断腸亭日常日記 2017年 1月

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年のスペイン滞在日記です。
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 2017年1月1日(日) 晴 22773

 新年に思う。数寄者という言葉がある。数寄者とは、芸道に執心な人の俗称。元々は、数寄は、好きの意味。古くは、和歌。その後、連歌が流行し、数寄が連歌を指す時代があった。桃山時代には、茶の湯が流行し、茶の湯が、「数寄」の意味に変わり、数寄のための家を「数寄屋」が、茶室の別称に定着したという。奇行など有名な、ノ貫(へちかん)の本質は、侘び数寄。茶器なども有名な物を使わずに、利休以上に侘びた茶をやっていたようだ。

 もう、生きたいように生きるしかない。また、そうやって今まで生きてきたわけであるから、自分は、数寄者として生きるしかないではないかと思う。それは、闘牛の数寄者であり、9の法則の数寄者を極めようと言うことだ。それが、新年に強く思うことである。そして、基本は、外連味のないお手前である。

 天皇杯決勝。延長前半勝ち越しゴールで、鹿島2−1でリード。先制は、コーナーキックから山本修斗のヘディング。簡単には勝たせてくれない。それでもようやく勝った。


 1月2日(月) 晴 14379

 録画していていた、『美の壺』欄間を、観る。和室を飾る欄間。ナレーションは、『とと姉ちゃん』の母親役をやった、木村多江。落ち着いた語りだ。その中で、千葉の欄間の彫り師、「波の伊八」こと、武志伊八郎信由。この欄間に掘られた波が、葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖波裏」に、大きな影響を与えたという。与えたと言うより、絵にそのまま取り入れたような、波である。旅した北斎が、伊八の欄間をどこかで観たのは明らかだろう。

 今少しずつ読み返している風太郎の、『八犬伝』。その中に、馬琴と北斎が描かれているが、八犬伝の物語も面白いが、2人の掛け合いがまた、この物語のもう一つの面白さだ。その中で、今度色んな処で、富士を描くという台詞が出てくる。だから、しばらく来れないという。大分年を取ってから描いた、富嶽三十六景。そういうのも感じながら読むのも面白い。


 1月3日(火) 晴 10267

 「日曜美術館40周年特集 ゆく美 くる美」の冒頭で、注目の展覧会を手がけた学芸員を集め、話に出たのは、伊藤若冲だった。最大5時間待ちという考えられないような長蛇の列が出来た。最大で1日、2万2千人。32日間で44万6千人が詰めかけた。一大若冲フィーバーだった。4月の東京都美術館。

 そもそも、伊藤若冲という名前を知っている人は、これまで、どれだけいただろうか。日本美術の専門家か、テレビの『何でも鑑定団』で、良く出てくる名前で、若冲といえば、鶏の紅が印象に残る絵だ。それが、NHKなどのメディアが取り上げた事によって、超絶技巧などに、スポットがあたった。その中心にあったのは、東京都美術館の『若冲展』。千葉市美術館の学芸員は、冷ややかな視線を投げかけていた。何年か前にやったのに、桁が違うほど、入館者が少なかったとう嘆きなのである。つまり、羨望である。

 それは、生誕300年記念の年であったということや、宮内庁がもっていた『動植綵絵』30幅が出展された事。その絵の現代的な分析によって、金色を使わずに、金色を表現した色彩。特殊な顔料や、描き方の方法、工夫、など技術的な処が、テレビで細かく紹介された。例えば、印象派より約100年も早く点描画の技法で絵を描いていた事に、フランス人美術史家が驚いていた。

 美術の良いところは、観て判ること。それが重要だ。そして、この番組に出ていた学芸員たちは、基本的によく勉強し、考えている人たちである事が判る。毎週みたい番組が、日曜美術館だ。


 1月4日(水) 晴 7911

 世間は仕事始め。電車も混み出した。目覚ましをかけずに起きたら、昼近く。たてていた予定を変更して、新宿へ行って用を済ませた。スーパーで買い物。100g100円以下の豚肉と、100g50円以下の鶏肉を買ってきた。買ってきた鶏肉で鍋を作り食べた。『とと姉ちゃん』の総集編を観る。こうやってみると、前編は、雑誌を作るまでの戦後直後くらいまでで、後編は、花山と雑誌を作って行くのを描いている。毎朝放送中に観ていたときに、良いなぁと思った台詞は、大体入っていた。やっぱりなぁと思いながら観る。

 正月取り溜めた番組は、まだ全部見ているわけではないが、徐々に観ていこうと思う。『真田丸』の総集編もまだだ。これから、明日の準備。ちびちびやりながら、鍋をつつこうと思う。

 『クローズアップ現代』で、面白そうな本を話題にしている。『サピエンス全史』。人間の幸福を探す。それを書いているようだ。


 1月5日(木) 晴 5493

 THさんと昼食と取った。赤血球の話を訊く。DNAなど何もないので、それを作るために、違う物を作ると、赤血球が増えるのだという。マラリアは、そういう何もない処に入って、感染すると言う。何もないから、入りやすく、感染が赤血球によってなされるのだとそうだ。エッセンでは、面白い研究をしてきたなぁと思う。寒い北海道行ったりして、東京へ戻って、明後日バルセロナへ帰るという。

 食事中に、父と似ているところがあるって、何処かと訊かれた。色々あるけど1つだけ言った。そしたら、笑っていた。帰ったら観てみますと言っていた。闘牛の話。競馬の話も少しした。闘牛の会の会報なども見せる。闘牛の会の頃や、来年のこと、ホセ・トマスの話。それと10月にやったビデオ会の話など。競馬から帰ってきて、話そう思っていた事を一つ思い出した。スペイン行った時に、話せれば良いだろう。


 1月6日(金) 晴 5378

 昨日も寒かったが、今日の朝は2度と冷え込んでいる。ただ昨日に比べて、風は吹かないようだ。キャラクターが立てば、漫画が描ける。と、良く言われる。そうではなく、物語の面白さで引っ張っていける漫画。これが、手塚治虫の漫画だ。手塚の長編漫画のほとんどが、悲劇に終わる。それは、戦中に空襲にあい、街一つがなくなると言うことを観て、破壊や、死という結末をもってくるのだという。

 『100分de手塚治虫』の中の話を訊いていて、『火の鳥』が読みたくなった。現在と未来を繰り返し描きながら、人生の不条理や永遠の象徴である火の鳥を描く。宗教観というか、世界観を壮大なスケールで描かれているという。出演していた僧侶が、華厳経の一節、「一即多 多即一」(一(極小)の中に多(全体)があり 多(全体)の中に一(極小)が満ちている)のではなかと、思えてくると言っていた。その中で、鳳凰編が1番面白いと言う。

 例えば、『さもなくば喪服を』では、過去の内戦のことと、現在の闘牛士のことを、交互に繰り返し書いている。風太郎の『八犬伝』では、虚の世界で、八犬伝を書き、実の世界で、八犬伝を書く滝沢馬琴の生活を書き、葛飾北斎を登場させる。虚と実の世界は交互に繰り返される。手塚治虫の『火の鳥』では、過去と未来を交互に繰り返し語る。こういうのは、大きなヒントになる。ちょっと遅れているけど、物語は書き始めている。


 1月7日(土) 晴 20135

 今日は1度で寒かった。風邪気味で、鼻水が止まらない人、咳をしている人が、増えてきている。周りにそういう人がいると、こっちも風邪を引きそうだ。ネットで2012年9月ニームのホセ・トマスのウニコを発見した。まだ、時間がなくて観ていない。明日の夜でもゆっくり観れるだろう。


 1月8日(日) 曇のち雨 9237

 メインレース前から東京でも雨が降り出した。日が暮れて、寒くなったので、雪に変わってもおかしくないような感じだ。雨と雪を分ける気温は4度。その4度になっている。

 『べっぴんさん』の中で、ベビー用品の総合店を目指す、キアリスは、アメリカから輸入品を仕入れる様、考えている。戦前から外国人のベビーシッターをやっていた明美が、得意の英語を使って、アメリカ人バイヤーと商売の話をしたが、専門用語が判らない。ガッカリしていると、すみれが姉のゆりに、明美に英語を教える様に頼む。が、初めは断る。

 ゆりはキアリスに訪ねてくる。そして、明美に訊く。どうなったの?すみれに断ったと告げる。なんでやの?明美 それは、むいてないと思て。と、言うと、ゆり 何に?黙っていると、ゆりが、別に私は、あなたが英語を習っても習わなくても、どっちでもいいのやけど。そやけど。一言いわせてもらうと、あなたの自意識は、いらない自意識やと思うわ。おおかた、人前で恥をかいてしまって、もう傷つきたくない。そんなところでしょう。なんで、誰が。ゆり だって、誰に訊かなくても、あなたを観れば判るわよ。わたしも勉強してきたんやから。どれだけ恥かいたか、どれだけ笑われたか。でも、そこを乗り越えなければ、一生中途半端なままよ。折角今までやってきたことも、水の泡。それでホントにいいの?手に入れたいモノがあるなら、絶対に手に入れる気持ちでやらないと。なりふりかまわず一生懸命に。

 朝、なんやさえん顔しているなと送り出した麻田が帰ると、明美ちゃん訊きたいことがあるんです。明美 なに?麻田 もし。もしここが、のうなったら。明美 ここは閉めるの?麻田 いやいや。いずれはの話です。わたしの体が動かんようなって、上手いこと作れんようになったら。明美 びっくりさせんとってよ。麻田 そんでも、いずれはおとずれるんです。そないな日が。

 麻田が作る特別品の靴。つまり、べっぴん。そして、忘れていった、英語の教本を渡す。麻田 頼れるのは、自分だけやから。

 それから、明美はゆりに英語を教わりはじめる。

 ナレーション たった1人では踏み出すのが難しい、最初の一歩も。ほんのちょっと、背中を押してくれる誰かがいることで。その道を行くことが出来るのです。

 明美役の谷村美月も、ゆり役の蓮佛美紗子も、そして、麻田役の市村正親もほんのりして、このドラマのテンポに実にマッチしている。


 1月9日(月) 雨のち曇 

 成人の日。『ONE OK ROCK 18祭(フェス)〜1000人の軌跡 We are〜』全国の18歳世代の熱い思いを受けてONE OK ROCKが楽曲を制作。生まれた曲が「We are」。それに参加する、高校生たちの姿と、ONE OK ROCKのメンバーたちの姿を追うNHKの成人の日の番組。思春期の色々な悩み抱えた子たちが、歌を歌うことによって、出会ってSNSなどで、動画やメッセージのやり取りで繋がって行く。そして、1度限りの1000人の合唱。それぞれの人の様々な色を出した人生に向かって・・・。

 人はみんな繋がりたいのだ。チームワークなどは、球技のスポーツがその大切さを教えてくれる。野球やサッカー、ラグビーなどがその代表だ。ラグビーでは、ALL FOR ONE ONE FOR ALL (1人はみんなのために、みんなは1人のために)。美しい言葉だ。

 高校サッカーは、青森山田が5−0で初優勝した。ここ10年東北の高校サッカーを引っ張ってきた高校が、青森山田。鹿島アントラーズの柴崎岳の出身校だ。うちの高校が優勝したとき、先を越された悔しさがあったと思う。青森山田は、青森県内では、1999年以降270連勝以上を記録しており、無敵の状態である。それとJリーグの下部チームが参加する高円宮杯U-18サッカーリーグでは、トップチームがプレミアリーグに在籍するほか、東北地方の強豪校が戦うプリンスリーグ東北にセカンドチームが参戦している。こんな高校は、おそらく東北にはないだろうし、全国を観ても希有かも知れない。2016年度は、U-18プレミアリーグチャンピオンシップで優勝し、ユース世代日本一を果たした。そして今日、第95回全国高等学校サッカー選手権でも優勝し、2冠を達成した。

 就任当初黒田剛監督は、強豪校へ頭を下げて練習試合をして貰う日々が続いた。初めは、2軍や3軍が相手だった。強くなると、1軍が試合をしてくれるようになったと言う。マイクロバスを運転して年間8000キロくらいになったという。こういうところは、国見の小嶺元監督に似ている。もっと早く優勝してもおかしくなかった高校だ。

 ラグビー大学選手権は、苦しんだが、帝京が8連覇。東海大は、あと一歩届かなかった。並大抵の事では出来ない8連覇。結果が求められるスポーツの分野などでは、新しい考え方で、方向性が示されている。


 1月10日(火) 曇 120540

 三が日過ぎに、梅の花が咲いているところがあった。歩いていて、桜の木ももう枝には、つぼみがついている。もう春の準備進んでいる。昨日は、品川の原美術館へ行った。篠山紀信の『快楽の館』をやっていた。ヌードである。個人宅として作られた建物で、それを美術館にしたところだ。おそらくここは、江戸時代は大名の屋敷だったのだろう。敷地は崖の上にあり、ブラタモリ風にいえば、段丘の上にあるのだろう。

 その庭や家の中で、50人くらいの女性のヌードを撮ったモノ。受付の女性もヌードなら、その前で体操選手のように開脚して飛んでいる写真など。アベックで来ている人も多い。子供連れのお母さんもいる。この館が、篠山紀信の創作意欲を刺激したのだろう。

美術館は作品の死体置き場、
死臭充満する館に日々裸の美女が集う。

美女たちの乱舞、徘徊、錯乱、歓喜、狂乱、耽溺……
あらゆる快楽がこの館でくりひろげられる。

幻蝶が舞う夢と陶酔の館。  ーー篠山紀信ーー 

 美術館は作品の死体置き場という言い方が面白いと思った。それにしても、壇密の存在感はなんなんだろう。ヌードの美女は一杯いるが、壇密が突出して印象に残る。電通の残業自殺の問題をNHKでやっている番組に、出演していた壇密が、無理をしない仕事をしないと駄目なので、これからは、無茶なヌードを撮らないと、いうと、他のほぼ全員の男性出演者が、非難して不満を言った。この美術館にあった写真は、髪の毛で乳首を隠している物ばかりだった。壇密の無茶なヌードを撮らないと言うのは、そういうことだったのかと思い出しておかしくなった。でも、下の方は何も隠していないんだけど…。

 それから、国会図書館へ行ったが、休館だった。だが、さっき行ってきた。手塚治虫の『火の鳥』鳳凰編を読みに行ったのだ。何という世界観、死生観なんだろうと興奮した。主人公は、我王。唐では、仁王と我王の二匹の鬼がいる。その醜い方の我王を名のる。

 おっと待った。『100分de手塚治虫』の中で、映画監督の園子温が言っていた。「今外国でも、漫画を描かれているが、でも、日本みたいに豊かでないと言う。何故かと言えば、日本には手塚治虫がいたからです。」と、言い切った。だが、それはそうかも知れないと感じてしまう処がある。これは間違いだった。訂正しておく。僧侶・宗教学者、釈徹宗が、「ある新聞の論説に、何故海外が日本ほど漫画文化が発達しなかったかと言うと、答えはただ一つ。それは、手塚治虫が居なかったから。」


 1月11日(水) 晴 15487

 運命を物語にしている『火の鳥』。漫画を超えているような深さがある。ガオー。

 我王と茜丸。仏を彫る仏師である。奈良の都で仏師をやっていた茜丸は、逃げていた、我王を救うが、着物を取られ右腕の筋肉を切られる。それで、仏を彫ることが出来なくなったと絶望する。しかし、養生していた寺の坊主に、石像を見せられる。それはまるで今にも動き出しそうなものだった。誰が作ったのかと問うと、水滴が落ちるのを利用して下に石を置き長い間かけて、自分が作ったという。そして、まだ使える左手で仏を彫るように諭される。

 我王は、着物を奪って逃げる途中に、女に会う。茜丸の妹と名のるが・・・。そして、女を寝取り、生きるために人を殺しお金を奪う盗賊になる。俺はなんとしても生きる。生きのびる。ある時老僧が通りかかると驚いた顔をする。我王が問うと、お前に死相が出ているという。2・3年後に鼻が悪くなると、いう。その内鼻がただれてくる。速魚(はやめ)が薬を作り鼻に塗るがよくならない。ある時、手下があの女に騙されていると言い出し、その証拠に、鼻はいっこうによくならないと言い出し、疑った我王は速魚を殺してしまう。すると女は、昔我王が助けた、てんとう虫の化身だった。あなたは本当は気持ちの優しい人という言葉を残す。我王は、愕然とする。

 茜丸は、腕を磨き左手で仏像を彫れるようになっていた。ひょんことから助けたぶちという女の裸を見ながら菩薩を彫る。その出来栄えがよかったので、噂を聞いた時の権力者橘諸兄が、訪ねて来て、3年で不死鳥である鳳凰を彫るように依頼する。断れば殺す。3年で出来なければ殺す、と脅される。茜丸は鳳凰を探す旅に出る。

 我王は、死相が出ていると言った老僧と旅に出ることになる。目指すは平泉。その途中で、茜丸に出会う。我王は、短剣を投げ、俺を殺せという。が、鳳凰を探して旅をしていることを話。別れそれぞれの旅を続ける。我王は、行倒れの老婆に会う。しょっていた米などの食料の重みに耐えかねて飢餓状態で死んでいる。我王は、何故食料があるのに、餓死したのかというと、老僧は、それは年貢を払いに行く途中で、死んだのだ。飢餓になっても、納めなければ大変なことになることを教える。我王は、愕然とする。こんなにひどい目にあっている農民を見て、怒りが込み上げてくる。自分以上に不幸な人間たち。その怒りから、木に短剣で仏像を彫る。我王の仏像は、出世や仏心から彫るのではない。世の中への怒りから彫るのだ。だからこそ、迫力がある。見たものに感動を与える。

 茜丸は、3年が過ぎて鳳凰が彫れずにいた。ある時、夢で鳳凰(火の鳥)に会う。それを彫り上げる。かくまっていた吉備真備が、天皇に献上する。政敵の橘諸兄を出し抜く形になる。これがもとで、東大寺の大仏を作ることになる。

 一方我王は、老僧良弁僧正は、途中で無実の罪で、牢に繋がれる。良弁僧正は逃げ、我王は、牢の中で茶碗を割って、口にくわえて壁に仏像を彫り続ける。そして、無実であることが判り、良弁僧正を追い平泉へ向かう。が、良弁僧正は、即身仏になるために土の中にいた。そこで、政治に振り回されて大仏を建立する奈良の世に嫌気がさし即身仏になるのだと言う。即身仏になった老僧と対面する。「虫魚禽獣死ねば…どれもみなおなじ!人が仏になるなら…生きとしいけるものはみな仏だ!」。それから、土をこね瓦を焼き始める。近隣の寺などで評判になる。

 それから、茜丸と我王が東大寺の鬼瓦を作り、どちらかが採用させる対決になる。二月堂に籠もった我王。黙々と鬼瓦を作る。茜丸よりも素晴らしい物を作った。茜丸も自分の作った物より優れている事に絶望する。自分の名声はどうなるのだ…。しかし、多数決で茜丸の勝ちと判断が下る。茜丸は、我王を罵倒し、我王は右腕を切られる。

 片眼と左腕を、生まれた日に失った我王は、右腕までも失う。漫画のカットが木を突くキツツキを描き、その下に、ノミを口にくわえて仏像を彫る我王を描く。茜丸は、後ろ盾の吉備真備が失脚。政敵だった橘諸兄が後ろ盾になる。が、大仏殿が燃える。その中で、茜丸は死ぬ。ぶちは茜丸の亡骸をもって我王を訪ねる処で終わる。

 なんなんだろう。登場人物は全てと言っていいように、理不尽な死に方や人生を送る。それなのに、絶望的な状況でも仏像を彫る姿は読んでいるこちら側が救われる思いがする。それは、物語の面白さと、画力によって成立するのだと思う。権力に全く興味がない我王。名声が欲しい茜丸。どうしたって、我王の仏像にひかれるし、生き方に圧倒されてしまう。

 これが描かれたのは、1969年頃のようだ。鶴田浩二が歌の台詞で、「今の世の中 右も左も真っ暗闇じゃござんせんか」という言葉が流行ったのはその2年後。学生運動(東大闘争・日大闘争)が吹き荒れた時代。野坂昭如は、「心情三派」といい、漫画は、スポ根物が流行、そして、東映のやくざ映画の高倉健に熱狂した時代。東大駒場祭のポスター「とめてくれるなおっかさん、背中の銀杏が泣いている 男東大何処へ行く」(橋本治)の頃である。

 三島由紀夫は、学生運動に絶望し、東大で対話集会に乗り込む。『唐獅子牡丹』を歌い市ヶ谷駐屯地へ向かい、死ぬ。みんなが生き方を模索していた時代だったのだろう。そんな時代に、『火の鳥』鳳凰編を描いた。『100分de手塚治虫』の中で、精神科医の斎藤環が言っていた、白手塚と黒手塚で言えば、明らかに黒手塚である。しかし、何なんだろうこの興奮は。人は、どれほど絶望しようと、我王のように、何かを表現したという欲求が、湧き出てくる物なのか。そこにただただ、ひれ伏すばかりだ。


 1月12日(木) 晴 7387

 朝久々に新聞を買う。三島由紀夫自決9ヶ月前に録音された、イギリスの翻訳家ジョン・ベスターとの日本語での対談を収めたテープがTBSで発見された。三島・ベスター両家族が本人であることを確認したと言う。このインタビューは、エッセイの翻訳のために行われた様だいうことである。注目すべきは、「僕の文学の欠点っていうのは、あんまり小説の構成が劇的すぎること。僕は油絵的に文章をみんな塗っちゃうんです。日本的なよはくってものができない」と語っているような文学を語る三島である。川端康成の文章については、「怖いようなジャンプするんですよ。僕、ああいう文章書けないな、怖くて」と述べている。

 「僕の小説よりも僕の行動の方が分かりにくいんだって自信があるんです。生きているうちは人間はみんなピエロ。僕はね、自分のやっていることを人に分かってくれというのはとても嫌いなんです。」 「死の位置がね、肉体の外から中に入ってきた気がする」

 日本社会に「偽善」があり、その根本に平和憲法がある。という、考えは、政治の素人である、三島由紀夫が、政治を語るときに振り回す正義の旗的な言葉だ。しかし、そもそも政治は偽善で出来ていると言って良いくらいだ。そういうことは分かっているはずなのに、ああいう行動をする。三島は、分かってくれというのが嫌と言っているが、そういう風に言って行動していく矛盾に気づいていたはずだ。にもかかわらず、続ければ、ああいう結末にならざるを得なくなるという、ピエロになることを前提にしていた事も考えられるくらいだ。

 実は、自身の言葉で、自分自身を縛り付けていたのではないかとさえ思えてくる。アントニオ・コルバチョに、初めて会った時に、フィロソフィア・デ・サムライ=三島由紀夫だった。と、いう印象だ。しかし、コルバチョの様に外国人から観る三島由紀夫と、日本人から観る三島由紀夫には、大きな差異が生じると思う。勿論、日本人の中でも、右翼思想の持ち主と、左翼思想では、解釈が違うし、文学的な見方からも三島の捉え方に大きな差異になるのは、明白なことである。


 1月13日(金) 晴 7384

 正月前から、バケツに入れてあった枝の束が、葉を出しつぼみの先から花の色が見え始めた。枝の束は、桜であった。○○さんが持ってって良いからって言ってたから、持っていきます。と言われた。桜餅を包んだら美味しそうな葉だ。部屋が暖かいから、葉が出て、つぼみが膨らむのだと言われた。切られた枝。人で言えば、手足をもがれた状態なのに、葉を出しつぼみから花を覗かせている。こういう強い生命力は、人間は真似が出来ない。植物、いや自然の力は人に、学びの場を与えている様だ。

 昨日あたりから、日本海側を中心に雪が降っている。週末は中国から北海道までの広い範囲で、降雪の予報だ。東京でも雪が降るかも知れないという。印象では、いつもセンター試験の時に降雪を記録している様な印象だ。


 1月14日(土) 晴 12071

 京都や中京は雪が降っていたが、中山はその気配もなかった。日本海側は大雪が降っている。今日も昨日に続いて、京都と中京の馬券の前日発売は中止になっている。発売は中山だけ。さて明日は、京都・中京は競馬があるのか?受験生は、始まる時間に間に合うのか?

 『信長協奏曲』を、観ていれば面白い。高校生が信長と入れ替わり戦国を生きる。つじつまが合うところ、合わないところ。しかし、物語に違和感を感じないところがなければ、物語を進めていく力にはならない。ある種の違和感も物語には必要な物。


 1月15日(日) 晴 9514

 京都も名古屋も雪が降った様だが、京都は時間をずらして開催。中京は中止になった。代替開催は明日。出走表を変更せずに実施する。

 正月に録画していた、『やまと尼寺 精進日記』を観ていたら、イチョウの木の下で、イチョウの実を取ってバケツに入れているのを観た。U字の火箸で、一つ一つつまんでバケツに入れる。子供頃近所の神社に行って、テレビと同じようにバケツ一杯に取って帰ってくると、お婆ちゃんが井戸水で洗ってくれた。あの便所くさいにおいは、忘れられない。イチョウの実を手で取っていると、手が荒れるというか、かぶれるのだ。少しくらいなら良いけど、バケツ一杯となるとそうはいかない。手袋をして取ってきても、手を洗うように言われ、その後にグリセリンを付けて手が荒れないようにして貰った。

 銀杏の殻をむいて、皮を取り緑の実が出る。それを尼さんが包丁で細かく切ってすり鉢に入れて、すりこ木で摺る。それに豆腐を入れて白和えにしていた。こういう銀杏の使い方があるのかビックリした。すりこ木を観ていてまた、お婆ちゃんを思い出した。鬼ぐるみを割って実をすり鉢に入れて、すりこ木で摺る。お婆ちゃんと交代で摺った。摺っていないときは、すり鉢を動かないように押さえる。大分ドロッとしてくると頃合いを観て、醤油を少し入れる。甘いの作るんじゃないのと、言うと、お婆ちゃんは、しょっぱい味を入れないと、これから入れる砂糖の甘みが出ないという。

 訳の分からない事をいうを思っていると、出来上がったドロッとしたクルミを手の甲に乗せて味見をさせられると、お婆ちゃん言った意味が理解できた。それはあんこでもそうだし、甘い味を作ろうとすれば、それと反対の味を同じ物に入れると味が際だつのだ。それとすり鉢の下には水分を含んだ布巾を置かないとすり鉢が動いて摺りにくい。テレビ観ながら昔のことを思い出しながら楽しく観た。そういえば、お婆ちゃんは、漬けた漬け物にご飯粒が入っていたので、何でご飯を入れるのと訊くと、美味しくなるからといっていたが、あれは今考えると麹を入れていたんだと思う。昔の人の知恵というは、凄い物だと思う。


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