−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行、2016年11月京都旅行の滞在日記です。
4月1日(土) 雨 11228
昨日からの雨もあり、冬のように寒い日になった。『べっぴんさん』は、最終回。紀夫から貰ったカメラを分解した孫の藍。まるで、すみれの子どもの時と一緒だ。すみれは子どもの頃、靴が針と糸で縫われている事を知ると、どうなっているのか知りたくて糸を全部ほどいてバラバラにしたことがある。藍がカメラが好きなので、昔すみれが明美に送った、写真入れを藍のために作ることにした。刺繍は、もちろん四つ葉のクローバー。それと藍の好きなカメラ。四つ葉のクローバーには意味がある。すみれの母はなが教えてくれた言葉を添えた。勇気、愛情、信頼、希望。それが全部そろうと幸せになれるの。忘れんといてね、大人になっても。
キアリスの35周年パーティーが終わり、みんなレリビーにやってきた。藍が四人に駆け寄り、「写真入れをもっと作って下さい。」という。わけを聞くと、写真入れを見せたら、「クラスの子が、良いなぁ。欲しいなぁって。」これもさくらが子どもの頃クリスマス・プレゼント同じだ。それで、クラス全員分の写真入れを作ることにする。
君枝「音楽が好きなまみにちゃんには、音符。バスケットクラブのゆきちゃんは、バスケットボールかな」みんな「あっ、そうねぇ」良子「クローバーは共通で、名前も入れるよね」明美「あっ、入れよう」みんな「そうねぇ」………明美「今の写真は昔に比べて大きくなったねぇ」すみれ「明美さんの分も作ろか?」良子「そうしたらあたしも欲しいわ。四人お揃いの写真入れ」君子「わたしも欲しい。作ろうよ」すみれ「そしたらそれぞれ内緒で刺繍しようか」 「その人のイメージで」 「そうー」
出来上がった写真入れを見せ合う四人。良子「わたしは、エプロン。」君枝「わたしは、色鉛筆」明美「うちはハート」すみれ「わたしは、すみれ」はなのナレーションで、「一生の友達でいてくれて、ありがとう」戦中の高校時代。戦後、子どもを抱えて焼け野原を見て絶望した時代から、四人で子どものため、お母さんたちのために作ってきた子供用品。それは、麻田がすみれに教えた、「一生懸命心を込めて作れば、思いは伝わるんです」という言葉から始まった。半年、楽しませてくれてありがとう。
「例えば日本女性は、針に糸を通すのではなく、糸に針を通す。また、着物の上で針を走らせるのではなくて、針をじっと持ったままで、着物を走らせる。
考古学調査で最近発掘された土の焼物からは、日本人がすでに六世紀に、我々の習慣とは反対に、右側から馬に乗っていたことがわかる。今日でも、日本を訪れる外国人は、日本の建具師が、我々のように鋸(のこ)を向こうへ押しながら切るのではなく、手前に引きながら切るのを見て驚く。またフランス語ではその名の通り、プラヌと呼ばれる両柄の鉋(かんな)も、同じように引いて使う。日本では陶工は、ヨーロッパや中国と異なって、轆轤(ろくろ)を左足で蹴って逆方向に回す。」
「チェンバレンとフロイスは、紀元前五世紀にヘロドトスが、日本と同じくらい謎に包まれたエジプトという国について語ったものと同じ表現方法で、自分たちが日本について述べていたことには、思い至らなかったであろう。例えば、このギリシャ人の旅人ヘロドトスは、「エジプト人は、……ほとんどあらゆる点で他民族とは正反対の風俗習慣をもつようになった。例えば、女は市場へ出て商いをするのに、男は家にいて機織をする。機を織るにも他国では緯(よこいと)を下から上へ押し上げて織るのに、エジプト人は上から下へ押す。……小便を女は立ってし、男はしゃがんでする。」などと書いている。事例をこれ以上挙げないが、三人の筆者に共通する物の見方が、はっきり表れている。」 ーー『月の裏側』 レヴィ=ストロース著よりーー
西洋人と反対の事をすると、レヴィ=ストロースはいう。大事なのは、反対であるということではなく、自分たちの使いやすいように改良していく独創性が素晴らしいといっている。縄文時代、世界に類を見ない火焔土器、中国から入った鋸が押すタイプだった物を、自分たちが使いやすい引くタイプに替える。そして、素晴らしい建物を造る。「この独創性によって、日本人は私たちを豊かにしてくれることができるのです。」といっている。
4月2日(日) 曇 7601
今日もまだ寒い。もう咲くかと思っていた桜は、5分くらい。来週かな。来週は、桜花賞なので、丁度良いといえば、丁度良いのだが。
近松の文楽の映画の後、部屋に帰ってきてテレビを見ていたら、狂言師、野村萬斎X真鍋大度(メディアアーティスト)の舞台をやっていた。狂言師だけが舞えるという三番叟(さんばそう)に、真鍋大度が舞台背景にアートする。三番叟は、天の岩戸に籠もった天照大神を何とか外に出そうと、アメノウズメが踊った踊りを基本としているという。でもなぁ、アメノウズメが踊った踊りって今でいえばストリップだ。胸を出し、陰部を出して踊った。それを観た八百万の神が笑った。外では楽しいそうにしているのを、不思議に思った天照大神が覗く……。
映画『シンゴジラ』のモーション・アクターでもある野村萬斎X真鍋大度の舞台作成過程や舞台、観客の反応などを観ていてこういうやり方で、狂言が生き残ろうとしているのだと思った。勿論萬斎は、俳優としても、朝ドラの『あぐり』や映画、『陰陽師』、Eテレの子ども番組『日本語であそぼ』などに出演している。自然にそういうメディアを通じて狂言に興味をもって舞台を観に来る人も多いだろう。最後の鈴の舞で黒い面をつける。それは死者を現すようだ。それにしても、素晴らしい舞台だった。ますます見直した。舞台後ろのアートと動きや音など共鳴していた。あるところでは、同調していた。古典芸能は凄いもんだと思った。
その直ぐ後にEテレで、にっぽんの芸能「色とりどり 三味線の世界」を観た。太棹、中棹、細棹ある三味線。出演は、長唄三味線の杵屋勝国、義太夫三味線の鶴澤藤蔵、鶴澤寛太郎、新内三味線の新内仲三郎、新内剛士、現代曲を多く演奏する本條秀慈郎。三味線って、津軽三味線しかちゃんと聴いたことがない。市川雷蔵の大映映画が印象に残る。本條秀慈郎の様に外の世界に演奏の場を求めてやっている人を知った。津軽三味線だけじゃないんだ、こういう事をする人はと、思った。それと、1番ビックリしたは、文楽には、「曲弾き」をいうのがあって、それを鶴澤貫太郎が弾いた。それは、糸を押さえる左手で弾いたり、上下逆にしたり、右指でフラメンコギターの様にはじいたり、どうを叩いて音を出したりする。
これは、アメリカの黒人ブルースの舞台で、客を飽きさせないようにするために、ギターを背中に回して弾いたり、歯で弾いたりしたのと同じだと思った。昔からこういう工夫がされていたのだと、驚いた。しかし、それが、文楽の舞台に反映されていないことが残念だ。もっともっと、客を集める為の興行的な見せ方のアイデアを出して、やっていた方が良いと思った。技術だけではすたれていく。また、作曲家・藤倉大による三味線の現代曲「neo」を本條秀慈郎が演奏していた。曲自体は、そんなじゃなかったが、こういう試みをドンドンやっていって欲しい。神楽坂や下町を歩いて、聴こえてくる三味線の音は風情がある。明治の頃は、三味線の音が一杯聴こえていたんだろうと思う。漱石や鴎外、荷風の頃には……。
4月3日(月) 晴 5250
プロ野球が開幕して、日本ハムの大谷は、1戦目、4打数2安打。2戦目、4打数3安打。3戦目、4打数3安打1本塁打だった。つまり、開幕して3戦終えたところで、12打数8安打、打率6割6分7厘で、両リーグ通じて打率トップで最多安打である。驚異的だ。足首が完全じゃないとはいえ、この数字は高校野球の様な感じだ。しかし、チームは1勝2敗。足の状態も大分良くなったようで、投球練習も始めたという。4月中には、マウンドに上がれるのではないかと思う。
今週は桜花賞。乙女たちの戦いだ。おそらく、何もなければソウルスターリングが優勝するだろうと思うが、有力馬の中に、カラクレナイという馬名の馬が出走する。そう百人一首の、「千早ぶる 神代も聞かず 竜田川 から紅に 水くくるとは」 在原業平の歌から取った名前だ。落語では、花魁千早が相撲取り竜田川を振って……と八五郎に、ご隠居が出鱈目な説明をする。他に崇徳院という落語も、百人一首からの話だ。こちらは、「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の 別れても末に 逢はむとぞ思ふ」 崇徳院。こっちは、恋患いの話だ。
千早ぶるは、最近では、『ちはやぶる』とひらがなになって、歌留多の漫画になった。こっちの方でしか知らない人も多いのかも知れない。カラクレナイは、走るのだろうか?そんなことを感じながら、桜花賞を考えたいと思った。昨日のGT大阪杯は、北島三郎の馬に武豊が乗って、キタサンブラックが優勝した。やっぱり、9の法則だった。
4月4日(火) 晴 13395
桑田佳祐の歌が流れ、増田明美のナレーションが流れ、『あまちゃん』の天野春子の少女時代を演じた、有村架純が主役の朝ドラが始まった。朝から桑田佳祐の声を聴き、増田明美のしゃべりが、何か違和感なく入ってくる。元マラソンランナーで解説をやっているのを観て、ナレーションをやらせたら面白いと思ったディレクターが口説いたらしい。変な期待感を感じる。
4月5日(水) 晴 22992
旅行会社に連絡した。ホセ・トマスの動向は不明のままである。何か感が当たっているような気がする。出発も含め、帰国便ももう決めた方が良いような気がする。ヘレスには出ないだろうし、レオンやバダホスもないような気がする。勿論、春のニームもないだろう。そうなると、思い切ったやり方をする方が、良いのかも知れない。そろそろ決め時期が来ているようだ。
昨日の夕方、ZOZOマリンスタジアムで、ロッテ対日本ハム戦を観た。試合の勝ち負けはどうでも良いといえは、どうでも良くて、大谷翔平を見ていっているのだ。来年大リーグに出すと、栗山監督が明言しているのだから、今年が最後と思って、大谷を観に行く事にしている。四球一つで4打数ノーヒット。冬のように寒い球場。上はダンジャケを着ていたので良いのだが、下は寒かった。今は球場のスタンドではタバコを吸えない。どうなっているんだ。喫煙者は球場に来るなと言うことなんだろうなぁ。非常に憤慨する。思えば、東京ドームが出来て、スタンドでタバコが吸えなくなってから野球を観に行かなくなった。野球は、ビールにタバコだろう!野球を女子供の物にしちゃ駄目なのに……。でも、女子供に来て貰わないと球場が埋まらないという現実。
ロッテファンの応援団を観ていると、こんな弱いチームの為に毎試合集まるファンは素晴らしいと思う。こういうファンを持っていることを球団は大事にしないといけない。この日は入場者全員にロッテのフリーズを配布していた。だから、貰ってきた。こういうファンサービスをやって欲しい。入場券が安いと感じる事をドンドンやって欲しい。公式戦で野球を見に来たのはおそらく、30年ぶりくらいだろう。イチローが出ても球場には観に行かなかったが、大谷は特別の特別。岩手の星は、今や日本の星だ。星は星でも、巨人の星じゃない。それが、また良い。心情としては、今でも阪神ファン。今じゃ、阪神はどうでも良いけど……。
東京に出てきた頃は、後楽園球場の外野席は、300円だったが、この試合の外野席は指定席で、2700円もする。高過ぎだよなぁ。こんなんじゃ、気軽に家族で野球を楽しむって気にはならないだろうと思う。こんな値段なのに、野球選手の年俸は安い。せめて、140試合以上するのだから、平均で1億5000万円貰えるようになると、子供たちは、大きな夢を見ることが出来ると思う。一部の選手だけが、1億円以上じゃ、野球のレベルは、世界から落ちていくと思う。中には、10億円とか20億を貰う選手が出れば、大リーグに行く選手は、少なくなるだろう。昔だったら野球の話をしたら、一晩中話していられた。この辺でやめにする。
4月6日(木) 晴/曇 9385
今日もロッテ対日本ハムを観に行った。デーゲームで、ナイターだった4日は切符は完売だったが、今日は当日券も売っていて、子供連れも多かった。日本ハムは斎藤佑樹が先発した。試合前に外野で投球練習をしていた。何かパッとしなかった。大谷は、3打数1安打1四球。二塁打を打った。今日は、打線を組み替えて、2番大谷、3番近藤、4番中田だった。当たっている大谷と近藤を並べたが、近藤は不発。大谷と近藤は、一緒に打つことが少なく、日替わりで打ってきたので、今日は繋がらなかった。
多分、スペイン行きの日取りを、明日決断しなければならないだろう。
4月7日(金) 雨/曇 14117
スペインのフィリッペ国王が来日して安部首相会ったというニュースが流れていた。晩餐会にエイバルの乾が出席したのだろう。スペインでは、何故リーガの試合を休んでまで、日本に帰国するのかと話題になったようだ。乾は断ったようだが、日本大使館から、クラブの会長に話が持ち込まれ、マーケット戦略から、監督に乾を出席させる決定を行ったことを伝えた。それで、乾が帰国して、2試合欠場が決定した。1人のプロサッカー選手を、一国の首相が圧力を掛けて、自分の思うようにするというのは、異常な事だ。何かが違うと思ってしまう。
エイバルの監督は怒って、戻ってきても今までポジションは保証しないといっているようだ。乾には、いい迷惑だ。これで試合へ出場できなくなっても、安部首相は何もやってくれないだろうし、そういう権限もない。何のために、乾を呼ぶのかという、意味さえ判らない。
『カンブリア宮殿』で、バリューマネジメントの他力野淳の事をやっていた。放置された歴史的建造物や遊休施設を、レストランや宿泊施設として再活用する事業会社パリューマネジメント。「日本の文化を紡ぐ」事を理念に掲げ、使われなくなった古い建物を後世に伝えようと、民間の力で様々な建造物を価値ある施設へと甦らせている。 ーー『カンブリア宮殿』HPよりーー
こういう人がいるんだと、驚いた。視点を変えて、古い物に価値を見いだして、再生事業ビジネスで、成功しているとのだという。文化財に指定されると、維持や修復には経費がかかる。アイディアがあると、そこにお金を生まれる。録画していた、『ガッテン』の冒頭で、「ガッテン」といろいろな人がいうシーンがあるが、なんと、マドリード、ラス・ベンタス闘牛場の前で、スペインの子供たちが、「ガッテン」といっているシーンが出てきてビックリした。観ていたら、スペインは缶詰大国だからだという。缶詰特集だった。
ニーム(6月2日〜5日)とグラナダ(6月15日〜18日)のカルテルが発表になった。
4月8日(土) 雨/曇 13773
注目の桜花賞の枠順が発表された。7枠14番に、ソウルスターリング。7枠15番にアドマイヤミヤビが入った。1番人気2番人気で、前日発売のオッズは、ソウルが1.1倍と圧倒的な人気になっている。ミヤビは、9倍で、後は全て10倍以上になっている。2枠3番が出走取り消しになった。買い目が見えた感じだ。
『ブラタモリ』は、京都・清水寺。断層がこの寺を作ったようだ。その前にある六波羅珍皇寺。あの世とこの世の境。断層は、あの世とこの世の境も、現していると、タモリが言った。タモリは、ブラタモリで良く、何でも際が面白いという。その通りだと思う。今回の『ブラタモリ』はめっちゃ面白い。大谷が、怪我をした。肉離れらしい。
4月9日(日) 曇 8291
『日曜美術館』は、ピカソX北野武だった。年度替わりで、MCのアナウンサーが替わり、井浦新は替わらず、ゲストに北野武。『ゲルニカ』などを読み解く。最後の『男の顔』。ピカソは後期に、最近ようやく子供のような絵が描けるようになってきた。と、いっていたという。美術美術評論家の絵の話では、聞けないような話。芸人・映画監督・テレビ人としての顔がそこに出ている。息を吸うように、絵を描いている。人間の醜さまでも絵の中に……。観たままを描くのではなく、思うように描く。
4月10日(月) 晴/曇 11485
何なんだろう?よく解らないのだ。何がといえば、昨日ラス・ベンタス闘牛場で、ドミンゴ・デ・ラモスの闘牛が行われた。ビクトリーノ・マルティン牧場の牛のソルテオから行列が出来、闘牛場もかなりの人が詰めかけた。3/4も観客は入ったという。入場行進のあと、1分間の黙祷がアドリアン・イノホサに捧げられた。これが解らないのだ。この8歳の男の子が、闘牛士に憧れ、病気で死んだ。それで、闘牛士が死んだときのように、黙祷が捧げられたのだ。はたして、ラス・ベンタス闘牛場の黙祷に値するのだろうか?意味が解らないのだ。
去年の後半に彼のための資金集めのためのチャリティーなどが行われた。ネットでも良く彼の写真や記事が載った。闘牛士と一緒に場内一周したり、肩車されたり……。そうやって、闘牛士や闘牛ファンに支援されることは、良いことである。でも、彼が死に、その死をいたんで、ラス・ベンタス闘牛場で黙祷というのは、どうにも納得がいかないのだ。
去年闘牛場で死んだ、闘牛士ビクトル・バリオの為に、有名闘牛士たちが葬式に駆けつけ、彼を讃える闘牛が開催された。ホセ・トマスが出来から観に行ったが、有名闘牛士でもない闘牛士のために何故こうも盛り上がるのだろうという疑問は常あった。結衣さんの言葉を借りれば、「フィグラでも何でないのに、どうしてこうまでビクトル・バリオを讃えるのか解らない」。僕もそう思った。闘牛が観れるからそれを受け入れていただけだ。違和感を感じる。
死者に対する、受け止め方が違うのか?日本なら有名でもない人を讃えたりしない。だから、アドリアン・イノホサの死に、ラス・ベンタス闘牛場で黙祷を捧げるのに、強い違和感を感じるのだ。話は違うが、ペセタ時代のスペインの500ペセタ紙幣の女性を思い出した。名前も忘れたが、どこかの街のそこにいた女性を紙幣の肖像にした。何かをやった人ではない、女性をそうやって紙幣に印刷するのは、日本ではあり得ないことだ。それと同じような事が今回の、黙祷のような気がする。逆いえば、ビクトル・バリオにしても、今回のアドリアン・イノホサの死にしても、闘牛という物がスペインの中で追いつめられている証拠のような事象ではないかという危惧を感じた。20%を切った闘牛ファン。日本でいうと、20%を切った喫煙率。あーと、ため息をついてしまいそうな事になってきているんだと思ったのだ。
4月11日(火) 曇のち雨 9015
今日は、桜散らしの雨が降るという。九州から東北まで雨が降る。でも、東北はまだ桜は咲いてないだろう。ラス・ベンタス闘牛場に出たビクトリーノ・マルティンの牛だが、デカ過ぎ。あそこの牛は、500キロくらいで、大きくて530キロくらいまで、芦毛の牛が良い。600キロもあるような牛じゃ動かないだろうと思っていた。それにしても、観客は良く入っていた。驚いた。これも商売人のシモン・カサスだからだろうか?
『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、落語家・春風亭一之輔をやっていた。あれ観ていたら落語が聞きたくなった。寄席にでも行ってみるかと思った。
4月12日(水) 晴 14897
チャンピオン・リーグ準々決勝モナコ対ドルトムント戦は、ドルトムントの選手が乗るバス付近で爆弾が爆発して、怪我人が出て中止になった。選手に爆発で飛んだガラスの破片が刺さったり、骨折した選手もいる。ヨーロッパサッカーの過激なファンは、時として大きな問題を引き起こす。試合は翌日開催になった。変な遺恨を残すような雰囲気があったが、ドルトムントのファンは、地元で起きた爆破事件に、モナコファンへ、「一夜の宿を提供するというオファーが流れた。ドルトムント公式ツイッターも「モナコのサポーターへ。ドルトムントで泊まるところが必要な場合は、こちらをチェックして」と呼びかけた。」 ーー『ISM』よりーー
こういう風に緊張を緩和させるドルトムントファンの反応は、賞賛されるべき事だと思う。今週は、セマナ・サンタ。アルル、セビージャの闘牛も開幕する。NHKテキスト『100分de名著 小泉八雲 日本の面影』を読み始めた。「はじめに−−異文化に対するやわらかな眼差し」の中に、次の一文があった。
「八雲は今日まで日本人の自文化への認識に対してのみならず、日本の代表的な文人にもさまざまな影響を与えてきました。佐藤春夫、萩原朔太郎、永井荷風、小川未明など、八雲に影響を受けたという日本の近代作家は少なくありません。また、夏目漱石は、あたかも八雲の後を追うがごとく、熊本第五高等学校、そして東京帝国大学と、同じ教壇に立っています。
漱石は帝大ではまさに八雲の後任として採用されたのですが、それについて、夫人である夏目鏡子の『漱石の思い出』には、「小泉先生は英文学の泰斗(たいと)でもあり、また文豪として世界に響いたえらい方であるのに、自分のような駆け出しの書生上がりのものが、その後釜にすわったところで、とうていりっぱな講義ができるわけのものでもない」といった思いを漱石が抱いていたことが記されています。漱石自身も『夢十夜』などを読むと、八雲の影響を受けて作家活動を行っていたと思われます。
ーー中略ーー
……出雲大社の背後にある八雲山や『古事記』のスサノオの読んだ和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣作る その八重垣を」にちなんで「八雲」と名乗り、ついに日本人になった八雲の思いを汲みここでは、「小泉八雲」で統一することにします。」 ーーNHKテキスト『100分de名著 小泉八雲 日本の面影』よりーー
本も読んでいるがこれも読もうと思ったのだ。いわば、『日本の面影』は、小泉八雲の日本への恋文の様な物だ。『耳なし芳一』や『雪女』など日本の古い話を集録した『怪談』も良いが、八雲の白眉は、『日本の面影』などに入っている、日本を描写している物の中にあると思う。なにせ八雲の日本への恋文なのだから。ちなみに、来日直後八雲は、島根県尋常中学校(現松江北高校)、同師範学校(現島根大学)の職を得たが、それを仲介したのは、帝大で教鞭を執っていたチェンバレンだった。
4月13日(木) 雨/曇 6448
スペイン行きの日程が決まった。旅行会社とのやり取りで、値段とかもこんなもんかというところで収まった。後はそれに向けた準備をする事だ。Eチケットがメールから開けない。pinが必要だからだ。それ聞いてないよ。また、電話しないといけない。録画していた物を観ていたら、美空ひばりの歌ををやっていた。嫌いなのだ美空ひばりって。巨匠というか何というか、そういう雰囲気も嫌いで、歌は知っているが歌わない。唯一歌うのは、『真赤な太陽』。バックがブルーコメッツ。そうGS全盛時代の大のヒット曲。160万枚売れたという。これは歌った。真っ赤な服とミニスカートでゴーゴーを踊りながら歌った。それと『柔』かな……。
4月14日(金) 晴 22809
暑い。昨日は冬のように寒かったのに、今日は春の陽気で、一気に春仕様の服にしなければ汗が出てくる感じだ。土日はもっと気温が上がるという。リハビリに行ってきた。なかなか上手いこと行かないが、続けないと股関節は柔らかくならない。熊本地震から1年経った。災害はいつ起こるか判らない。人の人生って、そういうモノにも左右される事がある。
「日々のありがたさを噛み締めながら、それぞれの熊本復興に繋がっていけば良いと思います。」若い母親がニュースの中で言っていた。こういう時の女性の言葉というのは、心に響いて来る。男には、こういう言葉が出てきにくい。観ている世界が同じでも、見えている世界が違うのだと思う。
皐月賞の枠順が発表された。これから考えようと思っている。前売りが発売されているが、1番人気は、牝馬のファンディーナ。単勝1.8倍である。レイデオロが休み明けの鉄砲で出走することになったからだろう。それと、トライアルで勝った馬に、信頼が置けないという状況からだろう。
4月15日(土) 曇 14259
変な陽気だ。曇っているが暑い。今日明日が桜の見納めだろう。
いつも観ないチャンネルに回したら、『新・座頭市』をやっていた。根津甚八と森繁久弥が出ていた。やばいと思って観ていたら、座頭市の勝新太郎と、渡世人の森繁が酒の飲み交わしながら、「俺はあの唄が好きなんだ。もう1回唄ってくれ、ぼうふらの都々逸(どどいつ)」というと、森繁が唄う。
「ぼうふらが 人を刺すよな 蚊になるまでは 泥水飲み飲み 浮き沈み」
正義感の強い渡世人の根津は、腹に一物もっていたが、それを座頭市に指摘される。だまされた事を知っていても、一宿一飯の義理に固い渡世人の森繁。殴り込みの行こうとする一家を、市と根津が襲って斬り殺し、一方、森繁は、1人で殴り込みに行って親分を斬り殺す。そして、市と根津、森繁が道ですれ違うと、笠で顔が見えない森繁が市に斬りかかり斬られる。渡世人として駄目な自分は、お前さん様な人に斬られたかったと、市にいう。そして、その死に様を、渡世人としての厳しさと生き様として根津に見せるのだ。そうやって、自分の死をもって生き方を教える。
「ぼうふらが 人を刺すよな 蚊になるまでは 泥水飲み飲み 浮き沈み」という都々逸と共に……。これはテレビドラマのシリーズだが、こんな風に映画のように丁寧に作っていたんだと、あらためてビックリした。勝新だから、森繁や根津も出ていたんだと思った。物語も、都々逸の文句も、なかなかだと思った。
4月16日(日) 晴 5837
皐月賞は、案の定牝馬のファンディーナは来なかった。ハイペースで進んだレースで、直線で先頭に立ったが、好位に付けていた馬たちが坂上で抜け出してきて、アルアインとペルシアンナイトの一騎打ち。皐月賞初騎乗の9番人気の松山弘平騎手が、4番人気のミルコ・デムーロを競り落とし、GT初制覇した。引き上げてきたとき、顔が真っ赤になっていた。めっちゃ嬉しそうで、微笑ましい。嬉し泣きしてるんだろうなぁと思った。3着が武豊のダンビュライト。3連複10万馬券、3連単は100万馬券と大波乱。それにしても、重賞馬が11頭出た皐月賞。ここまで荒れるとは……。しかし、ダービーで勝つ馬が見えた気がした。
マラガでは、ベントゥラ、フォルテスが耳1枚。アルルでは、ファン・バウティスタが耳2枚。良いファエナだった。牛が良かった。ロカ・レイは耳1枚。相変わらず危なっかしい。
4月17日(月) 曇一時雨 11990
曇っていても温かい陽気。桜は散っている。それと共に、ツツジなどが咲き出した。春だ。百花繚乱を向かえる。
録画していた、Eテレ『SWITCHインタビュー達X達 松岡正剛Xコムアイ』を観る。ウェッブサイト、『千夜千冊』など智の巨人的な松岡正剛。日本というモノを強く意識されてくれる編集工学者・松岡正剛が何故、「水曜日のカンパネラ」のボーカリストのコムアイと対談したのか?コムアイってほとんど知らない。唯一と言って良いのは、『あまちゃん』以降干されていた、のん(能年玲奈)が声優を務めたアニメ映画『この世界の片隅に』の主題歌、『悲しくてやりきれない』を歌っていることしか知らないのだ。(訂正。主題歌はコトリンゴだった)
松岡正剛は、京都生まれ。呉服商の家に生まれる。父親は、落語家や歌舞伎俳優の知人が多く、子供の頃から独自の審美眼を叩き込まれたという。京都の町衆の中に育つ。悉皆屋(しっかいや)という職業。そこのお嬢さんから着物の注文があると、そこのお母さんとかおばあさんの還暦だとか、ご法事だとか、全部関わるという職業だった。都踊りがあると、そこの席も沢山買い込んで、でも、買い込めないからそこのお茶屋さんに、いくつか注文して、そのお茶屋さんごと、相撲の桟敷がそうなっているように、お茶屋さんごと松岡商店がそこに入っている。というモノを子供の頃から見ていたのだという。本楼という書庫。本で翻弄したいという意味らしいが、これはまた後にして。
『ブラタモリ』は、京都・祇園。お題は、日本一の花街祇園はどうできた?京都祇園の花街は、お茶屋・置屋・仕出し屋の3つの分業制が支えている。客が遊ぶお茶屋。舞妓、芸妓が住んでいて、お茶屋に派遣するのが置屋。客に出す食事をお茶屋の注文で作るのが仕出し屋。
今の花見小路がある四条通南側は、以前建仁寺の境内だった。そこを、廃仏毀釈で明治時代になって政府が没収して、大正時代に花街が出来たという。何故そうなったのか?四条通から花見小路を入って直ぐの所で道が曲がっている。何故かといえば、そこが建仁寺境内の境目で、四条通側には、一力亭というお茶屋がある。忠臣蔵の、大石内蔵助が遊びほうけたとされている所。明治の写真には四条通に入口がある。今は、花見小路に入口がある。何故替わったのか?その謎は、八坂神社へ行くと判る。
ここで、おなじみの京都高低差崖会の梅林秀行さんが登場。八坂神社は、断層の上にある。つまり、京都盆地がここで終わる。断層崖で、聖と俗が隣り合っている。八坂神社西楼門の階段を上れば、そこからが俗の世界から聖の世界へ。
大正二年に四条通に市電が通る。そのために、四条通の道幅を北に3倍に広げた。それに伴って、西楼門も今の四条通に合わせて正面に来るように移動した。そして、市電が通ることによって、子供も来るようになるので、四条通に面してあった花街が、四条通南側に移ったのだという。ここは組合が管理する地域。北側は、組合の管理ではなく個人。祇園は、八坂神社の門前街に花街が出来た処をいうのだが、八坂神社は、明治の廃仏毀釈で仏神分離で、名前が替わった。元々は、祇園社と言っていたという。お寺と神社がセットになっていたのだという。
鎌倉時代の境内は、鴨川からずっと境内だったという。物凄い広さだ。それから、建仁寺などが建てられたようだ。本殿は、神様をまつる建物神殿と、人が拝むところ拝殿が一緒になった建物で、神仏習合時代の名残を残す建物で、京都祇園八坂神社だけの建物だという。
正門前にある中村楼という茶屋。そこにある絵に祇園の始まりが描かれている。豆腐を切る赤い前掛けをつけた若い女。それが無茶苦茶流行って、その後ろで三味線を弾いたりしていた。中村楼の祇園豆腐は、味噌を付けて焼いたモノ。初めは一カ所でやっていたものをお茶屋・置屋・仕出し屋と分業制にすることによって、よりニーズに応えるシステムが作られていったという。
鴨川の河原は、秀吉時代には河原町通りから縄手通りまであったという。それを江戸時代に寛文新堤で石垣を作る事によって、水害が多かった四条通北側などが急激に発展していった。江戸末期の時点で、お茶屋が700軒。芸妓舞妓は3000人以上いたという。今でも風俗店などに混じって、お茶屋がぽつぽつとある。
『ブラタモリ』で、祇園の成り立ちが判ったのは面白かった。例えば、伊勢神宮の花街といえば、古市。外宮と内宮を繋ぐバスに乗るとその間にある。京都でいえば、上七軒も北野天満宮の門前にある花街。おそらく、江戸の吉原も、浅草寺の門前ということになるのだろうと思う。下山さんと歩いた葛飾には、玉の井、鳩の街、隣の柳町などもあった。日本では、こういう風に、寺や神社の門前に花街が出来ていったんだと思う。
4月18日(火) 雨/曇 6126
昨日からずっと雨が降っている。昼前には上がるようだ。それでも25度くらいはあるようだ。つまり夏日だ。
Eテレ『SWITCHインタビュー達X達 松岡正剛Xコムアイ』。十八世紀のフランス王妃を歌った、『マリー・アントワネット』。松岡はこの曲のスピード感に、自らの求める編集の形が表されているという。
コムアイ 「自分の特徴というのが、全然違う物を2つの物を合わせる事だと思ってて、松岡さんにもそういうところがありますけど、天使と悪魔だったり、その中間がなかったりとか」
松岡 「僕はね、今水カンでやっているのは、ちょっとラップのせいかもしれないけど、速い。だから前の言葉が、たとえば、「フランス革命」とか「マリー・アントワネット」とかいって「お菓子を食べたらいいじゃない」というとこまで行くのが、数秒だったりするわけ。だからね、思っててそれをやっているのは、僕は面白いなと思ってたわけ。」
コム 「うーん。嬉しい。もっと、こうやってしゃべって、テレビの前で、歌わず踊らず、しゃべってるだけでも得意になりたいですよね。人を自由にするパワーを出したいと思う。」
松 「あー是非そうして欲しい。で、日本の歌っているのは基本的に、「歌う」と「語る」と2つあるわけですね、浄瑠璃なんかは、歌うんじゃなくて語っているわけ。っていうかトークしてるわけ。あのー本当は語りの中に、コムアイが目指しているような「歌っぽいもの」が入ってきて欲しいとは、ずっと思っていた。」
コム 「あーホント。そうですね。そういうのがやりたいんだよな。なんか、理想の言葉操り名人が、うっすらイメージできていて。」
松 「いけるんじゃない。」
コム 「不自由したくないと思っていて、言葉が苦手だと思いたくない。自分の得意分野とか、表現したい事を、言葉しゃべっても、そのまま歌っているみたいに伝わったり」
松 「エディティング(編集)というものを、大事にしようと思った頃に、やっぱ自分の観察力とか、言語力とか、例えばこうやってスタジオ見るっていると、言語なく見れますよね。」
コム 「はい」
松 「こうカメラマンの人、こう何かがパッと入りますよね。この中にあるものを、言語で追おうとすると超遅れて行くでしょう。それがイヤで、学生の頃、あのー電車に乗ると、ワーとあの車窓の中に風景が映りますよね、見ている全部見えるわけさ。あの広告があるとか、ビルがあるなとか、あんなジムがあるなとか、それをふつふつふつ、言葉にしようと思うと、今角番の大塚の角番が見えてますとかいうと、自分の有声言語と脳の意識のスピードが、こんなにずれている、いくらやっても追いつかない。それをエディット(編集)しようと思い始めた。だから、コムアイの歌の面白いのは、意識が持っている、次にいきたい速度を、コムアイの歌い方によるけど、それを上手くキックして引っ張っている。それが面白かった。やっと出てきたこういうアーティストがって思いました。」 ーー中略ーー
コム 「水曜日のカンパネラは、これも探り探りでやっていて、1番最初は、夢とか歌詞に入っているようなのがあって、「七色の筆で夢を書いて」みたいな歌詞で、こんなの恥ずかしくって歌えないみたいな感じになっちゃって。凄くへそ曲がりで、他の2人もへそ曲がりで、自分の思っていることを言葉にするとなると、真面目なので、真面目な歌詞になってしまう。それが歌詞になって歌うとなると、歌う自分が居心地悪くなって、そのバランスを取るために、歌詞は遊べる素材にしようって感じで。でー歌うときに、声を、あーとかうーとか発している時に、この中にそれはそれで情報詰められるから、その時に気持ちを込めればいいと思っているんです。聴いている人に、こういう風になって欲しいとか、もっと自由になって欲しいとか、安心していいんだよとか、」
松 「それが出来るようになったのは何故。あのね、まずいっておきたいのは、僕はアマチュアリズムが面白いと思っているんですよもともと。誰もが世界は分かる。アマチュアが政治が分かるんですよ。アマチュアが悪者が分かる。本来は、超アマチュアであることを忘れてはいけないですね。みんな、プロフェッショナルになる。それは、それで大事なんですよ。そういう物が僕の基本的なリミックス感覚なんです。取りあえず、今は歌なの。歌は選んだことなの?」
コム 「後付もいいとこで。1年ぐらいは不信感だけで歌っていて、自分から何をだまし取ろうとしているか分からないから、まだ続けてみようと思ってました。で、1年ぐらい経ったときに、子供が大人になる過程みたいなところがあるかもしれない。なんか試していたんですよね、周りの人の事を。すごいひどいライブをやったり、仕事休んだり」
松 「でも、好かれちゃったんじゃない?」
コム 「そう、何人かに信用して貰えて、あっこの人たち、こんなやっても逃げないんだ。って思ってから続けようとおもちゃって」
松 「あのね。それはなんとなく彼らの気持ち分かります。樋口一葉の『たけくらべ』って、日本の永遠の少女と少年のすれ違いなんですが、その邪険って事なの。少女美登里が持っている、好きだから、だけど分からないからその気持ちが。ともかく邪険にしちゃう。それがでも男の子たちの火を燃やしていくんですよ。まっ『たけくらべ』に表された邪険を、コムアイ持っているから」
コム 「苦味?あのスパイスみたいな」
松 「そっそっ、つくしの味みたいな」 ーー中略ーー
コム 「松岡さんの脳みそにあるものすごい情報量がビックリした」
松 「キーパーソンとか、キーノートとか、キーワードとか、「キー」から入るんです。例えば、物理学の本が2000冊くらいあると思うんです。でもそれは僕が選んだというよりは、最初に湯川秀樹さん。すごいいいなと思うんです。その前は寺田寅彦がいいと思ってた。寺田寅彦がいいっていることと、湯川さんがいいってだけで、200〜300冊いちゃうの。寺田寅彦からたぐる本。湯川さんからたぐる本。次にちょっと、大学生くらいになってアインシュタインとか読むと、中ですでにリミックスが起こっている。「重ね」「合わせ」が起こっていく。その合わさった方で選んでいく。」
コム 「編集工学というものはどういうものか、松岡さんの口から説明して貰えますか。」
松 「エディティング(編集)は、もともと生命が持っていたやり方ですよね。で、生命は遺伝情報を伝えるために複写をした。だったら1つのものが、ずっと続いたはずなのに、プリントミスがあったり、誤植があったり、ジャンクDNAが出てきたり、まっ普通は突然変異といいますが。実は生物の多様性、生命の多様性というものは、そっから生まれている。っていうことは、間違ったり、組み合わせが変化したり、バージョンが増えることが、生命の本質であり、編集の起源だと思っています。……自分たちの奥にある、バイタルな、しかもコピーミスが許される世界と、それからコピーミスを美や官能に切り替えられる人為的な能力これを一緒にした編集工学というものを使おうというのが、スタートです。」
コム 「本当にスキない幼少期だと思って。」
松 「いえいえ、そんなことはない。幼少期は春日八郎ですよ」
コム 「春日八郎って?」
松 「……「別れの一本杉」で、泣けた泣けた こらえきれずに泣けたのさって。それをリーゼントでちょっと大柄の歌手が歌うんですけれども、そういう物に引かれた。切ないとか、悲しいとか、ギリギリとかっていうのが、感じる方で。失われていくものに哀切を覚えた。」
コム 「 『遊』(雑誌)の頃の話。『遊』を始めたきっかけは?それまで溜まっていた気持ちが、どう向かって『遊』になったのか?」
松 「化学と神道とかね、ケミストリーと神様の話とか、世界モデルと数学とか、あるいは、少年と観音とか、全然違うなんでこれが一緒になるのとかいうのを組み合わせて、しかも、特集とかゲストの原稿が頭に来るんではなく、スタッフの名前が先に出てくる。かっこいいクライマックスは後回し、ノートとかメモを前に出して、全く普通のメディアと逆、逆ではないよな、あんまりやってないことをやった。広告も制作者の名前を入れる。普通広告なんて名前絶対に入らないんですよね。こんな上手いの誰かな、こんな上手い写真誰かな。」
コム 「出ないですよね。調べても出てこない。」
松 「それもやる。……編集ってアマチュアから発していいと思ってたので、まずみんなに、学習して貰うっていうか、共有したのは、カルテってどのようにできているのか?競馬表はどうやって書かれてあるのか?株式市況はどういう組み合わせで、なんであんな速く分かるのか?とか、奥に行くためには、そういう手前にある株式市況とか競馬とか、あと美容師がしゃべっている言葉。それから株式用語だとか。そういうもので、ものすごく高速に、あっという間に伝わっていくことをまず学習しながら、そっちへ行きましょうというようにやったんですね。それが『遊』。」
コム 「情報が無意識に構成されているものを、読み解く訓練をみんなでしていたという事ですか?」
松 「のちに編集稽古。エディトリアル・エクササイズって200ぐらい作って。実は同時通訳の会社も同時に始めたんですが、で彼らは英語とかロシア語イタリア語とか、ものすごく素晴らしい才能を持っているので、彼らは、英語と日本語が同時に来ても、聞き分けられる訓練をしている。同時に英語と日本語両方きても聞き分けられる。だから取り出すときも取り出せる。正しそんなに長いものじゃなくてね。でもそれがすごく面白かったので彼ら一緒にに、あること同時にしゃべって貰って、どっちか取ちゃうですね。僕ら。あるいは混ぜて取ったりして。そういうのってどうできているのかとか。」
コム 「あー面白い」
松 「僕は、方法の人なんですね。だから、具体的なボリュームと、具体的なエビデンスと成果、プロダクツも大事だと思うんですが、やっぱり僕は、得意であり詰めてきているのは、方法で。世界中の出来事が、なぜビギニングとエンディングがあるのか?料理も歌もイベントも、オペラも、全てね、スポーツも。これが20年前くらいからの謎だったの。そこで入場料も決まるのね。食べる料金も決まる。で世界中の出来事のスタートとエンドがあるものを全部並べて、古代ギリシアのディオニソスお祭りからF1まで。パリコレから日本料理まで。フランス料理から祭りまで。全部書き出してプログラム。それこそ合わせていったんです。トレースして。そうすると、驚くことに大体全てのことが、大きく分割すると17段階で出来る。……」
いやー、73歳になっても、刺激を与えられる人が松岡正剛。去年の暮れに大病してもう片足つっこんでいる人だけど、エネルギーを貰える。
4月19日(水) 晴 14611
さっき家に帰ってきた。研修があって、帰りに夕食を取って帰ったからだ。いろいろ疲れた。肉体的にもそうだが、考えることもあった。初心に返るというのは、何でも大切な事だ。研修を受けていると、つまらないが、そういうことをイヤでも感じる。でもそれは、良いことだ。慣れから来る慢心や、おだてられて、持ち上げられたりすると、変なことになる。そういうので、惑わされて自分を自分以上に感じる勘違いをすると大変だ。どっかの国の誰かみたいに、ミサイル飛ばして自己満足しているようじゃ、大変なことになるだろう。
16日の日曜日。ドミンゴ・デ・レスレクシオンのセビージャの闘牛をネットで観た。モランテの1頭目は観れなかったが、マンサナレスはパスした。ロカ・レイとモランテを観た。ロカ・レイの耳とモランテが牛を動かした4頭目。ロカ・レイもちょっと不安定になっている。中心がしっかりしていないからだろうと思う。それと、落ち着いてやれていない気がする。怪我の影響かも知れないが…。モランテも、やる気を見せていたが、やっぱりやっちゃいけないことをやるから、イマイチのファエナにしかならない。もっと出来るはず。
昔は、セビージャのドミンゴ・デ・レスレクシオンは、テレビ中継をしなかったが、今年はカナル・プルス系で中継していたようだ。それをネットで観た。パソコンの画面からネット中継しているようで、時々感度が悪くなると中継が中断して、クリックするマウスが見えたりしていた。こういう時代になったのかと、思う。ネットがなく、闘牛雑誌や新聞しか情報ない時代から日本にいて闘牛中継がライブで観れる時代に。凄いもんだと思う。でも、1番良いのは現場。闘牛場で闘牛を観ることというのは変わらない。
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