。時間がないので、ビデオカメラ2台を使って、DVDの録画用と、撮ってきたモノを観る用に分けて、編集の手間を節約している。


 10月12日(水) 曇 10101

 朝夕の寒さは、立冬を過ぎ寒露が過ぎいよいよ秋めいてきた。読書の秋。天高く馬肥ゆる秋。実りの季節。食欲の秋。闘牛のビデオを観ていると、あっという間に、時間が過ぎていく。闘牛場で闘牛を観たとき感じた感覚と、ビデオを観て感じることの差異があるのは当然だ。それが、また面白いともいえる。ある人にいわせると、だから、現場で観た記憶を鮮明にするために写真は撮らないと。それも、一つの真理ではある。人は観た物、感じた物をどう語るかの積み重ねで、そのことが広がって行ったのだから・・・。

「師範の道場では、最初にたやすくこなす人は後にはそれだけこなすのが難しくなるという諺がはやっていた。」 ーー『弓と禅』オイゲン・ヘリゲル著よりーー


 10月13日(木) 曇 9818

 寒くなった。そういう季節だ。後1ヶ月ちょっとすれば、紅葉で葉が色づき、人の心を揺り動かせる。

「信繁 「まもなく戦が始まる。徳川が大阪城へ攻めかかる。おお戦だ。豊臣に加勢して欲しいと頼まれた。」
きり 「いつかこんな日が来るような気がしていた。行くの?」
N「ことわった。行きたいと思った。だが、今の私にはもっと大事な物がある。」 K「お行きなさいよ。」 N「驚いたな。」 K「何よ」 N「止めるのかと思った。」 K「どうして。」
 N「向こうには、淀の方様がいる。前に言ってたな。あの方は、人を不幸にすると」
K 「でも、あなたは行きたいと思っている。だったら、行くしかないでしょう。あなたに来て欲しいと思っている人がいるんでしょう。助けを求めている人がいるんでしょう。だったら」
N「私に何が出来るというのだ。」 K「そんなのやってみなきゃ、分からない。」 N「大軍をひきいて敵と戦った事などない。」 K「真田安房守昌幸。徳川と2度戦って、2度勝った男。あなたにはその血が流れている。」
N「誰も私には付いてこない。 K「真田源二郎は安房守の息子。戦上手に決まってる。この人に従っていれば間違いない。誰も疑わないわ。ほとんど、戦に出たことがないなんて。後は、はったりよ。」
N「ふっ。」
K「ここで一生終えたいの。それで良いの。あなたは何のために生まれてきたの。」 N「私は幸せなんだ。ここでの暮らしが。」
K「あなたの幸せなんて訊いてない。そんなの関わりない。大事なのは、誰かがあなたを求めているという事。今まで何をしてきたの。小県にいる頃は、父親に振り回されて、太閤殿下に振り回されて、」
N「振り回されていたわけではない。自分なりにいろいろ考え、力を尽くしてきた。」
K「何を残したの。真田源二郎がこの世に生きたという証を。何か一つでも残してきた。聚楽邸の落書きの咎人、とうとう見つからなかったよね。沼田を巡って談判したけど、最後は北条に取られちゃった。氏政様を説き伏せに、小田原場へ忍び込んだみたいだけど、氏政様が城を明け渡したのは、あなたの力ではないですから。後から会いに行った、何とか官兵衛様のお手柄ですから。何もしてないじゃない。何の役にも立ってない。誰のためにもなってない。」
N「うるさい」
K「私の大好きだった、源二郎様は何処へ行ったの。がむしゃらで、向こう見ずで、やんちゃで、賢くて、明るくて、度胸があって、キラキラしていた。真田家の次男坊は何処へ行ったのよ。あたしが胸を焦がして、大阪まで付いていった、あの時の源二郎様は」
N「うっとうしんだよ、お前は。」
K「分かってるわよ、そんなこと。」
N「何か良いこと言っていたと思ったら、大間違いだ。思い上がるな。お前の言ったことくらいはなぁ、とっくに、自分で問いかけておるわ。」
K「もう言わない、2度と。」
N「きり。だが、自分で問いかけるよりも、お前に言って貰う方が、よほど、心に染みた。礼を言う。」

回想シーン。秀吉「関白、豊臣の秀吉である」「これからは、儂とおぬしで、新しい世を築いて行くのだ」「死にとうない。」「秀頼のこと、頼む。」 淀の方「割と好きな顔」 「おかしな話をする。私と源二郎は、不思議な糸で結ばれている気がするのです。離ればなれになっても、いつか戻ってくる。そして私たちは、同じ日に死ぬ。」 三成「徳川屋敷に夜討ちをかけ、家康の首を取る」 謙信「義をないがしろにする者。儂は断じて許すわけにはいかん」 宇喜田「それがしは、殿下のために生き、殿下のために死に、殿下のために舞うのみ」 氏政「日の本を分ける、おお戦をやってみたかったわ」 正宗「何万という大軍をひきいて、敵を蹴散らしたい」 利休「一言でいえば、定めや」 ルソン助佐衛門「このルソン助佐衛門、あらゆる弱き者たちの守り神でござる」 三成「何故だ。なにゆえ伏見を追われなければならぬ」 母薫「どうしてそのような小細工をするのです。何故正々堂々と向き合わないのです」 出浦「お前は、やさしすぎる」 叔父「これだけはいっておく。儂のようにはなるな」 信之「源二郎。本当は気の利いたことの一つも言ってやりたいのだが、儂は今、いわびつの城を任され、それだけでいっぱいいっぱなのだ」 昌幸「おお博打の始まりじゃぁ」 「城は、大きければ攻めにくいというものではない。むしろ、大きいと守りの手薄な所が必ず出来る」 「いずれ必ず、豊臣と徳川はぶつかる。その時は、ここを抜け出し、お前は、豊臣に付け」 「これより話すは、徳川に勝てる、ただ一つの道。十年かけて、儂が考えた策じゃ」 梅「大事なのは、人の命を出来るだけ損なわないこと。そんな気がいたします」 江雪斎「おぬしのまなざしの奥に、くすぶっているおき火が見える」 大谷「己が正しいと思う道を行けばいい。それが、真田左右衛門助の進むべき道じゃ」 謙信「死に様は、生き方を写す鏡。己に恥じぬよう、生きるのじゃ」 「人は誰も、定めをもって生まれてくる。遅いも早いもない。おのが定めに気づくか、気づかぬか」 「見ているぞ、婆は」

 楓が色づく秋の頃。信繁は、それから名を幸村に改め、戦の準備を始める。 」 ーー『真田丸』よりーー

 忙しくしている。時間は24時間公平にあるが、もっと欲しい気がするくらいだ。


 10月14日(金) 曇 10636

「抜け出す道があるはずだと、ペテン師が泥棒に言った。」 ーー『見張塔からずっと』ボブ・ディランよりーー

 昨日、ノーベル文学賞が発表され、ボブ・ディランが受賞した。思わぬ受賞にビックリし嬉しさが込み上げてきた。今まで取らなかったのが不思議なくらい、当たり前のことのように、すーっと入ってきた。一体どれだけの時間ボブ・ディランを聴いてきたのだろう?『偉大なる復活』以降は、リアルタイムで、アルバムを買って聴いてきた。ザ・バンドとのライブ・アルバム『偉大なる復活』の初めの曲、『我が道を行く』もかっこいいが、なんと言っても、生ギター1本とハーモニカで歌った、2枚目のA面の2曲が極上。『くよくよするなよ』『女の如く』。声の張り、声量は、胸に迫る。原曲と全く違ったアレンジで、歌い上げる迫力は、生きるパワーを感じる。

 1番好きなアルバムは、『血の轍』。『運命のひとひねり』『君は大きな存在』『愚かな風』『彼女にあったらよろしく』『嵐からの隠れ場所』『雨のバケツ』と名曲揃いだ。文字通りすり切れるほど聴いた。LPで3枚くらい持っている。ノイズが非道くて、新しいLPを買ってくるわけだ。良いことがあっても、悪いことがあっても、良く聴いた。阪神が優勝した時も、帰ってきて、『運命のひとひねり』を何回も聴いて酒を飲んでいた。

 今頃、アメリカでは、古くからロックの事を書いているライターたちには、出筆依頼が殺到しているのだろう。音楽業界、あるいは、アメリカの象徴として語られるのかも知れない。60年代公民権運動やヒッピー文化と絡めて語られるだろう。ビートルズやローリング・ストーンズ他、米英の音楽業界へ与えた影響力は、凄い物がある。でも、もっと個人的な部分で好きなのだ。それは、誰よりも、僕自身へ与えた影響が大きかったのだ。歌を聴いていて落ち着いたし、勇気もでた。そうやって、少しずつ大人になった。吉田拓郎は、ディランがいたから今の自分があると、言っていたが、それに近い感情だ。拓郎は、音楽業界で成功した自分をそういっているのだろうが、非常に個人的に、そう思っている。

 僕の人生に大きな影響を与えた1人だ。他には、上野昂志、山田風太郎。闘牛士では、セサル・リンコン、ホセリート、オルテガ・カノ、ホセ・トマスになる。


 10月15日(土) 曇 10316

 鼻毛や、丸めた鼻くそを机の上に置いて、眺めたりしていた漱石。一方、道玄坂を毎日同じ時刻に、馬に乗って通っていた鴎外。正反対の2人だ。漱石は、幼い頃、養子に出されたため、いつも、親から捨てられたという、思いが強かったようだ。風太郎は、幼くして両親と死別する。中学の頃、ぐれて先生から目をつけれていたという。子供の頃の思いは、大人になってから大きな影響を与える。

 風太郎の小説には、驚かされる事が多い。死んだ後、いろいろな雑誌で特集が組まれたが、その中にあった1枚の絵に目を奪われた。タバコの煙をくゆらせ、右手の人指し指と中指の間にタバコを差し、表情は、煙いのか眉にしわを寄せ、つまらなそうな顔をしている。風太郎の自画像。そもそも、自分を良くみせようなどとは、つゆほども思っていない。誰かに見せようと思って描いていないからかも知れないが、自分も見つめていることがよく判る。

 絵を描くのが好きで、これだけの描写が出来るなら、絵描きでも大成したのではないかと思ってしまう。この画力は、医学生だったときに、臓器などをノートに書くときに役立っただろうと思う。風太郎が、漱石の小説の中に、親に捨てられたという思いを、読み取っていたのかは知らないが、そういうところを感じ取っていたのかも知れないと思う。

うつむいて 膝に抱きつく 寒さかな  漱石

 こういう俳句を読むと、漱石ってさびしかっただろうなぁと思う。ノーベル賞の委員会は、文学賞発表後、ツアーマネージャーなどとは話は出来ているが、ディラン本人とは、話はしていないと言っている。当日、コンサート会場を満席にしたボブ・ディラン。一言も、ノーベル賞のことについて話さなかったという。ディランらしいよなぁ。


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