断腸亭日常日記 2016年 12月 その1

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年のスペイン滞在日記です。
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 12月16日(金) 晴/曇 12144

 区役所行ったりしていたが、郵便局へも行って来た。本社へ寄ってから上野へ。若沖展以来の東京都美術館で、ゴッホとゴーギャン展を観る。風景画も良いが、ゴッホは人物を描いた方が好きだ。自画像は勿論、他の人を描いた絵も良い。昔、向日葵の絵を観たが、段々枯れて来る向日葵になってくる。ああいうのを観ていると、その心象がああいう絵になって表現されているのかと思うと、ある意味、分かり易いのだが、切なくなって来る。

 ゴーギャンとの関係がおかしくなって、左の耳を切り落としてしまうゴッホ。スペインのポップ・グループで、一時期物凄い人気があった、ラ・オレハ・デ・バン・ゴッホ。バン・ゴッホの耳という名前。実は売れたアルバムを、エル・コルテ・イングレスのCDコーナーで聴いて、面白いと思って買ったCD。それが爆発的にその年に売れた。色んな音楽的な要素が入っていて、音楽的に面白いと思ったのと、ボーカルの女の声が良いなぁと思った。

 ゴッホの耳って名前だけど、これって残っている右の耳?それとも切り取った左の耳?と思った記憶がある。スペイン語的には、オレハと単数形だが、両耳の事をいうとスペイン人が言っていたが・・・。そうなると、両耳があったときのゴッホなの、それとも左耳を切ったあとのゴッホと、また、考えてしまう。

 ところで、ゴーギャンだがタヒチに行くまでは、ゴッホに会って、ゴッホに影響を与えたが、タヒチに行ってからの絵の方がインパクトがある。あまり、言葉がない。昔、もっと言葉を持っていたが、忘れてしまった。


 12月17日(土) 晴 10384

 「望みを捨てぬ者だけに、道が開ける」と、『真田丸』で、真田幸村が、言った。『歴史秘話 ヒルトリア』真田丸を掘る、で、夏の陣で、道明寺では、古墳を、もう一つの真田丸に仕立てた話が出、茶臼山ももう一つの真田丸に仕立てたという話が出た。最後まで、幸村は、勝利を信じて策を練っていたという事だ。

 闘牛の会(TTT)を辞めるとき、もう人の為に何かをすることは辞めようと思った。しかし、自分が開いている闘牛ビデオ会があるので、そこでやれることはやろうと思うようになった。今年になって、THさんと知り合って、こういう人には、ちゃんとしないと駄目だなぁと思った。THさんの理解力は、スペインに住んでいることもあって、抜群に良い。それは、ビックリするような事だ。闘牛の話をしていてもTHさんは、下山さんと違った刺激を受ける。闘牛士だけじゃなく、牛や他のことにも好奇心旺盛だ。そういう人というのは、なかなかいない、素晴らしい感覚だと思う。

 来年は、ホセ・トマスがラス・ベンタス闘牛場に出場すると思うので、サン・イシドロを中心に観ようと思っている。おそらく、サン・イシドロ後の6月に出場するのではないかと思っている。バルセロナでも闘牛が再開すれば行きたいと思っている。そんな感じで予定が組めれば良いなぁ。


 12月19日(月) 晴 33263/2

 今年は、京都の紅葉が素晴らしかったが、わりと温かい冬である。いつもなら今頃は、ダウンジャケットも厚手の物に変わっているが、まだ、薄いダンジャケですんでいる。日曜日のクラブ・ワールド・カップ決勝。試合は、もつれて2−2で、延長戦になり2−4で敗れた。しかし、世界中のサッカーファンやサッカー関係者に、衝撃的なインパクトを与えた。

 レアル・マドリードの選手の年俸総額68億円に対して、鹿島の選手の年俸総額は4億5千万円。1/15以下の年俸のチームが対等に試合をした。多くのサッカー関係者がそのプレーの質の高さに驚いたと思う。2得点決めた柴崎は、漫画キャプテン翼例えられて語られ、セツヒオ・ラモスは退場だった、物議を醸し出している。そのことについて、鹿島の石井監督は、審判が勇気がなかったと、語り悔しさを滲ませた。リーガの元審判や、アメリカのメディアは、退場だったと断言している。もし、後半44分のあの時、退場になっていたら、結果は変わっていただろう。

 柴崎の2点で、2−1と逆転した後、PKを取られたシーン。山本修斗はボールに行っているが、触れることが出来ずに空振りの状態で、ぶつかった。審判の立っている位置から見ると、倒したように見えたのだろうと思う。うちの高校の斎藤監督は体に行けとは、教えていないと思う。それが交差点で90度の角度でぶつかるような形になり空振りじゃ・・・。解説者の岡田元監督は、かわいそうだと、言っていたが・・・。これも、判定。きびしー!!!

 スペインでは、鹿島の守備が凄く良かったと、評判になっている様だ。必死になってスター軍団にプレスを仕掛けて、チームで守備する姿は、日本人だけではなく、世界中のサッカーファンやサッカー関係者の胸を届いたと思う。小笠原は、優勝しなかったら、2位も最下位も一緒という。これは、ジーコが鹿島に植え付けた勝者のメンタリティーだ。チーム全員が、本気で勝とうと信じてプレーした。技術やスピードは勝てない。それを補うのは、全員のそういう気持ちと、必死さだ。だから、観ている人の心に届くのだ。そして、スコアからも、接戦になればなるほど、相手にプレッシャーになっていく。

 サッカーは相手があって成立する。いくら、場慣れしたスター軍団も、この状況でミスが多くなっていた。行けそうな感じだった90分頃、セルヒオ・ラモスの疑惑の判定があった。だからこそ、「英『Telegraph』も、「鹿島は素晴らしかったし、レアルを本当に驚かせた。主審が最初のリアクション通りセルヒオ・ラモスを退場にしていれば、より良い結果だったかもしれない。また、鈴木優磨のヘディングが決まっていれば今頃PKだったかもしれない」と奮闘した鹿島を称えている。」 ーーtheWORLDよりーー

 テレビを観ていてビックリしたのは、クリスティアーノ・ロナウドがゴールを決めた時より、鹿島の柴崎がゴールを決めたときの方が、歓声が大きかった。スタジアムでは、途中から3位になった、アトレティコ・ナシオナルのファンや他の国のファンが、日本人に混ざって鹿島を応援していたという。それは、歴史の証言者になりたいという気持ちからだったのだと思う。

 試合後、ジーコやレオナルドといった、鹿島で活躍したブラジル人は、鹿島を讃えた。それは、世界30万あるサッカーチームの頂点に、予算規模で1/15以下のチームでも対等に戦える事を世界に示したという事実。そして、そういうチームでも世界一に成れる可能性を、世界に感じさせた事が重要だ。ジーコが植え付けた、勝者のメンタリティー。それを実践した鹿島。伝統とは、強いから受け継がれるのではない。正しいから受け継がれるのだ。だから、結果として強くなるのだと思う。夢は儚く散っても新たな夢が観れる予感がした。

 鹿島が必死じゃなかったら、試合はつまらない物になっていただろう。その姿が美しいと思うから、日本人だけじゃなく他の国の人も応援した。闘牛でも必死さが伝わらない闘牛はピンと来ない。そして、諦めずにやり続けた。そこに、観ている人が感じた。だから感動が生まれる。

望みを捨てぬ者だけに、道が開ける

 これから、録画していた『真田丸』最終回を観よう。


 12月20日(火) 晴 9847

 脚本の三谷幸喜が、大河にふさわしいラストになっていると、言っていた『真田丸』。大阪夏の陣の「7年後、真田信之は、松代藩十万石の大名になった。そして幕末、徳川幕府崩壊のきっかけを作る、天才兵学者 佐久間象山を生み出すことになるのだが、それはまだ遠い先の話である。」 ーー『真田丸』よりーー

 今年秋京都に行ったとき、1番初めに行ったのが、妙心寺塔頭大法院。そこは、真田の菩提寺である。信之以下の松代藩主の墓があるのだが、その横に、佐久間象山の墓もあった。『JIN−仁』で、南方仁が京都で手術したのが佐久間象山。ドラマの設定では、未来を観て戻ってきた男だった。

 日本一の兵(ひのもといちのつわもの)、真田佐衛門佐幸村は死ぬ。大事なのは、いかに生きたかということ。幸村の墓はいくつもある。京都には2カ所。龍安寺塔頭大珠院。鏡容池の弁天島というが、あそこにはない。その向かい大珠院の中にある。非公開なので観れない。もう一つは、妙心寺塔頭養徳院。真田家系譜に書いているというが、ここも非公開。

 戦には、潮目という物がある。戦局が有利にはたらいていても、潮目に乗れないと勝てない。家康の首を取るすんでの処まで行ったのに、潮目が変わり戦に敗れる。
望みを捨てぬ者だけに、道が開ける

 それも、覚悟をもっている者だけに、有効なモノだ。鹿島の様に、そして、幸村のように。それでも、敗れることはある。しかし、楽しかっただろうなぁと思う。伊達政宗が、「見事な戦いぶりよ」といえば、上杉景勝が「武士と生まれたからには、あのように生き、あのように死にたい物だ。」と呟く。羨ましいのだ。自分が出来ない事を、体現していると思ったからだ。生き様とは、自分の満足と、他人の羨望も巻き込めるかどうか。こういう生き方が出来れば、本望だろう。幸村は、そういう生き方をした。そして、江戸時代の講談『真田十勇士』で復活する。そしていまだに語られる事にもなる。

 こういう生き方は、判官贔屓の日本人のメンタリティーにも合致する。慶長20年5月7日49歳で幸村は死ぬ。同じ日に死ぬといっていた淀姫は秀頼と翌日死ぬ。そして、信長も49歳で死んだ。幸村が最後まで握りしめていたのは、おそらく、三途の川の渡し賃、六文銭だったのだろうと思う。


 12月21日(水) 晴 9895

 今日は冬至。この前、休み前に医者に行ったりした。昨日買い出しに行く前NHKで、おおたか静流が出演していた。名前は全然知らなかったが、歌は知っていた。何故なら、一時期、Eテレおかあさんと一緒を録画してよく観ていたからだ。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を方言で読んだり、日本語であそぼうで、コニちゃん(小錦)が出ていたり、狂言の野村萬斎や、講談の国本武春が三味線弾いてがなったり、落語の神田山陽が語ったり非常に面白かった。その中で、大きな帽子をかぶって、意味不明の歌を振り付けで歌っていたのが、おおたか静流だった。その歌は、『ぴっとんへべへべ』。子供たちが楽しそうに歌いながら踊っていた。そして、それを歌っている、おおたか静流は、天才かと思った記憶がある。実は、本当に全く意味のない音を楽しむような歌だったのだという。

 番組では、映画『しこふんじゃった』の挿入歌、『悲しくてやりきれない』を歌った。テレビで歌った歌は、心に浸みた。歌い終わった後、竹下景子が、あーもうなんて素敵なんでしょう。ありがとうございました。あーもうなんか抱きしめたくなりますね。と、言って抱きしめていた。声の音が、透明感があって、余計なことを考えなくても良いような歌声だった。サトウハチローが書いた悲しい詩なのに、加藤和彦の曲を超えた歌声だった。竹下景子は、いとおしさに充ち満ちているとも言っていたが、歌があれほど、ストレートに入ってくる声は、なかなか出会える物ではない。映画の歌よりも、ずっとずっと良かった。勿論、原曲のザ・フォーク・クルセダーズよりも飛び抜けて素晴らしかった。巫女というか、妖精というか、天使というか、そういう声だ。本当に吸い込まれそうな声だ。ファンの間では、妖精と言われているらしい。

 日曜日の朝日杯フューチュリティステークスは、牝馬ながら1番人気になったミスエルテが、直線外から伸びるかと思ったら、脚色が一緒になってしまった。3着にも来れず4着だった。優勝は、先週に続き藤澤和雄厩舎のサトノアレス。鞍上四位洋文。久々のGTだった。今や外国人騎手が全盛になってすっかり騎乗馬が減っていたが、ウォッカなどでダービー制覇や数々のGTタイトルを取ってきた腕が、うなった感じだ。2着モンドキャノン、3着ボンセルヴィーソ。

 ミスエルテから行ったので外したが、途中でモンドから行こうかと迷った。勿論穴馬のボンセルは買っているので、ワイドなら高配当を取れていただろう。結果から言えば、9の法則通りだった。痛いねぇ。そのまま、ミスエルテを切るべきだった。でも、他では、しっかり9の法則で取り溜めていた。それで来ないのなら仕方ないという、腹もくくれるようになって来つつある。中央競馬は今年の大一番で最後を向かえる。そう有馬記念。

 ミスエルテは来なかったが、その日の夜は、鹿島アントラーズがレアル・マドリードを苦しめた。勝つんじゃないかと思った瞬間があった。11日間で4試合。その前のCS3試合も含めると体力的な限界を超えていたのだと思う。もうほとんど、モチベーションだけでやっていた状態で、あれだけ出来た訳だから、たいした物だ。それと、高校野球のトーナメントみたいに、勝っていくほど強くなって行っているのが判った。ディフェンスの対応力が早さにもついていけるようになっていった。


 12月22日(木) 曇のち雨 15547

 今日から寒くなるようだ。ふけが凄くて、髪の毛を触ると、芝居の雪のように落ちてくる。緞帳(どんちょう)を下ろさないと駄目だと思い、洗髪を2度することにした。思惑通りふけは全く出なくなった。最近は1度洗いしかしていなかったが、以前は、2度洗いが基本だった。やっぱり、基本を忘れては駄目だなぁと思った。

 以前行っていた闘牛の会の人から荷物が届いた。中を観に、ビデオが入っていた。オルテガ・カノのビデオだ。もう忘れていた。お礼の言葉と、酒やお菓子りんごなどが入っていた。オルテガ・カノは、あんな事を起こしたが、未だに、憧れの闘牛士に変わりない。91年に観た彼は、闘牛場で輝いていた。忘れた頃に、こういう風に戻ってくると嬉しい物だ。


 12月23日(金) 雨のち曇 24508

 夜中降っていた雨は、朝にはあがっていた。昨日の夜は、風が強く、それ風が生暖かい湿気を含んでいるようで、温かかった。路面など、湿気で濡れていた。今日の朝もまだ、温かかったが、夜になって寒い風が吹いている。強風は、糸魚川市で、大火を起こし、140棟を焼き30時間ぶりに鎮火した。

 街はクリスマス商戦真っ盛り。競馬の後、ビルの地下の商店やスーパーに沢山の人が群がっていた。NHKの朝ドラ『ぺっぴんさん』でも、クリスマス。このドラマビックリするほどのんびりゆっくりしている。主人公すみれの、思いと、家族を描いている。戦後の混乱期、高校の同級生と始めたベビー用品店が、百貨店の目にとまり出店。不器用なすみれは、死んだ母親の励ましと、家に出入りしていた靴屋の店主から物作りの楽しさを教わった。すみれは、いつもマイペース。口癖は、なんか、なんかな〜。すみれがそういうと、何かが変わる。何かが始まる。

 闘牛の会のAさんから貰った日本酒を飲んだら?なんか、なんかな〜?それで表示を見たら、仕込み水の処に、温泉水と書いてあった。もうビックリぽんや。初めて温泉水仕込みの日本酒を飲んだ。


 12月24日(土) 晴/曇 9209

 札幌は大雪が降り、JRは朝から運休して除雪作業をしていたという。1mくらい降った雪に、雪国でも四苦八苦しているようだ。天皇杯準々決勝が行われて、鹿島アントラーズが勝った。レアル・マドリードとあんな試合をしたわけだから、ここで負けていられないだろう。金崎や柴崎は出場しなかったがそれでも勝った。柴崎については、鹿島は、海外行きを覚悟しているという考えのようだ。

 WINSで、隣に座る婆さんは、虫眼鏡で新聞の馬柱を観て、レーシング・プログラムを見比べて、馬券を買っている。独り言のようにぶつぶつ言う。向いの爺さんは、始終ぶつぶつ独り言を言っている。金曜日婆さんは、ワイドで万馬券を取って上機嫌で、向かいの爺さんは今日も駄目で途中で帰って行った。この2人のぶつぶつを訊きながら、馬券を買っているのだが、自分やり方が変わる物ではない。2人とも出目買いをしているようだ。こういう人は意外と多いのだ。はまればでかい配当が得られるが、トータルするとはずれが多い。いつ金を入れるかという、タイミングもおそらく判っていないで買っているようだ。

 それは、いつまで経ってもギャンブルの域を出ない。いつ金を入れればいいか、9の法則で判るようになっている。そこがミソ。確率が高いときに、お金を入れる。そして、勝っていると楽しい。爺さん婆さんも、楽しいんで欲しいと思う。明日も楽しく、競馬。有馬記念だ。


 12月25日(日) 晴 6998

 今日はクリスマス。しかし、大事なのは、有馬記念。朝からWINSへ行った。途中からSが来て合流。有馬は、スタートして逃げ宣言通り武士沢のマルターズアポジーが行って、2番手に武のキタサンブラックが続き、吉田隼人のゴールドアクターが3番手。中段外目にサトノダイヤモンド。向正面から3コーナーの辺りでルメールが、押し上げてサトノダイヤモンドが、キタサンブラックの外にやってきた。Sと観ていて、これ荒れるんじゃないのと思ったが・・・。3コーナーから4コーナーに掛けて、その外に同厩舎、同一馬主のサトノノブレスが、キタサンを突きに行く。ダイヤモンド駄目なの?と、思っていたら4コーナーでマルタース、キタサン、ゴールド、ダイヤモンドの順で、直線に出てきた。

 そこから、マルタースが脱落。ゴールドの吉田隼人が鞭を入れて追い出すと、内のキタサンの武も鞭を入れて追い出す。ダイヤモンドが少し遅れるがルメールは、まだ鞭を入れない。残り1ハロン(200m)辺り坂上で、ルメールが鞭を入れて追い出す。後続もどっと来ていたが、この辺りでこの3頭の勝負になった。粘るキタサン、追うゴールドを交わして鞭に応えてダイヤモンドのギアが変わったようにキタサンに迫り、ゴールに飛び込んだ。

 優勝は、サトノダイヤモンド、2着、キタサンブラック、3着がゴールドアクター。直前で、1番人気に変わったダイヤモンド。2番人気キタサンブラック。3番人気、ゴールドアクター。このレースは初めから3頭の馬のレースだったような気がする。大歓声は、多くの人を幸せな気分にさせる結果だったし、本当に、良いレースだった。まるで、TTGの有馬のようなレース。3頭が、がっぷり四つで、勝負した。

 勝利ジョッキーインタビューで、イェーと言って壇上に上がったクルストフ・ルメール。涙を流すシーンもあった。デビューからずっと手綱をとり続けている。そういう思いが、1年の総決算、有馬記念勝利で込み上げてきたのだろう。今年1年も良かった。獲得賞金は1位。186勝でリーディング2位。勝率23.7%。2着以内が37.5%。3着以内が50.3%。出るレースの半分が馬券に絡んでいるという結果だ。素晴らし記録だ。来年は、凱旋門賞に挑戦するようだ。明け3歳馬には、牝馬はソウルスターリング。牡馬は、有馬記念の前のポープフル・ステークスを勝ったレイデオロがいる。クラシックの中心になる馬を揃えている。来年こそ、春のクラシック総なめしそうな感じだ。こういう風な良い有馬を観ると楽しくなる。


 12月26日(月) 晴 7609

 去年は、スペインには行かなかったが、今年は、4度行った。今年1月にホセ・トマスがメキシコの出場したビデオをネットで観て、これなら行かなければと思った。14年に観たホセ・トマスは、何か違和感を感じていた。引退前の2000年の絶頂期。そして、復帰した2007年と2008年のホセ・トマスは、物凄かった。それを観ているからの違和感だった。もう残り火なのか?誰よりも良い闘牛をやっていたが、そういう気持ちになっていた。

 2010年4月にメキシコで大怪我をして2011年7月のバレンシア復帰。翌年のバルセロナ最後の闘牛のホセ・トマス。それから、後がインパクトが少なくなった様に感じたのだ。ウニコ・エスパーダをやるようになって、なんか違和感を感じたのだ。色々やることは素晴らしい。でも、一つの技に、深みがなくなる。多くの技をすることによって、雑になる。それは、ホセリートがウニコをやり出してから、カポーテ技の深みが失われたと同じように、ホセ・トマスにも当てはまるところがあった。それがムレタの方にも影響を及ぼしている様な気がした。1人で6頭の牛を相手にすると、観客を飽きさせないように、色々な技を仕込むのは良いのだが、その結果、一つ一つの技が雑になる。観客は喜ぶだろうが、そういうモノが観たいのでないのだ。

 今の闘牛のトレンドは、ロカ・レイのような若さ溢れる技の品評会のような闘牛だ。それは、勢いがあるし、若い闘牛ファンの心を掴んでいるようだ。それは凄く良いことだ。派手で若さを感じる。初心者にも分かり易い闘牛だ。闘牛が未来に向かって、生き残っていくためには必要な事だろうと思う。色々な闘牛がある。それは、多様性だし、それを受け入れるだけの包容力を失えば、おそらく、闘牛は滅びるだろう。

 それを承知で、言えば、古典落語が聞きたい。じっくり訊かせる人情話など。その人の人生を感じる、そういう闘牛が観たいのだ。余計なモノを一つ一つ取り除いて、必要な物だけを残した処での、闘牛の深さが観たいのだ。ロカ・レイやドゥエンデの闘牛が駄目とは言わない。ドゥエンデ系の闘牛は、スペイン人の特殊なメンタリティーでもある。が、しかし、最も重要なのは、深みだ。それは、闘牛士と牛の間に生まれ、そして、観客がいなければ成立しない物だ。


 12月27日(火) 雨 5010

 20年前ペルーの日本大使公邸で起こったテロ事件。600人の人質を取りテロリストが立て籠もった事件だ。丁度、闘牛の会に来ていた外務省の上田さんが、毎日残業で大変だと言っていた。彼女は外務省に入ってからスペインへ留学してスペイン語もしゃべれる様になっていた。2月くらいだったか、リマに行かなければならなくなったと言っていた。テレビで、あの時人質になったリマ在住の日本人を取材しているバラエティーをやっていて思い出した。確か事件が解決した後に、スペインに闘牛を観に行ったはずだ。

 97年5月に、マドリードの須佐君夫婦が住んでいるアパートを訪ねたとき、闘牛の話をしていて、ホセ・トマスがプエルタ・グランデしたりしてと、つぶやいたのを忘れない。前の年にサン・イシドロを観て、須佐君がそう感じたようだった。そして、実際初めて観たホセ・トマスは物凄かった。それ以降、ホセ・トマスは闘牛の中心になった。須佐君へこの前、久々に電話した。そう、レアル・マドリード対鹿島アントラーズの決勝の始まる直前だった。案の定、横浜のスタジアムにいた。騒がしくて良く聞こえなかったが、家族5人で見に行っていた。長女が真鳥(まどり)、次女が、漢字は忘れたが、あれな。長男が、おーれと、名付けている。熱烈なレアルファンなので、行っていると思ったが、家族で行っているとは、ビックリした。でも、須佐君、試合観て鹿島にビックリしたと思う。えっ真鳥って二十歳過ぎてるの・・・。どんな子になったんだろう?


 12月28日(水) 雨のち晴 11775

 仕事納めの処が多く、今頃は飲み会で盛り上がっている人もいるだろう。上野のアメ横もにぎわっているようだ。今日は買い出しには行かず、洗濯や片付けをして、のんびり過ごす。今年は良い1年になったと思う。来年は、掲げた目標に向かって、やるだけだろう。

 茨城で大きな地震がった。BSで山一証券の倒産の番組を観ていたら、緊急地震速報が流れ、その後、震度6です。の声で番組が中断した。東京は震度3だった様だ。


 12月29日(木) 晴 7574

 子供の頃、正月のおせち料理をお婆ちゃんが作ってくれた。黒豆は、甘くて好きだったが、硬かった。コトコト煮ているのにどうしてだろう?ある時、砂糖を一気に入れていると、豆が硬くなるのを知って、砂糖を小分けに何度も入れると豆が柔らかくなった。それまで、黒豆の汁が好きだったが、豆が柔らかくなってからは、豆を口に含んで良く噛むと本当に美味しくなった。なますとかは、あまり好きでなかったが、餅は好きだった。岩手の鬼ぐるみをすり鉢ですって、砂糖を加えて甘くして、つきたての餅を入れると美味しかった。納豆と大根おろしに餅を入れると、もっと美味しかった。

 昆布巻きや色々なものを食べたが、それよりは普通に食べている、凍み大根の煮染めの方がずっと美味しかった。でも、1番好きだったのは、伊達巻。卵の甘さとフワフワした食感が凄く好きだった。盛岡の冬の大根漬けを交互に食べて、熱い玄米茶の香り。なんて素敵なんだろう。

 「和解の力」 「お互いのために」 安部・オバマの真珠湾でのスピーチで、出てきた言葉。原爆落とされて、敗戦国として進駐され、戦後の食糧難の時代に、アメリカからの救助物資で、命を繋いだ日本人。

 イチローの3000本安打の番組をBSで観た。僕の場合、選球眼ではなく、選球体だ、と言っていた。頭で考えるのではなく、体が打てると思ってバットを振るのだという。何か偉業をする人は、他の人との感覚が違う。

 根津甚八が死んだ。と言っても、真田十勇士の根津甚八ではない。唐十郎の赤テントで活躍し、俳優をやっていた方である。勿論、この芸名は、本名根津にちなんで唐十郎が、真田十勇士から取ったモノだ。


 12月30日(金) 晴 7092

 BSで、『ミスターラグビー 平尾誠二の軌跡〜世界に挑み続けた男』を観る。1番ラグビーファンだった時代に、国立競技場で観たのは、地元の新日鉄釜石の7連覇の頃だ。ほぼ、毎年1月15日の成人の日に、日本選手権を観に行っていた。その頃、伏見工業から同志社に入った平尾誠二が、岡仁詩監督の下、自由奔放なラグビーで大学選手権3連覇した時代だ。

 釜石には、松尾雄治が、明治から入ってから格段に強くなった。元々FWが強かったが、BKに核になる選手が必要だった。そこに、松尾が入って飛躍的に強くなった。FWの明治で、BKのスタンドオフで活躍して釜石に来た松尾は救世主だった。松尾の名前と、平尾の名前は、実は、僕と弟の名前は、字が違うが、音が一緒だ。そういう意味でも、思い入れが強かった。

 選手時代から凄い選手だった平尾が、社会人になって、神戸製鋼に入り7連覇して、宿沢宏明が日本代表監督の時に、キャプテン平尾で、スコットランドに勝った。早稲田出(東大紛争で入試が中止になって早稲田に入った)の宿沢は、住友銀行リーディング・トレーナーで、会社に許可を得て日本代表監督に就任する。まさに、ラグビー界の頭脳と技術を集結した勝利だった。

 その後、平尾は日本代表監督になる。W杯では、3戦全敗して、監督を辞める。それでも、外国人選手と積極的に登用したり、データ分析を導入したり、日本ラグビーの方向性を示してのだと思う。伏見工業の元監督、山口良治は、平尾の死を訊き、「代われるものなら代わってやりたい。なんで先に逝くんや…」 「私は平尾を叱ったことがない。でも今は初めて叱ってやりたい。怒ってやりたい。何で先に死んでしまうんや!」といい号泣したという。53歳という、若すぎる死だった。ラグビー界の中で、特別だった。歴史的に観ても、大西鉄之祐、岡仁詩、松尾雄治、平尾誠二。そういえば、宿沢も55歳で死んだ。頭取の奥正之は、告別式の弔辞で、「君の人生が不規則バウンドして、ノーサイドを迎えたことが悔しい」といい、翌年の入行式で、新入行員たちに宿沢の座右の銘『努力は運を支配する』を引き合いに出した。


 12月31日(土) 晴 8482

 大晦日。百八つの除夜の鐘鳴る。百八には色々な説がある。一般的には、煩悩の数と言われている。
煩悩の数。眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根のそれぞれに好(こう:気持ちが好い)・悪(あく:気持ちが悪い)・平(へい:どうでもよい)があって18類、この18類それぞれに浄(じょう)・染(せん:きたない)の2類があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表す。
1年間。 月の数12,二十四節気の数24、七十二候の数を、足した数108=1年を表す。
四苦八苦。 四苦八苦を取り払う。4X9+8X9=108。

 年末年始のテレビ番組で、対談を観たが、その中で、立川談志の、芸の基本は、飢えと寒さ。という言葉があった。ビートたけしにしても同じだし、赤塚不二雄の漫画もそういうような物だと思った。飢えというのは、食料の事もあるし、知的好奇心の事も言っているのだと思う。寒さというのは、寒かったら何とかしようと思うだろう。つまり、工夫することも含めて言っているような気がする。


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