断腸亭日常日記 2017年 4月 その1

--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

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 4月20日(木) 曇 12584

 ソメイヨシノは散ったが八重桜などは咲いている。川沿いを散歩すると、色々ななたちが咲いている。ツツジが咲き始めた。道端のタンポポも黄色く咲き、白い綿のようなものを丸く付けているものもある。風が吹くと飛んでいく。

 茶道などで使う上生菓子の職人は、季節に合わせた和菓子を作るときに、参考にするのは淋派だと京都の和菓子職人がいっていた。つまり、描写ではなくデザイン的に省略して、桜のイメージとかを感じさせるものを作るには、淋派が良いのだという。面白いと思ったのは、長谷川等伯の智積院にある国宝「楓図」。楓の巨樹の左側に、群青色の川が流れている。これはデザイン的に描いたもの。狩野派の描き方は全然違う。

 このデザイン化した川。淋派の尾形光琳の「紅白梅図屏風」の中央に流れる川は黒く波紋を抽象的に描いている。等伯の楓図は、障壁画。光琳の紅白梅図屏風はその名の通り屏風。その違いがあるのだが、デザイン化というか抽象化は同じな様な気がする。木の方は意外と描写的に描いているのも似ている。紅白梅図は、左が老いた白梅で、右が若い紅梅。間に流れる黒い川は、夜を表すといわれているらしい。

 等伯の楓図は、ほんの少しだけ中央左に川を描いている。その描き方は、わざと奥行きを表現していない。しかも、楓の葉を、秋が感じられるように赤・黄・茶色・緑などに描き分けているが、緑の葉にも枯れてきている茶色を塗っている。これは、伊藤若冲の虫食いの葉っぱを描く試みの先駆けの様な気にもなる。この絵は、秀吉が長男の鶴松(幼名すて)が3歳で死んだときに、菩提寺、祥雲寺の障壁画として描いた。等伯って、若冲の虫食いの葉っぱも感じ、光琳など淋派のデザイン化も感じる。それでいて、狩野派の対抗勢力になっていく。そうやって見るのも面白いと思う。

 『等伯』で、直木賞を取った安部龍太郎は、狩野派と等伯の違いは、絵の職人集団の狩野派は、絵師で、等伯は武士の出なので、木刀を振ったりした経験があるので、線の力強さは等伯のあるという。それは、東寺塔頭・観智院にある宮本武蔵の墨絵の線の力強さは物凄い!ああいう絵を観ると、一流画家って感じがする。剣を極めると、あそこまで思い切りよく、力強く美しく肝の座った線が描けるのかという驚きがある。


 4月21日(金) 曇朝雨 19615

 リハビリに、行ってきた。毎回新しいものが追加される。それが部分的に理に叶ったものなのだろう事が判る。毎日やらないと駄目なのに、仕事があるとついついはぶいてしまう。やらないとなと思う。

 闘牛サイトの記事に、THさんが載った。38カ国を回っている旅行中に闘牛にはまったことや、マラリア研修者としてバルセロナで仕事をしていること。研究では、英語。闘牛ではスペイン語で学んでいること。闘牛を観にスペイン中を旅していて、50回闘牛を観たこと。切符やホテルなどで非常にお金がかかること。テンタデロをやっていること。カタルニアの闘牛学校に行かないのは、年齢制限で行けず、他の所でやっていること。家族もこっち来て闘牛を楽しんだとか、メンドーサの騎馬闘牛を観て神を感じたこと。

 TTTという闘牛ファンのグループがあってその人たちと接触している事。下山さんとファン・ペドロ・ドメクや、クビジョの牧場に行ったこと。ビクトリーノやピラールの牧場にも行ったこと。好きな闘牛士は、モランテ、ホセ・トマス、クーロ・ディアス、騎馬闘牛士、パブロ・エルモーソ・デ・メンドーサなど。最後に方に、アインシュタインの言葉があった。記事が載るのが遅すぎるくらい。彼女の事は、もっと取り上げられても良いと思う。


 4月22日(土) 曇/雨 10232

 どんよりとした天気。東京競馬場は雨が降っている。

 『アスリートの魂 平野美宇』を観る。リオ・オリンピックで補欠だった。今まで生きてきた中で1番悔しかったという、彼女は、これを期に、プレー・スタイルを攻撃的なスタイルに変えようと、去年の暮れ中国のスパーリーグに参戦した。手打ちではなく、足・腰・体・全体で打つように、中国出身の中澤コーチからいわれる。スパーリーグは、フォアだけでなく、バックも早い。

 中国での最終戦を前に、右肘を痛め、風邪で38度の熱を出す。当日出場を決める。2ゲームを連取される。それから1ゲーム取るも1-4で敗れる。中国での成績は、3勝7敗だった。3歳から卓球を始め、憧れは福原愛だった。幼い頃のビデオでは、愛ちゃんみたいに負けると床に倒れて、泣き崩れている。本当似ている。それでも小学1年で全国優勝した時に、オリンピックで金メダルを取ると宣言した。

 そして、全日本の決勝は、石川佳純。高速卓球が冴える。石川もコースを突き反撃し3-2。気持ちを切り替えて4-2石川佳純に初めて勝つ。平野は、泣きながら嬉しさを語り、石川は、正直何が起きたか分からない。でも、今日の平野選手は、本当に素晴らしかったといった。東京オリンピックではエースとして出場して個人でも団体でも金メダルが取りたいと語った。『アスリートの魂』は、ここで終わる。

 が、ご存じのように数日前、アジア大会が行われ、平野は準々決勝で、世界ランキング1位でリオ・オリンピック金メダルの丁寧を3-2のフルセットで破り、準決勝、決勝で中国選手を連続でストレートで破り優勝した。中国のランキング上位の選手を3人が続けて敗れた事に、中国のコーチは衝撃を受けたようだ。平野のサーブに対応できていない。高速の卓球についていけない。17歳になったばかりの平野に脅威を感じている。真剣に対策を練らなければならいといっている。


 4月23日(日) 晴 9278

 昨日の夜、新宿で下山さんたちと、七輪を囲んだ。焼き肉を食べた。穏やかそうなお母さんと初めて会った。下山さんも娘も元気。オテンバ娘は、ホテルのロビーにあった新聞を、日本語で数える。それから、スペイン語で数える。あれー、昔、キンセをディエスシンコっていってたよね、というと、あれはね、わざといっていたのとの言。そうですかと、思った。日本に来ても相変わらず元気。しょぼんとしてたら逆に、おかしいよなと思った。

 今日は、朝から出掛けて、下山さんの講演があるので観に行く。


 4月24日(月) 晴 12337

 神宮の森を10分弱歩いて、会場に着いた。詳しくは分からないが、国家神道系の集まりの様だった。開会され、初めに下山さんの話が始まった。ダンサーをやっていた頃、公演で行ったスペインに憧れ、スペインで闘牛士になる。ペドロ・ベルナルドで、牛に跳ね上げられ、落ちてきたとき角が首をかすめた。あごの骨が砕けたかと思うような激しい痛みにおそわれて、それから4日間意識不明になる。目が覚めたとき、当時友人だった妻が泣いていた。首の動脈に血栓が出来脳に血液が行かない状態になり左脳が半分以上が壊死した。車椅子に乗る状態で、リハビリを3ヶ月したが医者には、もうこれ以上リハビリをやっても治らないと言われ、絶望して引きこもり、自殺することを考え、自殺マニュアルなどの本を読んでいた。

 フラメンコやピアノの夢をもっていた妻は、それらを全部やめて、自分の世話をしてくれた。昔からスピリチュアルものに関心をもっていたが、ある人が、谷口雅春『生命の実相』に出会い、エネルギーをビンビン感じて、左腕や足の血流が良くなって元気になった。妻に感謝し、この本に出会った事に感謝するというような事を語った。

 その後に、この会の副代表・前原幸広さん。話が面白かった。下山さんと初めて会った時に、YouTubeでの講演を聞いていた知って、何が1番面白かったですか?と訊いたら、ピラニアの話ですといいました。場内に笑いが起こっていた。話は、ウナギを輸入すると、ウナギが結構死んでいる。そこでピラニアをその中に入れると、いつ噛みつかれるかウナギが緊張して生きているという。それが、家庭で噛みつく妻のおかげで、自分が元気でいるように思えた。そこでメールで、「あなたは酸素だ」と送ると、妻からの返信には、「あなたは二酸化炭素だ」と書かれてあった。そこで下山さんは「そう僕は二酸化炭素。植物は二酸化炭素を吸って光合成をして酸素を作る」

 言葉には、頭ことばと心ことばがある。頭ことばとは、頭に来ることばで、心ことばとは、心に響くことば。これは、心ことばで、妻への感謝。ありがとうございます。怪我をして、家族になれてありがとうございますという……。

 こういうのは、書くのが難しい。どこまで書けばいいのか分からないからだ。前原さんの話が終わり会場を出て弁当を食べタバコを吸っていたら、下山さんのお母さんに声を掛けられる。少しして、下山さんが来た。それから弁当食べて足りないからと近くのレストランへ行って食べながら話した。色々話した。娘のこと、まゆみさんのことなど。闘牛の話も。昔マドリードに住んでいたアメリカ人でジャパンタイムスの記者をやっていたエドゥーが、僕のことを、彼は見えないことが見える人だと言っていたという。エドゥーがそんなこと感じていたんだと思った。THさんは、文化人だと言っていたそうだ。

 最後に、下山さんに、まゆみさんに初めて会った時の印象をいった。何かを落としたときに、僕が取ろうとしたら、まゆみさんが、良いから取らなくて。といった。つまり、こういう体の下山さんが身の回りのことを、出来なければ、人に頼ってばかりで何もしなくなる。何でも、自分から出来るようにするために、取らなくていいと、いるんだ。この人分かっている人だなと思ったことを伝えた。でも、それが下山さんもよく解る様になったんだと思った。これは、人からいわれて解る事じゃないのだと思う。


 4月25日(火) 晴 6147

 フランス大統領選挙が行われて、マクロン、ルペンが決選投票になった。敗れたメランションは、自らの判断で投票するすべきといい、フィヨンは、マクロン支持を表明した。極右の国民戦線のルペンは父親時代からの極右思想で一部のフランス人に熱狂的な支持者をもつ。娘の代になってもEU離脱、フランス第一主義、移民反対を強く主張している。情勢は、マクロン優位になっているが、政権側の中道右派、中道左派が敗れたことは、ある意味では、フランス政治の混沌を意味するものだろう。ルペンが大統領になったら、フランスは終わりだと危機感を感じているフランス人は多いと思う。国民戦線の代表が、大統領選挙の第2回に残ること自体前代未聞だ。

 この第1回投票を終えて、ひとまず安心したのか、昨日ユーロは主要通貨に対して、値上がりした。ユーロ対円はユーロ高円安に振れ、ビックリの4円安になった。株価は昨日250円上がった。

 日曜日の闘牛は、サラゴサで、クーロ・ディアスが耳2枚取ったが、剣刺しで太股を刺され病院に運ばれた。セビージャでは、エル・シド、ホセリート・アダメが耳1枚。マドリードでは、見習い闘牛士で、耳1枚が出たが、一人がコヒーダされた。

 14歳でプロ棋士になった中学生・藤井聡太四段は、ネットで配信された非公式戦で、羽生3冠に勝った。公式戦13連勝の戦績も凄いが、ネット会社企画で配信された非公式戦7戦中で、羽生を含む7冠戦にでるような実力者もいる相手に、6勝1敗だったというから物凄い。どういう将棋差しになるのだろうか…。


 4月26日(水) 曇 16935

 どうしようかなとぐずぐずしていたが、今日歯医者に行った。気になっていた前歯を観て貰ったのだ。レントゲンを撮って、先生に観て貰う。レントゲン的には大丈夫。観ても大丈夫ということだった。これで、安心してスペインに行けるなと思った。時間がない、ギリギリになって行くのは良くない。だから、電話も掛けずにいきなり行ったのだ。困るな忙しいんだからと、笑いながらいっても、観てくれた。良かった。何か一仕事終えた気分。

 今村復興相が、「大震災は東北で良かった」発言して辞任というか更迭された。復興庁には、抗議が多く届いているという。被災地、被災者を軽視している。心情を逆なでする様な、発言が続いたので、自民党内でもかばう人はいないようだ。後任は、福島出身の吉野正芳が復興相になった。岩手、宮城、福島の三県の人がなると、何となく安心するというか、気持ちが落ち着く気がする。誰がなっても同じかも知れないが、痛みが分かるような気がするからだと思う。


 4月27日(木) 雨/曇 13436

 『あてなよる 「つぶつぶで呑む」 』。今やテレビで京料理といったら大原千鶴。料亭旅館の娘だ。彼女が、京都のすき焼きを、作っていた。牛肉を入れ、なんと塩で味付け。それから、苦味のある春の山菜とミニトマトより小さいトマト。それに、合わせるのがボルドーの白ワイン。ソムリエ若林英司がマリアージュ。からすみとチーズを餅でくるんで焼く。それには、イタリアのサルディアーニの白。なんだか、良いあてで、呑みたくなってくる番組だ。スペイン行ったら、取りあえず、美味い生ハムで、フィノを呑みたいと思った。

 あのエル・コルドベスと一時行動を共にして活躍したパロモ・リナレスが死亡した。そのことは、佐伯泰英の『闘牛士エル・コルドベス 1969年の叛乱』に書かれてある。どういう人だったかは、知らない。だが佐伯さんの本が事実なら、エル・コルドベスと共に、自分の立場をかえりみず、当時闘牛界を牛耳っていた興行主たちに、叛旗をひるがえして、独立の興行をしてスペイン中を廻った反骨の人だ。まだ、フランコ独裁の時代だ。昔マドリード、ラス・ベンタス闘牛場のフェスティバル闘牛でファエナを観たことがあるが、とても綺麗で素晴らしいナトゥラルだった。エスパルタコに対する、お手本の様なナトゥラルだといってやりたいようなナトゥラル。勿論他の闘牛士の手本にもなるような……。引退したこの時代の闘牛士は馬鹿に出来ないと思った記憶がある。ラス・ベンタス闘牛場で、闘牛士が取った尻尾は歴史上4尾しかない。そして、その最後に尻尾を取った闘牛士でもある。

 二夜にわたる『NHKスペシャル 激震トランプ時代』を観た。トランプを信じて投票した人たちが失業して涙を流している映像。トランプと同じように、フランス第一主義を掲げて大統領選に臨むルペン。トランプとの会見で、握手のせずに、会見後、難民政策を続けると主張したドイツのメルケル首相。難民ボランティアを続けるドイツの21歳の女子大生。難民を無料で診る小児科医師。ドイツには、ナチスの強制収容所が保存されて、過去の過ちを忘れないようにと残されている。

 間違った感情や、その時代の気分で、差別的になったり、排他的になったりする教訓を、21歳の女子大生や小児科医の姿に観た。人は、信仰や、思想で、動くのではなく、現実を観て、未来を想像することによって生きなければならないと、あらためて感じた。厳しい現実を正確に認識することが大事だ。そこからしか、実は希望というものは生まれないのだ。人は、お金のために生きるのではない。希望のために生きるのだ。


 4月28日(金) 晴 19135

 用事があって新宿へ行った。その前に買い物をした。スペイン行きの準備だ。それから用事を済ませた。これからリハビリ。今日は時間がない。天皇賞の枠順が発表された。こういう枠順だと、買いづらいなぁと思った。2強対決に本当になるのだろうか?もし2強対決なら……。そうでなければ、という大きく分けて2つの考え方があると思う。

 セビージャでは、一昨日、ホセ・ガリドが耳1枚。昨日は、フリが耳1枚。モランテは、罵声。タラバンテも耳なし。昨日はドミンゴ・デ・レスレクシオンに続き、切符が売り切れだった。


 4月30日(日) 晴 9672

 昨日は、下山さんたちとさいたまスパーアリーナでやっている、第8回盆栽世界大会を観に行った。さいたま新都心駅の改札前には、モニュメントがあり、盆栽というよりは、ミニ庭園のようなもの。北斎の、神奈川沖波裏を模したものなどがあった。メイン会場のスパーアリーナは盛況で、ごった返していた。入口には、樹齢1000年以上といわれる、飛龍という盆栽が飾られいる。盆栽で、樹齢1000年以上というのに、日本人だけではなく、外国人には驚きだっただろう。

 盆栽は、写真撮影が出来るが特徴で、みんなばんばん撮っている。子供が途中で飽きる可能性もある。でも、写真を撮ったり花が咲いている盆栽を観たり、自然石なのに、観音様やマリア様に見える物など、不思議な世界に、シャッターを切っていた。昼食を取ってから、行ったが、4時間くらい会場にいた。値段も高いものばかりで、下山さんの娘も割とおとなしかった。

 大宮は、関東大震災で被災した東京の盆栽屋が、集団で移転して来た所で、大宮盆栽村がある。その象徴が、盆栽美術館である。去年京都へ行った時に、メッセで観た盆栽展も写真撮影が出来、素晴らしい盆栽が並んでいたが、今回も素晴らしい盆栽が並んでいた。今や、盆栽は世界中に愛好家がいる。ネットなどでも外人の盆栽などが観れるし、大宮や神奈川、京都、高松などに外国から学びに来る人も多いようだ。

 盆栽などやるつもりもないし、分からないが、庭を観て良いなと思う気持ちと、同じように良いなぁと思うものがある。藤の盆栽に花が咲いているものや、皐月、梅など華やかだ。基本は松。でも、松以外にも、色々あるが、秋に色づく楓も、今の時期は青楓でそれはそれで風情がある。


 5月1日(月) 晴のち雨のち曇 6904

 天皇賞・春は、ヤマカツランデンが逃げて、番手にキタサンブラック、サトノダイヤモンドは中段。1000mが、58.3秒という超ハイペース。出遅れたシャケトラはかかっているし、同じく出遅れたゴールドアクターは、もうこの時点で圏外。典ちゃんが乗って先に行けないなら話にならない。3コーナーから4コーナーで、10馬身以上離れていたヤマカツとキタサンはあっという間に詰まって、4コーナーを廻ったときは、馬なりでキタサンが先頭にたった。シュバルグランが2番手その後ろに、内にアドマイヤデウス、外にサトノ。

 直線では、もうほぼセイフティーリードのキタサンに鞭を入れて3頭が追い出すが、追いつかない。問題は2着3着。2着のシュバル、福永が必死に追う。その後ろのアドマイヤとサトノが差を詰めれない。キタサンが2馬身以上あった着差を1馬身1/4に詰められたが優勝。2着シュバル、3着がようやくサトノ。優勝タイム3分12秒5は、あのディープインパクトの3分13秒4を上回るレコードだった。

 2強対決は、2強で決着がつかないことが多いが、その通りになった。しかし、3着までに来たので、ワイド、3連複と的中。といっても、配当が安すぎ。キタサンは、枠が良かったことと、展開が向いたことが完勝の理由だろう。直線に上り坂がない、平坦の京都では、サトノの末脚はいかせなかった。馬主の北島三郎、騎手の武豊はにんまりのレースだ。ルメールは、GⅠは弱いなぁ!この日4勝しているのに、肝心のレースでは勝てない。

 28日は、マンサナレスが耳1枚が2回。29日セビージャの闘牛は、フェレーラ、パコ・ウレニャが耳1枚。動画見る限りでは、ウレニャのファエナが良い。フェレーラは、バンデリージャの後、モントリュと二人で天を指して、抱き合っていた。92年5月2日にモントリュの父親がセビージャの闘牛場で牛の角に心臓を貫通する傷を受けてほぼ即死状態で死んだが、25年の歳月を経て、それを記念しているのだと思った。あの頃まだアレナに立っていなかったモントリュの息子も、今や白髪だ。歳月を感じてしまう。


 5月2日(火) 晴 15036

 昨日昼過ぎにザーと降った雨で寒くなった。風も強かった。今日は晴れたら21度くらいで過ごしやすい天気だった。買い物などして、医者に行き薬を処方して貰った。そして、銭湯で汗を流した。シャワーより絶対湯船が良い。さっぱりした。日曜日に、競馬の後MEGUさんと会って夕食を取った。競馬の話もしたが、TTTの昔話やスペイン関係の人の話などした。その中で、最近病気になった人がいて、相談を受けた話など訊いた。Iさんも、堀越さんも死んだ。もうみんな年を取って体にがたが来る頃なのかも知れない。ほぼ僕の会に来る人しか付き合いがなくなったので、他の人がどうなっているのかは、誰かから訊かないと分からない様になった。

 昨日の夜中、ライブ動画で、セビージャの5月1日の闘牛を観た。パキーリ(リベラ・オルドニェス)のセビージャ最後の闘牛。あんなんで耳を出すセビージャって、あーセビージャだなと思った。とにかく昔から、お坊ちゃまを甘やかして来たので、あれで耳もある意味そうだろうなぁと思うのだ。それにしても、あの闘牛で20年以上金を稼いで来たと事は、闘牛興行のある典型でもある。有名闘牛士の家の闘牛士にはそういう道がある。フィラエル・カミノ、リトリ、チャマコなど。でも、その中でも1番名前のある、アントニオ・オルドニェスの孫、パキーリの息子という、2人の偉大な闘牛士の幻影が付いていたからここまでやれたのだろう。まだ、弟のカジェタノの方がましだ。昔闘牛士を6つのタイプに分類したときに、リベラ・オルドニェスは、NADAの生1本型と命名した。だって何もないからだ。闘牛界には、あれよりも技術があり、素晴らしい闘牛士が一杯いた。でも、興行主に呼んで貰えない。闘牛をやって客も入らない。良い闘牛が続かない。興行主は、客を呼べる闘牛士が必要だ。そうなると、上記のような事になる。彼のために、どれだけ多くの闘牛士が無名のまま闘牛士を辞めていったことか。それを考えると……。

 部屋に帰って競馬中継の録画を観た。天皇賞・春前の予想で、井崎修五郎が、色々データをいって、本命アルバートを指名していた。相変わらずだなぁと思って訊いていたが、元AKBの小嶋陽菜が、「キタサンの3番。ブラックの2枠。絶対来る♡!」といっていたのを訊いて、ある意味感動した。キタサンブラックは、2枠(は黒色)3番に入っていたからだ。それが、正しいと思った。そういう感覚を持っているって素晴らしいと思った。実際5着だったアルバート。優勝したキタサンブラック。どっちが正しいの?結果が物語っているじゃないか!

 気付いたことだが、5月2日のマドリード、ラス・ベンタス闘牛場のディエゴ・ウルディアレスとパコ・ウレニャのマノ・ア・マノの切符が全然売れていない。良いカルテルだと思うのだがと、思っていたら、なんとなんと、チャンピオンズ・リーグ準決勝が、サンティアゴ・ベルナベウで行われる。つまり、レアル・マドリード対アトレティコ・デ・マドリードの試合があるのだ。これじゃ切符が売れないもの納得って感じになるんだろうなぁ。


 5月3日(水) 晴 24805

 土曜日の『美の巨人たち 伊藤若冲』。NHKで詳しくやったものが、ほとんどだったが、代表作『動植綵絵』30幅の中に、隠し絵があるという。相似という隠し絵が、86ペアあるのだという。これにはちょっと驚いた。「千載具眼の徒を俟つ」という若冲の言葉は、この隠し絵も含まれているのではないかという。

 それと驚いたのが、ETV特集『日本の文化財を守れ~アトキンソン社長の大改革~』を観る。デービッド・アトキンソンは、日本で国宝など寺社仏閣の修復を手掛ける小西美術工藝社社長である。小西工藝社の創業は日光東照宮が出来たときと同じで、創業380年。主に建物の漆工(漆塗り)、色彩、飾り金具などの文化財の修復をやっている。日光東照宮、春日大社、住吉大社、伊勢神宮、二条城、皇居などである。

 アトキンソンは、イギリス生まれで、オックスフォード大学で日本学を学ぶ。これは、学生時代、経済で日本が凄かったから、日本学を学んだという。卒業後はアナリストとして歩む。ソロモン・ブラザースやゴールドマン・サックスなどで証券マンとして働く。日本在住25年。日本語も堪能だ。証券会社で貰っていた年収の8日分が、社長しての年収だという。では、何故そんな低い年収で、社長を引き受けたのか?

 「私が何故、文化財修復会社の社長をしながら提言を続けるのかというと、それが日本の為になると信じているからです。日本の歴史や伝統というのは、日本のみなさんは勿論のこと、人類共通の資産だからです。これを守り、次の世代へと継承していく事は、日本の為だけでなく、世界の為になると、本気で考えているんからなんです。」 ーー『日本の文化財を守れ~アトキンソン社長の大改革~』アトキンソンの言葉よりーー

 2日のセビージャは、耳は出なかったが、モランテが良い所を見せたようだ。マドリードは、パコ・ウレニャが耳1枚。最後の牛で、カルトゥーチョ・デ・ペスカドからナトゥラルで始めたファエナで耳を取った。ちゃんと結果を出したパコ・ウレニャ。サン・イシドロで観れるのが楽しみだ。サッカーの影響で、1/3の観客の入りだった。そして、サッカーは、レアル・マドリードが3-0でアトレティコに勝った。CR7のハットトリックという最悪の結果だった。


 5月4日(木) 晴 9525

 憲法記念日の昨日、安部首相は、2020年に憲法改正をしたいと明言した。3日NHKでやった、NHKスペシャル『憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた』は、今までの定説をくつがえるような内容だった。進駐軍から押し付けられた憲法を日本政府が、受け入れた。だから、日本人が作った憲法を作らなければならない。首相など改憲派の主張はそういうような物だが、そうではないということが、この番組で提示された。

 昭和天皇は、戦争直後、平和国家を建設したいという勅語発した。昭和21年1月1日天皇の人間宣言。1月24日GHQのマッカーサー司令官は、上陸後、幣原(しではら)首相と通訳も付けず3時間会談したときに、米軍が一発の銃声もなく、一滴の血も流さず、進駐できたのは、全く日本の天皇の力による事が大きい。といったという。首相の最大の目的は、国体の護持。つまり、天皇制の維持である。そのためには、戦争を放棄するという様な事を、ハッキリと世界に声明する事。それだけが日本を信用してもらえる、唯一ほこりとなる事じゃないだろうか。幣原首相は、天皇制の維持と戦争の放棄の2つを伝えた。

 これは、明治憲法では、天皇は三軍の大元帥であるという、外国人のイメージを払拭する効果があると考えたようだ。

 しかし、幣原内閣の憲法問題調査委員会が憲法草案を作成していた。その中で、新しい時代に合った憲法を作成しようと、東京帝大の宮澤俊義教授は、軍関連の物全て削除するように提案したが、それに反対したのは、松本烝治委員長(国務大臣)だった。そして、2月1日草案をスクープする記事が新聞載った。「立憲君主主義を確立」を伝えた。それを見たマッカーサーは、極めて保守的と判断して、GHQが憲法草案を作成することを決断する。

 マッカーサーが急いだ背景には、極東委員会の存在がある。極東委員会は、2月下旬からGHQを管理する事になっていたからだ。図式で観れば、1番上に、極東委員会、GHQ、日本(天皇、幣原内閣)。極東委員会には、天皇制に厳しい見方をしているソ連、オーストラリアなどがいる。2月3日マッカーサーは、新たな憲法の基本原則を指示する。いわいるマッカーサー・ノート。そこに、のちの憲法9条になる戦争の放棄が示された。戦争の廃止。戦力の不保持。交戦権の否認。自衛戦争の放棄。この原則を基に1週間で作成するよう指示した。

 作成を指示された、ケーディスは、どんな国でも自衛の戦争の放棄はあり得ないということで、その部分を削除して、新に、武力による威嚇、または武力の行使は、永久に放棄するを加えた。これにより、侵略戦争の放棄をうたった。2月12日GHQの憲法草案が完成。翌日、日本政府に見せ、「マッカーサー元帥は天皇制に対する、連合国の批判に耐えきれなくなるかもしれない。しかし我々の草案の基本原則を受け入れれば、天皇の身は安泰になるであろう。逆に日本政府が拒否すれば、マッカーサー元帥はこの草案を日本国民に公表し、国民投票にかけることを決意されました。」(ケーディス)と伝えたという。

 日本政府は、GHQ草案を受け入れる。それにより国会で、帝国憲法改正案が進められる。4月10日戦後初の総選挙が行われ吉田首相が就任。衆議院小委員会。7月25日帝国憲法改正案委員小委員会が始まる。14人。各政党から法律の専門家を集まった。50年間封印されていた、速記録が公開された。日本人の手で多くの条文が修正された事が分かる。 日本社会党の鈴木義男(のちの司法大臣)が9条の冒頭に、ただ戦争放棄だけをいったんじゃ、消極的な印象になるので、平和を愛好するということを付け加えようと提案。他の議員から賛同の声が上がる。 日本進歩党の犬養健(犬養首相の息子で、のちに法務大臣)が、「何か積極的な摂理として、戦争はいかぬというような字が入ればなお良いと思います」 委員長の日本自由党の芦田均は、「社会党の案に何か平和愛好の意味の箇条があったのではないですか」 鈴木「日本国は平和を愛好し、国際信義を重んずることを国是とし教育の根本精神をここに置く、といようなことを表せば法律になる。」

 鈴木は海外留学の体験から、第1次世界大戦(1000万人死亡)などを観て、国際協調と戦争の違法化する、新しい考え方を学んでいた。「人類文化の理想が平和にある」彼はこう考えていた。 外交官出身の芦田均は、この提案を受け止める。「外務省から来た印刷物に、国際信義を重んじて条約を守る、ということが、どこかにあって欲しいという意見が出ておりましたがね」 犬養「外務省が今日、言ってきたのは、日本が締結または加入した条約、日本の参加した国際機関の決定及び、一般に承認された国際法規は、この憲法と共に尊重せられなければならない」

 この外務省の資料が国会図書館にある。作成したのは、外務省、条約局長、萩原徹。この資料を提出した理由を報告書に残していた。戦前大陸に進出して、国際連盟を脱退した日本の外交を、ドン・キホーテ式外交と指摘。日本の伝統的外交を破壊したと考えていた。だから、憲法と国際条約を同じように尊重するべきだとしている。「新日本が国際秩序の中にのみ存在し得る」

 さらに芦田委員長がこの資料を積極的に9条の修正に生かそうとする。各党の委員が積極的に意見を言う。 日本自由党、廿十日出彪「一つの案ですが、色々折衷してまして、日本は平和を愛好し、国際信義を重んずることを国是とし、国権の発動たる戦争と言って、後は続けても差し支えないと思うのです」 芦田「私の個人の意見としては、ただ平和が好きだというのみならず、自動的に平和維持のために努力する」 廿十日出「それではこうしたらどうでしょう。日本国は恒久平和の建設に志す」 日本社会党、森戸辰男「日本国は恒久平和の愛好者として国権の発動たる戦争というようにしても良いと思います」 次々と提案が出された。

 7月29日。再開された委員会の冒頭で、芦田委員長が一つの案を示す。「日本国民は正義と秩序とを基調とする、国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権を否認することを声明する。」 鈴木「戦力を保持しない。国の交戦権を否認する。と言い放せば良い。自分の行動を規律することを、ここに意思表示するのです。」

 ここに憲法9条の平和主義が出来上がった。国体の護持から始まった、憲法作成。幣原首相が初め言った戦争放棄。このことによって、国体は護持され、戦後民主主義が発展し、経済的にも発展していった。新たな資料から、日本が積極的に9条を作った事が伺われる。憲法9条は、個人的には日本の誇る世界文化遺産だと思っている。この番組は、GHQマッカーサーから押しつけられた憲法ではない事を語っている。

 3日のセビージャ。パディージャ、場内1周、強い耳要求で場内1周とプレシデンテに罵声。ファンディは、コヒーダされ流血。そして、強い耳要求で場内1周とプレシデンテに罵声。ライブでパディージャの1頭目を見たが、何故耳が出なかったのか不思議に思った。ファエナの初めは、膝を折った右手のパスを繋いだ。パスの後に牛が逃げていく様な癖のある牛で、それを上手いこと、膝を折ったパスで牛を調教しているのが凄いと思った。牛の扱い方が、上手いなぁと感心した。ハンディージャの癖牛をああいう風に、ならしていく技術はもっと賞賛されても良いと思う。


 5月5日(金) 晴/曇 5110

 。ネット社会になって、配送業者の人手不足が深刻になってきているようだ。便利だから使うのだが、不在票を投函して、2度も3度も再配達。残業も多いし、荷物も大量に増えた。ヤマトも佐川も日本郵便も大変だ。ヤマトは、アマゾンの様に大量に発注してくる業者の値段を上げるとか、時間指定廃止など色々な対策をして欲しいと、組合からの要望があると聞く。店舗販売が不振になってきて、ネット全盛の時代。何かが間違ってきているのかも知れない。歪んできているのかも知れない。こういう状況では、アマゾンと契約したがる配送業者はいなくなるだろう。

 4日セビージャ。モランテは、バンデリージャを打って客を喜ばせていた。タラバンテが耳1枚。ダビ・モラが場内一周。


 5月6日(土) 晴 10696

 5日のセビージャをネットのライブで観ていた。2頭目のマンサナレスの牛は、癖牛。それをムレタで、パスを続けて良い感じだった。所がデレチャッソからナトゥラルに替えたとたんに、牛が動かなくなった。迷っていたが、そのまま続けて牛は、パスの後逃げていくようになる。あそこで、デレチャソに戻していれば良いファエナになっていたと思う。良い方の角でやるのが基本。気付いたら良い角の方に戻せば直っていたと思う。デレチャソの途中で、タンダ・ムレタソのあとに、牛が向かってきて危なかったが、ああいう仕草からも、左角が短いの判る。やり方を間違えた。まるで、勝負馬券を間違えたような感じだ。

 3頭目のロカ・レイの牛は、凄く良い牛だった。耳2枚かもと、マンサナレスの牛との比較で思った。でも、途中で寝ていた。もう夜中の2時半頃。しょうがないよな。起きたら、予想通り、耳2枚を取っていた。やっぱりなぁと思った。


 5月7日(日) 晴 11411

 直前になっても、荷物を全部入れ終えていない。持っていく物は大体出しているので、悲観していない。NHKマイルは、2番人気のアエロリットが、好位から抜け出して快勝した。1勝馬なのに2番人気は、重賞で2着が続いていたからだ。横山典弘は、ちゃんと結果を出した。インタビューを訊いていたら、おでこが、大分上がってきている。デビュー当時は、フサフサだったが、やっぱり年を取るとこうなるのかと、思ってみていた。息子二人がJRAで、騎手デビューしている。格好いいところ見せたよね。こういう風に、お手馬で、手塩に掛けてGⅠを取る騎手が好きだ。勿論、典ちゃんならもっとも嬉しいことだ。おめでとう。妹の旦那の菊沢調教師も、GⅠ初制覇。嬉しそうだった。義理の兄貴の腕が良かったねぇ。


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