--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行、2016年11月京都旅行の滞在日記です。
6月13日(火) 晴 マドリードにて
暑いから髪を切ろう。そう思う気持ちは、ある意味普通かも知れない。しかし、今は暑いから髭を剃りたいという心境だ。これからセビージャへ行く。昨日セビージャは50度弱だ。マドリードよりも暑いこと極まりない。だから、髭を剃って少しでも涼しさを感じたいと思ったのだ。
漱石は坂道を登りながら考えたといって書いたが、俺は小便しながら考えた。メ・グスタ、プラス、メ・グスタは、ウニコになる。と、思った。メ・グスタの2乗じゃない。足し算でそうなるんだと。何となくそんな事考えながら自分の中のモチベーションが上がっていくのを感じた。さて、暑い暑いセビージャへ行こう。
6月14日(水) 晴 10329 セビージャにて
セビージャは、思ったほど暑くはない。来るときのAVEは、上着を持ってこなかったので、寒く感じ、移動は車なので冷房が利いているし、外に表示されている温度計も36度くらいしか温度が上がっていない。少なくても暑いという感じではない。ラス・ベンタス闘牛場の日向席の方がよっぽど暑い。セビージャの今日の最高気温の予想は、34度でやっぱりそれほどでもない。下山さんは元気だった。
昨日の、昼食は牛の尻尾とカリジャーダ。あっこんな所にあったんだと、再発見したTHさんと入った店なのだという。それから、海へ行った。浜の上に立つカフェでコーヒーを飲んできたら、海に太陽が沈んで行こうと、海面が光っていた。その前の海岸線では、遅いので何人しか人はいない。よく観ると、女性が3人海から上がってきた所で、その先には、ウエディングドレスを着た、花嫁が波の方に歩いていき、大きな波を浴びて声を上げていた。それを花婿なのか男たちが観ている。その中の一人はカメラをかまえて撮影している。風が冷たいウエルバの海岸。
それから夕食は、ロシオ巡礼の地へ行き、エビを食べた。街全体が、舗装されていない。隣には池みたいな広い空間があり、そこには、牛などが放されている。馬もいるときがあると下山さんが言っていた。教会の写真や街の写真を撮った。家の前には馬を繋ぐ所があって、西部劇で知っている風景だ。スペインの街でこういうものが残っているところは多分少なくなったのだと思う。昔ロンダの街に行ったときに同じものを観た記憶がある。それからセビージャへ戻った。
6月15日(木) 晴 マドリードにて
朝、電話がかかってきて、送れることになったと、下山さんから連絡があった。待ち合わせて、サンタ・フスタへ向かった。三角形の話が訊きたいという事だった。写真を見せたりして説明した。後ろ脚の前の部分(腹)が去勢牛などは三角形になっている。ここに注目して、良い牛の場合は、ここの三角形の凹みがなかったり、少なかったりする。腰がしっかりしている事と、上から見て腰の幅が分厚いこと。その先にある腹や前脚などがある部分がしっかりしている事と、そのバランスが良いこと。以上4つのポイントで観る。そういう事を話した。ただしこれは、アレナの広い闘牛場限定の話。ラス・ベンタス闘牛場やセビージャのレアル・マエストランサ闘牛場では有効だろうと思う。しかし、アレナの狭い地方の闘牛場では、これは当てはまらないと考えた方が良い。アレナが狭ければ、動きが限定されるので、腰が強くなくても良いファエナが観れる可能性があると、思うからだ。
昨日は下山さんと、ヘレナに住むバルトロメ氏の家を訪ね、1部屋闘牛の写真やグッズ、新聞のおまけなどのスクラップを見せて貰った。マノレーテが死んだときの新聞記事。色々な闘牛士の写真。バルトロメ氏と闘牛士が写っている写真。闘牛士の服も3つあった。バンデリージャはバンデリージャ・ネグロまであり、ピカの先、ムレタ、カポーテも飾られていた。そして、ホセ・トマスのカスタニェータ(髷)と、ホセ・トマスの髪の毛付きも飾られていた。
5月25日の闘牛のビデオが流れていて、その中で、色々な話をしてくれた。コルバチョと親しかった人で、テンタデロなどでしょっちゅう会っていたそうだ。部屋の1つまるまる闘牛美術館の様になっている。こういう人がアンダルシアにはいるんだなぁと思った。マドリードだと牧場から遠いので、こういう闘牛士との交流は、少ないだろうと思う。テンタデロで会うのではなく、ペーニャなどの集まりでの交流が主だろう。彼が言うには、牧場で餌が足りなくて、馬や牛が逃げ出す事があり、それが、車とぶつかったりする事故が良くあるのだという。考えてみれば、牧場の石垣など、相当低いところがあるから、そういうところを飛び越えて、餌を求めて彷徨うのだろう。
彼に勧められたレストランで、昼食を取った。安くてまあまあの味。こんな田舎でも、端末にペンを使ってオーダーを記録して、厨房に通していた。時代は、大きく変わってきている。夜行く予定だった、焼き肉やは営業していないので、またここで食べた。昼のメニューと変わらない値段で食べられたのにはビックリした。下山さんには、セビージャでいつも世話になっている。これから昼食に出掛けようと思う。明日から3日間闘牛。今回最後の闘牛になる。
6月16日(金) 晴 12358
今日も快晴。朝方曇っていたが、昼前には快晴になった。ソルテオを観にラス・ベンタス闘牛場へ行った。切符は直ぐ買えた。今日の闘牛の切符は売り切れのようだった。18日のノビジェーロの切符も買う。これで今回観る切符は全部そろった。今日のソルテオは、黒い牛の三角形が目立った。でも、apartado
で観ると、駄目牛に見えたのは、タラバンテの初めの牛だけ。これが他の牧場だった。後はビクトリアーノ・デル・リオ牧場。特にマンサナレスの初めの牛(2頭目、30番)、と、タラバンテの最後の牛(6頭目、16番)が良かった。フリは、初めの牛(1頭目、46番)も良かった。フリの2頭目とマンサナレス2頭目は普通。今日は良い闘牛が観れそうだ。
もうスペインは暑くなって、セビージャもマドリードも夏だ。日中外を歩くのは、熱中症の危険もあるが、バテる。今日は初めっから日差しの強い所で観なければならない。今から気が重いが、良い闘牛が観るのならそれも良しとしなければならないだろう。闘牛場では、Facebookの友人になっているスペイン人と会う。良く更新する人で、何度ソルテオで会ったことがある。撮った写真を送ってあげた。
6月17日(土) 晴 15414
毎日暑くて疲れてくる。なにしろ闘牛が始まる時間が1番暑いので、その時にソルに座り直射日光を浴びるとだるくなるのだ。昨日は、ノー・アイ・ビジェテだったので、初めから自分の席で観たので暑かった。水もペットボトル2本もっていった。今日は39度の予報がでている。確実に40度以上の状態で観なければならない。もうペットボトルの水を凍らせて持っていくしかない。
昨日は、ビクトリアーノ・デル・リオ(ファン・ペドロ・ドメク系)牧場の牛で、エル・フリ、ホセ・マリア・マンサナレス、アレハンドロ・タラバンテ。フリが4頭目で耳1枚切った。ソルテオで観たときは、初めの牛の方が良く見えたが、ファエナはパッとしなかった。2頭目に備えた準備体操といった感じだったのか?牛の近くに立ってパセを繋いだ。こういうコロカシオンは好きじゃない。これで、観客が沸くのだから不思議だ。観客が沸くと闘牛士ものってくる。やる気を見せた耳1枚だった。
マンサナレスの初めの牛は、ソルテオでは1番良く見えた。ベロニカも素晴らしく、「オーレ」がなった。テルシオが替わりピカドールが登場。タブラにいた牛を呼んで、マンサナレスがカポーテを振ると牛が転倒しひっくり返った。驚きの声が上がり、口笛が吹かれ三拍子の手拍子が始まった。その後は膝を着くことはなかったが、後ろ脚がヨロヨロしていた。バンデリジェーロがカポーテを振っている所で牛が交換になった。ちょっと考えられない事だ。昔は、テルシオ・デ・バラスが終わると牛を交換することはなかった。今年はこれで2回目。しかも、膝を何度も着いた訳ではないのに牛を交換した。しかも、良い牛だった。テンディド7が中心になって口笛や三拍子が鳴った。それは良いとして、それをプレシデンテが拒否するのではなく、受け入れた。プレシデンテ自身の考えは無いようなもの。みんなが言うから、牛交換。みんなが言うから耳1枚。訳が分からない。それを選別する目を持っていなければならないのに、それが出来ていない。この日、1番の間違いをした。
もっとも、あのまま続けていても、ファエナを観る雰囲気では無かった。しかし、良いパセが繋がれば自然と盛り上がるはずだ。短気というか、聞き分けのないやんちゃさが、こういうところで露出する。7の1番悪いところが出た。7の存在を認めないわけではない。が、時としてこういう失態をして、平気な顔をしている所が嫌いなところだ。あの牛のファエナが観たかった。替わった牛は駄目だった。5頭目でも良いファエナにはならなかった。
そしてタラバンテ。3回出て耳3枚取っているのに、今日は気の抜けたビール。アルコールが入っていないビノの様な感じで…。こういうのを観ると、スペイン人ってサッカーでも闘牛でも、ムイ・ビエンか、ムイ・マルしか無いんだという事が分かる。その中間は存在しないのと一緒。昔サン・イシドロで、ホセ・トマスが3アビソを浴びたときの観客の反応を思い出す。可愛さ余って憎さ100倍って感じで、罵声を浴びせ、闘牛場から出てきても大声で怒鳴っている人が何人かいた。あんだけ良いファエナを何度も観ているはずなのに、そんなことは一切関係なく、その日悪かったことを罵るのだ。人間的といえば人間的だが、日本人には了解の彼方という感じで観ていた記憶がある。
今日は朝から競馬をたしなみ、ソルテオに出掛ける。牛を観ていて困ったなぁと思った。どうも、なんだかよく判らない。貧弱そうに見える牛。どうも腰がしっかりしているようには見えないのだ。その中で、まあまあと思ったのが、5頭目58番。1頭目148番。後は2頭目99番が?って感じだった。昨日牛でガッカリしたので、今日はホント自信がない。これが合っていると、ヒネス・マリンは外れの牛だったということになる。
6月18日(日) 晴 12023
朝、開けていたタバコを吸おうと観たら空になっていた。カートンの入れ物を観たら、日本から持ってきたタバコが1箱になっていて、悲しかった。今日明日、明後日の朝には帰国便の飛行機に乗る。それまで、1本もハイライトが無くなったら悲しい。
昨日、闘牛が終わって部屋に帰ってきたら、THさんからメッセージが入っていた。スペイン語で悲しい知らせがと書いてあった。何があったのかと訊くと、ムンドトロを観るように言われ、観たら、イバン・ファンディニョがフランスの小さな闘牛場で、死んだ記事が載っていた。パキーリが死んだのは、ポソブランコというコルドバから60キロ離れた田舎町の小さな闘牛場。翌年、ジージョが死んだのは、コルメナール・ビエホ。角が心臓を貫通して即死状態だった。去年死んだビクトル・バリオもテルエルの小さな闘牛場で即死状態だった。パキーリはコルドバの大きな病院へ向かう途中救急車の中で息を引き取った様だし、昨日のイバン・ファンディニョもモン・ド・マルサンの病院へ搬送中に亡くなったようだ。
人の死が、突然やってくる時、人はあたふたし、悲しいだけで言葉を失ってしまう。しかし、そういう時にこそ、その人の人間が試されていると考えた方がいい。何を感じ、何を考え、何をするのか。おそらく、その人のその後の人生に関わってくることになる。その場にいた、闘牛士、クアドリージャ、観客は深い悲しみ抱えただろう。イバン・ファンディニョの残された家族も深い悲しみに包まれただろう。闘牛に関わる人々は、いつも死というものを意識している。栄光の裏側には、そういうものがひそんでいる。
Facebook には、多くのコメントとシェアされた記事や動画に、「悲しい」というマークが増えている。闘牛士たちもコメントを出している。パキーリ、ジージョ、ビクトル・バリオ、イバン・ファンディニョ。4人に共通するのは、サン・イシドロの闘牛に出場したということ。ビクトル・バリオ以外は、プエルタ・グランデしたことがあるということ。おそらく、去年のビクトル・バリオよりも、大きな動きが出るような気がしている。
昨日の闘牛は、ヌニェス・デル・クビジョ(オスボルネ、ドメク、ヌニェス系)牧場の牛で、モランテ・デ・ラ・プエブラ、カジェタノ、ヒネス・マリン。ほぼ満員。ヒネス・マリンは、3頭目で牛に魔法をかけたような、素晴らしいファエナをした。彼がサン・イシドロのトゥリウンファドールであることを証明したグラン・ファエナだった。こういう闘牛場の熱狂が、帰ってきて感じだ。闘牛士の死。この落差と、そこにある現実。全く違った感情や感覚が同時に現実世界に存在する。人はそれを受け入れて、生きていかなければならない。
モランテは、ベロニカで観客を沸かせたが、クルサードしないアンダルシア風ファエナで、口笛を吹かれていた。良い牛だったが、この日のモランテの気分には合っていなかった様だ。カジェタノは、5頭目のファエナで観客を沸かせた。兄貴よりは、レベルが上。そして、クーロ・バスケスに牛が捧げられた。アポデラードで、彼の闘牛を支えている元闘牛士だ。
昨日は、色んな事を考えてマンサニージャを飲んでいた。朝起きても、何だか…。今、イバン・ファンディニョの悪口を言うのは、ほぼ禁句状態になっている。死んだ闘牛士は讃えられる。それは素晴らしいこと。スペインらしいこと。今年のサン・イシドロのファエナは酷かった。でも、それを例えば家族の前で言わないだろう。今それをする時ではない。今は、彼の闘牛士として歩みを讃え、闘牛士が抱えている、「死」という物をじっくり考える事が重要な様な気がする。
6月19日(月) 曇 6981
今日の朝は涼しい。曇り空の中、散歩に出掛けた。街はいつもと変わらない。人々は日々の生活を送っている。駅前に花屋が4軒あり、花を出している最中だった。色とりどりの花がある。それを眺めていたら、写真を撮りたくなった。気持ちが和んでいく気がした。涼しい中の散歩。自分の歩くスピード、ペースに合わせて自分の思考が動く。風景は通り過ぎていく、比喩なのかも知れない。
昨日の闘牛は、見習い闘牛。ホセ・ルイス・マルカ(ファン・ペドロ・ドメク系)牧場の若牛で、アンヘル・ヒメネス、アンヘル・サンチェス、ヘスス・エンリケ・コロンボ。入場行進の後、前日フランスの闘牛場で死んだ、イバン・ファンディニョの為に、1分間の黙祷が捧げられた。もう見習い闘牛士が出てきた時から、ラス・ベンタス闘牛場は、前日までの雰囲気とは全く違った感じだった。人は凄く少ないのに、拍手が続く。見習い闘牛士は3人は、モンテラを手に持って行進した。そして、黙祷。これが本当に長かった。ほぼ50秒間。こんなに長い黙祷は記憶にない。いつもは30秒もないくらいで終わる黙祷が長い間続き、その間、ほぼ音がしない状態だった。どれだけ、深い悲しみをみんなが抱えているかを、感じだ。まるでミサに来ているような感じだ。
それからも、異様だ。黙祷が終わると今度は拍手が続く。それが行進の最後の列にいる人が、プレシデンテの前で挨拶が終わるくらいまで続いた。物凄く重い感じだった。闘牛が始まったが、ヤジがほとんど出ない。クルサードしていなくても、脇が開いたパセ・デ・ペチョをやっても、それに対する抗議の声などがほとんど出ない。あれは何なんだろう?抗議して、闘牛士が怪我をしたらイヤだから、ああなったのだろうか?不思議な雰囲気に包まれた闘牛だった。
3人の見習い闘牛士は、初めの牛を、イバン・ファンディニョに捧げた。3人は、アレナ中央まで歩きモンテラを天に向けて、そして、アレナに置いた。投げないのだ。まるで、厳粛な儀式を観ている感じだった。アンヘルが2人に、ヘススが1人。何か余計な事考えてしまう。2人のアンヘルは挨拶をし、ヘススは耳1枚切った。サン・イシドロでおそらく1番良かったのがヘスス・エンリケ・コロンボ。
最後の闘牛が重かったのは、きつい感じがする。今年は、サン・イシドロを全部観ることが出来た。闘牛の感動に出会って26年。初めてのこと。いつも席に着くとき、切符をチェックする門にいる叔母さんが、切符を見せると親指を立てて通してくれていた。帰り際、アスタ・ドミンゴといったので、もう東京に帰りますといった。そしたら、来年はというので、そう来年といって帰ってきた。それから友人と飲みに行った。
昨日グラナダでは、騎馬闘牛が行われ、アンディー・カルタヘナ、ディエゴ・ベントゥラ、レア・ビセンスがプエルタ・グランデだったが、肩車ではなく、自分足でプエルタ・グランデを通った。
6月20日(火) 雨のち曇 10908
これからバラッハスへ向かう。昨日は荷物など詰めて、買い物に出掛けようと思って店の前に着いたら、三木田さんから電話で今から会いたいということで、落ち合ってカフェで2時間話をした。夜は、帰国前の夕食を食べた。帰りにバルで飲んでいると雨が降ってきた。1時間以上降っていたのでビックリした。小雨になったので帰ってきた。それから、同居人と飲んだ。今日の朝は、雨のせいで涼しくなった。
6月21日(水) 雨 7042 東京にて
マドリードからアムステルダムで乗り継ぎ。ここは wif が繋がる。Facebookに投稿したら下山さんから連絡があった。マドリードを発つときも電話があった。その時は、最後のラス・ベンタス闘牛場の日記をカフェで読んできたら、5分くらい音が聞こえなくなったと、いっていた。これは斎藤さんの文章の力ですと、いっていた。誉められるのは嬉しいが、そういうのではないと思う。それは、下山さんの感性がバイブレーションを起こしたからだと思う。アムステルダムでは、ホセ・トマスのアントニオ・コルバチョの不思議な関係を話していた。もう2度と会わないといっていたのに、アグアスカリエンテスで動脈を切って死にそうになっているときに、関係者がコルバチョに電話して、もう死んでしまうという連絡を入れたという。そんなことがあったから、復帰戦のバレンシアに来ていたんだと思う。あの時、コヒーダされたとき、誰よりも早くアレナに飛び込んで、ホセ・トマスを助けに行っていた。
そして、会わないといっていながら、トレオ・デ・サロンなどやっている処に行って、オペラを歌っていたという。それを、ホセ・トマスは黙って聴いていたという。あの2人、本当におかしい!下山さんがいっていた。僕は、いわなくても通じるものが、2人の中だけに解る何かが合ったんだと思う。
成田空港では、ローソンでおにぎり。部屋では、お新香と冷や奴と納豆とご飯を食べた。日本食が美味しい。そして、録画していたテレビを観ようと探していたが、納豆食べながら、NHKスペシャル『和食 ふたりの神様 最後の約束 すしvs天ぷら 至極の世界 小野次郎と早乙女哲哉』を観る。何だろうこういう世界は。小野次郎は昔から有名な寿司職人。本を読んでいてその時食べたいと思ったのは蒸し鮑。あの頃食べていれば、今みたいに4万円も出さずに食べれただろうけど、今でも進化し続けているという。彼の握るこはだを誉める早乙女。いつも前をいっている人に、追いつきたいと思って仕事をしているという。小野は、早乙女の揚げるあなごの天ぷらを食べたとき、普通はあなごを揚げると必ず臭みとか出るのに、それが一切ない。ビックリしました。そして、海老は、外はカリカリで真ん中が生。海老の甘みがひき立つという。食を通じてお互いを高め合おうとする姿は、美しい。91歳と71歳。年老いてまだ現役。極めようとすると年は関係ないようだ。語りは、樹々希林。この語りもまた素晴らしい。
中学生プロ棋士、藤井四段が歴代タイ記録になる28連勝を記録した。NHK7時のニュースのトップで報じた。史上最年少でプロ棋士になり、デビューから負け無しで記録した。プロになって勝率10割の中学生。過去中学生でプロデビューした4人は羽生をはじめいずれも、タイトルを複数回取っている。物凄い可能性を持った中学生。将棋界の将来を背負うであろう超逸材。
夜、『ガッテン』を観る。ゴボウをやっていた。水溶性と不溶性の食物繊維がバランス良く大量に含まれている。セルビアでは、セルビア正教会の信徒が体を清めるために食べているという。一般には、ゴボウ茶。そして、セルビアでは畑で作るのではなく、野生で自生している。日本では、ゴボウ生産者が甘いことに気付いた。春のゴボウは甘い。何故か?ゴボウ中にあるイヌリンが冷蔵庫などで冷やされると、糖に変わるためだという。
6月22日(木) 晴 5674
夜遅く寝たが、9時前に起きて八百屋に行った。オクラが欲しかったからだ。オクラの他ゴボウ、ミニトマト、ネギ、エノキなど買ってきた。ミニトマトは洗って食べたが、冷えてなくても美味しかった。そばをゆでて、オクラとつゆで食べた。これが朝食。日本に帰ってきた実感だ。
昼過ぎ新宿へ出掛け、用事をしませ、買い物をした。デパートの1階を歩いていたら、有名ブランドの化粧品などが置いてあり、女性だらけ。通路を歩くのも一杯でままならない。凄いもんだと思った。デパ地下で、京都の和菓子を買おうとしたら、木曜日は入荷しないといわれ、他へ移動。買い物を済ませ、何か買おうと思っていたのがあったが、何だろうと考えていたら思い出した。紀伊国屋で、ドナルド・キーン全集『百代の過客』を少し立ち読みし、NHKテキスト『100分 de 名著 維摩経(ゆいまきょう)』を買う。
今日から25日まで行われるフランス映画祭の団長で、カトリーヌ・ドヌーブが来日して、テレビに出ていた。最後に日本のファンに一言といわれ、「みんなちゃんと、自分を表現しましょう。」といっていた。ドヌーブはかつて映画監督のフランソワ・トリュフォーと恋仲になって、付き合っていたときに、言った言葉が、トリュフォーの映画の台詞になっている事に気付き、それに不満を言っていた事があるという。「みんなちゃんと、自分を表現しましょう。」って、そういうことなのと、変なことを考えてしまうのは僕だけなのだろうか?
イバン・ファンディニョの葬儀には、闘牛士が参列したが、その中に、ホセ・トマスがいた。出るとも出ないとも、何も言っていなかったが、やっぱり出席した。そこで、何も語っていないようだが、写真だけでも何か他はとは違う雰囲気が漂っていた。サングラスをかけて、目が見えない。白髪が目立つ髪の毛。それだけが写真に写っている。これからどうするとも、何も語っていないようだが…。何を考え、何をやっているのか、何も解らない。ホセ・トマスは謎だ。
6月23日(金) 晴 9425
東京はまだ梅雨明け前。ポストに色々郵便物が溜まっていて、それを整理して対応中。昨日、都議会選の投票用紙が届いた。小池都政の今後を占う選挙になるようだ。昼とか選挙戦でうるさくなるのだろう。約1週間の選挙戦。最近ニュースを見る気分が薄れてきた。
何かラス・ベンタス闘牛場の興行が25日で、今年から夏闘牛開催しない事がエル・ムンドの載っている。本当だろうか?それが2020年まで続くという事が書いてあるようだ。それは、コムニダの知事が闘牛反対派に変わったからと言うことなのか?
睡眠負債ということを、録画していたNHKの番組でやっていた。少なくても7時間の睡眠を取らなければならないという。出来れば8時間。睡眠負債が溜まると、色々な障害が出てくるという。プロバスケットボールチームが、選手に睡眠を取るようにいうと、約2時間長く寝るようになり、3ポイントシュートの確率が、約10%上がったという。短距離走のタイムも短くなり、体が軽くなったのだという。
朝に15秒太陽を観ると体内時計の狂いが修正される。寝る前にスマホを観ない。夕方散歩など運動をする。など、負債を返済する為の方法もやっていた。睡眠って、人間にとっていかに重要かというのを、医学の面で解明されつつあるようだ。睡眠の深さだけでなく、時間も必要なのだという。万年睡眠不足というのは、明らかに睡眠負債を抱えていると言うことになるようだ。気を付けよう。
6月24日(土) 晴 17455
久々に仕事に行ったら、休暇を取って海外旅行に行った人が、胆石で入院して10日ほど戻って来れなくなり、帰国後も入院療養していた話を訊いた。7月には胆嚢摘出手術をするのだという。旅行保険入っていて良かったと、しみじみ言っていた。それがなければ200万くらいの出費になっていたのだという。今でも、いついたくなるのか不安で、特に食後が不安だという。いろいろなるもんだと思った。
6月25日(日) 雨/曇 10709
やまももの木から実が落ちて、甘ずっぱい香りその辺にしている。紫陽花が咲き、木曜日か金曜日には雨が上がる予報。そうなると東京でも梅雨明けが宣言されるだろう。葉の上に落ちるやまももの実の音と、木の葉の付いた雨粒が葉に落ちる音が似ている。
闘牛場で焼けた肌。額の辺りがザラザラしている。ここだけが日焼けで皮がむけているような状態だ。目立たないが、むけている皮が額に付いている。指で触ると分かるが、目で見てもなかなか分からない。
6月26日(月) 雨のち曇 10980
朝の散歩で、雨に濡れて光る花を見つけた。綺麗に咲く花の横に、枯れた花や葉がある。若いときは、夏に枯れ葉があるなどということは気付かなかった。色鮮やかに咲く花の横にある枯れて色が変わった花は、醜いと思ったものだ。今は、そのあるがままの姿が自然で良いと思う気持ちになった。
例えば、花を生けるにも、美しい花を飾るだけでない活け方がある。『美の壺』ぬくもりの木の器では、ある花人が、秋に虫の食べた後がある葉を切ってきて、床の間の木の器に花など他の植物と活ける。それが季節感を表していると言っていた。それを観たとき、伊藤若冲を思い出した。若冲の絵には、虫食い跡がが残る葉が描かれている。お寺に寄進する絵には通常描かれない虫食い跡の葉。それをわざわざ丁寧に描いて作品の隅に置く。それが、若冲にとっての生きている世界なのだと思う。
大阪・西福寺にある仙人掌(サボテン)群鶏図襖絵は、金箔の上に描かれた群鶏。その裏が白地に墨で描かれた蓮地図。枯れかけた蓮の葉に虫食いの跡。蓮の実が黒くなり、それは前の年の実なのか茎が弱々しく曲がっている。しかし、所々に、水面から出ている蓮の白い花やつぼみ。京都の天明の大火で焼け出され石峯寺で隠遁生活を送る。その時に、京都の再生の願いを込めて描いたのが、『蓮地図』ではないかと、言っていた美術評論家がいた。東日本大震災の後にそういう風に感じたのだといっていた。つまり、襖の表に金箔の派手な『仙人掌群鶏図襖絵』を描き、裏に地味な墨絵の『蓮地図』描いたが、若冲の意図は、裏の地味な墨絵の中にあったというのだ。
何とも日本的な感覚。だからこそ、派手な色彩で描いた、『動植綵絵』30幅の中にも、虫食い跡が描かれている。自然が再生するように、自然の風景を描きながら、人間世界のことを描いたのだと思う。面白いのは、『和食 ふたりの神様 最後の約束 すしvs天ぷら 至極の世界 小野次郎と早乙女哲哉』の中で、病気をした小野次郎を早乙女が呼び出して見せるが、伊藤若冲の絵だった。ここに蝶が飛んでますが羽が三枚しかありません。バランス悪いけど一生懸命飛んでます。ちょっと下を見てください。ここにカマキリがいます。そして、羽が一枚あります。捕まりそうになって逃げたんですね。若冲ってこういう所、描いているですよ。次郎さんもこの三羽の蝶のように一生懸命頑張ってください。といっていた。ここでも若冲なんだと思って、なんか嬉しかった。
先日、グレゴリオ・サンチェスが90歳で死んだ。元闘牛士で、マドリード闘牛学校の校長をやっていた人だ。昔のビデオを闘牛の会で流して説明したことがある。1950年代に、これほど深いクルサードをして闘牛をしていた人はいたのだろうか?まるで、ホセ・トマスばりのクルサードだ。そういう闘牛をしていたからこそ、闘牛士を目指してやってくる少年たちに、クルサードして闘牛する大事さを教えていたのだと思う。マドリード闘牛学校から輩出された闘牛士たちの多くが、ラス・ベンタス闘牛場のプエルタ・グランデを通過した。25日ラス・ベンタス闘牛場では、入場行進の後に、グレゴリオ・サンチェスの為に、1分間の黙祷が捧げられた。
6月27日(火) 雨のち曇 8804
将棋の藤井四段は、新記録になる29連勝を達成した。昼は何を食べ、夕食は何を食べたということまで夕方のニュースでやるほどマスコミは熱狂して、40社100人の報道陣が詰めかけたという。もう狂想曲である。日本中が中学生に注目している。今日の新聞は、スポーツ紙は勿論、一般紙まで1面で報道している。
「新記録となる公式戦29連勝を達成した、藤井聡太四段の記者会見の主な内容は以下の通り。
佐藤康光日本将棋連盟会長 大変な記録を達成してくれたなという印象です。これからもますます一局一局、注目してもらいたい。
--大記録を達成した率直な気持ちは。
藤井四段 自分でも29連勝というのは想像もできなかったことで、喜び、非常に驚いている。
--今日をどういう気持ちで迎えたか。
藤井四段 今日の相手は強敵の増田康宏四段で、竜王戦の決勝トーナメントという大きな戦いということもあって、連勝の記録自体は意識しないように、気を引き締めて臨みました。
--思い出に残る対局は。
藤井四段 初戦の加藤(一二三)先生に教えてもらった一局は思い出深い。貴重な経験だった。
--初タイトル最年少記録については。
藤井四段 まだまだ実力を付けることが必要だと考えているので、タイトルを狙える位置まで、まず実力を付けたい。
--今後の目標は。
藤井四段 もっともっと実力を高めて、タイトルを取りたい。
--タイ記録と新記録。感情的にどう違うか。
藤井四段 単独1位になれたというのは自分でも特別な、今までと違った喜びがある。
--どこまで勝ち続けるか注目されているが、連勝に対する意識は。
藤井四段 連勝記録というのはいつか必ず途切れてしまうものなので、自分としては連勝は意識せずに一局一局全力で指していきたい。」 ーー毎日新聞よりーー
コメントが大人びている。大量のスラッシュを浴びながらの会見。どんなに努力をして、精進したからといっても、舞い上がってしまいそうな大記録を打ち立てても、現実を見つめ直し前に進んでいこうとしている姿は、ただただ驚いてしまう。小さいな頃から続ける詰め将棋。プロを相手に、小学6年生から詰め将棋の大会で、3連覇しているという。そして、パソコンでも将棋。アナログとデジタルが、頭の中で整理されているからだろう出来る情報処理。物凄い可能性を感じさせる14歳だ。
「将棋の最年少棋士・藤井聡太四段(14)が6月26日、歴代最多となる29連勝をデビュー以来、無敗のまま達成した。将棋界の棋士たちからは、祝福の声が寄せられた。
◆羽生善治三冠
29連勝は歴史的な快挙です。結果も素晴らしいですが、内容も伴っている点でも凄みがあります。この記録は時が経つにつれ重みを増して来るはずですし、将棋界の新しい時代の到来を象徴する出来事になりました。檜舞台で顔を合わせる日を楽しみにしています。
◆谷川浩二九段
新記録おめでとうございます。タイトル戦の本戦に勝ち進むようになり、トップ棋士との対局も増えてくると思います。10代半ばの一番強くなる時期に、トップ棋士と戦えるのは幸せな事。トップとの差は何なのか。実際に肌で感じることでまた、大きな可能性が開けてくるでしょう。
◆神谷広志八段
28という完全数は一番好きな数字ですので、それが一位でなくなることは個人的に少々寂しいのですが、凡人がほぼ運だけで作った記録を天才が実力で抜いたというのは将棋界にとってとてもいいことだと思います。藤井さんがこれからの数十年でどんな世界を見せてくれるのか、ファンの皆様とともに寿命の限り見続けていきたいです。
◆杉本昌隆七段
竜王戦本戦という大舞台で神谷八段の記録を抜く29連勝は驚愕です。師匠の私も至福の時間をもらいました。28連勝を達成した帰り道、いつもと同じようにずっと将棋の話をしていたのが印象的で、このとき29連勝を確信しました。歴代連勝記録のトップに立ちましたが、14歳の藤井四段にとってこれは序章。一喜一憂せず、これからもさらなる記録を目指して精進してください。
◆母・藤井裕子様
このような記録を達成することができ、本当にすばらしいと思います。一局一局を大切に、これからも「強くなる」という目標に向かって進んでいってほしいです。」 ーースポーツ報知よりーー
「終局後、一瞬の空白。報道陣が殺到する前に、藤井は3秒だけ目を閉じて気息を整えた。「自分でも信じられないです。苦しい将棋もあったので非常に幸運でした」。スチール、ムービー、記者がスクラム状態と化して互いに怒号を飛ばしても、少年は顔色ひとつ変えなかった。 ーー中略ーー
国民が新記録樹立を待望した一日。将棋会館は“藤井劇場”と化した。対局前、タクシーを降りる14歳を迎えたのは拍手喝采の「入り待ち」ファンと、誰かが通報して呼んだパトカーだった。人気アーティストの会場入りを思わせる光景だった。50社150人を超えた報道陣は建物の外へ、さらに敷地の外へとあふれた。1996年、羽生善治7冠誕生の時以来の熱狂が対局室の周囲を覆い尽くした。
大人たちの喧騒(けんそう)をよそに14歳は遠い未来を見つめている。通学する名大教育学部付属中の授業の一環で、大学教授から人工知能(AI)について学んだ藤井は「将棋で人間がコンピューターに負けたりすると、AI脅威論が出てきたりします。でも、人間と同じ知能を持つかといったら別の話です。コンピューターの方が強くなった時、棋士の存在意義が問われます」。
史上最年少棋士はコンピューターと自らを比較し、人間として、棋士としていかに生きるかを考えている。「盤上において人間が勝る領域はどこにあるのか、あるいは全くなくなるのかは分からないですけど、コンピューターに関係なく、面白い将棋を指すことは棋士の使命だと思います」
信じ難い光景だった。会見終了後、将棋会館の駐車場に約300人もの人々が列を成して史上最多連勝者を待った。藤井が姿を現し、横付けされたタクシーに乗り込もうとした時、拍手と歓声が湧き起こった。
静的だった世界を14歳は動的に変えた。藤井聡太はもう「神の子」ではない。将棋の神様の目の前にいる。」 ーースポーツ報知よりーー
伝え聞くところによると、羽生は、新記録を作った将棋を、まだ中盤・終盤、本当の力を出していないんじゃないかと、いったという。それが本当だとすると、物凄いことになる。次対戦する佐々木勇気五段は、対戦場で藤井四段を待っていたという。執念を感じさせる。7月2日の対戦になる。最近将棋で流行っている勇気流といわれる攻め将棋の考案者だという。10代の活躍が話題になっている卓球女子の平野選手や、男子の張本選手。それを上回る社会現象が起きている。
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